エディ・フランクスの選択



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初公開日(参考)1990年03月
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長編小説

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エディ・フランクスの選択〈上〉 (角川文庫)

1990年03月01日 エディ・フランクスの選択〈上〉 (角川文庫)

ある夜、エディ・フランクスは悪夢にうなされた。競争。彼にとっては子供の頃からすべてが義兄ニッキー・スカーゴウとの競争だった。エディはリゾート開発を手掛けロンドンで敏腕のビジネス・エリートとして名をあげ、ニッキーはNYで弁護士となった。そして今、エディは初めて生涯のライバルであるニッキーの協力を得て、カリブ海のホテル開発に乗りだそうとしていた。二人は和解し、準備は順調であるかに見えた。が、競争に終止符をうつことを決意した夜、エディは、ニッキーからの狼狽しきった電話を受けた。(「BOOK」データベースより)




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No.1:
(7pt)

ため息しか出ない

競争心。
それはお互いのプライドと克己心を育て、向上心を伸ばす。しかしそれが行き過ぎると斯くも歪んだ大人になってしまうのかをこの作品は思い知らせてくれる。

イタリア系移民の家族に育てられたユダヤ人エディ・フランクスとその家族の長男ニッキー・スカーゴウ、この2人のある原初体験が物語の軸となっている。

ナチスの、執拗なユダヤ人狩りからの逃亡生活の末、アメリカに流れ着いたアイザック・フランコヴィッチの息子エドマンド・フランコヴィッチはエディ・フランクスと名を変え、エンリコ・スカーゴウに引き取られて、彼の実息のニッキーと常に競わされ、比較されながら育てられた。そのため彼にはニッキーに対して拭いきれない劣等感を抱えており、いつか彼を見返してやるというのが彼の成功の原動力となった。

これはイタリア系民族の、父親が絶大なる権威を誇る典型的な家系ゆえの慣習なのだろうが、この原初体験が逆にエディとニッキーの生活を脅かす結果になる。

幼き頃は全てに上回るニッキーが疎ましく思っていたエディはイギリスで有数の投資家として成功する。一方ニッキーはニューヨークのウォール街を舞台に仕事をする法律事務所に勤める弁護士となっていた。

しかしニッキーは成功者であるエディに負い目を感じ、それが故にエディに犯罪の片棒を担がせることになってしまう。
つまり2人を競い合わすことで相乗効果を狙った父親の教育は、2人の少年期に歪んだ劣等感を抱かせることになったのだ。

そこからはそれぞれの出自、つまり民族性がお互いの方向性を二分する。

ナチスのユダヤ人狩りで逃げ惑いながらも、イギリスで諜報活動に身を置き、敵と戦った父を見て育ったエディはマフィアとの戦いに挑む。

一方、マフィアが政府を牛耳る腐敗政治の只中で育ったイタリア人であるニッキーとエンリコはマフィアの容赦ない報復を恐れ、全てをなかったことにして穏便に済まそうとする。

ある意味、それはそれぞれの身を置く社会、国民性においてどちらも正しい選択なのだろう。迫害の歴史の中で生き延びた民族とマフィアが政治を牛耳っており、彼らが法であることが常態化している民族の軋轢がこの家族のそれに繋がっている。

さてこのエディ・フランクスと云う男、全てを自分の眼で、耳で確認しないと信じない慎重な性格であり、しかも買収した会社は全て有限非公開会社として株式を後悔せず、妻と自身の名義とする、排他的な男だ。正直最初はなんとも魅力のない男だと映っていた。

しかしマフィアに彼の会社が乗っ取られようとしたときに彼が見せた男気は物語のヒーローとして実に相応しいものだった。

勿論私はエディを応援し、どのような展開が起きるのかを愉しみにしていたが、一方で皮肉屋のフリーマントルが何とも後味の悪い結末を用意していないかと不安にもなった。

その懸念通り、エディは正義感を発揮してマフィアたちに対してあらゆる対抗手段を講じるが全てが裏目に出てしまう。
ビジネス界の雄としてヨーロッパに名を馳せている男がFBI捜査官に協力したり、会社を解散させたりとその判断は間違っていないように思えるが、訴訟の世界になるとそれらが全てエディが犯罪に関与していたことを認めて、それを隠匿しようとした行為にしか見えなくなってしまう。
道徳的観点からすればエディの選択は決して間違っていないが、法律家たちからすれば、それらが全て隙のある行為であるのだから、法律の世界は実に恐ろしい。ここにブライアン・フリーマントルならではの意地の悪い皮肉があるのだ。

しかし彼らも長年の仇敵である悪徳マフィア3人組を司法の手によって罰する事を欲していた地方検事とFBIはエディに無罪放免を餌に協力を申し出る。しかしそれは証人保護プログラム(作中では証人保護計画と書かれており、訳者あとがきでは当時このシステムを知らなかったようだ)を適用して、フランクス一家に全く別人の人生を選ぶことを条件にしたものだった。

正直この内容には無理があるように思う。
アメリカの法律に詳しくないが、エディは世界でも有数の投資家であり実業家である。たとえ有罪となったとしても罰金を払って釈放されるのではないだろうか?
またエディが巻き込まれた背景を鑑み、情状酌量の執行猶予付の判決もあり得るのではないだろうか?
この辺が実に腑に落ちない展開だった。

さらにエディ・フランクスが正義を貫くために払った犠牲は多大な物だった。

このエディ・フランクスという男の精神構造は実に不思議だ。
私ならば連続する凶事に気も狂わんばかりになるだろうが、エディはむしろ情事に耽るのだ。これは彼の強さの源が家族の支え、とりわけ妻のタイナにあったのか?
有限非公開会社として常に会社を切り回してきた彼は全て自分の判断で経営を進め、自分で問題を解決してきた。役員たちは他会社と兼務する雇われ経営者に過ぎなく、経営に対する決定権や裁権を持たない。つまりかなりのワンマンである。だからこそ彼の拠り所は家族に、妻に在ったのか。
それは幼き頃にナチスにさらわれて行方知らずになった母の温もりを知らぬがゆえに育ったエディの母性への飢えなのかもしれない。従って一緒に危難を乗り越えようと誓った妻タイナがノイローゼで自分を批判するようになる一方で、既に未亡人となって、夫を喪ったマリアの強さと包み込むような慈しみが彼の拠り所になったのだろうか。

そして物語はクライマックスの法廷への戦いに向かう。エディと地方検事、FBIのチームは積年の敵であるパスカラ、デュークス、フラミーニを司法の裁きで有罪にできるのか。

この法廷シーンは結構手に汗握る展開であり、被告側の弁護士とフランクスとの討論シーンは法廷慣れした凄腕の彼らの弁舌にたじたじとなる一方、持ち前の度胸でフランクスがやり返すところなど、エンタテインメント性も高い。
本書が書かれた1987年とは奇しくも世に法廷小説という一ジャンルを築いたスコット・トゥローの『推定無罪』が発表された年である。もしかしたらフリーマントルは同書に触発されて本書を著したのかもしれない。

さて本書の狙いとは一体何だったのだろうか?

成功した実業家がいつの間にか犯罪者によって利用され、犯罪の片棒を担がされ、しかも巧妙に主犯者となってしまう、現代社会の恐ろしさか。

それとも犯罪に巻き込まれた成功者の家庭が海千山千の強者であるマフィアと孤独な戦いの望むことで色んな物を失いながらも勝利する姿か。

もしくは個人の都合などは巨悪を滅ぼすためにその命さえも利用される歪んだ正義とそれを執行する検察とFBIの底知れぬ恐ろしさか。

恐らくはそれら全てが狙いであり、上述の3つの狙いが下に行くにしたがって包み込んでいく重層的な構造を成していることだろう。

日本人ならば2番目の狙いを物語の結末に持って来てほろ苦い美談として終える事だろう。多分ネルソン・デミルも同様の結末を採るはずだ。

しかしこれはフリーマントルによる物語。やはり一筋縄ではいかなかった。
『ディーケンの戦い』然り、『暗殺者オファレルの原則』然り、『スパイよ さらば』然り。本書もそれら一連の作品の系譜に連なるものだろう。
しかし一方で『ネーム・ドロッパー』のような快作もあるのだから、ある意味ハッピーエンドこそがフリーマントル作品の意外な結末のようになってしまったようだ。
母国イギリスでは“スパイ小説界のルース・レンデル”と呼ばれていないのだろうか。
しかしため息が出る結末だ、本当に。


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