1973年のピンボール

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評判

1973年のピンボールの評価:

3.84/5点 レビュー 137件。 C ランク

Amazon書評・レビュー点数毎のグラフです

平均点3.84pt

Amazonレビュー一覧

Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全229件 21〜40 2/12ページ
No.209
(2pt)

古本感が、、

本の状態ですが、まず開いて直ぐ1ページ目、使用済み付けまつ毛が挟まってました。途中途中に鉛筆で線が引かれ、メモ付箋も貼ってありました。
古本とは言え、付けまつ毛はかなり大きく気持ち悪かったです。
1973年のピンボール Amazon書評・レビュー: 1973年のピンボールより
4061168622
No.208
(4pt)

メタファーを考える

ピンボールが出てくる後半から一気に懐かしくなってきた。
 読んだ当時はまだインターネットで検索!なんて全然ない時代だったから、いまは思う存分、ピンボールがいかなるものかを改めてググって確認。そうそう。これこれ。
 なんとなくなんだけど、村上春樹の書くものは下半身(性的なもの)と頭が別れている感じがする。これがかっこつけているのか本当にそうなのか。
 日本の話なのに全然そう感じないのもなんでかなあと不思議に思う。
 気になるのは「鼠」と「僕」が小説の中で別々に描かれていること。ジェイズ・バーは存在している。うーむ。これどういう意味だっけ。また次ぎ読んで思い出さなくちゃ。
1973年のピンボール (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 1973年のピンボール (講談社文庫)より
4062749114
No.207
(4pt)

メタファーを考える

ピンボールが出てくる後半から一気に懐かしくなってきた。
 読んだ当時はまだインターネットで検索!なんて全然ない時代だったから、いまは思う存分、ピンボールがいかなるものかを改めてググって確認。そうそう。これこれ。
 なんとなくなんだけど、村上春樹の書くものは下半身(性的なもの)と頭が別れている感じがする。これがかっこつけているのか本当にそうなのか。
 日本の話なのに全然そう感じないのもなんでかなあと不思議に思う。
 気になるのは「鼠」と「僕」が小説の中で別々に描かれていること。ジェイズ・バーは存在している。うーむ。これどういう意味だっけ。また次ぎ読んで思い出さなくちゃ。
1973年のピンボール Amazon書評・レビュー: 1973年のピンボールより
4061168622
No.206
(5pt)

ほり

比喩描写に迫力がありながら、読みやすい作品。
表現するものの中身は難解だが、心に響く作品
1973年のピンボール (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 1973年のピンボール (講談社文庫)より
4062749114
No.205
(5pt)

ほり

比喩描写に迫力がありながら、読みやすい作品。
表現するものの中身は難解だが、心に響く作品
1973年のピンボール Amazon書評・レビュー: 1973年のピンボールより
4061168622
No.204
(1pt)

⚡おッ、面白いっっ!!

僕のアタマのなかで村上春樹とか(昭和終盤の)赤川次郎とかは
作家でなく"高額所得者"と認識されている。
赤川の陰惨なユーモアミステリは兎も角、
すらすら読めるムラカミ小説は時折、オカシクなる
読書のリズムを取り戻すのに重宝してる。
オモシロサはまた別の話。…て言ってたンですが、
この本は面白い。
特に"僕"と双子ちゃんをめぐるヤリトリ。
池に配電盤を葬る件りは、所用で乗り込んだ京都行きの高速バスの座席で、
こみ上げてくる笑いを堪えるのに苦労したほど!だから困ッちゃうんだな。
調子クルって。
ムラカミ小説にはスラスラスイスイ読めることしか求めていないのだ!!
1973年のピンボール (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 1973年のピンボール (講談社文庫)より
4062749114
No.203
(1pt)

⚡おッ、面白いっっ!!

僕のアタマのなかで村上春樹とか(昭和終盤の)赤川次郎とかは
作家でなく"高額所得者"と認識されている。
赤川の陰惨なユーモアミステリは兎も角、
すらすら読めるムラカミ小説は時折、オカシクなる
読書のリズムを取り戻すのに重宝してる。
オモシロサはまた別の話。…て言ってたンですが、
この本は面白い。
特に"僕"と双子ちゃんをめぐるヤリトリ。
池に配電盤を葬る件りは、所用で乗り込んだ京都行きの高速バスの座席で、
こみ上げてくる笑いを堪えるのに苦労したほど!だから困ッちゃうんだな。
調子クルって。
ムラカミ小説にはスラスラスイスイ読めることしか求めていないのだ!!
1973年のピンボール Amazon書評・レビュー: 1973年のピンボールより
4061168622
No.202
(1pt)

最低

今まで注文した商品で、最も最低の状態で届いた。
1973年のピンボール (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 1973年のピンボール (講談社文庫)より
4062749114
No.201
(1pt)

最低

今まで注文した商品で、最も最低の状態で届いた。
1973年のピンボール Amazon書評・レビュー: 1973年のピンボールより
4061168622
No.200
(3pt)

読むには支障ありません。

問題なく受けとりました。
読み始めていますが、
ちょっとヨゴレや、使用感が目立つ、
「非常に良い」ではなく、「良い」レベル感かなと。
1973年のピンボール (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 1973年のピンボール (講談社文庫)より
4062749114
No.199
(3pt)

読むには支障ありません。

問題なく受けとりました。
読み始めていますが、
ちょっとヨゴレや、使用感が目立つ、
「非常に良い」ではなく、「良い」レベル感かなと。
1973年のピンボール Amazon書評・レビュー: 1973年のピンボールより
4061168622
No.198
(4pt)

わからない‼️

わからない‼️何がいいのかな?わからない‼️わからない‼️ピンボールのように!⤴️
1973年のピンボール (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 1973年のピンボール (講談社文庫)より
4062749114
No.197
(4pt)

わからない‼️

わからない‼️何がいいのかな?わからない‼️わからない‼️ピンボールのように!⤴️
1973年のピンボール Amazon書評・レビュー: 1973年のピンボールより
4061168622
No.196
(4pt)

人生は夢なのか

処女作『風の歌を聴け』から更に観念的になり、散文詩に近づいたような作品である。前作同様、人生の無常や青春の儚さが感じられる。違いと言えば、過去や未来の持つ曖昧さや、それらとの訣別に焦点が当てられている点だ。ただ、この曖昧さは、真実ではない。過去や未来に含まれる事象は曖昧なものなどではなく、全てが厳然たる事実として存在する。単に人間がはっきりとそう認識できないがために、曖昧に感じられるだけのことだ。そして、その「できない」というところに、人間らしさがある。

作中でバーのマスターが語る言葉、「でも過ぎてしまえばみんな夢みたいだ」に、全てが凝縮されている。
1973年のピンボール (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 1973年のピンボール (講談社文庫)より
4062749114
No.195
(4pt)

人生は夢なのか

処女作『風の歌を聴け』から更に観念的になり、散文詩に近づいたような作品である。前作同様、人生の無常や青春の儚さが感じられる。違いと言えば、過去や未来の持つ曖昧さや、それらとの訣別に焦点が当てられている点だ。ただ、この曖昧さは、真実ではない。過去や未来に含まれる事象は曖昧なものなどではなく、全てが厳然たる事実として存在する。単に人間がはっきりとそう認識できないがために、曖昧に感じられるだけのことだ。そして、その「できない」というところに、人間らしさがある。

作中でバーのマスターが語る言葉、「でも過ぎてしまえばみんな夢みたいだ」に、全てが凝縮されている。
1973年のピンボール Amazon書評・レビュー: 1973年のピンボールより
4061168622
No.194
(2pt)

村上春樹ー青春三部作 第二章

もう35年近く前に「ノルウェーの森」に幻滅していた頃、知人から「村上春樹の作品には日常の何でもないことが、とても大切に思えるように描かれている」と初期の三部作を読むように勧められた。

30年ぶりに読み返してみた。著者が何を伝えたいのかを精査しながら熟読したが、解りそうでわからない作品だ。ただ、30年前に読んだときは、とんでもない意味不明の駄作と感じたが、今回も知人の言った「日常の些細な大切なこと」は特に感じなかった。村上春樹の描写の丁寧さは十分に伝わってきたものの、残念ながら、自分にはそこが限界だった。改めて自分は村上文学には不導体であると再認識した。

蛇足だが、1973年という時代は、村上春樹にとってはほろ苦い24歳だったろうが、幼かった自分にとっては懐かしい無邪気で楽しい時代だった。
1973年のピンボール (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 1973年のピンボール (講談社文庫)より
4062749114
No.193
(2pt)

村上春樹ー青春三部作 第二章

もう35年近く前に「ノルウェーの森」に幻滅していた頃、知人から「村上春樹の作品には日常の何でもないことが、とても大切に思えるように描かれている」と初期の三部作を読むように勧められた。

30年ぶりに読み返してみた。著者が何を伝えたいのかを精査しながら熟読したが、解りそうでわからない作品だ。ただ、30年前に読んだときは、とんでもない意味不明の駄作と感じたが、今回も知人の言った「日常の些細な大切なこと」は特に感じなかった。村上春樹の描写の丁寧さは十分に伝わってきたものの、残念ながら、自分にはそこが限界だった。改めて自分は村上文学には不導体であると再認識した。

蛇足だが、1973年という時代は、村上春樹にとってはほろ苦い24歳だったろうが、幼かった自分にとっては懐かしい無邪気で楽しい時代だった。
1973年のピンボール Amazon書評・レビュー: 1973年のピンボールより
4061168622
No.192
(4pt)

「羊」シリーズの中ではこの作品が比較的好き

1973年9月から11月にかけての、今ほどやかましくはなかっただろう街の空気、秋の澄んだ空気を感じることができる。
 11月という月が個人的に一番好きだから余計にこの作品が好きなのかもしれない。
 11月のほかほかと暖かい陽だまりのような「僕」のささやかながら穏やかな生活とは反対に、「鼠」の毎日は11月の木枯らしのごとくぴりぴりとして冷ややかである。それがほかでもない「鼠」自身の弱さから来るものであることが余計に切ない。
 小さいけれど自分らしい仕事を見つけて、自分だけの小さいけれど確かな世界を築き上げつつある「僕」と、何かをやってやろうと思いながら、そしてそれ相応の能力もありながら、それを具体化する術がないばかりに結局何もできずに、自分の弱さの中に沈みこんでいく「鼠」の違いはどんどん大きくなっていき、「羊をめぐる冒険」の悲劇へとつながっていく。
1973年のピンボール (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 1973年のピンボール (講談社文庫)より
4062749114
No.191
(4pt)

「羊」シリーズの中ではこの作品が比較的好き

1973年9月から11月にかけての、今ほどやかましくはなかっただろう街の空気、秋の澄んだ空気を感じることができる。
 11月という月が個人的に一番好きだから余計にこの作品が好きなのかもしれない。
 11月のほかほかと暖かい陽だまりのような「僕」のささやかながら穏やかな生活とは反対に、「鼠」の毎日は11月の木枯らしのごとくぴりぴりとして冷ややかである。それがほかでもない「鼠」自身の弱さから来るものであることが余計に切ない。
 小さいけれど自分らしい仕事を見つけて、自分だけの小さいけれど確かな世界を築き上げつつある「僕」と、何かをやってやろうと思いながら、そしてそれ相応の能力もありながら、それを具体化する術がないばかりに結局何もできずに、自分の弱さの中に沈みこんでいく「鼠」の違いはどんどん大きくなっていき、「羊をめぐる冒険」の悲劇へとつながっていく。
1973年のピンボール Amazon書評・レビュー: 1973年のピンボールより
4061168622
No.190
(3pt)

アイデア探る為。

ピンボール唯一好き。
1973年のピンボール (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 1973年のピンボール (講談社文庫)より
4062749114