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道頓堀川



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道頓堀川の評価: 4.51/5点 レビュー 39件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.51pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全39件 1~20 1/2ページ
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No.39:
(5pt)

プレゼント用です。

プレゼントする前に自分が読みます。「泥の河」映画みましたがまた見たくなる映画です。
川三部作 泥の河・螢川・道頓堀川 (ちくま文庫)Amazon書評・レビュー:川三部作 泥の河・螢川・道頓堀川 (ちくま文庫)より
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No.38:
(3pt)

ラストが残念

映画化作品は、邦彦(真田広之)と料理屋の女将まち子(松坂慶子)の恋愛が中心だったが、原作は邦彦と喫茶店マスター武内の視点から語られる。在阪の宮本輝原作だけあって、ミナミの描写は優れているし、邦彦と武内の心情も実にいい。しかしラストが唐突に終わる部分が残念ではある。
道頓堀川 (角川文庫 み 6-2)Amazon書評・レビュー:道頓堀川 (角川文庫 み 6-2)より
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No.37:
(5pt)

ビリヤード好きには是非読んで欲しい

宮本輝は流石一流の作家だけあって展開が上手い。撞球好きにはこの作品を超えるものはない。四つ玉だけどね。
道頓堀川 (角川文庫 み 6-2)Amazon書評・レビュー:道頓堀川 (角川文庫 み 6-2)より
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No.36:
(5pt)

ありがとう

ありがとうございます
川三部作 泥の河・螢川・道頓堀川 (ちくま文庫)Amazon書評・レビュー:川三部作 泥の河・螢川・道頓堀川 (ちくま文庫)より
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No.35:
(3pt)

読ませた

道頓堀川は何を書きたかったのか良く解らない。
川三部作 泥の河・螢川・道頓堀川 (ちくま文庫)Amazon書評・レビュー:川三部作 泥の河・螢川・道頓堀川 (ちくま文庫)より
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No.34:
(5pt)

素晴らしい本

素晴らしい本でした。
川三部作 泥の河・螢川・道頓堀川 (ちくま文庫)Amazon書評・レビュー:川三部作 泥の河・螢川・道頓堀川 (ちくま文庫)より
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No.33:
(5pt)

楽しく、懐かしく映画を思い出しながら読みました。

泥の河は映画(相当昔)加賀まりこ、のアンニュイな、けだるい演技を思い出します。
川三部作 泥の河・螢川・道頓堀川 (ちくま文庫)Amazon書評・レビュー:川三部作 泥の河・螢川・道頓堀川 (ちくま文庫)より
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No.32:
(5pt)

泥の河

この本は何度か読んでいます。しかし映画はひどかった。銀座のなんとかいう映画館の閉館記念で泥の河とキューポラのある街をやっててみましたが、まず、うどん屋のおやじの下手くそな関西弁が興ざめです。それから主人公の少年。太ってるの。あの頃子供はみんなガリガリでしたよ。あばら骨でててね。太った子なんていいとこのぼっちゃんですよ。だめだね。ラストもいけません。なんで原作どおりにやらないんですかね。少年が友達の乗った舟が引いてゆかれるところで「おばけ鯉や」というところ。一目、もう一目ともだちを見たい。そんな切ない思いが描けてないな。昔この本を読んだ時、あれこの作家はこれからどこへ行くのかなあという思いがありましたが、流転の海へいったんですね。今度宮本輝さんのすきだという赤毛のアンよんでみます。なにかのエッセイに短編が書きたいとかかれていたように記憶しております。流転の海おわったので「幻の光」のような短編書いてほしいな。
川三部作 泥の河・螢川・道頓堀川 (ちくま文庫)Amazon書評・レビュー:川三部作 泥の河・螢川・道頓堀川 (ちくま文庫)より
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No.31:
(3pt)

昭和20年代生まれの方には響きます。

先に「流転の海」読んでいたのでダブりました。ただし9巻目は読んでしまうのがもったいなくて未読です。そのうちに・・・。
川三部作 泥の河・螢川・道頓堀川 (ちくま文庫)Amazon書評・レビュー:川三部作 泥の河・螢川・道頓堀川 (ちくま文庫)より
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No.30:
(4pt)

宮本輝を読み漁ろう!

とても興味深く読ませていただきました。
道頓堀川 (角川文庫 み 6-2)Amazon書評・レビュー:道頓堀川 (角川文庫 み 6-2)より
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No.29:
(4pt)

道頓堀川

両親を亡くした大学生の邦彦は、生活の糧を求めて道頓堀の喫茶店に住み込んだ。邦彦に優しい目を向ける店主の武内は、かつて玉突きに命をかけ、妻に去られた無頼の過去をもっていた。――夜は華やかなネオンの光に染まり、昼は街の汚濁を川面に浮かべて流れる道頓堀川。その歓楽の街に生きる男と女たちの人情の機微、秘めた情熱と屈折した思いを、青年の真率な視線でとらえた秀作。
道頓堀川 (角川文庫 み 6-2)Amazon書評・レビュー:道頓堀川 (角川文庫 み 6-2)より
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No.28:
(5pt)

川三部作。

風景が見えるようなさらっとした文章。かなり修正を行ったとのことで、ワクワクというよりは緊張感で一気に読んでしまった。時代背景が同世代で、忘れていた昭和三十年代のにおいがプンプン匂う。
泥の河・蛍川・道頓堀川 (宮本輝全集)Amazon書評・レビュー:泥の河・蛍川・道頓堀川 (宮本輝全集)より
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No.27:
(5pt)

なぜか読みたくなる

とても大きなことが起こるわけではないのだけれど、なぜか読み進めたくなり、そして他の本も読みたくなります。
人間誰もが問題を抱えていて、それを心の奥にしまってあります。
そういう人たちの日常が描かれています。
本当に良い小説とはこういうものではないでしょうか。
道頓堀を見てみたい。(まだ行ったことがない)
道頓堀川 (角川文庫 み 6-2)Amazon書評・レビュー:道頓堀川 (角川文庫 み 6-2)より
4041469023
No.26:
(3pt)

綺麗な文章でしたので、

気持ちよく読むことができました。

最後の勝負 どうなったんでしょうね
気になります。

杉山との 会話も もう少しだけでも 突っ込んだ話してほしかったんですけども…
あのあたりでとどめておくのが 寡黙な大人の所作なのかもしれませんね。

良い時代の道頓堀界隈を経験させていただきました。
道頓堀川 (角川文庫 み 6-2)Amazon書評・レビュー:道頓堀川 (角川文庫 み 6-2)より
4041469023
No.25:
(5pt)

情熱を思いだす

昔読んで、再度読みました。
時を越えて、ひたむきに生きる市井の人の生きざまに感動しました。
作者の初期の作品ですが、小説家になりたかった宮本輝さんの情熱が感じられる文章に昔の自分を思いださせてくれます。
道頓堀川 (1983年) (角川文庫)Amazon書評・レビュー:道頓堀川 (1983年) (角川文庫)より
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No.24:
(5pt)

物語のプロットが素晴らしい

著者初期の作品を殆どの作品を読み尽くしつしつから読んだ、川三部作全て面白いが、特にこの作品は、この作者にしては、短い、のめり込み短時間で読み終えた。
道頓堀川 (角川文庫 み 6-2)Amazon書評・レビュー:道頓堀川 (角川文庫 み 6-2)より
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No.23:
(3pt)

あまり好きではない

他のものも読んでみようとは思わない。
自分には合っていないと思った。
川三部作 泥の河・螢川・道頓堀川 (ちくま文庫)Amazon書評・レビュー:川三部作 泥の河・螢川・道頓堀川 (ちくま文庫)より
4480020330
No.22:
(5pt)

豊かな抒情性に支えられた心の風景

どちらかと言えば、宮本輝の「螢川」は地味で老成した感じがする目立たない作品である。しかし、そういうイメージを打ち砕く青春が、この作品の底辺で息づいている。
  「螢川」は、著者の川三部作の第二作目であり、「雪」「桜」「螢」という三章からなっている。一見この三つの標題は何の意味もない気がするが、逆にだからこそ、この三つの標題に象徴されているものがあるようである。結論から先に言えば、確かに「螢川」の主人公は十四歳の竜夫という少年である。ところが、この作品を読み進むうちに、そうではないように思えてくる。主人公は竜夫であるはずなのに、なぜか「一枚のセピア色の写真」のような風景の方が強く印象に残るのである。ひょっとしたら、小説の本当の主人公は竜夫という人間ではなく、雪という自然であり、桜という植物であり、螢という動物であるかもしれない。つまり、読後、作品の全体を鳥瞰すると、どうも主人公の竜夫は「一枚のセピア色の写真」のような風景の中の一部になってしまうのである。

 さて、この作品は、著者の文学のテーマをさりげなく、しかし確実に書き込んでいる。すなわち、

……市電はかなりの速度で走っていた。竜夫は吊り皮につかまり大きく前後に揺さぶられながら、窓外の静かな街並を見ていた。死ということ、しあわせということ、その二つの事柄への漠然とした不安が、突然波のように体の中でせりあがってきて、竜夫はわっと大声をあげてのけぞりそうになる自分を押さえていた。

という部分がそうである。つまり、一つのテーマは「死ということ」であり、もう一つのテーマは「しあわせということ」である。                   「螢川」では、十四歳の主人公が、父という肉親の病死と級友の突然の溺死に出会うという形で、死ということへの動揺する心理を活写している。もちろん、死が私たちに必ずやってくるものであるのは言うまでもない。けれども、ともすれば私たちは日常生活の煩雑さの中でその事実を見失いがちである。というよりも、死の恐怖や不安を避けるために、私たちはわざと忘れたふりをして生きている、といった方が適切であるかもしれない。確かに死ぬこと、特に自分が死ぬことは、私たちにとって最も恐ろしいことである。しかし、私たちがこの世に生を受けると同時に、死はもう始まっている、といっても過言ではない。つまり、生は脆く衰えやすく滅びやすいものであり、反対に死は確かに存在して絶対に避けることができないものなのである。著者は、この作品に限らず他の作品でも必ずと言っていいほど死を何らかの形で登場させる。すなわち、それは轢死(「泥の河」)であったり、自殺(「幻の光」)であったり、交通事故死(「夜桜」)であったり、転落死(「寝台車」)であったりするけれども、とにかく形は変容しても死がどの作品にも挿入される。これは、前述したように、もう一つのテーマ、すなわち、「しあわせということ」に連繋しているからに他ならない。
 しあわせになりたい、という願望は、私たちの誰にでもある感情であるだろう。とすれば、私たちにとってしあわせとは一体何だろうか。父の危篤状態を母から聞かされた時、主人公の竜夫が考えた描写がある。
    
 このまま病院に行かず、繁華街をいつまでも歩いていたいと竜夫は思った。見知らぬ親子連れのあとをこっそり尾けていったり、主人の目を気にしながら本屋でしつこく立ち読みしたり、閑散とした映画館の中で、眼前の物語に心をこらしながらスルメをしがんだりしていることが、なぜかとてもしあわせなことであるように思えて仕方がなかった。……

 もっとも、これが本当のしあわせであるとは言えないけれども、竜夫のような気持を私たちも抱いたことがあるだろう。では、本当のしあわせとは一体何だろうか。私たちが一番しあわせを感じるのはいつだろうか。重竜の先妻の春枝が、弔問の帰りに竜夫に言ったことばが妙に心に残る。

 「おばちゃんのできることは何でもしてあげるちゃ。商売が何ね、お金が何ね。そんなもんが何ね。みんなあんたにあげてもええちゃ……」

 春枝が言いたかったのは何だろう? 
 捨てられた理由である重竜の子供・竜夫に対して、春枝が言いたかったのは何だろう? 私欲でも富でもない何か大切なもの、それを強いて名付けるとすれば、愛とでも言えばよいのだろうか。この春枝だけでなく、主人公の竜夫も父の重竜も母の千代も、また級友の関根啓太もその父も痛みや悩みを持った人間、すなわち「しあわせ」でない人間である。そういう人間の悲しみの歴史、人生の縮図がそれぞれ描かれているのを読むと、この人たちの人生はしあわせであるのか、しあわせであったのかと考えずにいられない。しかし、「しあわせ」の実体は一人一人違うものであり、その時点、その時点で変化していくものでもある。たとえば、父の重竜が何の罪咎もない女房を草履みたいに捨てたのは、降って湧いたように授かった子供の父親になりたかったからである。一方、母の千代が離婚して重竜と一緒になろうと思ったのは、たとえ子供を失っても、夫と別れたかったからであり、業というものを考えざるを得なかった。  死ということ、しあわせということ、この二つのテーマは、剰余とも思える小説の最終部分に収斂されている。そして、二つのテーマは私たちに生とは何かを問い掛けている。

 千代はふらふらと立ちあがり、草叢を歩いていた。もう帰路につかなければならない時間をとうに過ぎていた。木の枝につかまり、身を乗り出して川べりを覗き込んだ千代の喉元からかすかな悲鳴がこぼれ出た。風がやみ、再び静寂の戻った窪地の底に、螢の綾なす妖光が、人間の形で立っていた。

 これは、生成消滅を繰り返す螢の大群を描くことで、死ということ、すなわち人間の生の脆さと死の確かさを暗示している箇所である。したがって、千代の見た螢の綾なす妖光は、決して「人間」以外の形であってはならない。この部分を素直に読むと、人間の形で立つ妖光は、前の文章から判断して螢のまとわりついた英子であると考えられるけれども、もっと広い視野に立つ解釈が必要である。つまり、英子と限定しないで、死んだ重竜と考えてもいいし、千代が自分自身の姿を見たと考えてもいいだろう。また、具体性のある人間ではなく、人間それ自体と考えてもいいようである。こういう用い方は、この著者の内部から生み出されているものであると言える。螢だけではなく、雪、桜、川、海、光、死なども著者のキー・ワードであるだろう。
 最初に述べたように、この作品の主人公は風景そのものであるように見える。が、じつはその風景は、螢の描写でも解るように、豊かな抒情性に支えられた著者あるいは主人公の心の風景、または人生の四季もしくはその断面である。たとえば、その風景は、雪という冬であり、桜という春であり、螢という夏なのである。
川三部作 泥の河・螢川・道頓堀川 (ちくま文庫)Amazon書評・レビュー:川三部作 泥の河・螢川・道頓堀川 (ちくま文庫)より
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No.21:
(4pt)

どろどろとした 人間の感情の絡み付き合い

なぜ、いまごろ 宮本輝をよむのか 
いまの私の 感性に 一番あっているようだ。
どろどろとした 人間の感情の絡み付き合いが
とても、いいのだ。

政夫が 父親 武内鉄男 と 玉突きで 決闘する。
政夫は 夫を捨てた 鈴子 と一緒についていった息子。
鈴子は どうしようもない 占い師についていったのだ。
そのために 鉄男は なぜか許せないところがある。

戻って来た鈴子は ギヤマンのみどりの色に じっと見入った。
占い師が書く 海は いつもみどりだった。

鈴子が戻って来た時に 鉄男は鈴子を蹴った。
そのことで、鈴子は腎臓をいためたと思い込む。
鉄男は 息子の政夫が 玉突きで 生きようとすることに
理解を示せない ところもあるが、認めたい気持ちもある。
複雑な 父親の思い。
玉突きは あくまでも ばくちだと思っている鉄男。
息子の政夫は スポーツだと思っている。
世代の認識の違いで解決するのか。

邦彦は 母子家庭で 学費をかせぐために
武内鉄男の 喫茶店で バイトをする。
そこで,いろいろな人に であう。
就職活動するが 母子家庭ということで、うまく行かない。
鉄男は 邦彦には 喫茶店で 働いてもらいたいと考えている。

ユキのもつ たくましさ。
焼き肉屋で 自分の城を まもりはじめる。

オカマ、出前ストリッパー、老人の愛人。
道頓堀でうごめく 人々に 出会い
自分が どう生きるのかを なやむ 青年。
大阪の混沌とした 雰囲気が こつ然とする。

宮本輝の物語は 河が 一つのテーマとなるが、
占い師が 重要な 役割を果たす。
一家離散 という 占いが当たり、久しぶりにであう占い師が
次の占いをするが それを信じようとする。
道頓堀川 (角川文庫 み 6-2)Amazon書評・レビュー:道頓堀川 (角川文庫 み 6-2)より
4041469023
No.20:
(4pt)

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失礼だと思いませんか。
川三部作 泥の河・螢川・道頓堀川 (ちくま文庫)Amazon書評・レビュー:川三部作 泥の河・螢川・道頓堀川 (ちくま文庫)より
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