銀河英雄伝説6 飛翔篇
- 銀河英雄伝説 (13)
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全1件 1~1 1/1ページ
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シリーズ半ばにしても勢いは衰えず。人間の欲望で物語はさらに膨張する。 | ||||
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ラインハルト皇帝率いる帝国の支配下に置かれた中、同盟郡の戦士達による巻き返しが始まる。 かつて人類の故郷であり今や最も荒廃した地球に潜入するユリアン達。 様々な場所で運命の歯車が少しずつ動き出すその展開にゾクゾク。 ユリアンミンツ中尉(出世したなあ)とポプラン中佐の活躍に心が躍る。 もう銀英伝サイコー! | ||||
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バーラトの和約以降、登場人物たちのそれぞれの思惑と、それが交差することで予想外の展開に…。思ったようにならないよねえ。それを歴史的視点から書かれているのもこの小説の楽しみの一つ。 どっちかというとスピンオフ的なエピソードを重ねていることで、登場人物を改めて描き出している巻でもあると思う。 | ||||
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ラインハルトとヤン・ウェンリーは好敵手であるが・・周りのものが愚かで・・忖度により・・折角の平和な時間を・・またも戦乱に向かって進めていく。人間とは本当に愚かだと思うばかりであった。 民主主義とは、個人を犠牲にしては成り立たないはずであるが、小説の中だけではなく、現実の世界でも・・貧富の差がドンドンと広がっている・・現実世界とリンクする場面があるように感じられた。 | ||||
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5巻が両雄の直接対決であっただけに、この6巻はやや抑え気味のトーン にならざるを得ない。ヤンは退役し、一方のラインハルトは、戦火とは無 縁の騒がしさが訪れる。しかし、本巻のサブタイトルは飛翔。誰が飛翔す るのか?誰の飛翔だったのか?読後に考えさせられる。順当な考え方であ れば、束の間の休息からの飛翔ということになろうか。であればヤンの飛 翔?いや、玉座に就いたラインハルトの飛翔??それとも、ヤンを救出し た立役者のシェーンコップ??それともクライマックスに向けて、両雄直 接対決後の静けさからの飛翔とも読み取れる。今後の急展開の前触れとし てのモードチェンジであり、わざと作った矯めからの物語そのものの飛翔 かもしれない。 | ||||
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田中芳樹『銀河英雄伝説 6 飛翔篇』(創元SF文庫、2007年)では不当逮捕されたヤン・ウェンリーが自由惑星同盟と決別する。シェーンコップらの反乱は清々しい。 ヤン・ウェンリー一党の虜囚になったレンネンカンプは自殺する。物語の流れでは自業自得の感もあるレンネンカンプの自殺であるが、パウル・フォン・オーベルシュタインの論理には見るべきものがある。「レンネンカンプが順境にあれば、自殺すべき理由もない。その事態に彼を追いこんだ責任の一端がヤン・ウェンリーにあることは明白だ」。これは名台詞である。 これは全ての自殺者に対して考えなければならないことである。日本には頑張ることを求めるガンバリズムが色濃く残っている。焼け野原から経済大国にすることを誇るような、マイナスの状況を克服することに価値を見出すような倒錯した感覚がある。 日本では逆境に追い込んだ人物が相手に「頑張れ」と声援を送ることが美風であるかのような倒錯さえ存在する。一番言ってはならない人が最も言ってはならないことを言っている自覚がない。「ゆっくり休んで下さい」と言うことができない。頑張らなくていい人物に頑張らせる。 特殊日本的精神論は逆境に立たせたことを問題とするよりも、逆境に立たされた時にどう出るかを問題にしがちである。逆境を乗り切れなかった人間が悪いとなりがちである。それが日本社会を生き辛くしている。これに比べると逆境に陥らせた原因を問題視するオーベルシュタインは、彼の一般的なイメージに合わないが、ここには優しさがある。 一方でオーベルシュタインを全面的に支持することはできない。オーベルシュタインの優しさは身内に対してのもので、普遍性を持っていないためである。ヤンから見ればレンネンカンプへの攻撃は必要に迫られたものである。そこを無視してレンネンカンプにだけ優しさを発揮するならば、身内の警察不祥事の処分は甘くする日本の警察幹部の対応と変わらない。オーベルシュタインは保身しか頭にない日本の警察幹部と意識の面で同一視できないだろうが、オーベルシュタインの論理が通ると外形的には同じになる。 | ||||
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