ボーンズ・アンド・オール
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おもろい。カニバリズムモチーフの使い方の違いについて考えると映画との差異が浮かび上がってくる。 | ||||
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好きな人や大事な人を食べてしまう女の子が主人公。人間をまるまる食べてしまうって、いくらなんでも無理があると思う。人喰いは何かのメタファーかと思ったけど、違うらしい。だとすると、たんに変な物語ということか。 | ||||
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2016年全米図書協会の一部門ヤングアダルト図書館サービス協会に よるアレックス賞を獲得した作品。地元紙の書評欄で紹介されていて 面白そうだったので購入した。 2月17日から日本でも映画が公開されたようだが地元にはまだ来ていない。 本作読了後、既に映画の批評がネットに上がり始めたので読んでみると、映画の設定は原作本とかなり相違しているようだ。主人公マレンの捜す相手が父親(原作)か母親(映画)かではかなり意味合いが違ってくると思う。ここでは原作を読んだ感想を書いておく。 著作者のカミール・デアンジェリスはヴィーガン(卵や乳製品を含む、動物性食品をいっさい口にしない「完全菜食主義者」)なのだそうだ。彼女の目線からは毎日のように牛や豚や鶏や魚を食べる人間は怪物に見えるだろう。もちろん食べられる側からは悪魔並の恐ろしさだ。ただ、本作は「食われる身にもなってみろ」ということを言いたいわけではないようだ。あったとしてもオマケ程度の要素だと思う。 ここに出てくる「人食い」(イーター)達は空腹を満たすために行為に及ぶわけではない。マレンは性的な欲望を抱いて自分に触れてくる者を、リーはこの世に不要だと憎しみを抱いた者を、サリーは既に死んでいるか自ら手を付けた死体を、爆発的な勢いで食べてしまう。所要時間は7分から10分。 これらは何を隠喩しているのか、中々焦点を絞りにくい。 フェミニズムを直感的かつラディカルに完遂する女性、世俗的な悪を主観で抹殺する権力者、いつの世にも蔓延る強盗殺人犯等々。いずれも自分の内なる怪物性のために一般社会から逃れざるを得ず、親からも見放されて肉体も精神も孤独な放浪を続ける人間の業を描いている。 特に未だ何者にもなり得ていない若者が親の愛情を渇望し、その親から異物として見捨てられることへの驚きと恐怖、他者の犠牲の上に生き延びて行かざるを得ない自己の運命を認識し葛藤する姿を、人食い行為を場面転換に使いながら話を紡いでいく。人を食べる描写は実にあっさりとしているが、食前食後の口臭の描写は鼻をつくほど生々しい。 登場人物ではマレンの父親フランシスを介護してきたトラビスの扱いがよくわからなかった。また、マレンが食べ残した数々の骨をスーツケースに詰めて引越しを繰り返した母親ジャネールは人食いではないが、実は街の多くの男たちと関係をもった女性だったとほのめかす部分がある。”なんどたずねられてもあなたには絶対に言えないことがあるの” 母親についての叙述がもう少し欲しかった。 映画とは違う状況ではあるが、マレンは初めて性行為を経験した後にその男を食べる。性的共食い、オーストラリア・セアカ・ゴケグモやカマキリのように。これ以降、マレンは言い寄ってくる男ではなく、自ら狙いをつけた男を自分の魅力で誘惑し捕食するという成長を遂げる(母親ジャネールのように)。このエンド部分が一番ゾッとした。メスはオスを食べてでも最終的に生き残る生き物、この隠喩が一番恐い。 ティモシー・シャラメ主演の映画が楽しみですが、出来れば先にこちらを読んだ方が良いと思います。 映画と結果が違うからと原作の方を低評価とするのは本末転倒でしょう。 | ||||
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映画とは結末が違った | ||||
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