(短編集)
異常の太陽
- 覗き (20)
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森村誠一の小説の中でこれが一番面白いと思います。少し古いですがおすすめです。 | ||||
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本書は、1976年5月に新潮文庫から初出版されたものです。収録作は、すでに発表されたものを再編集したものです。その後、角川文庫、中公文庫から再出版されています。表題作以外に「肉食の食客」「七日間の休暇」は、秀逸です!2015/1/30角川書店からkindle化されました! 「鳩の目」 信州野沢温泉に鳩車という民芸品がある。アケビの弦で細工したもので、民芸品マニアには人気の工芸品である。地元で鳩爺と呼ばれる高野平作でも、一日に二個くらいしか作れない。そのため、注文を受けてからお客の所へ届くまで三~四ヶ月もかかっていた。平作は、ある時、ミスに気が付いた。最近作った一つに、鳩の目を付け忘れた物があったのだ。慌てた平作は、十日ほど遡り、お客に盲鳩だったら、作り直すからと手紙を書いた。すると、すぐに津上富枝というお客から盲鳩が送られてきた。二個買ったうちの一つだと言う。平作は、それに目を付け、お土産を添えて送り返した。とこが、また数日して二個目の盲鳩が送られてきたのだ。目の数は、鳩車の数しか用意していない。おかしいと思ったが、それも修理して送った。一週間ほどして、テレビを見ていた平作は、驚いた。初めの盲鳩を送った、津上富枝の死体が山林で発見されたのだ。犯人は、富枝が盲鳩を送ったことを知らなかった。犯人は、富枝の平作からの手紙を読んだのだ。そして、もう一つの鳩車の目を、取り去って送ったのだ。二個目の盲鳩の送り先が、犯人がいる場所の証明になるとも知らないで。 「異常の太陽」 警視庁の刑事、砂本が、子供の参観日に小学校へ行った時、教室に貼られた絵の中に、奇妙な絵があるのを見つけた。紫色で荒れた海を描き、その上には、大小ふたつの太陽が描かれている。描いた子供の名前を見ると、管内の殺人事件で殺された、男の息子だった。興味を持った砂本は、担任に頼んで、子供が描いた十枚ほどの絵を見せてもらった。すると、古い方から順に、異常な配色だった絵が、最近になると、普通の子供が描く平凡な絵に変わっていくのが分かった。そこで、砂本は、子供の絵に現れる色彩と出現位置によって、精神状態を研究した“アサリ式診断法”を学ぶ。そして、殺された父親に、隠された醜い部分があった事を発見するのだ。この話の悲しいところは、砂本の息子の絵を診断したところ、全く子供や妻の不満を読み取れていなかった事を知ってし、家族が崩壊するラストになる事だ。 「赤い蜂は帰った」 蜂の帰巣能力を研究している吉木が、実験蜂を放すため山中に向かった。実験蜂は、胸から腹部に赤い目印が付けられた。今回、放された蜂は、二十匹だったが、そのうち十九匹が巣箱へ戻った。ところが、山中へ向かった吉木が研究室に戻らなかった。警察と大学の混成部隊によって、周辺の捜索を行ったところ、山道から何かが滑り落ちた跡が見つかった。草を薙ぎ倒し、落ちて行ったと思われる所を調べると、そこに吉木の持って行った、蜂の運搬袋が落ちていた。ところが、その周囲をいくら探しても、吉木の姿は、発見されない。この事件は、巣箱へ帰らなかった赤い目印の付いた一匹の実験蜂が解決する。 「残酷な視界」 志賀邦枝は、寂しさを紛らわすため“裏窓遊び”という遊びを考え付いた。邦枝は、三十二才、大手デパートの電話交換手をしていた。婚期を逃したハイミス。アパートの自室に帰っても、誰も待っている人もいなければ、誰かの為に、してあげなければならない事も無い。そこで、考えついた遊びが、倍率の高い双眼鏡を使い、他人の家の平和そうな生活の内幕を覗くことだった。邦枝のアパートがちょうど良いことに高台にあったことも幸いした。見られた方は気が付かないが、生活の中に土足で踏み込む事に異常に興奮した。この日は、なかなか寝付かれないで、いつもの様に双眼鏡を持って外を覗いた。十一時近かったので、どちらの家もカーテンを閉め、電気を消している部屋が多かった。その中で、まだ、煌々と輝いていたのが、最寄りの私鉄線の駅舎だった。ホームに照準を合わせると、酔っ払いが歩をふらつかせながら歩いている。危ないなぁと思いながら見ていると、横から別の男が飛び出してきて、その酔っ払いをホームの下へ突き落してしまった。そして、時刻通り到着した列車によって引き殺されてしまうのだ。驚いた邦枝だったが、もっと驚いた事があった。それは、突き落した男と、双眼鏡越しに目と目が合ってしまった事だ。相手の男は、突き落した事を、邦枝に見られたのを知った。その男は、窓の位置から、何階の何番目の部屋かを知る事が出来る。と言う事は、その男が邦枝の口を塞ぎに来ることが予想される。だが、邦枝は、その男のことが全く分からなく恐怖に怯える。 「肉食の食客」 私は、叔父の新吉から、その話を聞いた時に、面白い話だなと思った。だが、その話が、永尾家三代を滅ぼす話だと分かったのは、新吉に殺意を抱いた時だった。新吉は、暇があると蟻ばかり眺めていた。蟻の国の食客の話をしてくれた。蟻は、巣の中に、アブラムシやカイガラムシを同居させているのだと言う。彼らは、蟻の国に居候して食物を貰い、代わりに、外敵から蟻を保護していた。また、彼らの触角から、蟻の好きな汁(ジュース)を出す。それが、蟻のミルク代わりになって、蟻も好んで招き入ていた。だが、シジミ蝶というのがいて、それは、今まで草を食べていたが、蟻の巣に入ると、化けの皮を剥がして、蟻の幼虫や蛹(さなぎ)を食べ始めると言うのだ。蟻もバカだねぇと言う話だった。新吉は、私の叔父だが、父とは、母親が違う。祖父が、下女のうたに産ませた子供だった。うたは、小作農の娘で、樽の様に太った女だった。その、うたに、祖父が手を付けたのだ。うたは、直ぐに生家へ返されたが、祖母は、由緒ある永尾家の血筋が入った新吉を、次男、父の弟として育てたのだ。永尾家の血を引き継いだ者たちは、一流と言われる大学を卒業して、名の通った企業に就職した。医師や弁護士になった者もいる。だが、新吉は、辛うじて金の力で大学こそ卒業したが、その後は、働こうともしなかった。無理矢理、縁談を持ち掛け、家庭を築けば、働き出すだろうと考えた父だったが、女は、必要無いと言う始末だった。無為徒食。為すすべき事をしないで遊び暮らしていた。暇な時は、蟻を見に行くのが楽しみの様だった。父も、金には、余裕があったので、敢えて厳しい事を言わなかった。ところが、あろうことか、ある日、新吉と母が、駆け落ちしてしまったのだ。祖父を盗んだ女の息子が、私の母を盗んでしまった。いつから、二人の関係が有ったかは不明だ。だが、以前、女は必要無いと言っていたのだから、その時は、すでに二人の関係は有ったのかもしれない。父は悲しみ、憤ったが、二人を追うことはしなかった。それから、父と私だけの生活になってしまった。父は、母が去ってから、よほど堪えたらしく、体の衰えは隠し切れなかった。父が死んだのは、私が妻と結婚してから、半年ほど後のことである。こうして、代々続いた永尾家は、私と妻だけになってしまった。私の勤めは、精密機器のメーカーの大手である。会社からも認められ、科学計測器の一部門のチーフとして、東南アジア地区を任されていた。妻との仲も円満で、結婚二年目に長男が生まれた。父は、亡くなる前、私のために家を建ててくれていた。また、受け継いだ家督も、近年の土地ブームで値上がりして、三億を超える評価があった。母に捨てられ、父を亡くしたが、私の人生は、順風満帆であった。だがある晩、仕事を終えて自宅へ帰り、ドアーを開けると見慣れない靴が有るのに気が付いた。私の留守中に、妻が誰かを招じ入れたのかと不審に思った。良く見ると、ビールが出されていた。妻が小料理を作ったのか、気持ち良くビールを飲んでいる。余りにも、みすぼらしい風体に訝しく思ったが、良く見てみると、それは、母を奪い蒸発した新吉叔父だったのだ。妻も、叔父の存在は知っていて、断り切れず、部屋に通したのだ。この時、私は、新吉から聞いた、蟻の国に入り込み、蟻の幼虫やさなぎを食べてしまう、シジミ蝶の話を思い出したのである。殺意が確定した瞬間だった。 「奔放の宴」 朝川好郎と昌子が、結婚したのは二年ほど前。朝川は、かなり名の通った一流会社に勤務し、平均的なサラリーマンより良い待遇を得ていた。昌子とは、会社の同じビルで知り合い、半年ほど交際して結婚したのだ。新家庭の生活資金には、困らないので、共稼ぎを嫌う朝川の希望で、昌子には勤めを辞めてもらった。昌子は、さして美人ではないが、胸や腰は、豊満で、いわゆる男好きのするタイプの女だった。最近になって朝川は、昌子の異変に気付き、不審に思い始める。それは朝の恒例行事“朝の接吻”に変化が表れたからで、更に、夫婦の“夜のサイン”も送ってこない。昌子に聞いても、何でも無いと答えるばかりで、ハッキリしない。朝川の胸に、疑いが萌し始める。それは一度、疑い出すと積雲のように発達してしまうものだ。会社に行ってから、他の男と痴戯に浸っているのではないか?結婚した時、昌子は、処女ではなかったのではないか?など空想による猜疑の種は、大きくなるばかりだ。結婚前は、妻の処女性には、こだわらないつもりでいた。ところが、毎夜生活を共にしているあいだに、閨房において朝川に対する奔放な姿態を、過去の男にもしていたのかと考えると、屈辱的な瞋恚が膨らんできた。心の中で疑惑は巨大になる。風船なら破裂するが、こればかりは、破裂することを知らず、日に日に巨大化していく。朝川は、耐えられず、会社関係で縁故の興信所に調査を依頼した。これが間違いだった。最後に「俺は、妻のとんでもない過去を、ほじくり返してしまった」と、後悔するが、もう戻れない。知らぬが仏と言う言葉がある。 「七日間の休暇」 井川賢の生涯を綴った物語。前半と後半で二つの話になっています。井川には、父親がいなかった。母親のマサが、女手一つで井川を育てていたが、とても貧しかった。雑役婦や家政婦といった仕事では、社会で生きていくための十分な収入は得られない。幼少期の貧しい思いは、そのまま社会へのコンプレックスになった。学校へ通うのも、職に就くのも放擲した。日雇い仕事で賃金を得たが、金のあるうちは、働かない。無くなったら、又、働けば良いくらいに思っていた。責任も思考も要求されない日雇いの仕事。そんな生き方が、北川は、適した生き方だと思った。だが、十九才の時、北川に転機が訪れた。それは、昔、飯場で一緒に働いたことがある“サキ”と再会した事である。“サキ”と呼ばれていただけで、正確な名前は知らない。“サキ”は、当時の様子とは違っていた。健康そうに日灼けして、スーツを着ている。金もかかっていそうだ。“サキ”は、井川の身なりを見て、新しい仕事を井川に紹介した。井川は、“サキ”の変身ぶりから、裏社会に潜む仕事ではないかと訝しく思うが、“サキ”の言った事は、全く違っていた。それは、米軍の戦略物資輸送船の乗組員として働く事だった。話は、ベトナム戦争が起きていた時代の話だ。ベトナムへ戦略物資を運ぶ船に乗り込むのだ。給料は良い。一回の渡航で六十日。七日間の休暇をとって、二回目の航海に乗り込む契約をすれば、給料は、五割り増しになった。食事は、三食保障される。着る物も制服を与えられるので困らない。元々、社会に背けていた北川だったので、この新しい世界に興味を持った。“サキ”と共に、ベトナム行の船に乗り込んだ。ここまでが、前半の話。珍道中の話が、ユニーク。井川は、一回目の六十日の航海を終えて、日本に帰って来た。今まで持ったこともない大金を持って。横浜港に着いて、東京に出た。井川には、ある目的があった。それは、東京に聳える超高層ホテルの最上階に泊まる事だった。船旅で狭い船員ベッドで何日も寝ているうちに、両手両足を真っ直ぐ伸ばして寝てみたいと思った。それも、最高級ホテルのベッドで。金は、持っている。日雇い時代は、それらのデラックスホテルは、別世界の物だと思っていた。でも、今は違う。ところが、ホテルへ着いて宿泊を頼むと、満室だからと言って断られてしまった。それも、そうだ。予約も無しに、いきなり泊まれない。また、洗練されたスーツやドレスを着ている、ホテルの客たちとは、まだまだ身なりも異なる。別のホテルを探しても、又、同じ様な屈辱を味あわされるのは、耐えられない。失意のうちに夜の都心を行く当ても無く歩いていると、運も悪く雨が降ってきた。その時である、一台の車が雨の飛沫を弾きながら飛ばしてきたのだ。雨の夜にスピードを出して走る車に、憎しみの目を向けた。すると、その車の前に黒っぽいレインコートを着た女が、傘を傾けて道路を横断してきた。車は、ブレーキを掛けたが間に合わない。凶暴な獣が無抵抗の獲物に突っ込んで行った。悲鳴と物体のぶつかり合う無残な音がした。女は跳ねられた。ところが、車は、その機動性に物を言わせ、闇の中に遠ざかってしまった。轢き逃げだ。犯人を逃してしまったので、井川は、被害者の方へ駆け寄った。意識の無い被害者を抱き上げ、頬を軽く叩くと気が付いた。意識は戻った、だが、驚く事に、女はどこにも怪我が無いと言うのだ。それは、奇跡的に良かったのだが、困った事が起きた。それは、女が、自分の名前も住所も過去も、全ての記憶を喪失してしまっていた事だった。勿論、交通事故が原因である。持ち物の中にも、身元が分かるような物は、何も無かった。この事故がきっかけとなり、井川の女が記憶を呼び戻までの七日間のロマンスが始まるのです。なかなか記憶が戻らない女の姿がもどかしく、井川が、少しずつ女に好意を寄せていく姿が絶妙に書かれています。この女は、前半で伏線として登場しているのも巧妙です。森村氏は、恋愛小説作家では無いので、ラストは悲劇で終わりになっています。 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警視庁の刑事、砂本が、子供の参観日に小学校へ行った時、教室に貼られた絵の中に、奇妙な絵があるのを見つけた。紫色で荒れた海を描き、その上には、大小ふたつの太陽が描かれている。描いた子供の名前を見ると、管内の殺人事件で殺された、男の息子だった。興味を持った砂本は、担任に頼んで、子供が描いた十枚ほどの絵を見せてもらった。すると、古い方から順に、異常な配色だった絵が、最近になると、普通の子供が描く平凡な絵に変わっていくのが分かった。そこで、砂本は、子供の絵に現れる色彩と出現位置によって、精神状態を研究した“アサリ式診断法”を学ぶ。そして、殺された父親に、隠された醜い部分があった事を発見するのだ。この話の悲しいところは、砂本の息子の絵を診断したところ、全く子供や妻の不満を読み取れていなかった事を知ってし、家族が崩壊するラストになる事だ。 「赤い蜂は帰った」 蜂の帰巣能力を研究している吉木が、実験蜂を放すため山中に向かった。実験蜂は、胸から腹部に赤い目印が付けられた。今回、放された蜂は、二十匹だったが、そのうち十九匹が巣箱へ戻った。ところが、山中へ向かった吉木が研究室に戻らなかった。警察と大学の混成部隊によって、周辺の捜索を行ったところ、山道から何かが滑り落ちた跡が見つかった。草を薙ぎ倒し、落ちて行ったと思われる所を調べると、そこに吉木の持って行った、蜂の運搬袋が落ちていた。ところが、その周囲をいくら探しても、吉木の姿は、発見されない。この事件は、巣箱へ帰らなかった赤い目印の付いた一匹の実験蜂が解決する。 「残酷な視界」 志賀邦枝は、寂しさを紛らわすため“裏窓遊び”という遊びを考え付いた。邦枝は、三十二才、大手デパートの電話交換手をしていた。婚期を逃したハイミス。アパートの自室に帰っても、誰も待っている人もいなければ、誰かの為に、してあげなければならない事も無い。そこで、考えついた遊びが、倍率の高い双眼鏡を使い、他人の家の平和そうな生活の内幕を覗くことだった。邦枝のアパートがちょうど良いことに高台にあったことも幸いした。見られた方は気が付かないが、生活の中に土足で踏み込む事に異常に興奮した。この日は、なかなか寝付かれないで、いつもの様に双眼鏡を持って外を覗いた。十一時近かったので、どちらの家もカーテンを閉め、電気を消している部屋が多かった。その中で、まだ、煌々と輝いていたのが、最寄りの私鉄線の駅舎だった。ホームに照準を合わせると、酔っ払いが歩をふらつかせながら歩いている。危ないなぁと思いながら見ていると、横から別の男が飛び出してきて、その酔っ払いをホームの下へ突き落してしまった。そして、時刻通り到着した列車によって引き殺されてしまうのだ。驚いた邦枝だったが、もっと驚いた事があった。それは、突き落した男と、双眼鏡越しに目と目が合ってしまった事だ。相手の男は、突き落した事を、邦枝に見られたのを知った。その男は、窓の位置から、何階の何番目の部屋かを知る事が出来る。と言う事は、その男が邦枝の口を塞ぎに来ることが予想される。だが、邦枝は、その男のことが全く分からなく恐怖に怯える。 「肉食の食客」 私は、叔父の新吉から、その話を聞いた時に、面白い話だなと思った。だが、その話が、永尾家三代を滅ぼす話だと分かったのは、新吉に殺意を抱いた時だった。新吉は、暇があると蟻ばかり眺めていた。蟻の国の食客の話をしてくれた。蟻は、巣の中に、アブラムシやカイガラムシを同居させているのだと言う。彼らは、蟻の国に居候して食物を貰い、代わりに、外敵から蟻を保護していた。また、彼らの触角から、蟻の好きな汁(ジュース)を出す。それが、蟻のミルク代わりになって、蟻も好んで招き入ていた。だが、シジミ蝶というのがいて、それは、今まで草を食べていたが、蟻の巣に入ると、化けの皮を剥がして、蟻の幼虫や蛹(さなぎ)を食べ始めると言うのだ。蟻もバカだねぇと言う話だった。新吉は、私の叔父だが、父とは、母親が違う。祖父が、下女のうたに産ませた子供だった。うたは、小作農の娘で、樽の様に太った女だった。その、うたに、祖父が手を付けたのだ。うたは、直ぐに生家へ返されたが、祖母は、由緒ある永尾家の血筋が入った新吉を、次男、父の弟として育てたのだ。永尾家の血を引き継いだ者たちは、一流と言われる大学を卒業して、名の通った企業に就職した。医師や弁護士になった者もいる。だが、新吉は、辛うじて金の力で大学こそ卒業したが、その後は、働こうともしなかった。無理矢理、縁談を持ち掛け、家庭を築けば、働き出すだろうと考えた父だったが、女は、必要無いと言う始末だった。無為徒食。為すすべき事をしないで遊び暮らしていた。暇な時は、蟻を見に行くのが楽しみの様だった。父も、金には、余裕があったので、敢えて厳しい事を言わなかった。ところが、あろうことか、ある日、新吉と母が、駆け落ちしてしまったのだ。祖父を盗んだ女の息子が、私の母を盗んでしまった。いつから、二人の関係が有ったかは不明だ。だが、以前、女は必要無いと言っていたのだから、その時は、すでに二人の関係は有ったのかもしれない。父は悲しみ、憤ったが、二人を追うことはしなかった。それから、父と私だけの生活になってしまった。父は、母が去ってから、よほど堪えたらしく、体の衰えは隠し切れなかった。父が死んだのは、私が妻と結婚してから、半年ほど後のことである。こうして、代々続いた永尾家は、私と妻だけになってしまった。私の勤めは、精密機器のメーカーの大手である。会社からも認められ、科学計測器の一部門のチーフとして、東南アジア地区を任されていた。妻との仲も円満で、結婚二年目に長男が生まれた。父は、亡くなる前、私のために家を建ててくれていた。また、受け継いだ家督も、近年の土地ブームで値上がりして、三億を超える評価があった。母に捨てられ、父を亡くしたが、私の人生は、順風満帆であった。だがある晩、仕事を終えて自宅へ帰り、ドアーを開けると見慣れない靴が有るのに気が付いた。私の留守中に、妻が誰かを招じ入れたのかと不審に思った。良く見ると、ビールが出されていた。妻が小料理を作ったのか、気持ち良くビールを飲んでいる。余りにも、みすぼらしい風体に訝しく思ったが、良く見てみると、それは、母を奪い蒸発した新吉叔父だったのだ。妻も、叔父の存在は知っていて、断り切れず、部屋に通したのだ。この時、私は、新吉から聞いた、蟻の国に入り込み、蟻の幼虫やさなぎを食べてしまう、シジミ蝶の話を思い出したのである。殺意が確定した瞬間だった。 「奔放の宴」 朝川好郎と昌子が、結婚したのは二年ほど前。朝川は、かなり名の通った一流会社に勤務し、平均的なサラリーマンより良い待遇を得ていた。昌子とは、会社の同じビルで知り合い、半年ほど交際して結婚したのだ。新家庭の生活資金には、困らないので、共稼ぎを嫌う朝川の希望で、昌子には勤めを辞めてもらった。昌子は、さして美人ではないが、胸や腰は、豊満で、いわゆる男好きのするタイプの女だった。最近になって朝川は、昌子の異変に気付き、不審に思い始める。それは朝の恒例行事“朝の接吻”に変化が表れたからで、更に、夫婦の“夜のサイン”も送ってこない。昌子に聞いても、何でも無いと答えるばかりで、ハッキリしない。朝川の胸に、疑いが萌し始める。それは一度、疑い出すと積雲のように発達してしまうものだ。会社に行ってから、他の男と痴戯に浸っているのではないか?結婚した時、昌子は、処女ではなかったのではないか?など空想による猜疑の種は、大きくなるばかりだ。結婚前は、妻の処女性には、こだわらないつもりでいた。ところが、毎夜生活を共にしているあいだに、閨房において朝川に対する奔放な姿態を、過去の男にもしていたのかと考えると、屈辱的な瞋恚が膨らんできた。心の中で疑惑は巨大になる。風船なら破裂するが、こればかりは、破裂することを知らず、日に日に巨大化していく。朝川は、耐えられず、会社関係で縁故の興信所に調査を依頼した。これが間違いだった。最後に「俺は、妻のとんでもない過去を、ほじくり返してしまった」と、後悔するが、もう戻れない。知らぬが仏と言う言葉がある。 「七日間の休暇」 井川賢の生涯を綴った物語。前半と後半で二つの話になっています。井川には、父親がいなかった。母親のマサが、女手一つで井川を育てていたが、とても貧しかった。雑役婦や家政婦といった仕事では、社会で生きていくための十分な収入は得られない。幼少期の貧しい思いは、そのまま社会へのコンプレックスになった。学校へ通うのも、職に就くのも放擲した。日雇い仕事で賃金を得たが、金のあるうちは、働かない。無くなったら、又、働けば良いくらいに思っていた。責任も思考も要求されない日雇いの仕事。そんな生き方が、北川は、適した生き方だと思った。だが、十九才の時、北川に転機が訪れた。それは、昔、飯場で一緒に働いたことがある“サキ”と再会した事である。“サキ”と呼ばれていただけで、正確な名前は知らない。“サキ”は、当時の様子とは違っていた。健康そうに日灼けして、スーツを着ている。金もかかっていそうだ。“サキ”は、井川の身なりを見て、新しい仕事を井川に紹介した。井川は、“サキ”の変身ぶりから、裏社会に潜む仕事ではないかと訝しく思うが、“サキ”の言った事は、全く違っていた。それは、米軍の戦略物資輸送船の乗組員として働く事だった。話は、ベトナム戦争が起きていた時代の話だ。ベトナムへ戦略物資を運ぶ船に乗り込むのだ。給料は良い。一回の渡航で六十日。七日間の休暇をとって、二回目の航海に乗り込む契約をすれば、給料は、五割り増しになった。食事は、三食保障される。着る物も制服を与えられるので困らない。元々、社会に背けていた北川だったので、この新しい世界に興味を持った。“サキ”と共に、ベトナム行の船に乗り込んだ。ここまでが、前半の話。珍道中の話が、ユニーク。井川は、一回目の六十日の航海を終えて、日本に帰って来た。今まで持ったこともない大金を持って。横浜港に着いて、東京に出た。井川には、ある目的があった。それは、東京に聳える超高層ホテルの最上階に泊まる事だった。船旅で狭い船員ベッドで何日も寝ているうちに、両手両足を真っ直ぐ伸ばして寝てみたいと思った。それも、最高級ホテルのベッドで。金は、持っている。日雇い時代は、それらのデラックスホテルは、別世界の物だと思っていた。でも、今は違う。ところが、ホテルへ着いて宿泊を頼むと、満室だからと言って断られてしまった。それも、そうだ。予約も無しに、いきなり泊まれない。また、洗練されたスーツやドレスを着ている、ホテルの客たちとは、まだまだ身なりも異なる。別のホテルを探しても、又、同じ様な屈辱を味あわされるのは、耐えられない。失意のうちに夜の都心を行く当ても無く歩いていると、運も悪く雨が降ってきた。その時である、一台の車が雨の飛沫を弾きながら飛ばしてきたのだ。雨の夜にスピードを出して走る車に、憎しみの目を向けた。すると、その車の前に黒っぽいレインコートを着た女が、傘を傾けて道路を横断してきた。車は、ブレーキを掛けたが間に合わない。凶暴な獣が無抵抗の獲物に突っ込んで行った。悲鳴と物体のぶつかり合う無残な音がした。女は跳ねられた。ところが、車は、その機動性に物を言わせ、闇の中に遠ざかってしまった。轢き逃げだ。犯人を逃してしまったので、井川は、被害者の方へ駆け寄った。意識の無い被害者を抱き上げ、頬を軽く叩くと気が付いた。意識は戻った、だが、驚く事に、女はどこにも怪我が無いと言うのだ。それは、奇跡的に良かったのだが、困った事が起きた。それは、女が、自分の名前も住所も過去も、全ての記憶を喪失してしまっていた事だった。勿論、交通事故が原因である。持ち物の中にも、身元が分かるような物は、何も無かった。この事故がきっかけとなり、井川の女が記憶を呼び戻までの七日間のロマンスが始まるのです。なかなか記憶が戻らない女の姿がもどかしく、井川が、少しずつ女に好意を寄せていく姿が絶妙に書かれています。この女は、前半で伏線として登場しているのも巧妙です。森村氏は、恋愛小説作家では無いので、ラストは悲劇で終わりになっています。 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本書は、1976年5月に新潮文庫から初出版されたものです。収録作は、すでに発表されたものを再編集したものです。その後、角川文庫、中公文庫から再出版されています。表題作以外に「肉食の食客」「七日間の休暇」は、秀逸です!2015/1/30角川書店からkindle化されました! 「鳩の目」 信州野沢温泉に鳩車という民芸品がある。アケビの弦で細工したもので、民芸品マニアには人気の工芸品である。地元で鳩爺と呼ばれる高野平作でも、一日に二個くらいしか作れない。そのため、注文を受けてからお客の所へ届くまで三~四ヶ月もかかっていた。平作は、ある時、ミスに気が付いた。最近作った一つに、鳩の目を付け忘れた物があったのだ。慌てた平作は、十日ほど遡り、お客に盲鳩だったら、作り直すからと手紙を書いた。すると、すぐに津上富枝というお客から盲鳩が送られてきた。二個買ったうちの一つだと言う。平作は、それに目を付け、お土産を添えて送り返した。とこが、また数日して二個目の盲鳩が送られてきたのだ。目の数は、鳩車の数しか用意していない。おかしいと思ったが、それも修理して送った。一週間ほどして、テレビを見ていた平作は、驚いた。初めの盲鳩を送った、津上富枝の死体が山林で発見されたのだ。犯人は、富枝が盲鳩を送ったことを知らなかった。犯人は、富枝の平作からの手紙を読んだのだ。そして、もう一つの鳩車の目を、取り去って送ったのだ。二個目の盲鳩の送り先が、犯人がいる場所の証明になるとも知らないで。 「異常の太陽」 警視庁の刑事、砂本が、子供の参観日に小学校へ行った時、教室に貼られた絵の中に、奇妙な絵があるのを見つけた。紫色で荒れた海を描き、その上には、大小ふたつの太陽が描かれている。描いた子供の名前を見ると、管内の殺人事件で殺された、男の息子だった。興味を持った砂本は、担任に頼んで、子供が描いた十枚ほどの絵を見せてもらった。すると、古い方から順に、異常な配色だった絵が、最近になると、普通の子供が描く平凡な絵に変わっていくのが分かった。そこで、砂本は、子供の絵に現れる色彩と出現位置によって、精神状態を研究した“アサリ式診断法”を学ぶ。そして、殺された父親に、隠された醜い部分があった事を発見するのだ。この話の悲しいところは、砂本の息子の絵を診断したところ、全く子供や妻の不満を読み取れていなかった事を知ってし、家族が崩壊するラストになる事だ。 「赤い蜂は帰った」 蜂の帰巣能力を研究している吉木が、実験蜂を放すため山中に向かった。実験蜂は、胸から腹部に赤い目印が付けられた。今回、放された蜂は、二十匹だったが、そのうち十九匹が巣箱へ戻った。ところが、山中へ向かった吉木が研究室に戻らなかった。警察と大学の混成部隊によって、周辺の捜索を行ったところ、山道から何かが滑り落ちた跡が見つかった。草を薙ぎ倒し、落ちて行ったと思われる所を調べると、そこに吉木の持って行った、蜂の運搬袋が落ちていた。ところが、その周囲をいくら探しても、吉木の姿は、発見されない。この事件は、巣箱へ帰らなかった赤い目印の付いた一匹の実験蜂が解決する。 「残酷な視界」 志賀邦枝は、寂しさを紛らわすため“裏窓遊び”という遊びを考え付いた。邦枝は、三十二才、大手デパートの電話交換手をしていた。婚期を逃したハイミス。アパートの自室に帰っても、誰も待っている人もいなければ、誰かの為に、してあげなければならない事も無い。そこで、考えついた遊びが、倍率の高い双眼鏡を使い、他人の家の平和そうな生活の内幕を覗くことだった。邦枝のアパートがちょうど良いことに高台にあったことも幸いした。見られた方は気が付かないが、生活の中に土足で踏み込む事に異常に興奮した。この日は、なかなか寝付かれないで、いつもの様に双眼鏡を持って外を覗いた。十一時近かったので、どちらの家もカーテンを閉め、電気を消している部屋が多かった。その中で、まだ、煌々と輝いていたのが、最寄りの私鉄線の駅舎だった。ホームに照準を合わせると、酔っ払いが歩をふらつかせながら歩いている。危ないなぁと思いながら見ていると、横から別の男が飛び出してきて、その酔っ払いをホームの下へ突き落してしまった。そして、時刻通り到着した列車によって引き殺されてしまうのだ。驚いた邦枝だったが、もっと驚いた事があった。それは、突き落した男と、双眼鏡越しに目と目が合ってしまった事だ。相手の男は、突き落した事を、邦枝に見られたのを知った。その男は、窓の位置から、何階の何番目の部屋かを知る事が出来る。と言う事は、その男が邦枝の口を塞ぎに来ることが予想される。だが、邦枝は、その男のことが全く分からなく恐怖に怯える。 「肉食の食客」 私は、叔父の新吉から、その話を聞いた時に、面白い話だなと思った。だが、その話が、永尾家三代を滅ぼす話だと分かったのは、新吉に殺意を抱いた時だった。新吉は、暇があると蟻ばかり眺めていた。蟻の国の食客の話をしてくれた。蟻は、巣の中に、アブラムシやカイガラムシを同居させているのだと言う。彼らは、蟻の国に居候して食物を貰い、代わりに、外敵から蟻を保護していた。また、彼らの触角から、蟻の好きな汁(ジュース)を出す。それが、蟻のミルク代わりになって、蟻も好んで招き入ていた。だが、シジミ蝶というのがいて、それは、今まで草を食べていたが、蟻の巣に入ると、化けの皮を剥がして、蟻の幼虫や蛹(さなぎ)を食べ始めると言うのだ。蟻もバカだねぇと言う話だった。新吉は、私の叔父だが、父とは、母親が違う。祖父が、下女のうたに産ませた子供だった。うたは、小作農の娘で、樽の様に太った女だった。その、うたに、祖父が手を付けたのだ。うたは、直ぐに生家へ返されたが、祖母は、由緒ある永尾家の血筋が入った新吉を、次男、父の弟として育てたのだ。永尾家の血を引き継いだ者たちは、一流と言われる大学を卒業して、名の通った企業に就職した。医師や弁護士になった者もいる。だが、新吉は、辛うじて金の力で大学こそ卒業したが、その後は、働こうともしなかった。無理矢理、縁談を持ち掛け、家庭を築けば、働き出すだろうと考えた父だったが、女は、必要無いと言う始末だった。無為徒食。為すすべき事をしないで遊び暮らしていた。暇な時は、蟻を見に行くのが楽しみの様だった。父も、金には、余裕があったので、敢えて厳しい事を言わなかった。ところが、あろうことか、ある日、新吉と母が、駆け落ちしてしまったのだ。祖父を盗んだ女の息子が、私の母を盗んでしまった。いつから、二人の関係が有ったかは不明だ。だが、以前、女は必要無いと言っていたのだから、その時は、すでに二人の関係は有ったのかもしれない。父は悲しみ、憤ったが、二人を追うことはしなかった。それから、父と私だけの生活になってしまった。父は、母が去ってから、よほど堪えたらしく、体の衰えは隠し切れなかった。父が死んだのは、私が妻と結婚してから、半年ほど後のことである。こうして、代々続いた永尾家は、私と妻だけになってしまった。私の勤めは、精密機器のメーカーの大手である。会社からも認められ、科学計測器の一部門のチーフとして、東南アジア地区を任されていた。妻との仲も円満で、結婚二年目に長男が生まれた。父は、亡くなる前、私のために家を建ててくれていた。また、受け継いだ家督も、近年の土地ブームで値上がりして、三億を超える評価があった。母に捨てられ、父を亡くしたが、私の人生は、順風満帆であった。だがある晩、仕事を終えて自宅へ帰り、ドアーを開けると見慣れない靴が有るのに気が付いた。私の留守中に、妻が誰かを招じ入れたのかと不審に思った。良く見ると、ビールが出されていた。妻が小料理を作ったのか、気持ち良くビールを飲んでいる。余りにも、みすぼらしい風体に訝しく思ったが、良く見てみると、それは、母を奪い蒸発した新吉叔父だったのだ。妻も、叔父の存在は知っていて、断り切れず、部屋に通したのだ。この時、私は、新吉から聞いた、蟻の国に入り込み、蟻の幼虫やさなぎを食べてしまう、シジミ蝶の話を思い出したのである。殺意が確定した瞬間だった。 「奔放の宴」 朝川好郎と昌子が、結婚したのは二年ほど前。朝川は、かなり名の通った一流会社に勤務し、平均的なサラリーマンより良い待遇を得ていた。昌子とは、会社の同じビルで知り合い、半年ほど交際して結婚したのだ。新家庭の生活資金には、困らないので、共稼ぎを嫌う朝川の希望で、昌子には勤めを辞めてもらった。昌子は、さして美人ではないが、胸や腰は、豊満で、いわゆる男好きのするタイプの女だった。最近になって朝川は、昌子の異変に気付き、不審に思い始める。それは朝の恒例行事“朝の接吻”に変化が表れたからで、更に、夫婦の“夜のサイン”も送ってこない。昌子に聞いても、何でも無いと答えるばかりで、ハッキリしない。朝川の胸に、疑いが萌し始める。それは一度、疑い出すと積雲のように発達してしまうものだ。会社に行ってから、他の男と痴戯に浸っているのではないか?結婚した時、昌子は、処女ではなかったのではないか?など空想による猜疑の種は、大きくなるばかりだ。結婚前は、妻の処女性には、こだわらないつもりでいた。ところが、毎夜生活を共にしているあいだに、閨房において朝川に対する奔放な姿態を、過去の男にもしていたのかと考えると、屈辱的な瞋恚が膨らんできた。心の中で疑惑は巨大になる。風船なら破裂するが、こればかりは、破裂することを知らず、日に日に巨大化していく。朝川は、耐えられず、会社関係で縁故の興信所に調査を依頼した。これが間違いだった。最後に「俺は、妻のとんでもない過去を、ほじくり返してしまった」と、後悔するが、もう戻れない。知らぬが仏と言う言葉がある。 「七日間の休暇」 井川賢の生涯を綴った物語。前半と後半で二つの話になっています。井川には、父親がいなかった。母親のマサが、女手一つで井川を育てていたが、とても貧しかった。雑役婦や家政婦といった仕事では、社会で生きていくための十分な収入は得られない。幼少期の貧しい思いは、そのまま社会へのコンプレックスになった。学校へ通うのも、職に就くのも放擲した。日雇い仕事で賃金を得たが、金のあるうちは、働かない。無くなったら、又、働けば良いくらいに思っていた。責任も思考も要求されない日雇いの仕事。そんな生き方が、北川は、適した生き方だと思った。だが、十九才の時、北川に転機が訪れた。それは、昔、飯場で一緒に働いたことがある“サキ”と再会した事である。“サキ”と呼ばれていただけで、正確な名前は知らない。“サキ”は、当時の様子とは違っていた。健康そうに日灼けして、スーツを着ている。金もかかっていそうだ。“サキ”は、井川の身なりを見て、新しい仕事を井川に紹介した。井川は、“サキ”の変身ぶりから、裏社会に潜む仕事ではないかと訝しく思うが、“サキ”の言った事は、全く違っていた。それは、米軍の戦略物資輸送船の乗組員として働く事だった。話は、ベトナム戦争が起きていた時代の話だ。ベトナムへ戦略物資を運ぶ船に乗り込むのだ。給料は良い。一回の渡航で六十日。七日間の休暇をとって、二回目の航海に乗り込む契約をすれば、給料は、五割り増しになった。食事は、三食保障される。着る物も制服を与えられるので困らない。元々、社会に背けていた北川だったので、この新しい世界に興味を持った。“サキ”と共に、ベトナム行の船に乗り込んだ。ここまでが、前半の話。珍道中の話が、ユニーク。井川は、一回目の六十日の航海を終えて、日本に帰って来た。今まで持ったこともない大金を持って。横浜港に着いて、東京に出た。井川には、ある目的があった。それは、東京に聳える超高層ホテルの最上階に泊まる事だった。船旅で狭い船員ベッドで何日も寝ているうちに、両手両足を真っ直ぐ伸ばして寝てみたいと思った。それも、最高級ホテルのベッドで。金は、持っている。日雇い時代は、それらのデラックスホテルは、別世界の物だと思っていた。でも、今は違う。ところが、ホテルへ着いて宿泊を頼むと、満室だからと言って断られてしまった。それも、そうだ。予約も無しに、いきなり泊まれない。また、洗練されたスーツやドレスを着ている、ホテルの客たちとは、まだまだ身なりも異なる。別のホテルを探しても、又、同じ様な屈辱を味あわされるのは、耐えられない。失意のうちに夜の都心を行く当ても無く歩いていると、運も悪く雨が降ってきた。その時である、一台の車が雨の飛沫を弾きながら飛ばしてきたのだ。雨の夜にスピードを出して走る車に、憎しみの目を向けた。すると、その車の前に黒っぽいレインコートを着た女が、傘を傾けて道路を横断してきた。車は、ブレーキを掛けたが間に合わない。凶暴な獣が無抵抗の獲物に突っ込んで行った。悲鳴と物体のぶつかり合う無残な音がした。女は跳ねられた。ところが、車は、その機動性に物を言わせ、闇の中に遠ざかってしまった。轢き逃げだ。犯人を逃してしまったので、井川は、被害者の方へ駆け寄った。意識の無い被害者を抱き上げ、頬を軽く叩くと気が付いた。意識は戻った、だが、驚く事に、女はどこにも怪我が無いと言うのだ。それは、奇跡的に良かったのだが、困った事が起きた。それは、女が、自分の名前も住所も過去も、全ての記憶を喪失してしまっていた事だった。勿論、交通事故が原因である。持ち物の中にも、身元が分かるような物は、何も無かった。この事故がきっかけとなり、井川の女が記憶を呼び戻までの七日間のロマンスが始まるのです。なかなか記憶が戻らない女の姿がもどかしく、井川が、少しずつ女に好意を寄せていく姿が絶妙に書かれています。この女は、前半で伏線として登場しているのも巧妙です。森村氏は、恋愛小説作家では無いので、ラストは悲劇で終わりになっています。 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