二つ、三ついいわすれたこと
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ヤングアダルト向けですが、日本の名作に通ずる心の闇を描いた作品です。3人の女の子たちはパッと見はどこにでもいそうな魅力ある高校生。でも、見た目からは育った環境も心の中で感じていることも他の人からはわからないし、わかってももらえないんだなあと思いました。読んでいると気持ちがシンクロして鬱々し、いかにもアメリカの高校生という話のわりには珍しく日本の「名作」とよばれる作品を読んでいる気分になりました。 | ||||
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平成26(2014)5月25日付読売新聞の青少年向け読書案内を呼んで購入。物語の要旨は、他の読書子が紹介されたとおりなので、自分は一読した感想とお勧めする理由を列挙する。ただし、自分は小学校の娘を持つ父親と言う、おそらく作者・訳者ともに読者として想定していないだろうカテゴリーの人間である。 一読した感想は、「自分の高校時代は何も考えていなかったなぁ」、「娘の父親となることは本当に難しいぞ」、「しかし、主人公たちの抱える悩みは『贅沢』な悩みなんだよな・・・」(皮肉ではなく、社会人としてそれなりの経験をつんだ人間として抱いた実感として感じたもの)で、重松清の「きみの友達」の読後感にも似た感慨を抱いた。 第一の感想については、女性は第二次性徴期を迎えることで生じる身体的・精神的変化が大きいのに対し、男性は「やりたい盛り」になるだけ(乱暴なまとめ方だが、男性諸子は頷かれるだろう)という違いも影響しているだろう。中年を迎え、大口を開けて談笑しながらビールジョッキをがっぱがっぱ開けるわが高校の同窓生たち(心は永遠の十代だそうな)も、「今考えれば『何でそんなつまらないことで思い悩んだのだろう』としかいいようがないことで、思い悩むことが多かった」と語るところを見ると、これは今も昔もおなじなのかもしれない。 ただ、自分たちの高校時代と今現在の学生諸兄とで根本的に異なるのが「ネット時代であること」である。読売の書評も、「ネット時代に生きる若い皆さんへお勧めする本」として本書が紹介されているとおり、本作品では登場人物たちがメールでのやり取りやいわゆる「ネットいじめ」に翻弄される様子が描かれている。自分は、ネット社会での人間関係は「当意即妙」が求められるほか、、「なりたい自分」を演出できる側面があるように感じられるので、もし、高校時代に今のようなネット社会が構築されていたら、上手く立ち回れなかっただろうなと感じる。それゆえ、登場人物たちの振る舞いは他人事とは感じられず、また、(読者だから当たり前だが)彼女たちに「助言」できないもどかしさを抱きながら読み続けた。 第二の感想については、他の読書氏も触れられていたが、登場人物たちの保護者(特に父親)たちが余りに「子供は自分の付属物(アクセサリー)」という意識で振舞っていたことに対し抱いたものである。「個人の幸福追求」が社会的善とされる米国では、彼らの振る舞いはむしろ当然なのかもしれない。しかし、自ら望んで親になった瞬間から、その権利は保留するのが「筋」なのではないかと、自分は感じた。親となった人間は、いろいろな「幸福」を手にするのだから、「頂いた分はお返しする」のが筋であろう。こういう連中に限って、老いるとわが子に擦り寄るか、触れ合いを求めるのだろう。そして、「どんなに酷い人格でも親は親だから・・・」と、子供たちの心情を再び傷つけていくのだ。なお、この方面については「毒になる親」(スーザン・フォワード)という名著があるので、興味のある方はご一読されたい。 第三の感想は、この本を読まれる方々、特に中高大学生の皆さんには想像できないことかもしれない。非常に残念なことだが、米国や日本には、学びたくても経済的理由、あるいは家庭の事情などにより満足に学べない若い人々がいる。それも決して少数ではない。彼らにとって大学進学は「見ることを許されない夢」なのだが、いわゆる進学校やもっと範囲を広げて大学進学が「当然のこと」と認識されている階層の皆さんにはそれは理解できない世界だろう。しかし、そのような世界にいるものにとってこの物語が描いている「苦悩」は、「贅沢」以外何ものでもないだろう。著者及び訳者は迷惑だろうが、どうか読者諸子には「語られていない世界」についても思いをはせて欲しい。それはたぶん、登場人物たちの心情に思いをはせることと同じくらい、皆さんにさまざまな感慨をもたらしてくれるだろう。 | ||||
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元子役で華やかで、言動においても力強くて魅力たっぷりの女の子、 クラスメートで同じグループのティンクが、ある日、自死してしまったという。 仲良しの、ミスパーフェクトといわれる優等生メリッサや 父と義母との家庭に生きづらさを感じているぽっちゃりしたナディアは、 そのショックから立ち直れず、亡きティンクに問いかけます。 一方で、彼女たちの内側は実はとても不安定だったことに気付き 投げやりで雑な気持ちのまま、自分自身の深い穴の中に入ってしまいます。 内緒で自傷行為をし続ける優等生メリッサ。 ナディアは、好きな教師に、義母のバックと家の壁にかかっている高価な絵を 衝動的にプレゼントしてしまいます。 息苦しさを感じながら、見守ることしかできません。 作者は彼女たちの痛みを冷静に、緻密に描いていきます。 なんて上手なのでしょう。 ティンクは亡くなっても、二人の心の片隅に住んでいて、 常にエールを送ってくれているようです。 そこがこの物語の大きな救いです。 そうして終盤の二人の勇気ある行動は、自己を肯定し、 自らの足で立っていこうとする意志も感じられ、 暗闇に細く明るい光が・・・。 訳者、神戸万知さんのあとがきも素敵です。 「人生は、喪失の繰りかえしです。だれとでも、いつかは別れが待っています。 それでも、ほんものの絆は、この世での別れくらいでは、 断ち切れないものなのかもしれません。」(p340) どうぞ最後までお読みくださいませ。 | ||||
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スポーツも勉強もできる優等生メリッサは、他の誰よりも早く名門大学の入学許可をもらいます。非の打ち所のないメリッサですが、そんな自分が何者なのか、実のところよくわかりません。彼女の心を動かせてくれる存在は一人。それはティンクです。 太り気味で、空気も読めず、男子からは性的いやがらせも受けているナディアは、科学の教師に恋をし、父親のコレクションから一枚の絵を盗んで教師の誕生日祝いにします。画の作者はカンディンスキー。ナディアの心の支えはティンクです。 ティンクは転校生。母親は女優で、ティンクもまた小さな頃子役としてTVで人気者でした。しかし、今のティンクは自分の気持ちにただただまっすぐな少女。そのことと、かつて人気者であることとで、彼女は学校でも特異点となっています。 物語は、死んでしまったティンクの影を抱え、時にそれに助けられ、時に迷路に誘い込まれながら、一歩ずつ生きているメリッサとナディアを、とても細かく描いていきます。 キャロル・オーツの作品は『アグリーガール』もそうでしたが、ぐさっと内面を突いてきますね。 | ||||
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