時間線をのぼろう(時間線を遡って)
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きのうから、ロバート・シルヴァーバーグの『時間線をのぼろう』を読んでる。ひさびさの長篇だ。旧訳の『時間線を遡って』は読んでるから、おおよそのところは憶えているが、シルヴァーバーグの筆の味をひさしぶりに味わっている。まだ、冒頭の主人公の青年が古代ビザンチンを専攻していたってところ。きょうも、寝るまえに、つづきを読もう。 きょう読んだところでは、主人公が祖母を時間旅行で見て、一目ぼれしたところ。どうなったかどうかは記憶にない。そういう意味でドキドキの展開だ。きょう寝るまえと、あした読むところで、どうなったかを知ることになるであろう。あした読み終わると思うけれど、そのあと、なにを読もうか。あした決めよう。 読み終わった。おもしろかった。記憶していた部分が少なくて、はじめて読むような気分だった。主人公は自分の先祖とセックスするが、一夜限りのことであって、タイム・パラドックスを含めたいざこざがあって、さいごには数千年むかしに赴くこととなったが、タイム・パトロールに捕まった分身が処罰されると同時に非存在の身になったのであった。 そうだ。本文の87ページに、つぎのような文章があったが 「あなたは時間線をのぼります」 「そうだ」 「そして──ビザンティウム」 「そう、ビザンティウムだ」 「そこは老人の住むべきところではない」部屋の奥で、いきなり誰かが叫んだ。「若者たちは愛をささやき、小鳥はさえずり──」 「ビザンティウム」踊り疲れて、ぼくの足元で大の字に寝ていたダンサーがつぶやいた。 「皇帝の黄金の鍛冶工(かじこう)たちよ!」シゲミツが叫んだ。(以下略) これは、イエーツの詩「ビザンティウムへ船出して」の冒頭の有名な詩句と終わりの有名な詩句に由来している。 一 それは老人の住む国ではない。 かいな組み交わす若人たち、木々の百鳥、 ──これら、やがて逝(ゆ)くべき族(やから)──唄をうたうものども、 (略) 四 自然より出たからには、我身を、どんな 自然の具象にも似させることはしまい。 ただこの私の願うのは、希臘(ギリシア)の黄金細工師が、うつらねむりする帝(みかど)を (略) (尾島庄太郎訳) | ||||
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シルヴァーバーグはSF界随一のストリーテラー。初期は通俗小説の書き手と思われていたが、1960年代後半から問題作を立て続けに発表、新しいSFの旗手となった。 本書は、時間旅行が可能になった時代に、旅行ガイドがビザンティンで絶世の美女と出会い、恋におちる物語。セックス描写の禁じられたお子様向けのSFとは違い、意識的にセックス描写を入れて大人向けの小説として書かれたが、当時、大胆な描写に話題になっいた。 ストーリは面白いし、結末はちょっとビターだけど、人生には岐路があり、どうなるかわからない、というアイロニーを感じる。 | ||||
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タイムスリップものが大好きな私ですが、どうにも読後感が悪かったです。 まず、物語が佳境に至るまでが、とても長く感じられました。 アレが多過ぎて、そんなに要る???と、うんざりしました。 最後の辺りで、やっと汗握る怒涛の展開になりますが、・・・あっけない、救われない・・・。 例えハッピーエンドでない結末だったとしても、何がしかの希望を持てる様な終わり方が好きなんだな自分は・・・、と思いました。 物語の世界観や状況設定などは面白かっただけに、残念です。 | ||||
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24歳のジャド・エリオットはギリシア系の血を引くアメリカ人。2059年の春、アンダー・ニューオーリンズで出会ったサムに誘われてタイム・クーリエの職に就く。時間旅行技術を利用して観光客を様々な時代に案内する旅行ガイドだ。ジャドはビザンティン帝国の歴史の知識を生かして、12世紀の十字軍遠征や14世紀の黒死病が猖獗を究めた時代、15世紀のコンスタンティノープル陥落の瞬間などへ大勢の観光客を案内していた。しかし、その途上で自分の家系を調べているうち、祖先の一人である女性プルケリアと恋に落ちてしまう…。 ---------------------------- 1969年にアメリカで出版されたタイムトラベルSFです。 最高裁判事つきの三等書記官という、安定はしているものの刺激に欠ける職を辞した後に飛び込んだ世界で、ジャドは痛快無比、豪壮華麗な旅を繰り返します。ビザンティン帝国をはじめとする西洋史の瞬間を目の当たりにできる時間旅行と考えただけで興奮を抑えられないのはジャドのみならず読者の私も同類です。現代と異なり、欲するところを剥き出しにして生を全うする過去人たちが織り上げる歴史絵巻は、血沸き肉躍るパノラマ劇といえます。 同じ場所へ反復して旅する結果生まれる時間パラドックスも、シルヴァーバーグが考案する<時間線分離パラドックス>なるものによって一定の制限内ではあるものの、乗り越えられていきます。その理屈を説明するくだりは難解複雑ですが、高度な脳トレをじっくり味わうことができると考えればこれまた一興です。 そしてジャドは、時間線を<上った>先で、恋に<落ちる>のです。 24歳の男の恋にセックスは欠かせません。執拗なまでにセックス描写が多いのは、1970年代が目前に迫ったときに紡がれた小説だからということもあるでしょうが、それが肉体的な忘我の境地をひたすら味わうがためのものではないことをジャドは次のように描写します。 「セックスとは、腰の一部の痙攣だけではない。セックスとは、精神的結合、相互的信頼を祝福する儀式なのだ。二人はベッドのなかでたがいに約束しあう。わたしは、あなたが与えてくれるであろう快感とひきかえに、わたしをあなたにあずけ、そしてわたし自身あなたに快感を与えられるよう努力します。社会的契約とでも呼ぼう。スリルは、その契約のなかにあるのであって、快感はその報酬にすぎないのだ。」(279頁) こんな具合に恋の要諦を受け止めたジャドはしかし、思わぬ時間パラドックスに足をすくわれ、命の危機に陥ってしまいます。最後の100頁に見られる怒涛の展開に手に汗握り、そしてその先に待ち受ける苦い結末に呆然としながら、この超弩級エンターテインメントSFを堪能しました。 ---------------------------- *75頁:「采配をふるっていた」とありますが、「采配を振るう」ではなく「采配を振る」が本来の日本語です。ですからここは「采配をふっていた」とするべきです。 *78頁:「ルネッサンス」とありますが、最近は「ルネサンス」という表記が一般的です。68頁に「ローズヴェルト大統領」とあります。以前は「ルーズヴェルト」と表記していたのを原音に近い「ローズヴェルト」とわざわざ最近の表記に合わせたのですから、Rennaissanceも「ルネサンス」としたほうがよかったのではないでしょうか。 *86頁:「ひと段落すると」とありますが、「一段落」とかいて「いちだんらく」と読むのが正式な日本語です。 「平成5(1993)年のNHK「ことばのゆれ調査」では、[イチダンラク]と読む人が8割いたのに対し[ヒトダンラク]と読む人が2割いました。」(NHK放送文化研究所のHPより)ということです。 *147頁:主人公ジャドの同僚メタクサスが、自分の祖先の女性たちと幾世代にもわたって同衾し続けることを「組織的にやる」といっています。しかしメタクサス<ひとりが>「組織的」にやることはできません。原文はMetaxas seduces systematically!となっています。systematicallyは徹底的かつ効率的な手段で、計画立てて物事をおこなう様子を表す副詞で、必ずしも複数の人の手によることを意味しません。メタクサス一人がおこなう行為ならば「順序だてて」あるいは「ひとつまたひとつと」と訳したほうが適当でしょう。 *156頁:主人公ジャドが2049年に祖母を訪ねて「養老院」に行ったとありますが、日本では「養老院」という言葉は「昭和38年(1963)老人福祉法の制定により、老人ホームと改称され」ています(デジタル大辞泉より)。ですから「養老院」を日本で普段使いの言葉として使うのは1960年以前に生まれた人だけでしょう。ジャドは2035年生まれです。 *216頁:「アイオワ州デイモイン」とありますが、アイオワ州の州都の名前は「デモイン」です。 ---------------------------- この『時間線をのぼろう』は1969年の作品ですが、リチャード・マシスンは1953年に『Disappearing Act』という幻想短篇小説を発表しています。『時間線をのぼろう』を読み終えて、シルヴァーバーグはマシスンの作品に影響を受けているのではないかという想像をしました。 『Disappearing Act』は日本では『蒸発』の邦題で『』(ハヤカワ文庫 NV 37)に収められています。 | ||||
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人間が生きているということはこういうことなのだろうか。タイムトラベルで過去に行く物語は、SFでは定番中の定番。いくつかのパラドックスがあるのも分かりきったことなので、ハラハラドキドキの展開になるのも予定調和である。その上で、人間の業なのだろうか、主人公のジャドはその時代でヤリまくる。祖先もヤってしまう。それが元でトラブルにもなるのだが、そんなことは構わない。ページをめくればセックスシーンが出てくる。なんだ、このハチャメチャな小説は! 何も考えずに物語の流れに身を委ねて楽しむ作品である。 | ||||
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