火の路
評判
火の路の評価:
4.41/5点 レビュー 39件。 B ランク
Amazonレビュー一覧
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全14件 1〜14 1/1ページ
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火の路の評価:
4.41/5点 レビュー 39件。 B ランク
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連載時のタイトルは”火の回路”だった、
昭和47年の高松塚古墳発掘で全日本を席巻した古代史ブームに乗った作品だったのだと思うが、現在では娯楽性はほぼ皆無に近く、松本清張マニア向けであり、清張マニアでも他の著名作品読了後の後回しで差し支えないと思う、
連載当時の古代史ブームの背景について次のようなことを知っておくと本書の面白みの一助になるかと思う、
1970年の大阪万博、続く札幌オリンピックと大きな明るいニュースが続いたのが1970年代初期だった、
ところが、同時に三島由紀夫事件、大久保清事件、そして連合赤軍あさま山荘事件と現在から見ても歴史的に陰惨極まりない印象を受ける事件が連続して起きたのも同じ時代のことだった、
当時、内ゲバと呼称された共産党系過激派の内部対立による暴力事件は日常的に全国で起きていた、
その一部はあさま山荘事件と同様の仲間内による殺人事件であった、
当時の共産党系過激派のバカさがどれほど度を越していたかに興味のある人には邦画「マイ・バック・ページ」が参考になります、
1972年2月 連合赤軍あさま山荘事件
1972年3月 高松塚古墳壁画発見
と並べてみれば、あさま山荘事件の翌月に高松塚で壁画が発見された僥倖が当時の日本人のアイデンティティ高揚にどれほどの興奮を呼び起こしたか、それは札幌オリンピックの興奮のような一過性のものではなかったのだと思う、
そんな時代に清張が提示した古墳時代のゾロアスター教の日本渡来説は高松塚古墳の興奮に準じるように歓迎されたことになる、
その後半世紀の遺跡発掘調査によって、清張が本書で主張した意見が作家によるただの妄想だったことが結論付けられており、上巻はともかく、下巻はそのまま読み進むか、もしくは先ず森浩一による解説を読み、とりあえずの基礎知識を得てから小説として楽しむかは、読者其々でよいと思う、
新聞連載時から記述が難しすぎるという苦情は新聞社にたくさん届いたらしく、それでも完結させた当時の松本清張のステイタスや新聞社の意気込みのようなものは痛烈に感じさせてくれる、
上巻レビューにも書いたが、ここで清張が執拗に繰り返すAとBは似ており、時系列で後になるBはAの影響下にあるという思い付きに繰り返しへ理屈を塗り込める発想は下巻後半になるほどとにかく見苦しい、
もし自分が似たようなことをしてしまったらと思えば、まさに穴があったらなんとやらの諺そのものだろう、
おそらく清張の小説発想がそうだったのだと思う、
つまり、あるエピソードを思いつくと、そのエピソードにつながる前後のエピソードを敷衍してゆき小説にまとめる姿勢のことだ、
小説ならそれでまったく問題ないだろうが、本書で清張が繰り返すのは学問としての歴史の範疇に素人が土足で踏み込み、その一部は学会に唾を吐くような姿勢だから、とくに現在の我々読者にはあくまでも反面教師的な面白さがメインになってしまう、
だから清張は物事を衡平に観察する姿勢に極端なムラがあり、冴えている時には歴史的な名作を書き、そうでない時には本書のように現在では奇書扱いされても仕方がない作品作りに熱中したことになる、
現在、ゾロアスター教の信者は全世界で10万人ほどらしい、
アーミッシュが30万人を超えているといわれるから、マイナーな一派であることは間違いないが、ポップ・カルチャを含めその影響力のようなものは絶大だと思う、
特に映画「2001」でシュトラウスのツァラトウストラが使用されて以降この半世紀ほどはゾロアスター=ツァラトゥストラであり、最近でも映画「ボヘミアン・ラプソディ」で重要なファクタになるなど思わぬ方向で馴染みがあることになる、
映画「ボヘミアン・ラプソディ」はゾロアスター教徒家庭に育った主人公の魂の遍歴のような作品だが、同作においてゾロアスター教徒のあるべき姿、つまり”善き思い、善き言葉、善き行いの三徳”が主人公父親の台詞として繰り返されることに本書の読者も注目すべきと考える、
本書のような長編において松本清張はゾロアスター教の何が信者を引き付けるのかについて一文字も記していない、
特段の信仰を持たないと思われる清張には信仰に人が込める思いが分からないからである、
わざわざ中近東に取材しゾロアスター教の祭儀にも施設にも直接接しながらも、彼が思うのはただBはAに似ている、CもAに似ている、BとCもお互いに影響下にある、といった自身の屁理屈を正当化したいだけの我欲しかないからである、
信仰を持たない人格には祭儀や施設に込められた信仰の中身を想像するセンスが欠けているといわれても仕方がないだろう、
だからリンゴが落ちたから万有引力が発見されたに類する自然科学における思い付き/演繹的な発想と、歴史など人文系の発想は同じ姿勢では無理があることを本書が証明しているとも評価できる、
本書で提示された清張の意見が全否定されたのは遺跡発掘の結果であることに我々現在の読者は敬意を持つべきなのだとおもう、
そして清張ほどの財力があるなら私設のシルクロード研究所のようなものを組織し、後身に自分のアイデアに沿った研究をさせることも可能だったに違いないのである、
しかし松本清張はけしてそのような行動をとることはなかった、
人にも組織にもけして心を許さず、世間全てを悪人として認識していたのだろう松本清張が自らの我欲を満足させるためには自ら動くしかなかったのだと思う、
だからこそ清張作品に充満する大いなる孤独感や疎外感が未来永劫にわたり日本人の心をとらえ続けるに違いなのである、
さて、それは我々にとって幸運と呼んでよいのだろうか?とも思うのだった、
本書執筆の五年後、イランで革命が起こり、王政が倒され現在まで続くイスラム教主導による共和国になった、
下巻で描写される革命前の西洋化(キリスト教国風の自由主義)がある程度浸透した時代のイラン風俗の描写は貴重かもしれない、
メモ:P.136
南禅寺界隈がピンク営業ばかりで、ぎらぎらした看板がよけいに暑さを誘った。
→ 市による浄化作戦前の南禅寺界隈は現在とはまったく異なった風景だったようだ、
読了すると物語の面白みは並であるが、シルクロードの東端が平城京であった史実が脳内を占領してしまい、心はキャラバンでラクダの背に乗る商人に転化してしまう、
現地に飛ぶほどの熱はないが、国立博物館ならいまから出かけても半日夢幻に浸れるのに、とコロナ禍が恨めしい夏の終わりであった、