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【マイケル・バー=ゾウハー】
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二度死んだ男の評価:
7.00/10点 レビュー 1件。 C ランク
書評・レビュー点数毎のグラフです
平均点7.00pt
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スピーディなスパイ小説
自身、戦争の闘士であったイスラエル作家マイケル・バー=ゾウハー1975年の作品で本書が私にとって初めての彼の作品である。実に淀みが無いエスピオナージュ作品。正味250ページ強という薄さながら、舞台はイタリア、イギリス、ハイチ、スペイン、フランス、ソ連、オーストリアと目まぐるしく移り変わる。それに加え、次から次へ現れる謎に、それに呼応して判明する諜報工作の数々。しかしどこまでが本当でどこからが虚偽なのか判らない。現代エスピオナージュ小説の巨匠ブライアン・フリーマントルと違うのはこのスピード感だろう。フリーマントルの作風は数カ国間に跨る国際犯罪、または第二次戦時下の亡霊の如く湧き上がってくる死体などをモチーフにどの国が主導権を握り、優位性を保つかという政治戦略的駆引きと上昇志向の高いエリートたちの高度な騙し合いに筆が費やされる。そのためあらゆるケース・スタディがなされ、自然厚みは増してくる。しかしバー=ゾウハーは次から次に解ってくる事実が謎を呼び、その謎の鍵を握る土地、人物へと向かう。そしてその先には主人公の命を狙う影が潜んでおり、主人公の行く手には屍が転がっていく。つまり非常にオーソドックスなエスピオナージュだと云える。このように実に淀みなく物語が進むのは、この物語が書かれた1975年当時が米ソの冷戦下という国際的な緊張関係あった事がもっとも要因として高いだろう。つまりその頃は敵の存在は明らかであり、物語はその敵とどのように戦い、もしくは逃れるかを焦点にしていたからだ。本書でも物語の発端となる「二度殺された男」の犯人は早々にKGBであると明かされる。しかしソ連崩壊後の現代ではこの敵が明確ではなくなった。従って世のエスピオナージュ作家は敵を作り出すのに尤もらしい理由を考えなければならなくなったのだ。また先進国と他国との差が縮まってきた事により、国家間の政治的交渉も単純なパワーゲームでは済まされなくなり、高度な駆引きが要求され、そのためにプロットは複雑化し、物語は増大していったのだろう。と、ここまで書いて気付くのは、実際のところ、物語の長大化を招いているのはワープロ、パソコンの普及もあるだろう。原稿用紙に手書き、もしくはタイプライターで書いていた頃は修正するにも大変であり、加筆もまた困難であった。しかしこの技術革新の賜物はそれらを容易にし、書いている最中、執筆が終盤に至っても、また校正後も手軽に追記・修正が出来る。しかしこれではなんとも味気ない理由ではあるのだが。閑話休題。先に物語は淀みなく進み、最初の死体の犯人も早々と明かされると書いたが、事件の構造は実に複雑で重層的だ。本作で多用されるこのような価値観の逆転というミスディレクションはほとんど本格ミステリその物である。つまりこの諜報員たちの騙し合いというのは虚実交えた情報操作の応酬であり、それらの情報の中から正しい物をいかに摘み取って判断するか、そしてその判断が間違えば、全く違う話になってしまうという高度な情報ゲームである。これは正に本格ミステリの創作作法ではないか。表と思っていたことが裏で、裏だと思っていたことが表となって反転する。つまり彼らはミステリの世界に常に身を置いているのだと云える。従ってインテリジェンスの世界に身を置いた人物がミステリを書くことは必然だったのだろう。現在新作の声が聞かれないマイケル・バー=ゾウハー。その著作も絶版が多く、今、書店で入手できるのはわずか3作しかない。冷戦下のスパイ小説は確かに21世紀の今、時代錯誤的な感触を持つかもしれないが、本書を読んだ限りでは全くそうではなく、本格ミステリに通じる味がある。今回は海外の赴任先の本棚に埃まみれになっていた本書を見つけて読んだが、なにかの切っ掛けで彼の諸作が復刊されることを強く望む。 ▼以下、ネタバレ感想
自身、戦争の闘士であったイスラエル作家マイケル・バー=ゾウハー1975年の作品で本書が私にとって初めての彼の作品である。
実に淀みが無いエスピオナージュ作品。正味250ページ強という薄さながら、舞台はイタリア、イギリス、ハイチ、スペイン、フランス、ソ連、オーストリアと目まぐるしく移り変わる。
それに加え、次から次へ現れる謎に、それに呼応して判明する諜報工作の数々。しかしどこまでが本当でどこからが虚偽なのか判らない。
現代エスピオナージュ小説の巨匠ブライアン・フリーマントルと違うのはこのスピード感だろう。
フリーマントルの作風は数カ国間に跨る国際犯罪、または第二次戦時下の亡霊の如く湧き上がってくる死体などをモチーフにどの国が主導権を握り、優位性を保つかという政治戦略的駆引きと上昇志向の高いエリートたちの高度な騙し合いに筆が費やされる。そのためあらゆるケース・スタディがなされ、自然厚みは増してくる。
しかしバー=ゾウハーは次から次に解ってくる事実が謎を呼び、その謎の鍵を握る土地、人物へと向かう。そしてその先には主人公の命を狙う影が潜んでおり、主人公の行く手には屍が転がっていく。つまり非常にオーソドックスなエスピオナージュだと云える。
このように実に淀みなく物語が進むのは、この物語が書かれた1975年当時が米ソの冷戦下という国際的な緊張関係あった事がもっとも要因として高いだろう。つまりその頃は敵の存在は明らかであり、物語はその敵とどのように戦い、もしくは逃れるかを焦点にしていたからだ。本書でも物語の発端となる「二度殺された男」の犯人は早々にKGBであると明かされる。
しかしソ連崩壊後の現代ではこの敵が明確ではなくなった。従って世のエスピオナージュ作家は敵を作り出すのに尤もらしい理由を考えなければならなくなったのだ。また先進国と他国との差が縮まってきた事により、国家間の政治的交渉も単純なパワーゲームでは済まされなくなり、高度な駆引きが要求され、そのためにプロットは複雑化し、物語は増大していったのだろう。
と、ここまで書いて気付くのは、実際のところ、物語の長大化を招いているのはワープロ、パソコンの普及もあるだろう。原稿用紙に手書き、もしくはタイプライターで書いていた頃は修正するにも大変であり、加筆もまた困難であった。しかしこの技術革新の賜物はそれらを容易にし、書いている最中、執筆が終盤に至っても、また校正後も手軽に追記・修正が出来る。しかしこれではなんとも味気ない理由ではあるのだが。
閑話休題。
先に物語は淀みなく進み、最初の死体の犯人も早々と明かされると書いたが、事件の構造は実に複雑で重層的だ。
本作で多用されるこのような価値観の逆転というミスディレクションはほとんど本格ミステリその物である。つまりこの諜報員たちの騙し合いというのは虚実交えた情報操作の応酬であり、それらの情報の中から正しい物をいかに摘み取って判断するか、そしてその判断が間違えば、全く違う話になってしまうという高度な情報ゲームである。
これは正に本格ミステリの創作作法ではないか。表と思っていたことが裏で、裏だと思っていたことが表となって反転する。つまり彼らはミステリの世界に常に身を置いているのだと云える。従ってインテリジェンスの世界に身を置いた人物がミステリを書くことは必然だったのだろう。
現在新作の声が聞かれないマイケル・バー=ゾウハー。その著作も絶版が多く、今、書店で入手できるのはわずか3作しかない。冷戦下のスパイ小説は確かに21世紀の今、時代錯誤的な感触を持つかもしれないが、本書を読んだ限りでは全くそうではなく、本格ミステリに通じる味がある。
今回は海外の赴任先の本棚に埃まみれになっていた本書を見つけて読んだが、なにかの切っ掛けで彼の諸作が復刊されることを強く望む。
▼以下、ネタバレ感想