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ネオナチの少女
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ネオナチの少女の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.75pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全8件 1~8 1/1ページ
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ハイディ・ベネケンシュタインさんの本です。平野卿子さんの訳です。 表紙がこりゃまあ美人なパツキンのチャンネーで、「なに?ナチプレイとかすんの?」とか下半身がハーケンクロイツになりそうな勢いで読んでしまいましたが、 狂信的なナチを信奉する家庭に育ち、ひそかにナチの教育を受けて育った少女が、「なんかおかしくね?」とだんだんとナチから距離をとり、やがて恋人とともに「脱ナチ」をする、という展開でした。 いまだに、ナチを支持している人間が多く、かつそいつらがネットワークを緊密にしていたりして、すごいコワイですね。 日本の右翼も、さすがにここまでしないような…。 とはいっても、だんだんと右翼活動=ナチ活動がカジュアルになっていて、若者が支持しやすい地ができあがりつつあるらしいのが、不気味です。 日本の右翼は、ネトウヨやら日本会議やら、昨今は不気味に胎動している感じですが、それと同じようなものを感じました。 ナチの土着性っていうか、たちの悪さを感じましたね。 | ||||
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父親によって「いわば正統派のナチとして純粋培養(訳者あとがきより)」されて育てられた1992年生まれのドイツ人女性が、家庭や学校での生活やその後の右翼共同体での活動と、そこからの脱却について綴った著書です。 本書のなかでは、著者自身も含めた右翼共同体に依存する人々についての言及が印象的でした。 ・父自身、絶えず反抗していたのだ。自分より知的な人、権力のある人、影響力のある人に。 勇敢だからではない、自信がないからだ ・自分は選ばれた人間なのだという確信、それはわたしにとって大きな慰め ・少数派で、敵で、のけ者で、敗者だ。でも敵の数が多ければ多いほど、団結はますます強くなる ・社会からドロップアウトしてしまった彼らは、不満のために右翼の世界にいっそうしがみつく ・彼らは自分も愛さないし他人も愛さない。いわんや自立した女を愛すことはない そして著者は自身が右翼共同体から脱出できた大きな理由として、同じく組織に属していた夫フェーリクスへの愛を挙げたうえで、次のように述べています。「チャンスは向こうからトントンとドアをたたいてはくれない、自分でつかむしかないのだ。情報を集め、努力するしかないのだ。」 ヨーロッパではベストセラーとありますが、そもそもネオナチの現状や社会背景、関連する現代的な著名人についての基礎知識がある程度は前提となっていることもあってか、私は本書からそれほど大きなインパクトを受けることがありませんでした。 また、ネオナチからの脱退を描く終盤を除いて、時系列ではなくテーマごとに構成されているため、扱われる事実の時間関係は前後するのですが、内容的には時系列での物語形式のほうが面白くなっていたように思えます。読み物はあまり魅力を感じませんでした。 | ||||
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ヴァイス『ドイツの新右翼』の副読本の位置付けか。ポストモダン的文化や左翼的手法(ユートピア村とか僻地での軍事訓練って左翼の手法ですよね)をとりいれつつ、実際は古いまま、子どもや低学歴者しか動員できない。上でも書かれているとおり、脱退の場面は全然納得行くように書けていませんね。普通の不良の世界程度の抜けにくさでしかなかったようで。ただ単にだめな連中の集まりだったから辞めている。親からやらされていたから感が強すぎ、そこに留まりたいと思わせるような魔力を感じさせるようなものがほとんどない。というか全体的に筆力が足りないというか、感覚・印象に基づいた記述が多く(といってもさほど印象的な叙述はできていない...)、まったく分析的な叙述になってませんね。経験した内容も、カルトや犯罪組織に捕らわれていたとかそこまでドラマチックなものではない(わけではないのかもしれないけれど筆力がない)。こんなんじゃ『レッド』は描けないな。中に書かれているとおり、著者が義務教育しか経験せず若くしてならず者の世界に入ったため、根本的に勉強が足りないせいではないかと思われます。わざわざ翻訳して出すほどの本ではなかったかもしれない。あまりにも内容が薄い。極右の知的空虚さを如実に示してくれる本ではある。 | ||||
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本書は父親が極右思想の持主の娘として生まれた女性の半生記です 著者の父親は、ホロコーストはねつ造、アンネの日記は偽書、アメリカはユダヤ人に支配されており、家庭内で英語を使うことは禁止というかなり極端な極右思想の持ち主で、その思想を実の娘にも押しつけます 驚くのはこの父親が社会の落後者や犯罪者などではなく地域でも一目おかれている有力者なことです 著者が少女の時に、同じ思想グループの子供たちが集められてナチス式のキャンプが行われますが、そうした子供たちの親も裕福な家の子などが多く、極右思想を抱くのは決して貧困階級の落ちこぼれなどではないことが分かります 著者はそうした家庭で育ったことから、ごく自然に極右思想を身につけ、極右グループの連中とつるんでは、何度も左翼グループと街中で抗争したりします しかしながら、こうした極右グループに集まった連中の粗暴すぎる言動や、女性への扱い(著書は何度かグループの連中から性的関係を迫られる)に疑問を持ち、恋人と共に極右思想グループから脱会し、後には批判的な言論活動を行うようになります 国境を全てなくせ!みたいな極左思想も問題だとは思いますが、このような極右思想も問題であり、やはり中庸な思想を歩むのが最も大切ではないかと思います(それがなかなかできないから、難しいんですけど) | ||||
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第二次世界大戦の敗戦国で、我が国より先に移民向け入れ政策をとったドイツがどのようになったかを調べるため本書を読んだ。恐らく日本も後10何年もすれば移民二世と共存する社会になっているだろう。その時日本人ながら格差社会で負けてしまった人々が、怒りの矛先を彼らにむけて来るかも知れない。本書に書かれたことが人ごとで済むことを祈る。 | ||||
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著者は1992年ドイツ南部のミュンヘン近郊に生まれた女性です。父親がナチス信奉者であったため、著者は5歳のときに右翼団体のキャンプに参加させられるなど、幼いころから思想教育を徹底されて育ちました。その彼女の生い立ちが、10代の終わりのころに極右活動ときっぱり手を切る日に至るまで綴られています。 私はヨーロッパで昨今大きな問題になっている移民問題を読み解くための特異な経験談を読めるものと期待してこの書を手にしました。確かに、親の影響を受けて幼少期から極右思想を植え付けられることのどうしようもない不気味さ、そうした世界こそが唯一絶対と信奉していく著者の姿は、心胆を寒からしめるものです。 著者のように子どもを極右思想で育てようとする親たちが高学歴・高収入である点は、教育がナチズムへの防衛策と必ずしもならないことを感じます。 また、ナチスが移民排斥に留まらず、東プロイセンの再ドイツ化を企図している話も、領土問題のひとつの視点として興味深く読みましたし、若者をひきつけるために極右ロックというジャンルが利用されている話も新たな発見でした。 しかし、その一方で、骨の髄まで植え付けられたはずの極右思想を著者が捨てるにいたる経緯が判然としません。幼いころに読んだ本にナチズムの不当さを感じたり、酔ったドイツ人にからまれそうになった際に旧ユーゴスラビアからの移民の青年に助けられたりした経験も、著者をナチズムから引き離す大きな力にはならなかった様子が描かれます。 著者を変えたのは妊娠だったといいます。同じく極右メンバーだった男性と交際中に予期せぬ妊娠をして、そのことを契機に「一夜にして」生まれ変わったと記すのです。 「迷いはなかった。あらゆる問いに対する答えは初めからわかりきっていたのだから――私たちの子どもは絶対にナチにしない。母になると知ったその瞬間、ナチのイデオロギーはその魅力を完全に失った」(205頁)。著者はこう綴りますが、その論理展開がどうにも私の胃の腑に落ちません。子どもができたと分かった瞬間、生まれてくる子どもをこれまでの自分と同様、ドイツの純粋性を追求する新たな極右戦士に育てようと決意する選択肢がなぜなかったのか。その選択をしなかった理由がこの記述からはうかがえません。 また、夫となったフェーリクスも同様に極右活動から足抜けを図るうえで、「支援組織『EXIT』の支援を受け」たと一言記されますが(230頁)、受けた支援の内容が漠然としています。ナチというカルト宗教からの脱会は一朝一夕に成し遂げられるはずもなく、洗脳を解くために膨大な時間と多大な努力が必要なはずなのに。 私は移民排斥の声に大いなる違和感をおぼえていて、そうした反移民思想そのものを排斥するための根拠や手立てを脱退体験者自身の口から聴けるものと思っただけに、その詳しい内容を知ることができなかったことがとても残念でした。 -------------------------- *189頁:ドイツ「連邦外務大臣ヨシュカ・フィッシャー」という記述がありますが、ドイツは共和国ですから「大臣」という言葉はなじみません。朝日・読売・産経・日経の各新聞社は「外相」と表現しているので、こうした新聞を普段読んでいる身としては、「ドイツの外務大臣」という言葉に違和感を覚えました。 -------------------------- ドイツのナチズムが、東西ドイツ統一後の新社会に適応できない若者たちを魅了したという考察が117頁に出てきました。だからこそ彼らは極右ロックを聴きながら「俺はもうひとりじゃない」と感じるのだとか。 こうした孤独を埋めたいと感じるドイツの若者たちの姿を読んで思い出した書がありました。以下に紹介しておきます。 ◆クリスチアーネ・フェルシェリノ『』(読売新聞社/1981年)と『』(中央公論新社/2015年) :1962年生まれの著者は10代のころから薬物におぼれ、すさんだ人生を歩みます。彼女の体験は『』のタイトルで映画化もされました。 結局、著者は母となっても人生を完全に修正することができず、50代になって健康を大いに害しているところまでが描かれます。なんとも痛ましい自伝ですが、それでも人間の業のようなものを感じさせる凄みをもった2冊です。 . | ||||
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一度はナチス思想に染まった右翼団体に属していた著者が、様々な事実に触れることで矛盾を感じ、恋人と共にその右翼団体から抜けて新しい生活を手に入れるまでを率直に記した手記。 著者の場合、父親、父方の祖父母がナチスの支持者で、幼少時から愛国青年団(ヒトラー・ユーゲントを模範とするバイキング・ユーゲントの後継とのこと)が主催する秘密の休暇キャンプに送り込まれ、その思想を徹底して叩き込まれる。学校との関係や右翼団体にある種の居心地の良さを感じていたこともあって、一時は熱心に活動に参加している。起訴されたりすることはなかったようだが、暴力的な行為にかかわったことなどが赤裸々に語られる。また、右翼CDが年に100点以上も出され、財源になっていることなど文化面での戦略に関わることなどにも触れられている(『ドイツの新右翼』にも同様の指摘がある)。 第二次戦時下におけるナチスの行為に触れた本と出会ったり、差別対象であった外国人に親切にされたり、右翼仲間たちの言動に抱いた不信感などから徐々に違和感を覚え、同じように不信感を抱いていた後に夫となるフェリークスとも脱退している。 ここに出てくるのはドイツの例だが、日本のことを考えてみても、日本を「神の国」と思っている人も未だにいるみたいだし、「基本的人権」を敵視している人は現職の政治家のなかにさえいる。さらに、自身を単に「保守」としか認識しない極右もいるようだ。 狂信的な極右というのは凄まじいし、怖ろしい。 | ||||
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かなり前に読んだフォーサイスの「オデッサ・ファイル」や「MASTERキートン」(「光なき世界の住人」「光をくれた人」)を読んでいて一応知っていたが、まず驚くのはスキンヘッドとか東西統一後に現れたネオナチはいわばまがいもので、本当にコアなナオナチは堅固で、普通に社会に根付いた部分から生まれ、存在することだ。 そしてそれを支えているのが青少年への集団キャンプ。年少の頃から集団で教育される。そういう環境があるのが恐ろしいというか。 同時に、日本ではどうだろうかと思った。カルト、政党・・・。 親が活動家の二世はよく聞くが、あえて言うなら辛淑玉の言う朝鮮学校の「革命キャンプ」か。 活動家の内心や実情、男女関係、組織からの抜けられなさや排除については、いわゆる行動界隈や「しばき隊」なんかにも当てはまると思った。 そういった方面の研究者、趣味者の方は読んでおくべきだろう。 | ||||
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