仮面劇場
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初版刊行(参考)
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短編集
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あらすじ
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評判
仮面劇場の評価:
6.00/10点 レビュー 1件。 D ランク
仮面劇場の総合評価:
6.89/10点 レビュー 9件。
感想一覧
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1978年にTV放映された横溝正史シリーズⅡがいろいろとYoutubeにアップされていて、そんな本作のドラマ版を流し見していて、最後の「原作では金田一耕助は出てきませんが~」ってテロップがおかしかった。金田一耕助シリーズという名称ならともかく、横溝正史シリーズⅡなのだから、そのままでいいじゃないか。可哀そうに由利麟太郎と三津木俊助は存在を消されてしまったわけだw
まぁ後に加筆して、金田一耕助の登場作品にするのは、著者自身も何度もやっていたことで、目くじらを立てるまでもないのだが、明らかに補陀落渡海にヒントを得たような設定に惹かれて、原作小説をポチった。
補陀落渡海のことは本作にも触れられていなかったが、本作はドラマ以前に何度も改題されて、その度に加筆や修正が入った最終Ver.らしく、なんでも初出時には、甲野家は紀州の出の設定だったというので、補陀落渡海から思いついたというのは、間違いないだろう。
ドラマと原作では当然いろいろと設定の違いはあって、中には片や殺された被害者の一人であるのが、片や(登場はするのに)実在はしなかったというものまであるが、整理していくと、大道寺綾子と犯人の設定の違いに収斂されていく。
原作の綾子は、逸早く虹之助と甲野家に関係があるのではないかと疑い、後には能動的に事件に関与(というか、事件を攪乱)までしているのだが、その割には影が薄く感じた。
それはドラマで綾子を演じた司葉子の貫禄なのかと一瞬考えたが、そうではない。原作の綾子が二十代後半なのに対して、司葉子は当時44歳だったが、それも関係ない。
原作では、彼女は甲野家と縁者の志賀恭三と恋仲であることを早々に由利麟太郎に告げている。一方ドラマではそれを隠していて、それが原因で脅迫まで受けることになるのだが、冒頭で知り合った金田一耕助にまとわりついて、鎌倉の自宅にまで逗留させる。
それは事件に耕助を関わらせる脚本上の方便であったり、(脅迫云々は)綾子の能動的な関与を減らす代わりに加えた司葉子サイドへの忖度、あるいはそちらからの要請だったかもしれないが、視聴者(少なくともわたし)にとっては、陰惨な事件の触媒になっただけの年増のバカという印象を強くさせたw いずれにせよ、制作側に責任がある。
犯人の設定変更も同様。
著者や乱歩の作品を読みなれていれば、身体障碍者が犯人というのは珍しくもないが、ドラマでのあの大きな変更は、あるいはこれも防衛的忖度が働いたのかもしれない。
しかしそれでは、救助時点で虹之助を診察した医者が無能、かつ虹之助の演技がトンデモなく達者だったことになる。最初に花火が鳴り響いた時点では、まだ凶悪な運命のイタズラに気づいていなかった筈であり、つまり三重苦を装う必要性も低かった筈なのに……。【注1】
ということで、多くのドラマ化作品と同様に、原作⇒ドラマで劣化したように思うが、一方で、著者の側に身体障碍者への若干の蔑視が混入している感もぬぐえない。
虹之助は誰彼問わずに毒を仕込んだということで、死ぬべき凶悪殺人者として断罪されて、綾子も含めて登場人物は誰一人彼の死を悼まない。しかし彼は幼時、聾唖だったが盲人ではない状態で九州の山窩の元に捨てられた。まずまともな教育は受けられなかっただろうし、あるいは「人を殺しちゃダメ」という最低限の道徳教育すら会得する機会がなかった可能性もある。幼児は無邪気に虫の羽根をむしり取ったりすることもあるが、まさにそのまま大人になったようなものだ。
これは綾子自身が、(たしか)原作でもドラマでも発言していたように、その教育こそ、ヘレン・ケラーに対するサリバン先生のようなチャレンジの機会だったのでは?
著者の差別意識というより、平均的な時代的感覚のような気もするので、むしろこちら方向の修正こそ、1978年のドラマ化で行うべきだった。根本のアホな改変をやめたうえで、金田一耕助に弁護のひと言くらいは言わせて欲しかった。もし今後本作が再映像化されることがあれば、ぜひ問題提起してほしい。
ところで、虹之助が義眼を得たのもそこにストリキリーネを仕込めるようにしたのも、彼が甲野家に帰ってくる前とのことだが、その手段と費用は誰が負担したの? 費用の工面はもちろん、虹之助が主体で動くのもかなり困難だと思うが。
再ドラマ時にはぜひ、ここもクリアにして欲しいw
【注1】とは言え、原作では虹之助が不用意に言葉を発するシーンがあり、謎を強める演出のひとつでもあるが、逆のベクトルで不自然である。