エディプスの恋人

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評判

エディプスの恋人の評価:

4.16/5点 レビュー 50件。 D ランク

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平均点4.16pt

Amazonレビュー一覧

Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全149件 61〜80 4/8ページ
No.89
(5pt)

筒井ファン向け作品

初めて読んだのは高校生の時で、すごく落ち込んだ記憶があります。(その後、レムやディックを読むようになってだいぶ回復しましたが)。前作「七瀬ふたたび」の流れを汲んだ部分があるので、前作を読んでから読まれる事をおすすめしますが前作とは傾向が全く違うので、違う意味で衝撃を受けるかもしれません。傑作と言えば傑作なのですが、あまりにも筒井康隆的なので好みが分かれると思います。
エディプスの恋人 Amazon書評・レビュー: エディプスの恋人より
4103145064
No.88
(3pt)

七瀬シリーズ第三弾。

七瀬シリーズ第三弾。
シャープで粒よりな短編集、スーパー超能力者大戦を経て、奇想天外な世界創造物語へ。
表現実験が豊富で前衛的に。
ある意味本来の筒井康隆そのもの。
エディプスの恋人 (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: エディプスの恋人 (新潮文庫)より
4101171130
No.87
(3pt)

七瀬シリーズ第三弾。

七瀬シリーズ第三弾。
シャープで粒よりな短編集、スーパー超能力者大戦を経て、奇想天外な世界創造物語へ。
表現実験が豊富で前衛的に。
ある意味本来の筒井康隆そのもの。
エディプスの恋人 (1977年) Amazon書評・レビュー: エディプスの恋人 (1977年)より
B000J8UP5I
No.86
(3pt)

七瀬シリーズ第三弾。

七瀬シリーズ第三弾。
シャープで粒よりな短編集、スーパー超能力者大戦を経て、奇想天外な世界創造物語へ。
表現実験が豊富で前衛的に。
ある意味本来の筒井康隆そのもの。
エディプスの恋人 Amazon書評・レビュー: エディプスの恋人より
4103145064
No.85
(5pt)

七瀬三部作完結の意味

前作ラストで命を失ったかに見えた七瀬が、何事も無かったかのように高校の事務職員として再登場している。美貌とテレパシー能力は健在とはいえ、これは本当に「あの七瀬」なのか? 『ふたたび』とは別の世界の出来事なのか……? そう訝りながら読んでいくと、クライマックスで思いもよらぬ真実が明かされる。いい意味で、これほど「ぶっ飛んだ」ものになるとは驚愕したものだった。

 七瀬三部作は作品人気を受けて続編が連ねられていって出来たものだが、この三部作だけで完結するのは実に惜しい作品世界だ。たとえば『家族八景』はこの設定のままあと本2冊分ぐらい各家庭を渡り歩く物語を紡いでも十分飽きずに楽しめるものになるだろう。『七瀬ふたたび』にしても、たとえばラストで暗殺者集団に追い詰められた七瀬がかろうじて一人生き延びて、まだ見ぬ超能力者の仲間たちを探してレジスタンスを組織する……とでもすれば、いくらでもこの世界観のまま面白い物語を展開することは可能である。筒井康隆の筆力をもってすればこうしたことは容易だったはずだ。にもかかわらず、そうなってはいない。第一、続編である本作でも、あの秘密組織の正体や全貌は全く解明されていない。謎解きはされないまま物語全体の幕が下ろされている。

 筒井が三部作で完結させた―本作『エディプスの恋人』は、実質「絶対に続編が作れない作品」になっている―のは、「七瀬の物語」としてのエッセンシャルな部分は、これで完全に尽くされているからだと評者は考える。
 言ってみれば「異なるもの」として生まれついた火田七瀬が、その自らの運命をどのように受け止めていくかだ。『家族八景』では当初、テレパスである七瀬の視点から見て平穏に見える家庭はどう映るのか、が主眼に描かれていた。彼女の立場は傍観者、あるいはせいぜいトリックスターだった。だが途中から彼女自身の超能力を持ったがゆえのトラブル、疎外、孤独へも物語の力点は置かれていく。そしてそして超能力者の同胞たちとの出会いを通して、逆説的にその孤独さと悲哀を、抹殺されるに至るまで徹底して描いたのが『七瀬ふたたび』。これが三部作の中でも中心的な位置を占めるのも当然である。

 こうした数奇な運命を背負った七瀬の物語は、最終作では宇宙意志に選ばれ、死から復活させられるという特異な立場を通して、どうにも逃れがたい形でかみしめられることで結ばれている。そのように考えると、確かにこれ以上のエピソードを付け足すことは蛇足になる。七瀬自身を描き切るには、もう加えるものはないといっていいのだ。
エディプスの恋人 (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: エディプスの恋人 (新潮文庫)より
4101171130
No.84
(5pt)

七瀬三部作完結の意味

前作ラストで命を失ったかに見えた七瀬が、何事も無かったかのように高校の事務職員として再登場している。美貌とテレパシー能力は健在とはいえ、これは本当に「あの七瀬」なのか? 『ふたたび』とは別の世界の出来事なのか……? そう訝りながら読んでいくと、クライマックスで思いもよらぬ真実が明かされる。いい意味で、これほど「ぶっ飛んだ」ものになるとは驚愕したものだった。

 七瀬三部作は作品人気を受けて続編が連ねられていって出来たものだが、この三部作だけで完結するのは実に惜しい作品世界だ。たとえば『家族八景』はこの設定のままあと本2冊分ぐらい各家庭を渡り歩く物語を紡いでも十分飽きずに楽しめるものになるだろう。『七瀬ふたたび』にしても、たとえばラストで暗殺者集団に追い詰められた七瀬がかろうじて一人生き延びて、まだ見ぬ超能力者の仲間たちを探してレジスタンスを組織する……とでもすれば、いくらでもこの世界観のまま面白い物語を展開することは可能である。筒井康隆の筆力をもってすればこうしたことは容易だったはずだ。にもかかわらず、そうなってはいない。第一、続編である本作でも、あの秘密組織の正体や全貌は全く解明されていない。謎解きはされないまま物語全体の幕が下ろされている。

 筒井が三部作で完結させた―本作『エディプスの恋人』は、実質「絶対に続編が作れない作品」になっている―のは、「七瀬の物語」としてのエッセンシャルな部分は、これで完全に尽くされているからだと評者は考える。
 言ってみれば「異なるもの」として生まれついた火田七瀬が、その自らの運命をどのように受け止めていくかだ。『家族八景』では当初、テレパスである七瀬の視点から見て平穏に見える家庭はどう映るのか、が主眼に描かれていた。彼女の立場は傍観者、あるいはせいぜいトリックスターだった。だが途中から彼女自身の超能力を持ったがゆえのトラブル、疎外、孤独へも物語の力点は置かれていく。そしてそして超能力者の同胞たちとの出会いを通して、逆説的にその孤独さと悲哀を、抹殺されるに至るまで徹底して描いたのが『七瀬ふたたび』。これが三部作の中でも中心的な位置を占めるのも当然である。

 こうした数奇な運命を背負った七瀬の物語は、最終作では宇宙意志に選ばれ、死から復活させられるという特異な立場を通して、どうにも逃れがたい形でかみしめられることで結ばれている。そのように考えると、確かにこれ以上のエピソードを付け足すことは蛇足になる。七瀬自身を描き切るには、もう加えるものはないといっていいのだ。
エディプスの恋人 (1977年) Amazon書評・レビュー: エディプスの恋人 (1977年)より
B000J8UP5I
No.83
(5pt)

七瀬三部作完結の意味

前作ラストで命を失ったかに見えた七瀬が、何事も無かったかのように高校の事務職員として再登場している。美貌とテレパシー能力は健在とはいえ、これは本当に「あの七瀬」なのか? 『ふたたび』とは別の世界の出来事なのか……? そう訝りながら読んでいくと、クライマックスで思いもよらぬ真実が明かされる。いい意味で、これほど「ぶっ飛んだ」ものになるとは驚愕したものだった。

 七瀬三部作は作品人気を受けて続編が連ねられていって出来たものだが、この三部作だけで完結するのは実に惜しい作品世界だ。たとえば『家族八景』はこの設定のままあと本2冊分ぐらい各家庭を渡り歩く物語を紡いでも十分飽きずに楽しめるものになるだろう。『七瀬ふたたび』にしても、たとえばラストで暗殺者集団に追い詰められた七瀬がかろうじて一人生き延びて、まだ見ぬ超能力者の仲間たちを探してレジスタンスを組織する……とでもすれば、いくらでもこの世界観のまま面白い物語を展開することは可能である。筒井康隆の筆力をもってすればこうしたことは容易だったはずだ。にもかかわらず、そうなってはいない。第一、続編である本作でも、あの秘密組織の正体や全貌は全く解明されていない。謎解きはされないまま物語全体の幕が下ろされている。

 筒井が三部作で完結させた―本作『エディプスの恋人』は、実質「絶対に続編が作れない作品」になっている―のは、「七瀬の物語」としてのエッセンシャルな部分は、これで完全に尽くされているからだと評者は考える。
 言ってみれば「異なるもの」として生まれついた火田七瀬が、その自らの運命をどのように受け止めていくかだ。『家族八景』では当初、テレパスである七瀬の視点から見て平穏に見える家庭はどう映るのか、が主眼に描かれていた。彼女の立場は傍観者、あるいはせいぜいトリックスターだった。だが途中から彼女自身の超能力を持ったがゆえのトラブル、疎外、孤独へも物語の力点は置かれていく。そしてそして超能力者の同胞たちとの出会いを通して、逆説的にその孤独さと悲哀を、抹殺されるに至るまで徹底して描いたのが『七瀬ふたたび』。これが三部作の中でも中心的な位置を占めるのも当然である。

 こうした数奇な運命を背負った七瀬の物語は、最終作では宇宙意志に選ばれ、死から復活させられるという特異な立場を通して、どうにも逃れがたい形でかみしめられることで結ばれている。そのように考えると、確かにこれ以上のエピソードを付け足すことは蛇足になる。七瀬自身を描き切るには、もう加えるものはないといっていいのだ。
エディプスの恋人 Amazon書評・レビュー: エディプスの恋人より
4103145064
No.82
(2pt)

なかなか読み終えない

筒井康隆の本にしてはやや読みにくい感じがします。
途中で止まっちゃいました。
エディプスの恋人 (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: エディプスの恋人 (新潮文庫)より
4101171130
No.81
(2pt)

なかなか読み終えない

筒井康隆の本にしてはやや読みにくい感じがします。
途中で止まっちゃいました。
エディプスの恋人 (1977年) Amazon書評・レビュー: エディプスの恋人 (1977年)より
B000J8UP5I
No.80
(2pt)

なかなか読み終えない

筒井康隆の本にしてはやや読みにくい感じがします。
途中で止まっちゃいました。
エディプスの恋人 Amazon書評・レビュー: エディプスの恋人より
4103145064
No.79
(5pt)

七瀬三部作へのオマージュ

このレビューを書いたのは、七瀬三部作に対する自分なりの考えをまとめたかったからだ。以降はネタバレ注意。
私はいわゆる筒井ファンではないが、この七瀬三部作は別格だ。今回再読してみて、あらためてそう感じた。
特に一作目の『家族八景』は、普通の家族が持つ(類型的だが)どろどろとした悪意を描いていて素晴らしい。精神分析的なレトリックを駆使して描かれる悪意は肥大させられているが、それゆえに人間の本質に迫るリアリティがある。主人公七瀬の保身や(自己本位という)悪意も隠さず描いている点も上手いと思う。
おそらく、筒井は『家族八景』を書いたことで作家的満足感を得たと思う。しかし七瀬再登場への要望が高く、それならと『七瀬ふたたび』を書いた。筒井は、この本で(まるで『幻魔対戦』のように)予知能力やテレキネシスといった超能力を持つ人間を登場させ、その戦いを描いてみたかったのだろう。内容は、筒井らしいエンターティメントとして抜きんでている。そして筒井はこの一冊で全てを終わらせた。超能力戦争はもう十分だということだろう。七瀬も「深い虚無」へ落ちた。
ところが、三作目を書くことに。一度死んだ七瀬を生き返らせるためには、“神”を描くしかないじゃないか。そうやって『エディプスの恋人』が生まれたのでは。この本のテーマは宇宙の真実(つまり“神”)、それにエディプス・コンプレックスという欲望をふりかけたものだ。むろん筒井らしいレトリックや展開は読ませるが、唸らせるのはエンディング。ここで前作との整合性をとり、ミステリー的な決着をつけている。さらに、最後の一行でとどめをさす。私は、この一行は「もう七瀬の話は書かないよ」というメタ・フィクション的な宣言だと思うが、どうだろうか?
エディプスの恋人 (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: エディプスの恋人 (新潮文庫)より
4101171130
No.78
(5pt)

七瀬三部作へのオマージュ

このレビューを書いたのは、七瀬三部作に対する自分なりの考えをまとめたかったからだ。以降はネタバレ注意。
私はいわゆる筒井ファンではないが、この七瀬三部作は別格だ。今回再読してみて、あらためてそう感じた。
特に一作目の『家族八景』は、普通の家族が持つ(類型的だが)どろどろとした悪意を描いていて素晴らしい。精神分析的なレトリックを駆使して描かれる悪意は肥大させられているが、それゆえに人間の本質に迫るリアリティがある。主人公七瀬の保身や(自己本位という)悪意も隠さず描いている点も上手いと思う。
おそらく、筒井は『家族八景』を書いたことで作家的満足感を得たと思う。しかし七瀬再登場への要望が高く、それならと『七瀬ふたたび』を書いた。筒井は、この本で(まるで『幻魔対戦』のように)予知能力やテレキネシスといった超能力を持つ人間を登場させ、その戦いを描いてみたかったのだろう。内容は、筒井らしいエンターティメントとして抜きんでている。そして筒井はこの一冊で全てを終わらせた。超能力戦争はもう十分だということだろう。七瀬も「深い虚無」へ落ちた。
ところが、三作目を書くことに。一度死んだ七瀬を生き返らせるためには、“神”を描くしかないじゃないか。そうやって『エディプスの恋人』が生まれたのでは。この本のテーマは宇宙の真実(つまり“神”)、それにエディプス・コンプレックスという欲望をふりかけたものだ。むろん筒井らしいレトリックや展開は読ませるが、唸らせるのはエンディング。ここで前作との整合性をとり、ミステリー的な決着をつけている。さらに、最後の一行でとどめをさす。私は、この一行は「もう七瀬の話は書かないよ」というメタ・フィクション的な宣言だと思うが、どうだろうか?
エディプスの恋人 (1977年) Amazon書評・レビュー: エディプスの恋人 (1977年)より
B000J8UP5I
No.77
(5pt)

七瀬三部作へのオマージュ

このレビューを書いたのは、七瀬三部作に対する自分なりの考えをまとめたかったからだ。以降はネタバレ注意。
私はいわゆる筒井ファンではないが、この七瀬三部作は別格だ。今回再読してみて、あらためてそう感じた。
特に一作目の『家族八景』は、普通の家族が持つ(類型的だが)どろどろとした悪意を描いていて素晴らしい。精神分析的なレトリックを駆使して描かれる悪意は肥大させられているが、それゆえに人間の本質に迫るリアリティがある。主人公七瀬の保身や(自己本位という)悪意も隠さず描いている点も上手いと思う。
おそらく、筒井は『家族八景』を書いたことで作家的満足感を得たと思う。しかし七瀬再登場への要望が高く、それならと『七瀬ふたたび』を書いた。筒井は、この本で(まるで『幻魔対戦』のように)予知能力やテレキネシスといった超能力を持つ人間を登場させ、その戦いを描いてみたかったのだろう。内容は、筒井らしいエンターティメントとして抜きんでている。そして筒井はこの一冊で全てを終わらせた。超能力戦争はもう十分だということだろう。七瀬も「深い虚無」へ落ちた。
ところが、三作目を書くことに。一度死んだ七瀬を生き返らせるためには、“神”を描くしかないじゃないか。そうやって『エディプスの恋人』が生まれたのでは。この本のテーマは宇宙の真実(つまり“神”)、それにエディプス・コンプレックスという欲望をふりかけたものだ。むろん筒井らしいレトリックや展開は読ませるが、唸らせるのはエンディング。ここで前作との整合性をとり、ミステリー的な決着をつけている。さらに、最後の一行でとどめをさす。私は、この一行は「もう七瀬の話は書かないよ」というメタ・フィクション的な宣言だと思うが、どうだろうか?
エディプスの恋人 Amazon書評・レビュー: エディプスの恋人より
4103145064
No.76
(5pt)

七瀬三部作へのオマージュ

このレビューを書いたのは、七瀬三部作に対する自分なりの考えをまとめたかったからだ。以降はネタバレ注意。
私はいわゆる筒井ファンではないが、この七瀬三部作は別格だ。今回再読してみて、あらためてそう感じた。
特に一作目の『家族八景』は、普通の家族が持つ(類型的だが)どろどろとした悪意を描いていて素晴らしい。精神分析的なレトリックを駆使して描かれる悪意は肥大させられているが、それゆえに人間の本質に迫るリアリティがある。主人公七瀬の保身や(自己本位という)悪意も隠さず描いている点も上手いと思う。
おそらく、筒井は『家族八景』を書いたことで作家的満足感を得たと思う。しかし七瀬再登場への要望が高く、それならと『七瀬ふたたび』を書いた。筒井は、この本で(まるで『幻魔対戦』のように)予知能力やテレキネシスといった超能力を持つ人間を登場させ、その戦いを描いてみたかったのだろう。内容は、筒井らしいエンターティメントとして抜きんでている。そして筒井はこの一冊で全てを終わらせた。超能力戦争はもう十分だということだろう。七瀬も「深い虚無」へ落ちた。
ところが、三作目を書くことに。一度死んだ七瀬を生き返らせるためには、“神”を描くしかないじゃないか。そうやって『エディプスの恋人』が生まれたのでは。この本のテーマは宇宙の真実(つまり“神”)、それにエディプス・コンプレックスという欲望をふりかけたものだ。むろん筒井らしいレトリックや展開は読ませるが、唸らせるのはエンディング。ここで前作との整合性をとり、ミステリー的な決着をつけている。さらに、最後の一行でとどめをさす。私は、この一行は「もう七瀬の話は書かないよ」というメタ・フィクション的な宣言だと思うが、どうだろうか?
エディプスの恋人 (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: エディプスの恋人 (新潮文庫)より
4101171130
No.75
(5pt)

七瀬三部作へのオマージュ

このレビューを書いたのは、七瀬三部作に対する自分なりの考えをまとめたかったからだ。以降はネタバレ注意。
私はいわゆる筒井ファンではないが、この七瀬三部作は別格だ。今回再読してみて、あらためてそう感じた。
特に一作目の『家族八景』は、普通の家族が持つ(類型的だが)どろどろとした悪意を描いていて素晴らしい。精神分析的なレトリックを駆使して描かれる悪意は肥大させられているが、それゆえに人間の本質に迫るリアリティがある。主人公七瀬の保身や(自己本位という)悪意も隠さず描いている点も上手いと思う。
おそらく、筒井は『家族八景』を書いたことで作家的満足感を得たと思う。しかし七瀬再登場への要望が高く、それならと『七瀬ふたたび』を書いた。筒井は、この本で(まるで『幻魔対戦』のように)予知能力やテレキネシスといった超能力を持つ人間を登場させ、その戦いを描いてみたかったのだろう。内容は、筒井らしいエンターティメントとして抜きんでている。そして筒井はこの一冊で全てを終わらせた。超能力戦争はもう十分だということだろう。七瀬も「深い虚無」へ落ちた。
ところが、三作目を書くことに。一度死んだ七瀬を生き返らせるためには、“神”を描くしかないじゃないか。そうやって『エディプスの恋人』が生まれたのでは。この本のテーマは宇宙の真実(つまり“神”)、それにエディプス・コンプレックスという欲望をふりかけたものだ。むろん筒井らしいレトリックや展開は読ませるが、唸らせるのはエンディング。ここで前作との整合性をとり、ミステリー的な決着をつけている。さらに、最後の一行でとどめをさす。私は、この一行は「もう七瀬の話は書かないよ」というメタ・フィクション的な宣言だと思うが、どうだろうか?
エディプスの恋人 (1977年) Amazon書評・レビュー: エディプスの恋人 (1977年)より
B000J8UP5I
No.74
(5pt)

七瀬三部作へのオマージュ

このレビューを書いたのは、七瀬三部作に対する自分なりの考えをまとめたかったからだ。以降はネタバレ注意。
私はいわゆる筒井ファンではないが、この七瀬三部作は別格だ。今回再読してみて、あらためてそう感じた。
特に一作目の『家族八景』は、普通の家族が持つ(類型的だが)どろどろとした悪意を描いていて素晴らしい。精神分析的なレトリックを駆使して描かれる悪意は肥大させられているが、それゆえに人間の本質に迫るリアリティがある。主人公七瀬の保身や(自己本位という)悪意も隠さず描いている点も上手いと思う。
おそらく、筒井は『家族八景』を書いたことで作家的満足感を得たと思う。しかし七瀬再登場への要望が高く、それならと『七瀬ふたたび』を書いた。筒井は、この本で(まるで『幻魔対戦』のように)予知能力やテレキネシスといった超能力を持つ人間を登場させ、その戦いを描いてみたかったのだろう。内容は、筒井らしいエンターティメントとして抜きんでている。そして筒井はこの一冊で全てを終わらせた。超能力戦争はもう十分だということだろう。七瀬も「深い虚無」へ落ちた。
ところが、三作目を書くことに。一度死んだ七瀬を生き返らせるためには、“神”を描くしかないじゃないか。そうやって『エディプスの恋人』が生まれたのでは。この本のテーマは宇宙の真実(つまり“神”)、それにエディプス・コンプレックスという欲望をふりかけたものだ。むろん筒井らしいレトリックや展開は読ませるが、唸らせるのはエンディング。ここで前作との整合性をとり、ミステリー的な決着をつけている。さらに、最後の一行でとどめをさす。私は、この一行は「もう七瀬の話は書かないよ」というメタ・フィクション的な宣言だと思うが、どうだろうか?
エディプスの恋人 Amazon書評・レビュー: エディプスの恋人より
4103145064
No.73
(4pt)

小説家筒井康隆にしてもっとも美しくもっとも泣ける珠玉の文章

SF小説の出来具合はフィクションとリアリティの混合比によって決まります。

だいたいフィクション4対リアリティ6以上の比率でなければ読者はついていけないのです。

妄想家筒井康隆さんの「家族八景」「七瀬ふたたび」「エディプスの恋人」いわゆる七瀬三部作はSF小説の傑作、

その混合比はフィクション3対リアリティ7。2対8まで比率を上げていれば直木賞だったでしょうが。

小説家筒井康隆の膨大なエログロナンセンス、パロディ小説群のなかで一番の傑作、次点は「文学部唯野教授」。

「家族八景」にはじまる七瀬の超能力者設定は人の心を読み取る能力だけという押さえがいい。

家政婦として他人のうちを覗き込むという「家政婦は見た」の元祖版。

「七瀬ふたたび」はおそらく「家族八景」の思わぬヒットに気をよくした筒井さんが、

ヒロイン七瀬を007並みの活躍をさせるエンターテイメント小説に仕立てて二匹目のドジョウを狙って成功。

さらに「エディプスの恋人」では七瀬が神にまで昇華します。

三部作のクライマックスは60ページに及ぶエディプスの独白。

小説家筒井康隆にしてもっとも美しくもっとも泣ける珠玉の文章。

傑作です。
エディプスの恋人 (1977年) Amazon書評・レビュー: エディプスの恋人 (1977年)より
B000J8UP5I
No.72
(4pt)

小説家筒井康隆にしてもっとも美しくもっとも泣ける珠玉の文章

SF小説の出来具合はフィクションとリアリティの混合比によって決まります。

だいたいフィクション4対リアリティ6以上の比率でなければ読者はついていけないのです。

妄想家筒井康隆さんの「家族八景」「七瀬ふたたび」「エディプスの恋人」いわゆる七瀬三部作はSF小説の傑作、

その混合比はフィクション3対リアリティ7。2対8まで比率を上げていれば直木賞だったでしょうが。

小説家筒井康隆の膨大なエログロナンセンス、パロディ小説群のなかで一番の傑作、次点は「文学部唯野教授」。

「家族八景」にはじまる七瀬の超能力者設定は人の心を読み取る能力だけという押さえがいい。

家政婦として他人のうちを覗き込むという「家政婦は見た」の元祖版。

「七瀬ふたたび」はおそらく「家族八景」の思わぬヒットに気をよくした筒井さんが、

ヒロイン七瀬を007並みの活躍をさせるエンターテイメント小説に仕立てて二匹目のドジョウを狙って成功。

さらに「エディプスの恋人」では七瀬が神にまで昇華します。

三部作のクライマックスは60ページに及ぶエディプスの独白。

小説家筒井康隆にしてもっとも美しくもっとも泣ける珠玉の文章。

傑作です。
エディプスの恋人 (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: エディプスの恋人 (新潮文庫)より
4101171130
No.71
(4pt)

小説家筒井康隆にしてもっとも美しくもっとも泣ける珠玉の文章

SF小説の出来具合はフィクションとリアリティの混合比によって決まります。

だいたいフィクション4対リアリティ6以上の比率でなければ読者はついていけないのです。

妄想家筒井康隆さんの「家族八景」「七瀬ふたたび」「エディプスの恋人」いわゆる七瀬三部作はSF小説の傑作、

その混合比はフィクション3対リアリティ7。2対8まで比率を上げていれば直木賞だったでしょうが。

小説家筒井康隆の膨大なエログロナンセンス、パロディ小説群のなかで一番の傑作、次点は「文学部唯野教授」。

「家族八景」にはじまる七瀬の超能力者設定は人の心を読み取る能力だけという押さえがいい。

家政婦として他人のうちを覗き込むという「家政婦は見た」の元祖版。

「七瀬ふたたび」はおそらく「家族八景」の思わぬヒットに気をよくした筒井さんが、

ヒロイン七瀬を007並みの活躍をさせるエンターテイメント小説に仕立てて二匹目のドジョウを狙って成功。

さらに「エディプスの恋人」では七瀬が神にまで昇華します。

三部作のクライマックスは60ページに及ぶエディプスの独白。

小説家筒井康隆にしてもっとも美しくもっとも泣ける珠玉の文章。

傑作です。
エディプスの恋人 Amazon書評・レビュー: エディプスの恋人より
4103145064
No.70
(5pt)

答えの見出せない作品

実を言うと他の2作品は未読です。
一部部分はン…とは思いましたが
さほど読むことに関しては不自由はありませんでした。

まず特色としては
特有の文章使いをしているということでしょうか。
この形式は別の作家ですでに出くわしたことがあるので
新鮮、とまでは行きませんでしたが目を惹きました。

その中でも七瀬が出合ったある人の
文章表現はきっとクスッ、となることでしょう。
なるほど、そうなりますよね。と。

作品としてはやや難しいことでしょう。
人間の存在、という深いものをテーマとしているため。
そして絶対的な存在の暴走、
というのも出てきますので。

ただし、ある人物(?)が言っている
世の中の傾向は今のご時勢でも
なるほどな、と感じさせてくれることでしょう。

ちょいと難しいですが、嫌いではありません。
エディプスの恋人 (1977年) Amazon書評・レビュー: エディプスの恋人 (1977年)より
B000J8UP5I