鬼神の狂乱
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日本語が出鱈目。時代小説など書く前に、まず日本語を1から勉強し直せと言いたい。 最悪は「聞いているとも限らない」の文章。「聞いていないとも限らない」の二重否定が正しい。 「しばたたく」とすべきが「しばたく」となっているなども、日本語に無知な証拠。 台詞の中に「幕府」が出てくるが、台詞では基本的に使わない。「御公儀」と言う。こんなのは時代小説を書く時は常識だろう。 江戸時代、女性名につく「お」は名前の一部ではなく、二音までの女性名には「お」の敬称をつけるのが常識(特に会話で)だったが、付けたり付けなかったり、基準がバラバラ。 「雌犬」もアウト。「雌」は鳥類など、一見しただけでは性別不明の場合に用いる。「隹」は、そもそも「鳥」の意味だから「牝犬」が正しい。「雄馬」「雌馬」などと書いたら競馬ファンに馬鹿にされること請け合い。 「凄い」は江戸時代は「ぞっとする」「気味が悪い」という意味だが、「素晴らしい」に近い現代の用法で使っている。「大変」は江戸時代は、現代と違って「すさまじい凶事」の意味で使うが「非常に」という現代の意味で使っている。 「脱藩」は明治二年の岩崎茂実の造語で、一般に使われるようになったのは明治八年以降。 鎖国という言葉はない。明治以降。初めて「鎖国」の言葉が出るのが一八〇一年の、オランダ商館の医師ケンペルの著書『日本誌』の訳文においてだが、一般的には使われなかった。 「士族」は中国の六朝時代の『顔氏家訓』に出てくるが、日本では明治二年に創られたので江戸時代に使うのは不適当。 「自然」がnatureの意味で使われるのは明治時代の後半で、それまでは「無意識的な」の意味。 その他、時代考証NGワードを列挙していくと和紙(横山源之助の造語。まだ洋紙が入ってきていないから和紙に決まっている)、斜面(久米邦武の造語)、目と鼻の先(久保田万太郎の造語)、野太い(三島霜川の造語)、圧迫・視界・船着場・希望・威圧的・否定・姿勢・活躍・最高潮(夏目漱石の造語)、雪崩れ込む・蜜柑色(横光利一の造語)、小走り・文句(「不平不満」の意味の場合は樋口一葉の造語)、圧倒的(十一谷義三郎の造語)、効果的(池谷信三郎の造語)、反抗的・興奮・見当違い(小栗風葉の造語)、呆然・説明・確認・厄介事(坪内逍遙の造語)、消極的(末広鉄腸の造語)、体調(北杜夫の造語)、交渉(日露戦争の宣戦布告の造語)、甲高い(谷崎潤一郎の造語)、複雑(中川重麗の造語)、普段(若松賤子の造語)、視線(松原岩五郎の造語)、夢中(山田美妙の造語。江戸時代の「夢中」は「意識を失って夢を見ている」意味)、戸惑う・駄目・蛇腹(尾崎紅葉の造語)、罵詈雑言(三島由紀夫の造語)、素っ頓狂・興味(井上哲次郎の造語)、冷静・不文律(徳富蘆花の造語)、優秀(石川啄木の造語)、緊張・迷信・視野(森鴎外の造語)、原因(西周の造語)、動揺(岩崎茂実の造語)、合流(小林多喜二の造語)、ピンと来る(里見弴の造語)、落胆(荻田嘯の造語。江戸時代の「落胆」は「胆を潰して驚く」という意味)、興味津々(加藤周一の造語)、唖然(織田純一郎の造語)、共倒れ(永井荷風の造語)、無駄・天候・急勾配(国木田独歩の造語)、度肝・無視(内田魯庵の造語)、憮然(福沢諭吉の造語。それまでは「意外な出来事に驚いて茫然とする」「失望してぼんやりする」意味)、理由(山縣有朋の造語)、土地勘(井上靖の造語)、提案(伊藤博文の造語)、侮辱的(渋川玄耳の造語)、最高潮(明治四十一年の夏目漱石の造語)、直接的(勝本清一郎の造語)、緊迫(中江兆民の造語)、青灰色(有島武郎の造語)、薄灰色(森茉莉の造語)、任命(明治二十二年の貴族院令の造語。江戸時代の「任命」は「運命に身を任せる」意味(西晋の摯虞の言葉)、穀倉地帯(李恢成の造語)、焦燥(萩原乙彦の造語)、いの一番(明治十九年の『団団珍聞』の造語)、自慢気(大橋乙羽の造語)、遠近感(畑山博の造語)、実力行使(林芙美子の造語)、爆発(大日本帝国陸軍の造語)、雁字搦め(高橋新吉の造語)など、山ほど。 | ||||
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幕末に各地で起こった「ええじゃないか」の乱舞にも通ずるような、阿波との国境に近い土佐の地に起きた、集団的な超常現象の顛末を描いています。著者が前書きで述べているように、多くの資料をもとに、なるべく史実に忠実に綴ろうとしています。 ただその分、自由な設定がなく、やや物足りない展開のように思えます。身分制度に絡む社会問題も浮かび上がらせてはいますが、なにやら中途半端な感じがします。消化不良のまま読み終えました。 主人公と村娘の恋物語も、この程度の描き方なら、ない方がよかったかもしれません。 | ||||
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狗神憑きによる人々の狂乱の原因は何か? 四国の山村で起きた事件が、郡奉行所を困惑させます。 事件は、奥正月の晩の粥釣に始まります。 五人で来た筈なのに、帰り姿は四人。山人の姿がない。 謎を含んだ展開でテンポ良く進んで行きます。 主人公は、みつと信八。百姓の娘と役人。 普通であれば、一緒になれる間柄ではないのですが、この事件の「謎」が、彼らを接近させます。 閉鎖された江戸の時代が終わり、やがて来る新しい時代の息吹が、旧い狗神憑きという形で現れてきます。 このあたりの旧い物を描きながら、やがてくるであろう未来を予感させる物語が、読み手に快い読後感を与えてくれます。 | ||||
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