クライ・マッチョ
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主人公のマイクとマイクが探すことになるラフォが、本当の父子のように感じあっていく模様がとても良かったです。 私もラフォと同じ年頃の息子がいるのですが、我々のお互いのやり取りを小説の中で描いてもらっているような感じがしました。実際、息子はかなりワイルドなので(非行ではなく、アウトドア的に冒険的な方向で)。 二人が出会うマリアとその家族との交わりにも心が和みました。 ストーリーを支える脇筋も良かったです。昔仕事で訪れたメキシコの雰囲気を生々しく思い出しました。 読み返す本になりそうです。 | ||||
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誘拐を前景化し主役は三十代、ロデオと闘鶏文化にも深く触れ、非常に感傷的で重い。 | ||||
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クリント・イーストウッドという生涯の憧れだった映画俳優が、91歳になるというのに、新作映画で主演も監督も請け負っていることにまず驚愕した。原作ノヴェルとして新たに翻訳され発掘されたこの作品は1975年の作品だ。ぼくがに三日に一回というペース(深夜の5本立てなども含む)で映画館という映画館のスクリーンに噛り付いていたアメリカン・ニューシネマの時代に映画人の誰からも振り向かれることなく、映画化もされなかった本作が、今、この時期に翻訳されるとは! まさにイーストウッド映画のお裾分けのように、映画を未だ観ていないぼくが原作に出会えた。しかも映画は上映中。完全に同期しているのだ。 ちなみにイーストウッドと言えば、セルジオ・レオーネ監督のマカロニ・ウエスタン、続いてドン・シーゲル監督に始まったダーティ・ハリーという恰好いい憧れのガンマンという印象が強かった。しかしその頃にも『センチメンタル・アドベンチャー』などのロード・ムーヴィーでリアルで弱い男というディープな役も演じていたので、彼の人間的厚みは、監督業を請け負う以前から実はとても強く感じていた。 監督としてもビッグヒットを連続させたし、イーストウッドが好むタイプ映画はヒューマンで、哀愁に満ちていて、暖かい血が流れているレアな印象が強く、それでいてセンチでロマンティックで、心を摑むものばかりだった。とりわけ小学校の頃からカウボーイの代名詞として最初から好きだったぼくのような夢見心地人間には。 さて本書はそんなイーストウッドのイメージそのままの物語として読める一作である。しかも、どちらかと言えば、先に挙げた『センチメンタル・アドベンチャー』の系列なのである。主人公はかつてヒーローだったものの、負傷して引退を迫られるロデオ・カウボーイ。話はシンプル。ロデオの興行主は、老いた主人公マイク・マイロに引退を言い渡し、その直後、別の仕事として、メキシコ人の妻との間にできた息子の誘拐を持ちかける。国境を越えてメキシコへゆき、少年を誘拐してテキサスへ帰ってくるというミッションである。 とはいえ、巻頭は派手なアクション・シーンに始まる。警察の銃撃を受けて国境付近でトラックを疾駆させるシーン。そして、本章はその三か月前から改めて語られる構成となっている。ロード・ノヴェルのスタート。言葉の通じない異国への旅。 ディテールが豊かである。情緒的で、純文学的ですらある。マイクの心の振幅、これまでの人生や今後への不安が語られる。主人公は、メキシコの地での新たな経験を通して、次第に心の中に歪みが膨らんでゆくのを感じてゆく。 メキシコ人の少年ラフォとの合流。彼らが追跡から逃れて身を隠す小さな町の家族との出会い。野生馬と並走するトラック。美しいシーン。夜には暗すぎる路地裏。狭い道。貧困層。犯罪者集団。テキーラとサボテンの国である。展開にスピーディさはなく、揺れ動く心的スリルや新しい文化や人々への出会いへの驚きの方が強い。メキシコという土地での粗っぽくも新しい体験や予想外のできごとに驚かされ、何かが揺れてゆく。 良い物語とは、物語を通して主人公が変わるもの、と誰かが言っていたように思う。本書の主人公マイク(ぼくの中ではイーストウッドそのものでしかないのだが)が、どのように変わってゆくかというところに、豊かな読みごたえを感じる。良い物語の骨格をしっかりと備えた作品なのだ、これは。娯楽サービス満点の昨今の人気ミステリーがいつか失ってきてしまったものを、むしろ改めて感じさせ、ああ、ぼくはこっち側(本作)の人間で、こういう読書が好きなのだ、と改めて自覚させられた一作なのだった。 なかなか表現しにくいけれども、今のぼくにとっては、完璧なタイプの(その代わり古い)小説である。本書が半世紀も後に日本語に翻訳された幸運、さらに未だ観ぬ映画作品への期待が残されている幸福に、改めて感謝、そして何よりも、Viva! Eastwood! | ||||
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1975年にリリースされた本書は、ご存知のとおりクリント・イーストウッドが映画化し、現在公開されています。見てから読むか、読んでから見るか?外出が憚られる現在(笑)、先に読んでみることにしました。「クライ・マッチョ "Cry Macho"」(N. リチャード・ナッシュ 扶桑社)を読み終えました。 かつては、ロデオ・スターだったマイクが、自分の興行主でもあるハワードより、メキシコにいる母親(レクサ)の下から自分の息子であるラフォ(ラファエル)を誘拐して欲しいと依頼され、テキサスからメキシコへと向かいます。そして、マッチョと名付けられた闘鶏と共に、テキサスへと舞い戻ろうとする二人の或る種のロード・ノベルと言っていいでしょう。 ロデオ・ショー。それは、サム・ペキンパーの映画「ジュニア・ボナー」(1972年)を想起させ、もはやスターとしての盛りを過ぎ、プライドを踏みにじられるような現在の生活を変えるきっかけとなるのか、ならないのか?メキシコへとラフォを捜索に向かうマイクの魂に自分の心を乗せて行きさえすれば、その後の二人と一羽の冒険行が十二分に楽しめることは間違いありません。それは、"マチズモ"を刺激し、"マチズモ"を再考することにもなります。(また、私は"グリンゴ"と聞いただけで、ペキンパーの「ワイルドバンチ」を思い、泣けてきます(笑)) メキシコ。テックス・メックス・セックス。闘鶏。駆け抜ける数頭のムスタング。老いさらばえた肉体と息も絶え絶えのトラック。荒野の上空には、コンドルが舞い、男らしさなど何ほどのこともないというかの如く、その生きるための飛翔は限りなく美しい。 マイクは38歳という設定ですから、91歳のクリントが演じるのはさすがに荷が重いではと思ったりもしましたが、おそらくディティールは改変されているでしょう。クリントらしいマテリアルは、本書の中にほぼ揃っています。(日本では評価が高すぎる彼の映画群。とは言え、「ミリオンダラー・ベイビー」と「グラン・トリノ」は、絶品でした。この小説のムスタングは、「グラン・トリノ」の"ムスタング"へとリンクしていきます) 脱線しました。物語の話をしましょう。 たとえ父親が不在でも、父親の如き男が心に在る限り、少年たちは真に自立した人間として成長していくのでしょう。それは、ミステリの世界では、「初秋」(ロバート・B・パーカー)が証明しています。 そして、「サンタ・マリアは常にラフォの真の友であり続けるだろう」(p.232)という一文を読むまでもなく、少年が何故"ラファエル"と名付けられているかは理解できるような気がします。ガーディアン・エンジェルがマイクだとするならば、その人を守護する天使・ラファエルもまた、痛みをやわらげる天使として共に戦ったのだと思います。守り守られる天使たちの"Cry Macho"として。 | ||||
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何とも魅力的なふたり。 マイクは38歳。不幸な結婚生活を終え(最悪のくそ妻だ)、ロデオスターとしての栄光も消え、どん底にいる孤独な男。だが本来は謙虚で優しく読書家で、善悪の基準はしっかりともっている。 そこそこハンサムなのだろう、彼を巡って5人の女性が登場する。しかし自惚れてはおらず、どの女性に対してもとても誠実だ。ただ、弱さもある。そこにつけこんだのは雇い主で、5万ドルを餌に息子の偽装誘拐をすることだった――。 ラフォは11歳の少年。父親はアメリカ人、母親はメキシコ人。ろくでない両親をもち不幸な環境に置かれているため、たくましくずる賢いが、純粋で善良な心ももっている。 そんなふたりの旅路にはさまざまな出来事が待ち受けていて、退屈せずたいへんおもしろい。互いに対する評価や人間関係が変化していくようすもいい。 ラストはじーんときた。……人生観に訴えてくるものがあった。 『クリント・イーストウッド<監督・主演作品>』と掲げられているので、読んでいて、どうしても映画のイメージが付きまとった。 原作は1975年に発表されており、1988年にイーストウッド主演の話がもちあがったが、当時「私は若すぎる」と辞退したとのこと。その後さまざまな名だたるスターで検討され、最終はシュワルツェネッガーだったが、いずれも頓挫したらしい。 既に90代なのでもちろん38歳の役柄をやれるはずはなく、訳者あとがきによると結末まで変更されているとのことなので、別物として鑑賞すればいいのだろう。 イーストウッドは『運び屋』では年相応の役柄でよかったが、本作では馬に乗ったり車を運転したり…(『運び屋』でも運転していたが、とうに免許返上すべき年なのだ)。 アメリカでの評価は賛否両論だったそう。先入観をもたず、観た上で判断しようと思う。 | ||||
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