火の縄
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長編
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あらすじ
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評判
火の縄の評価:
0.00/10点 レビュー 0件。 B ランク
火の縄の総合評価:
8.00/10点 レビュー 6件。
感想一覧
サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
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斯様に小説としては中途半端な感が拭えない―巻末「解説」では歴史家の洞富雄が「見事な人間ドラマ」と絶賛しているけれど―本作だが、個人的に面白かったのがガラシャの人間性へのネガティヴな眼差し。彼女を冷淡でヒステリック、エリート意識の強いエゴイストとして描くのは芥川龍之介『糸女覚え書』(大正13年)の先達があるが、他にも森田草平に山田風太郎、遠藤周作と、時々ある「ガラシャ=ヤな女」小説がそろって男性作家の手になるものの感を持つのは評者だけか。キリスト教解禁以前の我が国において彼女の知名度や評価、人気がどうだったのか寡聞にして知らないが*、芥川、森田あたりがこのガラシャ・ディスリスペクトのハシリであるとしたら、彼らと同じ漱石門下の平塚らいてうを始めとする我が国フェミニズムの勃興―『青鞜』創刊が明治44年―への違和感と反発が契機としてあったのは確か(『糸女~』に「私のことじゃない!?」とフンガイする向きが当時一人もいなかった、とは思えない。ガラシャの「鼻が高過ぎ・顔にはソバカス・お説教好き」なる描写からすると、布教家だか教師だかの外国人女性で具体的なモデルがいたのかも)。異色なのが、「ま、しょせん女ってモノはね…」のオヤジイズム―当今ハヤリのマンスプレイニングがコレか―とは無縁に信仰の立場からガラシャを鋭く批判した遠藤の短編『日本の聖女』(昭55年。新潮文庫『夫婦の一日』所収)で、同じカトリック信者ならではの視点が斬新かつショッキングだったが、そちらと比べると本作の、芥川または菊池寛風の通俗的・露悪的リアリズムは、今となってはやはりいささか古びた観は否めない。これら男性作家陣が「ったく、女ってヤツはよー… 」と片腹痛く、こう云う形で留飲を下げていたのかと想像すると、ちょっと微笑ましいけれど。
*寛文年間に著された『本朝列女伝』なる書に彼女についての記述があるが、その最期は飽くまで儒教的・武士道的価値観による「自害」、とされているそう(金子拓『記憶の歴史学 史料に見る戦国』(講談社選書メチエ)より)。キリスト教解禁でガラシャ殉教説がようやく国内一般に広まった明治半ば、「細川の奥方」を描いた歌舞伎『関原神葵葉』『烈婦敷浪』が製作・上演されたが、これもやはりと云うか信仰についてはスルーの内容で、逆にそちらを強調した藤沢周次(古雪)の戯曲『史劇 がらしあ』または『伽羅舎』は未上演に終わった由。彼女が苦悩の末に戒律に背き、武士の妻として自害する=信仰を捨てる結末が現代の眼には意外な岡本綺堂『細川忠興の妻』は大正元年作・同5年初演(青蛙房『岡本綺堂戯曲選集 第四巻 一幕物前編』の岡本経一「解説」より)。
反面、三浦綾子、永井路子に代表される女流作家(に限らないが)による「聖女」ガラシャの肖像、こちらはちょっと美化し過ぎじゃないか―例えば、自殺ではなく家臣の手によって命を絶ったのは飽くまで信仰の故、との記録はイエズス会宣教師の報告の中にしかないのに、全き史実と前提されているなど―と首をヒネることもしばしばで、他にも小説・演劇・映画・TV・漫画等々、現在ではこちらのガラシャ像のみがすっかり定着してしまったのはやはり戦後日本の民主化=アメリカナイズと教会勢力の復活、それに伴って日本人特有のハイカラ好き・西洋カブれがいささか野放図に発露され、彼女の一面のみが極端に誇張あるいは偏向・曲解の上でさんざん流布―この点、吉川英治の宮本武蔵、司馬遼太郎の坂本龍馬や土方歳三ソックリなパターンで―されてきたが故。彼女がカトリックではなく例えば回教や拝火教、小乗仏教の徒だったとしたらこれほどの人気は考えにくく、所詮は「ツタの絡まるチャペルで♪」の類の少女趣味的ファッション感覚と宗教上の無定見さ―現・上皇后陛下ご婚約発表時の修道女風ポートレイト(昭33年11月27日付朝日新聞号外)も思い出される―の表れに過ぎない。そのあたりを踏まえて『フィクションにおける細川ガラシャ像の変遷・受容史』みたいな研究を誰かしてくれると面白いのだが、何せ人気のキャラなだけに、彼女の登場する小説だけで一体幾つになることやら。
それにしても、三月に東京文化会館で予定されていた『勇敢な婦人―細川ガラシャ Mulier fortis』公演がコロナ禍で中止となったのは、かえすがえすも残念。宣教師の報告をもとにヨハン・バプティスト・アドルフ台本&ヨハン・ベルンハルト・シュタウト作曲―どちらの名前も初耳だが―で17世紀末ウィーンにおいて初演されたバロック・オペラ(と云うより教会カンタータに近いか)。なにしろバッハもまだ少年の頃の作なので『マタイ受難曲』並みの聴き応えと云うわけにはいかないだろうが、かねてからぜひ一度聴いてみたい―2013年の上智大学主催公演も聴き逃した―と思っていただけに何ともはや。そのうちスタジオ上演&BS放送の形ででもやってくれないものか。