(短編集)
魔の淵
- アンソロジー (259)
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必ずしも『新青年』作家=探偵作家とは限らない。久生十蘭や獅子文六がその例だが、 三橋一夫の場合、まだ探偵小説界人脈寄りなところもありながら傍流の人と見るべきで。 本巻収録3長篇も犯罪こそ起こるけれど謎解きや論理的な面はまるで無く、帯にある「ダーク・サスペンス」なんて小洒落たもんじゃない。 いずれも重くドロドロした人間模様を描いたもので、「魔の淵」は花登筺的設定、 「卍の塔」は当時流行した”女のよろめき”に端を発する安手の韓流・昼メロ調すれ違い、 「第三の影」は空手の達人たる快男子対チンピラ愚連隊、そして陰で糸を引く首領の正体は誰かという物語。 初出は書下ろしなのかどこかでの連載だったのか何も解説で触れられていない。調べた上で解らなかったのか最初から調べていないのか・・・。 話の結末をベラベラ喋ってネタバレしているレビューがあるが、発売日直後からこんな事を書かれたらこれから本巻を読む人は興醒めだろうな。 三橋のメインストリームである「まぼろし部落~不思議小説シリーズ」は庶民性が濃くて、年配者が語る日本昔ばなしの変種のように私は感じてきた。 昭和大衆小説の古さは私にとってはチャームポイント。しかるに彼の作品はどうも古臭さが野暮ったい。私が三橋をあまり好みでないのはそういう理由による。 でも、本巻の「魔の淵」などは横溝正史「鬼火」的なしつこ過ぎる確執もあり、不思議小説シリーズよりはまだずっと読書がサクサク進んだ。 珍奇なものを採り上げる本全集のコンセプトには今回の三橋作品はとても合致していると思う。 ただし、本巻3長篇を「ミステリ色の強い作品」などと言っているが、ミステリ=コチコチの論理と考えているような人は勿論のこと、 謎の提示・解決への流れ等がミステリの体を成してないので、読み終えて「これってミステリなのか?」と惑う人は結構いると推測する。 冒頭に挙げた獅子文六の某作をミステリ扱いしているガイド本を最近見かけた。故・水谷準や小林信彦がそれを見たらきっと「はぁ?」と言うに違いない。 ミステリとして扱えば喰いつきがよかろうとよく吟味もせず、何でも安直にミステリ扱いするのはいかがなものだろうか? 最近この手の言動による商売が目に付くので疑問視せざるをえない。出し手は三橋一夫のこういう作品を売りたいのなら、 古本狂だけでなく、もっと全然別の購買層(例えば昼メロ好きな中高年女性)に新規開拓でアピールしたらどうか? 皮肉でなくホントに。 | ||||
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「不思議小説」と呼ばれる短編シリーズで知られた三橋一夫は、1954年ミステリー色の強い長編「魔の淵」を書き下ろし、1956年以後は青春小説、明朗ユーモア小説、アクション小説を大量生産する、貸本人気作家となった。本書はこれらの小説群の中から、比較的ミステリー風味があるとされる「卍の塔」(1962年)、「第三の影」(1958年)を選び、「魔の淵」とともに収録した、三橋一夫長編小説集である。分量は「卍の塔」が約183頁で一番多く、「魔の淵」は約181頁、「第三の影」は約136頁である。 私的感想1 せっかくの長編小説集なのに、編者解題も、巻末資料も、月報も、三橋一夫の「不思議小説」や「不思議作家ぶり」の紹介、賞賛に熱心で、肝心の本編収録長編については、ちょっと熱意が低いように思われる。下村明「風花島殺人事件」とは、明らかに激賞度が異なる。それでも「魔の淵」は編集解題で、条件付きで褒められてはいるが、「卍の塔」、「第三の影」はまとめて2行で終わっている。 私的感想2 「魔の淵」は一応異色ミステリーだろう。「卍の塔」はミステリー風味のメロドラマであろう。「第三の影」は、無法地帯潜入型勧善懲悪現代青春アクション空手小説であろう。 以下、内容について書くので、近い将来に本書を読まれる予定の方は、読まれない方がよい。 私的感想3 「魔の淵」 一、 実に面白い。限られた、狭い世界で展開される話なのに、先が読めない。読みだすと、先が読みたくなって、止められなくなってしまう。 二、 本書は、化粧品兼洋傘販売兼不動産業の風間商店の主人風間弁助の家族と奉公人達を、善と悪の二群に分け、善と悪の辿る運命を描いた小説であるといえる。しかし、善人たちと悪人たちの対立を描いた小説とはいえない。善人たちはひたすら善人であり、悪人たちは様々な陰謀をめぐらすが、内部崩壊して、自滅のように滅んでいくのである。本書の一番の面白さは、この善悪の運命、とくに悪の陰謀と末路にあるといえる。 三、 そして、善悪の運命に影響を及ぼす中心人物として、弁助が重要である。元助は悪側の有用性、有能性ゆえに、悪側を引きたて、援助するが、そのバランス感覚ゆえに、無用、無能な善側に対する援助も打ち切ることはしない。そのため、悪は善を圧倒できず、そのいら立ちと不安が、悪を愚かな陰謀へと向かわせるのである。 四、 経済優先主義、快楽優先主義と、微妙なバランス感覚で、風間家を繁栄させ、支配してきた弁助だが、最後の最後にやってしまう(息子から恋人を奪い取る)ことは、まったくバランス感覚のない、自滅的行為で、一読者として、これはちょっと理解できない。しかし、こうしないと、物語を面白く終わらせることができないと意味では理解できる。 五、 事件が二つ起きる。殺人事件が一つと急死事件が一つ。これらの事件の謎も本書の面白さの構成要素の一つではあるが、中心的なものではない。謎を熱心に解こうとする人間もいない。読者には、ほとんど、謎は流れのようにして解けていくのである。 「卍の塔」 一、 本書は、恋愛の末に結ばれ、幸せの絶頂にあった新婚若夫婦が、夫の出張、事故、記憶喪失をきっかけに、運命と陰謀が重なって、修復しがたい関係となり、波乱万丈の道を辿ることになるが、最後はお互い新しい相手と結ばれて、幸せな結末になるというメロドラマである。失踪で始まる点や、二つの故意の交通事故の真相というミステリー風味もあるが、メロドラマとするのが適切であろう。 二、 本書がミステリーでなく、メロドラマである理由の一つは、愛する夫が出張先で行方不明になっているというのに、妻は出張先まで行って、夫を徹底的に探すのではなく、悪辣モダンガールの従妹の罠にはまり、酔わされてしまい、従妹の用意した、妻のある男に抱かれてしまい、その男との恋愛とセックスに夢中になってしまうからである。これは完全にメロドラマ展開である。 三、 メロドラマにはメロドラマのモラル(別名ご都合主義)があり、この二人は、当然,作者によって厳しく罰せられる。つまり、片方は死に、片方は地獄の末に、償いをして、ようやく再生を許されるのである。そして、妻に裏切られた記憶喪失の夫と、夫に裏切られた妻は・・・。 四、 それで、本書がつまらないかというと、全くそんなことはない。読みだすとやめられない面白さは「魔の淵」と同じである。月に1冊ペースで本を出していて、その1冊が本書というのだから、凄いものである。 「第三の影」 一、 ミステリー色は希薄である。 二、 今日的には、工場の従業員たちを住まわせるために、会社が作った社宅街が、「無法地帯」となっているという発想が面白い。 | ||||
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