ノルウェイの森

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ノルウェイの森の評価:

3.82/5点 レビュー 818件。 C ランク

Amazon書評・レビュー点数毎のグラフです

平均点3.82pt

Amazonレビュー一覧

Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全1,323件 261〜280 14/67ページ
No.1063
(4pt)

生と死(陳腐ですが、これを強く感じましたので)

何度目かの再読を終えました。風の歌とノルウェイは最も再読した作品です。どこから切り取って読んでも面白いから、というのがその理由です。ノルウェイの森は、登場人物が魅力的で、それぞれのエピソードを切り取って読んでも楽しめます。突撃隊や緑、永沢さん、レイコさん、誰も彼もが魅力的です。
この作品のテーマは、陳腐な言い回しですがやはり、生と死だと思いました。死を選択した者、あるいは死に捉えられた者、生と死の中間的な場所から還って来て、死を含んだ生を選択した僕やレイコさん。
低俗な官能小説と批判されるように、村上作品の中でも最も性描写が多く、具体的です。描写の仕方は気に入らない部分もありますが、おそらくこの作品に性行為は必要なものなのでしょう。それは、ある場面では大して意味のないゲームのような行為としてただ浪費され、違うある場面では、神聖な行為のようであったり、固辞するものであったり、通過儀礼のようであったりします。生と死というものに性行為が深く関わっているようにも思います。
初めて読んだときはさらりと読み、ふ〜んという程度でしたが、その後は自分の精神の具合やら何かの加減で違う感覚で読めます。
なぜこれ程売れたのかは、正直よくわかりません。他人に薦める人が多いというのもよくわかりません。とても他人に薦められるような種類の本ではありません。
村上作品(長編)の中では少ないリアリズム小説です。好きな作品ですが、おススメは「羊をめぐる冒険」「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」などです。
ノルウェイの森(上) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森(上)より
4062035154
No.1062
(5pt)

万人向けでない前提で満点評価

村上春樹は万人向けの作家ではない。好きな人と同程度にアンチも存在するのは人気作家の宿命とも言えるが、基本的に雰囲気勝負の作風なので、何を言いたいのかわからない、と言う人も多いだろうと思う。彼は何かのテーマを持って、それを読者に訴えようとしているわけではないのだ。だからそれが文学だと思っている人には理解される筈はない。彼はたいてい自身の生きて来た世代をベースに小説を書いている場合が多く、それも村上春樹が理解されにくい要因の一つだと思う。だが一方、彼と同世代である私のような読者にとっては強烈にアピールするものがあり、感性が合っていると感じるのだ。又本作に関しては、私自身が入院療養中に読んだのがタイムリーだったので満点評価とするが、差し引いてもらって構わない。感性が合わない人も多数いらっしゃる筈なのだから。
 それにしてもモラトリアム風大学生時代の描写は、見事にあの時代の雰囲気を表している。女性関係をのぞいて私も経験した男子大学生の生活だ。そして心を病んだヒロインの療養生活は同様の状態にあった私には痛い程伝わって来るものが表現されていたのである。
 繰り返すが、万人向けではない事を前提としての満点評価である。感性が合わないと思ったら、無理に読んでも得る物はないと思う。
ノルウェイの森(上) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森(上)より
4062035154
No.1061
(5pt)

この不完全な世界に住む、不完全な人々それぞれの、こころの内的偏移を綴った・・・・

物語に登場する、主人公 《僕》、僕の親友 《キズキ》 、そして、キズキの恋人 《直子》、この3者の関係はいかにも不安定で、恐らくこのままの状態では・・・・、三人の心の緊張感が亢まるだけで、都合の良いソリューションはないのでしょう。

この、いかにも不安定な状況に耐えられなくなった直子の恋人キズキの―――或いは、キズキが本来的に持つ、余りにナイーブな心ゆえの―――自死が、主人公と直子の心の奥底に、決して取り去ったり薄めたりすることのできない澱を作ってしまう。 直子はキズキを忘れることなどできるはずもなく、ある種、主人公への恨みのような感情を心のどこかに包含している。当然の帰結として、主人公と直子の関係には、キズキが去り2者になることでの安定はなく、むしろその揺れの振幅は大きくなったようにさえ思え、直子は「自分はこの世界にいてはいけないのでは?」 というような、ある種の焦燥感のようなものさえ感じてしまうのでしょう。 著者は、主人公と直子、二人の心のゆれる様を精緻な筆で丁寧に描いております。

キズキの自死によって、こころに深い疵を負うことになってしまった直子と主人公、とりわけ直子の精神性崩壊の経時的変化の描写は緻密で見事だと思います。 それにも増して魅力的筆致で描かれているのは、活き活きと現実世界で生きる 《緑》 である。 この作品の後、村上が繰り返し描くことになる 「この世界」 と 「すぐ隣の別の世界」、そしてその二つの世界の中間にある 「結び目の世界」 の幕開けの作品だと思います。
 完全に 「この世界」 にいるのが 《緑》、事実上 「すぐ隣の別の世界」 にいるのは 《直子》、そして 「結び目の世界」 にいるのが主人公である 《僕》 というフレームワーク、と捉えても全く問題ないと思う。でしょ?

今となってみれば、村上春樹初期の 「純文学的」 な――― 村上作品にしては、最も理解し易い―――作品だった、ということになるのでしょう。
ノルウェイの森 上 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森 上 (講談社文庫)より
4062748681
No.1060
(5pt)

この不完全な世界に住む、不完全な人々それぞれの、こころの内的偏移を綴った・・・・

物語に登場する、主人公 《僕》、僕の親友 《キズキ》 、そして、キズキの恋人 《直子》、この3者の関係はいかにも不安定で、恐らくこのままの状態では・・・・、三人の心の緊張感が亢まるだけで、都合の良いソリューションはないのでしょう。

この、いかにも不安定な状況に耐えられなくなった直子の恋人キズキの―――或いは、キズキが本来的に持つ、余りにナイーブな心ゆえの―――自死が、主人公と直子の心の奥底に、決して取り去ったり薄めたりすることのできない澱を作ってしまう。 直子はキズキを忘れることなどできるはずもなく、ある種、主人公への恨みのような感情を心のどこかに包含している。当然の帰結として、主人公と直子の関係には、キズキが去り2者になることでの安定はなく、むしろその揺れの振幅は大きくなったようにさえ思え、直子は「自分はこの世界にいてはいけないのでは?」 というような、ある種の焦燥感のようなものさえ感じてしまうのでしょう。 著者は、主人公と直子、二人の心のゆれる様を精緻な筆で丁寧に描いております。

キズキの自死によって、こころに深い疵を負うことになってしまった直子と主人公、とりわけ直子の精神性崩壊の経時的変化の描写は緻密で見事だと思います。 それにも増して魅力的筆致で描かれているのは、活き活きと現実世界で生きる 《緑》 である。 この作品の後、村上が繰り返し描くことになる 「この世界」 と 「すぐ隣の別の世界」、そしてその二つの世界の中間にある 「結び目の世界」 の幕開けの作品だと思います。
 完全に 「この世界」 にいるのが 《緑》、事実上 「すぐ隣の別の世界」 にいるのは 《直子》、そして 「結び目の世界」 にいるのが主人公である 《僕》 というフレームワーク、と捉えても全く問題ないと思う。でしょ?

今となってみれば、村上春樹初期の 「純文学的」 な――― 村上作品にしては、最も理解し易い―――作品だった、ということになるのでしょう。
ノルウェイの森〈上〉 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森〈上〉 (講談社文庫)より
4061848925
No.1059
(5pt)

この不完全な世界に住む、不完全な人々それぞれの、こころの内的偏移を綴った・・・・

物語に登場する、主人公 《僕》、僕の親友 《キズキ》 、そして、キズキの恋人 《直子》、この3者の関係はいかにも不安定で、恐らくこのままの状態では・・・・、三人の心の緊張感が亢まるだけで、都合の良いソリューションはないのでしょう。

この、いかにも不安定な状況に耐えられなくなった直子の恋人キズキの―――或いは、キズキが本来的に持つ、余りにナイーブな心ゆえの―――自死が、主人公と直子の心の奥底に、決して取り去ったり薄めたりすることのできない澱を作ってしまう。 直子はキズキを忘れることなどできるはずもなく、ある種、主人公への恨みのような感情を心のどこかに包含している。当然の帰結として、主人公と直子の関係には、キズキが去り2者になることでの安定はなく、むしろその揺れの振幅は大きくなったようにさえ思え、直子は「自分はこの世界にいてはいけないのでは?」 というような、ある種の焦燥感のようなものさえ感じてしまうのでしょう。 著者は、主人公と直子、二人の心のゆれる様を精緻な筆で丁寧に描いております。

キズキの自死によって、こころに深い疵を負うことになってしまった直子と主人公、とりわけ直子の精神性崩壊の経時的変化の描写は緻密で見事だと思います。 それにも増して魅力的筆致で描かれているのは、活き活きと現実世界で生きる 《緑》 である。 この作品の後、村上が繰り返し描くことになる 「この世界」 と 「すぐ隣の別の世界」、そしてその二つの世界の中間にある 「結び目の世界」 の幕開けの作品だと思います。
 完全に 「この世界」 にいるのが 《緑》、事実上 「すぐ隣の別の世界」 にいるのは 《直子》、そして 「結び目の世界」 にいるのが主人公である 《僕》 というフレームワーク、と捉えても全く問題ないと思う。でしょ?

今となってみれば、村上春樹初期の 「純文学的」 な――― 村上作品にしては、最も理解し易い―――作品だった、ということになるのでしょう。
ノルウェイの森(上) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森(上)より
4062035154
No.1058
(5pt)

切実な、失われ損なわれてしまって二度と戻らないものたちへの痛切な思い

切実な、失われ損なわれてしまって二度と戻らないものたちへの痛切な思い、がテーマかなと感じました。

バブルの頃、当時20代でしたが、本屋で山積みでバカ売れしていたので、当初バカにしていました。
しかし、知人に借りて読んでみたところ、なんというか、以後ずっと考え込んでしまいました。とても印象が強いです。

その印象を崩したくないのであれから読み直してはいませんが、おそらくこれは著者個人の経験をある部分は下敷きにしていると思われ、とても切実なものを感じます。
作家の三田誠広氏は本作品を単なる通俗小説と切り捨てていましたが、そうかなあ??
多くの人が何かを感じたからこそベストセラーになったのではないでしょうか。文学的な価値がどうなのかは知りませんが、なにか心に触れるものがある。決してカバーデザインだけで売れたのではないと思います。

読む人の年代によるのかもしれませんし、個人的な経験の有無によるのかもしれません。
話の本筋ではありませんが、個人的に ”この男はこの男なりの地獄を抱えて生きているのだ” という文が印象に残っています。

その他の村上作品は私にはあまりピンと来ませんでした。各作品のモチーフは一部共通しているところがあるのかなとは感じます。
そういうわけで、私は別に村上春樹のファンではありませんし、全作品を読んでいるわけでもありません。
ノルウェイの森 上 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森 上 (講談社文庫)より
4062748681
No.1057
(5pt)

切実な、失われ損なわれてしまって二度と戻らないものたちへの痛切な思い

切実な、失われ損なわれてしまって二度と戻らないものたちへの痛切な思い、がテーマかなと感じました。

バブルの頃、当時20代でしたが、本屋で山積みでバカ売れしていたので、当初バカにしていました。
しかし、知人に借りて読んでみたところ、なんというか、以後ずっと考え込んでしまいました。とても印象が強いです。

その印象を崩したくないのであれから読み直してはいませんが、おそらくこれは著者個人の経験をある部分は下敷きにしていると思われ、とても切実なものを感じます。
作家の三田誠広氏は本作品を単なる通俗小説と切り捨てていましたが、そうかなあ??
多くの人が何かを感じたからこそベストセラーになったのではないでしょうか。文学的な価値がどうなのかは知りませんが、なにか心に触れるものがある。決してカバーデザインだけで売れたのではないと思います。

読む人の年代によるのかもしれませんし、個人的な経験の有無によるのかもしれません。
話の本筋ではありませんが、個人的に ”この男はこの男なりの地獄を抱えて生きているのだ” という文が印象に残っています。

その他の村上作品は私にはあまりピンと来ませんでした。各作品のモチーフは一部共通しているところがあるのかなとは感じます。
そういうわけで、私は別に村上春樹のファンではありませんし、全作品を読んでいるわけでもありません。
ノルウェイの森〈上〉 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森〈上〉 (講談社文庫)より
4061848925
No.1056
(5pt)

切実な、失われ損なわれてしまって二度と戻らないものたちへの痛切な思い

切実な、失われ損なわれてしまって二度と戻らないものたちへの痛切な思い、がテーマかなと感じました。

バブルの頃、当時20代でしたが、本屋で山積みでバカ売れしていたので、当初バカにしていました。
しかし、知人に借りて読んでみたところ、なんというか、以後ずっと考え込んでしまいました。とても印象が強いです。

その印象を崩したくないのであれから読み直してはいませんが、おそらくこれは著者個人の経験をある部分は下敷きにしていると思われ、とても切実なものを感じます。
作家の三田誠広氏は本作品を単なる通俗小説と切り捨てていましたが、そうかなあ??
多くの人が何かを感じたからこそベストセラーになったのではないでしょうか。文学的な価値がどうなのかは知りませんが、なにか心に触れるものがある。決してカバーデザインだけで売れたのではないと思います。

読む人の年代によるのかもしれませんし、個人的な経験の有無によるのかもしれません。
話の本筋ではありませんが、個人的に ”この男はこの男なりの地獄を抱えて生きているのだ” という文が印象に残っています。

その他の村上作品は私にはあまりピンと来ませんでした。各作品のモチーフは一部共通しているところがあるのかなとは感じます。
そういうわけで、私は別に村上春樹のファンではありませんし、全作品を読んでいるわけでもありません。
ノルウェイの森(上) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森(上)より
4062035154
No.1055
(5pt)

あの1980年代に書かれた作品とは……

1986年と言うと、もう30年、Generation以上も前のことだ、そして日本ではバブルが最盛期に向かおうとしていた。そんな日本に耐えられなかったのだろうか、多くの作家が日本に留まっていたのに対し、村上さんはこの年からヨーロッパに長期間移動してしまった。最初はギリシャ、そしてイタリア、いろいろと楽しい経験もしたようだけれども、そうではない経験も多くしたようだ。こうした経緯については、村上さんのエッセー「遠い太鼓」にたっぷりと書かれている。特に日本を離れたくなった契機については象徴的に、けれども切実に描写されている。

ところで上巻から読み進むと、記憶していた以上に登場人物が少ないことに驚かされる。もちろんそれは、作品が平板であることにはつながらない。高校時代の旧友の彼女であった直子、そして大学で知り合った本屋の娘である緑を中心に、話は展開していく。現在と違って、直子と緑が登場するのが1970年前後の話なのだし、回想録を描いている主人公もまだ1980年代に生きているのだから当然だけれども、インターネット、ケータイがないのでさすがに時代を感じる。けれども、それは内容が貧弱であることに、やはりならないのではないだろうか。語られている内容は、古風と言っても良いほどだけれども……。

但しここで村上さんは、バブルの日本に身を置いていたら決して描出できないものを抽出していると思う。もし、特に1980年代後半の日本に生きていたら、何を基準にして良いのか、分からなくなっていたのではないだろうか。つまり村上さんは当時の日本にいたら、この小説を書くことができなかっただろう。出版の打ち合わせ等で時折、日本に戻ってきていたようだが、帰国するたびに日本の状況がどんどん変わっていくので、恐らく不安に思っていたのではないだろうか。ひょっとしたらこのまま日本は、破裂してしまうのではないか、と……。当時は世界の先進国で日本だけが、異様な空気に支配されていた。他の国の人たちから見れば、どんなふうに映っていただろう。村上さんの当時のエッセーには、日本のバブルに関する描写が頻繁に現われる。

ヨーロッパに住んでいた時に書かれた長編が、この「ノルウェイ…」、そして「ダンス・ダンス・ダンス」である。この2つの作品は、村上さんが書いてきた作品、初期3部作、「世界の終りとハードボイルルド・ワンダーランド」から、大きく変化していると思う。村上さんは、バブルの国を離れて海外に住み、さまざまの人に出会い、そして英語を鍛え、世界に通用するような作家に成長したのではないだろうか。
ノルウェイの森 下 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森 下 (講談社文庫)より
406274869X
No.1054
(5pt)

時代は感じさせるけれども、村上さんらしい作品

村上さんが、1986年バブルの渦中にあった日本を飛び出して、ギリシア、イタリア等、ヨーロッパの各国を奥さんである陽子さんと渡り歩きながら書き上げた長編小説の第1作が、1987年に発表されたこの「ノルウェイの森」である。たしかこの作品は、”100パーセントの恋愛小説”、と言うコピーで発刊されたように記憶している。もちろん発刊されてからすぐに読んだのだけれども、最初に手に取った時から既に30年くらいの時間が経過しており、さすがの村上さんもこれほどケータイやインターネットが発展することは想像できず、1960年の学生当時、主人公の当時の年代、そう1980年代を超越することは不可能だ。けれども村上さんは、過去の材料を顧みながらもこの不思議な装丁の作品を、なにしろ安西水丸も佐々木マキもここにはないのだ、日本から離れた場所で捜索すると言う新たな境地で発表したのだろう。

それほど難しいプロットではない、いや記憶していたよりも単純な内容だったので、驚くほどである。けれども内容は、村上さんの他の作品がそうであるように、容易ではない。けれども「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」とは、明らかに訣別しているように思えるのだが、いかがだろうか。

この頃の村上さんはブラームスに、そうあの独白の好きな作曲家である、傾倒していたのか、第4交響曲、第2ピアノ協奏曲が登場する。この作品の背景に合っているから、と言うのも理由の一つかもしれないけれども……。
ノルウェイの森 上 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森 上 (講談社文庫)より
4062748681
No.1053
(5pt)

あの1980年代に書かれた作品とは……

1986年と言うと、もう30年、Generation以上も前のことだ、そして日本ではバブルが最盛期に向かおうとしていた。そんな日本に耐えられなかったのだろうか、多くの作家が日本に留まっていたのに対し、村上さんはこの年からヨーロッパに長期間移動してしまった。最初はギリシャ、そしてイタリア、いろいろと楽しい経験もしたようだけれども、そうではない経験も多くしたようだ。こうした経緯については、村上さんのエッセー「遠い太鼓」にたっぷりと書かれている。特に日本を離れたくなった契機については象徴的に、けれども切実に描写されている。

ところで上巻から読み進むと、記憶していた以上に登場人物が少ないことに驚かされる。もちろんそれは、作品が平板であることにはつながらない。高校時代の旧友の彼女であった直子、そして大学で知り合った本屋の娘である緑を中心に、話は展開していく。現在と違って、直子と緑が登場するのが1970年前後の話なのだし、回想録を描いている主人公もまだ1980年代に生きているのだから当然だけれども、インターネット、ケータイがないのでさすがに時代を感じる。けれども、それは内容が貧弱であることに、やはりならないのではないだろうか。語られている内容は、古風と言っても良いほどだけれども……。

但しここで村上さんは、バブルの日本に身を置いていたら決して描出できないものを抽出していると思う。もし、特に1980年代後半の日本に生きていたら、何を基準にして良いのか、分からなくなっていたのではないだろうか。つまり村上さんは当時の日本にいたら、この小説を書くことができなかっただろう。出版の打ち合わせ等で時折、日本に戻ってきていたようだが、帰国するたびに日本の状況がどんどん変わっていくので、恐らく不安に思っていたのではないだろうか。ひょっとしたらこのまま日本は、破裂してしまうのではないか、と……。当時は世界の先進国で日本だけが、異様な空気に支配されていた。他の国の人たちから見れば、どんなふうに映っていただろう。村上さんの当時のエッセーには、日本のバブルに関する描写が頻繁に現われる。

ヨーロッパに住んでいた時に書かれた長編が、この「ノルウェイ…」、そして「ダンス・ダンス・ダンス」である。この2つの作品は、村上さんが書いてきた作品、初期3部作、「世界の終りとハードボイルルド・ワンダーランド」から、大きく変化していると思う。村上さんは、バブルの国を離れて海外に住み、さまざまの人に出会い、そして英語を鍛え、世界に通用するような作家に成長したのではないだろうか。
ノルウェイの森〈下〉 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森〈下〉 (講談社文庫)より
4061848933
No.1052
(5pt)

時代は感じさせるけれども、村上さんらしい作品

村上さんが、1986年バブルの渦中にあった日本を飛び出して、ギリシア、イタリア等、ヨーロッパの各国を奥さんである陽子さんと渡り歩きながら書き上げた長編小説の第1作が、1987年に発表されたこの「ノルウェイの森」である。たしかこの作品は、”100パーセントの恋愛小説”、と言うコピーで発刊されたように記憶している。もちろん発刊されてからすぐに読んだのだけれども、最初に手に取った時から既に30年くらいの時間が経過しており、さすがの村上さんもこれほどケータイやインターネットが発展することは想像できず、1960年の学生当時、主人公の当時の年代、そう1980年代を超越することは不可能だ。けれども村上さんは、過去の材料を顧みながらもこの不思議な装丁の作品を、なにしろ安西水丸も佐々木マキもここにはないのだ、日本から離れた場所で捜索すると言う新たな境地で発表したのだろう。

それほど難しいプロットではない、いや記憶していたよりも単純な内容だったので、驚くほどである。けれども内容は、村上さんの他の作品がそうであるように、容易ではない。けれども「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」とは、明らかに訣別しているように思えるのだが、いかがだろうか。

この頃の村上さんはブラームスに、そうあの独白の好きな作曲家である、傾倒していたのか、第4交響曲、第2ピアノ協奏曲が登場する。この作品の背景に合っているから、と言うのも理由の一つかもしれないけれども……。
ノルウェイの森〈上〉 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森〈上〉 (講談社文庫)より
4061848925
No.1051
(5pt)

あの1980年代に書かれた作品とは……

1986年と言うと、もう30年、Generation以上も前のことだ、そして日本ではバブルが最盛期に向かおうとしていた。そんな日本に耐えられなかったのだろうか、多くの作家が日本に留まっていたのに対し、村上さんはこの年からヨーロッパに長期間移動してしまった。最初はギリシャ、そしてイタリア、いろいろと楽しい経験もしたようだけれども、そうではない経験も多くしたようだ。こうした経緯については、村上さんのエッセー「遠い太鼓」にたっぷりと書かれている。特に日本を離れたくなった契機については象徴的に、けれども切実に描写されている。

ところで上巻から読み進むと、記憶していた以上に登場人物が少ないことに驚かされる。もちろんそれは、作品が平板であることにはつながらない。高校時代の旧友の彼女であった直子、そして大学で知り合った本屋の娘である緑を中心に、話は展開していく。現在と違って、直子と緑が登場するのが1970年前後の話なのだし、回想録を描いている主人公もまだ1980年代に生きているのだから当然だけれども、インターネット、ケータイがないのでさすがに時代を感じる。けれども、それは内容が貧弱であることに、やはりならないのではないだろうか。語られている内容は、古風と言っても良いほどだけれども……。

但しここで村上さんは、バブルの日本に身を置いていたら決して描出できないものを抽出していると思う。もし、特に1980年代後半の日本に生きていたら、何を基準にして良いのか、分からなくなっていたのではないだろうか。つまり村上さんは当時の日本にいたら、この小説を書くことができなかっただろう。出版の打ち合わせ等で時折、日本に戻ってきていたようだが、帰国するたびに日本の状況がどんどん変わっていくので、恐らく不安に思っていたのではないだろうか。ひょっとしたらこのまま日本は、破裂してしまうのではないか、と……。当時は世界の先進国で日本だけが、異様な空気に支配されていた。他の国の人たちから見れば、どんなふうに映っていただろう。村上さんの当時のエッセーには、日本のバブルに関する描写が頻繁に現われる。

ヨーロッパに住んでいた時に書かれた長編が、この「ノルウェイ…」、そして「ダンス・ダンス・ダンス」である。この2つの作品は、村上さんが書いてきた作品、初期3部作、「世界の終りとハードボイルルド・ワンダーランド」から、大きく変化していると思う。村上さんは、バブルの国を離れて海外に住み、さまざまの人に出会い、そして英語を鍛え、世界に通用するような作家に成長したのではないだろうか。
ノルウェイの森(下) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森(下)より
4062035162
No.1050
(5pt)

時代は感じさせるけれども、村上さんらしい作品

村上さんが、1986年バブルの渦中にあった日本を飛び出して、ギリシア、イタリア等、ヨーロッパの各国を奥さんである陽子さんと渡り歩きながら書き上げた長編小説の第1作が、1987年に発表されたこの「ノルウェイの森」である。たしかこの作品は、”100パーセントの恋愛小説”、と言うコピーで発刊されたように記憶している。もちろん発刊されてからすぐに読んだのだけれども、最初に手に取った時から既に30年くらいの時間が経過しており、さすがの村上さんもこれほどケータイやインターネットが発展することは想像できず、1960年の学生当時、主人公の当時の年代、そう1980年代を超越することは不可能だ。けれども村上さんは、過去の材料を顧みながらもこの不思議な装丁の作品を、なにしろ安西水丸も佐々木マキもここにはないのだ、日本から離れた場所で捜索すると言う新たな境地で発表したのだろう。

それほど難しいプロットではない、いや記憶していたよりも単純な内容だったので、驚くほどである。けれども内容は、村上さんの他の作品がそうであるように、容易ではない。けれども「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」とは、明らかに訣別しているように思えるのだが、いかがだろうか。

この頃の村上さんはブラームスに、そうあの独白の好きな作曲家である、傾倒していたのか、第4交響曲、第2ピアノ協奏曲が登場する。この作品の背景に合っているから、と言うのも理由の一つかもしれないけれども……。
ノルウェイの森(上) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森(上)より
4062035154
No.1049
(5pt)

ミッシングリンクと言うと大げさかもしれないが

『ダンス ダンス ダンス』が好きでときどき読む。ところで、たまに『羊をめぐる冒険』を読むと、主人公が同じ続き物のはずがあまりに感じが違うので少し気になっていた。

最近『みみずくは黄昏に飛びたつ』の著者の告白を読んでなるほどと思った。

いわく、当時(羊のとき)できないことがいくつかあったー
登場人物にうまく名前がつけられない
三人称で書けない
三人で話すシーンが書けない
アクションやセックスシーンが書けない

それで本書で実験し、なんとか書けるようになった、という。

本書には性的なシーンが多いけれど、そう言われて読めば、なんだか初々しい感じがする。
ノルウェイの森 下 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森 下 (講談社文庫)より
406274869X
No.1048
(5pt)

何回読んだか

私は"そこそこ熱心な"村上春樹のファンです。
風の歌を聴けから騎士団長迄の短編長編恐らく全て読破していますし、彼の翻訳作品も大体は読んでいます。
そんな中でもこのノルウェイの森は突出していると感じます。
言葉にはうまくできないけれど、私は暇を見つけては無意識に本棚から本書を引っ張り出してあてもなくページを開き夢中で読んでいることが多々あります。それは著者である村上春樹が、又はワタナベ君がフィッツジェラルドのグレードギャッツビーを繰り返し愛読するのと非常に似ていると思う。無論フィッツジェラルドもカポーティもカーヴァーもオブライエンも彼が訳した著名な作家の本は大体読んだがそのいずれに於いても私にとってノルウェイの森を越える作品はありません。
ノルウェイの森 上 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森 上 (講談社文庫)より
4062748681
No.1047
(5pt)

主人公の暮らした学生寮は

村上春樹、川上未映子著『みみずくは黄昏に飛びたつ』(書評済)を読んで、本書をまた読もうと思った。

まず最初の儀式は、ビートルズの「ノルウェーの森」を聞くこと。これで30年前にワープする。

ところで、第2章に不思議な学生寮がでてくる。本書の表現では、「教育の根幹を窮め国家にとって有為な人材の育成につとめる」を創設の精神とするが、うさん臭いとある。

この寮のモデルは和敬寮と思われ、明日、国会に参考人招致される、前川喜平文科省前事務次官の祖父が作ったという。

それにしても、
嘘しか放送しない放送局、
嘘しか書かない新聞、
嘘しか言わない政府、
いわば嘘の国のなかで読むと、
本書は30年前の本だがとても興味深い。

登場人物には永沢さんのような変な人もいるが、なんかみんな正直なのが不思議な気がする。
ノルウェイの森 上 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森 上 (講談社文庫)より
4062748681
No.1046
(4pt)

上下二冊セットで受領しました

ネット上の表示は上巻だけとなっていますが、出品者に確認したとおり上下巻を受領しました。金銀の華やかな帯も附属しており、状態も比較的キレイで、結構でした。一千万部以上うれたという超ベストセラーですが、やはり、文庫などの再刊本よりも初版版の丸背本は雰囲気もよく、あとがきもついており、いいものだと思います。
この作品のプロトタイプである「蛍」を合わせて読むと、いわゆる〝村上ワールド〟の小説作法、つまりワールドの膨らませ方がよくわかります。
ノルウェイの森 上 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森 上 (講談社文庫)より
4062748681
No.1045
(5pt)

ミッシングリンクと言うと大げさかもしれないが

『ダンス ダンス ダンス』が好きでときどき読む。ところで、たまに『羊をめぐる冒険』を読むと、主人公が同じ続き物のはずがあまりに感じが違うので少し気になっていた。

最近『みみずくは黄昏に飛びたつ』の著者の告白を読んでなるほどと思った。

いわく、当時(羊のとき)できないことがいくつかあったー
登場人物にうまく名前がつけられない
三人称で書けない
三人で話すシーンが書けない
アクションやセックスシーンが書けない

それで本書で実験し、なんとか書けるようになった、という。

本書には性的なシーンが多いけれど、そう言われて読めば、なんだか初々しい感じがする。
ノルウェイの森〈下〉 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森〈下〉 (講談社文庫)より
4061848933
No.1044
(5pt)

何回読んだか

私は"そこそこ熱心な"村上春樹のファンです。
風の歌を聴けから騎士団長迄の短編長編恐らく全て読破していますし、彼の翻訳作品も大体は読んでいます。
そんな中でもこのノルウェイの森は突出していると感じます。
言葉にはうまくできないけれど、私は暇を見つけては無意識に本棚から本書を引っ張り出してあてもなくページを開き夢中で読んでいることが多々あります。それは著者である村上春樹が、又はワタナベ君がフィッツジェラルドのグレードギャッツビーを繰り返し愛読するのと非常に似ていると思う。無論フィッツジェラルドもカポーティもカーヴァーもオブライエンも彼が訳した著名な作家の本は大体読んだがそのいずれに於いても私にとってノルウェイの森を越える作品はありません。
ノルウェイの森〈上〉 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森〈上〉 (講談社文庫)より
4061848925