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あるいは修羅の十億年



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【この小説が収録されている参考書籍】
あるいは修羅の十億年

あるいは修羅の十億年の評価: 4.00/5点 レビュー 9件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.00pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全9件 1~9 1/1ページ
No.9:
(5pt)

満足です

迅速な対応で、商品の状態も良く、とても満足しています。
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No.8:
(4pt)

俳句ぐらいが

好きな本についてはあまり過剰に語らないほうがいいような気もして、俳句ぐらいがいいのかもね、
でも言いたいのは、
「13」って好きなんですよね。と、
品川に鯨塚ってのがあるんですけど?
ってことで、とりあえずそれで。

たてがみを蓮茶で洗え愛叫ぶ
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No.7:
(5pt)

闇の時間軸を越える覚悟

これは、有り得るかもしれない闇の時間軸の群像劇。

劇の舞台は東日本大震災の発生から15年後の日本。震災に伴う原発事故で汚染された地域は「島」と呼ばれていた。「島」に由来する馬を駆る騎手のヤソウ、人工心臓を埋め込まれたウラン、「島」に生息する茸を観察するサイコ。この3人がそれぞれの方法で2026年の東京を見つめ、そして再生を目指していく。
その一方で、「島」を巡り暗躍する様々な者たち。それは、放射能汚染された「島」を観測して貴重なデータを得ようとする諸外国や、擬似テロを目論む結社だったりする。

そして現出する新たな脅威。ポスト3.11に希望はあるのか、人間の愚かさに限度は無いのか・・ そんな問題提起を匂わせながら劇は進んでいく。

東日本大震災を題材にした荒唐無稽なお話。本作をそう捉えるのは簡単だ。
しかし実際に、福島県から他県に非難してきた人がいじめや差別を受けたという事例もある。この前のニュースでは、福島県から他県に転校してきた生徒が暴行や恐喝の被害を受けていたと報道されていた。

そんなニュースを見る度に思うのだ、闇の時間軸はいつでも大きな口を空けて我々を呑もうとしているのだと。しかし一方で、あの震災の時に見ず知らずの人たちが協力し合ったことも事実だ。
東日本大震災を経て、我々はどう生きるのか。闇の時間軸に呑まれるのか、手を取り合う未来を選ぶのか、その覚悟が試されているように思える。
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No.6:
(1pt)

単に作者の偏狭な世界観の押し付けがあるだけで、作者が東日本大震災を"飯のタネ"にしている有象無象の作家の一人だという事が良く伝わって来る愚作

読み始めて直ぐに失望した。東日本大震災を背景に新しい<神話>を創造しようという"陳腐"な構想(こうした構想が成功した試しはない)がミエミエな上に、読者にとって錯綜した(分かり難い)ストーリー展開が文学的だと勘違いしている節が冒頭から顕著だったからである。そこには、福島原発事故を含む東日本大震災の被災者の方への真摯な鎮魂の念はなく、単に作者の偏狭な世界観の押し付けがあるだけ。作者が東日本大震災を"飯のタネ"にしている有象無象の作家の一人だという事が良く伝わって来る愚作である。

読み進めて行く内に新しい視界や希望が開ける訳ではなく、「きのこ雲=原子爆弾」を意識した茸(菌糸菌)のモチーフの繰り返し(映画「マタンゴ」まで出て来る)、被爆して人工内臓で生きている少女をウランと名付ける軽佻浮薄さ(冴子をサイコと呼んだりもする)、意味のない駄洒落(例えば、Here comes the sun→ヒア・カムズ・ユーゲン(世阿弥の事))の繰り返し、内(被爆地域を「島」と称している)と外の表裏一体といった言い古された言辞の借用、カウボーイやフランスのプロバンス地方への言及といったこれまた意味のない無国籍風の雰囲気の醸し出し等々、読んでいてウンザリする事ばかりである。そして、一番の疑問は、自然環境保護の象徴という意味だろうか、「鯨」を全編のモチーフとしている点である。日本人の考える「鯨」と自然環境保護団体なるものが考える「鯨」とは全く異なるものなのに、これを調和の象徴とする辺りは奇異という他はない。

そして、本作には何の収斂もない。最終章では予定調和的事故が起きるが、これまた希望のないものである。なお、本作の時間軸は自在で、本作の内容はサイコのお腹の中の子が書いたという風に取れる仕組みとなっている。その本作が現実を書き換えられるとあっては笑止千万という他はない。読むだけ徒労に終わる真の愚作である。
あるいは修羅の十億年Amazon書評・レビュー:あるいは修羅の十億年より
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No.5:
(4pt)

フィクションを読む阿修羅

ストーリーを理解するのさえ困難な小説だ。

大津波によって陸に打ち上げられた巨鯨の肉が土地を作り、その血は川となって海に注ぎ、その骨は建物となる。そうして出来上がったのが東京なのだと、2026年の東京に生きる18歳の谷崎ウランは幻視して、メキシコ人の芸術家とともに「原東京」を再現しようと試みる。

2011年の大津波による原子力発電所の事故で、外部の人間に「島」と呼ばれるようになった「森」から上京した17歳の喜多村ヤソウは、ジョッキーとして人工腱を埋め込まれた馬を駆る。

ヤソウの姉であり従姉でもある19歳の喜多村サイコは、「森」の中で茸の小説を書き、「森」に留まりながらにして、東京の危険な中心地と化した「鷺ノ宮」で生き、行動する。

放射能、テロ、結社、まがまがしいイメージが横溢する近未来SF的な本書はしかし、物語であることを拒む。35に分割されたプロットは有機的には繋がらず、読点と反復言語が多用された現代詩のような文体は、頁を捲る手を渋滞させる。疾走感に溢れた「アラビアの夜の種族」や、「ベルカ、吠えないのか?」とは異なり、この小説はまったく走らない。

ところが、最後のパートでようやく、著者は文字通りに小説を走らす。そしてプロットが一気に重なり合うカタストロフを現出させる。

そこでふと、冒頭の言葉に思いが至る。

「ごきげんよう、本(フィクション)を読む阿修羅たち。」

本書は物語(ストーリー)でも小説(ノベル)でもなく、本(フィクション)だ。これを読む人間は阿修羅でなければならない。そのくらいの覚悟がなければ、一見、荒唐無稽な400頁を読破するのは苦行だ。

それでも、登場人物たちの言葉を通して伝わってくる著者の幻視力、危機意識は、実に今日的な問題を孕んでおり、本書を開くことは決して時間の無駄ではない。
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No.4:
(5pt)

2026年の東京

著者が2026年の東京をシミュレーションして未来を幻視すれば、「テロ、移民、スラム化した東京」となる。どの問題もめんどう。

著者は既に『gift』で「水没したお台場」を描き、『サウンドトラック』で「ヒートアイランド現象で熱帯と化し、スコールが降りそそぐ東京」を描いた。だから、今度は本書で「スラム化した東京」を描いている。

本書の主人公ヤソウは放射能汚染の被災地「島」からやってきたし、サイコは「島」生まれ。これに谷崎ウランが加わったとき、修羅場としての東京がまた揺らぐ。アトムの力で、原子力で、あるいは幻視力で、この事態を食い止められるか。たてがみを蓮茶で洗った馬、歌う鯨、食えるか食えないか創造茸くん、東京を救う、になるか。あるいは・・・。

著者は幻視しながら叫んでいる。今、まさに目の前で(「島」で)起こっている事象に集中(フォーカス)しなおせ、と。例えば、核廃棄物の問題だ。めんどーさ、なんて言ってられない問題なのだ。何十世紀(あるいは十億年)にもわたって核廃棄物を保管しなければならなくなるかも。核廃棄物を保管する専門施設を建設するというような対策を今すぐ、講じる必要があるのだ。

今、まさに目の前で起こっている事象に集中しなおせ。動物は「いま、ここ」にのみに生きているからだ。あるいは自己投影によって、人間は動物がそうであろうと想像しているからだ。ハクスリーの『島』を読みなおせ。

東京オリンピック後の未来、2026年の東京を幻視せよ、と著者古川日出夫は叫んでいる。集中しなおせ。そして、幻視せよ。バランスに気を付けながら。
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No.3:
(5pt)

生命の疼きを表現しているかのような一作

古川日出男さんの著者はどれも他の小説家の方とは時間のスピードや会話のキャッチボール、話の構成が独特なものでクセが強い。
なので手を出しにくい印象がある。しかしこの作品の冒頭数ページを読んでみてください。
それを読んだ瞬間に膨大なイメージが浮かび上がり想像してしまうでしょう。

あとは怒涛のごとく”古川節”と言える膨大な情報量の波に飲み込まれるまま物語は進んでいきます。
物語と物語の空白を埋めるように勝手に読者側が想像してしまうパワーがある作品です。
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No.2:
(2pt)

この題名

この題名につられて手にとったけれど、
よく考えてみたら、宮沢賢治のパクリ
だよね。
あるいは修羅の十億年Amazon書評・レビュー:あるいは修羅の十億年より
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No.1:
(5pt)

すごい。と聞いている。

すごいらしい。
この本はすごい。
そう聞く私は読んでいない。
そのうち読みたい。
もっと読んだ人レビューを。
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