マンソン・ファミリー 悪魔に捧げたわたしの22カ月
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今年2019年はヒッピー・カルト集団「ファミリー」のチャールズ・マンソンたちが女優のシャロン・テートらを惨殺して50年の節目の年にあたります。自由と平和をうたった反体制ムーブメントだったヒッピー活動が一気に勢いを失っていくきっかけともなった事件から長い年月が流れました。 カルト信者たちの心理状況はどんなであったのか。彼らはなぜマンソンに依存していったのか。その疑問への答えを求めて、2年前にエド・サンダース『ファミリー シャロン・テート殺人事件』(草思社文庫)を読みました。ですが作家でもリポーターでもなく、反体制的ミュージシャンであるこの本の著者が集団の外から事件を眺めて綴ったこの書は、マンソンらの心理分析も、哲学的考察もおこなうことなく、何月何日に誰それが何をした、といった乾いた事実を淡々と上下巻総計700頁近くにわたって書き連ねていくばかりでした。訳者あとがきの言葉を引き写すと、まさに「無味乾燥なスクラップの山である」といえる書を読み終えたとき、大きな徒労感ばかりが残ったことを覚えています。 今回手にした『マンソン・ファミリー』は半世紀前にまさに「ファミリーの一員(原題は『Member of the Family』)」だった女性が当時を克明に思い出しながら綴った自伝です。 ボヘミアン的生活にあこがれた両親によって遺棄されたも同然に扱われ、やがて別の<家族>を求めて著者はマンソンの集団に取り込まれていきます。 「わたしに必要なのは家族だった。そして今、ようやくそれが見つかった気がしていた」(206頁) 生まれ落ちた家族や環境にしっくりこない思いを抱えた若者がカルトの罠に落ちる姿は反復される一風景です。『マンソン・ファミリー』が描くのは1960年代末期のアメリカの風景ですが――米国ドラマの中でギャグとして用いられることが多いマリファナ入りブラウニーの話が109頁に出てきてちょっとびっくりしました――、70年代のドイツや日本の赤軍派や、90年代のオウム真理教など、それぞれの時代の若者の閉塞感を解決してくれるかのような見せかけの新機軸が立ち現れ、そして社会を震撼させた末に姿を消す様子を私はこの半世紀で見てきました。 若さは特権であり、希望であり、と同時に未熟の代名詞でもあることを、著者は長じた今となってはとてもよく理解できているようです。 「いいかい、何者でもないということは、なんにでもなれるということなんだ」(163頁)という言葉に心動かされ、「もしもあのとき話ができていたら、ひとりになりたくないというわたしの思いを母に伝えられたはずだし、わたしも母の本当の想いを知ることができただろう。だけど、わたしの未熟さがそれを邪魔してしまった」(190頁)と今だからこそ振り返ることができ、それでも「わたしに必要なのは家族だった。そして今、ようやくそれが見つかった気がしていた」(206頁)と疑似家族へと突き進んでいく様は、著者の若く青く弱い存在だった自らへの鎮魂の言葉のように響きます。 まさに「渦中にいるとき、これは歴史だと気づくのは難しい」(110頁)のです。 そうした著者が辛くもファミリーとの絆を断ち切るうえで頼みとすることができたのは、夫ともに自ら作り上げた本当の家族でした。マンソンらと過ごした日々の奇怪さは確かに読ませますが、それ以上にこの書が見せる凄みは、自分がかつてファミリーの一員であったことを息子や娘に向かって苦悩の末に打ち明ける母としての姿です。子どもたちに対して秘密をもって生きてきたことが生む羞恥の念と、それを受け止めようとする家族のようすは胸を打ちます。私はこの書を通勤電車の中で毎日少しずつ読み進めていったのですが、最終章では、決してすいてはいない車内で涙を押しとどめるのに苦労しました。 最後に、翻訳を手掛けた山北めぐみ氏の手腕に敬意を表したいと思います。バタ臭い翻訳調の和文は一切見られません。流れるようなその日本語訳は、600頁に喃々とするこの長編の手記を一度として倦むことなく読み進めるうえで大変大きな助けとなりました。 またひとり、すぐれた翻訳者に出会えた喜びとともに書を閉じました。 ----------------------------------- この書に関連して以下の書を紹介しておきます。 ◆Jeannette Walls『The Glass Castle』(邦訳は『ガラスの城の約束』(早川書房)) :著者は1960年生まれのMSNBCコラムニスト。その幼少期からニューヨークへ旅立つまでの家族の物語を綴った回想録です。彼女の両親というのが相当型破りな人物で、父はアルコール依存症ぎみ、母は画家で金銭感覚がゼロ。定職につくことなく、幼い4人の子どもとともに北米大陸を移動する浮草の日々を送っています。医療費を踏み倒したり、出勤拒否に陥ったり、子どもの貯金をせしめて酒手(さかて)にしてしまったかと思うと、最後はホームレスにまでなってしまう両親。これもまた60年代後半から70年代にかけてアメリカのカウンターカルチャー世代の家族の物語です。dysfunctional familyという表現がふさわしいかに思われますが、読み進めていくとこの言葉のイメージから想像されるささくれだった家族像は不思議と感じられません。 ◆竹林 修一『カウンターカルチャーのアメリカ‐希望と失望の1960年代』(大学教育出版) :著者は20世紀アメリカ文化史が専門の、東北大学高度教養教育・学生支援機構の准教授。「ファミリー」にいた著者が繰り返し使用したLSDについてこの書に詳しく書かれています。当時の大学研究者の中には、それが人間の抑圧を解き放つ効果があるとして万人にその使用を積極的に進める派もいれば、知的・精神的に十分成熟した人だけが使うべきだと制限を主張する派もいたのだとか。いずれにしろ、現在の視点から見れば、薬物をなんらかの意味で肯定する意見が一定数いたことを面白く読みました。 ◆ロバート・A・ハインライン『異星の客』(東京創元社) :『マンソン・ファミリー』ではシャロン・テート事件ののちに拘置されたメンバーのひとりがハインラインに手紙を書いて保釈金の無心をした話が出てきます(523頁)。ハインラインはなんとそれに返事を書いてよこしたそうです。ただし「『異星の客』の登場人物とは違って、いかなる種類の法的支援も財政的支援もできかねる」と書いたのだとか。 『異星の客』はヒッピー・ムーブメントの聖書とも称されたSF小説です。物語の前半は息をもつかせぬスピード感。これほど活字媒体が映画のような躍動感を持つことが出来るのかと驚かされます。後半は人類の価値観といった領域に踏み込んでいて、少々脳味噌をしぼりながら読み進む必要があるかもしれません。ですが、決して読んで損はない一級のSF巨編です。 ◆西田 公昭『マインド・コントロールとは何か』(紀伊國屋書店) :著者が静岡県立大学の学者だった1995年に上梓した書です。オウム真理教徒によるサリン事件が起きた年でしたし、確か裁判が進んでいた1997年あたりに読んだ記憶があります。 . | ||||
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マーダーケースブックの創刊号でシャロン・テート事件を知ってはいたものの、タランティーノ監督の映画「ワンスアポンアタイムインハリウッド」を見て以来、マンソンファミリーについてしっかり調べたくなり、注文。 著者のダイアン・レイクは当時マンソンファミリーの最年少だった女性。夢ばかり見ていて目の前の現実から目をそらし、放蕩や行き当たりばったりな行動を繰り返す父親、その父親の行動に翻弄されて主体性のない母親に育てられたことと、大好きだった祖父から手を使った性的行為を受けたことにより、幼い頃に育むべきだった基盤がぐらついていた。そんな中、家庭崩壊を経てよるべのない彼女が父母のヒッピー仲間を通して出会ったのはチャールズ・マンソンだった。 最初は最年少ということもあり、マンソンや彼を取り巻く女たちからマスコット的存在として可愛がられるものの、次第に性的に搾取されたり、マンソンの不機嫌の八つ当たりに暴力を振るわれたりしていくものの、帰るべき家がない彼女はマンソンファミリーの歪んだ疑似家族的関係にしがみつかなければならなかった……といった内容。 カルトに苦しめられた方もですが、支配的な家族や上司や教師に傷つけられたり、パートナーのモラハラやDVに苦しめられた人はフラッシュバックを起こす引き金になる箇所がかなりあるので読む時は注意願います。私の個人的意見で恐縮ですが、私は、この文中のマンソンがダイアンにした仕打ちのいくつかに毒親やモラハラ傾向のあったパートナーのしたことが重なり、読んで嘔吐したからです。 しかし、彼女の元来の聡明さと次第に抱き出したマンソンへの猜疑心からマンソンに疎まれたことにより、ダイアンがマンソンの誇大妄想と逆恨みによる殺人の実行部隊から外されたことと、マンソン逮捕によるマンソンファミリー瓦解、ダイアンが未成年だったことにより、彼女を逮捕し、なおかつ彼女に親身になってくれた警官が里親になってくれたことにより、崩れた基盤を取り払い、新しい基盤を構築していくくだりは読んで安堵しました。 一方で、『ジャーナリズムの追求』の為なら平穏に暮らしている人間のプライバシーすら暴いて当たり前なマスメディア、殺人には関わってないものの、マンソンファミリーの一員だったというだけで、後ろ指をさされて社会の隅っこに生きていろと願う市井の人々の冷たさは万国共通なのだなとこの本を読むとつくづく思います。 かなり忍耐とフラッシュバックの戦いを要求されますが、カルトに苦しめられ、傷つけられた当事者の手記としては貴重な本ですし、カルトでなくても高圧的な人々に傷つけられた人にはサバイブする道標となる本であることは確かです。 | ||||
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オウム問題に相対する立場を30年間続けた自分にも、改めて参考になりました。素敵な本、その翻訳ありがとうございます。著名な事件だけれど当事者の手記は他にあったかなあ。マンソンが出現してきた経緯、その時の雰囲気、若い女性から見たその感覚、とても貴重です。 カルト問題につき、少なくない論者は一部の情報、それも間接情報をもとに、自分の考え・土俵での話を展開しがちであり、困ったものです。すなわち、どのカルト問題でも、元メンバーが振り返って直接体験したことを赤裸々に記述した本こそが、最も参考になります。それらと刑事民事の訴訟記録期などから事柄を合わせて、ジグソーパズルのようにして全容がわかってくるものだと。 | ||||
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