災厄の馬



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初公開日(参考)2022年03月
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長編小説

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災厄の馬 (ハヤカワ・ミステリ)

2022年03月02日 災厄の馬 (ハヤカワ・ミステリ)

イギリスにある海辺の町イルマーシュで、十六個の馬の頭が並べられているのが見つかった。グロテスクながらも美しいこの奇妙なオブジェは、これから町に起こる様々な災厄を告げるものだった……! 閉鎖された町で起こる不気味な事件を描く、戦慄のスリラー。(「BOOK」データベースより)




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No.2:
(3pt)

「馬」に特段の意味はないおせち風ミステリだった

16頭の馬が惨殺され儀式のように埋められたからと言って、『ECUUS(エクウス)』級の感動を期待してはいけない。(『ECUUS』は英国の劇作家ピーター・シェーファーの戯曲、1973年初演)
 本作において、「馬」は単に猟奇性の強調とショッキングなヴィジュアル効果を狙って使用されたプロップに過ぎないのである。

 訳者あとがきにもちゃんと書いてある。
「この物語の創作の起点」は「“馬”ではなく“さびれた海辺の町”」であり、作者ブキャナンは、冒頭に登場する羊飼いと警察官に「農場で、“何か奇怪なもの”を発見させたい」と思い、「何か動物がいい ー と考えていて、“馬”というアイデアが閃いたのだという。」(p390「訳者あとがき」より)
 咄嗟の思いつき。それ以上でもそれ以下でもない。どうしても「馬」でなければいけなかった、という深い理由もこだわりも、ない。
 看板にだまされた読者(私です)がバカだったと言えばそれまでだが、題名に「馬」を入れておきながら、タイトルロールの扱いがこれほど粗末に終始するのは遺憾の極みである。

 一読してなぜかおせち料理を連想した。
 何でもかんでもため込むが整理整頓は苦手な人が書いたとしたら、こんな作品が出来上がるのかもしれない。
 動物虐待、器物損壊、保険金詐欺、小児性愛、毒親、トラウマ、サイコパス、バイオハザード等々、スリラー/ミステリの定番具材が本という枠の中にぎゅう詰めに盛り込んであるのだが、総体的には雑駁な見栄えでメリハリに欠ける。仕上げにもムラがあり、一の重では人間関係の味付けに塩コショウを振り忘れていたり、二の重では謎の答えに芯まで火が通ってなかったり。
 結論として「美味しくありませんでした」という残念な読レポとならざるを得なかった。

「あえて曖昧に書かれている部分も多々ある。さまざまな解釈が成り立つところも、この作品の魅力のひとつだろう。(p394)」と、訳者が親切にフォローアップしているものの、伏線の回収作業を読者の想像力に丸投げして「さまざまな解釈」を迫るような贅沢が許されるミステリ作品など、滅多にあるものではない。況して、デビュー作でそんな特権を享受しようとすれば、年季の入ったミステリ・ファン(私ではありません)から「甘えるんじゃない!」と蹴りが飛んでもおかしくないのである。

 また、動物への暴力行為を必要不可欠な「小道具」として使いたいのであれば、その使用目的や理由に対して、明示的にせよ暗示的にせよ読者が納得できる説明が必要であり、慎重な上にも慎重な創作上の配慮が求められる。でないと、ただの悪趣味に終わってしまう。
 馬や犬や猫が、なぜこの場所で、この時に、この方法で、誰によって、どんな意図で虐待されるのか? 本作では説明も配慮も十分でないように思う。

 他にも美味しくないと感じたところ:
(1)“バイオハザード”をライトモチーフの一つにしているわりには、生物災害の脅威がリアルに伝わって来ない。謎が枝分かれして無駄にあちこち拡散するからか、恐怖も緊迫感もそれほどではなく「いろいろな死因の中の一つ」程度の生煮え状態で火を止めてある。(入れる意味あった?と突っ込みたくなる。)
(2)ストーリーテリングにおいて、話の腰を折る唐突な飛躍・省略・脱線が煩わしく、スムーズに筋を追う妨げになる。たとえば過去のフラッシュバックと現在が交錯する場面で、各エピソードのマッチングに何の必然性も見出せないときなど、スイカと天ぷらの食べ合わせのような違和感に長時間苦しむ。
(3)独特な文学嗜好が醸し出す曖昧さが、モヤモヤした消化不良につながる。

 (3)について言えば、私は個人的に文芸ミステリが嫌いではないのだが、それでも「ミステリ」というジャンルには一定の作法があることを承知している。場違いなところで過剰な文学臭を漂わせるのは、つけ過ぎた香水のように逆効果だ。
 本来のミステリとしての骨格が脆弱であるのに、「詩的な表現を駆使した文体(p394)」ばかり盛りだくさんに供されても、さらなる食欲減退につながるのみではなかろうか。

 作者の来歴に「ケンブリッジ大学で英文学を専攻」とある。
 もしや授業でトマス・ハーディでも読んでいたのでは? そして、ハーディ文学に通底する宿命論、悲劇性、特定の風土/土地柄に対する執着傾向などの滅入りがちなエレメントから、中途半端に影響を受けてしまったのでは? などと余計なお世話の勘ぐりをしそうになる。
 本作では「土地」の存在感が異様に重く大きく感じられるのだが、これは作者の意図以前に、単純な不均衡によるものだと思う。「人」つまり登場人物の造形が極めて浅く薄く平板であるため、相対的に「土地」が実際よりもはるかに重要に見えるという、作者の想定以上のトリックアートのような効果が生じたのではないかと疑っている。(個人の感想です)

 謎の答え探しを読者まかせにせず、2030年までに風景描写と心理描写を46%削減し、長すぎるエピローグ(二段組み12ページ分)を大幅に短縮することができれば、贅肉のないスッキリした戦慄のミステリとして再生できるかもしれない。
災厄の馬 (ハヤカワ・ミステリ)Amazon書評・レビュー:災厄の馬 (ハヤカワ・ミステリ)より
4150019770
No.1:
(4pt)

人ではなく、土地が罪深い

少し時間を要しましたが、「災厄の馬 "Sixteen Horses"」(グレッグ ・ブキャナン ハヤカワ・ミステリ)を読み終えました。
 英国の海辺の町、イルマーシュ。農場でおぞましい十六頭の馬の死体が円を描くように埋められて発見されます。捜査に乗り出す刑事アレック。そして、獣医学の専門家・クーパーがその捜査に加わります。そして、いくつかの「何故」と「誰」がうねりながら描写されていくことになります。
 描かれる"町のボンファイヤー・ナイト"によって、2018/11月に読んだ「刑事シーハン 紺青の傷痕」を想起したりもしましたが、残念ながら本が手元にないため確認できません。思い過ごしかもしれません(笑)。
 第一部から、第二部「世界の穴」(45%ほどを読み進めた後)に受け継がれた物語は、鮮やかに転調します。それはスリラーとしての<反転>と試みを含めた作者の<意欲>をも感じさせて、今までにない(少し神経症的で)特異な感覚を持ったミステリとして記憶されることになるでしょう。
 加えて、作者は、或る種の罪を描くために、人に影響を与えるであろう土地、架空の町・イルマーシュを丹念に構築しています。人ではなく、土地が罪深い。
災厄の馬 (ハヤカワ・ミステリ)Amazon書評・レビュー:災厄の馬 (ハヤカワ・ミステリ)より
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