凶学の巣
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「凶学の巣」 東京下町の飲食街や遊戯場やラブホテルなどを多く抱えるS区の公立中学校で起こった、不良生徒による校内暴力と、不良女子中学生が殺害された事件を扱った作品。元々、S区は、地域の環境が悪く、非行少年の発生率が高い地区だった。非行化の原因としては、社会的要因と心理的要因が考えられる。一般的なものとしては、家庭環境、遺伝的要素、学校不適応、地域環境の四つが挙げられる。S区には、大規模な繁華街があり、ブルーカラー層の住人も多く、それらの要素を、すべて含んでいた。日本は、学歴偏重主義である。義務教育を終え、高等学校、大学校と勉強し、最も成績が良かった者がエリートとなる。それだから、中学校教育として、重要視されるのが、進学率である。有名大学校への進学率が高い高等学校への合格者数が、その中学校の評価となる。成績優秀な生徒を、より高い所へ導くエスカレーターシステムである。生徒を評価する基準は、成績とクラブ活動しか無い。成績が基準に満たない生徒には、ダメレッテルを貼り付けた。それでも、クラブ活動で活躍できる生徒は、まだ、救いがある。クラブ活動で、地域や全国で上位の記録が出せるようであれば、その特技に精進すれば良い。だが、どちらにも属せない生徒は、基準外として、切り捨てられてしまう。勉強には、付いて行けない。スポーツもダメだとなれば、毎日、学校へ来ても、存在すら無視された。そんな彼らの切羽詰まった叫びが、学校内で暴力という行動になって表れるのである。だが、まだ、そういう反乱行為に、自己を生かすための代償を、見つけた生徒はまだ良い。その代償行為を見つけられない生徒は、もはや、死んだのも同然であった。一応、推理小説という形式をとっているが、学歴偏重主義社会への疑問と、その犠牲者となった生徒たちが、細胞の隅々まで充満した、鬱憤を発散させた物語です。 「官僚は落日を見て」 役人の世界には、公然たる身分差別が存在する。それは、キャリア組とノンキャリア組と呼ばれる差別である。前者は、国家公務員の上級試験に受かった者たちだ。多くは、東京大学を筆頭に、名立たる有名大学校の卒業生が、この試験に通過する。キャリア組は、入省して、三年もすれば、課長職を得て、次々とステップアップしていく。ところが、ノンキャリア組は、一生かかっても、その課長職にすら付くことは出来ない。最も良くて、課長の下職の課長補佐である。ノンキャリア組の中里は、運輸省自動車局車両部自動車保安課のスタッフである。中里は、それほど、自分は、悪いポストに就いているとは思っていなかった。地方の陸運事務所に数年いた経験があり、能力を認められて本省へ抜擢されたからである。役所は、利益を上げる必要もなく、どんなに不景気になっても倒産しない。絶対に沈まない親船の上で平穏無事な生活が保障されていたからだ。しかし、出世は望めない、いや、望んではいけないという、前提の上で、その身分が保証されていた。その日は、課長が出張で留守だった。何を思ったのか、今年、上級試験に合格して、入省してきたばかりの、佐木山は課長の椅子に座った。そして、体を動かし、椅子をくるりくるりと回転させた。中里よりも十五才も年下の若者である。彼は、三年もすれば課長職に就くであろう。だが、佐木山は、その時のための練習だと言い放った。それも、ノンキャリア組が多数見ている前であった。さすがに、中里も黙っていられなかった。直ぐに椅子から降りるよう大きな声で注意すると、不承不承椅子から降り、トイレへでも行ってしまった。この事は、ノンキャリア組の間で話が広まった。普段、ノンキャリアとして鬱屈していた者たちから、絶賛され、中里は、一時のヒーローになってしまった。ところが、数日後、その若手キャリアが団地から飛び降りて、自殺してしまったのだ。しかし、現場を詳しく捜査したところ、何者かによって、突き落とされた疑いがでてきた。さらに、中里と佐木山の間にトラブルがあったことを聞いた警察は、中里が、若手キャリアにコンプレックスを抱いたための犯行ではないかと疑った。こうして、今までのヒーローだった中里に対する省内の目が百八十度逆転してしまった。そして、中里は、自分の無実を証明するため、素人探偵となり、事件の真実を追求することになる。この事件が契機となり、中里は、安全安泰の庇護の下から、自由業として飛び立って行くのである。大きな傘から飛び出した清々しい中里の姿がラストにありました。 (付)本書は1981年9月に新潮社から初出版されたものです。1984年には同社で文庫化されています。その後、1995年廣済堂文庫、2000年ケイブンシャ文庫から再出版され、2011年には、中公文庫がkindle化しました。 | ||||
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「凶学の巣」 東京下町の飲食街や遊戯場やラブホテルなどを多く抱えるS区の公立中学校で起こった、不良生徒による校内暴力と、不良女子中学生が殺害された事件を扱った作品。元々、S区は、地域の環境が悪く、非行少年の発生率が高い地区だった。非行化の原因としては、社会的要因と心理的要因が考えられる。一般的なものとしては、家庭環境、遺伝的要素、学校不適応、地域環境の四つが挙げられる。S区には、大規模な繁華街があり、ブルーカラー層の住人も多く、それらの要素を、すべて含んでいた。日本は、学歴偏重主義である。義務教育を終え、高等学校、大学校と勉強し、最も成績が良かった者がエリートとなる。それだから、中学校教育として、重要視されるのが、進学率である。有名大学校への進学率が高い高等学校への合格者数が、その中学校の評価となる。成績優秀な生徒を、より高い所へ導くエスカレーターシステムである。生徒を評価する基準は、成績とクラブ活動しか無い。成績が基準に満たない生徒には、ダメレッテルを貼り付けた。それでも、クラブ活動で活躍できる生徒は、まだ、救いがある。クラブ活動で、地域や全国で上位の記録が出せるようであれば、その特技に精進すれば良い。だが、どちらにも属せない生徒は、基準外として、切り捨てられてしまう。勉強には、付いて行けない。スポーツもダメだとなれば、毎日、学校へ来ても、存在すら無視された。そんな彼らの切羽詰まった叫びが、学校内で暴力という行動になって表れるのである。だが、まだ、そういう反乱行為に、自己を生かすための代償を、見つけた生徒はまだ良い。その代償行為を見つけられない生徒は、もはや、死んだのも同然であった。一応、推理小説という形式をとっているが、学歴偏重主義社会への疑問と、その犠牲者となった生徒たちが、細胞の隅々まで充満した、鬱憤を発散させた物語です。 「官僚は落日を見て」 役人の世界には、公然たる身分差別が存在する。それは、キャリア組とノンキャリア組と呼ばれる差別である。前者は、国家公務員の上級試験に受かった者たちだ。多くは、東京大学を筆頭に、名立たる有名大学校の卒業生が、この試験に通過する。キャリア組は、入省して、三年もすれば、課長職を得て、次々とステップアップしていく。ところが、ノンキャリア組は、一生かかっても、その課長職にすら付くことは出来ない。最も良くて、課長の下職の課長補佐である。ノンキャリア組の中里は、運輸省自動車局車両部自動車保安課のスタッフである。中里は、それほど、自分は、悪いポストに就いているとは思っていなかった。地方の陸運事務所に数年いた経験があり、能力を認められて本省へ抜擢されたからである。役所は、利益を上げる必要もなく、どんなに不景気になっても倒産しない。絶対に沈まない親船の上で平穏無事な生活が保障されていたからだ。しかし、出世は望めない、いや、望んではいけないという、前提の上で、その身分が保証されていた。その日は、課長が出張で留守だった。何を思ったのか、今年、上級試験に合格して、入省してきたばかりの、佐木山は課長の椅子に座った。そして、体を動かし、椅子をくるりくるりと回転させた。中里よりも十五才も年下の若者である。彼は、三年もすれば課長職に就くであろう。だが、佐木山は、その時のための練習だと言い放った。それも、ノンキャリア組が多数見ている前であった。さすがに、中里も黙っていられなかった。直ぐに椅子から降りるよう大きな声で注意すると、不承不承椅子から降り、トイレへでも行ってしまった。この事は、ノンキャリア組の間で話が広まった。普段、ノンキャリアとして鬱屈していた者たちから、絶賛され、中里は、一時のヒーローになってしまった。ところが、数日後、その若手キャリアが団地から飛び降りて、自殺してしまったのだ。しかし、現場を詳しく捜査したところ、何者かによって、突き落とされた疑いがでてきた。さらに、中里と佐木山の間にトラブルがあったことを聞いた警察は、中里が、若手キャリアにコンプレックスを抱いたための犯行ではないかと疑った。こうして、今までのヒーローだった中里に対する省内の目が百八十度逆転してしまった。そして、中里は、自分の無実を証明するため、素人探偵となり、事件の真実を追求することになる。この事件が契機となり、中里は、安全安泰の庇護の下から、自由業として飛び立って行くのである。大きな傘から飛び出した清々しい中里の姿がラストにありました。 (付)本書は1981年9月に新潮社から初出版されたものです。1984年には同社で文庫化されています。その後、1995年廣済堂文庫、2000年ケイブンシャ文庫から再出版され、2011年には、中公文庫がkindle化しました。 | ||||
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子どもが描く絵画には、その心理が表れる、とされることに着目して構成。 それにしても、校内暴力で、中学校の生徒が暴力団や暴走族並みに (としたら、物語の中学生よりは、社会性がある、とでも反論されそうだが) 暴力で支配するようになっていた、としたら、 女性教師は、安アパートに住むだろうか…実家から通えないにしても、 学校から離れたオートロックの集合住宅を選ぶのが、95年当時でも常識ではないだろうか。 生徒が暴徒と化している中学の教師であれば、尚更だ。 男性教師の妻は、生徒を簡単に家に入れるだろうか…学校を荒廃させた元凶の生徒であり、 かつ少年鑑別所から逃げ出している事実があるのに、昭和でもあるまいし夜に生徒が来たら怪しむべきで、 簡単に招じるのは、やはり首を大きく傾げる。 さらに、絵画教室で描いた絵を、本人の了承もなく、その実物を心理学の解説書籍に使用する、部分も、 無神経であり、現代ではプランバシーの侵害になる。 事件解決のために、都合良く伏線を配し、それを回収して、犯人逮捕には、興ざめする。 | ||||
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森村誠一の傑作の一つだと思います。 ときは1980年代、舞台は都内の公立中学校。 当時僕は地方の一中学生だったが、やはり近くの中学校が荒れ気味で、 学校間暴力なる現象もみられ、ある学校の一部グループと他の学校の一部グループが、 闘争状態になることがままあり、校内指導は強化される一方でした。 裏地がワインレッドの学ランなどが、半ば公然と生徒間で取引され、 土管のように太いズボンや、軽いリーゼントのチリチリ頭も身近にみられました…。 東京では、ちょうどタケノコ族らが踊り狂い、かのロックシンガー尾崎豊がデビューした頃のことです。 そんな折に、この小説はものされたわけで、 大筋は、過去に母親の三角関係からちょっとした殺人を犯してしまった担任樹木豹が、 番長格牛山率いる不良グループにいた舟木エリなる女生徒(そのおじが経営する出版社でたまたま入手した児童画集の中に、 樹木の幼年期の絵が数点あり、その色彩変化から心境の変化、新聞のべた記事となった殺人事件とのかかわりを見抜いてしまう。) に尻尾を掴まれたことから、これも牛山の三角関係を機に勃発したエリへの暴行事件に止めを刺してしまうのです(2件目の殺人)。 結局牛山にアリバイが成立したことから、真犯人は樹木を含むということになるわけだが、 本作の面白いところは、樹木が時効となりつつあった過去の殺人を隠す必要性が生じたために、牛山一派の仕業に偽装しようとしたが、 牛山らが当時逆に樹木宅で物色していてアリバイ(証言は奇しくも樹木の妻による親告)があるという一点によって、 打ち消されてしまう点にあると思われ、そこから遡って話がつながってゆくという背理的転回が印象的です。 偶然の重なりが皮肉にも真相を規定してしまうプロットの紛れなさや、 青年期の心理的脆さと、心象形成の危うさがオーバーラップしている点でも読み応えのある作品だと思います。 本作でもやはり刑事(デカ)の勘がポイントになりますが、教育問題と掛けた点は本作ならではで、 よくある刑事ドラマ+α。社会派心理サスペンスとしても楽しめましょう。 | ||||
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荒れる学校、器物損壊…。80年代学校は不良少年たちにジャックされていた。 都内S区の公立中学校を舞台としたこの作品は、幼少時に古傷を持った男性教諭樹木が受け持つクラスで、番長格の少年牛山と交際していた舟木エリ殺しをめぐり、捜査線上に意外な人物が浮かんだ。犯人探しというよりは、描いた絵の色彩変化に注目した児童画研究という心理的方法から、かつて密かに発生していた中年男性殺し事件との接点を見つけ、当たりをつけてゆく捜査の進め方が興味深い。 「学校に警察を入れるな」とは、世間体を気にする学校側の論理だが、このころの学校は様相が違い、各地で盛んに警察沙汰が起きていた。刑法犯には満たない少年犯罪の処遇をめぐって、最も社会的な議論が高まった時期でもあるので、この作品はまさに時宜を得たもので、学校教育に一石を投じた問題作と思われる。実際その後もK市の少年Aによる連続児童殺傷事件など、時折不可解な少年がらみの犯罪行為が世間を騒がせてきたが、担任教諭まで巻き込んだ、都合2つの三角関係をバックに、殺人のシナリオと捜査の決め手を複線的にプロットしてゆくあぶり出しは、森村氏らしいもので、展開の鋭さが際立った作品でもあり、十分読み応えはあると思う。 | ||||
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