騙し絵
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伝説になっているという幻のダイヤモンドが衆人環視の下盗まれ・・・というミステリ。 現代の社会風俗や最先端の情報を盛り込んだいい意味での通俗風推理小説を期待すると若干肩すかしを喰うかもしれませんが、ポーから始まる純粋に論理的推理に重点を置いて余分な夾雑物を抜いた純粋濾過されたミステリを求める向きには堪らない、本格推理小説で何と読者への挑戦まであるという、クィーン、カー、マクロイ等が好きな人には自信を持って奨めらる推理小説となっております。 文章、構成も昔のフランスの小説みたいに長ったらしく観念的にならず、冷徹かつ理知的ですっきりまとまっており、スラスラ読みやすくも安っぽくならない中庸を得た作りになっており、これを戦争中、捕虜収容所で書いたのが信じられない作品になっております。 そういえば世界初長編推理小説はガボリオ「ルルージュ事件」だったことからも判るとおり、フランスでも秘かに推理小説の水脈が続いていたのだな、というのがよく理解できる小説でした。 私の様に推理小説を真面目に読まず暇つぶしに読むようなタイプには打ってつけの秀作。同じ著者の未訳の二冊と共にまだ面白い小説がフランスに隠れていたら読んでみたいです。 | ||||
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まずねぇ。不可能犯罪トリックに現実性を求めること自体が、ナンセンスなのですよ。 トリックを思いついた人間が、それを用いて、現実に犯罪を実行する(三億円事件、死語でしょうけれど、などの例外を除いたところで)などと、ミステリー的トリックが、悪徳をアシストする。これは、好くないことです。ミステリーというのは、知識人の健全な娯楽である。これこそ、正論。 娯楽なのだから、現実に応用可能か? なんてどうでもよいのです。言葉上の奇術は、謎の提示が、不思議なのと同じくらい、意想外の解決をみねばなりません。読者にとっては、だまされる快感くらい、大事なものはないのです。 というか、応用不可能なトリックほど、意欲的で評価は高くなるべきだと、ときに私は思いはします。 逆に、応用可能で、発案者が密かに実践できたとしたら、大変だ。 書く側からの立場にしたって、きっとこんなトリックは、現実味がない、実行不可能であるという判断で、作品化を断念する、これはもったいないことです。どんなによくできたストーリーのミステリーであろうと、要は、お話なのだから、トリックは意表を突いた、サプライズがあれば、じゃんじゃん作品化すべきで、じゃんじゃん読まれるべきなのです。では、なにが重要か? と考えますと、トリックはお話の世界で論理のアクロバットと呼べるあるときは、大仕掛けの大胆な発想が、言葉のうえによってのみ、巧みに表現を凝らして、一見あり得るかのように、なりたってもいれば、充分なのであります。そして、面白ければ、面白いほどよいトリックなのです。発想、着眼点などが、優れているのが、素晴らしいのであって。言葉のうえの奇術なのですから、一見不思議そうに見えても、種明かしの段階でも、感銘深い面白いサプライズがあるのが、望ましいのです。いくら不思議な現象を見せられたって、カメラトリックで、それに全員がサクラでしたとの説明では、誰も読者はついてはこないでしょう。味わいの深いものこそ、望ましいのです。そして、それに貢献する説明の巧拙こそが、重要なのです。極論に近いことを書くようですが。 極端な例、辛うじて説明でき得る意表を突いたトリック(奇想)こそが、不可能犯罪トリックの一種、意欲的な妙味なのです。これぬきでは、犯罪の過程で、どこかまたはすべての箇所で、ミステリー的計画犯罪は必ず、計画通りには運ばず、破綻をきたす理由で誰からも、却下されるでしょう。カーの「三つの棺」にしろ、ルルーの「黄色い部屋の謎」にしろ、ザングウイルの「ビッグ・ボウの殺人」にしろ、フットレルの「13号独房の問題」にしろ、おっとこれは犯罪ではないか? それらの犯罪または計略は、問題なく進行するはずもないのです。ですから、作品に対する評価も以上のことをわきまえ、則った上でなされるべきだと、私は考えます。 この作品は、図面が凝っていて、愉しいですよ。しかも、その図面をにらみ合わせると、ああなるほどと、読み終わったときに、図面の中にトリックの存在を再確認できます。こんなに、ありがたいミステリーは、本当に貴重な作品です。島田荘司氏の「斜め屋敷の犯罪」を読んだ経験のある方で、面白いと想われた方なら、誰もが食指を動かされるのではないでしょうか? とにかくよくここまで、現実に作品化するまで頑張ったかを、大いに評価してあげねばなりません。基本になっている発想が素晴らしいのであって。後は構成しぬき、書きぬきで、大変な作業でしょう。ある意味、映像化不可能とされていた物語を、映画化にこぎつけたのと、ニュアンス通じるといいましょうか? 愉しませてくださってありがとうと、不可能犯罪読者エキスパートのような私からは、ねぎらいの言葉を、作者に真っ先にかけてあげたい、そして気がつくとブラヴォー・コールをしている。これは、そんな昔懐かしの、旧くても新しい印象を残す、「不可能犯罪御伽話的ミステリー」だと私は想うのです。密室系を好むミステリー・ファンの方なら、全員に読んで頂きたいお奨めの功労賞的、逸品でしょう。 | ||||
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まずねぇ。不可能犯罪トリックに現実性を求めること自体が、ナンセンスなのですよ。 トリックを思いついた人間が、それを用いて、現実に犯罪を実行する(三億円事件、死語でしょうけれど、などの例外を除いたところで)などと、ミステリー的トリックが、悪徳をアシストする。これは、好くないことです。ミステリーというのは、知識人の健全な娯楽である。これこそ、正論。 娯楽なのだから、現実に応用可能か? なんてどうでもよいのです。言葉上の奇術は、謎の提示が、不思議なのと同じくらい、意想外の解決をみねばなりません。読者にとっては、だまされる快感くらい、大事なものはないのです。 というか、応用不可能なトリックほど、意欲的で評価は高くなるべきだと、ときに私は思いはします。 逆に、応用可能で、発案者が密かに実践できたとしたら、大変だ。 書く側からの立場にしたって、きっとこんなトリックは、現実味がない、実行不可能であるという判断で、作品化を断念する、これはもったいないことです。どんなによくできたストーリーのミステリーであろうと、要は、お話なのだから、トリックは意表を突いた、サプライズがあれば、じゃんじゃん作品化すべきで、じゃんじゃん読まれるべきなのです。では、なにが重要か? と考えますと、トリックはお話の世界で論理のアクロバットと呼べるあるときは、大仕掛けの大胆な発想が、言葉のうえによってのみ、巧みに表現を凝らして、一見あり得るかのように、なりたってもいれば、充分なのであります。そして、面白ければ、面白いほどよいトリックなのです。発想、着眼点などが、優れているのが、素晴らしいのであって。言葉のうえの奇術なのですから、一見不思議そうに見えても、種明かしの段階でも、感銘深い面白いサプライズがあるのが、望ましいのです。いくら不思議な現象を見せられたって、カメラトリックで、それに全員がサクラでしたとの説明では、誰も読者はついてはこないでしょう。味わいの深いものこそ、望ましいのです。そして、それに貢献する説明の巧拙こそが、重要なのです。極論に近いことを書くようですが。 極端な例、辛うじて説明でき得る意表を突いたトリック(奇想)こそが、不可能犯罪トリックの一種、意欲的な妙味なのです。これぬきでは、犯罪の過程で、どこかまたはすべての箇所で、ミステリー的計画犯罪は必ず、計画通りには運ばず、破綻をきたす理由で誰からも、却下されるでしょう。カーの「三つの棺」にしろ、ルルーの「黄色い部屋の謎」にしろ、ザングウイルの「ビッグ・ボウの殺人」にしろ、フットレルの「13号独房の問題」にしろ、おっとこれは犯罪ではないか? それらの犯罪または計略は、問題なく進行するはずもないのです。ですから、作品に対する評価も以上のことをわきまえ、則った上でなされるべきだと、私は考えます。 この作品は、図面が凝っていて、愉しいですよ。しかも、その図面をにらみ合わせると、ああなるほどと、読み終わったときに、図面の中にトリックの存在を再確認できます。こんなに、ありがたいミステリーは、本当に貴重な作品です。島田荘司氏の「斜め屋敷の犯罪」を読んだ経験のある方で、面白いと想われた方なら、誰もが食指を動かされるのではないでしょうか? とにかくよくここまで、現実に作品化するまで頑張ったかを、大いに評価してあげねばなりません。基本になっている発想が素晴らしいのであって。後は構成しぬき、書きぬきで、大変な作業でしょう。ある意味、映像化不可能とされていた物語を、映画化にこぎつけたのと、ニュアンス通じるといいましょうか? 愉しませてくださってありがとうと、不可能犯罪読者エキスパートのような私からは、ねぎらいの言葉を、作者に真っ先にかけてあげたい、そして気がつくとブラヴォー・コールをしている。これは、そんな昔懐かしの、旧くても新しい印象を残す、「不可能犯罪御伽話的ミステリー」だと私は想うのです。密室系を好むミステリー・ファンの方なら、全員に読んで頂きたいお奨めの功労賞的、逸品でしょう。 | ||||
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アリーヌ・プイヤンジュが祖父から贈られたダイヤモンド《ケープタウンの星》。 彼女の結婚披露宴の日に、パリの屋敷で披露されることになった。 世界六か国の保険会社はこの宝石のために各社 一名ずつ、警備要員として警官を派遣してきた。 しかし、六名の警官の厳重な警備にも関らず、 なんとダイヤは偽物すり替えられてしまった! さらにその後も、不可解な消失事件が続発し……。 何とも人を食った大掛かりなすり替えトリックに、呆気にとられてしまう本作。 六名の警官が、揃いも揃って間抜けだった(笑)ことを前提にすれば、理論上は 可能なのでしょうが、実際問題としては、はなはだ現実味のない、バカトリック と言わざるをえない代物です。 また、作中には、古式ゆかしく《読者への挑戦》もありますが、すり替えトリック については手がかりがほとんどなく、論理的にそのハウダニットを解明すること ができないのも、トホホな感じです(ただし、記述者を使い分けることで、巧みに アンフェアを回避し、手際よく読者にデータを提示していく叙述の工夫は買えます)。 以上のように、現実性という点では、非常にあやしい本作ですが、ファンタジイの 領域まで飛躍させた消失トリックの数々とその組合せが織りなす万華鏡のように 眩惑的な事件の全容は一読忘れがたい印象を残すとは思います(ただしバカミス 耐性は必須w)。 | ||||
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アリーヌ・プイヤンジュが祖父から贈られたダイヤモンド《ケープタウンの星》。 彼女の結婚披露宴の日に、パリの屋敷で披露されることになった。 世界六か国の保険会社はこの宝石のために各社 一名ずつ、警備要員として警官を派遣してきた。 しかし、六名の警官の厳重な警備にも関らず、 なんとダイヤは偽物すり替えられてしまった! さらにその後も、不可解な消失事件が続発し……。 何とも人を食った大掛かりなすり替えトリックに、呆気にとられてしまう本作。 六名の警官が、揃いも揃って間抜けだった(笑)ことを前提にすれば、理論上は 可能なのでしょうが、実際問題としては、はなはだ現実味のない、バカトリック と言わざるをえない代物です。 また、作中には、古式ゆかしく《読者への挑戦》もありますが、すり替えトリック については手がかりがほとんどなく、論理的にそのハウダニットを解明すること ができないのも、トホホな感じです(ただし、記述者を使い分けることで、巧みに アンフェアを回避し、手際よく読者にデータを提示していく叙述の工夫は買えます)。 以上のように、現実性という点では、非常にあやしい本作ですが、ファンタジイの 領域まで飛躍させた消失トリックの数々とその組合せが織りなす万華鏡のように 眩惑的な事件の全容は一読忘れがたい印象を残すとは思います(ただしバカミス 耐性は必須w)。 | ||||
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