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【スティーヴン・キング】
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骨の袋の評価:
7.00/10点 レビュー 1件。 D ランク
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アメリカの黒歴史の罪深さと差別の根強さと
本書は妻を突然死で亡くしたベストセラー作家マイクル・ヌーナンが主人公の物語なのだが、その内容は実に流動的だ。本書の大筋は妻を亡くしたことでライターズ・ブロックになった、つまり書けなくなった作家マイクル・ヌーナンが悶々とする日々を送る中、毎夜夢に登場するTRという正式名称もない町で買ったダークスコア湖の湖畔に建つ別荘へしばらく滞在し、そこで幽霊や生前の妻が取っていた奇妙な行動に出くわすという話だ。しかしそれに加え、別荘のある町TRで彼は若き未亡人マッティー・デヴォアと知り合いになり、彼女が自分の娘の監護権を巡って争っている隠居したコンピュータ産業王マックス・デヴォアとの裁判に一役買うことになり、それが原因で彼は嫌がらせを受けることになる。一方でマイクルは亡き妻ジョアンナが自分には内緒で死ぬ数年前にTRを何度か訪れ、調べ物をしていたことを知らされる。しかも彼以外の男性と親しく談笑していたこともマッティーの話で知るのだ。ジョアンナの生前の不審な行動に心騒めかせられながらも、マッティーの娘を巡る監護権の争いは例え大富豪といえども老い先短い相手よりも立場は優位なため、裁判の結果は火を見るよりも明らかだったが、なんとその車椅子に乗った老人マックス・デヴォアからマイクルは執拗な攻撃を受けるのだ。なんと湖の近くでマックスと出くわしたマイクルは彼に突き飛ばされて湖に落ち、そして彼の付き添いの秘書ロゲット・ホイットモアの投石で湖から上がることが出来ず、パニックに陥って死にそうになるのだ。いやあ、この老いてなお自分の思い通りにならないと気が済まない欲望の権化マックス・デヴォアの醜悪さはキング作品でも一、二を争う悪役だ。この執念深さに監護権争いの勝利目前にしてマイクルは絶望感を抱くのだが、突然それは好転する。マックスがいきなり自殺するからだ。しかしこれもまだ続く悲劇の序章に過ぎないことがクライマックスで判明する。それについては後に述べよう。ところで今回作家を主人公にしているせいか、ジョージ・スタークのような虚構のみならず実在する作家の名前が頻出するのもまた一興だ。それら実在する作家を例に出しながら小説家であることの意義やメリットについても作家であるマイクル・ヌーナンの独白の形で語られる。例えばミュージシャンは途轍もないヒットを生み出す代わりに飽きられると消えてなくなるが、作家は年を取っても新作を書き、またベストセラーを出せると説く。アーサー・ヘイリーやトマス・ハリスが『ハンニバル』を出してベストセラーになったことを引き合いに出し、ミュージシャンの例ではヴァニラ・アイスが挙がっているのは傑作だった。また出せば50万部、100万部の売り上げが約束される作家は1年に1冊は出すことが求められ、愛好者の多いシリーズキャラクターを持つ―キンジー・ミルホーンやケイ・スカーペッタが例に上げられている―と家族と再会したような効果があるので奨励されるなど。一方あまり出し過ぎると読者はつまらなく感じたりもするとも書かれている。また日本では年末のランキングを意識して秋に小説の刊行が活発になるが、アメリカでも秋や新年に出版ラッシュがあるようで、本書でもクーンツが例年1月に新作を出すとかそれぞれの作家が出す作品がどのような類のもので、例えばケン・フォレットは過去の傑作『針の眼』に匹敵する新作を出すと云った情報交換がなされること、更には自分と同じ作風やジャンルの作家と出版時期が被ることでニーズを食いつぶすので避けることなど動向を気にしている様が語られる。ところで実在する作家名と云えば、キング作品ではジョン・D・マクドナルドがやたらと登場する。今回もマイクル・ヌーナンが〈セーラ・ラフス〉での別荘生活を始めるにあたり、ジョン・D・マクドナルドの小説を23冊も持ってきたと述べる。この作家、かつては日本でも訳出されていたがかなり以前からそれは途絶えていた。しかし本国アメリカでは評価が高く、作家の中にもファンが多い。これほどまでにキングに取り上げられるだけにヘレン・マクロイなどのように日本でも再燃しないだろうか。東京創元社あたりが訳出してくれるといいのだが。マックス・デヴォアの自殺でマッティーとの間の障壁が無くなったマイクルはマッティーへの思いを強める。一方で彼女の監護権を争う弁護を請け負ったジョン・ストロウもまた彼女の魅力にほだされ、裁判が終了した暁には彼女へ交際を申し込もうと決断する。それほどまでに会う男性が魅了されるマッティーだが、彼女が選んだのはマイクル・ヌーナンで、彼女はもう何も気にするものはないとマイクルに猛烈にアプローチを掛ける。なんと公然とキスを交わし、夜になって娘のカイラが寝た時間になったら会いに来て、抱いてと家の鍵を隠している場所まで教える。まさに相思相愛で双方同意の下で熱い愛を交わせる間柄になったのだが、その夜マイクルは彼女の許を訪れず、代わりに奇妙な夢を見る。それはセーラ・ティドウェルがまだ存命で、町の老人たちが若かりし頃の時代に舞い戻りながらも、なぜか現代的な服装を着ている―ちなみにセーラが着ているのはマッティーがいつも着ている服なのだ―、夢ならではの不条理感に満ちた世界の中でなんとマイクルはマッティーの娘カイラと遭遇し、危機や楽しい時間を共有する。そのことでマイクルはマッティーよりも幼い娘カイラに深い絆を感じるのだ。これは自分と照らし合わせてすごく腑に落ちる思いだ。夢で出逢う人は途轍もなく深い愛情を感じるのだ。いや寧ろ夢で逢うことで自分がそれまで気付かなかった想いに気付かされるのだ。潜在的に行為を抱いていたこと、いや愛情を抱いていたことに。二度それを私は経験したことがあるのだが、その時の想いはいまだに色褪せない。一方で彼は亡き妻ジョアンナへの想いも絶やさない。従って彼に知らせずに彼女が単独でTRに訪れ、しかも自分ではない年配の男性に腰に手を回されても嫌な顔をせず、寧ろこの上なく親しげに談笑する姿を見かけられた話を聞かされて穏やかではない。しかしそのジョアンナの謎の行動は決して夫マイクルに対する裏切りではないことが判明する。その男とはジョアンナの実の兄フランクだったのだ。その事実を知ることでマイクルは安堵と共にジョアンナへの愛情を再認識するのだ。このようにキングは不安と安堵といった心の振幅を操作するのが実に上手い。そしてそれにも増して幸福と悲劇の振り幅が実に大きいのだ。この上下巻1,180ページ強で語られる〈セーラ・ラフス〉とその別荘のあるTRを取り巻く不穏な空気、かつてそこに住んでいた今は亡き黒人女性シンガー、セーラ・ティドウェルと彼女の周囲の人間たちが幽霊として存在を仄めかしながら復活へと向かう雰囲気、そして主人公マイクル・ヌーナンが一目惚れした未亡人マッティー・デヴォアと彼女を疎外する大富豪マックス・デヴォアの脅威がひしひしと迫りくる不穏さをじっくりと700ページ以上に亘って描きながら、一気にマックス・デヴォアの自殺によって好転するのは前に述べた通り。そして監護権はおろか、なんと8千万ドルもの遺産を条件付きで相続するというどん底からのV字回復を見せる。そこからマイクル・ヌーナンとデヴォアとの監護権を巡る戦いに関与した弁護士ジョン・ストロウ、ロミオ・ビッソネットと彼の相棒の探偵のジョージ・ケネディを加えた4人で祝賀会をマッティーの家で挙げるのだが、そのシーンは本書でも幸福感が溢れたシーンでもある。そしてそこからの悲劇。まさに天国から地獄へと突き落とされる途轍もない落差を見せるのだ。これがクライマックスへ反転する悲劇なのだが、これは『ペット・セマタリー』(傑作!)でもあった展開だ。最上の幸せからの悲劇への反転。これがキング流の揺さぶり方なのだ。そしてマッティーが見せる死に行く母親が見せる母性の強さは短編「マンハッタンの奇譚クラブ」で見せたシングルマザー、サンドラ・スタンフィールドの深い愛を感じさせる。さて本書のメインプロットはシンプルに云えば不当に虐げられて殺害された、浮かばれない亡霊の復讐譚であるのだが、その背景にあるのはいわば記録に残らない、だがそのことを知る住民によって語り継がれる街の黒歴史の物語であることだ。主人公マイクル・ヌーナンが所有する<セーラ・ラフス>のある正式な名もない、TRと呼ばれるその町にはかつて名を馳せ、今なお彼女によって歌われた歌が現役歌手によってカバーされる黒人歌手セーラ・ティドウェルが住んでいた。そう、マイクルの所有する別荘〈セーラ・ラフス〉こそ彼女が住んでいた家であり、その名の由来は彼女がかつて全米を魅了した特徴ある、顔を大きくのけぞらせて、髪の毛を腰のあたりにまで垂らしながら底抜けに明るい大きな笑い声をあげる魅力的な笑顔に由来している―なお作中でマイクルがこの名前をホール&オーツが歌っていたバラードの曲名みたいな名前だと述べるが、それは即ち“サラ・スマイル”のことだろう―。しかし全米をその笑顔で魅了した有名人であった彼女でさえ、アメリカ社会に深く根差している黒人差別からは逃れられなかった。この21世紀も20年が過ぎた今なお社会問題となって国中を、いや全世界を巻き込んだブラック・ライヴズ・マターが本書でも実に目を覆いたくなるような悲惨さで語られるのだ。この差別の問題の根深さを思い知らされると共に、20年以上経っても変わらないアメリカの教育や意識変化の無さに憤りと共に呆れてしまった。そしてもう1つ、町の黒歴史として忘れてはならないのが本書で初めてキングが創造した架空の町キャッスルロックの歴史も披露される。しかもそれは町が公式に編んだ町史という形でなく、在野の好事家マリー・ヒンガーマンという女性の自主出版書である。つまりこれもまた非公認のいわば黒歴史なのだ。それは世紀の変わり目ごろに40人もの黒人が住み着き、その連中がセーラ・ティドウェルとレッドトップ・ボーイズというミュージシャン集団の一員で彼らが土地を買い入れ、住み始めたこと、そして当初有色人種が乗り込むことで反対運動が起きるが、それも沈静化し彼女とその仲間たちは迎い入れられたが、いつしかこの地を後にした。その判明していなかった黒人たちの撤収の本当の理由がセーラ・ティドウェルの悲劇であったのだ。また本書で語られる差別はそれだけではない。マイクルが出会った実に魅力的なシングルマザー、マッティー・デヴォアに対する周囲の蔑みもそうだ。シングルマザーへの侮蔑、そして有力な高額納税者の意に沿わないことで受ける閉鎖的な村社会特有の村八分状態。これらもまた差別の一種だ。そして最後母親を喪ったカイラを引き取ることを決意したマイクル・ヌーナンだったが、弁護士ジョン・ストロウ曰く、それも時間が掛かると云われる。独身の男が女の子の親候補の場合、性虐待の恐れがあるという理由で。これもまた性差別である。さてキングと云えば他作品とのリンクだが、本書も例外ではない。本書の舞台はキングが創った架空の町デリー。そして『ニードフル・シングス』で崩壊したキャッスルロックもまた登場する。それだけではなく、他作品の登場人物もまた登場する。『ダーク・ハーフ』の主人公サド・ボーモントはその作品のクライマックスで彼のダーク・ハーフ、ジョージ・スタークと共同で書いていた『鋼鉄のマシーン』を出版したとき、本書の主人公マイクル・ヌーナンが2作目の『赤いシャツを着た男』を書いたころであり、そのサド・ボーモントも既に鬼籍に入ったと書かれている。そして『不眠症』で主人公を務めた老人ラルフ・ロバーツも登場する。そして最後事件の収拾に来たのはキャッスルロックで保安官助手をしていたリッジウィック保安官だ。そして彼から前保安官アラン・バングボーンはニューハンプシャーに移ったことが判明する。また<セーラ・ラフス>のあるダークスコア湖は『ジェラルドのゲーム』の舞台でもある。ところで本書の舞台TRの生き字引ロイス・メリルは、メリル姓から「スタンド・バイ・ミー」の最悪の不良エース・メリルの血縁であると思われる。この何とも不思議な題名、骨の袋。それはトマス・ハーディの言葉に由来している。それはどんなに精彩豊かに描かれた人物であっても、所詮小説の中の人物は実在するくだらない人間には到底及ばない骨の袋に過ぎないという自己否定とも謙遜とも取れる言葉から来ている。つまりは小説内人物はどんなに魅力的であっても血肉を持つ実在する人間の存在感には到底敵わないと述べているようだ。しかし物語が進むにつれて本当に骨の袋が登場する。それは〈セーラ・ラフス〉に取り憑くセーラ・ティドウェルとその息子キートの白骨化した亡骸を入れた骨の袋だ。これこそがセーラの怨霊の素であった。スティーヴン・キングはまだ筆を折らない。世紀を超え、今なお精力的な創作活動を続けている。ここで私は思うのはマイクル・ヌーナンはリチャード・バックマンに代わるキングの作家人生における人身御供だったのではないかと。キングも数々の作品を紡ぐにあたり、作家としては虚しさを覚えるこのトマス・ハーディの言葉は痛烈に響き、そして考えさせられたのではないだろうか。しかし彼の頭の中にはマイクル・ヌーナンが述べていたようにまだまだ頭の中に始終聞こえてくる色々な声があり、湧き出るアイデアがあるのだ。このトマス・ハーディの言葉でさえ、題材と扱うほどに。正直本書は数あるキング作品の中でも特段評価の高い本ではなく、キングと云えばコレ!というような作品ではない。しかしキングの創作に対する考えやブラック・ライヴズ・マターや妻を亡くした男が目の前に掴めた幸せを奪われた哀しい作品として妙に印象に残ってしまうのだった。 ▼以下、ネタバレ感想
本書は妻を突然死で亡くしたベストセラー作家マイクル・ヌーナンが主人公の物語なのだが、その内容は実に流動的だ。
本書の大筋は妻を亡くしたことでライターズ・ブロックになった、つまり書けなくなった作家マイクル・ヌーナンが悶々とする日々を送る中、毎夜夢に登場するTRという正式名称もない町で買ったダークスコア湖の湖畔に建つ別荘へしばらく滞在し、そこで幽霊や生前の妻が取っていた奇妙な行動に出くわすという話だ。
しかしそれに加え、別荘のある町TRで彼は若き未亡人マッティー・デヴォアと知り合いになり、彼女が自分の娘の監護権を巡って争っている隠居したコンピュータ産業王マックス・デヴォアとの裁判に一役買うことになり、それが原因で彼は嫌がらせを受けることになる。
一方でマイクルは亡き妻ジョアンナが自分には内緒で死ぬ数年前にTRを何度か訪れ、調べ物をしていたことを知らされる。しかも彼以外の男性と親しく談笑していたこともマッティーの話で知るのだ。
ジョアンナの生前の不審な行動に心騒めかせられながらも、マッティーの娘を巡る監護権の争いは例え大富豪といえども老い先短い相手よりも立場は優位なため、裁判の結果は火を見るよりも明らかだったが、なんとその車椅子に乗った老人マックス・デヴォアからマイクルは執拗な攻撃を受けるのだ。
なんと湖の近くでマックスと出くわしたマイクルは彼に突き飛ばされて湖に落ち、そして彼の付き添いの秘書ロゲット・ホイットモアの投石で湖から上がることが出来ず、パニックに陥って死にそうになるのだ。
いやあ、この老いてなお自分の思い通りにならないと気が済まない欲望の権化マックス・デヴォアの醜悪さはキング作品でも一、二を争う悪役だ。
この執念深さに監護権争いの勝利目前にしてマイクルは絶望感を抱くのだが、突然それは好転する。マックスがいきなり自殺するからだ。
しかしこれもまだ続く悲劇の序章に過ぎないことがクライマックスで判明する。それについては後に述べよう。
ところで今回作家を主人公にしているせいか、ジョージ・スタークのような虚構のみならず実在する作家の名前が頻出するのもまた一興だ。
それら実在する作家を例に出しながら小説家であることの意義やメリットについても作家であるマイクル・ヌーナンの独白の形で語られる。
例えばミュージシャンは途轍もないヒットを生み出す代わりに飽きられると消えてなくなるが、作家は年を取っても新作を書き、またベストセラーを出せると説く。アーサー・ヘイリーやトマス・ハリスが『ハンニバル』を出してベストセラーになったことを引き合いに出し、ミュージシャンの例ではヴァニラ・アイスが挙がっているのは傑作だった。
また出せば50万部、100万部の売り上げが約束される作家は1年に1冊は出すことが求められ、愛好者の多いシリーズキャラクターを持つ―キンジー・ミルホーンやケイ・スカーペッタが例に上げられている―と家族と再会したような効果があるので奨励されるなど。
一方あまり出し過ぎると読者はつまらなく感じたりもするとも書かれている。
また日本では年末のランキングを意識して秋に小説の刊行が活発になるが、アメリカでも秋や新年に出版ラッシュがあるようで、本書でもクーンツが例年1月に新作を出すとかそれぞれの作家が出す作品がどのような類のもので、例えばケン・フォレットは過去の傑作『針の眼』に匹敵する新作を出すと云った情報交換がなされること、更には自分と同じ作風やジャンルの作家と出版時期が被ることでニーズを食いつぶすので避けることなど動向を気にしている様が語られる。
ところで実在する作家名と云えば、キング作品ではジョン・D・マクドナルドがやたらと登場する。今回もマイクル・ヌーナンが〈セーラ・ラフス〉での別荘生活を始めるにあたり、ジョン・D・マクドナルドの小説を23冊も持ってきたと述べる。
この作家、かつては日本でも訳出されていたがかなり以前からそれは途絶えていた。しかし本国アメリカでは評価が高く、作家の中にもファンが多い。
これほどまでにキングに取り上げられるだけにヘレン・マクロイなどのように日本でも再燃しないだろうか。東京創元社あたりが訳出してくれるといいのだが。
マックス・デヴォアの自殺でマッティーとの間の障壁が無くなったマイクルはマッティーへの思いを強める。
一方で彼女の監護権を争う弁護を請け負ったジョン・ストロウもまた彼女の魅力にほだされ、裁判が終了した暁には彼女へ交際を申し込もうと決断する。
それほどまでに会う男性が魅了されるマッティーだが、彼女が選んだのはマイクル・ヌーナンで、彼女はもう何も気にするものはないとマイクルに猛烈にアプローチを掛ける。なんと公然とキスを交わし、夜になって娘のカイラが寝た時間になったら会いに来て、抱いてと家の鍵を隠している場所まで教える。
まさに相思相愛で双方同意の下で熱い愛を交わせる間柄になったのだが、その夜マイクルは彼女の許を訪れず、代わりに奇妙な夢を見る。それはセーラ・ティドウェルがまだ存命で、町の老人たちが若かりし頃の時代に舞い戻りながらも、なぜか現代的な服装を着ている―ちなみにセーラが着ているのはマッティーがいつも着ている服なのだ―、夢ならではの不条理感に満ちた世界の中でなんとマイクルはマッティーの娘カイラと遭遇し、危機や楽しい時間を共有する。
そのことでマイクルはマッティーよりも幼い娘カイラに深い絆を感じるのだ。
これは自分と照らし合わせてすごく腑に落ちる思いだ。
夢で出逢う人は途轍もなく深い愛情を感じるのだ。
いや寧ろ夢で逢うことで自分がそれまで気付かなかった想いに気付かされるのだ。潜在的に行為を抱いていたこと、いや愛情を抱いていたことに。二度それを私は経験したことがあるのだが、その時の想いはいまだに色褪せない。
一方で彼は亡き妻ジョアンナへの想いも絶やさない。従って彼に知らせずに彼女が単独でTRに訪れ、しかも自分ではない年配の男性に腰に手を回されても嫌な顔をせず、寧ろこの上なく親しげに談笑する姿を見かけられた話を聞かされて穏やかではない。
しかしそのジョアンナの謎の行動は決して夫マイクルに対する裏切りではないことが判明する。
その男とはジョアンナの実の兄フランクだったのだ。その事実を知ることでマイクルは安堵と共にジョアンナへの愛情を再認識するのだ。
このようにキングは不安と安堵といった心の振幅を操作するのが実に上手い。そしてそれにも増して幸福と悲劇の振り幅が実に大きいのだ。
この上下巻1,180ページ強で語られる〈セーラ・ラフス〉とその別荘のあるTRを取り巻く不穏な空気、かつてそこに住んでいた今は亡き黒人女性シンガー、セーラ・ティドウェルと彼女の周囲の人間たちが幽霊として存在を仄めかしながら復活へと向かう雰囲気、そして主人公マイクル・ヌーナンが一目惚れした未亡人マッティー・デヴォアと彼女を疎外する大富豪マックス・デヴォアの脅威がひしひしと迫りくる不穏さをじっくりと700ページ以上に亘って描きながら、一気にマックス・デヴォアの自殺によって好転するのは前に述べた通り。
そして監護権はおろか、なんと8千万ドルもの遺産を条件付きで相続するというどん底からのV字回復を見せる。
そこからマイクル・ヌーナンとデヴォアとの監護権を巡る戦いに関与した弁護士ジョン・ストロウ、ロミオ・ビッソネットと彼の相棒の探偵のジョージ・ケネディを加えた4人で祝賀会をマッティーの家で挙げるのだが、そのシーンは本書でも幸福感が溢れたシーンでもある。
そしてそこからの悲劇。まさに天国から地獄へと突き落とされる途轍もない落差を見せるのだ。
これがクライマックスへ反転する悲劇なのだが、これは『ペット・セマタリー』(傑作!)でもあった展開だ。
最上の幸せからの悲劇への反転。これがキング流の揺さぶり方なのだ。
そしてマッティーが見せる死に行く母親が見せる母性の強さは短編「マンハッタンの奇譚クラブ」で見せたシングルマザー、サンドラ・スタンフィールドの深い愛を感じさせる。
さて本書のメインプロットはシンプルに云えば不当に虐げられて殺害された、浮かばれない亡霊の復讐譚であるのだが、その背景にあるのはいわば記録に残らない、だがそのことを知る住民によって語り継がれる街の黒歴史の物語であることだ。
主人公マイクル・ヌーナンが所有する<セーラ・ラフス>のある正式な名もない、TRと呼ばれるその町にはかつて名を馳せ、今なお彼女によって歌われた歌が現役歌手によってカバーされる黒人歌手セーラ・ティドウェルが住んでいた。
そう、マイクルの所有する別荘〈セーラ・ラフス〉こそ彼女が住んでいた家であり、その名の由来は彼女がかつて全米を魅了した特徴ある、顔を大きくのけぞらせて、髪の毛を腰のあたりにまで垂らしながら底抜けに明るい大きな笑い声をあげる魅力的な笑顔に由来している―なお作中でマイクルがこの名前をホール&オーツが歌っていたバラードの曲名みたいな名前だと述べるが、それは即ち“サラ・スマイル”のことだろう―。
しかし全米をその笑顔で魅了した有名人であった彼女でさえ、アメリカ社会に深く根差している黒人差別からは逃れられなかった。
この21世紀も20年が過ぎた今なお社会問題となって国中を、いや全世界を巻き込んだブラック・ライヴズ・マターが本書でも実に目を覆いたくなるような悲惨さで語られるのだ。
この差別の問題の根深さを思い知らされると共に、20年以上経っても変わらないアメリカの教育や意識変化の無さに憤りと共に呆れてしまった。
そしてもう1つ、町の黒歴史として忘れてはならないのが本書で初めてキングが創造した架空の町キャッスルロックの歴史も披露される。しかもそれは町が公式に編んだ町史という形でなく、在野の好事家マリー・ヒンガーマンという女性の自主出版書である。つまりこれもまた非公認のいわば黒歴史なのだ。
それは世紀の変わり目ごろに40人もの黒人が住み着き、その連中がセーラ・ティドウェルとレッドトップ・ボーイズというミュージシャン集団の一員で彼らが土地を買い入れ、住み始めたこと、そして当初有色人種が乗り込むことで反対運動が起きるが、それも沈静化し彼女とその仲間たちは迎い入れられたが、いつしかこの地を後にした。その判明していなかった黒人たちの撤収の本当の理由がセーラ・ティドウェルの悲劇であったのだ。
また本書で語られる差別はそれだけではない。マイクルが出会った実に魅力的なシングルマザー、マッティー・デヴォアに対する周囲の蔑みもそうだ。
シングルマザーへの侮蔑、そして有力な高額納税者の意に沿わないことで受ける閉鎖的な村社会特有の村八分状態。これらもまた差別の一種だ。
そして最後母親を喪ったカイラを引き取ることを決意したマイクル・ヌーナンだったが、弁護士ジョン・ストロウ曰く、それも時間が掛かると云われる。独身の男が女の子の親候補の場合、性虐待の恐れがあるという理由で。これもまた性差別である。
さてキングと云えば他作品とのリンクだが、本書も例外ではない。
本書の舞台はキングが創った架空の町デリー。そして『ニードフル・シングス』で崩壊したキャッスルロックもまた登場する。それだけではなく、他作品の登場人物もまた登場する。
『ダーク・ハーフ』の主人公サド・ボーモントはその作品のクライマックスで彼のダーク・ハーフ、ジョージ・スタークと共同で書いていた『鋼鉄のマシーン』を出版したとき、本書の主人公マイクル・ヌーナンが2作目の『赤いシャツを着た男』を書いたころであり、そのサド・ボーモントも既に鬼籍に入ったと書かれている。そして『不眠症』で主人公を務めた老人ラルフ・ロバーツも登場する。
そして最後事件の収拾に来たのはキャッスルロックで保安官助手をしていたリッジウィック保安官だ。そして彼から前保安官アラン・バングボーンはニューハンプシャーに移ったことが判明する。
また<セーラ・ラフス>のあるダークスコア湖は『ジェラルドのゲーム』の舞台でもある。
ところで本書の舞台TRの生き字引ロイス・メリルは、メリル姓から「スタンド・バイ・ミー」の最悪の不良エース・メリルの血縁であると思われる。
この何とも不思議な題名、骨の袋。それはトマス・ハーディの言葉に由来している。
それはどんなに精彩豊かに描かれた人物であっても、所詮小説の中の人物は実在するくだらない人間には到底及ばない骨の袋に過ぎないという自己否定とも謙遜とも取れる言葉から来ている。つまりは小説内人物はどんなに魅力的であっても血肉を持つ実在する人間の存在感には到底敵わないと述べているようだ。
しかし物語が進むにつれて本当に骨の袋が登場する。それは〈セーラ・ラフス〉に取り憑くセーラ・ティドウェルとその息子キートの白骨化した亡骸を入れた骨の袋だ。これこそがセーラの怨霊の素であった。
スティーヴン・キングはまだ筆を折らない。世紀を超え、今なお精力的な創作活動を続けている。
ここで私は思うのはマイクル・ヌーナンはリチャード・バックマンに代わるキングの作家人生における人身御供だったのではないかと。キングも数々の作品を紡ぐにあたり、作家としては虚しさを覚えるこのトマス・ハーディの言葉は痛烈に響き、そして考えさせられたのではないだろうか。
しかし彼の頭の中にはマイクル・ヌーナンが述べていたようにまだまだ頭の中に始終聞こえてくる色々な声があり、湧き出るアイデアがあるのだ。このトマス・ハーディの言葉でさえ、題材と扱うほどに。
正直本書は数あるキング作品の中でも特段評価の高い本ではなく、キングと云えばコレ!というような作品ではない。
しかしキングの創作に対する考えやブラック・ライヴズ・マターや妻を亡くした男が目の前に掴めた幸せを奪われた哀しい作品として妙に印象に残ってしまうのだった。
▼以下、ネタバレ感想