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銃・病原菌・鉄
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【この小説が収録されている参考書籍】
銃・病原菌・鉄の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.05pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全63件 21~40 2/4ページ
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病原菌や地勢の考察が秀逸だったがサピエンス全史読了後だったのでそれほどのインパクトはなかった。 | ||||
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とても有名な本であり、サピエンス全史を通読した後に、興味をもち、手を出した。地理的な特徴、家畜可能な動物が生息するか、栽培可能な植物が自生するか、といった要因が文化的な発展につながるという見解はお見事というほかは無い。ただし、そのことを表現するために、似たような表現がかなり多く見られており、退屈に思えたことも間違いが無い。感覚的には数割くらい端折れるのではなかろうか。内容は面白いが表現が冗長というのが、本書に対する評価である。 | ||||
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久しぶりに読み直した。結構異なる印象を受ける。博学さとダイアモンド自身のパプア人への共感は明らかだ。しかし、ハラリ著『サピエンス全史』と同様に、国家の形成と多様性については、やはり弱い。いうなれば、ダイアモンドにしても、ハラリにしても、歴史時代の記述が十分でない。当然と言えば当然で、進化生物学、人類学、言語学が彼の方法論上工具なのだが、この方法だと、どのような文書が残され、それが何を意味をするのか、という点は看過されてしまう。本書の最後には、環境決定論についての記述があり、本人も自覚しているのだが、普遍主義的で客観的な歴史を書く、という史学史を理解していない議論を展開する。つまり、なぜ歴史というものを人類が必要とするのか、それが往々にしてなぜネーションの歴史なのか、という主観的な問いは抜け落ちる。そのような主観的問いを考えることこそが、歴史学の意義だと思うのだが。 | ||||
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良くも悪くもアメリカのベストセラーらしい。 比較的読みやすく文化史概論をしてくれるが、結論に当てはまる具体例を列挙する事で浅学者を黙らせる手法を採用している。(列挙される例に前の主張で使われたものの使い回しや、そこから容易に想像できるものが多いのもアメリカ式。アメリカの通販番組と同じ。お国柄なのだろう) あらかじめアメリカのベストセラーはこういうもの、と分かっていると諦めて読める。 そして、読書は必要な情報を取捨選択する行為だとは思うが、一般書籍のベストセラーなんて、それ前提でないと危険なのは当然。分かりやすい、ということは、何かを無視しているか省略してるかなのだから。 ★3以下のレビューで色々書かれているように、今では古い認識や、誤解を招く表現がある。 (そういえば、レビューに死の毛布への目配りのなさが指摘されていたが、これは一応上巻p.365で一瞬触れられていた) (下巻p.72「(日本が)書くのがたいへんな漢字を優先して使うのも、漢字の社会的ステータスが高いから」という非難轟々の箇所は、確かに漢文がアジア圏で果たした役割への認識の甘さを露呈している。所詮生物学者だからしょうがない。音がわからなくても編と旁から意味を推測して読めるとか、ポリフォニックな意味を込めやすいとか、空前絶後の古典『源氏物語』が作られた背景だとか、そんなこと分からないだろう。ご愛敬だ。) 欠点はあるものの、繰り返される文明(勢力)の差は人種の差ではない、というメッセージは、人種差別から脱することができない現代には価値あるものだ。 加えて、入門書として事例が多いことは良いともいえ(つまり、ここから興味によって広げやすい)、初学者がまず欲する統一的な視点を(疑問は残るものの)与えてくれる点で評価できる。 手軽な本としてはこんなものなのではないだろうか。というか、専門外に手を出さざるを得ないので非難確実で他人が尻込みすることに果敢に挑戦しているのは本当に凄い。(慎重さがあと少し欲しかったが) ということで、結局★3。 読む価値がないとは言わない。 それにしても、地理的な優位性というのは、結局は神の加護と結びつきやすく、聖書を悪用する人たちに非常に都合が良さそうだ。 悪用しやすさ抜群の聖書を作ることができたのも、非生産階級を養う余剰生産物の賜物であった点にもっと突っ込んでくれたら...と思う。 大学教授が薦める100冊、といったものにこれが度々紹介されたらしいが、「最低限このくらいは批判的に読める知識を付けましょうね」という感じか。確かに高校~学部1年ぐらいに読むと有意義そう。 | ||||
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主に地域による文明の発達のスピードの違いについた書かれた本である。非常に簡単でそこそこ面白いと思うし、"なぜ世界中どこに行っても家畜となる動物は同じ動物なのか"など、なるほどねと思わされることも多々書いてあった。ただ、人の学説を根拠がないと否定する割には、著者の説にも大した根拠がなく推論に過ぎないことが多い。まあこんな考えもあると軽い気持ちで読む本だと思う。また、上下に分けるほどの内容はない。同じことが繰り返し何度も書かれており、これさっきも書いてあったなと思うことがやたらと多い。贅肉をそぎ落としてすっきり1冊にまとめれば、より読みやすく良い本になると思う。 | ||||
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地形・農耕・病原菌でよかったのでは? 正直タイトルに釣られて読んで見たので銃鉄の話があまりなくてがっかりしました 病原菌の話は興味深く思いました | ||||
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ほかの方も指摘していますが、銃と鉄の要素はあまりなく農耕、家畜、、などが中心。 なぜ一方的に植民地化される社会があり(おもに旧世界→新世界への)、逆はおこらなかったのか、ということについての検証。 白人、西欧人が人種として優秀なのでなく、制覇できたのは環境の差による結果にすぎない、ということをベースに話が進展していく。 肥沃な三日月地帯における農作物、家畜化可能な動物の多種多様性、気候という恵み。それらがもたらす農耕の発展と、食料生産技術の向上。 それにより狩猟採集から定住生活へいたり、人口増加がおこり人口の稠密な集団を形成する。 農耕がもたらす余剰作物が、職人や官僚、兵士、学者など社会が食糧生産者以外を養うことができることになることにより、武力を保持したり、文字が生まれ、文明が発展する。さらに病原菌に対しての抗体をもつ人々が生まれ、もたない人々に対し優位性をもつ。 おこった文明は緯度が近い東西の方向には広がりやすく、南北には広がりづらいために、ユーラシア文明がより広まりやすい素養をもっていた。 、、、というようなことが繰り返し表現される、、という印象。 白人、西欧人が人種として優秀であるというバイアスをできるだけ取り除こうとして書かれていることに好感を抱きつつも、やはり日本や中国含む東アジアの検証が大雑把のようにも感じた。 しかし、1万年以上の歴史の中で根源的に「生き残る」ということはどういうことか、マクロで見つつも、自らを振り返る面白いきっかけとなった本でした。 | ||||
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サピエンス全史を読んで、この本の存在を思い出し、もう一度読んでみた。 西洋人が世界を支配できた理由はユーラシア大陸の端に生まれて銃と病原菌と鉄を手に入れたおかげ。 特別に頭が良かった訳ではなく、たまたま環境に恵まれていたおかげという説明は面白かった。 でもサピエンスでもそうだったが、この本でも日本に関する記述がやはり気になった。 日本が戦国時代に鉄砲を大量生産していたことは書いてあったが、 江戸時代になると全部捨ててしまったような説明をしている。 ノエル・ペリンの「鉄砲を捨てた日本人」の影響だろうが、すこし違うと思う。 徳川幕府が鉄砲を規制したことは事実だが、捨てたことは一度もない。 何だか、日本人が退化してたまたま手に入れた慣れない文明の利器を捨ててしまった。 そんな書かれ方をしていて、白人が土人を見下している感がプンプンして少し腹がたった。 日本が鉄砲をはじめとした技術を捨てていなかった証拠は幕末、 黒船を見ると複数の藩がすぐに模倣して作ってしまった事実からもよく分かるはず。 鉄砲を大量生産し、開国するや大海軍を作ってロシアを破り、 大東亜戦争では強力な軍事力でアジアから西洋勢力を一掃してしまった日本。 戦後も、すぐに復活して経済大国になった日本。 日本さえいなければ、世界中が白人様の支配下に入ったはずなのに。 そんな白人の潜在意識下の悔しさを著者の言葉の端々に感じてしまった。 米国の植民地支配に抵抗した同胞を20万人近く殺された、 フィリピンのドゥテルテ大統領がアメリカに対して暴言を吐く理由が、 本書を読み返して、よく分かるような気がした。 | ||||
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目新しいことはあまり何も書かれていない。著者は、ニューギニア人の友人から出た「なぜニュージニアでは西欧文明のようなものが生まれなかったのか」という問いから本書を書いたそうだが、結局すべては「肥沃な三角地帯がなかったから」という結論に引っ張っていく。世界中の文化文明民族について考えているのだが、その洞察力には濃淡がある。たとえば、中国と日本、朝鮮半島などとの関係についての記述のいくつかには、偏見や思い込みによるものが散見される。上下に分かれた分厚い本だが、繰り返し論理も多く1/3の分量にまとめられたのではないか、とも思う。 | ||||
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上下巻にわたる大部です。しかしテーマはなぜ欧州文明が人類をリードしているかというスケールの大きなものなのでむしろコンパクトというべきでしょう。 上巻の内容は、作物や家畜の種類が多いことと、東西に長いか南北に長いかがユーラシア大陸とその他の大陸での文明の差となったというもの。 下巻では民族の移動による文明の伝播を言語の分布から証していきます。そして最後に人類を代表する文明の決勝戦ともいうべき中華文明と欧州文明の対決と結果を論じて締めくくっています。端的には文明圏が一つの権力に支配されている場合、その意に沿わないアイデアは抹消されるが、複数の権力に分かれている場合はどこかで採用され日の目を見るから発展が妨げられない。中華文明は皇帝の意思が全てだが、欧州文明は例えばローマがダメならパリが、ベルリンが、ロンドンがあるといった具合。それは統一を夢見続けたヨーロッパ人にとって皮肉な結論というべきでしょう。 ただ、この見解には一つ穴がある。アイデアが採用される以前にそのアイデアを生み出す自由がなくてはならないことには触れられていない。少なくとも、ルネサンス期とそれ以降の華やかな欧州文明とそれ以前のローマカソリックの圧迫の時代の対比も説明する必要があった。 本作は意欲的ではあるが、もっとも重要な部分が半分しか描かれていない。よって辛めの感想にならざるを得ない。 | ||||
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この本は、なぜユーラシア大陸の人々が世界を席巻したのかを環境の視点から述べたものです。人種による差はなく、全て環境が世界の秩序を決定付けたという主張です。 この、人種による差はないという仮定が本当に成り立っているかの検討が全くなされておらず、著者がそう信じるということになっており、そのようなところが科学的ではないと感じました。 マラソンや短距離走の世界では、黒人しか勝てなくなっていますし、そういったことも環境が決めたことなのだろうかと疑問に思いました。 アーリア民族が優れているから、世界を支配すべきだとか、ユダヤ人を絶滅させるべきとかは論外だと思いますが、もし、アーリア民族が本当に民族として優れているとしたら、優れていると認める態度は科学的かと思います。そういうことに拒否反応を示して、本当に優れているかどうかさえ調べずに、人種の優劣はないという強い仮定をおいて、その仮定が間違えでないと根拠を示さずに述べることは科学的ではありません。 こなれた日本語になっており翻訳は良く、読み物としてはとても楽しかったですが、批判的に読むべきと思いました。 | ||||
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「欧米が先進国であるのはヨーロッパ人がほかの人種より優れていたから」と言う人種差別的な固定観念に一石を投じた著書。 ジャレド・ダイアモンドの名前を世間に知らしめた作品。 ただ、読んでみると分かるのですが著者もなかなか偏見に満ちている。 何と言うか取材が甘い。 生物学者としては一流の部類なのでしょうが、本著を読むと他国(と言うか日本)の地理や文化様式をちゃんと理解してないのが伺える。 題材も内容も非常に面白いのに、この程度の理解力で他国の分析してるのかと思うと少々残念だと思うところがある。 | ||||
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上巻を読み終わった読後感としては、「ローマ人の物語」のような印象であった。 すなわち、歴史や、考古学等の学術結果の個々のピースを、著者の主観により組み合わせることで、人類の栄枯必衰、という物語を紡ぐものである。 よって、学術的なところは部分部分には確からしいが、総体としては著者の論説の域は出ていないことに注意せねばならない。 さて、本書のテーマである、著者の友人ヤリ氏の疑問「あなたがた白人は、たくさんのものを発達させてニューギニアに持ち込んだが、私たちニューギニア人には自分たちのものといえるものがほとんどない。それはなぜだろうか?」に対する著者なりの回答は、結局、文庫版上153ページの図4-1にまとまっている。 白人(ヨーロッパ人)がニューギニアに持ち込んだもの、すなわち、新大陸等への侵略時に持ち込んだ、「銃」、「病原菌」、「鉄」は、どのようなプロセスにより、生み出されたのか、を逆にたどることで、その根源的な理由を解き明かそうとしている。 一つ一つのプロセスをたどるその理由づけを丁寧に論説しているがために、大部となっているが、その結論だけを取り上げれば、結局、馬や牛等の大型家畜がユーラシア大陸に偏在していたこと、ユーラシア大陸では東西に長く同緯度であるために、同じような気候が多く、麦や稲等の栽培植物が迅速に他の地域へと持ち込まれたこと、がその主因として説明されている。 ただ、上記の理由だけだと、「ユーラシア大陸」のどこの地域でも同じように発達することもあり得、ヨーロッパ人だけが世界を征する事ができた理由としては、やや弱いように思えるが、文庫版上284ページにて著者が言及しているように、「新しい作物や家畜、技術を取り入れることができる社会の人びとは、実際に取り入れることにより強力とな」るという主張から察するに、可能性として世界を征する可能性があったユーラシア大陸の人々のうち、上記のような選択をした「ヨーロッパ人」が優位な立場に立った、ということなのかもしれない。 究極的には、人種の問題ではなく、地政学的な理由により、白人はたくさんのものを発達させた、という主張をしたかったのかもしれないが、上記のような観点を踏まえると、やや論理が弱いようにも感じてしまう。 だが、一つの論考としては面白く、価値があるとも思えるので、読む価値が全くない、という意見には賛成しかねる。 | ||||
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ダイアモンド博士による人類史の栄枯必衰の根本原因を追及するための論考の下巻。 上巻にて、根本原因を説明してしまっているので、その補足要因としての発明・技術と、社会制度の論考についての主張がメイン。 正直、上巻のみでも話としてはわかるので、あえて、下巻の内容を入れ込む必要があったかどうかはわからない。 要は、人口稠密社会が出現することによる必然の歴史、というものを説明している。 エピローグにて、なぜ中国や肥沃三日月地帯ではなく、ヨーロッパが世界を征しえたのか、という論考はしており、個人的には、ここが一番に参考になった。 しかしながら、その理由として挙げられている中国には十分な競争環境が無かったや、肥沃三日月地帯は自然環境が適していなかった、という論考は、やや推測が強く、あまり説得力をもってはきくことができなかった。だが、理由の一つとしては傾聴に値するとは思う。 上下巻を読み込んでみてのおすすめ度合としては、長々とした論考を読むことを苦にしない読者であればお勧めするとしか言いようがない。 一般の普通の読者の方には、全くお勧めできない。残念ながら。 | ||||
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下巻は、まず文字の発明、技術の受容、社会の集権化を概説した後に、上巻で示した仮説を敷衍して個別の地域への検証を行っている。 大胆な仮説を提示した上巻に比べると、やはり地味な印象はぬぐえないが、ところどころ興味深い事実の指摘があったり、独特の視点からの解釈などがあって、読んでいて飽きさせない。 興味深かった点をいくつか拾い上げてみる。 ・初期の文字はメソポタミア、エジプト、中国、メキシコなど農耕がが最初に始まった地域から生まれてきた。当初、文字は用途が限定されていて、表現できる幅も非常に狭かった。文字はあくまで支配の道具だった。 ・技術に対する社会的受容性は、同じ地域において、常に同じだとは限らない。 ・オーストラリアのアボリジニとニューギニア人との間の発展の差は、アボリジニが農耕に適さない広大な砂漠が広がるオーストラリア大陸で狩猟生活に適応したために起きた。 ・地形状の障壁が比較的少なく、なだらかな平地が続く中国では、政治的な統一が早くに始まったが、そのために返って、権力の集中を招き、政治的な自由を制限し、内部での競争を阻害してしまった。 本書の題である銃・鉄・病原菌がどれほど歴史の発展に関わったのかということは最後までほとんど触れられておらず、著者の理論からすれば、それらは、地理的な差によって現れる付随的な結果としての役割しか果たしていない。銃・鉄・病原菌を主題に据えて、それらが果たした役割をもっと考察してもまた違った面白い議論が出来たのではないだろうか。 それと原著では、日本に関する章が新しく追加されているが、本書では訳出されていない。原著で参照してみたが、日本人から見ればそれほど目新しいことは書かれていない。ただ、日本がナショナリズムにこだわるがゆえに、歴史学的、考古学的な議論を受け入れられていない、といった著者の理解には疑問を感じる。日本人のルーツが韓国、中国(特に雲南)、東南アジアといった広い地域から渡って来ていることは当然のことだろう。 浩瀚な書物だが、読んでいて最後まで飽きさせない面白さはある。だが、非西欧社会はなぜ技術の進歩が遅れたのか、産業の発展がなかったのか、支配される立場となったのか、という問題提起の仕方には最後まで納得がいかなかった。地域の差を発展の差として理解することそのものが、そもそもの間違いなのではないだろうか。人種的な要因に還元する議論を一見乗り越えているかのようで、そもそもの前提に差別的な違和感を覚える。地域差を発展の差としてではなく、純粋に多様性の差として理解する発想が初めからあれば、本当の意味で人種的議論から離れた歴史を語ることができたと思う。 | ||||
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原書は、1997年の刊行で20年近く前のもの。 人類学や考古学では、近年クロマニヨン人とネアンデルタール人について、交配や共住があったという従来とまったく異なる研究成果なども発表されているので、本書の記述がかなり古く感じるのは否めない。 だが、人類学、考古学、動植物学、疫学など幅広い分野の研究を横断して、一つの仮説を提示してみせる著者の力量は優れたもので、一読の価値はあると思う。 本書はまず、現在の文明の発展の差、富の偏在は何によるものか、という問題提示から始まる。世界史の発展の差は、主に地理的要因によってもたらされるというのが著者の考えで、それをさまざまな分野の業績を引きながら検証している。世界史の発展に地理的、環境的要因が作用するというのは、ある意味当然のことだが、それが人種や社会制度、思想といった他の要因よりも決定的に重要だったというところに本書の主眼がある。 本書(翻訳書上巻)で展開されている理論を以下、簡単に要約してみる。 人類が最初に自力で狩猟生活から農耕社会へと移行した地域は、肥沃の三日月地帯など一部に限られていた。栽培化、家畜化が可能な野生種は偏在していて、ユーラシア大陸起源のものが多い。このような栽培や家畜化に対して適性のある野生種が、人間によって意識的、無意識的に選り分けられ、人間の手を介した自然淘汰という形で栽培品種、家畜へと変化していった。そして、一度栽培化、家畜化が始まると、それを継承したり、伝えたりすることのほうが容易なため、近縁種やその他の種の改良を止めてしまう。したがって伝播の速さが、歴史の発展に大きく寄与することになる。 ユーラシア大陸は、東西に長く緯度の差が少ないため、気候の地域差が緩やかで、そのため農耕技術の伝播がアフリカ大陸やアメリカ大陸に比べ容易だった。この環境的差が、農耕技術に地域差を作り、それが社会発展の速度の違いを生んだ。 農耕による食糧の増産は、人口の増加と集住をもたらし、社会が緻密化する。この緻密化した社会に家畜由来の病原菌が蔓延するようになる。早く定住型の農耕社会に移行した地域ほど病原菌に対する対生の獲得も早かった。こうした要因がユーラシア大陸の他地域に対する優位を決定付けていった。 このような著者の仮説を見ていくと、本書がアメリカでさまざまな賞を受賞し、非常に評価された理由が見えてこなくもない。 穿った見方かもしれないが、著者の論理立ては、アメリカおよび西欧社会の正当化に寄与していて、大衆の無意識的な自尊心をうまく救い上げているように思える。 西欧諸国は文明の先進地域であり、世界中の富を生産し保持している。そして、その大前提の下で、発展段階の差を生んだのは環境差であることを積極的に認めることで、西欧文明は人種的偏見からも脱している。その意味でも西欧社会は他地域に比べ先進的である。著者の議論には、こうした意図や思惑が透けて見える。 著者は人種的説明に関して、日本を引き合いに出し、日本のような国では今でも文明の発展の差を人種的要因に帰する説明が無条件にまかり通っているのだという。こうした見方自体、非常な偏見だと思うのだが、著者にはそのような自覚はなさそうだ。 西欧文明がなぜ先進的な文明をもたらし、世界を支配することになったのか、というそもそもの立論自体に非常に違和感を覚える。結局そこから出てくる答えは、西欧文明が世界に対して支配力、影響力を持つことの正当化でしかない。人種的偏見を積極的に乗り越えたかのように喧伝する一方で、どうしても裏の意図が見え透いてしまう。 本書の理論では、帝国主義による世界の植民地化、奴隷貿易、原住民の虐殺などの歴史を必然的なものに読み替えていくことができるようになる。その意味でアメリカなどでは非常に歓迎される議論なのだろう。大著で専門的な内容であるにもかかわらず、アメリカで非常な売り上げを記録し、さまざまな賞を受賞した理由には、このような西欧の自己正当化が働いていたように思える。本書は、著者の議論のそうした性格を念頭に入れた上で読み進める必要があるだろう。 | ||||
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著者が出会ったパプアの青年が発したある疑問から始まった本書。 最初は期待させるような構成だったのだが、中身はとにかく冗長である。 専門家ならともかく、こんなに一般人に売れる本の内容ではないと思う。 けど、これだけの内容をなんとか最後まで纏め上げた筆者はすごい。 そういう意味で構成がしっかりしているかもしれない。 ポイントポイントで興味深い知識、発想は非常に多く(本書はページの角を沢山折った)、 全体としてはおもしろいのだが、何度も読むのをやめようと思った。 自分のように本書を教養書として読んでみたい人にかなりの体力を要する。 読みたいトピックスだけ読んでも、なんとか全体はつながる。 友人は「本当におもしろい!」と絶賛していたがそれだけの時間に見合うかどうかはわからない。 おそろく、本書でのポイントは150ページくらいの新書でなんとかまとめるだろうから、 この本を読む1/5の時間でそういう本を5冊読んだほうがいいかも。 | ||||
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内容自体は、一つの説として、読み物として面白いものだと思いました。 が、文章が真面目過ぎ。 論文のように字がぎっしり、空間もなく、非常に読みにくい。 真剣に読むのではなく、力を抜いて、ほどほどに読まないと非常に疲れる。 結局、世界の人種の差異は、最終的には環境が原因ということに行き着く。 その原因を一つ一つ語っている。 それは良いのだけど、ページが水増し気味なので、もう少し整理されてたら 読みやすかったと思う。 | ||||
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「文明の格差の究極的な原因は人種的な優劣ではなく、環境適応の結果だ。」 こんな当たり前のことをつらつらと冗長に二冊にわたって説明している本です。 このような本が欧米世界で反響を呼んだということは 本音では「人種の優劣」を信じている人達がいかに欧米社会に多いのかと思わざるお得ません。 しかしながら、 文明の格差を決定付ける環境要因には 1.文明の伝播が可能な地理的要因 2.家畜可能な野生動物の存在 3.栽培可能な野生植物の存在 が重要だということを明確に具体的に提示している部分に関しては非常に面白かった。 これだけで☆三つです。しかし、ただ、それだけのことです。2冊もいらないと思います。 まず思うのだが、「文明に優劣の差があること」と、「優れた文明が劣った文明を攻撃、 支配すること」とは必ずしも同義ではないと思うのだが、この二つについてこの本は明確に 区別していない。 また、歴史上、文明的に劣った北方の蛮族が先進文明社会を侵略、支配したことは多々あるが、 このことについてもこの本は明確に説明しているとはいえない。 さらに、序盤に記してあるマオリ族がモリオリ族に行なった虐殺行為についてだが、 「マオリ族の凶暴性とモリオリ族の温厚性」の違いはどこから来るのか?という命題に対して この本では何も答えてない。 それどころか、「発達した文明が遅れた文明を虐殺、略奪することは当然の帰結である。」 と読み取れてしまう。 つまるところ、 「ヨーロッパが行なったアメリカ、アジア、アフリカ、オーストラリアに対する虐殺、略奪は当然の帰結である。」 と暗に示しているように思えてならないのだが。無意識かもしれないが。 なんかズルいなぁ・・ | ||||
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「文明の格差の究極的な原因は人種的な優劣ではなく、環境適応の結果だ。」 こんな当たり前のことをつらつらと冗長に二冊にわたって説明している本です。 このような本が欧米世界で反響を呼んだということは 本音では「人種の優劣」を信じている人達がいかに欧米社会に多いのかと思わざるお得ません。 しかしながら、 文明の格差を決定付ける環境要因には 1.文明の伝播が可能な地理的要因 2.家畜可能な野生動物の存在 3.栽培可能な野生植物の存在 が重要だということを明確に具体的に提示している部分に関しては非常に面白かった。 これだけで☆三つです。しかし、ただ、それだけのことです。2冊もいらないと思います。 まず思うのだが、「文明に優劣の差があること」と、「優れた文明が劣った文明を攻撃、 支配すること」とは必ずしも同義ではないと思うのだが、この二つについてこの本は明確に 区別していない。 また、歴史上、文明的に劣った北方の蛮族が先進文明社会を侵略、支配したことは多々あるが、 このことについてもこの本は明確に説明しているとはいえない。 さらに、序盤に記してあるマオリ族がモリオリ族に行なった虐殺行為についてだが、 「マオリ族の凶暴性とモリオリ族の温厚性」の違いはどこから来るのか?という命題に対して この本では何も答えてない。 それどころか、「発達した文明が遅れた文明を虐殺、略奪することは当然の帰結である。」 と読み取れてしまう。 つまるところ、 「ヨーロッパが行なったアメリカ、アジア、アフリカ、オーストラリアに対する虐殺、略奪は当然の帰結である。」 と暗に示しているように思えてならないのだが。無意識かもしれないが。 なんかズルいなぁ・・ | ||||
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