回転木馬のデッド・ヒート

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回転木馬のデッド・ヒートの評価:

4.37/5点 レビュー 62件。 C ランク

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全119件 41〜60 3/6ページ
No.79
(5pt)

日本のバブル直前に書かれた3冊の短編集の第2弾

1984年の『蛍・納屋を焼く』の後に書かれた、1985年発表の短編集である。この後には「パン屋再襲撃」が1986年に発表されるので、この頃の村上氏は短編集に注力していたと言ってもいいだろう。そしてこれら短編集が、現在まで書かれている村上氏の長編小説にも大きな影響、好ま言い方ではないかもしれないが、短編を基にして長編に発展させたと言っていいのではないだろうか。

「はじめに・回転木馬のデッド・ヒート」は前書きで、この短編集に収録された作品がすべて実際にあったことであると述べている。「レーダー・ホーゼン」は、結婚後何十年も経って妻が夫に対して離婚を申し入れる話なのだが、その契機になったのが夫に頼まれたドイツのズボンだったという話である。「タクシーに乗った男」は、雑誌の編集者である主人公が、ある画廊のオーナーである女性から聞いた話である。そのオーナーがニューヨークに住んでいた当時、チェコ人の男から120ドルで買った絵とは……。「プールサイド」には、自分が年老いている、と感じた30代の男が主人公に小説にしてほしいと言って語った話である。途中で出てくるBrucknerの長大な交響曲について、あ、この小説のこの場面で出てきたのだっけ、とBrucknerに対する見事な扱い方に改めて感心した。「今は亡き王女のための」は、学生時代には鋭かった女性が、結婚して恵まれた子供を失ってから、変わってしまったと言う話なのだが、村上氏の大好きなFitzgeraldの「Winter Dream」を思い出してしまう。「雨やどり」は、村上氏にインタヴューしたことのある雑誌編集者の話である。「野球場」は、才能に恵まれてはいないけれども魅力的な字を書く小説家志望の銀行員の話である。蟹を食べる時には、読まない方がいいかもしれない。

気になった作品に触れただけでも、こんな量になってしまった。この日本のバブルの直前に書かれた3冊の短編集は、いずれもすぐれている。
回転木馬のデッド・ヒート Amazon書評・レビュー: 回転木馬のデッド・ヒートより
406201839X
No.78
(5pt)

日本のバブル直前に書かれた3冊の短編集の第2弾

1984年の『蛍・納屋を焼く』の後に書かれた、1985年発表の短編集である。この後には「パン屋再襲撃」が1986年に発表されるので、この頃の村上氏は短編集に注力していたと言ってもいいだろう。そしてこれら短編集が、現在まで書かれている村上氏の長編小説にも大きな影響、好ま言い方ではないかもしれないが、短編を基にして長編に発展させたと言っていいのではないだろうか。

「はじめに・回転木馬のデッド・ヒート」は前書きで、この短編集に収録された作品がすべて実際にあったことであると述べている。「レーダー・ホーゼン」は、結婚後何十年も経って妻が夫に対して離婚を申し入れる話なのだが、その契機になったのが夫に頼まれたドイツのズボンだったという話である。「タクシーに乗った男」は、雑誌の編集者である主人公が、ある画廊のオーナーである女性から聞いた話である。そのオーナーがニューヨークに住んでいた当時、チェコ人の男から120ドルで買った絵とは……。「プールサイド」には、自分が年老いている、と感じた30代の男が主人公に小説にしてほしいと言って語った話である。途中で出てくるBrucknerの長大な交響曲について、あ、この小説のこの場面で出てきたのだっけ、とBrucknerに対する見事な扱い方に改めて感心した。「今は亡き王女のための」は、学生時代には鋭かった女性が、結婚して恵まれた子供を失ってから、変わってしまったと言う話なのだが、村上氏の大好きなFitzgeraldの「Winter Dream」を思い出してしまう。「雨やどり」は、村上氏にインタヴューしたことのある雑誌編集者の話である。「野球場」は、才能に恵まれてはいないけれども魅力的な字を書く小説家志望の銀行員の話である。蟹を食べる時には、読まない方がいいかもしれない。

気になった作品に触れただけでも、こんな量になってしまった。この日本のバブルの直前に書かれた3冊の短編集は、いずれもすぐれている。
回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫)より
4062749068
No.77
(5pt)

デッド・ヒートの思い出

回転木馬の競争をデッド・ヒートと感じるのは、子どもだけ。
手綱をしっかりと握り、前のめりで馬を蹴る。
その頃がなつかしい。

サラリーマンの今も、毎日、回転木馬の競争、メリー・ゴー・アラウンド。
決まったルートを、ただ行き、帰る、痛勤しているだけなのに、
毎日がデッド・ヒートの競争のように感じて、心がすり減っていく。

時計の針たちのよう。
勤勉に定まった場所を、それぞれの針の役割に則って、定まった速度で
巡回しているだけ。勝ちもないが、負けもない。価値がない競争。

秒針は一番早く巡回し、分針や時針を軽々と抜き去る。
確かに早い。だけど、繰り返しにすぎず、ただそれだけのこと。

同じことの繰り返し。
そう見えても、時間だけは、確実に失われ、二度と戻らない。
恋人が死んで、妻が突然いなくなって、ただ喪失する空白。

この作品を読んで、こんなふうに失われた時間を感じました。
たまらないむなしさを感じさせる短篇集でした。

村上さんに言わせれば、
「我々が意志と称するある種の内在的な力の圧倒的に多くの部分は、
その発生と同時に失われてしまっているのに、
我々はそれを認めることができず、
その空白が我々の人生の様々な位相に奇妙で不自然な歪みをもたらす」

歪んじまった。

村上さんは、これらの短篇を<スケッチ>とか「おり」と呼ぶ。
いつの日か、この<スケッチ>が名画に変わる。
そんな可能性を予感させる短篇ばかりです。

発生と同時になぜか失われなかった、意志の残骸。
頭の中にたまる「おり」のような8編の短編でした。

他のどの長編の中に、どのように組み込まれたのか、
それとも、ただ時間の闇の中に消え去っていった短篇なのか。

村上作品の愉しみはつきません。
回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫)より
4061843192
No.76
(5pt)

デッド・ヒートの思い出

回転木馬の競争をデッド・ヒートと感じるのは、子どもだけ。
手綱をしっかりと握り、前のめりで馬を蹴る。
その頃がなつかしい。

サラリーマンの今も、毎日、回転木馬の競争、メリー・ゴー・アラウンド。
決まったルートを、ただ行き、帰る、痛勤しているだけなのに、
毎日がデッド・ヒートの競争のように感じて、心がすり減っていく。

時計の針たちのよう。
勤勉に定まった場所を、それぞれの針の役割に則って、定まった速度で
巡回しているだけ。勝ちもないが、負けもない。価値がない競争。

秒針は一番早く巡回し、分針や時針を軽々と抜き去る。
確かに早い。だけど、繰り返しにすぎず、ただそれだけのこと。

同じことの繰り返し。
そう見えても、時間だけは、確実に失われ、二度と戻らない。
恋人が死んで、妻が突然いなくなって、ただ喪失する空白。

この作品を読んで、こんなふうに失われた時間を感じました。
たまらないむなしさを感じさせる短篇集でした。

村上さんに言わせれば、
「我々が意志と称するある種の内在的な力の圧倒的に多くの部分は、
その発生と同時に失われてしまっているのに、
我々はそれを認めることができず、
その空白が我々の人生の様々な位相に奇妙で不自然な歪みをもたらす」

歪んじまった。

村上さんは、これらの短篇を<スケッチ>とか「おり」と呼ぶ。
いつの日か、この<スケッチ>が名画に変わる。
そんな可能性を予感させる短篇ばかりです。

発生と同時になぜか失われなかった、意志の残骸。
頭の中にたまる「おり」のような8編の短編でした。

他のどの長編の中に、どのように組み込まれたのか、
それとも、ただ時間の闇の中に消え去っていった短篇なのか。

村上作品の愉しみはつきません。
回転木馬のデッド・ヒート Amazon書評・レビュー: 回転木馬のデッド・ヒートより
406201839X
No.75
(5pt)

デッド・ヒートの思い出

回転木馬の競争をデッド・ヒートと感じるのは、子どもだけ。
手綱をしっかりと握り、前のめりで馬を蹴る。
その頃がなつかしい。

サラリーマンの今も、毎日、回転木馬の競争、メリー・ゴー・アラウンド。
決まったルートを、ただ行き、帰る、痛勤しているだけなのに、
毎日がデッド・ヒートの競争のように感じて、心がすり減っていく。

時計の針たちのよう。
勤勉に定まった場所を、それぞれの針の役割に則って、定まった速度で
巡回しているだけ。勝ちもないが、負けもない。価値がない競争。

秒針は一番早く巡回し、分針や時針を軽々と抜き去る。
確かに早い。だけど、繰り返しにすぎず、ただそれだけのこと。

同じことの繰り返し。
そう見えても、時間だけは、確実に失われ、二度と戻らない。
恋人が死んで、妻が突然いなくなって、ただ喪失する空白。

この作品を読んで、こんなふうに失われた時間を感じました。
たまらないむなしさを感じさせる短篇集でした。

村上さんに言わせれば、
「我々が意志と称するある種の内在的な力の圧倒的に多くの部分は、
その発生と同時に失われてしまっているのに、
我々はそれを認めることができず、
その空白が我々の人生の様々な位相に奇妙で不自然な歪みをもたらす」

歪んじまった。

村上さんは、これらの短篇を<スケッチ>とか「おり」と呼ぶ。
いつの日か、この<スケッチ>が名画に変わる。
そんな可能性を予感させる短篇ばかりです。

発生と同時になぜか失われなかった、意志の残骸。
頭の中にたまる「おり」のような8編の短編でした。

他のどの長編の中に、どのように組み込まれたのか、
それとも、ただ時間の闇の中に消え去っていった短篇なのか。

村上作品の愉しみはつきません。
回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫)より
4062749068
No.74
(5pt)

日常を舞台にした心理劇

作者の「デタッチメントの時代」と呼ばれた頃の短編集です。
市井の人々の生活を舞台に、心の内側に向けた思索が描かれています。

【回転木馬のデッド・ヒート】
我々はどこにも行きつくことない回転木馬の上で、熾烈なデッド・ヒートをくりひろげている。
時に奇妙で不自然な点を見出すとしたら、それは本質を越えた何かが通り過ぎていく姿かもしれない。

【レーダーホーゼン】
ドイツの店先でレーダーホーゼンの採寸を楽しんでいる男を見ているうちに、
不貞を繰り返してきた夫のことをどれほど激しく自分が憎んでいたのか知るに至った。
この出来事以来、彼女は良き妻・良き母という仮面(ペルソナ)を脱ぎ捨てた・・・。

【タクシーに乗った男】
アテネを訪れた彼女は、「タクシーに乗った男」と偶然隣り合わせる。
日常に姿を現したメタファーによって、彼女の中の失われた人生への心残りが消えた。

【プールサイド】
35歳になった朝、自分の中に把握不能の何かが潜んでいることを感じる。
人生の正午に訪れた危機。沈み始める太陽と共に彼は新たな道を歩み始める。

【今は亡き王女のための】
他人の気持ちを傷つけることが天才的に上手い美少女。
彼女の中に光と影の側面を見いだした僕は神秘的な想いに引き込まれる。

【嘔吐1979】
40日間ものあいだ嘔吐といたずら電話に苦しめられた謎。
陰謀・罪悪感・虫の知らせ・白昼夢・統合失調・共時性・・・。
問題はどの仮説をとるかだ。そしてそこから何を学ぶかだ。

【雨やどり】
バタイユ曰く、かつてのエロティシズムは聖なる領域の祝祭でもありました。
聖域から追われた現代のそれは、経済と結び付いて堕落へと進んで行きます。

【野球場】
のぞき見した望遠レンズの中で、彼女の体と行為が二つに分かれるのを目撃した。
無理矢理に拡大されたフレームが人間存在をグロテスクなものに変える。

【ハンティング・ナイフ】
太ったアメリカ人女性と車いすの日本人青年。日米の戦後を投影したような二人。
箱庭のようなリゾートで歴史のひずみが心象風景となって僕をとりかこむ。
やがて少しずつ消え失せて、あとにはナイフ(が象徴する暴力)の影だけが残った。

誰もが経験するであろう具体的な課題が本作で提示されました。
人生に対する不確かで不安な印象を残しながらも、不思議な充足感も感じる読後感でした。
回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫)より
4061843192
No.73
(5pt)

日常を舞台にした心理劇

作者の「デタッチメントの時代」と呼ばれた頃の短編集です。
市井の人々の生活を舞台に、心の内側に向けた思索が描かれています。

【回転木馬のデッド・ヒート】
我々はどこにも行きつくことない回転木馬の上で、熾烈なデッド・ヒートをくりひろげている。
時に奇妙で不自然な点を見出すとしたら、それは本質を越えた何かが通り過ぎていく姿かもしれない。

【レーダーホーゼン】
ドイツの店先でレーダーホーゼンの採寸を楽しんでいる男を見ているうちに、
不貞を繰り返してきた夫のことをどれほど激しく自分が憎んでいたのか知るに至った。
この出来事以来、彼女は良き妻・良き母という仮面(ペルソナ)を脱ぎ捨てた・・・。

【タクシーに乗った男】
アテネを訪れた彼女は、「タクシーに乗った男」と偶然隣り合わせる。
日常に姿を現したメタファーによって、彼女の中の失われた人生への心残りが消えた。

【プールサイド】
35歳になった朝、自分の中に把握不能の何かが潜んでいることを感じる。
人生の正午に訪れた危機。沈み始める太陽と共に彼は新たな道を歩み始める。

【今は亡き王女のための】
他人の気持ちを傷つけることが天才的に上手い美少女。
彼女の中に光と影の側面を見いだした僕は神秘的な想いに引き込まれる。

【嘔吐1979】
40日間ものあいだ嘔吐といたずら電話に苦しめられた謎。
陰謀・罪悪感・虫の知らせ・白昼夢・統合失調・共時性・・・。
問題はどの仮説をとるかだ。そしてそこから何を学ぶかだ。

【雨やどり】
バタイユ曰く、かつてのエロティシズムは聖なる領域の祝祭でもありました。
聖域から追われた現代のそれは、経済と結び付いて堕落へと進んで行きます。

【野球場】
のぞき見した望遠レンズの中で、彼女の体と行為が二つに分かれるのを目撃した。
無理矢理に拡大されたフレームが人間存在をグロテスクなものに変える。

【ハンティング・ナイフ】
太ったアメリカ人女性と車いすの日本人青年。日米の戦後を投影したような二人。
箱庭のようなリゾートで歴史のひずみが心象風景となって僕をとりかこむ。
やがて少しずつ消え失せて、あとにはナイフ(が象徴する暴力)の影だけが残った。

誰もが経験するであろう具体的な課題が本作で提示されました。
人生に対する不確かで不安な印象を残しながらも、不思議な充足感も感じる読後感でした。
回転木馬のデッド・ヒート Amazon書評・レビュー: 回転木馬のデッド・ヒートより
406201839X
No.72
(5pt)

日常を舞台にした心理劇

作家の「デタッチメントの時代」と呼ばれた頃の短編集です。
市井の人々の生活を舞台に心の内側に向けた思索が描かれています。

【回転木馬のデッド・ヒート】
我々はどこにも行きつくことない回転木馬の上で熾烈なデッド・ヒートをくりひろげている。
時に奇妙で不自然な点を見出すとしたら、それは人生の様々な位相に歪みをもたらす空白であり、
実存世界の姿でもある。

【レーダーホーゼン】
訪れたドイツの店先でレーダーホーゼンをはいた男を見ているうちに、
自分がどれほど激しく夫を憎んでいるかということをはじめて知った。
この出来事以来、彼女は良き妻、良き母という仮面を脱ぎ捨てた。

【タクシーに乗った男】
夫と別れる決心をした時、彼女は「タクシーに乗った男」の絵を焼き捨てた。
10年後にアテネを訪れたとき、タクシーの後部座席で絵の男と隣り合わせる。
男の存在感に圧倒されつつも、彼女の中の失われた人生への心残りが消えた。
彼女の人生が再び回り始める。

【プールサイド】
35歳になった朝、自分の中に把握不能の何かが潜んでいることを感じる。
俺は今日まで誰よりも努力し、誰よりも人生をうまく乗り切ってきたはずなのだ。
人生の正午にこれまで味わったことのない危機に直面する。
沈み始める太陽と共に彼は新たな道を歩み始める。

【今は亡き王女のための】
他人の気持ちを傷つけることが天才的に上手い美少女。
若かった僕は彼女のそんな性向を不愉快に感じていた。
僕はある事情で一度だけ彼女と体を触れ合わせたことがある。
濃密な時間の中で二人はお互いの考えていることを手に取るように感じとった。
彼女の中に見出す光と影の側面を思い出すとき、僕はどうしようもなく混乱してしまうのだ。

【嘔吐1979】
彼は40日間ものあいだ嘔吐といたずら電話に苦しめられた。
なぜそんなことが起こるのか、謎を解くために我々は仮説を立てる。
陰謀・罪悪感・虫の知らせ・白昼夢・統合失調・共時性・・・。
問題はどの仮説をとるかだ。そしてそこから何を学ぶかだ。

【雨やどり】
彼女は休暇中に全部で5人の男と寝た。
その男たちはみな彼女に金を支払った。
その昔、セックスは山火事みたいに無料(タダ)だった。
そして今、高度資本主義社会の中で、熱量を失ったセックスが商品化されている。

【野球場】
のぞき見した望遠レンズの中で、彼女の体と行為が二つに分かれるのを目撃した。
行為が彼女なのか、あるいは体が彼女なのか?
無理矢理に拡大されたフレームの中で、人間存在はグロテスクな正体をあらわにした。

【ハンティング・ナイフ】
沖あいのブイの上で出会った太ったアメリカ人女性。
ひっそりとホテルに滞在する車いすの日本人青年。
過剰と欠落の対比とともに、日米の戦後の歴史を投影したような二人。
抑圧された心は青年を暴力装置へと駆り立てる・・・。
箱庭のようなリゾート地でそこに存在する物事がひとつのカオスとなって僕をとりかこむ。
全ては僕の心象風景だ。やがて少しずつ消え失せて、あとにはナイフだけが残った。

人生の途上で多くの人々が経験する課題が本作で提示されました。
私たちはどこにも行き着かないのかもしれません。それでもなお、
仮説を立ててはそこから学び、危機を乗り越えては喜びをかみしめる、
という繰り返しの果てしない円環の中に生きていることを改めて考えさせられます。
回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫)より
4062749068
No.71
(5pt)

昏(くら)めのスケッチ

作中に出てくる語り手の「村上さん」は、有名作家として描かれている。
初期も終わり頃の短編集なんだな、と思う。

わたせせいぞう氏の作品を連想する。
ただ、それよりも多少、昏い感じがする。

文章は端正で、加えて若い力も感じられる。
そう思うのは、読者の側が年をとったせいかもしれない。

数日前、新作長編のタイトルが『騎士団長殺し』だとか、新聞に出ていた。
旺盛な筆力には感嘆する。
回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫)より
4062749068
No.70
(5pt)

「レーダー・ホーゼン: 肩紐付き半ズボン」 の話が何故記憶の表面に残るのか?

物語を読んで、固く脳の記憶素子に刻まれて、なにか機会あるごとに、簡単に、記憶の前面に出てくるものがある。 そんな作品の代表的なもののひとつが村上の「レーダーホーゼン」 です。 話の筋をここに書いてもこれからこの作品に触れるひとに何がしかの障害(不利益)を及ぼすことは殆ど心配する必要は無いと思う。とにかく「摩訶不思議なお話し」なのです。

 ひとりでのドイツ旅行を思い立った中年婦人が、日本にいる夫に頼まれた 「レーダーホーゼン」 を買う。その際に、夫に似た体形の人を連れて行かなくてはならないという店舗側の条件がつき、婦人の努力も有り、無事夫と類似の体系の男と共に店に行き 「レーダーホーゼン」 を注文する (無事注文できた)・・・・・そして婦人は夫と離婚する決意を持ってしまった。

「レーダー・ホーゼン」 は日本人の様な体型のひとが着ると、ただの 「マヌケ」 にしか見えない (私の偏見)。 そんなものを、わざわざ身につけようと思う夫の感性 (精神性) に許すことのできない苛立ちを感じてしまった。 それと同時に、「ああ!? 実は、自分は夫を愛していなかったんだわ・・・・」 という心のトリガー・スイッチも100%オン (off はありえない) になってしまった。 男女双方にありうるが、どちらかというと男にとって、より怖いお話し? 女性の感情 「嫌い、気持ち悪い!!」 が訂正されることは絶対ありません。

【類例】
レーダーホーゼンではないが、TVでの映像で、白いキャップの半ズボン姿で、あろうことか仲良く首元にタオルを巻き、ゴルフに興じている中高年の男性を見かけることがあるが、あれをみて奥様が 「あら、うちの主人って意外とカッコよかったのね」 と惚れ直す人がどれくらいいるだろうか・・・・・・その逆は沢山いると思いますが。
お笑いの勝俣州和さん、トレンディー・エンジェルの斉藤さんでない背の低い方、少なくとも良いイメージではない半ズボン映像として脳にいつまでも残ります。
回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫)より
4061843192
No.69
(5pt)

「レーダー・ホーゼン: 肩紐付き半ズボン」 の話が何故記憶の表面に残るのか?

物語を読んで、固く脳の記憶素子に刻まれて、なにか機会あるごとに、簡単に、記憶の前面に出てくるものがある。 そんな作品の代表的なもののひとつが村上の「レーダーホーゼン」 です。 話の筋をここに書いてもこれからこの作品に触れるひとに何がしかの障害(不利益)を及ぼすことは殆ど心配する必要は無いと思う。とにかく「摩訶不思議なお話し」なのです。

 ひとりでのドイツ旅行を思い立った中年婦人が、日本にいる夫に頼まれた 「レーダーホーゼン」 を買う。その際に、夫に似た体形の人を連れて行かなくてはならないという店舗側の条件がつき、婦人の努力も有り、無事夫と類似の体系の男と共に店に行き 「レーダーホーゼン」 を注文する (無事注文できた)・・・・・そして婦人は夫と離婚する決意を持ってしまった。

「レーダー・ホーゼン」 は日本人の様な体型のひとが着ると、ただの 「マヌケ」 にしか見えない (私の偏見)。 そんなものを、わざわざ身につけようと思う夫の感性 (精神性) に許すことのできない苛立ちを感じてしまった。 それと同時に、「ああ!? 実は、自分は夫を愛していなかったんだわ・・・・」 という心のトリガー・スイッチも100%オン (off はありえない) になってしまった。 男女双方にありうるが、どちらかというと男にとって、より怖いお話し? 女性の感情 「嫌い、気持ち悪い!!」 が訂正されることは絶対ありません。

【類例】
レーダーホーゼンではないが、TVでの映像で、白いキャップの半ズボン姿で、あろうことか仲良く首元にタオルを巻き、ゴルフに興じている中高年の男性を見かけることがあるが、あれをみて奥様が 「あら、うちの主人って意外とカッコよかったのね」 と惚れ直す人がどれくらいいるだろうか・・・・・・その逆は沢山いると思いますが。
お笑いの勝俣州和さん、トレンディー・エンジェルの斉藤さんでない背の低い方、少なくとも良いイメージではない半ズボン映像として脳にいつまでも残ります。
回転木馬のデッド・ヒート Amazon書評・レビュー: 回転木馬のデッド・ヒートより
406201839X
No.68
(5pt)

「レーダーボーデン: 肩紐付き半ズボン」 の話が何故記憶の表面に残るのか?

物語を読んで、固く脳の記憶素子に刻まれて、なにか機会あるごとに、簡単に、記憶の前面に出てくるものがある。 そんな作品の代表的なもののひとつが村上の 「レーダーボーデン」 です。 話の筋をここに書いてもこれからこの作品に触れるひとに何がしかの障害(不利益)を及ぼすことは殆ど心配する必要は無いと思う。とにかく「摩訶不思議なお話し」なのです。
ひとりでのドイツ旅行を思い立った中年婦人が、日本にいる夫に頼まれた 「レーダーボーデン」 を買う。その際に、夫に似た体形の人を連れて行かなくてはならないという店舗側の条件がつき、婦人の努力も有り、無事夫と類似の体系の男と共に店に行き 「レーダーボーデン」 を注文する (無事注文できた)・・・・・そして婦人は夫と離婚する決意を持ってしまった。

「レーダーボーデン」 は日本人の様な体型のひとが着ると、ただの 「マヌケ」 にしか見えない (私の偏見)。 そんなものを、わざわざ身につけようと思う夫の感性 (精神性) に許すことのできない苛立ちを感じてしまった。 それと同時に、「実は、自分は夫を愛していなかったのでは」 という心のトリガー・スイッチも100%オン (off はありえない) になってしまった。 男女双方にありうるが、どちらかというと男にとって、より怖いお話し?
回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫)より
4062749068
No.67
(4pt)

つきものが落ちる瞬間

自分よりも一回りくらい若い人のすすめで読む。読者が作家とともに年をとることなく、どんどん世代交代していくところが村上春樹のすごいところだと思う。何人かで話をしているときその青年が「35歳問題」について語ったのが印象的で、あとから聞いたら村上春樹の「プールサイド」という短編小説があって……と教えてくれた。短編集の3番目に収録されているその小説は「35歳になった春、彼は自分が既に人生の折り返し点を曲がってしまったことを確認した」という一文で始まる。ぜんぶで8編おさめられているが、「レーダーホーゼン」「タクシーに乗った男」「野球場」あたりがよかった。どれも人生の思いもかけない時点で「つきものが落ちる」話のように読めた。人生のフェースが変わるその瞬間はときにドラマチックであるが、往々にしてそうではない。

――10分後に妻がアイロンがけを終えて彼のそばにやってきた時、彼はもう泣き止んでいた。(プールサイド)
――三十分ほどでその作業が終ったとき、母は父親と離婚することを決心していた。(レーダーホーゼン)
――彼女の中のその揺れが収まった時、彼女の中の何かが永遠に消えた。(タクシーに乗った男)
――まるでつきものが落ちるみたいに、そういう欲求がなくなってしまったんです。(野球場)

でもこれで終わりではなく、主人公たちはまた思いもかけないときに別のフェーズに入っていくのだろう。でも実際のところどこにも行かない。そのことを村上は「定まった場所を定まった速度で巡回しているだけの」メリーゴーランドに喩えている。このタイトルは何かの映画のタイトルだとも聞いたが。

読みながら自分にも「つきものが落ちる」瞬間があったなあと思い出したが、やはりそれは何か特別なことがあったからというわけではなく、ある人が何気なく発した一言だった。それはその人がいつも言っているなんということもないことだったのに、そのときだけ「あれっ」と思った。たったそれだけのことだった。怒りや悲しみといった強い感情はなく違和感だけがあった。それからしばらくして(35歳よりずっと上の)節目の誕生日を前にしたあるときから、悲しみがぺっとりと貼りついたような心境になった。一人でいても人と会っていてもそのぺっとりと貼りついた悲しみが去らない。このフェーズからふと抜ける日が来るのだろうか。来ても来なくても降りるわけにはいかない回転木馬。

『回転木馬のデッドヒート』は単行本として出たのが1985年。『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』と同じ年だ。その2年後に『ノルウェイの森』が出版される。村上は「はじめに」で、どうしても小説に使いきれない「おりのようなもの」をこの短編集におさめたと書いている。本書から約30年後、2014年刊の短編集『女のいない男たち』は作家「村上さん」はかなり後ろにひっこんでいるが、やはり彼の感性の網にひっかかった「おりのようなもの」で書かれているように思う。なんとなく似てくるのは同じ網だからなんだろう。同じような話でも、読書体験自体が心地いいのはその「おり」の純度を高める言葉の技術をこの人が持っているからなのだと思う。
回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫)より
4061843192
No.66
(4pt)

つきものが落ちる瞬間

自分よりも一回りくらい若い人のすすめで読む。読者が作家とともに年をとることなく、どんどん世代交代していくところが村上春樹のすごいところだと思う。何人かで話をしているときその青年が「35歳問題」について語ったのが印象的で、あとから聞いたら村上春樹の「プールサイド」という短編小説があって……と教えてくれた。短編集の3番目に収録されているその小説は「35歳になった春、彼は自分が既に人生の折り返し点を曲がってしまったことを確認した」という一文で始まる。ぜんぶで8編おさめられているが、「レーダーホーゼン」「タクシーに乗った男」「野球場」あたりがよかった。どれも人生の思いもかけない時点で「つきものが落ちる」話のように読めた。人生のフェースが変わるその瞬間はときにドラマチックであるが、往々にしてそうではない。

――10分後に妻がアイロンがけを終えて彼のそばにやってきた時、彼はもう泣き止んでいた。(プールサイド)
――三十分ほどでその作業が終ったとき、母は父親と離婚することを決心していた。(レーダーホーゼン)
――彼女の中のその揺れが収まった時、彼女の中の何かが永遠に消えた。(タクシーに乗った男)
――まるでつきものが落ちるみたいに、そういう欲求がなくなってしまったんです。(野球場)

でもこれで終わりではなく、主人公たちはまた思いもかけないときに別のフェーズに入っていくのだろう。でも実際のところどこにも行かない。そのことを村上は「定まった場所を定まった速度で巡回しているだけの」メリーゴーランドに喩えている。このタイトルは何かの映画のタイトルだとも聞いたが。

読みながら自分にも「つきものが落ちる」瞬間があったなあと思い出したが、やはりそれは何か特別なことがあったからというわけではなく、ある人が何気なく発した一言だった。それはその人がいつも言っているなんということもないことだったのに、そのときだけ「あれっ」と思った。たったそれだけのことだった。怒りや悲しみといった強い感情はなく違和感だけがあった。それからしばらくして(35歳よりずっと上の)節目の誕生日を前にしたあるときから、悲しみがぺっとりと貼りついたような心境になった。一人でいても人と会っていてもそのぺっとりと貼りついた悲しみが去らない。このフェーズからふと抜ける日が来るのだろうか。来ても来なくても降りるわけにはいかない回転木馬。

『回転木馬のデッドヒート』は単行本として出たのが1985年。『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』と同じ年だ。その2年後に『ノルウェイの森』が出版される。村上は「はじめに」で、どうしても小説に使いきれない「おりのようなもの」をこの短編集におさめたと書いている。本書から約30年後、2014年刊の短編集『女のいない男たち』は作家「村上さん」はかなり後ろにひっこんでいるが、やはり彼の感性の網にひっかかった「おりのようなもの」で書かれているように思う。なんとなく似てくるのは同じ網だからなんだろう。同じような話でも、読書体験自体が心地いいのはその「おり」の純度を高める言葉の技術をこの人が持っているからなのだと思う。
回転木馬のデッド・ヒート Amazon書評・レビュー: 回転木馬のデッド・ヒートより
406201839X
No.65
(4pt)

つきものが落ちる瞬間

自分よりも一回りくらい若い人のすすめで読む。読者が作家とともに年をとることなく、どんどん世代交代していくところが村上春樹のすごいところだと思う。何人かで話をしているときその青年が「35歳問題」について語ったのが印象的で、あとから聞いたら村上春樹の「プールサイド」という短編小説があって……と教えてくれた。短編集の3番目に収録されているその小説は「35歳になった春、彼は自分が既に人生の折り返し点を曲がってしまったことを確認した」という一文で始まる。ぜんぶで8編おさめられているが、「レーダーホーゼン」「タクシーに乗った男」「野球場」あたりがよかった。どれも人生の思いもかけない時点で「つきものが落ちる」話のように読めた。人生のフェースが変わるその瞬間はときにドラマチックであるが、往々にしてそうではない。

――10分後に妻がアイロンがけを終えて彼のそばにやってきた時、彼はもう泣き止んでいた。(プールサイド)
――三十分ほどでその作業が終ったとき、母は父親と離婚することを決心していた。(レーダーホーゼン)
――彼女の中のその揺れが収まった時、彼女の中の何かが永遠に消えた。(タクシーに乗った男)
――まるでつきものが落ちるみたいに、そういう欲求がなくなってしまったんです。(野球場)

でもこれで終わりではなく、主人公たちはまた思いもかけないときに別のフェーズに入っていくのだろう。でも実際のところどこにも行かない。そのことを村上は「定まった場所を定まった速度で巡回しているだけの」メリーゴーランドに喩えている。このタイトルは何かの映画のタイトルだとも聞いたが。

読みながら自分にも「つきものが落ちる」瞬間があったなあと思い出したが、やはりそれは何か特別なことがあったからというわけではなく、ある人が何気なく発した一言だった。それはその人がいつも言っているなんということもないことだったのに、そのときだけ「あれっ」と思った。たったそれだけのことだった。怒りや悲しみといった強い感情はなく違和感だけがあった。それからしばらくして(35歳よりずっと上の)節目の誕生日を前にしたあるときから、悲しみがぺっとりと貼りついたような心境になった。一人でいても人と会っていてもそのぺっとりと貼りついた悲しみが去らない。このフェーズからふと抜ける日が来るのだろうか。来ても来なくても降りるわけにはいかない回転木馬。

『回転木馬のデッドヒート』は単行本として出たのが1985年。『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』と同じ年だ。その2年後に『ノルウェイの森』が出版される。村上は「はじめに」で、どうしても小説に使いきれない「おりのようなもの」をこの短編集におさめたと書いている。本書から約30年後、2014年刊の短編集『女のいない男たち』は作家「村上さん」はかなり後ろにひっこんでいるが、やはり彼の感性の網にひっかかった「おりのようなもの」で書かれているように思う。なんとなく似てくるのは同じ網だからなんだろう。同じような話でも、読書体験自体が心地いいのはその「おり」の純度を高める言葉の技術をこの人が持っているからなのだと思う。
回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫)より
4062749068
No.64
(5pt)

回転木馬の競争の無力感に歪む

この短篇集のタイトルになった冒頭の書下ろし作品の名は、
「はじめに・回転木馬のデッド・ヒート」。

「はじめに」が付いているのが奇妙で不思議な作品です。
小説ではないし、
小説になる前の<スケッチ>でもないような、
著者の頭の中の「おり」のような文章です。

恋人が死んでしまったり、妻が突然いなくなったり。

「我々が意志と称するある種の内在的な力の圧倒的に多くの部分は、
その発生と同時に失われてしまっているのに、
我々はそれを認めることができず、
その空白が我々の人生の様々な位相に
奇妙で不自然な歪みをもたらすのだ。
少なくとも僕はそう考えている」
で終わる、奇妙なはじまりの文章です。

小説を書こうとする人間の決意表明のような文章です。

この短編集の中の短篇たち。
<スケッチ>とか「おり」。
いつの日か、この<スケッチ>から名画が生まれるように、
長篇が生まれる可能性を予感します。

意志の残骸は、作者の体の中にたまっていく「おり」。
回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫)より
4061843192
No.63
(5pt)

回転木馬の競争の無力感に歪む

この短篇集のタイトルになった冒頭の書下ろし作品の名は、
「はじめに・回転木馬のデッド・ヒート」。

「はじめに」が付いているのが奇妙で不思議な作品です。
小説ではないし、
小説になる前の<スケッチ>でもないような、
著者の頭の中の「おり」のような文章です。

恋人が死んでしまったり、妻が突然いなくなったり。

「我々が意志と称するある種の内在的な力の圧倒的に多くの部分は、
その発生と同時に失われてしまっているのに、
我々はそれを認めることができず、
その空白が我々の人生の様々な位相に
奇妙で不自然な歪みをもたらすのだ。
少なくとも僕はそう考えている」
で終わる、奇妙なはじまりの文章です。

小説を書こうとする人間の決意表明のような文章です。

この短編集の中の短篇たち。
<スケッチ>とか「おり」。
いつの日か、この<スケッチ>から名画が生まれるように、
長篇が生まれる可能性を予感します。

意志の残骸は、作者の体の中にたまっていく「おり」。
回転木馬のデッド・ヒート Amazon書評・レビュー: 回転木馬のデッド・ヒートより
406201839X
No.62
(5pt)

回転木馬の競争で失われた「時間」

本書の「はじめに・回転木馬のデッド・ヒート」の中で、作者は語る。
「それ(メリー・ゴーラウンド)は定まった場所を定まった速度で巡回しているだけのことだ」

時計の針たちも、似たようなもんだと思います。
定まった場所を、それぞれの針に定まった速度で巡回しているだけだからです。
秒針は一番早く巡回し、分針や時針を軽々と抜き去っていきます。
しかし、また約1分後いつの間にか背後に戻ってきて、また分針や時針を抜き去っていきます。
確かに早いが、同じことの繰り返しにすぎないように見えます。ただそれだけのことのように。

しかし、見た目には、同じことの繰り返しにすぎないように見えますが、時間だけは、確実に
失われてしまっていて、二度と繰り返されません。

村上春樹の作品を読むと、この「時間の喪失感」を感じます。
恋人が死んでしまったり、妻が突然いなくなったりして、喪失の空白感がたまらなくむなしい。

作者は続けます。
「我々が意志と称するある種の内在的な力の圧倒的に多くの部分は、その発生と同時に失われ
てしまっているのに、我々はそれを認めることができず、その空白が我々の人生の様々な位相に
奇妙で不自然な歪みをもたらすのだ」

この短編集をくくると、そういうことのようです。
作者自身は、本書の中のこれらの短篇を<スケッチ>とか「おり」と呼んでいます。
いつの日か、この<スケッチ>から名画が生まれる可能性を予告しています。

しかし、発生と同時になぜか失われなかった、意志の残骸(作者の体の中にたまっていく
「おり」)は、1985年には本書の中に収められた8編の短編でした。

それらが、現在の2016年には、どの作品の中に組み込まれたのか、あるいは
組み込まれずに闇の中に消え去っていったのか。

このようなことを考えながら、村上春樹の作品を読んでいくと、愉しみは尽きません。
回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫)より
4061843192
No.61
(5pt)

はじめに・回転木馬のデッド・ヒート

「はじめに」の中のデッド・ヒートにおいて、
「…のだ」とか「…である」調の断定文が多い。これが興味深い、のである。

理由:
べらんめー調の「べん」ににて、にてもやいてもくさくてくえんからである。
いまわデッド・レビューを書いてるボクは「である」調はでえきらいである。
であるのではないか、ならゆるす。あるのかないのかわからんから、である。
好きだ、好きだ、っていやあすむのに、好きなのであるとか、好きなのだ、
とかふわふわしたへりくつをぬかすやつは、くつをぬがしてやつざきにして
やる。これはボクのやつめうなぎの八つ当たりなのである。いつもの。
吾輩は猫である、とかいっても猫にひっかかれないですむのは
夏目せんせえのように、えれーひとだけである。
ボクなんかえらそうになんか言っても「勝手に猫をなのるなよ、なめんなよ、
ふん」と猫からそっぽむかれることひっし、なのである。
「である」なんてえのは、ながやでは、しようきんしのことばである。
うっかりくちをすべらそうもんなら、猫にひっかかれるわ、犬にしょうべん
ひっかけられるわ、猿には・・・るわ、とてえへんなもんきー、である。
しぬまぎわにはどう考えているのかしらん、のである。
少なくともいまわのボクはそう考えている、のである。
回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫)より
4061843192
No.60
(5pt)

はじめに・回転木馬のデッド・ヒート

「はじめに」の中のデッド・ヒートにおいて、
「…のだ」とか「…である」調の断定文が多い。これが興味深い、のである。

理由:
べらんめー調の「べん」ににて、にてもやいてもくさくてくえんからである。
いまわデッド・レビューを書いてるボクは「である」調はでえきらいである。
であるのではないか、ならゆるす。あるのかないのかわからんから、である。
好きだ、好きだ、っていやあすむのに、好きなのであるとか、好きなのだ、
とかふわふわしたへりくつをぬかすやつは、くつをぬがしてやつざきにして
やる。これはボクのやつめうなぎの八つ当たりなのである。いつもの。
吾輩は猫である、とかいっても猫にひっかかれないですむのは
夏目せんせえのように、えれーひとだけである。
ボクなんかえらそうになんか言っても「勝手に猫をなのるなよ、なめんなよ、
ふん」と猫からそっぽむかれることひっし、なのである。
「である」なんてえのは、ながやでは、しようきんしのことばである。
うっかりくちをすべらそうもんなら、猫にひっかかれるわ、犬にしょうべん
ひっかけられるわ、猿には・・・るわ、とてえへんなもんきー、である。
しぬまぎわにはどう考えているのかしらん、のである。
少なくともいまわのボクはそう考えている、のである。
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406201839X