ノルウェイの森

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評判

ノルウェイの森の評価:

3.82/5点 レビュー 818件。 C ランク

Amazon書評・レビュー点数毎のグラフです

平均点3.82pt

Amazonレビュー一覧

Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全628件 241〜260 13/32ページ
No.388
(2pt)

村上春樹ってこういう女性が好きなんだろうな

ノーベル賞の季節が来るたびに村上春樹を読んでみるかと思いつつ数年が過ぎたが、やっと一昨日に買って読んでみた。
大学時代にこんな彼女がいたら良かったなという程度のバカっぽい感想しか持てなかった。アニメのタッチの大人版という
感じだ。
裏表紙は「限りない喪失と再生を描」いているというが、筆者が好みの女性キャラを作って行ったマスターベーションを
活字にしたような印象だ。
「二人でのお葬式」の後、きっとするんだろうなと思っていたら、しっかりやったので笑ってしまった。
私の様に鈍感な人間には理解できない小説だ。なんでベストセラーなのかわからない。もう読まないかな、村上春樹は。
ノルウェイの森(下) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森(下)より
4062035162
No.387
(1pt)

下品

話の内容としては面白かった。
ラストの衝撃もよかった。
が、登場人物で好きになれたのは一人もいない。
彼らはどんな話をしていても
最終的には下半身の話ばかりに帰結し、おっぱじめる。
愛する女性を思い出すにしても、その裸や性器をいじってもらったことばかりを思い出す。
これが現実味の追求なのか?
生憎自分には現実味が感じられなかった。

蛇足だがノルウェイはまったく関係なかった。
ノルウェイの森(下) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森(下)より
4062035162
No.386
(1pt)

3回読んだが

中学のころに1度読み理解できず 20歳でまた読んだはずなのに
おばさんになった今、全く記憶がなかったので3度目の正直と読んでみた。

年をとっても主人公のナルシズムにも性にも全く共感できず、性描写は読み心地悪く
この本を読んでいる自分が通勤電車でエロ雑誌を読んでいるおじさん化してしまったみたいで恥ずかしかった。
どこがいいのでしょう?男だったらわかるのかしら?
ノルウェイの森(上) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森(上)より
4062035154
No.385
(2pt)

緑 という女の子

昔読んだ「ノルウェイの森」を読み返してみた。
上巻が無かったから下巻だけ。

ここでは男子一般に人気のある(?)緑についてのみ書いてみる。
緑は可愛い女の子である。顔も可愛いし、スタイルもいい。ワタナベくんが住んでいる男子寮に超ミニ・スカートで現れて寮生たちの視線を釘づけにするくらい素敵な脚をしている。そしてワタナベが好きだと言う。
ショートカットの髪。ボーイッシュな可愛さなのである。木登りが好きだという。(木の上からセミみたいにおしっこしたいなどと言う)
そしてエッチが大好きでしょっちゅうエッチなことを言う。ワタナベ君とポルノ映画を観に行ったりする。
マスターベーションする時自分を想像してくれと言う。何なら電話で手伝ってあげるという。
理想の女の子なのである。
そしてその有り様は、漫画なのである。あだち充の漫画の女の子なのである。「タッチ」のもう少し成人版みたいなものである。
そりゃ男の子には好かれるはずだ。

しかしこんな小説にこんな漫画のような女の子を登場させていいものか?
ハツミやレイコさんという他の女性と落差があり過ぎるではないか。
直子についてはまた別の話である。(直子の現実感の無さはまるで幽霊のよう)

「ノルウェイの森」という小説を好きな理由が緑の存在だと言う人が結構いるようだ。
辛気臭い話の中で緑が出てくると救われるような気がする訳だ。
しかしそれは漫画を読んで「この子可愛いー、こんな子が彼女だったらいいなぁ」と萌えるのと同じ心情なのである。

そして、ワタナベは最後はその緑に救いを求めるのだ。(結局は緑がいいんだ)してみると緑こそ一番重要な登場人物なのでは。
小説としてそれでいいのか?
緑抜きでこの小説を成立させることは出来なかったのか?
緑抜きの「ノルウェイの森」を読んでみたかった。
ノルウェイの森 下 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森 下 (講談社文庫)より
406274869X
No.384
(1pt)

村上春樹お得意の短編の改悪

※注意! 若干のネタばれあり

ノルウェイの森は村上春樹自身の短編小説「蛍」をベースにして書かれた小説だ。
はっきり言おう。ノルウェイの森は「蛍」とは比べようもない駄作である。

たとえば、「蛍」でも主人公はノルウェイの森と同じように同居人(突撃隊)のことをバカにしているが、
全編を通しての視点が俯瞰的に表現されているため、それほど嫌味な印象を読者に与えない。
それどころか同居人が短編「蛍」において主人公に渡した蛍は、喪失に満ちた物語をともす一筋の光として機能している。

一方ノルウェイの森では突撃隊はただの哀れな道化にすぎず、
ワタナベの直子への話のネタ以上の存在ではない。

上に一例をあげたが、簡潔にノルウェイの森の欠点を述べれば、登場人物が物語の構成にまったく機能していないことにある。
それもそのはずだ。このノルウェイの森という小説は、単に「蛍」という完成された短編を引き延ばしたにすぎないのだから。

さらに言うなら、永沢の彼女であるハツミさんは死ななければならなかったのか、なぜワタナベはレイコさんを抱いたのか
物語内でまったく言及されてない。もちろん動機はあったのかもしれない。だが、圧倒的に必然性が足りない。
だから読者は物語の中途で混乱することになる。

もちろん、その原因を作者ではなく読者に求めるべきだという意見もあるかもしれない。読解力が足りないあるいは想像力が
足りないからだと。だが、この作品において村上春樹はそのヒントさえ与えてはくれていない。明らかにノルウェイの森という
小説を組み上げるためのパーツが不足している。

村上春樹は長編小説を至上のものとして考えているようだ。だからこそ優れた短編を引き延ばしてまで長編を書こうとするのだろう。
(ちなみに短編を長編に仕立て上げるという方式はチャンドラーに拠っている。)
だが、お世辞にも私は村上春樹の長編小説を上手いとは思えない。長編になるにしたがって性描写や死人が多くなるのもそう思う
理由の一つだ。

鼠の小説には優れた点が二つある。まずセックス・シーンのないことと一人も人が死なないことだ。放っていても人は死ぬし、
女と寝る。そういうものだ。

これは村上春樹の処女作「風の歌を聴け」の中の一節である。当時大学生だった私はこの箇所を見て、心を震わされた。
そして二十代でこの文章を書いた若き村上春樹の意地と気概を感じた。

もちろん性や死の描写を書いてはいけないという極論を述べるつもりはない。だが、そこには読者を納得しうるだけの
必然性が伴わなければならない。そして残念ながら、このノルウェイの森という小説にはそれがすっぽりと抜け落ちている。

もしかすると、これから先作者自身から納得のいく説明が聞けるかもしれない。だがそれでも、説明しなければ納得できないという
時点で、ノルウェイの森という小説は物語として敗北しているのだ。
ノルウェイの森 上 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森 上 (講談社文庫)より
4062748681
No.383
(1pt)

まわりくどい言い回しが腹立つ

表現がいちいちまわりくどくて何が言いたいのかわからなくなります。イライラします。
眠れない夜にこれを読むと必ず眠れます。がんばっても最後まで読めず断念。
どこがおもしろいのか教えてほしいです。
ノルウェイの森 上 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森 上 (講談社文庫)より
4062748681
No.382
(3pt)

うーん・・・

なんか全体的にわざとらしい
いきなり音楽の話題になったり、ギター弾き始めたり、身の上話を話しだしたり、都合よく登場人物が消えたり(死んだり)
筆者の音楽への愛は感じるが、それだけ。
問題を性交で解決ってのもよくわからん。

ただ、読みやすいですね。文章のリズム感とはこういう文章のことなのだろうと感じさせてくれます。比喩も独特で面白いですね。
女性のための文学作品というのが最終的な感想でした。おしゃれな喫茶店で感傷にひたりたいOLが好きそうです。
ノルウェイの森 上 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森 上 (講談社文庫)より
4062748681
No.381
(2pt)

緑 という女の子

昔読んだ「ノルウェイの森」を読み返してみた。
上巻が無かったから下巻だけ。

ここでは男子一般に人気のある(?)緑についてのみ書いてみる。
緑は可愛い女の子である。顔も可愛いし、スタイルもいい。ワタナベくんが住んでいる男子寮に超ミニ・スカートで現れて寮生たちの視線を釘づけにするくらい素敵な脚をしている。そしてワタナベが好きだと言う。
ショートカットの髪。ボーイッシュな可愛さなのである。木登りが好きだという。(木の上からセミみたいにおしっこしたいなどと言う)
そしてエッチが大好きでしょっちゅうエッチなことを言う。ワタナベ君とポルノ映画を観に行ったりする。
マスターベーションする時自分を想像してくれと言う。何なら電話で手伝ってあげるという。
理想の女の子なのである。
そしてその有り様は、漫画なのである。あだち充の漫画の女の子なのである。「タッチ」のもう少し成人版みたいなものである。
そりゃ男の子には好かれるはずだ。

しかしこんな小説にこんな漫画のような女の子を登場させていいものか?
ハツミやレイコさんという他の女性と落差があり過ぎるではないか。
直子についてはまた別の話である。(直子の現実感の無さはまるで幽霊のよう)

「ノルウェイの森」という小説を好きな理由が緑の存在だと言う人が結構いるようだ。
辛気臭い話の中で緑が出てくると救われるような気がする訳だ。
しかしそれは漫画を読んで「この子可愛いー、こんな子が彼女だったらいいなぁ」と萌えるのと同じ心情なのである。

そして、ワタナベは最後はその緑に救いを求めるのだ。(結局は緑がいいんだ)してみると緑こそ一番重要な登場人物なのでは。
小説としてそれでいいのか?
緑抜きでこの小説を成立させることは出来なかったのか?
緑抜きの「ノルウェイの森」を読んでみたかった。
ノルウェイの森〈下〉 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森〈下〉 (講談社文庫)より
4061848933
No.380
(1pt)

村上春樹お得意の短編の改悪

※注意! 若干のネタばれあり

ノルウェイの森は村上春樹自身の短編小説「蛍」をベースにして書かれた小説だ。
はっきり言おう。ノルウェイの森は「蛍」とは比べようもない駄作である。

たとえば、「蛍」でも主人公はノルウェイの森と同じように同居人(突撃隊)のことをバカにしているが、
全編を通しての視点が俯瞰的に表現されているため、それほど嫌味な印象を読者に与えない。
それどころか同居人が短編「蛍」において主人公に渡した蛍は、喪失に満ちた物語をともす一筋の光として機能している。

一方ノルウェイの森では突撃隊はただの哀れな道化にすぎず、
ワタナベの直子への話のネタ以上の存在ではない。

上に一例をあげたが、簡潔にノルウェイの森の欠点を述べれば、登場人物が物語の構成にまったく機能していないことにある。
それもそのはずだ。このノルウェイの森という小説は、単に「蛍」という完成された短編を引き延ばしたにすぎないのだから。

さらに言うなら、永沢の彼女であるハツミさんは死ななければならなかったのか、なぜワタナベはレイコさんを抱いたのか
物語内でまったく言及されてない。もちろん動機はあったのかもしれない。だが、圧倒的に必然性が足りない。
だから読者は物語の中途で混乱することになる。

もちろん、その原因を作者ではなく読者に求めるべきだという意見もあるかもしれない。読解力が足りないあるいは想像力が
足りないからだと。だが、この作品において村上春樹はそのヒントさえ与えてはくれていない。明らかにノルウェイの森という
小説を組み上げるためのパーツが不足している。

村上春樹は長編小説を至上のものとして考えているようだ。だからこそ優れた短編を引き延ばしてまで長編を書こうとするのだろう。
(ちなみに短編を長編に仕立て上げるという方式はチャンドラーに拠っている。)
だが、お世辞にも私は村上春樹の長編小説を上手いとは思えない。長編になるにしたがって性描写や死人が多くなるのもそう思う
理由の一つだ。

鼠の小説には優れた点が二つある。まずセックス・シーンのないことと一人も人が死なないことだ。放っていても人は死ぬし、
女と寝る。そういうものだ。

これは村上春樹の処女作「風の歌を聴け」の中の一節である。当時大学生だった私はこの箇所を見て、心を震わされた。
そして二十代でこの文章を書いた若き村上春樹の意地と気概を感じた。

もちろん性や死の描写を書いてはいけないという極論を述べるつもりはない。だが、そこには読者を納得しうるだけの
必然性が伴わなければならない。そして残念ながら、このノルウェイの森という小説にはそれがすっぽりと抜け落ちている。

もしかすると、これから先作者自身から納得のいく説明が聞けるかもしれない。だがそれでも、説明しなければ納得できないという
時点で、ノルウェイの森という小説は物語として敗北しているのだ。
ノルウェイの森〈上〉 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森〈上〉 (講談社文庫)より
4061848925
No.379
(1pt)

まわりくどい言い回しが腹立つ

表現がいちいちまわりくどくて何が言いたいのかわからなくなります。イライラします。
眠れない夜にこれを読むと必ず眠れます。がんばっても最後まで読めず断念。
どこがおもしろいのか教えてほしいです。
ノルウェイの森〈上〉 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森〈上〉 (講談社文庫)より
4061848925
No.378
(3pt)

うーん・・・

なんか全体的にわざとらしい
いきなり音楽の話題になったり、ギター弾き始めたり、身の上話を話しだしたり、都合よく登場人物が消えたり(死んだり)
筆者の音楽への愛は感じるが、それだけ。
問題を性交で解決ってのもよくわからん。

ただ、読みやすいですね。文章のリズム感とはこういう文章のことなのだろうと感じさせてくれます。比喩も独特で面白いですね。
女性のための文学作品というのが最終的な感想でした。おしゃれな喫茶店で感傷にひたりたいOLが好きそうです。
ノルウェイの森〈上〉 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森〈上〉 (講談社文庫)より
4061848925
No.377
(2pt)

緑 という女の子

昔読んだ「ノルウェイの森」を読み返してみた。
上巻が無かったから下巻だけ。

ここでは男子一般に人気のある(?)緑についてのみ書いてみる。
緑は可愛い女の子である。顔も可愛いし、スタイルもいい。ワタナベくんが住んでいる男子寮に超ミニ・スカートで現れて寮生たちの視線を釘づけにするくらい素敵な脚をしている。そしてワタナベが好きだと言う。
ショートカットの髪。ボーイッシュな可愛さなのである。木登りが好きだという。(木の上からセミみたいにおしっこしたいなどと言う)
そしてエッチが大好きでしょっちゅうエッチなことを言う。ワタナベ君とポルノ映画を観に行ったりする。
マスターベーションする時自分を想像してくれと言う。何なら電話で手伝ってあげるという。
理想の女の子なのである。
そしてその有り様は、漫画なのである。あだち充の漫画の女の子なのである。「タッチ」のもう少し成人版みたいなものである。
そりゃ男の子には好かれるはずだ。

しかしこんな小説にこんな漫画のような女の子を登場させていいものか?
ハツミやレイコさんという他の女性と落差があり過ぎるではないか。
直子についてはまた別の話である。(直子の現実感の無さはまるで幽霊のよう)

「ノルウェイの森」という小説を好きな理由が緑の存在だと言う人が結構いるようだ。
辛気臭い話の中で緑が出てくると救われるような気がする訳だ。
しかしそれは漫画を読んで「この子可愛いー、こんな子が彼女だったらいいなぁ」と萌えるのと同じ心情なのである。

そして、ワタナベは最後はその緑に救いを求めるのだ。(結局は緑がいいんだ)してみると緑こそ一番重要な登場人物なのでは。
小説としてそれでいいのか?
緑抜きでこの小説を成立させることは出来なかったのか?
緑抜きの「ノルウェイの森」を読んでみたかった。
ノルウェイの森(下) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森(下)より
4062035162
No.376
(1pt)

村上春樹お得意の短編の改悪

※注意! 若干のネタばれあり

ノルウェイの森は村上春樹自身の短編小説「蛍」をベースにして書かれた小説だ。
はっきり言おう。ノルウェイの森は「蛍」とは比べようもない駄作である。

たとえば、「蛍」でも主人公はノルウェイの森と同じように同居人(突撃隊)のことをバカにしているが、
全編を通しての視点が俯瞰的に表現されているため、それほど嫌味な印象を読者に与えない。
それどころか同居人が短編「蛍」において主人公に渡した蛍は、喪失に満ちた物語をともす一筋の光として機能している。

一方ノルウェイの森では突撃隊はただの哀れな道化にすぎず、
ワタナベの直子への話のネタ以上の存在ではない。

上に一例をあげたが、簡潔にノルウェイの森の欠点を述べれば、登場人物が物語の構成にまったく機能していないことにある。
それもそのはずだ。このノルウェイの森という小説は、単に「蛍」という完成された短編を引き延ばしたにすぎないのだから。

さらに言うなら、永沢の彼女であるハツミさんは死ななければならなかったのか、なぜワタナベはレイコさんを抱いたのか
物語内でまったく言及されてない。もちろん動機はあったのかもしれない。だが、圧倒的に必然性が足りない。
だから読者は物語の中途で混乱することになる。

もちろん、その原因を作者ではなく読者に求めるべきだという意見もあるかもしれない。読解力が足りないあるいは想像力が
足りないからだと。だが、この作品において村上春樹はそのヒントさえ与えてはくれていない。明らかにノルウェイの森という
小説を組み上げるためのパーツが不足している。

村上春樹は長編小説を至上のものとして考えているようだ。だからこそ優れた短編を引き延ばしてまで長編を書こうとするのだろう。
(ちなみに短編を長編に仕立て上げるという方式はチャンドラーに拠っている。)
だが、お世辞にも私は村上春樹の長編小説を上手いとは思えない。長編になるにしたがって性描写や死人が多くなるのもそう思う
理由の一つだ。

鼠の小説には優れた点が二つある。まずセックス・シーンのないことと一人も人が死なないことだ。放っていても人は死ぬし、
女と寝る。そういうものだ。

これは村上春樹の処女作「風の歌を聴け」の中の一節である。当時大学生だった私はこの箇所を見て、心を震わされた。
そして二十代でこの文章を書いた若き村上春樹の意地と気概を感じた。

もちろん性や死の描写を書いてはいけないという極論を述べるつもりはない。だが、そこには読者を納得しうるだけの
必然性が伴わなければならない。そして残念ながら、このノルウェイの森という小説にはそれがすっぽりと抜け落ちている。

もしかすると、これから先作者自身から納得のいく説明が聞けるかもしれない。だがそれでも、説明しなければ納得できないという
時点で、ノルウェイの森という小説は物語として敗北しているのだ。
ノルウェイの森(上) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森(上)より
4062035154
No.375
(1pt)

まわりくどい言い回しが腹立つ

表現がいちいちまわりくどくて何が言いたいのかわからなくなります。イライラします。
眠れない夜にこれを読むと必ず眠れます。がんばっても最後まで読めず断念。
どこがおもしろいのか教えてほしいです。
ノルウェイの森(上) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森(上)より
4062035154
No.374
(3pt)

うーん・・・

なんか全体的にわざとらしい
いきなり音楽の話題になったり、ギター弾き始めたり、身の上話を話しだしたり、都合よく登場人物が消えたり(死んだり)
筆者の音楽への愛は感じるが、それだけ。
問題を性交で解決ってのもよくわからん。

ただ、読みやすいですね。文章のリズム感とはこういう文章のことなのだろうと感じさせてくれます。比喩も独特で面白いですね。
女性のための文学作品というのが最終的な感想でした。おしゃれな喫茶店で感傷にひたりたいOLが好きそうです。
ノルウェイの森(上) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森(上)より
4062035154
No.373
(1pt)

トホホな小説

悪評が高かったので、一度読んでみた。悪評どおりだった。全体のトーンは、ザ・テンプターズの「エメラルドの伝説」とそっくりだ。甘い感傷に作者は陶酔している。ハンブルグ空港に着陸した飛行機の中で、「僕」は、BGMの「ノルウェイの森」を聞いて気分が悪くなる。スチュワーデスが心配してとなりに座る。「僕」は ”I feel lonely" と答える。トホホな場面。着陸前に、BMWの広告板などを見て「僕」は「やれやれ、またドイツか」と思う。読者のほうがやれやれと思う。「しかし、ハンブルク空港のルフトハンザ機の中で彼らはいつもより強く僕の頭を蹴り続けていた。起きろ、理解しろ、と」とあるが、「彼ら」って誰? 読み戻ると、実は「十月の草原の風景」だった。まさしく英文和訳的な「彼ら」であり、pathetic fallacy ではありませんか? 十月だというのに、「道の上には夏の終わりに死んだ蝉の死骸がからからに乾いてちらばっていて、それが靴の下でぱりぱりという音を立てた。」ありえない。いくら回想とはいえ。季節感のいいかげんさでは、10月に店で水仙の花を10本買うことにもびっくりさせられる。さんざん笑い者にされた「突撃隊」君は、突然帰ってこなくなる。用がなくなればお払い箱だ。それはキズキ、直子、ハツミさん、他の自殺者にも言える。「人生のある段階が来ると、ふと思いついたみたいに自らの生命を絶った」ですませている。死んでもらった方が、作者としては話しの展開が好都合なんだ。死人に口無しだから。あいかわらず、いわゆる村上春樹ワールドだ。酒、タバコ、セックス、音楽、食べ物。ほとんどすべてが作者の嗜好の世界。性描写は例によって露骨だが、緑が、亡くなったばかりの父親の仏壇の前で裸になり、「ヨガみたいにやって。はい、お父さん、これはオッパイよ、これはオマ*コよって」股を広げている箇所は、読者もあきれてしまう。「僕」は、高校生時代に「何ひとつ訴えかけてこない女の子」と寝て、19才になってからは、70人の女と寝た永沢さんのおこぼれをちょうだいしたり、「誰とでもいいから」「つまらない女」とも寝る。キズキの彼女であった直子とも性交し、彼氏と別れた緑とも射精し、直子の世話をするために同室者であった37才のレイコさんとも直子が死んでまもなく性交する(一夜に4回も)。トホホ。許せないのは、「レイコさんがいろんな精神病患者の物真似をした。これも大変におかしかった」というくだり。あまりに無神経。(レイコさん、精神病患者病棟内では、タバコを吸わないでください。)「僕」は、「けっこう面白い顔して」「本質的には自分のことにしか興味が持てない人間」で、「鉄板みたいに無神経」な「無理に友達を作らない」男だ。(たぶん、作者が奥さんにいつもそういわれているんだろう。)しかし、つねに(他の作品でも)美人で感じのいい女の子にもてる。「ねぇ、あなたってなんだかハンフリー・ボガートみたいなしゃべり方するのね。クールでタフで」ーーここは笑える。作者は音楽は好きだけど、楽器は弾けないので、たとえば、レイコさんがギターを弾くところはまったくリアリティがない。この小説で、作者は100パーセントのリアリズム小説をめざしたそうだが、たぶん勘違いをしている。100パーセントの恋愛小説でもない。果汁3パーセントの疑似ジュース並だといってもいいだろう。ちなみに、 "Norwegian Wood"は、「ノルウェイの森」で通っているけれど、森だとwoods であり、「ノルウェイの木」が正しいと思う。
ノルウェイの森 上 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森 上 (講談社文庫)より
4062748681
No.372
(1pt)

トホホな小説

悪評が高かったので、一度読んでみた。悪評どおりだった。全体のトーンは、ザ・テンプターズの「エメラルドの伝説」とそっくりだ。甘い感傷に作者は陶酔している。ハンブルグ空港に着陸した飛行機の中で、「僕」は、BGMの「ノルウェイの森」を聞いて気分が悪くなる。スチュワーデスが心配してとなりに座る。「僕」は ”I feel lonely" と答える。トホホな場面。着陸前に、BMWの広告板などを見て「僕」は「やれやれ、またドイツか」と思う。読者のほうがやれやれと思う。「しかし、ハンブルク空港のルフトハンザ機の中で彼らはいつもより強く僕の頭を蹴り続けていた。起きろ、理解しろ、と」とあるが、「彼ら」って誰? 読み戻ると、実は「十月の草原の風景」だった。まさしく英文和訳的な「彼ら」であり、pathetic fallacy ではありませんか? 十月だというのに、「道の上には夏の終わりに死んだ蝉の死骸がからからに乾いてちらばっていて、それが靴の下でぱりぱりという音を立てた。」ありえない。いくら回想とはいえ。季節感のいいかげんさでは、10月に店で水仙の花を10本買うことにもびっくりさせられる。さんざん笑い者にされた「突撃隊」君は、突然帰ってこなくなる。用がなくなればお払い箱だ。それはキズキ、直子、ハツミさん、他の自殺者にも言える。「人生のある段階が来ると、ふと思いついたみたいに自らの生命を絶った」ですませている。死んでもらった方が、作者としては話しの展開が好都合なんだ。死人に口無しだから。あいかわらず、いわゆる村上春樹ワールドだ。酒、タバコ、セックス、音楽、食べ物。ほとんどすべてが作者の嗜好の世界。性描写は例によって露骨だが、緑が、亡くなったばかりの父親の仏壇の前で裸になり、「ヨガみたいにやって。はい、お父さん、これはオッパイよ、これはオマ*コよって」股を広げている箇所は、読者もあきれてしまう。「僕」は、高校生時代に「何ひとつ訴えかけてこない女の子」と寝て、19才になってからは、70人の女と寝た永沢さんのおこぼれをちょうだいしたり、「誰とでもいいから」「つまらない女」とも寝る。キズキの彼女であった直子とも性交し、彼氏と別れた緑とも射精し、直子の世話をするために同室者であった37才のレイコさんとも直子が死んでまもなく性交する(一夜に4回も)。トホホ。許せないのは、「レイコさんがいろんな精神病患者の物真似をした。これも大変におかしかった」というくだり。あまりに無神経。(レイコさん、精神病患者病棟内では、タバコを吸わないでください。)「僕」は、「けっこう面白い顔して」「本質的には自分のことにしか興味が持てない人間」で、「鉄板みたいに無神経」な「無理に友達を作らない」男だ。(たぶん、作者が奥さんにいつもそういわれているんだろう。)しかし、つねに(他の作品でも)美人で感じのいい女の子にもてる。「ねぇ、あなたってなんだかハンフリー・ボガートみたいなしゃべり方するのね。クールでタフで」ーーここは笑える。作者は音楽は好きだけど、楽器は弾けないので、たとえば、レイコさんがギターを弾くところはまったくリアリティがない。この小説で、作者は100パーセントのリアリズム小説をめざしたそうだが、たぶん勘違いをしている。100パーセントの恋愛小説でもない。果汁3パーセントの疑似ジュース並だといってもいいだろう。ちなみに、 "Norwegian Wood"は、「ノルウェイの森」で通っているけれど、森だとwoods であり、「ノルウェイの木」が正しいと思う。
ノルウェイの森〈上〉 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森〈上〉 (講談社文庫)より
4061848925
No.371
(1pt)

トホホな小説

悪評が高かったので、一度読んでみた。悪評どおりだった。全体のトーンは、ザ・テンプターズの「エメラルドの伝説」とそっくりだ。甘い感傷に作者は陶酔している。ハンブルグ空港に着陸した飛行機の中で、「僕」は、BGMの「ノルウェイの森」を聞いて気分が悪くなる。スチュワーデスが心配してとなりに座る。「僕」は ”I feel lonely" と答える。トホホな場面。着陸前に、BMWの広告板などを見て「僕」は「やれやれ、またドイツか」と思う。読者のほうがやれやれと思う。「しかし、ハンブルク空港のルフトハンザ機の中で彼らはいつもより強く僕の頭を蹴り続けていた。起きろ、理解しろ、と」とあるが、「彼ら」って誰? 読み戻ると、実は「十月の草原の風景」だった。まさしく英文和訳的な「彼ら」であり、pathetic fallacy ではありませんか? 十月だというのに、「道の上には夏の終わりに死んだ蝉の死骸がからからに乾いてちらばっていて、それが靴の下でぱりぱりという音を立てた。」ありえない。いくら回想とはいえ。季節感のいいかげんさでは、10月に店で水仙の花を10本買うことにもびっくりさせられる。さんざん笑い者にされた「突撃隊」君は、突然帰ってこなくなる。用がなくなればお払い箱だ。それはキズキ、直子、ハツミさん、他の自殺者にも言える。「人生のある段階が来ると、ふと思いついたみたいに自らの生命を絶った」ですませている。死んでもらった方が、作者としては話しの展開が好都合なんだ。死人に口無しだから。あいかわらず、いわゆる村上春樹ワールドだ。酒、タバコ、セックス、音楽、食べ物。ほとんどすべてが作者の嗜好の世界。性描写は例によって露骨だが、緑が、亡くなったばかりの父親の仏壇の前で裸になり、「ヨガみたいにやって。はい、お父さん、これはオッパイよ、これはオマ*コよって」股を広げている箇所は、読者もあきれてしまう。「僕」は、高校生時代に「何ひとつ訴えかけてこない女の子」と寝て、19才になってからは、70人の女と寝た永沢さんのおこぼれをちょうだいしたり、「誰とでもいいから」「つまらない女」とも寝る。キズキの彼女であった直子とも性交し、彼氏と別れた緑とも射精し、直子の世話をするために同室者であった37才のレイコさんとも直子が死んでまもなく性交する(一夜に4回も)。トホホ。許せないのは、「レイコさんがいろんな精神病患者の物真似をした。これも大変におかしかった」というくだり。あまりに無神経。(レイコさん、精神病患者病棟内では、タバコを吸わないでください。)「僕」は、「けっこう面白い顔して」「本質的には自分のことにしか興味が持てない人間」で、「鉄板みたいに無神経」な「無理に友達を作らない」男だ。(たぶん、作者が奥さんにいつもそういわれているんだろう。)しかし、つねに(他の作品でも)美人で感じのいい女の子にもてる。「ねぇ、あなたってなんだかハンフリー・ボガートみたいなしゃべり方するのね。クールでタフで」ーーここは笑える。作者は音楽は好きだけど、楽器は弾けないので、たとえば、レイコさんがギターを弾くところはまったくリアリティがない。この小説で、作者は100パーセントのリアリズム小説をめざしたそうだが、たぶん勘違いをしている。100パーセントの恋愛小説でもない。果汁3パーセントの疑似ジュース並だといってもいいだろう。ちなみに、 "Norwegian Wood"は、「ノルウェイの森」で通っているけれど、森だとwoods であり、「ノルウェイの木」が正しいと思う。
ノルウェイの森(上) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森(上)より
4062035154
No.370
(2pt)

食わず嫌いは間違ってなかった

しかしこの話は人が死にすぎる
良くも悪くもこれに尽きる

緑が好きだったので結構楽しめましたが
緑が出るまではだらだら感がありました

彼女が物語りに抑揚をつけてますね
人の死はエネルギー使いますから
物書きの必殺技かもしれませんね
ノルウェイの森 下 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森 下 (講談社文庫)より
406274869X
No.369
(3pt)

「たぶんもう八十人くらいは行ってるんじゃないかな」と僕は言った。 P200

飛行機が着地を完了すると禁煙のサインが消え、天井のスピーカーから小さな音でBGMが流れはじめた。それはどこかのオーケストラが甘く演奏するビートルズの「ノルウェイの森」だった。そしてそのメロディはいつものように僕を混乱させた。いや、いつもとは比べものにならないくらい激しく僕を混乱させ揺り動かした。 P5
ノルウェイの森 上 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森 上 (講談社文庫)より
4062748681