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手紙
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手紙の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.16pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全427件 301~320 16/22ページ
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自分はこれだけやっているのに、なぜ!?そんな思いとは裏腹に悪いほうへ悪いほうへ展開してしまいます。自分にも落とし込んでみると、妙にそういった場面がクローズアップされてしまい、自分はこんなにネガティブな人間だったかな…と思うほどです。 苦しみ、絶望感、怒り、喪失感、あらゆる負の感情が盛り込まれていて、読んでいても重いというのもげんなりする原因の一つでしょう。 また、環境は人を変えることも、主人公の様子が如実に物語っています。どんどん後ろ向きな様子になっていくのは明らかで、違う人物に感じられてしまうほどです。 人間の世界。甘くない、そう感じました。下手をすると小さな小さな自分の世界だけを守るような決意が固まってしまうような気もします。 どんな時に読めばいいかって!?ちょっとわからないです…。 | ||||
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世の中の差別にこれほど、強烈な差別があるのかと考えてしまった。差別がなくならない社会、いじめがなくならない社会はどうにかして差別、いじめをなくそうと現在も、声高に言われている。 この小説では、学校や社会では、直接、教えてもらわない、なくならない差別、モラルゆえの差別について、深く考えさせられる。犯罪を、強盗を、殺人を許してはならない社会ゆえ、それの犯罪者の親族にも、犯罪者と同等まではいかないまでも、時に同等のような差別の目は向けられる。 この小説に登場する人物の言葉、「社会的な死」という言葉が非常に印象深く、また「いつでも正々堂々と生きる道を選ぶことは選び易いから 」というくだり。映画館に足を運ぶ機会がなかなか得られず、原作の小説を読んだが、主人公の差別を受ける苦悩、葛藤、焦燥、考え、また他の登場人物たちの言葉など、じっくり読めて本当によかったです。胸にあまりにも重くのしかかる一冊に出会いました。 | ||||
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読み始めてから、一気に全部読んでしまいました。東野圭吾の作風の中では、秘密に近いような気もしますが、全く違う作家の作品のような気もするし、とにかく面白かったです。ミステリーとは一味違った、登場人物の心の描写がメインの純文学のような印象です。東野圭吾作品は大体読んでいますが、長編では一番だと思います。 | ||||
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どんなに優れた小説でも、合う人と合わない人がいる。当然だ。でもこの小説は、私にとっては単なる小説ではなかった。私は直貴の半生を共有した。現実に共通点があるとかいうことではない。読み始めて、私は直貴になった。あきらめ、疑い、絶望し、皮肉になり、希望を持ち、再び絶望した。私は直貴になってこの物語を生きた。全ての読者がこうなるとは思わない。私は読者としてラッキーだった。 私は東野の代表作を一通り読んだつもりでいた。しかし、読み残したものにこんな作品があってビックリしている。ラストシーンはカッコ悪かった。でもそうだろうなと思った。寺尾みたいな奴が、本当の親友なのだなと思った。 直貴は本物のシンガーだ。ただ、今はインディーズの心有る人たちも多く、音楽業界があんな人たちだけではなくなっていることを、ロックファンとして弁護しておきたい。 | ||||
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東野圭吾さんの本は何冊も読んだけど、これはかなり好き。 犯罪者の弟が主人公として描かれていて、とても面白かったし、かなり考えさせられた。犯罪者の家族がうける世の中からの差別、そのストーリーに引き込まれてしまった。 最後は泣けて仕方なかった。きっと現実にあるのではないかと錯覚してしまい、それが余計に涙を誘ってしまう。 途中で会社の社長が弟が受ける差別をいい意味で正当化する場面が出てくる。なるほどと思うし、東野圭吾さんの表現に「やられた」と思ってしまう。 映画もやっているので、すごく見たい。(もうすぐ上映終了) 久しぶりに途中で読むのをやめることができない本でした。 | ||||
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肉親に重大な犯罪者がでたら?その、事実のため自分が社会から迫害されたら? 今まで、考えたこともなかった問題点をいきなり突きつけられた! 自分なら、どうするだろう? 多分、主人公のような行動はとらないような気がする。 自分の不幸を、犯罪者のせいにして、自己正当化し世の中の善に背を向けて生きて行くかもしれない。 自分の人生と、家族への責任感、思い入れ、愛情は当然秤にはかけられない。 自分には主人公の行動派、勇気あるとは思いながら、一種冷酷さも感じてしまった。 賛否が分かれるところだと思う | ||||
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映画化もされて、いまはどこの本屋さんにも平積みになっているベストセラーだが、やはりそれだけのものがある、とすべて読み終わってそう思えた。 強盗殺人犯の弟として生きていく、というところに遥か自分とは遠い世界を思っていた。 しかし、その世界は決して遠いところにあるものではなく、自分のすぐ隣、身近にあるものだった。そう気付かせてくれる小説である。「強盗殺人」というもの自体、多くの人にとっては縁遠く感じているものだが、この小説に出てくる人物は決して特別ではない。直貴を繰り返し繰り返し苦しめてしまうのは周囲の人物に違いはないのだが、特別に嫌な性格の人物たちが集中しているわけではなく、自分の胸に手をあててみてもいろんな面で理解可能な周囲の人たちの行動の連続なのである。 様々なきっかけを読んだ人に与えてくれる小説である。 「手紙」は、考えていた以上に、ずっしりとたくさんの気持ち、書く人読む人両方の気持ち、を運んでいた。 | ||||
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数年前、自ら命を絶ったの友人を思い出さずに入られなかった。 それなりに名の通った学校を卒業し、会社に勤めていた彼は、 突然この社会から退場した。 僕達を含めた周りの第三者達の嘆き、憤り、涙。 彼の両親にとっては、それすらも心をえぐる刃となって突きつけられる。 大切な息子を永遠に失ったという事実だけにとどまらず、周りからは 残された老親というレッテルを貼られ続けて生きていくのだ。 理由はどうあれ、我々が社会から隔離された時、罪は一人の責にとどまらない。 それを改めて思い知らされる契機となった。 | ||||
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映画化されたんですね。 久しぶりに本棚から手に取り読んでみました。 加害者と被害者、それぞれの家族、そして社会から向けられる差別。 テーマとしては古典的だが、加害者の家族である弟・直樹の視点は現代的であり、 定期的に送られてくる受刑者である兄からの純実な手紙にもがき、いらだつ弟の姿や、 理不尽な差別・偏見に対する憤りに感情移入しながらストーリーは進んでいく。 終盤、主人公の勤務先社長の言葉に息をのむ。 差別の肯定とも受け取られかねない激烈な言葉。 冷徹なまでに差別の事実を説く言葉。 作者によって多くの読者が、理想や道徳の影から引きずりだされる場面ではなかろうか。 だが、そうしておいて答えを明示してくれるわけでもない。 それがこの小説を読み進める苦しさなのかもしれない。 ラストは東野さんの作品らしく、わずかながらの救いを読者には差し伸べてくれる。 愛であり、許しであり、絆の存在を明瞭に確信させてくれる。 しかし、それをもってもこの兄と弟は救われない。 いや、それこそが苦しみを増感させるのか・・・ ―兄貴、俺たちはどうして生まれてきたんだろうな。 ―兄貴、俺たちでも幸せになれる日が来るんだろうか―。 そこに感動や希望、終結は見いだせない。 無限の苦しみを前にした兄弟の張り裂けそうな「祈り」だけが共鳴し、 涙となって溢れ出す人はきっと多いと思う。 残酷で美しい物語です。 | ||||
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ニュースや新聞で毎日のように目に耳にする「殺人」。 私たちがメディアで接する「殺人」とは被害者家族側の情報ばかり。 メディアは悲しみにくれる被害者や遺族の悲しみ・憤り・怒りを取り上げたほうが 視聴者を引き付けることができるであろう。 それに、それを大衆に伝えることがメディアの正義となりつつあるように思う。 しかし、加害者の家族にも悲しみや苦しみがやってくる。 「殺人者の家族」というようなレッテルを貼られ 差別や偏見の末に職を失い、居場所も失い、凄惨な状況が続くのである。 確かに加害者に言い訳は通用しないかもしれない。 だが、その家族にまで害が及ぶ風潮は本当に正しいことなのか? この小説はその加害者とその家族の苦悩を余すことなく読者に問いかける。 しかし、その反面加害者の家族にも差別や偏見から逃げてはいけないと訴えかける。 差別や偏見がなければ犯罪は減少しない。 差別や偏見という十字架を加害者家族が背負う苦しみを加害者本人が知ってこそ 犯罪という過ちは繰り返されることがなくなるのだと。 また、その差別や偏見に苦しむ加害者の姿を目にした大衆が 「同じ苦しみを自分の家族に背負わせてはならぬ」と考えるための教訓になるのだと。 なんとも悲しいが、これが現実であろう。 しかし、最後の最後に加害者家族にも(加害者本人も含め)一筋の光が挿す。 涙無くしては読めない。 東野作品の最高傑作であろう。 | ||||
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弟のためにした兄兄により苦しむ弟弟の別れの手紙がどれだけ犯罪者の弟がひどい目にあっているのかとようやく兄に伝わったとき、兄はようやく罪の深さに苦しみ本当の償いはないのだろうけど本心で償えたのではないだろうか。最後、兄の行動がそれを物語っているように感じた。そしてそれを見た時の弟縁はきれても血のつながった兄弟という関係だけはきれない。それが手紙によってつながられていたと感じた。 | ||||
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東野圭吾の、現在最も美しい物語。 人の心の強さ、弱さ、優しさ、残酷さ、すべてが描かれている。 主人公に共感して読めれば、涙するのは一度ではすまない。 事件が起こるのは冒頭で、しかもそれは主題ではない。 それでも、この物語は、読者を放さないだろう。 いつまでも大切な本として、私の本棚に並べておき、何年かしたら、また読みたいと思っている。 | ||||
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3年ほど前に一度読み、昨週映画を見に行き、昨日また一気に読み返した。 映画も原作もまだなら、映画を先に見ることを薦める。 映画のほうがダメというわけではなく、原作のプロモーション映像としてもうまく機能しているように感じた。 原作は映画では描ききれない、文字メディア特有のズシンとした重さを持っている。 胃が痛むような切ないような、重苦しい緊張感のある展開が続く。 ストーリー後半に出てくる、社長の平野の言葉は素晴らしい。 人間の感情の不条理を理詰めに説く。 合理的かつ感動的という、なかなか出くわせないフレーズを何度か吐く。 東野のメッセージがそこには隠されていると感じられたし、また彼の聡明さ、繊細さがはっきりと出ている。 主人公を支え続ける由実子にもまた深い感銘を受ける。 理不尽な挫折の連続でヤケクソになる男を何度も立て直し、成長させてゆく。 こんな女性と結婚したいなあ... 男の身勝手かもしれないが、ある意味理想の女性とも言える。 そして終盤には登場人物各々に"それなりのケリ"がついてゆく。 "それなりのケリ"としか書けない。 名も無き本好きの意見ではあるが、楽しめるかどうかは別として、とにかく予断なく味わってほしい。 中盤までの重苦しさ、そしていくつかのエピソードをギュッと詰めたテンポのいい終盤。 読後の何とも言えない虚脱感。こんな紆余曲折がこの価格。 これだから読書はやめられない。 | ||||
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日々犯罪が起きているような現代、加害者の立場を書いた小説も必要だと思います。 読みながらお金の大切さを痛感し、せつなくて、たまらない気持ちになりました。 東野さんの作品は淡々と進んでいき、ぐいぐい引き込まれ、心に残るというものが多く、 この作品も弟からの最後の手紙が圧巻で、強烈に心に響きました。 | ||||
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東野さんの作品は、広末涼子さんが出演した 映画”秘密”で接したのが最初でした。何年もやさしい余韻を残す心の作品でした。そして、久々にこのたび”手紙”という映画の予告を見て、この本を手にとりました。 弟の為にまじめに働いてきた兄が、どうしようもない状況に追い込まれた時に強盗殺人を犯してしまい、獄中から毎月弟に手紙を送るストーリーを軸にその周りの人間のドラマが展開します。 手紙という題名からして、手紙の文面そのものがストーリーにとても関わってくるのかと想像していましたが、そうではなかったのが深く心に残りました。 手紙が確実にいろいろな人間関係を深いものにしてくれましたが、最後にドラマの中の人物ひとりひとりに、偽りのないほんとうのきもちを伝えたのが手紙ではなく 生身の人間同士の出会っている瞬間にあることを読み、静かに感動しました。 是非、映画も観てラストの映像がどう描かれているのか観たくなりました。きっとまた何年も余韻を残す作品になるんでしょうねー。 | ||||
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祝!映画化。映画はまだ観ていませんが、この本が多くの人に読まれる機会が増えるということがまず大変喜ばしいです。 何年か前、初めてこの本を読んだ時、ものすごく衝撃的で、深く深く心に残る小説となりました。それまでにも、東野圭吾さんの小説は数多く読んでいましたが、私の中では東野作品、不動のナンバー1になりました。 読むきっかけになったのは、人に「いい本だから読んでみ。」と言われた事で、実際読んで感動して、その人に感想を伝えたところ、「この本をいい本だと思える人でいることも大切。」と言われました。その言葉と共に非常に心に残る一冊となりました。 その後、何人かに「いい本だから」と薦めました。人に薦めたくなる本なのかなと思います。 テーマは非常に重いですが、東野さんの本だけに、文章がさらっとしていて読み易く、人物像がリアルで感情移入しやすいので、普段本をあまり読まない人でもどんどん先に進むめる類の本だとおもいます。そういう意味で、場所を選ばず読める単行本サイズは一番作品に適した形態のように思えます。 | ||||
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強盗殺人犯の弟に対しての差別や偏見。 それに対して「加害者家族も被害者」「家族が犯罪を犯したわけではない」 と差別や偏見なしで接する事が可能だろうか? もちろん、道徳的にはそれが正しいだろう。 被害者の遺族以外の人間にとって、加害者の家族にまで憎しみを抱く理由はないし、差別する理由はない。 しかし、現実はそんなに甘くない。 連続幼女殺人犯のMの妹は婚約を破棄されたし、地下鉄サリン事件の教祖の子供達は、小学校への入学も、近所に引っ越してくる事も住民に拒否された。 もちろん、Mの妹も、教祖の子供も何も犯罪は犯していない。 だが、だからといって普通に生活していく事は難しい。彼等は社会的に殺された状態なのだ。 「罪のない家族を差別するな!」とMの妹の婚約者や、教祖の子供を拒否した住民を責める事ができようか? 犯罪者の肉親に対し、露骨には差別しなくても、内在的に距離を置きたがる。 これは普通の人間の感情だ。 子供を持つ親で、A教祖の子供と自分の子供が遊ぶ事に不安を覚えない親はいないだろう。 犯罪とは残された家族まで地獄に突き落とす。 「家族は関係ない」というキレイごとでは済まないのだ。 本書は、この道徳と現実の狭間の葛藤を見事に描ききっている。 主人公は最終的には兄と絶縁するが、果たしてその決断が正しいかどうかはわからない。 きっと正解などないのだろう。人生を模索しながら生きていくしかない。 物語の中でジョン・レノンの「イマジン」が度々登場する。 「差別や偏見のない世界を想像してごらん」とジョンは歌う。 だが、主人公は兄と絶縁した後にこう語る。 「差別や偏見のない世界。そんなものは想像の産物でしかない。人間というのは、そういう物とも付き合っていかなきゃならない生き物なんだ」と。 差別や偏見のない世界は理想だ。しかし現実には存在する。 そういう世界で人は生きていかなくてはいけない。逃げる事はできない。 時には兄との絆を捨てるという手段も必要かもしれない。 キレイごとだけでは生きていけない。生きていく事は難しい。 多面的な思考を要求される名作です。 | ||||
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かつて東野圭吾は、自分の各作品はミステリを逸脱してはいない、ミステリの拡張である、といったことを言っていたような気がするが、本作もそうだろうか。確かに、犯罪をきっかけとした小説ではある。しかし、この小説は犯罪を描くために書かれたのではない。犯罪のその後、それがこの小説のすべてだ。 両親を亡くした兄弟。兄は弟を大学に入れるために働くが、身体を壊し、魔が差して盗みをはたらき、家人に見つかって老婆を殺してしまう。強盗殺人犯の弟となった主人公・直貴の高校三年生からのその後の半生がこの物語である。 直貴は、強盗殺人犯の弟として、差別と偏見の中を生きていく。そして、折々に届く服役中の兄からの手紙。そんな物語から、読者として何を想像するだろうか? 引き離された兄弟の手紙を通した絆、あるいは、手紙を通した精神の救済、そういったものではないか。そして、作中の兄の拙い手紙には心に響くものがあるのだ。 しかし、東野圭吾は、そんなあたりまえの作家ではない。この作品で描きだされるのは、加害者の家族である。比較的新しいテーマだが、近頃食い荒らされてもいる。だが、東野が描きだすそれは、鮮烈だ。そこには甘い救済も、現実離れした過酷もない。悪意のない普通の人々が「強盗殺人犯の弟」に見せる反応が、淡々と綴られていく。それだけに、その人生の過酷さが徐々に際だっていく。 独りよがりな作家の感傷に流されることなく、加害者の家族とその周囲をここまで見事に描いた作品を他に知らない。悪いことばかりではないが、トータルで見るのなら、やはり不幸な人生。このやりきれなさ、切なさ。 そして、物語は終盤にミステリのテイストを垣間見せる。東野圭吾の面目躍如といったところか。「手紙」というこの小説のタイトルが、読み終えてずっしりと響く。兄弟は、その絆に救いがあるのではない。兄が存在し、弟が存在し、互いを想う、たとえ交わることがなくても、その想いそのものにすでに深い意味があるのだ。 | ||||
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もし自分の身内のことだったら…を考えずにはいられない本。 身内の仕業とは言え、自分でやったことではないことへの「罰」。 係わり合いを持ちたくないという「差別」。 なんか胸にわだかまりを持ちつつ、読みすすめました。 そんな中、「自殺とは、自分を殺すことなんだ…」という一文があった。 他殺にしても、自殺にしても、係わり合いは本人だけじゃない、ということを教えてくれてる。 いじめ問題の解決方法に「死」を考えているヒトには、ぜひこの本を読んで欲しいものです。 自殺をしたら、あなたも「罪人」です! 最後はやっぱり、泣かせていただきました (T_T) | ||||
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強盗殺人犯の弟となってしまった直貴が、進学、恋愛、就職のその時々で受ける言われ無き差別を淡々とつづっています。 小説を読み進めるにつれ、直貴に同情していた自分の気持ちに、ぐさりぐさりと突き刺さる言葉が続きます。 差別はね、当然なんだよ。 犯罪者やそれに近い人間を排除するというのは、しごくまっとうな行為なんだ。 我々は君のことを差別しなきゃならないんだ。 自分が罪を犯せば家族をも苦しめることになる。 すべての犯罪者にそう思い知らせるためにもね。 小説で示されるいくつかの答えが唯一の答えではありませんが、「差別」とはなにかを突きつける本当に恐ろしい小説です。 ラストシーンはいかにも東野圭吾さんの作品。息が詰まりそうなくらい重いシーンです。 | ||||
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