万延元年のフットボール

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万延元年のフットボールの評価:

4.17/5点 レビュー 64件。 A ランク

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平均点4.17pt

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※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全145件 81〜100 5/8ページ
No.65
(5pt)

故郷のないものの故郷

大江健三郎の代表作である。
 故郷をもたないものの聖典である。
 冒頭から、異様な雰囲気と、異常な文章の連続で、読者は混乱するであろうが、全体的な文學的構造は、さほど、複雑ではない。主人公たちの名前が、翻訳家の《根所蜜三郎》、蜜三郎の愛妻でアルコール中毒の《根所菜採子》、蜜三郎の実弟であり、左翼運動に蹉跌して右翼に転向した《根所鷹四》、というように、三人とも《根所》という苗字であることからも、三者三様に、《根っこの場所》=《故郷》を冀求する物語であることが察知される。
 冒頭で、主人公である蜜三郎は、自宅界隈に穿鑿された、貯水装置用の空洞に蟄居して、《世界は存在しない》という《期待》に裏切られる。本作の主題が、《アイデンティティの喪失》および《アイデンティティの根源である故郷の喪失》であることが予告されることになる。蜜三郎が空洞に逼塞していたのは、精神に障碍をきたして療養していた翻訳家の友人が、暗澹たる自殺をしたことかららしい。蜜三郎が、翻訳を生業としていたのも、主題にかんがみれば、《世界を自分なりに解釈=翻訳する》という、《現実の世界の否定》と《自分の世界の渇望》という、故郷の問題に帰着するのかもしれない。本作が、現代の日本を舞台としながらも、摩訶不思議なる異国の風景を描破しているような雰囲気に囲繞されているのも、《蜜三郎の翻訳した日本像》とみれば納得がゆく。斯様なる挑戦が、おなじく、翻訳家の友人の自殺で頓挫したわけだ。世界が消滅しないことを認識した蜜三郎は、アルコール中毒の愛妻菜採子のもとへゆく。ふたりのあいだには、脳髄に障碍をもった子供がいて、養育施設にあずけているらしいことがわかる。《根所》を喪失して、みずからが、あらたな生命の《根所》にならんとした挑戦も破綻して、夫婦生活は崩壊せんとしている。
 軈て、亜米利加で左翼劇団に所属していた鷹四が帰国し、三人は、鷹四の友人達とともに、物理的な故郷である四国へ邁進する。根所兄弟の故郷では、《天皇》とよばれる在日朝鮮人によるスーパーマーケットが支配的な雰囲気となり、根所家の生家を隴断せんとしている。右翼に転向した鷹四は反撥し、《フットボール・チーム》を結成して、江戸時代後期の《万延元年の百姓一揆》を髣髴とさせるような、《天皇》への叛逆を蹶起する。
 同時に、鷹四と《妹》の関係の謎や、在日朝鮮人に殺戮された《S兄さん》をめぐる謎がひもとかれてゆき、クライマックスでは、推理小説的仕掛けによるカタルシスに到達する。つぎなる生命のための《根所》となる決心をした菜採子、作中に登場する寺院の《地獄絵図》を《根所》としたともいえる鷹四、日本に《根所》を発見できず、阿弗利加への羈旅を決断する蜜三郎。此処で重要なのは、一人称の主人公である蜜三郎が最後に《根所》をもとめたのが、《人類の起源の大地》といえる阿弗利加である、ということである。斯様な挑戦が、成功するのか、失敗するのかはわからない。菜採子が本当に《根所》になれるのか、鷹四の闘争は無意味だったのか。大江健三郎の筆致は、戦後日本人の自我同一性の危機をとおして、根源にある現代人類の悲劇を爬羅剔抉している。
《小説は、彷徨者たちの家郷である》といった評論家がいた。
 本作は、大江健三郎が大江自身の故郷をもとめた軌跡なのかもしれない。
万延元年のフットボール Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボールより
4061121820
No.64
(5pt)

故郷のないものの故郷

大江健三郎の代表作である。
 故郷をもたないものの聖典である。
 冒頭から、異様な雰囲気と、異常な文章の連続で、読者は混乱するであろうが、全体的な文學的構造は、さほど、複雑ではない。主人公たちの名前が、翻訳家の《根所蜜三郎》、蜜三郎の愛妻でアルコール中毒の《根所菜採子》、蜜三郎の実弟であり、左翼運動に蹉跌して右翼に転向した《根所鷹四》、というように、三人とも《根所》という苗字であることからも、三者三様に、《根っこの場所》=《故郷》を冀求する物語であることが察知される。
 冒頭で、主人公である蜜三郎は、自宅界隈に穿鑿された、貯水装置用の空洞に蟄居して、《世界は存在しない》という《期待》に裏切られる。本作の主題が、《アイデンティティの喪失》および《アイデンティティの根源である故郷の喪失》であることが予告されることになる。蜜三郎が空洞に逼塞していたのは、精神に障碍をきたして療養していた翻訳家の友人が、暗澹たる自殺をしたことかららしい。蜜三郎が、翻訳を生業としていたのも、主題にかんがみれば、《世界を自分なりに解釈=翻訳する》という、《現実の世界の否定》と《自分の世界の渇望》という、故郷の問題に帰着するのかもしれない。本作が、現代の日本を舞台としながらも、摩訶不思議なる異国の風景を描破しているような雰囲気に囲繞されているのも、《蜜三郎の翻訳した日本像》とみれば納得がゆく。斯様なる挑戦が、おなじく、翻訳家の友人の自殺で頓挫したわけだ。世界が消滅しないことを認識した蜜三郎は、アルコール中毒の愛妻菜採子のもとへゆく。ふたりのあいだには、脳髄に障碍をもった子供がいて、養育施設にあずけているらしいことがわかる。《根所》を喪失して、みずからが、あらたな生命の《根所》にならんとした挑戦も破綻して、夫婦生活は崩壊せんとしている。
 軈て、亜米利加で左翼劇団に所属していた鷹四が帰国し、三人は、鷹四の友人達とともに、物理的な故郷である四国へ邁進する。根所兄弟の故郷では、《天皇》とよばれる在日朝鮮人によるスーパーマーケットが支配的な雰囲気となり、根所家の生家を隴断せんとしている。右翼に転向した鷹四は反撥し、《フットボール・チーム》を結成して、江戸時代後期の《万延元年の百姓一揆》を髣髴とさせるような、《天皇》への叛逆を蹶起する。
 同時に、鷹四と《妹》の関係の謎や、在日朝鮮人に殺戮された《S兄さん》をめぐる謎がひもとかれてゆき、クライマックスでは、推理小説的仕掛けによるカタルシスに到達する。つぎなる生命のための《根所》となる決心をした菜採子、作中に登場する寺院の《地獄絵図》を《根所》としたともいえる鷹四、日本に《根所》を発見できず、阿弗利加への羈旅を決断する蜜三郎。此処で重要なのは、一人称の主人公である蜜三郎が最後に《根所》をもとめたのが、《人類の起源の大地》といえる阿弗利加である、ということである。斯様な挑戦が、成功するのか、失敗するのかはわからない。菜採子が本当に《根所》になれるのか、鷹四の闘争は無意味だったのか。大江健三郎の筆致は、戦後日本人の自我同一性の危機をとおして、根源にある現代人類の悲劇を爬羅剔抉している。
《小説は、彷徨者たちの家郷である》といった評論家がいた。
 本作は、大江健三郎が大江自身の故郷をもとめた軌跡なのかもしれない。
万延元年のフットボール (講談社文芸文庫) Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)より
4061960148
No.63
(5pt)

衝撃

旅行中、新幹線の中で読んだ。前から何度か挑戦していたが、読みづらさに挫折していて、これは時間をとらないと無理だな、と思っていた。
三時間後、読了した僕は興奮していた。こんなスケールの大きい小説が日本にあったとは、という驚き。僕は、大江健三郎がノーベル賞を受賞したのは安倍公房が早くに死んだからだと思っていた(今でも思っている)が、これに至っては認めざるを得ない。とんでもない作家である。

さて、大江健三郎の文章は読みにくい。日本語を英文法の型にあてはめて書いているということもあるが、これはむしろ六法全書や数学の論文の読みにくさに相通ずるのではないだろうか。つまり、法律や証明は解釈に幅があっては困るのだ。全体を敷衍すると、この小説は「筋が豊富」(大岡昌平)→「イメージが豊富」な小説である。天皇、歴史、小さな共同体、血の確執、差別感情、神話多くのイメージをはらみつつ、それを意味によってねじ伏せてやろうとする姿勢。ともすれば混沌とする種々の要素を解釈でもって捕まえてしまうのだ。その点、日常的な言葉で奇妙な混沌を混沌のまま描き出す安倍公房と対照的かもしれない。

そうしてみると、冒頭で語られる友人の縊死体は、踏み絵のように思えてくる。解釈されることを拒みながら、我々の想像力をかき立てる存在である。

全体として、あえて政治的な解釈を素通りするならば、この小説は想像力と現実の関係を描いているように感じた。

やはり、「蔓延元年」は大江健三郎の頂点かもしれない。多様なイメージを解釈によってねじ伏せながら、同時に立体的な広がりを見せるのが素晴らしい点なのだが、これ以降の小説は豊富なモチーフを含んでいるのに、結局「大江健三郎」に帰着してしまい、私小説的側面が目立って浅く感じてしまう。作家の興味が推移したというより体力の衰えではなかろうか。
万延元年のフットボール (講談社文庫 お 2-1) Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボール (講談社文庫 お 2-1)より
4061310275
No.62
(5pt)

衝撃

旅行中、新幹線の中で読んだ。前から何度か挑戦していたが、読みづらさに挫折していて、これは時間をとらないと無理だな、と思っていた。
三時間後、読了した僕は興奮していた。こんなスケールの大きい小説が日本にあったとは、という驚き。僕は、大江健三郎がノーベル賞を受賞したのは安倍公房が早くに死んだからだと思っていた(今でも思っている)が、これに至っては認めざるを得ない。とんでもない作家である。

さて、大江健三郎の文章は読みにくい。日本語を英文法の型にあてはめて書いているということもあるが、これはむしろ六法全書や数学の論文の読みにくさに相通ずるのではないだろうか。つまり、法律や証明は解釈に幅があっては困るのだ。全体を敷衍すると、この小説は「筋が豊富」(大岡昌平)→「イメージが豊富」な小説である。天皇、歴史、小さな共同体、血の確執、差別感情、神話多くのイメージをはらみつつ、それを意味によってねじ伏せてやろうとする姿勢。ともすれば混沌とする種々の要素を解釈でもって捕まえてしまうのだ。その点、日常的な言葉で奇妙な混沌を混沌のまま描き出す安倍公房と対照的かもしれない。

そうしてみると、冒頭で語られる友人の縊死体は、踏み絵のように思えてくる。解釈されることを拒みながら、我々の想像力をかき立てる存在である。

全体として、あえて政治的な解釈を素通りするならば、この小説は想像力と現実の関係を描いているように感じた。

やはり、「蔓延元年」は大江健三郎の頂点かもしれない。多様なイメージを解釈によってねじ伏せながら、同時に立体的な広がりを見せるのが素晴らしい点なのだが、これ以降の小説は豊富なモチーフを含んでいるのに、結局「大江健三郎」に帰着してしまい、私小説的側面が目立って浅く感じてしまう。作家の興味が推移したというより体力の衰えではなかろうか。
万延元年のフットボール Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボールより
4061121820
No.61
(5pt)

衝撃

旅行中、新幹線の中で読んだ。前から何度か挑戦していたが、読みづらさに挫折していて、これは時間をとらないと無理だな、と思っていた。
三時間後、読了した僕は興奮していた。こんなスケールの大きい小説が日本にあったとは、という驚き。僕は、大江健三郎がノーベル賞を受賞したのは安倍公房が早くに死んだからだと思っていた(今でも思っている)が、これに至っては認めざるを得ない。とんでもない作家である。

さて、大江健三郎の文章は読みにくい。日本語を英文法の型にあてはめて書いているということもあるが、これはむしろ六法全書や数学の論文の読みにくさに相通ずるのではないだろうか。つまり、法律や証明は解釈に幅があっては困るのだ。全体を敷衍すると、この小説は「筋が豊富」(大岡昌平)→「イメージが豊富」な小説である。天皇、歴史、小さな共同体、血の確執、差別感情、神話多くのイメージをはらみつつ、それを意味によってねじ伏せてやろうとする姿勢。ともすれば混沌とする種々の要素を解釈でもって捕まえてしまうのだ。その点、日常的な言葉で奇妙な混沌を混沌のまま描き出す安倍公房と対照的かもしれない。

そうしてみると、冒頭で語られる友人の縊死体は、踏み絵のように思えてくる。解釈されることを拒みながら、我々の想像力をかき立てる存在である。

全体として、あえて政治的な解釈を素通りするならば、この小説は想像力と現実の関係を描いているように感じた。

やはり、「蔓延元年」は大江健三郎の頂点かもしれない。多様なイメージを解釈によってねじ伏せながら、同時に立体的な広がりを見せるのが素晴らしい点なのだが、これ以降の小説は豊富なモチーフを含んでいるのに、結局「大江健三郎」に帰着してしまい、私小説的側面が目立って浅く感じてしまう。作家の興味が推移したというより体力の衰えではなかろうか。
万延元年のフットボール (講談社文芸文庫) Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)より
4061960148
No.60
(5pt)

大江健三郎氏の最高傑作

大江先生の文章の難解さは、読んでいるうちに次第にわかってくると思う。
他のレビューを見たら、色々な書き込みあるのでそちらを参照にされたい。

私が、不思議に思うのはこの小説で、大江「蜜」三郎が、いかにどのような作用を
しているかである。それは読んでからのお楽しみであります。

序盤で出てくるヘンリーミラーの「何でもいいから陽気にしていようじゃないか!」
から始まり、

驚愕のクライマックスへ。

「さあ、星のシトロエンに向かって出発だ!」

しかし、私は考えた。小学生に小石を投げられて片目が極度の近眼になったシーンを
何かしらの「太陽族」に対しての敬意なのか侮辱なのかがわからないという意味合い。

読み終わった後、本人が丸渕眼鏡かけて、幽かに微笑んでいるのもわかる気がした。
万延元年のフットボール (講談社文庫 お 2-1) Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボール (講談社文庫 お 2-1)より
4061310275
No.59
(5pt)

大江健三郎氏の最高傑作

大江先生の文章の難解さは、読んでいるうちに次第にわかってくると思う。
他のレビューを見たら、色々な書き込みあるのでそちらを参照にされたい。

私が、不思議に思うのはこの小説で、大江「蜜」三郎が、いかにどのような作用を
しているかである。それは読んでからのお楽しみであります。

序盤で出てくるヘンリーミラーの「何でもいいから陽気にしていようじゃないか!」
から始まり、

驚愕のクライマックスへ。

「さあ、星のシトロエンに向かって出発だ!」

しかし、私は考えた。小学生に小石を投げられて片目が極度の近眼になったシーンを
何かしらの「太陽族」に対しての敬意なのか侮辱なのかがわからないという意味合い。

読み終わった後、本人が丸渕眼鏡かけて、幽かに微笑んでいるのもわかる気がした。
万延元年のフットボール Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボールより
4061121820
No.58
(5pt)

大江健三郎氏の最高傑作

大江先生の文章の難解さは、読んでいるうちに次第にわかってくると思う。
他のレビューを見たら、色々な書き込みあるのでそちらを参照にされたい。

私が、不思議に思うのはこの小説で、大江「蜜」三郎が、いかにどのような作用を
しているかである。それは読んでからのお楽しみであります。

序盤で出てくるヘンリーミラーの「何でもいいから陽気にしていようじゃないか!」
から始まり、

驚愕のクライマックスへ。

「さあ、星のシトロエンに向かって出発だ!」

しかし、私は考えた。小学生に小石を投げられて片目が極度の近眼になったシーンを
何かしらの「太陽族」に対しての敬意なのか侮辱なのかがわからないという意味合い。

読み終わった後、本人が丸渕眼鏡かけて、幽かに微笑んでいるのもわかる気がした。
万延元年のフットボール (講談社文芸文庫) Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)より
4061960148
No.57
(5pt)

これがベストセラーだった時代があった

過剰な修飾、あふれ出る語彙、圧倒的な小説である。 現在の流行作家にも、饒舌体めいた文体を使う人はいる。 だが、本書は描かれたがっている内実が、次から次へと言葉を求めているかのようだ。 言葉の奔流が、無駄ではなくぜいたくと感じられる。  戦後からの脱却、地域社会の自立、地域文化の再発見と再評価、障害児という個人的な困難、学生運動のベクトルの矛先 … 時代と個人の問題が渾然一体となり、読者を巻き込んでゆく。  大江文学の最高到達点の一つだと、今回再読して確認した。  ただ、文学と世界の関わり方が、現在はこの地点から遠く変容しているのだ。
万延元年のフットボール (講談社文庫 お 2-1) Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボール (講談社文庫 お 2-1)より
4061310275
No.56
(5pt)

これがベストセラーだった時代があった

過剰な修飾、あふれ出る語彙、圧倒的な小説である。 現在の流行作家にも、饒舌体めいた文体を使う人はいる。 だが、本書は描かれたがっている内実が、次から次へと言葉を求めているかのようだ。 言葉の奔流が、無駄ではなくぜいたくと感じられる。  戦後からの脱却、地域社会の自立、地域文化の再発見と再評価、障害児という個人的な困難、学生運動のベクトルの矛先 … 時代と個人の問題が渾然一体となり、読者を巻き込んでゆく。  大江文学の最高到達点の一つだと、今回再読して確認した。  ただ、文学と世界の関わり方が、現在はこの地点から遠く変容しているのだ。
万延元年のフットボール Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボールより
4061121820
No.55
(5pt)

これがベストセラーだった時代があった

過剰な修飾、あふれ出る語彙、圧倒的な小説である。 現在の流行作家にも、饒舌体めいた文体を使う人はいる。 だが、本書は描かれたがっている内実が、次から次へと言葉を求めているかのようだ。 言葉の奔流が、無駄ではなくぜいたくと感じられる。  戦後からの脱却、地域社会の自立、地域文化の再発見と再評価、障害児という個人的な困難、学生運動のベクトルの矛先 … 時代と個人の問題が渾然一体となり、読者を巻き込んでゆく。  大江文学の最高到達点の一つだと、今回再読して確認した。  ただ、文学と世界の関わり方が、現在はこの地点から遠く変容しているのだ。
万延元年のフットボール (講談社文芸文庫) Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)より
4061960148
No.54
(5pt)

わが青春のメモリアル

今から四半世紀以上前、講談社文庫(文芸文庫ではない)で読んだ。粟津潔の真っ赤なカバー画の本である。初めて読む大江健三郎の小説だった。冬の風の強いある日、西新宿の高層ビルの谷間にある喫茶店で黙々と読みふけったことを今もよく覚えている。「夜明けまえの暗闇に眼ざめながら、」という冒頭の一文を読んだだけで、たまげてしまった。いまだかつて読んだことのない難解な文体だったからだ。それ以後、小説を読むと、その文体をとても意識するようになった。この小説でもっとも気に入っているのが第2章「一族再会」だ。空港ホテルの一室で、アメリカから帰国する鷹四を家族や友人が酒を飲みながら待つ場面である。そこで、とりわけ印象的なのが菜採子で、その言動には確かな実在感があり、女性としての魅力を大いに感じさせたものだった。おそらくゆかり夫人がモデルだろう。また、フランスの作家クロード・シモンが来日し、大江と対談した時、第3章「森の力」において、蜜三郎が森の中で湧き水を飲む場面で、透明な水の下に灰色や朱色の石が見えるという描写に感銘したと言っていた。この小説には、他にも多くの魅力があり、それをすべてここに書くわけにはいかないが、とにかく日本の土着の力をまざまざと実感させる傑作であり、ラテン・アメリカの諸作にも全くひけをとらないと断言できる。「すくなくともそこで草の家をたてることは容易だ。」という最後の文を読み終わった時の感動といったら筆舌に尽くしがたい。
万延元年のフットボール (講談社文庫 お 2-1) Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボール (講談社文庫 お 2-1)より
4061310275
No.53
(5pt)

わが青春のメモリアル

今から四半世紀以上前、講談社文庫(文芸文庫ではない)で読んだ。粟津潔の真っ赤なカバー画の本である。初めて読む大江健三郎の小説だった。冬の風の強いある日、西新宿の高層ビルの谷間にある喫茶店で黙々と読みふけったことを今もよく覚えている。「夜明けまえの暗闇に眼ざめながら、」という冒頭の一文を読んだだけで、たまげてしまった。いまだかつて読んだことのない難解な文体だったからだ。それ以後、小説を読むと、その文体をとても意識するようになった。この小説でもっとも気に入っているのが第2章「一族再会」だ。空港ホテルの一室で、アメリカから帰国する鷹四を家族や友人が酒を飲みながら待つ場面である。そこで、とりわけ印象的なのが菜採子で、その言動には確かな実在感があり、女性としての魅力を大いに感じさせたものだった。おそらくゆかり夫人がモデルだろう。また、フランスの作家クロード・シモンが来日し、大江と対談した時、第3章「森の力」において、蜜三郎が森の中で湧き水を飲む場面で、透明な水の下に灰色や朱色の石が見えるという描写に感銘したと言っていた。この小説には、他にも多くの魅力があり、それをすべてここに書くわけにはいかないが、とにかく日本の土着の力をまざまざと実感させる傑作であり、ラテン・アメリカの諸作にも全くひけをとらないと断言できる。「すくなくともそこで草の家をたてることは容易だ。」という最後の文を読み終わった時の感動といったら筆舌に尽くしがたい。
万延元年のフットボール Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボールより
4061121820
No.52
(5pt)

わが青春のメモリアル

今から四半世紀以上前、講談社文庫(文芸文庫ではない)で読んだ。粟津潔の真っ赤なカバー画の本である。初めて読む大江健三郎の小説だった。冬の風の強いある日、西新宿の高層ビルの谷間にある喫茶店で黙々と読みふけったことを今もよく覚えている。「夜明けまえの暗闇に眼ざめながら、」という冒頭の一文を読んだだけで、たまげてしまった。いまだかつて読んだことのない難解な文体だったからだ。それ以後、小説を読むと、その文体をとても意識するようになった。この小説でもっとも気に入っているのが第2章「一族再会」だ。空港ホテルの一室で、アメリカから帰国する鷹四を家族や友人が酒を飲みながら待つ場面である。そこで、とりわけ印象的なのが菜採子で、その言動には確かな実在感があり、女性としての魅力を大いに感じさせたものだった。おそらくゆかり夫人がモデルだろう。また、フランスの作家クロード・シモンが来日し、大江と対談した時、第3章「森の力」において、蜜三郎が森の中で湧き水を飲む場面で、透明な水の下に灰色や朱色の石が見えるという描写に感銘したと言っていた。この小説には、他にも多くの魅力があり、それをすべてここに書くわけにはいかないが、とにかく日本の土着の力をまざまざと実感させる傑作であり、ラテン・アメリカの諸作にも全くひけをとらないと断言できる。「すくなくともそこで草の家をたてることは容易だ。」という最後の文を読み終わった時の感動といったら筆舌に尽くしがたい。
万延元年のフットボール (講談社文芸文庫) Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)より
4061960148
No.51
(5pt)

傑作

17歳ごろに読んで、小説を書きたいという「淡い欲望」が吹き飛ばされました。
万延元年のフットボール (講談社文庫 お 2-1) Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボール (講談社文庫 お 2-1)より
4061310275
No.50
(5pt)

傑作

17歳ごろに読んで、小説を書きたいという「淡い欲望」が吹き飛ばされました。
万延元年のフットボール Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボールより
4061121820
No.49
(5pt)

傑作

17歳ごろに読んで、小説を書きたいという「淡い欲望」が吹き飛ばされました。
万延元年のフットボール (講談社文芸文庫) Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)より
4061960148
No.48
(5pt)

とにかく凄い!

何十年も前にこんな凄い小説が書かれていたことに驚きですね。 全編にわたって張りつめた緊張感。 大江健三郎のなかではこれと『叫び声』が断トツに好き。
万延元年のフットボール (講談社文庫 お 2-1) Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボール (講談社文庫 お 2-1)より
4061310275
No.47
(5pt)

とにかく凄い!

何十年も前にこんな凄い小説が書かれていたことに驚きですね。 全編にわたって張りつめた緊張感。 大江健三郎のなかではこれと『叫び声』が断トツに好き。
万延元年のフットボール Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボールより
4061121820
No.46
(5pt)

とにかく凄い!

何十年も前にこんな凄い小説が書かれていたことに驚きですね。 全編にわたって張りつめた緊張感。 大江健三郎のなかではこれと『叫び声』が断トツに好き。
万延元年のフットボール (講談社文芸文庫) Amazon書評・レビュー: 万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)より
4061960148