海の牙
評判
海の牙の評価:
3.71/5点 レビュー 7件。 C ランク
Amazonレビュー一覧
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全3件 1〜3 1/1ページ
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海の牙の評価:
3.71/5点 レビュー 7件。 C ランク
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小説の詳細ページを閲覧すると、ここに履歴が表示されます。最近閲覧した小説詳細ページへ簡単に戻る事が出来ます。
1960年4月に上梓した社会派推理小説であり、
探偵作家クラブ賞を受賞しています。
後の1997年12月、読売新聞社から
「シリーズ/戦後ニッポンを読む」の一冊として
再刊されたのが本書です。
このシリーズの「監修・解説」を担当されたのは
評論家・佐高信氏です。同シリーズには例えば
『夢千代日記』『白昼の死角』『狼煙を見よ』…
などが含まれています。現在の読売新聞社と
首相官邸の距離の近さを考慮いたしますと、かく
の如きシリーズが企画され出版されたこと自体、
たいへん奇妙に感じます。時代なのでしょう。
「ネタバレ」にならない範囲で、本書の舞台設定
を軽く説明しておきます。
時は1959年秋。所は熊本県の最南端、鹿児島県
との県境に位置する「水潟(みながた)市」。
水潟駅の真ん前には軍艦のように巨大な
「東洋化成工業水潟工場」が屹立しています。
硫安、塩ビ(塩化ビニール)、酢酸、可塑剤
(おおむねプラスティックのことです)などを
生産していました。街にはカーバイド残滓の臭い
が充ち充ち、工場排水は排水口からそのまま海に
流されていました。排水口に近い湾には
ドベ(海底泥土)が3メートルも沈殿しています。
排水口付近の漁民を中心に、後に「水潟病」と
呼ばれることになる、原因不明の病気が発生した
…というのが舞台の背景です。
水潟市の患者さんの惨状を憂慮した、東京の
保健所に勤務する医師・結城宗市(31)は、
患者さんに直接会い、病状を記録し、原因説で
騒がれている東洋化成工業の工場の排水路を
実際に見たいと決意します。勤務先から休暇を
もらい、東京から水潟にやって来ます。
しかし結城宗市は行方不明となり、山林で
白骨に近い死体となって見つかります。
警察に捜索願を出していた妻・結城郁子も東京
から水潟市にやって来ます。
県警水潟署の刑事主任・瀬良富太郎・警部補と
同署の嘱託医で、外科開業医の木田民兵の2人
が本書の主人公であり、殺人事件の捜査に当り
ます。果たして犯人は?単独犯か?複数犯か?
動機は?…と展開していきます。
探偵作家クラブ賞を受賞していますが、正直、
推理小説としては失敗作であろうと思います。
登場人物が必要以上に多く、筋(プロット)が
太くないだけでなく、ドタバタ劇と貸している
点が残念です(あくまで私見です)。
水上勉自身も、推理小説よりは人間を書きたいと
いう意欲が強かったため、純粋な推理小説から
一般の小説へとシフトして行きました。
本書の価値は推理小説である点にはなくて
1959年の実際の水俣市(水潟市ではなく)を
水上勉が見て、取材し、(後の)水俣病は
「企業による殺人である」と旗幟鮮明にし
小説という形で、最も早く、発表したことです。
佐高信氏による解説によると、水上勉はたまたま
NHKのテレビ番組を見ていて、水俣病を知り、
現地に飛んで、「この世の地獄をはい回る」かの
如き患者さんたちに衝撃を受けて、本書を執筆
した由です。推理小説家としてよりも人間として
突き動かされるものがあったのでしょう。
よく知られているように
水俣病の公式確認は、1956年5月1日です。
同年の1月23日、石原慎太郎が「太陽の季節」で
芥川賞を受賞、
同2月24日、ソ連ではフルシチョフが党大会で
スターリン批判の演説を実施、
同7月17日、経済白書が「もはや戦後ではない」
と述べました。実はこのコトバの真意は
「もはや戦後復興という、頼るべき材料がなく
なってしまたので、経済という点からはむしろ
厳しくなるぞ」という悲愴?なトーンだったと
されます。しかし結果として、高度経済成長が
成されたため、今となっては明るいトーンで
語られるようになってしまった現状です。
その高度経済成長における、石炭化学から
石油化学への転換という国の政策下にあって
スクラップにされてしまった石炭化学が
健康にも環境にも人権にも配慮することなく
利益優先でフル操業した結果、発生したのが
水俣病でありました。
「もはや戦後ではない」と国が宣言した年に
水俣病の公式確認があったのは偶然ではないの
かもしれません(戦前の植民地政策の総決算
でもありました)。
なお「太陽の季節」が出版されたのを評して
作家・開高健は「あの本が出たときに戦後が
終わったと感じた」と書いています。
本書の舞台である1959年7月
熊本大学の研究班は「水俣病の原因は有機水銀で
あろう」と正式発表します。それに対し
新日本窒素肥料(後のチッソ)株式会社は
「うちは無機水銀は流しているが有機水銀は
流していない」とシラを切り、責任逃れをして
いました。これはウソでした。後の1963年
熊本大学研究班が「チッソ水俣工場の酢酸製造
工程から直接採取した水銀滓の中から
有機水銀化合物を検出した」からです。
繰り返しますが1959年は、国と企業による
水俣病の「幕引き」を企図した出来事が3つ
ありました。
①厚生省食品衛生調査会水俣食中毒特別部会の
代表である熊本大学前学長が「水俣病の主因は
ある種の有機水銀である」と答申しました。
しかし通算大臣だった池田勇人が「有機水銀が
工場から流出したとの結論は早計だ」と反論、
そのため上記の答申は閣議で了解なされず、同
部会は解散となってしまいました。要するに
高度経済成長のためには工場を止めるなんて
ありえない…が国の方針でした。
②水俣工場にサイクレーターと呼ばれる装置が
できました。当時の社長がコップに汲んだ水を
飲んでみせました(パフォーマンスです)。
そもそもこの装置は水銀除去には何の役にも
立たないものでした。
③県知事らによって構成される「不知火海漁業
紛争調停委員会」による、漁民への漁業補償と、
水俣病患者家庭互助会への「見舞金契約」です。
この「見舞金契約」は経済的に困窮していた患者
さんや家族の足元を見た、非道かつ非情な水準の
ものでした。これが「公序良俗に反している」と
裁判所によって糾弾され、無効となるのは14年も
後のことでした。
上記のように、水上勉の意志とは正反対に
本が上梓された1960年以降、水俣病の患者さん
や家族たちは、厳しい冬の時代に突入します。
なぜなら国や県や企業により意図的な「幕引き」
が図られたからです。1963年には熊本大学
医学部第一内科の助教授が、論文の中で
「水俣病も昭和36年以来、新患者の発生をみず
漸く終息した様である」と書いたほどです。
水俣病問題に再び日が当たるのは、1965年の
新潟水俣病の公式確認です。
従って1964年、1回目の東京五輪で、日本中が
沸いていたころ、水俣病の患者さんたちは、最も
深き苦しみの淵の最深部に沈んでいました。そこ
には陽もささなかったようです。戦後の復興と
ともに語られる、1回目の東京五輪ですら、実は
深き闇と影の上に成り立っていたのでした。