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輪違屋糸里
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輪違屋糸里の評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.32pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全78件 41~60 3/4ページ
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| 「壬生義士伝」の裏返しというか、女性の側からみた「新撰組」という感じでした。物語の進行がゆっくりで、ドラマチックな面からいえば少々物足らないところもあります。 | ||||
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| 浅田「新撰組」第二段。 新撰組マニアを自称する浅田氏の「壬生義士伝」に続く新撰組モノ。 清河と袂を割った後の近藤派、芹沢派の暗闘を女性の視線から描いた作品。 先行作となる「壬生義士伝」が家族を支える男の物語であるなら、本作は、本質を見抜く女性の視線から新撰組の「格好悪さ」を描き出している作品。 題材が人気のそれほどない芹沢鴨だし。 男性である浅田氏の筆による女性視線だし。 わざわざこんな難題を選ぶとは、浅田先生はM? それでもさすが手練れの技。 糸里も吉栄も音羽太夫もお梅もお勝も見事にキャラクターを書き分け、説得力のある作品に仕上げっているのだが。 それでも壬生義士伝の感動とは質の違う作品と見たほうが良いか。 私が男性だからだろうか? | ||||
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| 女性の視点から、新撰組をみたときに、こんなふうな景色が見えてくるのか… と、その新しい景色に感心した。 暴れん坊で悪行を繰り返した芹沢は、屯所の庭の片隅に、 「ろおず」を植える。 役者のような顔の美しい土方が鬼のような顔で拷問をする場面を 垣間見、屯所のおかみは震え上がるが、 島原の天神糸里にとっては、土方は、眼が見えずとも自分をかばってくれた 長兄に糸里を重ね、視力が弱い彼女に眼鏡を作り、 「世界を見ろ」と言ってくれるかけがえのない「愛しい人」だ。 そんな彼女たちは男たちに翻弄されているようで、実は彼女たちのやり方で 戦い続け、自分の足で踏ん張る。 まだ16歳の糸里が、芹沢暗殺の場面で血を滴らせた刀を土方に向けられながらも 吐き出す思いの丈は、圧巻である。 戦いの中で彼女たちが見せる誇りと言うのが、 実に眩しい。 | ||||
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| 新撰組と関わりのある女性…題名にあるように糸里だけではなく、芹沢鴨の愛人お梅などを中心に話が進んでいきます。 いや、面白い。 私的には壬生義士伝よりも面白いと感じました。 浅田さんの歴史物は結果は同じでも経過が違うんですよね。 辻褄が合いすぎて、ああ、本当はそうだったのかな。と納得したくなります(笑) 真実がわかっていない歴史は様々な考えを持つことができて楽しいですが、それを文で楽しむならこの浅田さんの小説をオススメします。 | ||||
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| 京都の壬生村、島原を舞台に、 創設当時の芹沢鴨が局長だったころの新撰組の人間たちを そこに係わった女性たちの視点で書かれてます。 係わった女性というのは、主に島原の芸者(天神)2人と 壬生村で新撰組の世話をしている家のおかみさん2人です。 幕末の激動に時代、自由に生きられない女性たちや 新撰組の面々の命のやり取りを描いて、 最終的には、命の大切さを訴えている物語です。 糸里さんの言動もさることながら 私個人としては、壬生八木家のおまささんの思い、 「どうも男というものは、人柄の判断はできても とっさの顔色を窺うことが不得手のようである。」 には、ぎくっとしました。 私も、人の表情や、感情の変化に鈍感で さっぱり気付かない人間なんです。。。 (^^; | ||||
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| 新選組局長芹沢鴨暗殺を、筆者独自の視点で解釈した本作。 相変わらず、筆者の想像力には驚かされる。特に新選組屯所内での隊士同士のやりとりは、「見てきたんかい」と言うほどリアルである。私の記憶では、筆者は自衛隊にいたこともあるんじゃなかったかなあ。さすが。 しかし、たくさんの登場人物の虚と実が入り交じり過ぎていて、矛盾している点もあるように感じた。また、感情移入できない部分も幾らかあった。 ちなみに壬生義士伝で泣かされた私でしたが、本作では泣けず。泣かされたい人は、あまり期待してはいけないかもしれない。 | ||||
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| 新撰組のファンとしては、どこまでも愉しめる作品だと思う。 それは史実を元に、作者浅田次郎の考える芹沢鴨の姿が、 破綻なく、道理に満ちた考えによって導き出されているからで、 そこの所の読みが浅いと、 『酔っ払いの鴨が、武士の鑑のような書かれていておかしい』と思ってしまうから要注意。 また土方や近藤らの各人物の本当の性格や、考えていたことは誰にも判らない。 判らないからこそ、自由に想像できるし、 そこに明確な理由が添えられ、筋が通るように描かれた物語を読むと、 読者には堪らなく面白く感じるはず。 また、作者自身も好きであると公言している、天神の糸里が丹念に描かれてて、 思わず糸里の物語だけを読みたくなるかも知れない。 殆ど資料も残っていない糸里を主にして、 これほどまでの物語を作り上げたのは、凄いとしか言い様がない。 そのうえ糸里が堪らなく可愛らしく、健気であり、それでいて恰好良い。 そういった人物の描き方も、風景描写も全てに於いて巧みなのだ。 そんじょそこらの作家が、 勝手な想像のままに手軽に書いたものとは全く異なるといえるだろう。 浅田先生が、伊坂幸多郎の文学賞受賞を悉く反対するのも肯ける。 | ||||
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| 特に、京において、祇園、島原等の花街の女達が、多くの義士たちの影となり彼らの活動を支えていたことはよく知られている。 だから、維新後、我が国の政治家の奥さんたちが、かつては花魁であったり、禿の時代からのつきあいだったような人物も多く見られた、と言う面白さがある。 そのような女性たちを扱った作品がないではないが、本作はその中ではぴか一のものだろう。 作者浅田次郎の幕末、特に新撰組モノと言うと、名作 壬生義士伝 上 文春文庫 あ 39-2 があり、本レビューでもかなりその比較が言及されている。 本作で扱うのは、やはりあくまで幕末の京都の花街の一つ、格式高い島原の女性の世界であり、その彼女たちにとって、幕末は、勤王、佐幕の抗争はどうだったのか。彼女たち自身の生活にどう影響があり、彼女たちはどう見ていたのか。 このところ、幕末モノと言うと、龍馬を中心にやはり時代のヒーローにやたら目に行くようだけど、本当はその時代に生きた、ごく普通の人々、あるいは本作のように、それらヒーローのそばにいて彼らを時に支え、時に時代をともに作ったであろう女性たちに興味が行く。 浅田次郎の真骨頂の題材であり、フアンにはたまらないと思う。 若干この上巻では、舞台設定、モチーフ設定に時間が割かれ、話としていまいち面白くないかもしれない。 だけど、それは杞憂と言うもの。下巻に行けば、あぁ、と一気に読み進めるでしょう。 これはこれで、やはり浅田の代表的幕末モノと読んでいいと思いますね。 | ||||
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| この題名でピンと来て、あるいは「壬生義士伝」からの流れで読んだという方々の中で、何だか肩身が狭い。 実は、新撰組については名前くらいしか知らなかった(笑)。 幕末もののドラマって何だか難しくて、子供時代からまともに見たことがなかったもので…。 だから沖田という美少年剣士がいた…くらいしか知らずに読んだ。 この本を読んでいる途中で、たまたま京都のガイドブックを見る機会があり、「八木邸」が載っててビックリ! 本当に八木さんだったんだ(笑)! 本当にいた人なんだ(笑)! そんな素人でも、ちゃんと読めました。 様々な立場の女性の目を通してメンバーのキャラクターがくっきりと描き分けられ、これで私も芹沢鴨と土方歳蔵についてはある程度イメージが掴めたぞ!? 本当は「壬生義士伝」を読もうと思ったのだが、方言が読みにくいかな?と、何気なくこちらを手にとったのだが、「壬生義士伝」これから読んでみようかな。 | ||||
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| 「壬生義士伝」で浅田ファンになり、ちょこちょこ著作を読んでいる者です。 しかし、同作を超えるものには未だ出会えず。 というより、同作が最高傑作のように思います(浅田氏の全作を読んだわけではありませんが)。 そして、「壬生義士伝」くらいの面白さを期待して読んでしまったのと、他の方も書いてらっしゃいましたが、芹沢鴨こそが真の武士だという持って行き方に同調できなかったため(そもそも酒乱で暴れるような自制心のない人に武士道が成立するのかと思う)、ちょっと厳しめの評価となりました。 主人公の糸里は、女の私からして見れば、何事も完璧すぎるほど立派な女性で、イマイチ共感までできなかった。 ただ、この作品で印象が180度変わったのが、お梅さん!! 菱屋の非道さには、言葉を失くしました。 単なる好色の売女に見えるお梅さんを、こう捉えることもできたのかと目から鱗。 小器用に見えて不器用な生き方しかできなかったお梅さんに、不器用な私は、とても共感しました。 | ||||
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| 『壬生義士伝』の続編と言われる本作です。 まず冒頭からしばらくは物語が霧につつまれたような状態で、全体像が見えないまま進んでいきます。 冒頭で芹沢がなぜこのように横暴に描かれているのか? そんな芹沢が隊員から突き上げられないのは何故か? 島原の人たちがなぜこんな理不尽を飲み込んでいるのか? 疑問が解決されないまま本の半ばまできてしまいます。 (それでもこれだけ読ませる作者はすごいと思う!) 物語は、芹沢たちがお世話になっている家(2軒)の女房が隊員の一人を問い詰めたあたりから動き始めます。 序々にあきらかにされる、芹沢の動きの理由。 次第に明らからになる新撰組の動きと、とりまく勢力のそれぞれの意図がそれぞれしっかりとした一本の糸のように姿を見せ始め、絡み合い、思わぬ方向に持っていかれようとしています。 そこを照らし出すような糸里の台詞は、一言に体温が反映されたかのように物語に熱を加えています。 下巻が楽しみです! | ||||
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| 女性が自分の意思で生きることが難しかった時代に 自分の運命を受け入れつつ、前進しようとする姿に感動を覚えました。 宮尾登美子さんの「蔵」の烈と同様に、悲しいけれど強く生きた女性の物語だと思います。 新撰組に関わる物語ですが、歴史が苦手でも読みやすい内容だと思います。 いつの時代にもある恋が丹念に描かれていて、せつない痛みが残りました。 | ||||
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| 最初に小さな女の子が、島原につれてこられる場面で涙をさそい 次には島原の太夫の道中の瞬欄な画面に展開します。 この様子が華やかで、まるで映画でも見ているように描かれていています。 新選組の強面たちと、宿舎にわりふられてしまった壬生の郷士の女房たち 愛人となってしまったお梅、そして島原の天神 と、それぞれが告白するような形で一人称で語られていく様子が臨場感があって 面白く読み進むことができます。 | ||||
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| タイトルにもなっている輪違屋の糸里や新撰組が屯所とした八木邸のおまさ、前川邸のお勝ら、女性の視点を中心に描いた新撰組です。特に単なる悪役として扱われがちな芹沢鴨、新見錦、平山五郎の人物像が新鮮で、思わぬ一面にハッとさせられるものがあります(悪役のイメージがありますから、思わぬ一面は良い意味で、です)。純粋な美少年と描かれがちな沖田にしてもお調子者で描かれていて、こちらも面白い。 女性の視点を中心にしていることから、刀と刀がぶつかり合う戦闘シーンというのはほとんどありませんが、芹沢一派を暗殺するまでの心理描写、駆け引きが巧みに描かれていて、物語に引き込まれます。結末は分かっていても、死んで欲しくないと思ってしまうんですよね…。 新鮮で、とても魅力的な新撰組の小説になっていると思います。 | ||||
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| 凄くおもしろかった!「壬生義士伝」がすごくよっかたから、もしハズレだったらやだな〜と思ってたけど・・やっぱ浅田さんは凄いなぁ〜。 「壬生義士伝」では新選組の哀しさとか美点(?)の方が強調されていたけれど、こちらでは新選組の矛盾とか歪みが浮きぼりにされていて、よりはっきりと新選組という組織の姿が見えたし、今までの小説で描かれていていた新選組隊士とはちょっと違った新選組隊士が新鮮でおもしろく、特に独裁者でともかく悪、じゃない芹沢鴨とか、さわやかで近藤・土方を無条件に慕う、んじゃない沖田は他の小説にはないリアルさ、人間臭さがあって、確かに本物はこんなんだったかも・・なんて思えた。また、私は女性だから作品中の女性達からの視線には共感できる所も多々あって・・・あれ!?浅田さんは男性だよね? また浅田版新選組が読みたい!今度は〜・・山南敬介脱走とかをネタにしたり!笑 今度も浅田さんの作品チェックを続けます!! | ||||
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| 淺田次郎による「新撰組」もの。 私にとつては、2002年に讀んだ「壬生義士伝」以來になる。 「壬生義士伝」では吉村貫一郎が、既成概念としての「新撰組」へのアンチテーゼとなつてゐた。 本書では、さうした存在は登場しない。 しかし、それでも從來の「新撰組もの」とは一線を劃してゐる。 それは何故か。 ひとつには、新撰組の外部からの視點、それも女たちの視點で新撰組を描いてゐること。 壬生の八木家の女房、おまさ。 八木家の分家・前川家の女房、お勝。 芹澤鴨の愛人、お梅。 そして、島原遊廓・輪違屋の藝妓、絲里。 この小説では、芹澤鴨が輪違屋の大夫、音羽を無禮打ちに切り捨てる場面から、物語が進行し始める。 音羽大夫は絲里をかはいがり、育て上げた大夫なのだが、その死に際して絲里に、云ふのであつた。 「だあれも恨むのやない。ご恩だけ、胸に刻め。ええな、わてと約束しいや」 この言葉が絲里のこころに染み入り、その後の絲里の行動を規定してゆく。 土方へ寄せる思ひから、芹澤斬殺に一役買ふことになつてしまふ絲里。 そして、そのことが成就したあと、土方が絲里に云ふ。 「俺は國に歸つて百姓をやらうと思ふ。一緒に來てくれまいか」 この言葉がどれほど絲里のこころを鷲掴みにしたか、想像するに難くない。 しかし、絲里は云ふのだつた。 「わてはわてにしかできひん生き方をしまつさけ、土方はんもさうしとくりやす。あんたはんは立派なお侍や」 「立派なお侍」、土方が命をかけて求め續けたのは、これであつた。 そして、土方は、こののちも、絲里の云ふ通りの生き方をしてゆくことになる。 男と女。 まつたく違ふものの見方をし、まつたく違ふ行動樣式をもつ、そんな2つの生き物が、お互ひを認め合ひ高め合ふ。 なんとも見事な小説ではないか。 さて、もうひとつ。 この小説がほかの「新撰組もの」と大きく違つてゐるのは、芹澤鴨の描き方だ。 これまでの「新撰組もの」では、芹澤は豪傑でこそあれ、思慮が淺く、酒を飮んでは町衆に迷惑を掛けるといふ存在であつた。 もちろん、彼の行動は事實として、この作品でも同樣に描かれてゐる。 しかし、その内面は、ナイーヴで花を愛し女を愛する男として描かれてゐる。 また、大和屋燒打事件についても、單なる芹澤の暴擧ではなく、會津藩の重役たちの示唆によるものだと暗示されてゐる。 この事件によつて、會津の藩士たちは歸國を途中でとりやめて京に戻つて來てゐるのだが、この事件は兵を引き戻す口實にするために起されたのではないか。 いはゆる「八月十八日の政変」に備へたものだといふ解釋がなりたつ。 もし、さうだとすれば、從來の芹澤鴨像は根柢から覆へることになる。 近藤勇も大和屋燒打については事前に知つてゐた筈だといふことだ。 そして、その嫌はれ役を芹澤が買つて出たといふことも考へられるのである。 「盡忠報國の士」としての芹澤鴨。 その芹澤を何故、土方たちは斬殺しなければならなかつたのか。 この小説では、その謎解きも興味深い。 しかし、じつは「謎」といふたいさうなものでもない。 土方歳三といふ人間がどういふ人間であるかが明らかになれば、この謎も自づから明らかにならうといふものである。 島原の桔梗屋には、絲里と仲のよい吉榮といふ藝妓がゐる。 彼女は、芹澤と一緒に斬殺された平山五郎の愛人であつた。 そして、平山が斬殺されたその場にゐて、しかも斬殺に一役買つてしまふのである。 死に望んで、平山はかすかに笑つて「おゆき」といふ。 「おゆき」とは吉榮の本名で、吉榮は平山にさう呼んで貰ひたかつたのだが、平山は一度もその名を呼んでくれなかつた。 それが最後の最後に、しかも自分が手引した連中に斬殺されたその時に呼んでくれたのだ。 悲しく、哀しい場面だつた。 かういふ場面を描かせたら、淺田次郎の右に出るものはあるまいと思つた。 | ||||
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| まず、真面目な時代劇です。笑える方のパターンの小説ではありません。 新選組を扱ったストーリーの中で、これほど女性を登場させたものはないでしょう。新選組という血なまぐさい集団を描く時、チャンバラシーンをここまで少なくした小説も希有ではないでしょうか。 また芹沢鴨を好意的に扱った本も少ないと思います。それでも芹沢鴨を排除しなくてはならなかった。 そこに関わる女性たちの運命。そして最後に泣かせ。パターンとはいえ、その泣かせに、はまった次第です。もちろん☆5つ。 | ||||
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| まだ夜明け前だった日本の、風雲急を告げる京の街で、精一杯生きてそして死んでいった人たちの物語。島原という特殊な世界から出る事も許されないままアゲハ蝶のように色鮮やかに生きた音羽太夫や糸里天神も、幕末の時代に彗星の如く現われおびただしい血煙とともに消えていった新撰組やその隊士たちも、そして穏やかな日常だけを願いながら日々暮らしていた名もなき市井の人たちも、誰もが同一線上の主人公として描かれている。いつの世も、男がいて女がいて、欲があり願いがあり、そして人間はかくも哀しいものかと胸をつかれる。 混乱を極める幕末の京に、新撰組は時代の必然のように上ってくる。局長近藤勇も副長土方歳三も自身で意識する事もできないほど、深く重く武士という身分を渇望してやまない。一方で、時代の移ろいには何一つ関わりを持ちようもない芸妓・糸里は、貧しさから女衒に売られて以来、島原の小さな世界だけで生きている。そして、粗野で厄介者の新撰組隊士たちを養う事になってしまった八木家と前川家の人たちは、ごく普通の町人として歴史の片隅に生を営んだ。慕い、憎み、謀り、愛し、もがき、諦め、そして殺し、それでも時代の輪は決して廻る事をやめない。歴史というのは、光の当たる場所で演じる者たちだけが作り上げたものではなく、名前も残らぬ無数の人々によって、鍾乳石のようにわずかづつ確実に積み上げられてきたものだとしみじみ思う。 私はこの物語を新撰組ものだとは考えていない。特に新撰組だけが物語の中心にデンと据えられている訳ではないからだ。また同時に、輪違屋の糸里も主人公たり得ない。それぞれの身分に身を置く幾多の人々、そして動乱の日々、それこそがこの物語の真の主人公だという気がしてならないのだが・・・。 | ||||
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| 遅れながらようやく完読しました。 読みながら「何でこんな事に?」と悲しくてやりきれませんでした。 読んでいても、誰一人として間違っていないのです。しかし、みんながみんな少しの歪みに気付かず、結局は芹沢粛清しか方法がなくなってしまう。 女は、自分の幸せの為に運命に精一杯抵抗し、男は、見得と建前で本音を隠し、一度隠してしまった以上、二度と本音はさらせない。 これは、女性の為の新撰組小説の為、男性が読んでも「壬生義士伝」のような感動はないかもしれません。しかし、ひどい時代だからこそ時代に精一杯抵抗した女性陣には拍手を送りたいと思いました。それと同時に、非常に滑稽な新撰組小説としての側面も持ちます。時代と、建前に流され、それに抵抗したが為に、時代の道化となってしまった新撰組の第一歩と。 | ||||
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| 馴染みの新撰組のメンバーにも負けず劣らず、女性たちが活躍します。それだけに、ちょっと異色の新撰組小説です。 糸里、吉栄、お梅、おまさ、お勝、それぞれが、男たちに負けぬ存在感を示します。 この本の一つの見所、男と女の戦いは、女の逞しさに軍配が上がります。クライマックスでの糸里の啖呵は、読んでいて胸がすーっとします。そして、人間の愛憎から脱却し、芸の道に生きようとする糸里の心意気に胸を打たれます。 もう一つの対立の枠組みは、百姓対武士です。近藤勇派の百姓一派と、芹沢鴨の武士派の対立機軸です。近藤派は、「武士」になれぬ場所で足掻いています。そこを乗り越えるためには、芹沢鴨を打倒せざるを得なかったのでしょう。 この本で、おや!と思ったのは、芹沢鴨の見方です。永倉新八の口を借りて語る芹沢鴨像は、今まで読んできたような「悪人」ではありません。しっかりした考え方を持ったリーダーシップのある人物です。 いろんな意味で、全く新しい「新撰組」は、非常に楽しい作品でした。 | ||||
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