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ピエドラ川のほとりで私は泣いた
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ピエドラ川のほとりで私は泣いたの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.41pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全35件 1~20 1/2ページ
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小説ではなくもはや哲学書です。感涙。 | ||||
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彼の作品が好きで手当たり次第読んでます。 あとがきまで読むのがおすすめです。 | ||||
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ピエドラ川で私も泣いた | ||||
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パウロコエーリョさんの作品3冊読んだうちの一つ。この作品はその中でも最も宗教の話が深い、それと同時に、キリスト教について違う視点から学ぶことができ、恋愛ストーリーだけとしてだけではない読書後の後味が残る | ||||
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早くて、状態も綺麗なので大満足です。 | ||||
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大好きな山川先生ご夫妻の翻訳された 愛と癒しを描かれた何度読んでも素晴らしい本です。 | ||||
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深く感動しました。 理屈ではない何かが私の心を揺さぶり、決壊したように涙が溢れました。 主人公の女性は私そのものでした。 読み進めるうちにこの作者は私の今までを見ていてこの物語を書いたのではないかと思ったほどです。 そんなことはもちろんあり得ないのですが。 愛って何でしょうか。 特定の誰かを愛すること、その愛を外の世界全てに向けて、全てを愛すること。 どちらの愛が正しいとかそんなことは無いです。 ただ、私は特定の誰かを愛することが出来て、初めて外の世界を愛せるような気がしているのです。 この女性は愛を自覚し、目覚めて行く。 特別な力を持った彼を愛し、共に生きたいと思う。 目覚めた彼女には全てを受け入れることが出来るのに男性には、それがわからない。 力か彼女かどちらかを捨てないといけないと考える。 私はずっと思っていました。 どうして、何かを手に入れるために何かを捨てなきゃいけないの?と。 どちらも大切なものなのに。 両方あれば最強なのに。 そんな、どうしようもない葛藤がサラッと物語になっている素晴らしい本です。 理想が現実になる世界が来ることを願わずにはいられません。 | ||||
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愛する人に渡して読んでほしい。もし共感してくれたら最高のパートナーになれるでしょう。そして二人は絶対に幸せになれます。 不確かな未来のために今なにができるだろう。 | ||||
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私たちは恋愛について日常的に見聞きしたり、それを話題にすることが多いですが、「愛とは何なのか」ということについて、一体どれだけの人がそれぞれの答えを持ち合わせているでしょうか。 この作品の主人公は、毎日何も変わった出来事が起こらない地元の町で、大学でそれなりに勉強して、将来は公務員になって、生まれた町でのほほんと暮らしていければいいと考えている女性です。現代の日本においても、このような「安定」こそが人生の目的であると信じて暮らしている男女は多いことでしょう。 彼らにとっての「恋愛」とは、そんな退屈な日常におけるささやかなスリルでありますが、しかしその延長線上に存在する「結婚」とは、結局はマンネリと退屈に縛られる「安定した」暮らしを目的としたものなのです。 しかし、彼らはそこに「幸せ」を見出そうとします。なぜなら、「安定」がもたらす退屈と引き換えに、私たちは生命の危機を遠ざけることができるからです。今日と同じように、明日も無事に一日を終えられること。変化を拒み、イレギュラーな要素を日常から排除し、何者にも自らの安寧を侵害させないこと。彼らが口にする「幸せ」な日々とは、きっとそのような価値観の上に成り立っているものでしょう。 つまり、「生き延びる」ことを第一の目的とした人生においては、「愛」ですらその目的に従属してしまうということです。 生きていくために、愛を、結婚というシステムを、私たちの多くは利用しているのです。 そんな主人公のもとに、長らく会っていなかった幼馴染の男性から手紙が来て、彼女は地元を飛び出し、彼に会いに行くことにします。 そして、物語を通して彼と旅をするうちに、彼女は「愛」、そして「人生」についての捉え方が徐々に変化していきます。 最終的に彼女が辿りついた答えは、「愛とは、人生の価値とは、危険に賭けることにこそ存在する」というものです。 これは先ほど書いた世間一般における「愛」「人生」に関する考え方とは、全く正反対のものです。 例えば、なぜ現代の日本において公務員志望の男女が多く、また結婚相手としても好まれるのか? それは、そのような職種を選ぶことによって、生活から「危険」を遠ざけることができるからです。 「安定志向」というのは、「非危険志向」ということです。 つまり、「愛とは危険に賭けること」などという考えは、現代の日本ならびに世界において浸透している価値観とは全く逆のものです。 しかし、主人公は真実の愛を、そして生きていく理由を、愛する人と共に危険に飛び込んでいくことに見出します。 「危険に賭けることで、私たちは本当に価値のある勝利を収めることができる」というメッセージは、『アルケミスト』をはじめパウロ・コエーリョの他作品と共通するものです。 この作品のエンディングで、主人公と幼馴染は、まさにこの危険な旅へと旅立たんとします。 彼らの前には、およそ想像もつかないような危機がたくさん待ち受けているかもしれません。時には命の危険さえも冒さなくてはならないかもしれません。 しかし、彼らは最終的にはきっと自由になり、歓喜と共に栄光ある勝利を手にすることでしょう。 パウロ・コエーリョの言葉に「船は港にいるときが最も安全であるが、しかしそれは船が造られた目的ではない」というものがあります。 世界的に不況の闇が蔓延し、人々が守りの姿勢で生きていくことを余儀なくされてしまいがちな現代では、リスクを背負って人生の冒険をする勇気を多くの人は失っていると思います。 しかし、この主人公の数日間の奇跡を通して、読者が真実の愛や、人生の価値を追い求める旅に出ることを決意するきっかけが与えられれば、きっと著者も喜ぶのではないかなと思います。 私自身も、港に放置されたまま錆び付き、朽ち果ててしまう船のようにならないよう、常に「愛」と「生きることの価値」のために冒険を追い求める人生でありたいなと思いました。 | ||||
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この物語の中に愛の本質を見たような気がしました。対象が何であれ、愛したならば苦しみを伴うことが多いけれど、その苦しみを抜けたところには誰かを赦すことと新しい人生があるということ。それはまるで、愛のためにすべての人間の罪を背負って十字架上で苦しみ、死に、その後によみがえったイエス・キリストの愛に通じるようで、私の独断かもしれませんが、著者のキリスト教的世界観を感じます。一読者の私にとっては、愛のために苦しむことがあっても、その苦しみの後には大いなる自己の変容があると考えることは人生の希望につながっています。著者に感謝です。 | ||||
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父なる神がカソリックではず~っと当たり前のように言われてきた。この小説は聖母マリアの母なる神と人間同士の愛について絡めて書いてある。 そういや遠藤周作の神も日本的な、赦す神、母なる神に近いが、正統派?カソリックからは色々言われたこともあったようだ。棄教したとも。 信仰のあるところどこにでも様々な姿で神はおられるとおもうものであるが、神をこんなものと畏れ多くも勝手に考え、それを信じる人は何々宗何々派と言っている。自他共に。 笑ってしまうが、お互いに殺し合いをしたり笑ってもいられない。 私はひとりこれを書きながら泣く。 | ||||
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ok no problem fine. good enough nice | ||||
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静かに心に染み入るような美しい物語でしたが、それはそのまま人間の本来持つ美しさなのだと感じました。不安や恐れのなかで人間はどう生きるべきか。愛の奥深さ、本当の自己犠牲とは。そういうことについて真剣に考えさせられました。 読みながら随分昔に付き合っていた人とのことを思い出したのですが、あまりいい思い出ではなく胸が苦しくなりました。しかしその事について考えながら読み進めるうちに、幼かった自分に気付きました。相手を思いやるということや、愛とはなんだろうということ等、当時の自分は何も考えていなかったこと、自分が楽になることしか考えていなかったということにも気付かされました。相手に対しても、見えなかった面がたくさんあるのだろうということや、相手にも様々な葛藤があったであろうことも自然と思うことが出来ました。 そして主人公が旅の中で大きく成長したように、私も読んだあとは旅をした後のように内側の何かが変わったように思います。静かな感動のなかで、小さいけれど、確かな勇気を呼び覚まされます。過去の恋愛に傷ついた人、踏み出せない人におすすめしたいと思います。 | ||||
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「敬虔なカソリック」というものが、日本人には多分あまりピンと来ないかもしれないけれど、 カソリック教徒の教えが未だに「太陽が地球を回って」いて、「万物の頂点に人間が立って」いる 世界観の中で、主人公とその恋人がどんなに革新的なのか、そして、どんなに勇気ある決断をしたのか、 という点からもとても勇気付けられる作品でした。 「アルケミスト」では、砂漠の女性は「待つ」ことが宿命付けられていたけれど、こちらのピラールは 共に旅をしたい、と主張する女性でした。 今の時代でも尚、女性は「待つ」側になりがちだけれど、私も含めて「共に戦いたい」と思う女性は 増えてきていると思います。けれど、なかなか世間の常識がそうはさせてはくれないジレンマが 共感できます。 お互いに懸念しあって、なかなか本心が言い出せない部分はちょっと、イライラしてしまうけれど、案外 実際もこんな風にすれ違っていくものなのかな〜、と考えさせられました。いろいろなことを話しても、 なかなか核心や本音にはふれられずに、流されてしまうもの。そんな「不完全燃焼」のコミュニケーション が、多くの人のサポート・助けがあって、お互いの本心を少しづつ分かち合っていく。。。そんな 過程が必要なのだと感じました。 既存の常識や習慣を破るには、男性も女性も考え方を変えなければいけないし、共に戦う「同志」と してもお互い尊重し合えるパートナーを見つけられたなら、それは決して失くしてはいけない「宝物」 ですね! そして、共に歩んで行く事で「何一つ諦めることなどない」といっていることも、とても勇気付けられます。 | ||||
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この本を読んだとき、昔付き合っていて、そして今でも好きな人のことが何度も心に浮かんできました。 自分が素直になれないのは、自分の中の誰かさんが、傷つかないように物事を決めてしまうから。 主人公の女性のもどかしい気持ちが、自分自身と重なり、「私もこんな風に愛をかわしていたのかもしれない」とハッと気付くことがありました。 全体を通して、キリスト教やマリア信仰の話に基づいた愛を語る場面が多くでてきますが、純粋に誰もが持っている、愛を表現する勇気をもらえるメッセージだと感じました。 愛する人に贈りたい本です。 | ||||
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コエーリョの本は結構読みましたが、これが一番読みやすかったです。確かに宗教色は強いですが、人生の基本的な部分に触れている良い作品だと思います。人は生活の中でいろいろなことに遭遇し悩みます。でも多くの場合恋愛に悩むことが多いと思います。そういう時にこの本を読めば、ヒントがあるんじゃないでしょうか。 | ||||
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パウロ コエーリョさんの「11分間」を読んで、彼の世界観に興味を持って2冊目となるこの本を読みました。 「ピエドラ川のほとりで私は泣いた」というタイトル通り、信仰に生き男女間の愛は実らず、アンハッピーエンドなのかと最後までハラハラしながら読みました。 読み終えた今、ホッとしています。 ー天の意思に導かれたように再開した幼なじみの2人が、信仰に基づく旅を続けながら、お互いへの愛を深めていく過程に、共感を持ちました。 勇気を持って飛び込むこと、愛する人を信じること、・・・私はこの本からそんなメッセージを受けとりました。 またパウロさんの著書を読んでみようと思います。 | ||||
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宗教色が濃く、修道士が書いたような本・・という印象でした。 でも読み進めていくうちに、私は主人公のピラールの気持ちが、痛いほどわかってきました。 彼女の不安や怖れは、私が感じていたものと同じこと。 「(人生の果実を得るために)危険を冒しなさい」 この本は、やさしく問いかけてきます。 真実の愛とは、人生とは、真理とは・・生きることの真髄を、聖母マリアの温かなエネルギーとともに、私たちに理屈抜きで教えてくれます。 霊的成長のための、様々な経験をしてきた今だからこそ、この本の内容が胸に沁みこんできます。 この本に出合えたことに、感謝しています☆ | ||||
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「(男)神は二物を与えず」と言いますが、女神はいくつでも素晴らしい贈り物をくれるのですね。もちろん望みを叶えようとすれば、すべてを棄てる覚悟が必要なのですが・・・。愛とは惜しみなく与えることで、それができた時にすべて必要なものが手に入る。人生の厳しさ・哀しさと、美しさ・素晴らしさの両面を、美しい言葉と情景描写で余すところなく見せてくれた作品でした。「他者の演習」もとても実用的です。でも、社会や既成の宗教の敷いてくれたレールを外れて自分と(女)神のみを頼りに歩くことは、はるかに厳しい道を歩むことになりますよね。それでも互いをゆだねあえるパートナーがいれば、恐れず進める。ピラールと幼なじみの彼に拍手です。そして女神様ありがとう。人々が殺し合う現在の世界に本当に必要なのが、区別し罰する神でなく、許し皆にチャンスをくれる女神だと思います。 | ||||
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ピラールが「愛する者」を手放す決心をしたときに、彼女の愛は最も美しく輝きました。手放なす「自由」は、彼女が「愛」を再発見したときに得たものです。幼なじみはピラールを愛し続け、彼女に自由と愛を教えましたが・・・その愛はまた「幼なじみ」が彼女に与えた「最も尊い自己犠牲」でもありました。彼は「神から与えられた癒しの能力」を神に返し、彼女と普通の人間として暮らすことを決意します。時代も人も「神の意思と彼の能力」を決して理解しないし、彼が先駆者達と同じ命運を辿ることは明白でしたから。ピラールは彼の「働き」に共に従うことを願いますが、彼女にはその危険の大きさを理解できずにいました。彼女が理解したのは「彼が神の恵みと自らの人生」を神に返したこと、その犠牲の大きさでした。愛する故にピラールもまた彼への愛を放棄し、彼の人生を彼自身に返すことにします。それが彼女の愛の実現であり、人の愛を超えて共に神の恵みを分かち合うことになるのでした。読後はもちろんピラールの喪失、痛みを思って涙しました。しかし、人としての幸せは何ものにも変えがたく素晴らしいですが、もしももしも、神と人の両方に使えることが彼の真の望みなら???愛の本質とはなにか、真剣考えさせられた一冊になりました。 | ||||
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