フーコーの振り子

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フーコーの振り子の評価:

3.62/5点 レビュー 34件。 C ランク

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平均点3.62pt

Amazonレビュー一覧

Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全66件 21〜40 2/4ページ
No.46
(3pt)

主人公の心情描写や情景描写がページを占めすぎ。

評者がかって読んだリチャード・フォーティ著『乾燥標本収蔵1号室―大英自然史博物館 迷宮への招待』という本の末尾で著者は下の・・・内のようなことを書いていたので転載したい。

 ・・・ 「わたしは、わが類人猿の祖先に一途な誇りを抱いている。自分がかっては樹上に棲むすばらしい毛むくじゃらなやつであり、わたしの肉体は、とてつもない時間をかけて、クラゲ、ゴカイ、ナメクジ、魚、恐竜、猿人類を経て受け継がれてきたものだと考えるとうれしくなる。祖先としては、エデンの園のつまらないカップルのほうがいいなんて、だれが願うだろう。」・・・

 このリチャード・フォーティの言葉が評者の心の琴線に触れれたからいまだによく覚えているのです。

 テンプル騎士団がテーマの卒業論文を書いているカゾボンは、ベルボに頼まれてアルデンティ大佐の書いた原稿の話を聴くところに同席することになった。
 アルデンティ大佐の原稿には、竜騎兵のインゴルフという男が19世紀末に、プロヴァンの穀物倉庫の地下深くから見つけ出した小箱の中から出てきたという暗号のような紙片に書かれている文字を大佐が翻訳した文章をカゾボン、ベルボ、ディオタッレーヴィが聞くことになる。
 ベルボはその原稿に興味を持ちながらも、大佐のテンプル騎士団についての原稿に興味を示さないふりをして本の出版を受け合うことはしなかった。
 話を聞いた3人は、大佐の持ち込んだ、このテンプル騎士団の話に興味をそそられてしまったので調べ始めたことが事の発端である。
 本書『フーコーの振り子』は、旧約聖書より古い時代のユダヤ民族の宗教まで遡ったり、世界中の原始宗教やカルト教団などにも触れながら「なぜテンプル騎士団が断罪されたのか?」「断罪を逃れていた騎士団の秘密=現在までその秘密組織が暗躍しているのか?」「地下電流とエッフェル塔?」「フコーの振り子が昔の地図でその場所を示す?」「地下鉄が造られ真の目的は?」「地下電流とナチス・ヒットラーとの因縁?」「薔薇十字団という秘密結社とフリーメーソンの関係は?」「サン・ジェルマン伯爵の不死伝と説錬金術の研究?」「ベーコン派と敵対する組織?」・・・エトセトラ&エトセトラと、この世界を支配する秘密組織がどこに存在するのか解き明かすことで紆余曲折(荒唐無稽とも思われるような挿話が多いが・・・)しながら、主人公のカゾボン、ベルボ、ディオタッレーヴィ(ディオッタレーヴィは、謎解きにとり憑かれたのか体調を崩し入院して亡くなってしまう)3人がその謎の究明に囚われてしまい、上巻初めでパリからカボゾンへ電話してきて会話の途中で何者かに襲われ失踪したベルボの運命は・・・?
 そしてアルデンティ大佐が殺され刑事が現場へきた時には、その死体が消えてしまっていた謎などと物語は混沌として読者を翻弄してゆく。
 この3人が憑かれたように謎を解き明かそうとしてゆく過程を読ませようと、著者のエーコは容赦なく読者に強いるのである。
 が、読みだした本は最後まで読む主義だから頑張って読み進むことにしたのです。
 とにかく西欧(西欧以外もあり)の歴史、宗教史、哲学史、科学史、それに、科学者、哲学者、政治家、宗教家、などの知識がないと読み進むことに戸惑いを感じてしまうのは評者だけだろうか。
 フランシス・ベーコンがシェークスピアのゴーストライターだった(このようなシェイクスピア別人説は存在したが・・・)とか、ドンキホーテの作者は、セルバンテスではなくベーコンだった、などと読むと著者のエーコは、歴史の虚実を混交しながら読者を翻弄することを目的にして本書を書き上げているように思えてきてしまったのである。
 本書『フーコーの振り子』では、評者だけの感じたことかもしれないが、訳者の訳語にも違和感を覚えてしまったのです。
 たとえば鍵言葉という訳語のルビにキーワードとしてある必要があるのだろうか?これはキーワードと書けばよいと思います。
 「ホメオパチーの療法」なんてことを知っていないのは評者が無知だからなだろうか?
 本書のなかには、横文字(特に英語)がたびたびでてきますが、翻訳なしでは読者に親切ではないように思います。
 その他、「生命の樹」(見開きページにある図)、「薔薇十字団」、「トーラー」、「ミシュナー」、「ヘーレム 」、「ゲマトリア」、「ノタリコン」、「カバラ 」(カバラについて評者は上巻のレビューで既に書いたが・・・)「イマーム」等々多くのことを知らなければページを繰っても本当に理解(読書を楽しむことも)できないのではないだろうか。
 評者は、気楽に本書を読み流そうと思ったものの、やはり知らない人名などが出てくる度に、ウィキペディアのお世話になりながら本書を読みすすむことになってしまったのです。
 上・下巻で1100ページを超える長編だからページ数に限りがあるかも知れないが、脚注を巻末に付記してほしかった。
 ネタバレになるが、狂信的なカルト集団の秘密について暗号のような紙片に書かれている文字を、「これは洗濯屋さんの配達伝票みたいなものだからよ」と、カゾボンの妻リアが、この紙片が昔の花屋さんのメモだと、暗号でもなんでもないと謎解きしてから、この物語はカゾボンがパリで異常な体験(これが上巻の幕開きのところです)へと誘い、そのあとミラノに戻り、そしてベルボの故郷の家を訪れたところでながながと情景描写と心情描写しながら余韻を残して「了」の文字で終える。
 
 神の創造した世界に住む人間の祖先が、「エデンの園のつまらないカップルのほうがいいなんて」微塵も願っていない評者にとって、本書のテーマについてゆくには相当の忍耐が必要になってきてしまったのですが、記号学の権威エーコならではのジグソーパズルを解くような長編『フーコーの振り子』の下巻を、なんとか頑張って読み終えました。
フーコーの振り子〈下〉 Amazon書評・レビュー: フーコーの振り子〈下〉より
4163137904
No.45
(3pt)

主人公の心情描写や情景描写がページを占めすぎ。

評者がかって読んだリチャード・フォーティ著『乾燥標本収蔵1号室―大英自然史博物館 迷宮への招待』という本の末尾で著者は下の・・・内のようなことを書いていたので転載したい。

 ・・・ 「わたしは、わが類人猿の祖先に一途な誇りを抱いている。自分がかっては樹上に棲むすばらしい毛むくじゃらなやつであり、わたしの肉体は、とてつもない時間をかけて、クラゲ、ゴカイ、ナメクジ、魚、恐竜、猿人類を経て受け継がれてきたものだと考えるとうれしくなる。祖先としては、エデンの園のつまらないカップルのほうがいいなんて、だれが願うだろう。」・・・

 このリチャード・フォーティの言葉が評者の心の琴線に触れれたからいまだによく覚えているのです。

 テンプル騎士団がテーマの卒業論文を書いているカゾボンは、ベルボに頼まれてアルデンティ大佐の書いた原稿の話を聴くところに同席することになった。
 アルデンティ大佐の原稿には、竜騎兵のインゴルフという男が19世紀末に、プロヴァンの穀物倉庫の地下深くから見つけ出した小箱の中から出てきたという暗号のような紙片に書かれている文字を大佐が翻訳した文章をカゾボン、ベルボ、ディオタッレーヴィが聞くことになる。
 ベルボはその原稿に興味を持ちながらも、大佐のテンプル騎士団についての原稿に興味を示さないふりをして本の出版を受け合うことはしなかった。
 話を聞いた3人は、大佐の持ち込んだ、このテンプル騎士団の話に興味をそそられてしまったので調べ始めたことが事の発端である。
 本書『フーコーの振り子』は、旧約聖書より古い時代のユダヤ民族の宗教まで遡ったり、世界中の原始宗教やカルト教団などにも触れながら「なぜテンプル騎士団が断罪されたのか?」「断罪を逃れていた騎士団の秘密=現在までその秘密組織が暗躍しているのか?」「地下電流とエッフェル塔?」「フコーの振り子が昔の地図でその場所を示す?」「地下鉄が造られ真の目的は?」「地下電流とナチス・ヒットラーとの因縁?」「薔薇十字団という秘密結社とフリーメーソンの関係は?」「サン・ジェルマン伯爵の不死伝と説錬金術の研究?」「ベーコン派と敵対する組織?」・・・エトセトラ&エトセトラと、この世界を支配する秘密組織がどこに存在するのか解き明かすことで紆余曲折(荒唐無稽とも思われるような挿話が多いが・・・)しながら、主人公のカゾボン、ベルボ、ディオタッレーヴィ(ディオッタレーヴィは、謎解きにとり憑かれたのか体調を崩し入院して亡くなってしまう)3人がその謎の究明に囚われてしまい、上巻初めでパリからカボゾンへ電話してきて会話の途中で何者かに襲われ失踪したベルボの運命は・・・?
 そしてアルデンティ大佐が殺され刑事が現場へきた時には、その死体が消えてしまっていた謎などと物語は混沌として読者を翻弄してゆく。
 この3人が憑かれたように謎を解き明かそうとしてゆく過程を読ませようと、著者のエーコは容赦なく読者に強いるのである。
 が、読みだした本は最後まで読む主義だから頑張って読み進むことにしたのです。
 とにかく西欧(西欧以外もあり)の歴史、宗教史、哲学史、科学史、それに、科学者、哲学者、政治家、宗教家、などの知識がないと読み進むことに戸惑いを感じてしまうのは評者だけだろうか。
 フランシス・ベーコンがシェークスピアのゴーストライターだった(このようなシェイクスピア別人説は存在したが・・・)とか、ドンキホーテの作者は、セルバンテスではなくベーコンだった、などと読むと著者のエーコは、歴史の虚実を混交しながら読者を翻弄することを目的にして本書を書き上げているように思えてきてしまったのである。
 本書『フーコーの振り子』では、評者だけの感じたことかもしれないが、訳者の訳語にも違和感を覚えてしまったのです。
 たとえば鍵言葉という訳語のルビにキーワードとしてある必要があるのだろうか?これはキーワードと書けばよいと思います。
 「ホメオパチーの療法」なんてことを知っていないのは評者が無知だからなだろうか?
 本書のなかには、横文字(特に英語)がたびたびでてきますが、翻訳なしでは読者に親切ではないように思います。
 その他、「生命の樹」(見開きページにある図)、「薔薇十字団」、「トーラー」、「ミシュナー」、「ヘーレム 」、「ゲマトリア」、「ノタリコン」、「カバラ 」(カバラについて評者は上巻のレビューで既に書いたが・・・)「イマーム」等々多くのことを知らなければページを繰っても本当に理解(読書を楽しむことも)できないのではないだろうか。
 評者は、気楽に本書を読み流そうと思ったものの、やはり知らない人名などが出てくる度に、ウィキペディアのお世話になりながら本書を読みすすむことになってしまったのです。
 上・下巻で1100ページを超える長編だからページ数に限りがあるかも知れないが、脚注を巻末に付記してほしかった。
 ネタバレになるが、狂信的なカルト集団の秘密について暗号のような紙片に書かれている文字を、「これは洗濯屋さんの配達伝票みたいなものだからよ」と、カゾボンの妻リアが、この紙片が昔の花屋さんのメモだと、暗号でもなんでもないと謎解きしてから、この物語はカゾボンがパリで異常な体験(これが上巻の幕開きのところです)へと誘い、そのあとミラノに戻り、そしてベルボの故郷の家を訪れたところでながながと情景描写と心情描写しながら余韻を残して「了」の文字で終える。
 
 神の創造した世界に住む人間の祖先が、「エデンの園のつまらないカップルのほうがいいなんて」微塵も願っていない評者にとって、本書のテーマについてゆくには相当の忍耐が必要になってきてしまったのですが、記号学の権威エーコならではのジグソーパズルを解くような長編『フーコーの振り子』の下巻を、なんとか頑張って読み終えました。
フーコーの振り子〈下〉 (文春文庫) Amazon書評・レビュー: フーコーの振り子〈下〉 (文春文庫)より
4167254468
No.44
(4pt)

『薔薇の名前』のほうが・・・。

評者は、ウンベルト・エーコの小説第一作『薔薇の名前』(1980年)の翻訳出版(1990年)されてすぐに読んだから今でも分厚い単行本の上・下二巻は手元にあるが、もう20何年も前に読んだ本だが面白いミステリだった記憶である。
 この本が出る前に映画化され日本でも上映されていたが、評者は映画館へ足を運ぶこともなく観ることはなかった。
 この映画化された『薔薇の名前』がTVで放映された時、ショーン・コネリーの好演もあり、小説のイメージを損なっていない映画だと思いながら感心しながら観た記憶である。 
 エーコの第二作である本書『フーコーの振り子』も読んでみたいと思ってはいたが、内容紹介をなにかで読んで読む気が起きなかった。
 が、長年なんとなく気になっていたことも事実であり、今回思い切って読むことにして「Amazon」で購入してしまった。
 本書を数十ページほど読み進み、やはり評者の好みの作品ではなかったかなぁ、との思いが募ってきてしまった。
 主人公のカゾボンがパリの国立工芸院の博物館で展示物などを見学するところからこの物語は始まる。
 もちろん「フーコーの振り子」もこの博物館に展示してあるからその解説をしたり、あれこれ他の機械など罵ったり、その機械の歴史などをながながと説明しながら閉館まで時間を過ごし、何故かこの博物館のなかで夜中まで彼は隠れていなければならないのである。
 カゾボンは隠れるのに都合のよい潜望鏡を見つけ、その中に隠れ、何故ここにいるのかを読者には謎のままにして、時系列を、二日前に戻したり、二日後に戻したり、カゾボンが学生時代にガラモン社という出版社のベルボやディオタッレーヴィとの出会いから、この出版社の仕事をするようになったかなどのエピソードを語りながら、失踪したベルボがパソコンに残した記録を挿入しながら物語は時系列を行ったり来たりする。
 国立工芸院の博物館の潜望鏡で過ごしてから何が起きたのかをカゾボンは語らないが、その夜から二日後に、回想しながらこの物語を語リ始めているから、彼が生きていることは確かなのである。
 ベルボと出会った酒場でテンプル騎士団を卒業論文にしていたことから、ベルボの同僚のディオタッレーヴィも交えて会話する場面やカゾボンがガラモン社を訪れてベルボやディオタッレーヴィと交わす会話などに出てくる知らない人名などを電子辞書やパソコンで調べることを始めてしまった。
 テンプル騎士団などの知識は少しはあったが詳しく知りたいために新たに調べたり、カバラなどの知識もないから調べたりと、読み進むのに時間がかかってしまった。
 カゾボンが大学卒業後、恋人のアンパーロを慕ってブラジルへ行き教師の仕事に就きブラジルで二年も過ごすことになる。
 ブラジル滞在中にアッリエという得体の知れない人物と出会い、その男の誘いでオカルト儀式を経験する話のころから、この小説をそんなに真剣に読むほどの物語としてエーコが書いてはいないことに遅まきながら気がついた。(この儀式のあとアンパーロは彼から去ってしまった)
 哲学者であり、記号学者でもあるエーコが異端宗教(オカルト)をネタにして、諧謔と皮肉もまじえながら自身の博学を披歴している小説なのだ、と気楽に読み進むことにした。
 ガラモン社の親会社であるマヌーツィオ社の社長がガラモンであり、この男が企画しているオカルト的な内容の叢書のアドバイサーとしてかってカゾボンがブラジルで知り合ったミラノに居を構えているアッリエをマヌーツィオ社に紹介したところから物語は複雑に絡み合って進み始める。
 もう惰性で読んでいるような物語であるが、主人公のカゾボンが何故パリの国立工芸院の博物館の潜望鏡に隠れていなければならなかったのか?
 そしてベルボが何者かに拉致されたのではないかというの謎は謎のままで上巻は終えている。
 マヌーツィオ社の強欲なガラモン社長が登場して自費出版希望者が出版元と契約する契約書の内容などの裏話を読んでいたら、エーコの本を出版する会社などは、必要以上にナーバスになっただろうと、つい笑ってしまったのです。
 それにしても上巻だけで560ページ以上もあるし、知らない人名や病名なども調べたりして難儀した。
 たとえば「瘰癧」などという病名が出てきて電子辞書で調べたら「頸部結核」のことだと知ることができたが、ここでは頸部結核と訳せばよいだろう。
 そのほか硅素渓谷?なんだこれと思い、あ~っ、シリコン・バレーのことかと分かったものもある。
 翻訳がますます本書を読み難くしていると感じたのは評者だけだろうか。
 もうひとつ難を言わせてもらえば、よく見開きページなどに主な登場人物紹介があるが本書にはそれがない。
 評者は、『薔薇の名前』を、星5ヶくらいと評価しているから、本書『フーコーの振り子』上巻を読み終え、評者だけの感想を言わせてもらえば、この『フーコーの振り子』は、まあ星3ヶくらいの評価だが、下巻を読んでいないからとりあえず星4ヶとしておきます。
 カゾボンが何故パリの国立工芸院の博物館で夜中まで過ごすことになったのか?そしてベルボの行方は?という謎だけに惹かれて下巻を読み始めることにした。
フーコーの振り子〈上〉 Amazon書評・レビュー: フーコーの振り子〈上〉より
4163137807
No.43
(4pt)

『薔薇の名前』のほうが・・・。

評者は、ウンベルト・エーコの小説第一作『薔薇の名前』(1980年)の翻訳出版(1990年)されてすぐに読んだから今でも分厚い上・下二巻は手元にあるが、もう20何年も前に読んだ本だが面白いミステリだった記憶である。
 この本が出る前に映画化され日本でも上映されていたが、評者は映画館へ足を運ぶこともなく観ることはなかった。
 ショーン・コネリー主演の映画をTVで放映された時、ショーン・コネリーの好演もあり、小説のイメージを損なっていない映画だと思いながら感心しながら観た記憶である。 
 エーコの第二作である本書『フーコーの振り子』も読んでみたいと思っていたが、内容紹介をなにかで読んで読む気が起きなかった。
 が、長年なんとなく気になっていたことは事実であり、今回思い切って読むことにして「Amazon」で購入してしまった。
 本書を数十ページ読み進み、やはり評者の好みの作品ではなかったなぁ、との思いが募ってきてしまった。
 主人公のカボゾンがパリの国立工芸院の博物館で展示物などを見学するところからこの物語は始まる。
 もちろん「フーコーの振り子」もこの博物館に展示してあるからその解説をしたり、あれこれ他の機械など罵ったり、その機械の歴史などをながながと説明しながら閉館まで時間を過ごし、何故かこの博物館のなかで夜中まで彼は隠れていなければならないのである。
 カボゾンは隠れるのに都合のよい潜望鏡を見つけ、その中に隠れ、何故ここにいるのかを読者には謎のままにして、時系列を、二日前に戻したり、二日後に戻したり、カボゾンが学生時代にガラモン社という出版社のベルボやディオタッレーヴィとの出会いから、この出版社の仕事をするようになったかなどのエピソードを語りながら、失踪したベルボがPCに残した記録を挿入しながら物語は時系列を行ったり来たりする。
 国立工芸院の博物館の潜望鏡で過ごしてから何が起きたのかをカボゾンは語らないが、その夜から二日後に、回想しながらこの物語を語リ始めているから、彼が生きていることは確かなのである。
 ベルボと出会った酒場でテンプル騎士団を卒業論文にしていたことから、ベルボの同僚のディオタッレーヴィも交えて会話する場面やカボゾンがガラモン社を訪れてベルボやディオタッレーヴィと交わす会話などに出てくる知らない人名などを電子辞書やパソコンで調べることを始めてしまった。
 テンプル騎士団などの知識は少しはあったが、新たに調べたり、カバラなどの知識もないから調べたりと、読み進むのに時間がかかってしまった。
 カボゾンが大学卒業後、恋人のアンパーロを慕ってブラジルへ行き教師の仕事に就きブラジルで二年も過ごすことになる。
 ブラジル滞在中にアッリエという得体の知れない人物と出会い、その男の誘いでオカルト儀式を経験する話のころから、この小説をそんなに真剣に読むほどの物語としてエーコが書いてはいないことに遅まきながら気がついた。(この儀式のあとアンパーロは、彼から去ってしまった)
 哲学者であり、記号学者でもあるエーコが異端宗教(オカルト)をネタにして、諧謔と皮肉もまじえながら自身の博学を披歴している小説なのだ、と気楽に読み進むことにした。
 ガラモン社の親会社であるマヌーツィオ社の社長がガラモンであり、この男が企画しているオカルト的な内容の叢書のアドバイサーとしてかってカボゾンがブラジルで知り合ったミラノに居を構えているアッリエをマヌーツィオ社に紹介したところから物語は複雑に絡み合って進む。
 もう惰性で読んでいるような物語であるが、主人公のカボゾンが何故パリの国立工芸院の博物館の潜望鏡に隠れていなければならなかったのかの謎は謎のままで上巻は終えている。
 強欲なカボゾン社オーナーが登場してから自費出版の裏話などを読んでいたら、エーコの本を出版する会社が著者との出版契約にナーバスになっただろうと笑ってしまった。
 それにしても上巻だけで560ページ以上もあるし、知らない人名や「瘰癧」などという病名が出てきて電子辞書で調べたら「頸部結核」のことだと知ることができたが、ここでは頸部結核と訳せばよいだろう。
 そのほか硅素渓谷?なんだこれと思い、あ~っ、シリコン・バレーのことかと分かったものもある。
 翻訳がますます本書を読み難くしていると感じたのは評者だけだろうか。
 評者は、『薔薇の名前』以上の作品ではないと思いながら『フーコーの振り子』上巻を読み終え、カボゾンが何故パリの国立工芸院の博物館で夜中まで過ごすことになったのかの謎だけに惹かれて下巻を読み始めることにした。
フーコーの振り子〈上〉 (文春文庫) Amazon書評・レビュー: フーコーの振り子〈上〉 (文春文庫)より
416725445X
No.42
(5pt)

楽しく読めました!

皆さんも書いておられますが、最初は確かに
読むのに苦労します。
しかし、文章の雰囲気に慣れてくると夢中になって読みました。
ベルボやディオタッレーヴィ、アッリエこと
サンジェルマン伯爵、
自分の意見をはっきり言うヒロイン達、
登場人物がみんな生き生きとしています。
文章に慣れてくると、本当に楽しく読めました
是非ご一読を!!
フーコーの振り子〈上〉 (文春文庫) Amazon書評・レビュー: フーコーの振り子〈上〉 (文春文庫)より
416725445X
No.41
(5pt)

楽しく読めました!

皆さんも書いておられますが、最初は確かに
読むのに苦労します。
しかし、文章の雰囲気に慣れてくると夢中になって読みました。
ベルボやディオタッレーヴィ、アッリエこと
サンジェルマン伯爵、
自分の意見をはっきり言うヒロイン達、
登場人物がみんな生き生きとしています。
文章に慣れてくると、本当に楽しく読めました
是非ご一読を!!
フーコーの振り子〈上〉 Amazon書評・レビュー: フーコーの振り子〈上〉より
4163137807
No.40
(5pt)

エーコの術中にはまる

まんまと引っかかってしまった。エーコの図書館並みの博学とダヴィンチコードの上をゆくスリリング、かつ先の見えない展開。劇中劇のようなベルボのトラウマを引きずった小説、周りを見渡せば、不死身のサンジェルマン伯爵(?)を含め怪しい人物ばかり。あまりの説得力に、地下鉄は世界中の地下世界の入り口か?とマジでぞっとする始末。閉館後の博物館のカビ臭さまで漂ってくるような…それもそのはず、主人公はすっかり恐怖に縮み上がってひきこもってしまう。そんな中で女性のたくましく、健全な認識は同姓としてうれしい限りである。また、出版業界の裏ワザには笑わせられる。エーコの実体験か?彼の最新本がその絡みのようなので、発売が楽しみ。
フーコーの振り子〈上〉 (文春文庫) Amazon書評・レビュー: フーコーの振り子〈上〉 (文春文庫)より
416725445X
No.39
(5pt)

エーコの術中にはまる

まんまと引っかかってしまった。エーコの図書館並みの博学とダヴィンチコードの上をゆくスリリング、かつ先の見えない展開。劇中劇のようなベルボのトラウマを引きずった小説、周りを見渡せば、不死身のサンジェルマン伯爵(?)を含め怪しい人物ばかり。あまりの説得力に、地下鉄は世界中の地下世界の入り口か?とマジでぞっとする始末。閉館後の博物館のカビ臭さまで漂ってくるような…それもそのはず、主人公はすっかり恐怖に縮み上がってひきこもってしまう。そんな中で女性のたくましく、健全な認識は同姓としてうれしい限りである。また、出版業界の裏ワザには笑わせられる。エーコの実体験か?彼の最新本がその絡みのようなので、発売が楽しみ。
フーコーの振り子〈上〉 Amazon書評・レビュー: フーコーの振り子〈上〉より
4163137807
No.38
(5pt)

エーコらしい傑作!

"薔薇の名前"で好評をもって迎えられた記号学者エーコの2作目の小説である。購入してから読むまでに10年、読み始めて2週間かけて読み了えた。あらすじを知ってから読んでもこの小説の魅力を減じられることはないだろうから、ざっとまとめてみる。

 つまり、中小出版者の編集者や協力者が、"テンプル騎士団の陰謀"について遊び半分で論じ、まとめてしまったところ、遊びで済まなくなったという話しである。物語の展開としては前作"薔薇の名前"とは違って謎解きに重きを置かれた小説ではないので思わせぶりな伏線などは基本的にないが、兎に角、展開が拡散と収束を繰り返し、話しが進まない。

 しかもウンベルト・エーコは記号論の学者である。記号論とはシニフィエンとかシニフィアを用いて、言葉の持つ概念について分析する哲学的方法論である。つまりエーコが用いている単語が実際自分が理解している意味で使われているのだろうか、など疑問が持ち上がってきてしまう。その上、翻訳になっているから、もうどうなのか確かめようもない(イタリア語に長けているなら別なのだろうけど)。そうしたことにかかずり合っていると、いつまでも読み進められなくなる。その内に煙に巻かれている様な気になってきて、いつしか不思議な小説世界に引きずり込まれてしまう。それこそがエーコの狙いなのかも知れないけれども。文章自体は自然で決して読み難い訳ではない。良い評判は聞かないものの個人的には、翻訳としては良心的な労作の部類だと思う。

 テンプル騎士団の陰謀と言えば、大体想像が付くと思われるが、要はオカルトを題材にしている。オカルトは神秘主義などと共に語られることが多く、本邦では「月刊ムー」的な位置付けのシニフィエとなってしまっているが、背後に隠された物を白日の下に曝すと言ったニュアンスで使用されることが多い用語である。しかも元来は異端とか俗説と言った概念であり、知的作業の所作であり、知的遊戯である。その意味では文庫版の帯に書かれていた「知の響宴」の意図が理解出来ると思う。そしてこうしたものはまさにエーコの為に用意された主題と言っても良いのではないか。

 では、小説自体の体裁であるが、これがまた秀逸だと自分は思うのだけれど、喜劇になっている。エーコは幾度か、オカルティズムの陥穽に対するストレートな批判を織り交ぜて、主人公への読者の感情移入を阻害する。それにより物語をシリアスに進められながらも喜劇に帰着させている。ところでオカルティズムの技法というのは、資料の深読みを積み上げて、独自の結論を導き出すというものである。巷に言う「行間を読む」作業は裏読みであるが、それに更に別の意味付けをすることが深読みである。賢明であれば、この時点で論理が飛躍してしまっていて、客観的でなくなっていることに気付く筈である。エーコはこうした批判的視点を所々に導入している。恐らく、登場人物の中でこの客観性を終止保っていたのは只一人だけである。

 そうして延々と前置きが積み重ねられていくので前述の通り、話しが進まない。時折、収束していくかと思えば、また拡散することが幾度も繰り返される。読んでいるといつまでも終わらないのではないかと気持ちが挫けそうになるが、それを堪えて読み進めると、恐らく全体の8割方進んだ所辺りから、展開は速度を増し、大団円を迎えることとなる。謂わば、ディスニーランドにあるスプラッシュマウンテンの様な物語である。

 ところで、振り子と共に提示されるフーコーは通常レオン・フーコーである。フーコーの振り子とは、地球の自転を証明する為の実験で、振り子自身は単振動を繰り返しているに過ぎないが、地球の自転により少しづつ軌跡がズレていくというものである。主人公たちが"テンプル騎士団"の陰謀に振り回される様を隠喩しているのだろう。またレオン・フーコー自身が"正式な科学者"ではなかった為、この振り子の実験自体が当時オカルト扱いを受けていたそうである。深い題名である。また哲学の世界ではミシェル・フーコがいる。この人は自分自身が構造主義として理解されながら、構造主義を批判し続けた人であるが、その重要な主張の一つに「知と権力」の関係性についての考察がある。テンプル騎士団に限らず、一般的にオカルトとは権力との関連を想定されるものである。エーコは、記号学者として題名にこうしたシニフィエの拡散をも内包しているのではないか、などと勘ぐってしまう。そして、すっかりエーコの罠に嵌まり、登場人物たちとは一線を画していたつもりが木乃伊になってしまい、日常で深読みする癖がいつしか付いてしまっているのである。
フーコーの振り子〈上〉 (文春文庫) Amazon書評・レビュー: フーコーの振り子〈上〉 (文春文庫)より
416725445X
No.37
(5pt)

エーコらしい傑作!

"薔薇の名前"で好評をもって迎えられた記号学者エーコの2作目の小説である。購入してから読むまでに10年、読み始めて2週間かけて読み了えた。あらすじを知ってから読んでもこの小説の魅力を減じられることはないだろうから、ざっとまとめてみる。

 つまり、中小出版者の編集者や協力者が、"テンプル騎士団の陰謀"について遊び半分で論じ、まとめてしまったところ、遊びで済まなくなったという話しである。物語の展開としては前作"薔薇の名前"とは違って謎解きに重きを置かれた小説ではないので思わせぶりな伏線などは基本的にないが、兎に角、展開が拡散と収束を繰り返し、話しが進まない。

 しかもウンベルト・エーコは記号論の学者である。記号論とはシニフィエンとかシニフィアを用いて、言葉の持つ概念について分析する哲学的方法論である。つまりエーコが用いている単語が実際自分が理解している意味で使われているのだろうか、など疑問が持ち上がってきてしまう。その上、翻訳になっているから、もうどうなのか確かめようもない(イタリア語に長けているなら別なのだろうけど)。そうしたことにかかずり合っていると、いつまでも読み進められなくなる。その内に煙に巻かれている様な気になってきて、いつしか不思議な小説世界に引きずり込まれてしまう。それこそがエーコの狙いなのかも知れないけれども。文章自体は自然で決して読み難い訳ではない。良い評判は聞かないものの個人的には、翻訳としては良心的な労作の部類だと思う。

 テンプル騎士団の陰謀と言えば、大体想像が付くと思われるが、要はオカルトを題材にしている。オカルトは神秘主義などと共に語られることが多く、本邦では「月刊ムー」的な位置付けのシニフィエとなってしまっているが、背後に隠された物を白日の下に曝すと言ったニュアンスで使用されることが多い用語である。しかも元来は異端とか俗説と言った概念であり、知的作業の所作であり、知的遊戯である。その意味では文庫版の帯に書かれていた「知の響宴」の意図が理解出来ると思う。そしてこうしたものはまさにエーコの為に用意された主題と言っても良いのではないか。

 では、小説自体の体裁であるが、これがまた秀逸だと自分は思うのだけれど、喜劇になっている。エーコは幾度か、オカルティズムの陥穽に対するストレートな批判を織り交ぜて、主人公への読者の感情移入を阻害する。それにより物語をシリアスに進められながらも喜劇に帰着させている。ところでオカルティズムの技法というのは、資料の深読みを積み上げて、独自の結論を導き出すというものである。巷に言う「行間を読む」作業は裏読みであるが、それに更に別の意味付けをすることが深読みである。賢明であれば、この時点で論理が飛躍してしまっていて、客観的でなくなっていることに気付く筈である。エーコはこうした批判的視点を所々に導入している。恐らく、登場人物の中でこの客観性を終止保っていたのは只一人だけである。

 そうして延々と前置きが積み重ねられていくので前述の通り、話しが進まない。時折、収束していくかと思えば、また拡散することが幾度も繰り返される。読んでいるといつまでも終わらないのではないかと気持ちが挫けそうになるが、それを堪えて読み進めると、恐らく全体の8割方進んだ所辺りから、展開は速度を増し、大団円を迎えることとなる。謂わば、ディスニーランドにあるスプラッシュマウンテンの様な物語である。

 ところで、振り子と共に提示されるフーコーは通常レオン・フーコーである。フーコーの振り子とは、地球の自転を証明する為の実験で、振り子自身は単振動を繰り返しているに過ぎないが、地球の自転により少しづつ軌跡がズレていくというものである。主人公たちが"テンプル騎士団"の陰謀に振り回される様を隠喩しているのだろう。またレオン・フーコー自身が"正式な科学者"ではなかった為、この振り子の実験自体が当時オカルト扱いを受けていたそうである。深い題名である。また哲学の世界ではミシェル・フーコがいる。この人は自分自身が構造主義として理解されながら、構造主義を批判し続けた人であるが、その重要な主張の一つに「知と権力」の関係性についての考察がある。テンプル騎士団に限らず、一般的にオカルトとは権力との関連を想定されるものである。エーコは、記号学者として題名にこうしたシニフィエの拡散をも内包しているのではないか、などと勘ぐってしまう。そして、すっかりエーコの罠に嵌まり、登場人物たちとは一線を画していたつもりが木乃伊になってしまい、日常で深読みする癖がいつしか付いてしまっているのである。
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4163137807
No.36
(2pt)

難しすぎて、読めなかった

薔薇の名前は楽しく読めましたが こちらは、途中で断念。 時期をかえて また挑戦してみたいが・・・・
フーコーの振り子〈下〉 (文春文庫) Amazon書評・レビュー: フーコーの振り子〈下〉 (文春文庫)より
4167254468
No.35
(2pt)

難しすぎて、読めなかった

薔薇の名前は楽しく読めましたが こちらは、途中で断念。 時期をかえて また挑戦してみたいが・・・・
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4163137904
No.34
(5pt)

ウィリアムバロウズのネイキッドランチ

タイプライター 
オーネットコールマン
フリー
洞窟

編集中
フーコーの振り子〈上〉 Amazon書評・レビュー: フーコーの振り子〈上〉より
4163137807
No.33
(5pt)

ウィリアムバロウズのネイキッドランチ

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編集中
フーコーの振り子〈上〉 (文春文庫) Amazon書評・レビュー: フーコーの振り子〈上〉 (文春文庫)より
416725445X
No.32
(3pt)

作品は凄いんだけど・・・

「薔薇の名前」がとても好きなので、文庫化された時にすぐに買って読み始めた物の・・・とても読みにくかったです。
理由はただ一つ、訳が問題なのです。
他の方もレビューに書かれていますが、普通ならあり得ない言い回しを利用するというのは雰囲気ぶち壊し。訳し方が古いと言うわけではありません。とにかく読みにくい。
全体的に難解さを増してくれている訳に負けて、ずっと放置していました。その後全部読み切りましたが、殆ど意地でした・・・
ところどころ面白い箇所で引き込まれる物の、描写の訳が解りづらく着いていけないこともしばしば。何度読む手が止まったことか。
なので翻訳物が苦手な人にはオススメできません。面白いからなおさら残念です。
もう一度誰か訳し直してくださったら読み直したい本です。
フーコーの振り子〈上〉 Amazon書評・レビュー: フーコーの振り子〈上〉より
4163137807
No.31
(3pt)

作品は凄いんだけど・・・

「薔薇の名前」がとても好きなので、文庫化された時にすぐに買って読み始めた物の・・・とても読みにくかったです。
理由はただ一つ、訳が問題なのです。
他の方もレビューに書かれていますが、普通ならあり得ない言い回しを利用するというのは雰囲気ぶち壊し。訳し方が古いと言うわけではありません。とにかく読みにくい。
全体的に難解さを増してくれている訳に負けて、ずっと放置していました。その後全部読み切りましたが、殆ど意地でした・・・
ところどころ面白い箇所で引き込まれる物の、描写の訳が解りづらく着いていけないこともしばしば。何度読む手が止まったことか。
なので翻訳物が苦手な人にはオススメできません。面白いからなおさら残念です。
もう一度誰か訳し直してくださったら読み直したい本です。
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416725445X
No.30
(4pt)

神の息吹

本作は神秘主義やオカルト学に単純に怖いものみたさや興味本位で手を出す人には向いていない。作中でふんだんに語られる、その手の話は面白いのだが、作者が言おうとしている事はそういう物は全て幻だという事なので反オカルトとも言えるのだがそれだけでは無い。世の中にある事象は全て何らかの関連性が付けられ探求と関連付けによって新たな物が創造され、それが人間の発展となっているのだが、必然であれ偶然であれ各々の恣意で結び付けられた物はとんでも無い物を産み出す可能性がある。それが正しいか間違っているかは時代によるが、生み出された物はその時点で存在意義を獲得するのである。前作の「薔薇の名前」から何も変わらないテーマの一つであり人間の愚かさをオカルト学を通して描いただけの作品であれば個人的には退屈極まり無い焼き直し作品となったのだが、もう一人の主人公ベルボの存在があるからこそ、この作品の凝った構成がより生きてくる事に気付く。またベルボは何かエーコ自身の投影の様な気がします。パルチザンの勝利を祝うトランペットを吹いた少年時代のベルボは神がセフィロトに息を吹き込んだ様に自らの生命=存在意義を作り出した神となったのであり、「自分が臆病と思った瞬間に初めて人間は臆病者になる」の言葉通り傍観者として決してスーパーマンに変身しないクラーク・ケントとして過ごした欺瞞の人生を懊悩し、繋がれたプロメテウスは最後に愛によって自らの鎖を解き放つのである。皮肉にも肉体は振り子の不動の点として代わりに繋がれ、例え自らの生を終えようとも。世界を制する力とはつまり自分を知る事という事を言いたいのだと思います。こうしたベルボの自己存在の経緯を主人公ガゾボンが彼と過ごした日々と彼の家のパソコンに残された文章から憶測していくという部分がこの作品のもう一つのミステリー部分でもあり、いつも通りのエーコの哲学と娯楽部分と互いに重なり合って雑多な様で纏まっているという不思議な作品を作り出している。そして世相を表す小道具や流行、時事問題も必要以上に書き込まれている気がする。おそらく200年後の世界では注釈だらけで出版され20世紀の世相を知る参考書の一つになるよう必然的に意図された技巧の様な気がするのは考え過ぎだろうか。
フーコーの振り子〈下〉 (文春文庫) Amazon書評・レビュー: フーコーの振り子〈下〉 (文春文庫)より
4167254468
No.29
(4pt)

神の視点

1988年のウンベルト・エーコの作品。主人公ガゾボンがテンプル騎士団の陰謀を探る内にそれに巻き込まれていくというのが、この作品の娯楽性の部分の主体で神秘学、オカルト学に関する引用が盛り込まれ、秘密結社の陰謀として面白おかしく進むのだが、映画のインディジョーンズとかナショナルトレジャーだとかヤングシャーロックの様な娯楽作としては書かれてはいない。古代人の世界観でもある、精神である「王冠」と肉体である「王国」を結ぶ「知恵」「理智」「慈悲」「厳格」「美」「勝利」「永遠」「根底」という陰陽、表裏一体の人間世界で類推の森を徘徊する主人公ガゾボンや世界の象徴である振り子の不動の点を求める秘密結社の人間活動に擬えて各章が構成されており、さらには各章の序文である冒頭の神秘学や思想書、幻想小説の文献からの引用文にそって、その章の話の展開が作られており、実に凝っているし、そのこじつけが妙に上手く少し遊びすぎな気もするがエーコの言いたい事の主幹である「事象の関連とこじつけ」に沿っているから自虐的お遊びとも取れ、見事という事にしておきましょう。さらには、もう一人の主人公とも言えるベルボの自己の存在の認識を懊悩する姿とそれをも我等がサム・スペードたるガゾボン君が同時に解明しようとするのだから、本作が長大になるのも仕方が無い。時代背景も本作のガゾボン君が行動するリアルタイムである鉛の時代のイタリアと、ベルボの幼少期のパルチザンとファシストの対立の思い出に14世紀のテンプル騎士団の弾劾から17世紀のアンドレーエの「科学の結婚」から始まり18、19世紀を類推の迷宮に陥れた薔薇十字伝説が並行して展開し、人間心理の部分で見ても、ガゾボンから見た事象のお遊び推理の部分とベルボの心理から見た実存の在り方の部分が入り乱れているので読者は読みこなすにはある程度の根気がいると思いますよ。敢えて名づけるなら「オカルトミステリー」が表で「存在意義ミステリー」が裏にあると言えようか。そして人によって様々な読み方があると思うが、ガゾボンとベルボに深く関わるタイプの違う3人の女性と主人公達との関わりと世界観が読み応えがある。前半にしか出てこないアンパーロとの会話が考えさせる物があって個人的には良かったが、個性的キャラ達が後半になるにしたがって、微妙に尻すぼみに一つの事に収束してしまったのが残念だが、キャラを楽しむ作品では無いのでいたし方が無い。(下巻に続く)
フーコーの振り子〈上〉 Amazon書評・レビュー: フーコーの振り子〈上〉より
4163137807
No.28
(4pt)

神の息吹

本作は神秘主義やオカルト学に単純に怖いものみたさや興味本位で手を出す人には向いていない。作中でふんだんに語られる、その手の話は面白いのだが、作者が言おうとしている事はそういう物は全て幻だという事なので反オカルトとも言えるのだがそれだけでは無い。世の中にある事象は全て何らかの関連性が付けられ探求と関連付けによって新たな物が創造され、それが人間の発展となっているのだが、必然であれ偶然であれ各々の恣意で結び付けられた物はとんでも無い物を産み出す可能性がある。それが正しいか間違っているかは時代によるが、生み出された物はその時点で存在意義を獲得するのである。前作の「薔薇の名前」から何も変わらないテーマの一つであり人間の愚かさをオカルト学を通して描いただけの作品であれば個人的には退屈極まり無い焼き直し作品となったのだが、もう一人の主人公ベルボの存在があるからこそ、この作品の凝った構成がより生きてくる事に気付く。またベルボは何かエーコ自身の投影の様な気がします。パルチザンの勝利を祝うトランペットを吹いた少年時代のベルボは神がセフィロトに息を吹き込んだ様に自らの生命=存在意義を作り出した神となったのであり、「自分が臆病と思った瞬間に初めて人間は臆病者になる」の言葉通り傍観者として決してスーパーマンに変身しないクラーク・ケントとして過ごした欺瞞の人生を懊悩し、繋がれたプロメテウスは最後に愛によって自らの鎖を解き放つのである。皮肉にも肉体は振り子の不動の点として代わりに繋がれ、例え自らの生を終えようとも。世界を制する力とはつまり自分を知る事という事を言いたいのだと思います。こうしたベルボの自己存在の経緯を主人公ガゾボンが彼と過ごした日々と彼の家のパソコンに残された文章から憶測していくという部分がこの作品のもう一つのミステリー部分でもあり、いつも通りのエーコの哲学と娯楽部分と互いに重なり合って雑多な様で纏まっているという不思議な作品を作り出している。そして世相を表す小道具や流行、時事問題も必要以上に書き込まれている気がする。おそらく200年後の世界では注釈だらけで出版され20世紀の世相を知る参考書の一つになるよう必然的に意図された技巧の様な気がするのは考え過ぎだろうか。
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4163137904
No.27
(4pt)

神の視点

1988年のウンベルト・エーコの作品。主人公ガゾボンがテンプル騎士団の陰謀を探る内にそれに巻き込まれていくというのが、この作品の娯楽性の部分の主体で神秘学、オカルト学に関する引用が盛り込まれ、秘密結社の陰謀として面白おかしく進むのだが、映画のインディジョーンズとかナショナルトレジャーだとかヤングシャーロックの様な娯楽作としては書かれてはいない。古代人の世界観でもある、精神である「王冠」と肉体である「王国」を結ぶ「知恵」「理智」「慈悲」「厳格」「美」「勝利」「永遠」「根底」という陰陽、表裏一体の人間世界で類推の森を徘徊する主人公ガゾボンや世界の象徴である振り子の不動の点を求める秘密結社の人間活動に擬えて各章が構成されており、さらには各章の序文である冒頭の神秘学や思想書、幻想小説の文献からの引用文にそって、その章の話の展開が作られており、実に凝っているし、そのこじつけが妙に上手く少し遊びすぎな気もするがエーコの言いたい事の主幹である「事象の関連とこじつけ」に沿っているから自虐的お遊びとも取れ、見事という事にしておきましょう。さらには、もう一人の主人公とも言えるベルボの自己の存在の認識を懊悩する姿とそれをも我等がサム・スペードたるガゾボン君が同時に解明しようとするのだから、本作が長大になるのも仕方が無い。時代背景も本作のガゾボン君が行動するリアルタイムである鉛の時代のイタリアと、ベルボの幼少期のパルチザンとファシストの対立の思い出に14世紀のテンプル騎士団の弾劾から17世紀のアンドレーエの「科学の結婚」から始まり18、19世紀を類推の迷宮に陥れた薔薇十字伝説が並行して展開し、人間心理の部分で見ても、ガゾボンから見た事象のお遊び推理の部分とベルボの心理から見た実存の在り方の部分が入り乱れているので読者は読みこなすにはある程度の根気がいると思いますよ。敢えて名づけるなら「オカルトミステリー」が表で「存在意義ミステリー」が裏にあると言えようか。そして人によって様々な読み方があると思うが、ガゾボンとベルボに深く関わるタイプの違う3人の女性と主人公達との関わりと世界観が読み応えがある。前半にしか出てこないアンパーロとの会話が考えさせる物があって個人的には良かったが、個性的キャラ達が後半になるにしたがって、微妙に尻すぼみに一つの事に収束してしまったのが残念だが、キャラを楽しむ作品では無いのでいたし方が無い。(下巻に続く)
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