ゼンデギ
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種別
長編
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あらすじ
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評判
ゼンデギの評価:
0.00/10点 レビュー 0件。 D ランク
ゼンデギの総合評価:
6.20/10点 レビュー 10件。
感想一覧
サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
Amazonレビュー
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
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当時の評者は『宇宙消失』以来のイーガン恐怖症(?)に陥っていたので、新刊は購入しても積読していた。ただ、本書だけは早々に読了した友人の話を聞いてそれほど恐れなくてもよさそうだと思っていた。しかし恐怖症を克服する(?)まで時間がかかった上に、日本での出版順に(短編集を含めて13冊(12作))読んできたので、本書に辿り着くまでずいぶん時間がかかってしまった。結局10年間積読していたことになる。
『ゼンデギ』という表題は意味が分からず、イーガンの作風もあって少し不安感を覚えるが、英語の“Life”を意味するペルシア語であり、作中に登場するVRゲームの名前だとわかると少し安心する。
読後感を一言でまとめると、イーガンの長編としては予想外だったということになる。
これまでのイーガンの長編は、発端は日常的に始まっても早い段階で現実とは相当に異なる設定の舞台(仮想世界、未来社会等)に移行していた。また、登場人物もいわゆる一般的な社会人ではない場合が多かった。それは、奇想とも言えるアイデアを語るために現実とは異なる舞台や登場人物が必要とされたためだろう。
しかし、本作は、発表年に近い近未来のイランを舞台に、オーストラリア人の男性ジャーナリストとアメリカでの研究経験を持つイラン人の女性ゲーム開発者を主人公にしているため、舞台となっているイランの日常生活こそ多少の異郷感があるが、SFとしては比較的日常的な物語として描かれている。
これは、『順列都市』、『ディアスポラ』、『白熱光』など、特に癖の強い長編の印象に捕らえられている評者にとっては予想できないことだった。
しかし、イーガンの作品全体で見ればそれほど珍しいものではない。政治的な混乱の中にあるイランという舞台こそ初めてだけど、中短編の中には本作のように一般的な社会人を主人公にして近未来の技術を描いた作品もある。つまり、本作は、これまで中編にしていたようなテーマを長編として描いた作品ということになる。
中短編と長編の違いはどこに有るのだろうか。
さまざまな定義があるとは思うが、仮に、アイデアを語ることを柱とするのが短編。そのアイデアに何らかのドラマを加えて描くのが中編とするならば、長編はそのアイデアとドラマを十分に膨らませて、中短編では描き切れないものを描く。そして、読者にひとつの物語を読んだという満足感を与える。それが長編ではないだろうか。
本作のアイデアの主テーマは仮想人格。昨今流行の人工知能ではなく、実在の人間の人格を仮想空間上で再現するというもの。イーガンの過去の作品には、長篇、中短編共に仮想人格が登場するものが多いが、それらの全ては完成されたものとして登場していた。技術的に発展途上のものが描かれていたこともあるが、全体的な生命進化の流れとして、進化した生命は必然的に仮想空間上の情報生命体に移行すると想定されているものが多かった。
しかし、本作で描かれるのは、初期的な仮想人格。人類最初の仮想人格は、誰が、どのような目的で、どのような方法で生み出そうとするのか?それを描いたのが本作である。
このテーマのSFは、仮想人格を人工生命の一形態と考えるなら過去にも数限りなく書かれている。
イーガンは、歴史的な傑作も数多いこの分野に何を付け加えようとしたのだろう?
想像するに、イーガンは、人工生命の実現は当面の目標としては困難だが、機能が限定されたものならば最新の技術を使うことによって実現可能ではないかという発想で本作を構想したのではないかと思う。
評者が考えるイーガンのアイデアのポイントは以下の5点。
仮想人格は脳マッピングデータによって脳ネットワークを再現することで実現されるが、その技術の確立はまだまだ先になる。
ゲームや映画に登場するプロキシ(キャラクター)の機能を向上させることにより、機能が限定された人工生命を産みだすことができるのではないか。
有名なスポーツ選手の能力を測定してプログラムすることができれば、ゲームのキャラクターとして再現することができるだろう。
個人の運動能力が仮想空間で再現できるのならば、個人の人格もある程度再現できるのではないか。
個人の人格を仮想空間で再現するためには、どのようなデータを測定する必要があるのか。
このアイデアに従って、仮想人格を実現するためのプロジェクトが進んでいく。
一方、ドラマについては親子の関係が描かれる。このテーマについては中篇の「ひとりっ子」や長篇の『ディアスポラ』などで描かれているので、イーガンにとってはなじみ深いテーマなのではないだろうか。ただ、本作ではそれが長篇としての大きなテーマになっているので、過去のどの作品よりもドラマチックな設定で踏み込んで描いていると思う。
本作は二部構成で、第一部は発表の3年後の西暦2012年を、第二部はその15年後を舞台にしている。
また、全体を通して奇数章は、主人公の一人、ジャーナリストであるマーティンの物語を、奇数章はもう一人の主人公、ナシムの物語を描いている。
この中で、第一部の奇数章は、アイデア、テーマとの関係は希薄で、舞台背景とキャラクター紹介の意味合いが強い。一方、偶数章の方は、ナシムが技術者であることからキャラクター紹介と同時にアイデアの技術基盤が紹介されている。
第一部は、発表時点からすれば近未来だが同時代感覚が強い。あまりに日常的なうえに展開も緻密なので、読んでいる間は本書のテーマを忘れてしまっていた。
特に奇数章については政治的ドキュメンタリーがテーマだったのではないかと疑うほど。その設定については結局、第二部で架空歴史になってしまったけれども。
なお、第一章に登場する〈Audacity〉は、評者も音源をデジタル化する時に使っていたので、主人公の気持ちはよくわかる。振り返ってみれば恥ずかしく、買い直すほどのものではないようなコレクションも確かに自分の一部であって、人格の一部を構成しているのだと思う。
第二部になるとメインテーマが動き始める。
詳述すると結末を明かしてしまいそうな気がするので、以下は箇条書きにとどめる。
ゲーム〈ゼンデギ〉のシナリオとして描かれている『シャーナーメ』の物語には、良きライバルであるテッド・チャンの世界への接近を感じる。
ナシムが予感し、ロロも忠告するキャプランと〈イコノメトリクス〉による〈ファリバ〉の未来は『ブレードランナー』に通じる世界かもしれない。
キャプランはナシムに「もしうまくいかなかったとき、自分でゴミを片付ける覚悟はあるか?」と問うが、これは『フランケンシュタイン』以来の課題に対する回答だなと思う。
読了後にネットでの評価を見て初めて気づいたのだが、本書はイーガンの作品の中では読者の評価はあまり高くないらしい。近未来のイランを舞台にしてその社会と政治体制についてしつこいまでに細かく記述していること、また、過去の長編で描かれていたような発想の飛躍が見られないことが主たる原因のようだ。評者は2人の主人公の日常と同時に、2人を取り巻いている社会状況も興味深く読んでいたので、その低評価は意外だった。
近未来を舞台とすることのリスクが現れているのかもしれない。舞台となっている時代が現実に到来し、架空のものとして描かれていた仮想人格がAI、ディープ・ラーニングによって実現しようとしていることが、本作の“売り”の一つを時代遅れにしてしまったと考えられているのかもしれない。(アポロ計画の実現が月面探検SFの時代を終わらせてしまった過去を思い出す。)
原文と比べたわけではないが、ところどころかなり理解するのに悩む表現があった。これは、『ディアスポラ』や『白熱光』では当たり前だったが、読み易いと思えた本作でも同様だった。論理の組み立ての複雑さと記述の細かさはこれまでの超ハードSFと変わらないということかも。