昨日がなければ明日もない
評判
昨日がなければ明日もないの評価:
4.24/5点 レビュー 97件。 B ランク
Amazonレビュー一覧
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全146件 141〜146 8/8ページ
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4.24/5点 レビュー 97件。 B ランク
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小説の詳細ページを閲覧すると、ここに履歴が表示されます。最近閲覧した小説詳細ページへ簡単に戻る事が出来ます。
時折ニュースサイトを見ていると、インドの事件で「自分の妹(等の血縁者)が強姦されたため、報復として犯人の妹(等の血縁女性)を強姦仕返した」というニュースが目につくことがある。報道されるのはそう頻繁ではないが、仕返しをされる犯人の血縁女性にとってはなんと不条理なことなのだろうと思ったのは一度ではないはずなので、一度きりのレアケースではないということだろう。
こうしたニュースで見ると、仕返しに強姦をされた妹にとってはなんと不条理なのだろう、犯人もそうであるが、そもそも強姦という魂の殺人を犯した己の兄こそを殺したいのではないか、と考える。だが、それとは全く別にもしもそれが自分の身や、近しく、大事にしている者の身に起こったとしたら、私はまさに八ツ墓村を参考とした装束に身を包み、その犯人だけではなく、犯人の親兄弟、婚姻しているならば配偶者、その子までに報復を行い、血を絶やしてやりたいと思うのではないか、と考え、ああ、これが日本にもある「末代まで祟る」「末代を絶やす」というという恨みの波動かと思い当たる。
そんな人間を育てた親に責任があるか。
犯人一人のみの問題であって、親兄弟子孫姻族には全く関わりない、むしろ不幸であるのか。
この一冊の中に三本の短篇が入っているが、育てた親にも責任があるだろうもの、親族にとっては不幸であるもの、やはりどちらのケースもあるだろう、と答えなど出ないと思い知らされるような話揃いだった(余談だが、前作の「幸福荘」にも同じように考えさせられる話がある)
宮部みゆきの初期作「魔術はささやく」にも、犯罪者の子供は子供と色眼鏡で見られる事象が描かれているし、「火車」もまた、家族だからこそ逃げられなかった、という悲しみがあった。
杉村は、度を超した資産家の娘との結婚を母に厭われ、一度は自分が育まれた家族を失い、そうして得た家族をまたもや自身の離婚によって失った。
特にこの本の表題作について断ち切れぬ血の縁について考えさせられるのと同事に、杉村の境遇を考えると、探偵とはかくも孤独でなくてはならないものかともの悲しさを覚える。
今年の夏に急に読みたくなって、大昔に読んだ「誰か」を読み直したことがこの杉村三郎シリーズに久々触れた理由だった。私がかつて手をつけたときにはまだ発刊もされていなかった「ペテロの葬列」までを夏の間に一気に読んで、特に「ペテロの葬列」の最後あたりにある一文には打ちのめされるような衝撃を覚えた。
このシリーズには、とてつもなく残酷で、やるせない内容が描かされることがある。ただし、このやるせなさは共感能力が高かったり、もしもこれが自分に起こったらと想像できるタイプの人でないと恐ろしさは感じないかもしれない。
作者が意識してのことだろうか、杉村三郎シリーズはそういう話揃いのように思える。
故に、このシリーズは特に「ペテロの葬列」以降は人によって合うか合わないかがはっきりと分かれるのではないかと感じられる。
だが、合う人にとっては「面白い、つらい、でも面白い、後味が悪いけれどそこがいい」となるし、いまややもめ男となった杉村の、大家一家や馴染みの侘助のマスターとのやりとりにホッとしたり、杉村の人の良さやシリーズの以前の話の中で出会った人に思いを馳せて、11月のわずかの日だまりのような暖かさを感じたりもする。
今、このシリーズを読んでいて気になるのはかつての義父とのもう一度の再会は叶うのだろうかということだ。
叶って欲しいと思うが、果たして作者はそこまで杉村に、読者に優しいだろうか。
答えが気になるところだが、そういえば、このシリーズの難点が一つ。
それは次の巻が出るまでに、何年もかかることだ。今、第一作「誰か」の初出年を確認したら2003年だった。次の「名もなき毒」は2006年。足かけ15年にわたるこのシリーズ。作者曰くの序章を終えて、ついに杉村が私立探偵と名乗りだした今、次の再会はもう少し早い時期にしていただけたらありがたい。
ところで、クリント・イーストウッドも後味が悪く、ガツンと殴られるような衝撃のある映画を作ることが多い。しかし、「グラントリノ」はそれもあるものの、納得も出来るような、これしかないと思えるようなラストだった。
この映画を思い出したのは、読後感がどこか似ているからかも知れない。