書楼弔堂 霜夜
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この間は、巷説百物語シリーズが、終了し続けて、弔堂までラストわ、迎える。 いつものように、歴史的人物が登場し、弔堂に来るのは当たり前。今回の主人公は、印刷業に携わる、青年が苦悩しながら、活字のデザインをしながら、同じ下宿先の友人や印刷会社の仲間達と出会う話。 ラストには、以外な展開があり、ほっこりする内容で終わる。弔堂の亭主は、何処に消えたんでしょうね。まだまだ、続けて欲しかったのが、正直な所です。 | ||||
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最近、山田風太郎著『幻燈辻馬車』を読み、実在した著名人を起用した作話事例をまた一つ得ました。本書のスタイルは、この形式を最も良く生かしましょう。著者自身の博覧強記、博学多識ぶりが、随所にあらわれて、各章のエピソードに加味されます。 岡倉覚三、これは恩師大岡信の研究対象の一つでもありました。もっとも当方にとっては、その弟岡倉由三郎、の名を知ったのが先。『新英和大辞典』を使用していて、辞典の箱にも、氏名がありました。 このシリーズもおわってしまいましたね。 作中、本づくりに携わる人々への言及があります。当方は、日本エディタースクールの校正講座に依存していました。遠く、林達夫氏を仰いでのことです。以来、公文書、私文書こみで数千件を赤ペンでこなしました。元来、国語科教職課程がベースの専門ですので、好きと実務とがあいまって、幸いでした。また、教育学部生でしたので、所属教室の一部が教育雑誌の実質的な編集局であったり、同期の友人たちのなかに学生教育雑誌の編集自体に参加している者があったりしまして、そのことも記憶に新しいです。文芸等の創作世界、新聞雑誌の営業世界、そのほかに教育界独特の出版文化の影響下に居続けています。今まで最高に影響を受けた勉強会は、教育雑誌編集室での課題図書の読み合わせでした。 博覧強記、博学多識の形式を平然と保持し得る人々は、本作の内容のように、事物の意味の「差異」に注目した使い分けが可能となります。これは、人の認識の「類推」過程にあたりますので、昭和のころに流行したコーヒーの宣伝文句を借りますと、違 い の わ か る 振る舞いが可能になります。できないと一段外にでて、違いのわからないシルバーブレンドになってしまいます。差異からの立論が可能となれば、いわゆるデリダの「差延」にまで足をのばすことが叶います。 われらの時代のヒーローのおひとり吉本隆明氏が、花田清輝、谷澤永一の両氏と論争したことを想起いたします。これは、博覧強記の者との対決に当たり、必然的に、相手が繰り出す表現内容の類推的事実のゆれと焦点化とをともに把握し、それを理解していることを確認してから反論せねばなりませぬ。この精密な段階が脱落しますと、対応困難となります。吉本氏は科学の人で、演繹・帰納の形式については、無論信頼するに足る論客だったわけですが、類推対応は苦しかったとお見受けしました。このことには異論もございましょう。 | ||||
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書楼弔堂霜夜、とても素敵でした。 時代が変わり、色々なものが変わるのけれども、結局一番大事な肝の部分は宿痾として普遍なのだと思います。激動の時代、今よりももっと人が人として個人ではなく違う視点から国を豊かにしていこうと頑張っていた時代なのだと思います。終わりではなく始まりであり、連綿と続いていく己があるからとても素敵なのだと思います。雲から光がさすようなとても良い時間を過ごせました。 | ||||
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