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輪違屋糸里
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輪違屋糸里の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.31pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全61件 41~60 3/4ページ
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最初に小さな女の子が、島原につれてこられる場面で涙をさそい 次には島原の太夫の道中の瞬欄な画面に展開します。 この様子が華やかで、まるで映画でも見ているように描かれていています。 新選組の強面たちと、宿舎にわりふられてしまった壬生の郷士の女房たち 愛人となってしまったお梅、そして島原の天神 と、それぞれが告白するような形で一人称で語られていく様子が臨場感があって 面白く読み進むことができます。 | ||||
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タイトルにもなっている輪違屋の糸里や新撰組が屯所とした八木邸のおまさ、前川邸のお勝ら、女性の視点を中心に描いた新撰組です。特に単なる悪役として扱われがちな芹沢鴨、新見錦、平山五郎の人物像が新鮮で、思わぬ一面にハッとさせられるものがあります(悪役のイメージがありますから、思わぬ一面は良い意味で、です)。純粋な美少年と描かれがちな沖田にしてもお調子者で描かれていて、こちらも面白い。 女性の視点を中心にしていることから、刀と刀がぶつかり合う戦闘シーンというのはほとんどありませんが、芹沢一派を暗殺するまでの心理描写、駆け引きが巧みに描かれていて、物語に引き込まれます。結末は分かっていても、死んで欲しくないと思ってしまうんですよね…。 新鮮で、とても魅力的な新撰組の小説になっていると思います。 | ||||
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凄くおもしろかった!「壬生義士伝」がすごくよっかたから、もしハズレだったらやだな〜と思ってたけど・・やっぱ浅田さんは凄いなぁ〜。 「壬生義士伝」では新選組の哀しさとか美点(?)の方が強調されていたけれど、こちらでは新選組の矛盾とか歪みが浮きぼりにされていて、よりはっきりと新選組という組織の姿が見えたし、今までの小説で描かれていていた新選組隊士とはちょっと違った新選組隊士が新鮮でおもしろく、特に独裁者でともかく悪、じゃない芹沢鴨とか、さわやかで近藤・土方を無条件に慕う、んじゃない沖田は他の小説にはないリアルさ、人間臭さがあって、確かに本物はこんなんだったかも・・なんて思えた。また、私は女性だから作品中の女性達からの視線には共感できる所も多々あって・・・あれ!?浅田さんは男性だよね? また浅田版新選組が読みたい!今度は〜・・山南敬介脱走とかをネタにしたり!笑 今度も浅田さんの作品チェックを続けます!! | ||||
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淺田次郎による「新撰組」もの。 私にとつては、2002年に讀んだ「壬生義士伝」以來になる。 「壬生義士伝」では吉村貫一郎が、既成概念としての「新撰組」へのアンチテーゼとなつてゐた。 本書では、さうした存在は登場しない。 しかし、それでも從來の「新撰組もの」とは一線を劃してゐる。 それは何故か。 ひとつには、新撰組の外部からの視點、それも女たちの視點で新撰組を描いてゐること。 壬生の八木家の女房、おまさ。 八木家の分家・前川家の女房、お勝。 芹澤鴨の愛人、お梅。 そして、島原遊廓・輪違屋の藝妓、絲里。 この小説では、芹澤鴨が輪違屋の大夫、音羽を無禮打ちに切り捨てる場面から、物語が進行し始める。 音羽大夫は絲里をかはいがり、育て上げた大夫なのだが、その死に際して絲里に、云ふのであつた。 「だあれも恨むのやない。ご恩だけ、胸に刻め。ええな、わてと約束しいや」 この言葉が絲里のこころに染み入り、その後の絲里の行動を規定してゆく。 土方へ寄せる思ひから、芹澤斬殺に一役買ふことになつてしまふ絲里。 そして、そのことが成就したあと、土方が絲里に云ふ。 「俺は國に歸つて百姓をやらうと思ふ。一緒に來てくれまいか」 この言葉がどれほど絲里のこころを鷲掴みにしたか、想像するに難くない。 しかし、絲里は云ふのだつた。 「わてはわてにしかできひん生き方をしまつさけ、土方はんもさうしとくりやす。あんたはんは立派なお侍や」 「立派なお侍」、土方が命をかけて求め續けたのは、これであつた。 そして、土方は、こののちも、絲里の云ふ通りの生き方をしてゆくことになる。 男と女。 まつたく違ふものの見方をし、まつたく違ふ行動樣式をもつ、そんな2つの生き物が、お互ひを認め合ひ高め合ふ。 なんとも見事な小説ではないか。 さて、もうひとつ。 この小説がほかの「新撰組もの」と大きく違つてゐるのは、芹澤鴨の描き方だ。 これまでの「新撰組もの」では、芹澤は豪傑でこそあれ、思慮が淺く、酒を飮んでは町衆に迷惑を掛けるといふ存在であつた。 もちろん、彼の行動は事實として、この作品でも同樣に描かれてゐる。 しかし、その内面は、ナイーヴで花を愛し女を愛する男として描かれてゐる。 また、大和屋燒打事件についても、單なる芹澤の暴擧ではなく、會津藩の重役たちの示唆によるものだと暗示されてゐる。 この事件によつて、會津の藩士たちは歸國を途中でとりやめて京に戻つて來てゐるのだが、この事件は兵を引き戻す口實にするために起されたのではないか。 いはゆる「八月十八日の政変」に備へたものだといふ解釋がなりたつ。 もし、さうだとすれば、從來の芹澤鴨像は根柢から覆へることになる。 近藤勇も大和屋燒打については事前に知つてゐた筈だといふことだ。 そして、その嫌はれ役を芹澤が買つて出たといふことも考へられるのである。 「盡忠報國の士」としての芹澤鴨。 その芹澤を何故、土方たちは斬殺しなければならなかつたのか。 この小説では、その謎解きも興味深い。 しかし、じつは「謎」といふたいさうなものでもない。 土方歳三といふ人間がどういふ人間であるかが明らかになれば、この謎も自づから明らかにならうといふものである。 島原の桔梗屋には、絲里と仲のよい吉榮といふ藝妓がゐる。 彼女は、芹澤と一緒に斬殺された平山五郎の愛人であつた。 そして、平山が斬殺されたその場にゐて、しかも斬殺に一役買つてしまふのである。 死に望んで、平山はかすかに笑つて「おゆき」といふ。 「おゆき」とは吉榮の本名で、吉榮は平山にさう呼んで貰ひたかつたのだが、平山は一度もその名を呼んでくれなかつた。 それが最後の最後に、しかも自分が手引した連中に斬殺されたその時に呼んでくれたのだ。 悲しく、哀しい場面だつた。 かういふ場面を描かせたら、淺田次郎の右に出るものはあるまいと思つた。 | ||||
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まず、真面目な時代劇です。笑える方のパターンの小説ではありません。 新選組を扱ったストーリーの中で、これほど女性を登場させたものはないでしょう。新選組という血なまぐさい集団を描く時、チャンバラシーンをここまで少なくした小説も希有ではないでしょうか。 また芹沢鴨を好意的に扱った本も少ないと思います。それでも芹沢鴨を排除しなくてはならなかった。 そこに関わる女性たちの運命。そして最後に泣かせ。パターンとはいえ、その泣かせに、はまった次第です。もちろん☆5つ。 | ||||
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まだ夜明け前だった日本の、風雲急を告げる京の街で、精一杯生きてそして死んでいった人たちの物語。島原という特殊な世界から出る事も許されないままアゲハ蝶のように色鮮やかに生きた音羽太夫や糸里天神も、幕末の時代に彗星の如く現われおびただしい血煙とともに消えていった新撰組やその隊士たちも、そして穏やかな日常だけを願いながら日々暮らしていた名もなき市井の人たちも、誰もが同一線上の主人公として描かれている。いつの世も、男がいて女がいて、欲があり願いがあり、そして人間はかくも哀しいものかと胸をつかれる。 混乱を極める幕末の京に、新撰組は時代の必然のように上ってくる。局長近藤勇も副長土方歳三も自身で意識する事もできないほど、深く重く武士という身分を渇望してやまない。一方で、時代の移ろいには何一つ関わりを持ちようもない芸妓・糸里は、貧しさから女衒に売られて以来、島原の小さな世界だけで生きている。そして、粗野で厄介者の新撰組隊士たちを養う事になってしまった八木家と前川家の人たちは、ごく普通の町人として歴史の片隅に生を営んだ。慕い、憎み、謀り、愛し、もがき、諦め、そして殺し、それでも時代の輪は決して廻る事をやめない。歴史というのは、光の当たる場所で演じる者たちだけが作り上げたものではなく、名前も残らぬ無数の人々によって、鍾乳石のようにわずかづつ確実に積み上げられてきたものだとしみじみ思う。 私はこの物語を新撰組ものだとは考えていない。特に新撰組だけが物語の中心にデンと据えられている訳ではないからだ。また同時に、輪違屋の糸里も主人公たり得ない。それぞれの身分に身を置く幾多の人々、そして動乱の日々、それこそがこの物語の真の主人公だという気がしてならないのだが・・・。 | ||||
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遅れながらようやく完読しました。 読みながら「何でこんな事に?」と悲しくてやりきれませんでした。 読んでいても、誰一人として間違っていないのです。しかし、みんながみんな少しの歪みに気付かず、結局は芹沢粛清しか方法がなくなってしまう。 女は、自分の幸せの為に運命に精一杯抵抗し、男は、見得と建前で本音を隠し、一度隠してしまった以上、二度と本音はさらせない。 これは、女性の為の新撰組小説の為、男性が読んでも「壬生義士伝」のような感動はないかもしれません。しかし、ひどい時代だからこそ時代に精一杯抵抗した女性陣には拍手を送りたいと思いました。それと同時に、非常に滑稽な新撰組小説としての側面も持ちます。時代と、建前に流され、それに抵抗したが為に、時代の道化となってしまった新撰組の第一歩と。 | ||||
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馴染みの新撰組のメンバーにも負けず劣らず、女性たちが活躍します。それだけに、ちょっと異色の新撰組小説です。 糸里、吉栄、お梅、おまさ、お勝、それぞれが、男たちに負けぬ存在感を示します。 この本の一つの見所、男と女の戦いは、女の逞しさに軍配が上がります。クライマックスでの糸里の啖呵は、読んでいて胸がすーっとします。そして、人間の愛憎から脱却し、芸の道に生きようとする糸里の心意気に胸を打たれます。 もう一つの対立の枠組みは、百姓対武士です。近藤勇派の百姓一派と、芹沢鴨の武士派の対立機軸です。近藤派は、「武士」になれぬ場所で足掻いています。そこを乗り越えるためには、芹沢鴨を打倒せざるを得なかったのでしょう。 この本で、おや!と思ったのは、芹沢鴨の見方です。永倉新八の口を借りて語る芹沢鴨像は、今まで読んできたような「悪人」ではありません。しっかりした考え方を持ったリーダーシップのある人物です。 いろんな意味で、全く新しい「新撰組」は、非常に楽しい作品でした。 | ||||
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新選組、ちょっとかじったことがある人なら、このタイトルにグッとくるはず。 読み始めてみると、スタートから浅田節のオンパレード、正直辟易しちゃいました。 浅田流の芹沢像(酒乱の気はあるものの実は聡明で思慮深い、有名な大和屋焼き打ちも彼の深い思惑によるものだそうな)も個人的には無理があり納得しがたい。 土方・斉藤・永倉・沖田といった値千金のスター達もいま一つキャラが不鮮明、というか壬生義士伝のほどの輝きは感じない。 反対に、平山や平間・新見といった今まで描かれることが少なかった芹沢派隊士の描写は活き活きとしており、印象的。 物語の後半、主人公の糸里はもちろんのこと、桔梗屋吉栄、お梅、前川家のお勝、八木のおまさといったおんな達が紡ぎだしてきたサイドストーリーが怒涛の展開を迎え、一気に芹沢暗殺に向かって収斂していくところは大いに読み応えあり。 文庫版を手にしたあなた、決して上巻で断念することなかれ、だまされたと思って下巻まで読み進めるべし。 そうは言っても、芹沢暗殺後のエピローグでは、またまた始まる浅田節に再度辟易しちゃったんですけどね。 | ||||
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浅田氏の「壬生義士伝」が、新撰組に実際に入っていた男たちの語りや、その 身内の人たちの語りで構成された、内側から描いた新撰組だったのにたいして、 こちらの「輪違屋糸里」は、新撰組たちを寄宿させた町人やその女房、 隊士を愛した女たちなど、外側から見つめた新撰組を描いた作品である。 内と外、表と裏、というか。 土方を一途に慕うが、子ども扱いされているのが悔しい糸里。 隊士・平山五郎と夢のように幸運な両惚れ(両思い)の 間柄の吉栄、という、ふたりの遊女(といっても、吉原のように身体を売るのではなく 芸を売るのが基本らしい)たちや、寄宿先の気丈な女房・お勝やおまさ、 そして、芹沢の愛人で呉服屋の取り立ても自分で行く江戸前の女・お梅。 この5人の女性たちのキャラがすごくたっている。 そして、酒乱で乱暴だけど魅力的なこの物語の芹沢鴨は、浅田初期のヤクザものに 出てくるいい男の系譜に連なるアンチヒーローとして鮮烈な光と存在感を放っている。 「壬生義士伝」のような痛々しさ、せつなさは無いけど、荒々しさと破滅のにおいのする 男たち、彼らを愛する女たちの美しさに酔いつつ読める。 | ||||
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新撰組の物語には珍しく、「芹沢鴨の一味」それも女性の目から捉えた傑作。幕末という男が主役に躍り出ているこの時代を真摯に生き抜いてきた、女性の強さと内に秘めた儚さ、そして誰にも見せない弱さを浅田流の語り口調で切々と書き連ねられています。読む進めるほどに切なく、心に響きます。「だぁれも恨むのやない。ご恩だけ心に刻め・・・」。読破後はこの一言が胸に染み入ります。現代の人たちが無くしてしまった、大和魂と大和撫子の姿がこの物語には溢れています。現代の若い人達に是非読んで欲しい書物です。 | ||||
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司馬遼太郎の「燃えよ剣」でいえば芹沢が切られるまで上巻の半分くらいまでの事を上下巻で書いているだけあってそれぞれの人物の心の中を深く書いていると思う。題名の糸里は京都の島原の太夫の名で土方を愛した女性。長兄が目が不自由だった土方が糸里の視力に気づきメガネを作ってもらう場面がある。見えない方がいいこともいっぱいあったと思う。その他に碧眼の平山の子を身ごもった吉栄、菱屋の妾で芹沢と一緒に殺されるお梅、新撰組に宿を貸していた八木源之丞の妻おまさや前川の勝もそれぞれの立場でこの時代を見てきた女性をえがいている。極悪非道の芹沢を会津の命でしてきたことし、また水戸の兄達が新選組から引き戻そうとした謀を土方らが見抜き、新見切腹へとするあたりは作者の芹沢贔屓が感じられた。 一緒に読んでいる夫が「昔の女の人は可哀相だったね」と言う。切ないと思うことはいっぱいあるが、土方の妻にならずに桜木太夫として生きる道を選んだ糸里、里子の申し出を断り 貧しくても自分で育てようとする吉栄に女の意地を感じた。 | ||||
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芹沢の名は、新撰組の中では悪名として扱われる。 しかし、その真実はどうなのだろう。 古来より、勝者側の視点で歴史は作られた。 大悪人として描かれれば描かれるほど大英雄であるかもしれない。 木曽義仲のように。 芹沢もそうかもしれない。 音羽大夫の斬り捨て。 大和屋へのゆすり。 語られる悪事が、実は別の意味を持つとすればどうなのだろう。 女は知っている。 彼らに抱かれながら真実を知る。 糸里は、真実を知りながら何も出来ない。 男は知っている。 真実を知り、それを知略に使う。 土方は、真実を知り、それを利用し、策略の根をはる。 血の匂いがする。 これから何が起こるのか。 只の史実だけでは終わらない。 もう一つの歴史がここにある。 | ||||
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浅田氏の作品は全て読んでますが、前編の最後では相変わらずの浅田節、涙がこぼれます。」「壬生義士伝」に続きこの作品で知らなかった新撰組の事が多少ながら、見えてきます。良くもまあ、見てきたように書き綴る浅田氏に感服!私の浅田氏の作品の好きな順位は「蒼穹の昴」「壬生義士伝」「椿山課長の7日間」「鉄道員」の次位に好きな作品でした。エッセイ「勇気凛々瑠璃の色」シリーズも大好きですが。 | ||||
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タイトルを見ただけで、“糸里”とは誰なのか分かる人は、 かなりの新選組通と言えるでしょう。 輪違屋は実在の島原の廓で、糸里はその店の天神と呼ばれる妓のことです。 彼女からみた新選組、そして彼女のまわりの妓たちの真実の姿が語られています。 上巻は、糸里が島原に連れてこられ、天神へと上り詰めていった経緯から始まります。 金に困って親に売られた身の哀しさ、無常さ、読んでいる側は物語の最初から心を痛めながらも、どこかに島原の妓の華やかさに憧れを感じてしまう。 幕末の島原は、ただの遊郭であるだけでなく、政治の舞台としても頻繁に活用されていました。 そこで、新選組の登場です。が、どうも何か違う...。 それは、登場人物の描写が、通説のイメージとは異なった、 著者のオリジナリティ溢れるものになっているからでしょう。 新解釈とも言ってよいぐらい、私にとっては目からウロコ状態のストーリーでした。 上巻は、あまりに複数の人々が登場してくるため、少々理解しずらいかもしれません。 しかし、物語を読んでいるとつい偏りがちな視点を、作者は常に複数の登場人物に語らせることによって、一つの物事を更に深く掘り下げて読者に伝えてくれているような気がしました。 上巻の最後まで読んだら、必ず下巻まで読みたくなることは必至です。 | ||||
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陰惨とした話が黒いトンネルのように果てしなく続きます。 その出口で新撰組は芹沢粛正という踏絵を踏まねばなりません。 会津松平公が差し向けた「おまえは侍なのか百姓なのか」という問いです。 しかし本当の踏絵はストーリーの裏側にあります。それは「芸は人の命より尊い」 と言い切り、その言葉通りに生きる芸妓糸里が「あんたはんはほんまの覚悟をおも ちどすか」と読者に差し向ける問いです。踏めなければやるせない想いが残り、踏 むことができれば物語は希望へと昇華するでしょう。 ですからこの物語は万人に向けたものではありません。あえて言うなら作者浅田を 含めた、一流の芸人(knowledge worker)のためのものでしょう。少年漫画をそのま ま文字にしたような女流作品が文学賞を取ってしまう昨今、輪違屋のような作品が 多いに評価されて欲しいものだと思います。 | ||||
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読んでいてホントにそう呟きたくなるほど、物語はどうしようもなく悲しい方へ転がっていきます。時代の波に飲み込まれれていく新選組と、彼らに関わった女たち。誰もが魅力的に描かれています。芹沢一派がここまでフィーチャーされた新選組モノも珍しいのではないのでしょうか。やられたっって感じです。 | ||||
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この時代を女性の視点から書いてありととても新鮮。 不器用だけどまっすぐな男性と芯のしっかりした女性。 最後は切なくて切なくてしょうがかなったけど 何度も読み直したくなる1冊。 女性の方にぜひお勧めだと思います。 | ||||
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途中で読むのをやめようかと思うくらい、悲しかったです。 そう思いながらも彼らがどうなるのか気になって読了しました。 女の人って、男の人にとって、なんなんだろう。 男の人の生き方って、なんなんだろう。と何度も思いました。 「壬生義士伝」は親子の切なさでしたが、今回は男女の切なさです。 好き嫌いはあるでしょうが、私は読んでよかったです。 新撰組の面々が、彼らを取り囲む人々が、 浅田さんの手によって、鮮やかに描かれています。 最後の最後、彼女たちの主張に私はとても救われた気分になりました。 | ||||
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非常に多くの語り手がいて、てんでに少しずつ違う見解をしゃべっている。どれ一つとして的はずれではなく、かつどんぴしゃの正解ではない。叙述的な地の文(客観的な正解を書く部分)が非常に少ない構成でありながら読者が破綻しない。これが浅田次郎の力量ということだろうか。なんだか芥川龍之介の藪の中のようだと思って読み進めていくと、芹沢鴨殺害に向かって流れが急速に集約されていく。さてこのクライマックスの語り手はというと・・・・・。書いてしまうとネタバレなので伏せるが、私にとっては意外な人物であった。壬生義士伝も読み返すと巧いと思ったが、初読では感動が先に来た。今回は「巧い」が先に来たという印象。壬生義士伝とは、題材こそ近いがやはり別物。でも自信を持って人に勧められる本といえる。 | ||||
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