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ひとくいマンイーター
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ひとくいマンイーターの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.86pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全7件 1~7 1/1ページ
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グロテスク青春巨編。『ゲド戦記』(映画のやつ)を観てクモ様をなぶり殺しにする物語に感情移入しちゃう子とかには超おすすめだよ | ||||
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1巻よんで、 今までによんだことなかったタイプの ストーリーだったから2巻も、 まあ、内容は好き嫌いがあると思うが、 試しに、、、で、読んでみてもよいのでは? イラストが良い! とか、きっかけはなんでもありですよ | ||||
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魔法少女も人食い鬼もちょっと変わってるだけ。 それでもOK、折り合いをつけて行けるなら。 人生に凄ーく肯定的なところが、物語をとっても爽やかなものにしてくれてます。 女子高生は凄惨に殺されちゃうし、主人公はネクラでぐぐぐっーと自分の内面に入って行っちゃう訳だけど、 "与えられた魔法じゃなく、わたしの、わたしだけの魔法で。 さあ、これからどこまで行こうか?" なんて超ポジティブな言葉が出て来ちゃう。 そんなところが素敵です。行けるとこまで行って欲しい。行ける所まで行きたい。それぞれの有り様で。 各章のタイトルはヴィトゲンシュタインの言葉。驚き。こんなところでお目にかかるとは思いませんでした。これも魔法か? | ||||
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この巻もよかった。 最近のラノベっぽくはないですね。 この作者さんの本は追っかけます。 | ||||
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今回は前作『おにぎりスタッバー』に出てきたサワメグが主人公。 前作の語り手であるアズとは性格が異なるので、その語り口の違いも楽しめるが、饒舌な語りに乗せて流れ込んでくる数々の魔法や異能など設定のカオスさは今作でも健在。闇鍋を突付くような不気味さと、不思議な静謐さがこの文章には同居している。 本作を読んでいると、魔法とは人間の持ちうる長所や特技と地続きのものであるように思えてくる。 いや、それは事実そうなのだ。 誰かに憧れ、あのようになりたいと願うこと、それこそが魔法なのだから。 「魔法少女」となった恵がサワメグになるまで、どのような道を辿ったのか。 その顛末を、ぜひ本書を読んで味わって欲しい。 | ||||
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タイトルを見た当初「なんだこの≪頭痛が痛い≫みたいなタイトルは…ンッフフ…」なんて呑気に思ってましたが…いやはや、これは…やられました!内容もさることながら、文章的にも衝撃的だった前作「おにぎりスタッバー」と比較すると、文章としてのジェットコースター感や毒気は抜けた感があるものの、それは語り部がアズからサワメグへと変わったことを如実に表しているし、また違った視点からこの世界を見せてくれていると思う。 本作はややミステリー色が強めかな…と個人的には感じました。 読後はさらにアズとサワメグが愛おしくなりましたね。 そして今回もラストに唸らされ…著者の本領が発揮された第7章。ぜひ最後まで見届けて欲しい。 | ||||
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衝撃的なデビュー作「おにぎりスタッバー」からたったの二ヶ月で再登場の大澤めぐみ。 「二冊目書くのにどえらい苦労する人が殆どなのに、なんなのこの人…」とボヤきつつも あのどこに跳ねていくのか予測不能な超常文体をもう一度味わいたく拝読。 中身の方は予告通り主人公に「おにぎりスタッバー」で主役を務めた中萱梓のたった一人の友人で 「自称・魔法少女」な女子高生サワメグを据えた前日譚となっている。 …と、書いてみたけど「サワメグが主人公である」と認めて良いのかどうかちょっと不安になる。 「サワメグ」と言い切るよりも、「サワメグ」となり得る少女の物語、ぐらいが丁度良いかもしれない。 いや、それもちょっと違うか? 「廻沢小梅(仮)」…いやいや、そもそもそう認識しているのは読者の側であって 「当人」は(仮)なんていう半端な認識じゃないのだし、 なにせ当人的には「完全無欠の無敵の栗毛の美少女」たらんと信じ込もうとしたのだから …あー、もう何で主人公を紹介するだけでこう面倒くさい事になるんだか。 主人公が自分という存在を否認し続ける作品ってのは珍しいよなあ。 「おにぎりスタッバー」の梓は「女子高生」というブランドに自分の存在を押し込もうとする 世間的圧力に全力で抗い続ける様な主人公として描かれていたけど、 この作品、主人公・明科恵(←どんぐり娘・どう見てもイケてない)が中学時代に経験した 「クラスメイトの頼み事を嫌がる事無く引き受ける手の掛からない優等生(←自己認識)」が 本物の「完全無欠の無敵の栗毛の美少女(でもちょっと不良っぽい)」に助けられたら 「クラスメイトから虐められている事実を必死の自己欺瞞で耐え凌いでいる痛い奴(←自己認識)」に 強制的に向き合わされる一件から始まるのだけど…そりゃ死んでしまいたくもなるってもんだ。 少なくとも生きていたくはなくなるよなあ。 必至のパッチで続けてきた自己欺瞞の殻をぶっ壊されて弱い弱い弱い自分を突き付けられるんだもの。 考えただけでも痛い痛い痛いイタイイタイ……でも死にたくないなら、生きていかなきゃならない。 そこでジョシコーセー的生存戦略が発動するんだが、傍目から見れば完全なる「高校デビュー」。 自分が「いじめられっ子」である事を突き付けられて不登校に陥っていた「どんぐり娘」が 憧れの対象だった「完全無欠で無敵の栗毛の美少女」になって高校に登場って…痛々しいにも程がある。 痛々しいけど、自分を『魔法少女』と認識する事で掃いて捨てるほどのジョシコーセーの中でも 別枠に置いてしまえば最低限、居場所は確保できる、なので生存戦略としてはそれ程間違ってもいない。 カウンセリングの対象にはなるかもしれないが。 物語はそんな「自称・魔法少女(廻沢小梅)」となった明科恵(過去形)が 本物の廻沢小梅を第一の犠牲者とする連続殺人事件の謎に挑むある種のミステリとして進行する。 …んー、でもこれ殺人事件はジョシコーセーになっても必死で自己否認に埋没している明科恵の 心象風景と言っても良いからそれほど重要では無いんだよなあ? 本当に重要視するべきなのは絶賛崩壊中の明科恵の家庭環境の方なわけで、 夫と別居している=実質的にはとっくに離婚状態にある母親が看護婦として他人を救済する事で 娘同様必死のパッチで自己欺瞞、自己否認に逃げ込んでいるのを娘である恵が突き付けられている、 という危うい状態の方が重要かと。 作者はヴィトゲンシュタインとか持ち出しているけど、これはまあどうでも良いや。 そんな大仰なもんを持ってこなくても人間どこかで自分が欺瞞に逃げ込んでいる事を知っているんだし。 欺瞞が悪か、となると生きていく上で必要なら否定するべきではない、としか言えんもんなあ。 「不思議ちゃん」とレッテル貼りして馬鹿にするのは勝手だが、他人の生存戦略に口出しする権利は 誰にも無いってことなわけで…正直、読んでいると死にたくなってくるのが辛い。 結局、どれだけ憧れても「廻沢小梅」にはなれないし、そもそも「明科恵が知っている廻沢小梅」が 「全人格的廻沢小梅」とイコールでも無い、という事を受容して、 「明科恵」でも在り続けられないし、「廻沢小梅」にもなれない事を知った上で 「わたし」がどう生きていくのか? 答えは読んで頂くしかないが… 今回も前作に続いて最後の一言に女子高生的必死の覚悟が詰められているのが良い。 「どんな風に生まれついたとしても、生まれちゃった以上は生きなきゃダメなんだからね」という 「わたし」が友だちに言い聞かせる形で「わたし」に言い聞かせる一言は 「魔法少女」であれ何であれ、生存戦略を貫き、前に進まんとする覚悟が伝わってくる。 スクールカーストのどこに位置付けられようと生き残ろうとする女子高生的強かさが詰まっている。 …うん、実に素晴らしい。 もう、大澤めぐみ好き過ぎ。 主人公の自己認識があっち行ったりこっち行ったりする「揺らぎ」の感覚は 前作で感じられた虚構と現実の被膜や時系列の壁を吹っ飛ばす超常文体に相通ずる読むドラッグ。 この強烈な個性を十二分に発揮する文章技術は石川博品とタメを張れるレベル。 無二の個性とはまさにこの作家の為にある様な物。 | ||||
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