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龍を見た男
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龍を見た男の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.46pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全13件 1~13 1/1ページ
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本作は武家物が少ないですが、最後の『切腹』は読み応えがあって、気持ち良く読破できました。市井物は…う〜ん、飽きちゃうかなぁ…。 | ||||
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日常の何気ない、それこそ人によっては些末と思われることに、生活の楽しみや張りを持つ老夫婦の互いへ情愛。「弾む声」は、細やかに描き切って、読後を和まさせられる。他に「女下駄」「切腹」など、情感豊かな作品が目白押し。 | ||||
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9品の短編集で、よく言えばバラエティに富んでいる、のだけど要はばらばらなんだな。 尻切れトンボで解釈は読者に丸投げの作品もある。 自分が本作品集で一番いいと思ったのは『帰ってきた女』 人をくったようなタイトルで別にストーリーも目新しいものはない。ただ、小説としての小道具の使い方が巧い。 自分は、小説をきらめかせるのは本筋とは関係ないような「ちょっとしたこと」だと思ってる。 ストーリーは忘れたのに、なにかがざらざら引っ掛かって忘れられない小説はきっと読書好きにはあるでしょう? p.31 唖(おし)の男としゃべれる女が普通に会話をしている。女は笑っている。 ---「なんだい、ありゃあ」 ---「音さんと話してるんですよ」 ---「そんあことはわかってらあな」「音吉と話して何があんなにおもしろいのかってことさ」 ---「さあね」「でも、むかしからあんなふうだったじゃないか」 これだけでもう充分。 藤沢周平はちらほらこういう人間の不思議さを散りばめてくるから好きなんだ。 | ||||
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若い介護施設の元職員が障害のある方々を何人も殺めた、などという話を聞くと本当に胸が潰されるような思いになります。 藤沢周平は本書で、生き難い世の中をまっとうに生きる人々の姿を描いています。 『切腹』の榊甚左衛門はすでに交わりを絶った友の窮地にたった一人で助太刀に参じます。 「うわさを聞いた。加勢に来た」 「やめろ」 と助太夫は言った。助太夫の方がうろたえていた。 「手向かえば、おぬしも同罪だぞ。腹切りものだ」 「さればといって、見殺しにしては武士の一分が立たぬ」 甚左衛門はきっぱりと言うと、茫然と立っている作蔵を見た。、、、 見上げた男だったのだ、と助太夫はいまにして思う。甚左衛門はそのとき山浦郷の代官で、藩政の中枢に加わりはじめた能吏だった。その身分と命を、すでに交わりを絶っている旧友のために捨てようとしたのである。 不和なるがゆえにいっそう、見捨てては武士の一分が立たぬと、甚左衛門は思い決めたのだろう。その気持は助太夫にもわかったが、誰にも出来ることでないことも明白だった。 『弾む声』には、縁もゆかりもない売られていった幼い子供に、戸惑いながらも救いの手を差し伸べる老武士夫婦の心の機微が鮮やかに描かれています。 『帰って来た女』に登場する音吉は耳は聞こえますが、話すことができません。しかし、それだからこそ、音吉の真情が親方藤次郎の意地の下に隠れた妹おきぬへの思いやりを引っ張り出します。そして、おきぬを守るためにかなわないことを百も承知で、やくざ者に向かっていく音吉の勇気が読む者の胸を打ちます。 私は人に説教する柄ではありませんし、ましてや教育者などでもありません。しかし、こんな時世だからこそ、一冊の、一編の、藤沢周平を若い人たちが読んでくれることを願ってやみません。 | ||||
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藤沢周平は本書で、生き難い世の中をまっとうに生きる人々の姿を描いています。 『切腹』の榊甚左衛門はすでに交わりを絶った友の窮地にたった一人で助太刀に駆けつけます。 「うわさを聞いた。加勢に来た」 「やめろ」 と助太夫は言った。助太夫の方がうろたえていた。 「手向かえば、おぬしも同罪だぞ。腹切りものだ」 「さればといって、見殺しにしては武士の一分が立たぬ」 甚左衛門はきっぱりと言うと、茫然と立っている作蔵を見た。、、、 見上げた男だったのだ、と助太夫はいまにして思う。甚左衛門はそのとき山浦郷の代官で、藩政の中枢に加わりはじめた能吏だった。その身分と命を、すでに交わりを絶っている旧友のために捨てようとしたのである。 不和なるがゆえにいっそう、見捨てては武士の一分が立たぬと、甚左衛門は思い決めたのだろう。その気持は助太夫にもわかったが、誰にも出来ることでないことも明白だった。 私は人に説教する柄ではありませんし、ましてや教育者などでもありません。しかし、こんな時世だからこそ、一冊の、せめて一編の、藤沢周平を若い人たちが読んでくれることを願ってやみません。 | ||||
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藤沢周平は本書で、生き難い世の中をまっとうに生きる人々の姿を描いています。 『切腹』の榊甚左衛門はすでに交わりを絶った友の窮地にたった一人で助太刀に駆けつけます。 「うわさを聞いた。加勢に来た」 「やめろ」 と助太夫は言った。助太夫の方がうろたえていた。 「手向かえば、おぬしも同罪だぞ。腹切りものだ」 「さればといって、見殺しにしては武士の一分が立たぬ」 甚左衛門はきっぱりと言うと、茫然と立っている作蔵を見た。、、、 見上げた男だったのだ、と助太夫はいまにして思う。甚左衛門はそのとき山浦郷の代官で、藩政の中枢に加わりはじめた能吏だった。その身分と命を、すでに交わりを絶っている旧友のために捨てようとしたのである。 不和なるがゆえにいっそう、見捨てては武士の一分が立たぬと、甚左衛門は思い決めたのだろう。その気持は助太夫にもわかったが、誰にも出来ることでないことも明白だった。 『弾む声』には、縁もゆかりもない売られていった幼い子供に、戸惑いながらも救いの手を差し伸べる老武士夫婦の心の機微が鮮やかに描かれています。 『帰って来た女』に登場する音吉は耳は聞こえますが、話すことができません。しかし、それだからこそ、音吉の真情が親方藤次郎の意地の下に隠れた妹おきぬへの思いやりを引っ張り出します。そして、おきぬを守るためにかなわないことを百も承知で、やくざ者に向かっていく音吉の勇気が読む者の胸を打ちます。 私は人に説教する柄ではありませんし、ましてや教育者などでもありません。しかし、こんな時世だからこそ、一冊の、一編の、藤沢周平を若い人たちが読んでくれることを願ってやみません。 | ||||
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確かな、時代考証、プロッtトの旨さ、なごみ惜しむように、藤沢作品を。又愉しみ、完読。 | ||||
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藤沢作品は自分自身の人生や生き方を考え直すきっかけになります。人間嫌いの私が少しだけ人間もいいなって思えました。 | ||||
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南アジアを貧乏旅行していた頃、デリーの古本屋でこの本に出会いました。以来藤沢周平のファンになり、彼の小説を多く読みましたが、最初の出会いの経緯もあり、今もこの作品が私の「Best of 藤沢」です。 老夫婦が幼い女の子の身を案じる「弾む声」。男が絶望的孤独を選ぶ「遠い別れ」。腕の良い盗っ人が赤ん坊に振り回される「逃走」…etc。 市井物として在り来たりの素材かも知れませんが、それを端正な文章で、余韻響くラストへ導くところに、藤沢の感嘆すべき技量があります。 巻末の「解説」も秀逸です。 | ||||
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タイトルが「龍を見た男」とあって、さっそく表題作をぱらぱらとめくるのだが、語り口が少し荒れている気がする。しかし、そこで閉じてしまうのでは惜しいと思って巻頭作「帰って来た女」を読みはじめると、これが実にいい。 ひとくちに初期の藤沢作品は暗い。これが円熟を加え、周五郎に近い暖かさのようなものが出てくるのだが、本書も「帰って来た女」「逃走」「女下駄」「切腹」にはその味わいがよく出ていて、読後感が心地いい。 反面でストーリーが尻切れとんぼになっていると感じる作品もある。「おつぎ」「弾む声」「遠い別れ」の3作。著者は意図してこの形で終わらせたのだろうが、藤沢ファンとして、残念、食い足りない、のひとことに尽きる。 表題作については、作品世界そのものに、また、作品世界とタイトルの間にひねりが足りないように思われる。とはいえ、ぷつっと切った、突き放したような幕切れはいつもながら見事。まだ続くと思いページをめくると余白しかない、この感触は藤沢作品ならではのもの。 もっとも、かりに僕が編集者なら、「帰って来た」に筆者がかけた二重の意味を尊重して、こちらをタイトルに選ぶ。そうした場合のストレートさを避けたのかもしれないが、それが「龍」を選ぶ理由にはなるまい。 最後に、「帰って来た女」の音吉とおきぬ、それから「逃走」の銀助と赤ん坊の幸せを願いたい。 | ||||
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時代モノの中に、生き生きとした人間模様を描いた良作です。 生きる上で何が大事なのかを考えさせてくれます。 時代を超えて、江戸と東京がつながっている感じがしました。 | ||||
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藤沢周平の短編集。市井の人々の幸せと喜怒哀楽を描いている。 が、市井と言っても武士の話もある。盗賊の話もある。 大概の主人公はいい人なので、何となくハッピーエンドになると嬉しい。 表題作よりも、「逃走」「女下駄」「切腹」が好み。特に「切腹」は隠居した武士が、絶縁状態にあった親友の死に疑問を持って駆けずり回る話で、仲違いしながらも過去何度か互いのために動いたというのが清清しい。 仲がいいのになぜ、と本当に不思議だ。頑固な人たちは困ったものだ。 | ||||
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短編9作品の内、武家もの1作。後は市井もの。 悲しいが最後は“ほろり”とする珠玉品ばかり。 ■ 帰って来た女: 男に誑かされ棄てられた女の話し。辛いけど、最後は微笑ましいから救われます。 ■ おつぎ: これも辛い話し。不幸を背負って突然いなくなった幼馴染の女の話。 「何のことはない、人の幸せとはこういうことをいうのだ」と言う文に納得し、思わず本の角を折ってしまった箇所がある。 また最後の結末、「頼むからあと3行だけ書いて?!」と著者にお願いしたくなった。 「三之助 早く走れ!」と、私は心の中で叫んだ。 ■ 龍を見た男: これも実に悲しい。が、・・ 悲しい事件にあった後、立場が逆転し女房の言いなりで海の守り神を拝みに来た変わり者の漁師。 人間、絶望の底で最後には縋るのは・・・・・。 この短編、著者の文節切替えの上手さに脱帽した。文節が変わった瞬間、「やられたー」と思わず叫んだ。しかし、上手すぎる。 ■ 逃走: こういう人情味のある盗人は大好きです。 最後のシーン、岡引き「まむしの権三」の顔が見たかったなー。 ■ 弾む声: とある役職を、正義感から左遷されご隠居となった主人。その夫婦の楽しみは・・・。 ■ 女下駄: 下駄職人夫婦の物語。「夫婦とは・・」を考えさせられる。 ■ 遠い別れ: 「それなら何故、今頃になって俺を助けようなどと思ったんだ?」「さあ、なぜかしら? 新太郎さんがあたしを捨てた人だからかしら?」 粋でしゃれた会話。思わず本の角を折ってしまった。でも最後は男らしく、粋な別れです。 ■ 失踪: これ面白い。思わず笑っちゃいました。いかにも商人の主人らしい。 自分のボケた親が浚われ、多額の身代金を要求された。それに対し、なんと!この言葉。 「それほどの価値はありません。百両で引き取るくらいならあなた方にさしあげたほうがましだということです。」 思わず内儀も惚れ直した、商人魂。凄過ぎ。 ■ 切腹: この短編9作品の中ではピカ一。これが主題になってもおかしくはないのだが・・。 これは壮大な作品。このまま映画に出来る。 また、「これぞ武士!」という内容。憧れます。 とにかく内容も面白い。 笑っちゃうのは、仲の良い、いい歳の武士がまるで子供の喧嘩で死ぬまで意地を張りとし断絶。しかしそこは同じ道場の両極端な剣士、心の中ではお互いを認め、尊敬しあっている。 意地の張り合いと、友情、嫉妬、尊敬、散りぎわ、そして、寂しさ。 しかし、絶縁の原因が、囲碁の一手の「待て」「待たない」ってのは何度読み返してもおかしい。 ■お薦め度:★★★★★(完璧!読み易い) | ||||
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