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霖雨
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霖雨の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.39pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
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儒学者であり教育者でもあった実在の人物、 漢詩でも優れた作品が多い広瀬淡窓に、 生涯の苦難の一時期、霖雨とも呼べる苦難の日々があった。 霖雨とは、降り続く長雨のこと。 淡窓は豊後国(大分)内陸のまち日田(ひた)の人で生涯をほぼ日田で過ごした。 日田から離れなかったのは実家が博多屋という富商だったことと、 病弱なためだったことによる。 その割には長生きして、74歳江戸末期安政3年まで生きた。 小説は淡窓の私塾「咸宜園(かんぎえん)」が舞台だ。 咸宜園は一切の身分を廃し、ただ成績のみを問う厳しい教育方針で、 全国からの入塾希望者が毎年100人近くも押し寄せる名門校であった。 塾には難題も多かった。特に幕府代官の介入に手を焼く。 淡窓の名とともに全国に知れ渡った「咸宜園」に介入することによって 自らの栄誉を高めようとする代官は、さまざまな無理難題を押しつけてくる。 抵抗すれば塾の行く末が危険になる。 ある日、臼井佳一郎と千世というふたりの入塾希望者が訪れる。 ふたりは兄弟だと称するが、そのようには見えない。 男女の関係だとすれば、入塾は許されない。 淡窓はしかし、女が亡くなった自分の妹に似ていることもあり、 周囲の反対を押し切って入塾させる。 この2人の入塾がただならぬ波紋を広げていく。 淡窓は後継を託した旭荘、博多屋を継いだ久兵衛ふたりの弟の力を得て 塾や塾生のために悪戦苦闘する。 佳一郎は咸宜園を出て、大阪の私塾洗心洞に走る。 洗心洞を主催するのはもと大坂町奉行組与力の大塩平八郎であった。 平八郎は机の前の学問を潔しとせず、実践を重んじる陽明学者で 乱を起こして、歴史に名をとどめることになる。 記述は少ないが、淡窓より圧倒的に人間力を顕す 大塩平八郎のほうがずっと魅力的だ。 休道他郷多苦辛 同袍有友自相親 柴扉暁出霜如雪 君汲川流我拾薪 異郷で勉学に励んでいるのは苦しく辛いなどと泣き言を言うんじゃない。 異郷の生活の中にも一枚の綿入れを共にする親しい友人がいる。 夜明けにしばの折り戸を押し開いて外に出ると、 霜がまるで雪でも降ったように一面におりている。 さあ、君は川の水を汲みに行け、私は林でたきぎを拾ってこよう。 (『漢文』・数研出版社)を意訳 起承転結が見事な淡窓の漢詩である。 学窓を同じくする若者たちの朗らかな声が聞こえてきそうだ。 | ||||
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