フリッカー、あるいは映画の魔

【この小説が収録されている参考書籍】

【この小説が載っている参考書籍】

評判

フリッカー、あるいは映画の魔の評価:

4.80/5点 レビュー 25件。 D ランク

Amazon書評・レビュー点数毎のグラフです

平均点4.80pt

Amazonレビュー一覧

Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全28件 21〜28 2/2ページ
No.8
(4pt)

キャッスルのとりこになった ‘ぼく’の悲劇

’98年、「このミステリーがすごい!」海外編堂々第1位に輝いた大巨編。なにしろ文庫上・下巻にしてちょうど1000ページ、会話文が少なく、ほとんどぎっしりの内容なのである。

読者は、主人公の‘ぼく’ことジョナサン・ゲイツと一緒に伝説の映画監督マックス・キャッスルのB級映画と出会う。そして観る者の心へ扇情的に訴えかける彼の映画に魅せられる。才能の絶頂期に忽然と姿を消したキャッスルの謎に取り憑かれ、そしてそれを調べるうちに、ある宗教団体と遭遇する。

ストーリーの進行はきわめてゆっくりだが、キャッスルの謎とあわせて、めくるめく映画のトリビアが読むものを圧倒する。

本書は、キャッスルのとりこになった‘ぼく’の悲劇の物語であると共に、ミステリーというよりは映画ファンを充分悩殺させる文学作品のおもむきを持っている。

フリッカー、あるいは映画の魔〈上〉 (文春文庫) Amazon書評・レビュー: フリッカー、あるいは映画の魔〈上〉 (文春文庫)より
416713621X
No.7
(5pt)

映画が歴史となるとき

正直この本に出てくる実在の人物はほとんど知らない。
でも伝奇物と思えば、作中でのリアリティさえ失っていなければいいじゃん。
マックス・キャッスルに近づいていく時はテンション上がってページを繰る手が速くなる。
最後まで非予定調和で妖しい気配のまま終わってくれた。
翻訳物の醍醐味を味わえた。
この小説がマックスの映画みたいな存在になるかも。
フリッカー、あるいは映画の魔〈上〉 (文春文庫) Amazon書評・レビュー: フリッカー、あるいは映画の魔〈上〉 (文春文庫)より
416713621X
No.6
(5pt)

星が足りません!!

「純粋映画とは、ひとつひとつの絵を繋げたとき初めて動いて見える、
あの驚きである」がこの小説のテーマだと思いました。 パラパラ漫画、幻灯機からカメラオブスキュラを経て映画へ。
特にコマ撮り映画ファンには是非読んでもらいたい力わざ。
フィルムとフィルムの間には魔力があるという強い信念。
とってつけた物語は映像には余分なもの、というくだりには
個人的にはまったく同意見です。 驚きなのはここまで大風呂敷を広げておいてのエンディングの
持っていき方なんですが、これには本当にぶっとびました。
映画狂いも極まった529Pからの驚異のエンディング。
ジョナサン・キャロルも軽く凌ぎます。決して見ることの出来ない
原始時代的トリック、つなぎ合わせのモンタージュ。
エーコの「薔薇の名前」と比べるのもおこがましい。

 「芸術はすべからく隠蔽することにある。
  芸術家はつねに表層下で仕事をする。
  それが人びとの精神にくいこむ唯一の方法だからだよ」
  マックス・キャッスル 星が足りません!!
フリッカー、あるいは映画の魔〈上〉 (文春文庫) Amazon書評・レビュー: フリッカー、あるいは映画の魔〈上〉 (文春文庫)より
416713621X
No.5
(5pt)

すばらしい

最高のミステリ小説のひとつ。
 映画と秘密結社をめぐるめくるめくような物語。キリスト教の異端思想がどうして映画と結びつくのか、驚くべきあわせ技で、光と闇の世界が描かれる。
 特に、古い映画が好きな人なら最高の一冊になるだろう。ドイツ表現主義や、オーソン・ウェルズ、ジョン・ヒューストンなど、実在の映画や映画人も登場し、物語の魅力を増している。
フリッカー、あるいは映画の魔 Amazon書評・レビュー: フリッカー、あるいは映画の魔より
4163177701
No.4
(5pt)

まずは上巻を読み終えての感想

物語の時代設定は1970年代初頭です。マックス・キャッスルという今はなき異才の映画監督にまつわるミステリーの歯車がゆっくりと回り始めます。 上巻だけで460ページ強ありますし、各ページ隙間無く文字が詰まった大部の本です。しかしかなりの映画好きには間違いなく楽しめる一冊ではないでしょうか。 かなりの映画好きには、と但し書きをするのにはワケがあります。「天井桟敷の人々」、「カリガリ博士」、D・W・グリフィス、ジョン・ヒューストン、アンディ・ウォーホール、オーソン・ウェルズ、フリッツ・ラング、ネオ・リアリズム、非米活動委員会、ヘイズ・コード、ヌーベル・バーグといった70年代までの映画史にまつわるあれやこれやがこの本には畳み掛けるように盛り込まれています。しかしこの物語ではそうした用語のどれにも一片の脚注すら加えられることはありません。ですからよほど映画史に関する知識が身についていないと、著者ローザックのその博覧強記の大海を泳ぎきれず、やがて精根尽き果てて波間に沈んでしまいはしないかという老婆心が働くのです。したがって、上記の名称のひとつでも耳にしたことがないという人の周章狼狽ぶりを予期してしまい、私はこの本をすべての読者に薦めるだけの責任をもてずにいます。 訳者・田中靖氏の翻訳文は実に流麗、絶妙のテンポで読ませます。ひとつ難点を言えば、「すべからく」という日本語を多用していますが、その使い方がことごとく間違っています。「すべからく」というのは「ぜひとも」という意味ですが、田中氏はこれを「すべての」という意味で誤用しています。そこだけ目をつぶれば、日本語の豊かさを感じさせるなかなかの訳文だといえるでしょう。
フリッカー、あるいは映画の魔〈上〉 (文春文庫) Amazon書評・レビュー: フリッカー、あるいは映画の魔〈上〉 (文春文庫)より
416713621X
No.3
(5pt)

この世への絶望に彩られた痛ましい物語

1999年「このミステリーがすごい」海外部門第一位という栄冠に輝いたがために、この小説を未読の人々は謎解きの物語だという先入観をもってきたことでしょう。私もその一人です。しかし実体はそうではなく、これはある種の幻想小説です。確かに、この大部の物語の中ではひとつの謎が提示され、その謎は物語の終盤でひとまず解明を見ますので、ミステリーの体裁をとっているといえます。しかしその謎解きへと到達するために私たちは、奈落の底へと突き落とされるような、実に残酷極まりない読書体験をくぐりぬけなければなりません。 人間に対する信頼というものをためらいもなく捨ててしまった人々の、読者の心をえぐりとるような冷たくよこしまな世界観を目の当たりにして、私は文字通り言葉を失いました。そして人間がはしなくも持ってしまった「負の可能性」について思い、落涙を禁じえなかったのです。読了後の私の胸にはとらえどころのない痺れのようなものが植え付けられ、時を経てもその痺れは和らぐどころかむしろ強さを増してきているような思いがしています。 虚実ないまぜでありながら、圧倒的な現実感を伴って読者に迫ってくるこの物語から私たちが学ぶべきことは、人間への信頼をなんとしても回復すること。そして命を未来永劫リレーし続けていくことのかげがえのなさを大声で「闇」に向かって叫び続けることなのではないでしょうか。 主人公ジョナサン・ゲイツは今も世界のどこかで、元気でいるのでしょうか。そして<そのとき>が来る日を静かに待っているのでしょうか。恐れと絶望に口中がひどく渇く思いを胸に、彼に心寄せずにはいられない小説です。
フリッカー、あるいは映画の魔〈下〉 (文春文庫) Amazon書評・レビュー: フリッカー、あるいは映画の魔〈下〉 (文春文庫)より
4167136228
No.2
(5pt)

映画好きのための「薔薇の名前」

堪能した、とはまさにこのこと。読み終わってしばし茫然とした。「サンセット大通り」と「薔薇の名前」が出会った、という紹介文があるそうだが、これほどの読み応えは確かに「薔薇の名前」以来だった。ミステリーベスト1という帯の宣伝に惹かれて買ったので、良くできたミステリだろうぐらいに思っていたら、その予想は完全に覆された。ミステリーベスト1という宣伝文句がむしろ損なのではないかと心配になる。「天井桟敷の人々」「市民ケーン」など数々の映画への言及、大胆で唖然とするような誇大妄想じみた発想、それを力ずくで納得させてしまうマニエリスティックなディテール。映画ファンの心をくすぐるオマージュのような小説かなと思いながら読み進めていくと、マルタ十字やヨハネ騎士団の話が出てくるあたりから怪しくなり始め、ゾーエトロープ、稲妻ライティング、サリーランド、神経記号学が入り乱れるあたりでめまいを起こし、天才少年サイモン・ダンクルの悪夢のような「サブサブ」を「観る」頃には映画というものの恐ろしさに凍りつきそうになる。そして何より、綿密に描写されるマックス・キャッスルの映画の魅力的なこと!自分もかつて、深夜映画でキャッスルの幻の吸血鬼映画を見かけたことがあるような気になってくる。映画好きは必読、「薔薇の名前」が好きな人も必読。
フリッカー、あるいは映画の魔〈上〉 (文春文庫) Amazon書評・レビュー: フリッカー、あるいは映画の魔〈上〉 (文春文庫)より
416713621X
No.1
(5pt)

虚構の存在感

この小説は上下合わせて非常に長い。かといってその展開は急なわけではなく、非常にゆったりと進んでいく。その中で、特におもしろいのは、中に登場する「映画」、存在していない映画のはずなのだが、実際にあたかもあるように、そしてその一部を見ているかのような錯覚に陥っていくことである。日本語訳であるにもかかわらず、この迫力は一読の価値はあるであろう。
フリッカー、あるいは映画の魔〈上〉 (文春文庫) Amazon書評・レビュー: フリッカー、あるいは映画の魔〈上〉 (文春文庫)より
416713621X