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黒の事件簿



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    初公開日(参考)1977年08月
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    黒の事件簿―ビジネスマン・ブラック・ノート (ワンツーポケットノベルス)

    2005年03月31日 黒の事件簿―ビジネスマン・ブラック・ノート (ワンツーポケットノベルス)

    ベルビュー化粧品は、業界トップの業績を維持するために、小売店のチェーン化と手厚いディーラー・ヘルプスを行っていた。また、結束を強化するため、年二回優良店二千軒を四泊五日のデラックス旅行に招待してもいた。そのベルビューの販促課に所属する新入社員の大庭は、旅行業者からお土産として現金の入った分厚い封筒をもらい、さらにその温泉街で一番の芸妓を紹介され、一夜をともにしていた。だが、それは旅行参加者の水増しに絡んだ供応だった…。企業社会で生きる者たちの闇をシニカルに描いた傑作七編を収録。 (「BOOK」データベースより)




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    No.5:
    (5pt)

    サラリーマンとその家族、そしてOLなど会社で働く人たちの悲哀を書いた7編の短編集!

    本書は、1972年1月に講談社から初出版されたものです。副題にサラリーマン・ブラック帳と書いてあるように、サラリーマンやその家族、そしてOLたちなど、会社(企業)に勤める人たちが、その組織の中で受ける理不尽な悲哀を書いた7編の短編が収められています。森村氏のお得意な殺人事件や山岳ものの作品は、入っていません。
    「平均社員汚職連座事件」
    大庭実は、一週間の北陸関西方面の出張から、満ち足りた思いで帰って来た。業者が宿泊や航空券まで用意してくれたので、出張旅費もそっくり残っている。勿論、自分の小遣いになる。更に、厚ぼったい封筒も貰った。中身は、何であるか想像はつく。業者が開いてくれた宴会では、若い芸妓を大庭に付けてくれた。肉体のプレゼントも有った。大庭は、ベルビュー化粧品の社員である。まだ、入社して間もない。彼の配属は、販促第四課であった。主たる仕事は、チェーン店の渉外である。ベルビュー化粧品が、業界トップクラスにランクされているのは、七千二百を超える系列小売店の育成に全力を注いだからだ。販促四課は、絶えずチェーン店と接触し、本店への忠誠心を確かめ、その結束力を維持するのが役目だった。その中でも最大の仕事は、年二回、催されるチェーン店の全国大会の手配である。これは、成績優秀なトップ二千店ほどを集め、四泊五日程度のデラックス旅行に招待するものである。旅行業者は、約四千名を超える大名旅行に目を付け、受注合戦を繰り返した。季節が近づくと各業者は、プランを提出する。そして、課員たちは、自分の体を運んで下見に行く。調べ上げたものを、課内に持ち帰り検討し、その年に使う業者を決定するのだ。だから、大庭は、これほど良い思いが出来たのだ。今年の招待旅行は、大庭が下見に行った親日旅行のプランで、北陸の温泉から関西方面へ行くものに決まった。親日旅行も手慣れたもので、この四千名を超える大旅行団を、何の落ち度もなく、滞りなく終わらせた。四課員も、さすがに疲れ果てた。二日間の特別休暇をもらい、大庭は、通常業務に戻った。一週間ほどすると、経理部長から呼ばれた。部屋に入ると笠原経理部長を始め、経理担当重役の吉本専務までが、厳しい表情で待っていた。そして、言われた事は、旅行参加者の人数が百名ほど水増しされていた事と、浮いた金額が販促四課のB勘(裏金)となっていたという事だった。大庭には、全く心当たりは無い。これは、販促四課が代々続けていた事で、万一、発覚した時には、大庭の責任になるように、巧妙に仕組まれていた。良い思いをしてしまっただけに、大庭は、何一つ反論出来なかった。
    「出向エリート自殺事件」
    東西銀行は、全国銀行のなかで常にトップ四位に入る一つである。預金高においても大銀行だが、東西銀行の強みは、優秀な融資系列にあった。銀行の優劣は、貸し付け面からも測れる。その意味で東西銀行の融資系列は、抜群であった。傾きかかった会社の再建にも際立った手腕を発揮した。山岸圭一は、地方の商業高校を卒業した後、東西銀行に入社した。東西銀行の社員は、ほとんどT大学卒業生であった。高卒の山岸が“経営改善推進センター”に配属されたのも異例中の異例だった。“経営改善推進センター”は、融資先が傾きかけた時、社員が出向し経営を立て直す事に定評があり、センターが乗り出しただけで、低迷していた株価が急騰するほどの影響力を持っていた。山岸は、センターへ抜擢されたことで、会社に対し忠誠心を剥き出しにして仕事に没頭した。会社が住まいだと公言し、休日も出社する。子供が会いたいと言っても、仕事だからと言って断る。その山岸に新たな辞令がきた。それは、ここ数年で急伸長した明大電気への出向であった。白もの家電を中心に事業を増やし、設備投資も拡大したことによって経営難に陥っていた。山岸は、365日休まず膨大な資料の中から、明大電気の欠陥を見つけ出したのだ。ところが、それと同じ時に、会社から“出向要らず”の命を受ける。東西銀行としては、山岸に明大電気を立て直して貰っては困るのだった。高卒だから、再建出来ないだろうと送り込んだのだが、余りにも山岸が完璧な再建策を打ち出すものだから、出向要らずの命を出したのだ。後に、それを知った山岸は、自殺する。家庭、家族を顧みる事無く、仕事に没頭する山岸の姿は、異常だった。
    「“鉄筋家畜人”の反逆」
    ハネムーンベッドは、新興気鋭のベッド製造会社である。数原公平の積極経営によって、業界トップクラスに立ってしまった。その経営方法が、少し変わっている。数原は、社員たちに忠誠を誓わせると同時に、社員を家族のようにするのが理想だった。社員のプライバシーにも立ち入った。社内結婚は大歓迎で、自ら進んで仲人になった。社員同士を結婚させて夫婦共稼ぎを推奨した。更に、社長の媒酌によって結婚した夫婦を強制的に社宅に入れた。だが、文句を言う社員はいない。冷暖房完備の3LDKで、デラックスホテル並みの施設に、タダ同然で入れるのだから、文句を言う方がおかしい。数原は、この社宅に“紅衛寮”と名付けた。しかし、社内結婚する者ばかりではない。彼らは、この社宅に入れない。当然、紅衛寮の人間を良く思わなくなる。彼らは、紅衛寮を“鉄筋畜舎”と呼び、コンプレックスを剥き出しにした。永尾慎一は、佐和子との結婚式では、数原に媒酌をしてもらった一人である。佐和子は、永尾が入社後に配属された営業第三課のタイピストであった。当時、ハネムーンベッドのジャクリーン(故ケネディ大統領夫人)と言われるほどベストドレッサーで、彼女にアプローチする社員は、多かった。永尾も佐和子の美貌と洗練された衣装に幻惑された。たまたま、帰宅する方角が一緒だった事で何気ない会話を交わす様になった。会話は弾みだし、お互いに好意を感じるようになるのに時間はかからなかった。しばらく交際した後、永尾がプロポーズすると、佐和子も、あっさり了解した。数原に、仲人の依頼をしたのは、佐和子である。盛大な結婚披露宴会場で二人の社員が会話していた。「これで、あいつも社長に飼い殺される“家畜人”になった訳だ」と言って笑っていた。
    「あるOLの復讐」
    菊島史子は、品田雅夫と別れることにした。品田は、史子が初めて愛した男である。史子が勤めるオリエント観光は、戦後のレジャーブームを背景に急速に発展した会社である。品田は、トップセールスを記録する優秀な社員だった。だが、以前から良くない風評が有り、プレイボーイだと言われ、同僚の女子社員も注意していた。しかし、史子は、品田との交際が始まると、噂は嘘で、実に誠実な男だと思う様になる。史子の初めての大切なものまで捧げてしまった。ところが、書類を届けに行った部屋の中から、品田ともう一人の男の話声が聞こえてきた。それは、史子と品田しか知らないはずの、貴重な夜に行われた放恣の体位を、低劣な隠語を使い第三者に語っていたのだ。自分の女性遍歴に加わった新しい戦果を誇るように。その日、史子は、外出した。大した用事では無い。海外出張員のための資金を最寄りの取引銀行から引き出すだけだった。史子の心は、虚ろだった。注意力が減っていたのかもしれない。後ろから付いて来た男に、お金の入ったバックを引っ手繰られてしまった。大声で叫ぶが、男は、最初の路地に入り姿を消してしまった。史子は、呆然と立ち竦むしかない。そこへ、「菊島君、どうした?」と言う声が聞こえてきた。聞き覚えのある声だった。専務の吉川達彦が立っていた。生理的な嫌悪感を覚えて、普段は、敬遠していた。だが、絶望の淵の底から見上げると、懐かしく頼もしくも見える。嫌悪感の源となった、彼の目も、今は、優しく慈愛に満ちて見える。取られたお金は、百万円。史子に返せる金額では無い。だが、吉川の計らいで、会社事故として処理してもらう事が出来た。吉川には、妻子がいたが、以前から史子に好意の目を向けていたのは、知っている。あれほど、嫌悪していた男だったが、今では、命の恩人はオーバーだが、感謝しても、し尽せない相手になってしまった。二人だけで食事をする様になるのは、それほど時間はかからなかった。そこで、史子は、吉川を利用して品田に復讐しようと考えるのだ。品田に、無理やり初めての物を奪われたと、言うだけでよかった。品田は、北海道N地区の支店に転勤させられた。“社内の姨捨山”と呼ばれる支店である。話は、ここで終わらない。史子には、もう一人復讐しなければならない男がいたのだ。
    「“企業タコ部屋”憤死事件」
    物理科学研究事業所、通称“物研”の中央研究所第一研究室、通称“中研”の技師、黒江正之は、特別分離研究所、通称“離研”へ移動になった。それは、同事業所の総会で黒江の発言を良く思わない上層部の判断だった。“物研”は、我が国で初めての濃縮ウランの製造基礎実験に成功したところである。将来、大量に需要が見込まれる原子力発電所の濃縮ウラン燃料を自給自足出来るものとして、高く評価された。濃縮ウランは、核兵器の材料になるもので、各国ともその製造は、極秘に伏している。この実験に携わった“中研”の技師、黒江が総会で「原子力の研究は、核兵器の製造に繋がるものだから危険性がある。暫く、研究は、待つべきだ。」と言ったのだ。研究のテーマが核なだけに、職員の思想傾向には、必要以上に神経質である。必ず、左翼分子が混じり出すもので、それを、締め出すために作られたのが“離研”だった。実験に批判的な発言をした黒江は、“離研”送りとなったのだ。だが、“離研”は、職場不適応者の矯正所だったのである。八畳くらいの部屋に、テーブルとイスがあり、黒江は、毎日毎日、社則や電話帳の書き写しを命じられた。T工業大を首席で卒業し“物研”に入った黒江だから、この単調な作業は、黒江の頭脳の5%も使わせない。だけど、残りの95%の頭脳は、全く別な計画を考えだした。“物研”の創立30年記念式典に、総理大臣が来賓で来た時、その計画が実行された。
    「課長夫人売春事件」
    北村直人の会社は、新興スーパーストアとして最近、急速に伸張してきた“エーコー”である。“エーコー”の販売方式とは、セルフサービス、ディスカウント、大量販売、高速回転販売の四つである。昭和三十年頃、デパートとスーパーが、激しく競争していた。その中で、“エーコー”は、上位小売店業百社中、大手デパートを尻目に第五位に座った。北村は、努力と実績を認められ、課長に抜擢された。しかし“エーコー”では、管理職契約制度と言う奇妙な制度が実施されていた。それは、課長以上の肩書を持つ者は、一年ないし二年ごとに能力の査定を受けることだった。その査定に通らないと降格されてしまうのだ。したがって、昨日まで課長と部下だった立場でも、一日のうちに立場が逆転してしまう事もある。部下だった者に、今日からは、上司として接しなければならない。そんな屈辱には、耐えられない。降格されたら会社には、居られない。北村は、元々、大いにハッスルした結果、課長のポストを得たのだが、さらにハッスルぶりに拍車がかかった。朝も早く出社し、帰宅は、深夜になる毎日が続いた。ここで、問題になったのが、新妻の俊子である。仕事で疲れ果てた北村は、妻の欲求の挑発を受け入れられない。俊子との夜の夫婦関係は、険悪なものとなってしまった。北村が、課長になって一年ほどの頃である。警視庁保安課風紀係が内偵していた、中流家庭を狙った売春組織が摘発された。東京西部に勢力を持つ組織暴力団が新たな資金源として組織化したものだ。仕事熱心な夫に放り出され、暇を持て余している主婦を対象にした売春組織である。まず有閑妻の巣の様な、団地や商店街の勧誘員として、組員の情婦や女を予め住ませておく。そして、親しくなったところで好奇心を煽って浮気を勧める。次に、適当な小遣いを与えて抜け出せないようにし、深みへ引きずり込んでいくのだ。途中から、嫌がる者がでれば、売春の事実をタネにして脅迫するというシステムだった。北村は、昇進と同時の妻、俊子を失ってしまう。さらに、妻が売春で逮捕されてしまったので、会社にも居られなくなる。
    「モルモットの餌」
    東日化学は、プラスチック・メーカーの名門である。従来の日常生活必需品だった木材、皮革、ゴム、セメント等に代わり、あらゆる分野にプラスチックが代用される時代だった。東日が多額の投資の下に開発したメラミン樹脂化粧板“ビタル”は、日本で初めての製品で、売れ行きが好調だ。東日は、“ビタル”の製造を下請けの前田合成に行わせていた。東日は、前田に一億円の融資をして設備を拡張させ“ビタル”用の機会を大量に買わせた。そして、東日は、“ビタル”の原材料を前田に卸し、それを、前田が“ビタル”の完成品にして東日に納めるというシステムを採っていた。ところが、ここで思いもよらない事態が起きた。前田合成独自の成形材料が惨敗の成績で、この月に廻ってくる五千万円の手形が決済できなくなったのである。東日をスポンサーとした前田は、強気になって手形を切りまくったのが裏目にでた。東日は、前田が倒産しても痛くもないが、今まで投資した資金や技術が無に帰してしまう。何とか、立て直さなければいけない立場になってしまった。東京大手町にある東日化学本社の特別会議室で、専務の山岸洋三、第三製品(ビタルの事)部長、木村春雄、開発第二技術長の吉本哲司、それと経理担当の松沢を加えた四人が、これの対策のため協議していた。そのなかで経理担当の松沢が良案(?)を出した。それは、前田合成は、大信通商を通して“ビタル”を納入する仕組になっている。大信通商は、大手商社で東日化学と前田合成の間に介入して“ビタル”の取引を仲立ちしていた。前田は、“ビタル”納入と同時に大信通商から即時に代金を立て替えてもらえるので、資金繰りに苦しい中小企業には、すぐにキャッシュが入ってくるので助かっていた。また、大信通商も取引手数料を天引き出来るのだ。この事に、経理担当の松沢が目を付けた。前田が、東日に渡した納品書を大信通商に送れば、受け取った段階で大信は、キャッシュを前田に入金した。つまり、納品書だけ有れば金を払うのだ。納品書と現物の突合せをしないで、金を払うというのは乱暴な話しだ。だが、実際の商売では、いちいち出来るものでは無い。また、長年に渡る取引のため三社間に信用も有った。松沢は、架空の納品書を大信通商に送り、前田にキャッシュを入金させて、それを手形の決済に充当させようと、言うのだ。専務の山岸も、初めは同意しかねたが、それしか手段は無い。現物は、後で入れれば良いのだ。そこで問題となったのは、誰が、その架空の納品書を発行して大信に送るか?と言う事だ。勿論、この四人は、自ら手を汚すことなど考えない。納品書を発行する検収課長の浜口は、堅物で使えない。だが、浜口の下にいる、課長代理の増野は使える。功名心も旺盛で、小才もきく。少しアメをしゃぶらせれば、どうにでも動くだろう。増野弘は、課長の浜口が地方へ飛ばされ、自分が後の検収課長への昇格を受けた時は有頂天になった。異例の早さでの抜擢である。今まで会社に忠誠してきた事が認められたと思った。ところが、後になってみれば、狭い檻の中で、餌を与えられ輪の中をクルクル回るモルモットと同じ事だったと気が付かされるのだ。
    黒の事件簿―サラリーマン・ブラック帳 (1982年) (角川文庫)Amazon書評・レビュー:黒の事件簿―サラリーマン・ブラック帳 (1982年) (角川文庫)より
    B000J7O8YS
    No.4:
    (5pt)

    サラリーマンとその家族、そしてOLなど会社で働く人たちの悲哀を書いた7編の短編集!

    本書は、1972年1月に講談社から初出版されたものです。副題にサラリーマン・ブラック帳と書いてあるように、サラリーマンやその家族、そしてOLたちなど、会社(企業)に勤める人たちが、その組織の中で受ける理不尽な悲哀を書いた7編の短編が収められています。森村氏のお得意な殺人事件や山岳ものの作品は、入っていません。
    「平均社員汚職連座事件」
    大庭実は、一週間の北陸関西方面の出張から、満ち足りた思いで帰って来た。業者が宿泊や航空券まで用意してくれたので、出張旅費もそっくり残っている。勿論、自分の小遣いになる。更に、厚ぼったい封筒も貰った。中身は、何であるか想像はつく。業者が開いてくれた宴会では、若い芸妓を大庭に付けてくれた。肉体のプレゼントも有った。大庭は、ベルビュー化粧品の社員である。まだ、入社して間もない。彼の配属は、販促第四課であった。主たる仕事は、チェーン店の渉外である。ベルビュー化粧品が、業界トップクラスにランクされているのは、七千二百を超える系列小売店の育成に全力を注いだからだ。販促四課は、絶えずチェーン店と接触し、本店への忠誠心を確かめ、その結束力を維持するのが役目だった。その中でも最大の仕事は、年二回、催されるチェーン店の全国大会の手配である。これは、成績優秀なトップ二千店ほどを集め、四泊五日程度のデラックス旅行に招待するものである。旅行業者は、約四千名を超える大名旅行に目を付け、受注合戦を繰り返した。季節が近づくと各業者は、プランを提出する。そして、課員たちは、自分の体を運んで下見に行く。調べ上げたものを、課内に持ち帰り検討し、その年に使う業者を決定するのだ。だから、大庭は、これほど良い思いが出来たのだ。今年の招待旅行は、大庭が下見に行った親日旅行のプランで、北陸の温泉から関西方面へ行くものに決まった。親日旅行も手慣れたもので、この四千名を超える大旅行団を、何の落ち度もなく、滞りなく終わらせた。四課員も、さすがに疲れ果てた。二日間の特別休暇をもらい、大庭は、通常業務に戻った。一週間ほどすると、経理部長から呼ばれた。部屋に入ると笠原経理部長を始め、経理担当重役の吉本専務までが、厳しい表情で待っていた。そして、言われた事は、旅行参加者の人数が百名ほど水増しされていた事と、浮いた金額が販促四課のB勘(裏金)となっていたという事だった。大庭には、全く心当たりは無い。これは、販促四課が代々続けていた事で、万一、発覚した時には、大庭の責任になるように、巧妙に仕組まれていた。良い思いをしてしまっただけに、大庭は、何一つ反論出来なかった。
    「出向エリート自殺事件」
    東西銀行は、全国銀行のなかで常にトップ四位に入る一つである。預金高においても大銀行だが、東西銀行の強みは、優秀な融資系列にあった。銀行の優劣は、貸し付け面からも測れる。その意味で東西銀行の融資系列は、抜群であった。傾きかかった会社の再建にも際立った手腕を発揮した。山岸圭一は、地方の商業高校を卒業した後、東西銀行に入社した。東西銀行の社員は、ほとんどT大学卒業生であった。高卒の山岸が“経営改善推進センター”に配属されたのも異例中の異例だった。“経営改善推進センター”は、融資先が傾きかけた時、社員が出向し経営を立て直す事に定評があり、センターが乗り出しただけで、低迷していた株価が急騰するほどの影響力を持っていた。山岸は、センターへ抜擢されたことで、会社に対し忠誠心を剥き出しにして仕事に没頭した。会社が住まいだと公言し、休日も出社する。子供が会いたいと言っても、仕事だからと言って断る。その山岸に新たな辞令がきた。それは、ここ数年で急伸長した明大電気への出向であった。白もの家電を中心に事業を増やし、設備投資も拡大したことによって経営難に陥っていた。山岸は、365日休まず膨大な資料の中から、明大電気の欠陥を見つけ出したのだ。ところが、それと同じ時に、会社から“出向要らず”の命を受ける。東西銀行としては、山岸に明大電気を立て直して貰っては困るのだった。高卒だから、再建出来ないだろうと送り込んだのだが、余りにも山岸が完璧な再建策を打ち出すものだから、出向要らずの命を出したのだ。後に、それを知った山岸は、自殺する。家庭、家族を顧みる事無く、仕事に没頭する山岸の姿は、異常だった。
    「“鉄筋家畜人”の反逆」
    ハネムーンベッドは、新興気鋭のベッド製造会社である。数原公平の積極経営によって、業界トップクラスに立ってしまった。その経営方法が、少し変わっている。数原は、社員たちに忠誠を誓わせると同時に、社員を家族のようにするのが理想だった。社員のプライバシーにも立ち入った。社内結婚は大歓迎で、自ら進んで仲人になった。社員同士を結婚させて夫婦共稼ぎを推奨した。更に、社長の媒酌によって結婚した夫婦を強制的に社宅に入れた。だが、文句を言う社員はいない。冷暖房完備の3LDKで、デラックスホテル並みの施設に、タダ同然で入れるのだから、文句を言う方がおかしい。数原は、この社宅に“紅衛寮”と名付けた。しかし、社内結婚する者ばかりではない。彼らは、この社宅に入れない。当然、紅衛寮の人間を良く思わなくなる。彼らは、紅衛寮を“鉄筋畜舎”と呼び、コンプレックスを剥き出しにした。永尾慎一は、佐和子との結婚式では、数原に媒酌をしてもらった一人である。佐和子は、永尾が入社後に配属された営業第三課のタイピストであった。当時、ハネムーンベッドのジャクリーン(故ケネディ大統領夫人)と言われるほどベストドレッサーで、彼女にアプローチする社員は、多かった。永尾も佐和子の美貌と洗練された衣装に幻惑された。たまたま、帰宅する方角が一緒だった事で何気ない会話を交わす様になった。会話は弾みだし、お互いに好意を感じるようになるのに時間はかからなかった。しばらく交際した後、永尾がプロポーズすると、佐和子も、あっさり了解した。数原に、仲人の依頼をしたのは、佐和子である。盛大な結婚披露宴会場で二人の社員が会話していた。「これで、あいつも社長に飼い殺される“家畜人”になった訳だ」と言って笑っていた。
    「あるOLの復讐」
    菊島史子は、品田雅夫と別れることにした。品田は、史子が初めて愛した男である。史子が勤めるオリエント観光は、戦後のレジャーブームを背景に急速に発展した会社である。品田は、トップセールスを記録する優秀な社員だった。だが、以前から良くない風評が有り、プレイボーイだと言われ、同僚の女子社員も注意していた。しかし、史子は、品田との交際が始まると、噂は嘘で、実に誠実な男だと思う様になる。史子の初めての大切なものまで捧げてしまった。ところが、書類を届けに行った部屋の中から、品田ともう一人の男の話声が聞こえてきた。それは、史子と品田しか知らないはずの、貴重な夜に行われた放恣の体位を、低劣な隠語を使い第三者に語っていたのだ。自分の女性遍歴に加わった新しい戦果を誇るように。その日、史子は、外出した。大した用事では無い。海外出張員のための資金を最寄りの取引銀行から引き出すだけだった。史子の心は、虚ろだった。注意力が減っていたのかもしれない。後ろから付いて来た男に、お金の入ったバックを引っ手繰られてしまった。大声で叫ぶが、男は、最初の路地に入り姿を消してしまった。史子は、呆然と立ち竦むしかない。そこへ、「菊島君、どうした?」と言う声が聞こえてきた。聞き覚えのある声だった。専務の吉川達彦が立っていた。生理的な嫌悪感を覚えて、普段は、敬遠していた。だが、絶望の淵の底から見上げると、懐かしく頼もしくも見える。嫌悪感の源となった、彼の目も、今は、優しく慈愛に満ちて見える。取られたお金は、百万円。史子に返せる金額では無い。だが、吉川の計らいで、会社事故として処理してもらう事が出来た。吉川には、妻子がいたが、以前から史子に好意の目を向けていたのは、知っている。あれほど、嫌悪していた男だったが、今では、命の恩人はオーバーだが、感謝しても、し尽せない相手になってしまった。二人だけで食事をする様になるのは、それほど時間はかからなかった。そこで、史子は、吉川を利用して品田に復讐しようと考えるのだ。品田に、無理やり初めての物を奪われたと、言うだけでよかった。品田は、北海道N地区の支店に転勤させられた。“社内の姨捨山”と呼ばれる支店である。話は、ここで終わらない。史子には、もう一人復讐しなければならない男がいたのだ。
    「“企業タコ部屋”憤死事件」
    物理科学研究事業所、通称“物研”の中央研究所第一研究室、通称“中研”の技師、黒江正之は、特別分離研究所、通称“離研”へ移動になった。それは、同事業所の総会で黒江の発言を良く思わない上層部の判断だった。“物研”は、我が国で初めての濃縮ウランの製造基礎実験に成功したところである。将来、大量に需要が見込まれる原子力発電所の濃縮ウラン燃料を自給自足出来るものとして、高く評価された。濃縮ウランは、核兵器の材料になるもので、各国ともその製造は、極秘に伏している。この実験に携わった“中研”の技師、黒江が総会で「原子力の研究は、核兵器の製造に繋がるものだから危険性がある。暫く、研究は、待つべきだ。」と言ったのだ。研究のテーマが核なだけに、職員の思想傾向には、必要以上に神経質である。必ず、左翼分子が混じり出すもので、それを、締め出すために作られたのが“離研”だった。実験に批判的な発言をした黒江は、“離研”送りとなったのだ。だが、“離研”は、職場不適応者の矯正所だったのである。八畳くらいの部屋に、テーブルとイスがあり、黒江は、毎日毎日、社則や電話帳の書き写しを命じられた。T工業大を首席で卒業し“物研”に入った黒江だから、この単調な作業は、黒江の頭脳の5%も使わせない。だけど、残りの95%の頭脳は、全く別な計画を考えだした。“物研”の創立30年記念式典に、総理大臣が来賓で来た時、その計画が実行された。
    「課長夫人売春事件」
    北村直人の会社は、新興スーパーストアとして最近、急速に伸張してきた“エーコー”である。“エーコー”の販売方式とは、セルフサービス、ディスカウント、大量販売、高速回転販売の四つである。昭和三十年頃、デパートとスーパーが、激しく競争していた。その中で、“エーコー”は、上位小売店業百社中、大手デパートを尻目に第五位に座った。北村は、努力と実績を認められ、課長に抜擢された。しかし“エーコー”では、管理職契約制度と言う奇妙な制度が実施されていた。それは、課長以上の肩書を持つ者は、一年ないし二年ごとに能力の査定を受けることだった。その査定に通らないと降格されてしまうのだ。したがって、昨日まで課長と部下だった立場でも、一日のうちに立場が逆転してしまう事もある。部下だった者に、今日からは、上司として接しなければならない。そんな屈辱には、耐えられない。降格されたら会社には、居られない。北村は、元々、大いにハッスルした結果、課長のポストを得たのだが、さらにハッスルぶりに拍車がかかった。朝も早く出社し、帰宅は、深夜になる毎日が続いた。ここで、問題になったのが、新妻の俊子である。仕事で疲れ果てた北村は、妻の欲求の挑発を受け入れられない。俊子との夜の夫婦関係は、険悪なものとなってしまった。北村が、課長になって一年ほどの頃である。警視庁保安課風紀係が内偵していた、中流家庭を狙った売春組織が摘発された。東京西部に勢力を持つ組織暴力団が新たな資金源として組織化したものだ。仕事熱心な夫に放り出され、暇を持て余している主婦を対象にした売春組織である。まず有閑妻の巣の様な、団地や商店街の勧誘員として、組員の情婦や女を予め住ませておく。そして、親しくなったところで好奇心を煽って浮気を勧める。次に、適当な小遣いを与えて抜け出せないようにし、深みへ引きずり込んでいくのだ。途中から、嫌がる者がでれば、売春の事実をタネにして脅迫するというシステムだった。北村は、昇進と同時の妻、俊子を失ってしまう。さらに、妻が売春で逮捕されてしまったので、会社にも居られなくなる。
    「モルモットの餌」
    東日化学は、プラスチック・メーカーの名門である。従来の日常生活必需品だった木材、皮革、ゴム、セメント等に代わり、あらゆる分野にプラスチックが代用される時代だった。東日が多額の投資の下に開発したメラミン樹脂化粧板“ビタル”は、日本で初めての製品で、売れ行きが好調だ。東日は、“ビタル”の製造を下請けの前田合成に行わせていた。東日は、前田に一億円の融資をして設備を拡張させ“ビタル”用の機会を大量に買わせた。そして、東日は、“ビタル”の原材料を前田に卸し、それを、前田が“ビタル”の完成品にして東日に納めるというシステムを採っていた。ところが、ここで思いもよらない事態が起きた。前田合成独自の成形材料が惨敗の成績で、この月に廻ってくる五千万円の手形が決済できなくなったのである。東日をスポンサーとした前田は、強気になって手形を切りまくったのが裏目にでた。東日は、前田が倒産しても痛くもないが、今まで投資した資金や技術が無に帰してしまう。何とか、立て直さなければいけない立場になってしまった。東京大手町にある東日化学本社の特別会議室で、専務の山岸洋三、第三製品(ビタルの事)部長、木村春雄、開発第二技術長の吉本哲司、それと経理担当の松沢を加えた四人が、これの対策のため協議していた。そのなかで経理担当の松沢が良案(?)を出した。それは、前田合成は、大信通商を通して“ビタル”を納入する仕組になっている。大信通商は、大手商社で東日化学と前田合成の間に介入して“ビタル”の取引を仲立ちしていた。前田は、“ビタル”納入と同時に大信通商から即時に代金を立て替えてもらえるので、資金繰りに苦しい中小企業には、すぐにキャッシュが入ってくるので助かっていた。また、大信通商も取引手数料を天引き出来るのだ。この事に、経理担当の松沢が目を付けた。前田が、東日に渡した納品書を大信通商に送れば、受け取った段階で大信は、キャッシュを前田に入金した。つまり、納品書だけ有れば金を払うのだ。納品書と現物の突合せをしないで、金を払うというのは乱暴な話しだ。だが、実際の商売では、いちいち出来るものでは無い。また、長年に渡る取引のため三社間に信用も有った。松沢は、架空の納品書を大信通商に送り、前田にキャッシュを入金させて、それを手形の決済に充当させようと、言うのだ。専務の山岸も、初めは同意しかねたが、それしか手段は無い。現物は、後で入れれば良いのだ。そこで問題となったのは、誰が、その架空の納品書を発行して大信に送るか?と言う事だ。勿論、この四人は、自ら手を汚すことなど考えない。納品書を発行する検収課長の浜口は、堅物で使えない。だが、浜口の下にいる、課長代理の増野は使える。功名心も旺盛で、小才もきく。少しアメをしゃぶらせれば、どうにでも動くだろう。増野弘は、課長の浜口が地方へ飛ばされ、自分が後の検収課長への昇格を受けた時は有頂天になった。異例の早さでの抜擢である。今まで会社に忠誠してきた事が認められたと思った。ところが、後になってみれば、狭い檻の中で、餌を与えられ輪の中をクルクル回るモルモットと同じ事だったと気が付かされるのだ。
    黒の事件簿―ビジネスマン・ブラック・ノート (ワンツーポケットノベルス)Amazon書評・レビュー:黒の事件簿―ビジネスマン・ブラック・ノート (ワンツーポケットノベルス)より
    4901579932
    No.3:
    (5pt)

    サラリーマンとその家族、そしてOLなど会社で働く人たちの悲哀を書いた7編の短編集!

    本書は、1972年1月に講談社から初出版されたものです。副題にサラリーマン・ブラック帳と書いてあるように、サラリーマンやその家族、そしてOLたちなど、会社(企業)に勤める人たちが、その組織の中で受ける理不尽な悲哀を書いた7編の短編が収められています。森村氏のお得意な殺人事件や山岳ものの作品は、入っていません。
    「平均社員汚職連座事件」
    大庭実は、一週間の北陸関西方面の出張から、満ち足りた思いで帰って来た。業者が宿泊や航空券まで用意してくれたので、出張旅費もそっくり残っている。勿論、自分の小遣いになる。更に、厚ぼったい封筒も貰った。中身は、何であるか想像はつく。業者が開いてくれた宴会では、若い芸妓を大庭に付けてくれた。肉体のプレゼントも有った。大庭は、ベルビュー化粧品の社員である。まだ、入社して間もない。彼の配属は、販促第四課であった。主たる仕事は、チェーン店の渉外である。ベルビュー化粧品が、業界トップクラスにランクされているのは、七千二百を超える系列小売店の育成に全力を注いだからだ。販促四課は、絶えずチェーン店と接触し、本店への忠誠心を確かめ、その結束力を維持するのが役目だった。その中でも最大の仕事は、年二回、催されるチェーン店の全国大会の手配である。これは、成績優秀なトップ二千店ほどを集め、四泊五日程度のデラックス旅行に招待するものである。旅行業者は、約四千名を超える大名旅行に目を付け、受注合戦を繰り返した。季節が近づくと各業者は、プランを提出する。そして、課員たちは、自分の体を運んで下見に行く。調べ上げたものを、課内に持ち帰り検討し、その年に使う業者を決定するのだ。だから、大庭は、これほど良い思いが出来たのだ。今年の招待旅行は、大庭が下見に行った親日旅行のプランで、北陸の温泉から関西方面へ行くものに決まった。親日旅行も手慣れたもので、この四千名を超える大旅行団を、何の落ち度もなく、滞りなく終わらせた。四課員も、さすがに疲れ果てた。二日間の特別休暇をもらい、大庭は、通常業務に戻った。一週間ほどすると、経理部長から呼ばれた。部屋に入ると笠原経理部長を始め、経理担当重役の吉本専務までが、厳しい表情で待っていた。そして、言われた事は、旅行参加者の人数が百名ほど水増しされていた事と、浮いた金額が販促四課のB勘(裏金)となっていたという事だった。大庭には、全く心当たりは無い。これは、販促四課が代々続けていた事で、万一、発覚した時には、大庭の責任になるように、巧妙に仕組まれていた。良い思いをしてしまっただけに、大庭は、何一つ反論出来なかった。
    「出向エリート自殺事件」
    東西銀行は、全国銀行のなかで常にトップ四位に入る一つである。預金高においても大銀行だが、東西銀行の強みは、優秀な融資系列にあった。銀行の優劣は、貸し付け面からも測れる。その意味で東西銀行の融資系列は、抜群であった。傾きかかった会社の再建にも際立った手腕を発揮した。山岸圭一は、地方の商業高校を卒業した後、東西銀行に入社した。東西銀行の社員は、ほとんどT大学卒業生であった。高卒の山岸が“経営改善推進センター”に配属されたのも異例中の異例だった。“経営改善推進センター”は、融資先が傾きかけた時、社員が出向し経営を立て直す事に定評があり、センターが乗り出しただけで、低迷していた株価が急騰するほどの影響力を持っていた。山岸は、センターへ抜擢されたことで、会社に対し忠誠心を剥き出しにして仕事に没頭した。会社が住まいだと公言し、休日も出社する。子供が会いたいと言っても、仕事だからと言って断る。その山岸に新たな辞令がきた。それは、ここ数年で急伸長した明大電気への出向であった。白もの家電を中心に事業を増やし、設備投資も拡大したことによって経営難に陥っていた。山岸は、365日休まず膨大な資料の中から、明大電気の欠陥を見つけ出したのだ。ところが、それと同じ時に、会社から“出向要らず”の命を受ける。東西銀行としては、山岸に明大電気を立て直して貰っては困るのだった。高卒だから、再建出来ないだろうと送り込んだのだが、余りにも山岸が完璧な再建策を打ち出すものだから、出向要らずの命を出したのだ。後に、それを知った山岸は、自殺する。家庭、家族を顧みる事無く、仕事に没頭する山岸の姿は、異常だった。
    「“鉄筋家畜人”の反逆」
    ハネムーンベッドは、新興気鋭のベッド製造会社である。数原公平の積極経営によって、業界トップクラスに立ってしまった。その経営方法が、少し変わっている。数原は、社員たちに忠誠を誓わせると同時に、社員を家族のようにするのが理想だった。社員のプライバシーにも立ち入った。社内結婚は大歓迎で、自ら進んで仲人になった。社員同士を結婚させて夫婦共稼ぎを推奨した。更に、社長の媒酌によって結婚した夫婦を強制的に社宅に入れた。だが、文句を言う社員はいない。冷暖房完備の3LDKで、デラックスホテル並みの施設に、タダ同然で入れるのだから、文句を言う方がおかしい。数原は、この社宅に“紅衛寮”と名付けた。しかし、社内結婚する者ばかりではない。彼らは、この社宅に入れない。当然、紅衛寮の人間を良く思わなくなる。彼らは、紅衛寮を“鉄筋畜舎”と呼び、コンプレックスを剥き出しにした。永尾慎一は、佐和子との結婚式では、数原に媒酌をしてもらった一人である。佐和子は、永尾が入社後に配属された営業第三課のタイピストであった。当時、ハネムーンベッドのジャクリーン(故ケネディ大統領夫人)と言われるほどベストドレッサーで、彼女にアプローチする社員は、多かった。永尾も佐和子の美貌と洗練された衣装に幻惑された。たまたま、帰宅する方角が一緒だった事で何気ない会話を交わす様になった。会話は弾みだし、お互いに好意を感じるようになるのに時間はかからなかった。しばらく交際した後、永尾がプロポーズすると、佐和子も、あっさり了解した。数原に、仲人の依頼をしたのは、佐和子である。盛大な結婚披露宴会場で二人の社員が会話していた。「これで、あいつも社長に飼い殺される“家畜人”になった訳だ」と言って笑っていた。
    「あるOLの復讐」
    菊島史子は、品田雅夫と別れることにした。品田は、史子が初めて愛した男である。史子が勤めるオリエント観光は、戦後のレジャーブームを背景に急速に発展した会社である。品田は、トップセールスを記録する優秀な社員だった。だが、以前から良くない風評が有り、プレイボーイだと言われ、同僚の女子社員も注意していた。しかし、史子は、品田との交際が始まると、噂は嘘で、実に誠実な男だと思う様になる。史子の初めての大切なものまで捧げてしまった。ところが、書類を届けに行った部屋の中から、品田ともう一人の男の話声が聞こえてきた。それは、史子と品田しか知らないはずの、貴重な夜に行われた放恣の体位を、低劣な隠語を使い第三者に語っていたのだ。自分の女性遍歴に加わった新しい戦果を誇るように。その日、史子は、外出した。大した用事では無い。海外出張員のための資金を最寄りの取引銀行から引き出すだけだった。史子の心は、虚ろだった。注意力が減っていたのかもしれない。後ろから付いて来た男に、お金の入ったバックを引っ手繰られてしまった。大声で叫ぶが、男は、最初の路地に入り姿を消してしまった。史子は、呆然と立ち竦むしかない。そこへ、「菊島君、どうした?」と言う声が聞こえてきた。聞き覚えのある声だった。専務の吉川達彦が立っていた。生理的な嫌悪感を覚えて、普段は、敬遠していた。だが、絶望の淵の底から見上げると、懐かしく頼もしくも見える。嫌悪感の源となった、彼の目も、今は、優しく慈愛に満ちて見える。取られたお金は、百万円。史子に返せる金額では無い。だが、吉川の計らいで、会社事故として処理してもらう事が出来た。吉川には、妻子がいたが、以前から史子に好意の目を向けていたのは、知っている。あれほど、嫌悪していた男だったが、今では、命の恩人はオーバーだが、感謝しても、し尽せない相手になってしまった。二人だけで食事をする様になるのは、それほど時間はかからなかった。そこで、史子は、吉川を利用して品田に復讐しようと考えるのだ。品田に、無理やり初めての物を奪われたと、言うだけでよかった。品田は、北海道N地区の支店に転勤させられた。“社内の姨捨山”と呼ばれる支店である。話は、ここで終わらない。史子には、もう一人復讐しなければならない男がいたのだ。
    「“企業タコ部屋”憤死事件」
    物理科学研究事業所、通称“物研”の中央研究所第一研究室、通称“中研”の技師、黒江正之は、特別分離研究所、通称“離研”へ移動になった。それは、同事業所の総会で黒江の発言を良く思わない上層部の判断だった。“物研”は、我が国で初めての濃縮ウランの製造基礎実験に成功したところである。将来、大量に需要が見込まれる原子力発電所の濃縮ウラン燃料を自給自足出来るものとして、高く評価された。濃縮ウランは、核兵器の材料になるもので、各国ともその製造は、極秘に伏している。この実験に携わった“中研”の技師、黒江が総会で「原子力の研究は、核兵器の製造に繋がるものだから危険性がある。暫く、研究は、待つべきだ。」と言ったのだ。研究のテーマが核なだけに、職員の思想傾向には、必要以上に神経質である。必ず、左翼分子が混じり出すもので、それを、締め出すために作られたのが“離研”だった。実験に批判的な発言をした黒江は、“離研”送りとなったのだ。だが、“離研”は、職場不適応者の矯正所だったのである。八畳くらいの部屋に、テーブルとイスがあり、黒江は、毎日毎日、社則や電話帳の書き写しを命じられた。T工業大を首席で卒業し“物研”に入った黒江だから、この単調な作業は、黒江の頭脳の5%も使わせない。だけど、残りの95%の頭脳は、全く別な計画を考えだした。“物研”の創立30年記念式典に、総理大臣が来賓で来た時、その計画が実行された。
    「課長夫人売春事件」
    北村直人の会社は、新興スーパーストアとして最近、急速に伸張してきた“エーコー”である。“エーコー”の販売方式とは、セルフサービス、ディスカウント、大量販売、高速回転販売の四つである。昭和三十年頃、デパートとスーパーが、激しく競争していた。その中で、“エーコー”は、上位小売店業百社中、大手デパートを尻目に第五位に座った。北村は、努力と実績を認められ、課長に抜擢された。しかし“エーコー”では、管理職契約制度と言う奇妙な制度が実施されていた。それは、課長以上の肩書を持つ者は、一年ないし二年ごとに能力の査定を受けることだった。その査定に通らないと降格されてしまうのだ。したがって、昨日まで課長と部下だった立場でも、一日のうちに立場が逆転してしまう事もある。部下だった者に、今日からは、上司として接しなければならない。そんな屈辱には、耐えられない。降格されたら会社には、居られない。北村は、元々、大いにハッスルした結果、課長のポストを得たのだが、さらにハッスルぶりに拍車がかかった。朝も早く出社し、帰宅は、深夜になる毎日が続いた。ここで、問題になったのが、新妻の俊子である。仕事で疲れ果てた北村は、妻の欲求の挑発を受け入れられない。俊子との夜の夫婦関係は、険悪なものとなってしまった。北村が、課長になって一年ほどの頃である。警視庁保安課風紀係が内偵していた、中流家庭を狙った売春組織が摘発された。東京西部に勢力を持つ組織暴力団が新たな資金源として組織化したものだ。仕事熱心な夫に放り出され、暇を持て余している主婦を対象にした売春組織である。まず有閑妻の巣の様な、団地や商店街の勧誘員として、組員の情婦や女を予め住ませておく。そして、親しくなったところで好奇心を煽って浮気を勧める。次に、適当な小遣いを与えて抜け出せないようにし、深みへ引きずり込んでいくのだ。途中から、嫌がる者がでれば、売春の事実をタネにして脅迫するというシステムだった。北村は、昇進と同時の妻、俊子を失ってしまう。さらに、妻が売春で逮捕されてしまったので、会社にも居られなくなる。
    「モルモットの餌」
    東日化学は、プラスチック・メーカーの名門である。従来の日常生活必需品だった木材、皮革、ゴム、セメント等に代わり、あらゆる分野にプラスチックが代用される時代だった。東日が多額の投資の下に開発したメラミン樹脂化粧板“ビタル”は、日本で初めての製品で、売れ行きが好調だ。東日は、“ビタル”の製造を下請けの前田合成に行わせていた。東日は、前田に一億円の融資をして設備を拡張させ“ビタル”用の機会を大量に買わせた。そして、東日は、“ビタル”の原材料を前田に卸し、それを、前田が“ビタル”の完成品にして東日に納めるというシステムを採っていた。ところが、ここで思いもよらない事態が起きた。前田合成独自の成形材料が惨敗の成績で、この月に廻ってくる五千万円の手形が決済できなくなったのである。東日をスポンサーとした前田は、強気になって手形を切りまくったのが裏目にでた。東日は、前田が倒産しても痛くもないが、今まで投資した資金や技術が無に帰してしまう。何とか、立て直さなければいけない立場になってしまった。東京大手町にある東日化学本社の特別会議室で、専務の山岸洋三、第三製品(ビタルの事)部長、木村春雄、開発第二技術長の吉本哲司、それと経理担当の松沢を加えた四人が、これの対策のため協議していた。そのなかで経理担当の松沢が良案(?)を出した。それは、前田合成は、大信通商を通して“ビタル”を納入する仕組になっている。大信通商は、大手商社で東日化学と前田合成の間に介入して“ビタル”の取引を仲立ちしていた。前田は、“ビタル”納入と同時に大信通商から即時に代金を立て替えてもらえるので、資金繰りに苦しい中小企業には、すぐにキャッシュが入ってくるので助かっていた。また、大信通商も取引手数料を天引き出来るのだ。この事に、経理担当の松沢が目を付けた。前田が、東日に渡した納品書を大信通商に送れば、受け取った段階で大信は、キャッシュを前田に入金した。つまり、納品書だけ有れば金を払うのだ。納品書と現物の突合せをしないで、金を払うというのは乱暴な話しだ。だが、実際の商売では、いちいち出来るものでは無い。また、長年に渡る取引のため三社間に信用も有った。松沢は、架空の納品書を大信通商に送り、前田にキャッシュを入金させて、それを手形の決済に充当させようと、言うのだ。専務の山岸も、初めは同意しかねたが、それしか手段は無い。現物は、後で入れれば良いのだ。そこで問題となったのは、誰が、その架空の納品書を発行して大信に送るか?と言う事だ。勿論、この四人は、自ら手を汚すことなど考えない。納品書を発行する検収課長の浜口は、堅物で使えない。だが、浜口の下にいる、課長代理の増野は使える。功名心も旺盛で、小才もきく。少しアメをしゃぶらせれば、どうにでも動くだろう。増野弘は、課長の浜口が地方へ飛ばされ、自分が後の検収課長への昇格を受けた時は有頂天になった。異例の早さでの抜擢である。今まで会社に忠誠してきた事が認められたと思った。ところが、後になってみれば、狭い檻の中で、餌を与えられ輪の中をクルクル回るモルモットと同じ事だったと気が付かされるのだ。
    黒の事件簿―サラリーマン・ブラック帳 (角川文庫 緑 365-61)Amazon書評・レビュー:黒の事件簿―サラリーマン・ブラック帳 (角川文庫 緑 365-61)より
    4041365619
    No.2:
    (5pt)

    サラリーマンとその家族、そしてOLなど会社で働く人たちの悲哀を書いた7編の短編集!

    本書は、1972年1月に講談社から初出版されたものです。副題にサラリーマン・ブラック帳と書いてあるように、サラリーマンやその家族、そしてOLたちなど、会社(企業)に勤める人たちが、その組織の中で受ける理不尽な悲哀を書いた7編の短編が収められています。森村氏のお得意な殺人事件や山岳ものの作品は、入っていません。
    「平均社員汚職連座事件」
    大庭実は、一週間の北陸関西方面の出張から、満ち足りた思いで帰って来た。業者が宿泊や航空券まで用意してくれたので、出張旅費もそっくり残っている。勿論、自分の小遣いになる。更に、厚ぼったい封筒も貰った。中身は、何であるか想像はつく。業者が開いてくれた宴会では、若い芸妓を大庭に付けてくれた。肉体のプレゼントも有った。大庭は、ベルビュー化粧品の社員である。まだ、入社して間もない。彼の配属は、販促第四課であった。主たる仕事は、チェーン店の渉外である。ベルビュー化粧品が、業界トップクラスにランクされているのは、七千二百を超える系列小売店の育成に全力を注いだからだ。販促四課は、絶えずチェーン店と接触し、本店への忠誠心を確かめ、その結束力を維持するのが役目だった。その中でも最大の仕事は、年二回、催されるチェーン店の全国大会の手配である。これは、成績優秀なトップ二千店ほどを集め、四泊五日程度のデラックス旅行に招待するものである。旅行業者は、約四千名を超える大名旅行に目を付け、受注合戦を繰り返した。季節が近づくと各業者は、プランを提出する。そして、課員たちは、自分の体を運んで下見に行く。調べ上げたものを、課内に持ち帰り検討し、その年に使う業者を決定するのだ。だから、大庭は、これほど良い思いが出来たのだ。今年の招待旅行は、大庭が下見に行った親日旅行のプランで、北陸の温泉から関西方面へ行くものに決まった。親日旅行も手慣れたもので、この四千名を超える大旅行団を、何の落ち度もなく、滞りなく終わらせた。四課員も、さすがに疲れ果てた。二日間の特別休暇をもらい、大庭は、通常業務に戻った。一週間ほどすると、経理部長から呼ばれた。部屋に入ると笠原経理部長を始め、経理担当重役の吉本専務までが、厳しい表情で待っていた。そして、言われた事は、旅行参加者の人数が百名ほど水増しされていた事と、浮いた金額が販促四課のB勘(裏金)となっていたという事だった。大庭には、全く心当たりは無い。これは、販促四課が代々続けていた事で、万一、発覚した時には、大庭の責任になるように、巧妙に仕組まれていた。良い思いをしてしまっただけに、大庭は、何一つ反論出来なかった。
    「出向エリート自殺事件」
    東西銀行は、全国銀行のなかで常にトップ四位に入る一つである。預金高においても大銀行だが、東西銀行の強みは、優秀な融資系列にあった。銀行の優劣は、貸し付け面からも測れる。その意味で東西銀行の融資系列は、抜群であった。傾きかかった会社の再建にも際立った手腕を発揮した。山岸圭一は、地方の商業高校を卒業した後、東西銀行に入社した。東西銀行の社員は、ほとんどT大学卒業生であった。高卒の山岸が“経営改善推進センター”に配属されたのも異例中の異例だった。“経営改善推進センター”は、融資先が傾きかけた時、社員が出向し経営を立て直す事に定評があり、センターが乗り出しただけで、低迷していた株価が急騰するほどの影響力を持っていた。山岸は、センターへ抜擢されたことで、会社に対し忠誠心を剥き出しにして仕事に没頭した。会社が住まいだと公言し、休日も出社する。子供が会いたいと言っても、仕事だからと言って断る。その山岸に新たな辞令がきた。それは、ここ数年で急伸長した明大電気への出向であった。白もの家電を中心に事業を増やし、設備投資も拡大したことによって経営難に陥っていた。山岸は、365日休まず膨大な資料の中から、明大電気の欠陥を見つけ出したのだ。ところが、それと同じ時に、会社から“出向要らず”の命を受ける。東西銀行としては、山岸に明大電気を立て直して貰っては困るのだった。高卒だから、再建出来ないだろうと送り込んだのだが、余りにも山岸が完璧な再建策を打ち出すものだから、出向要らずの命を出したのだ。後に、それを知った山岸は、自殺する。家庭、家族を顧みる事無く、仕事に没頭する山岸の姿は、異常だった。
    「“鉄筋家畜人”の反逆」
    ハネムーンベッドは、新興気鋭のベッド製造会社である。数原公平の積極経営によって、業界トップクラスに立ってしまった。その経営方法が、少し変わっている。数原は、社員たちに忠誠を誓わせると同時に、社員を家族のようにするのが理想だった。社員のプライバシーにも立ち入った。社内結婚は大歓迎で、自ら進んで仲人になった。社員同士を結婚させて夫婦共稼ぎを推奨した。更に、社長の媒酌によって結婚した夫婦を強制的に社宅に入れた。だが、文句を言う社員はいない。冷暖房完備の3LDKで、デラックスホテル並みの施設に、タダ同然で入れるのだから、文句を言う方がおかしい。数原は、この社宅に“紅衛寮”と名付けた。しかし、社内結婚する者ばかりではない。彼らは、この社宅に入れない。当然、紅衛寮の人間を良く思わなくなる。彼らは、紅衛寮を“鉄筋畜舎”と呼び、コンプレックスを剥き出しにした。永尾慎一は、佐和子との結婚式では、数原に媒酌をしてもらった一人である。佐和子は、永尾が入社後に配属された営業第三課のタイピストであった。当時、ハネムーンベッドのジャクリーン(故ケネディ大統領夫人)と言われるほどベストドレッサーで、彼女にアプローチする社員は、多かった。永尾も佐和子の美貌と洗練された衣装に幻惑された。たまたま、帰宅する方角が一緒だった事で何気ない会話を交わす様になった。会話は弾みだし、お互いに好意を感じるようになるのに時間はかからなかった。しばらく交際した後、永尾がプロポーズすると、佐和子も、あっさり了解した。数原に、仲人の依頼をしたのは、佐和子である。盛大な結婚披露宴会場で二人の社員が会話していた。「これで、あいつも社長に飼い殺される“家畜人”になった訳だ」と言って笑っていた。
    「あるOLの復讐」
    菊島史子は、品田雅夫と別れることにした。品田は、史子が初めて愛した男である。史子が勤めるオリエント観光は、戦後のレジャーブームを背景に急速に発展した会社である。品田は、トップセールスを記録する優秀な社員だった。だが、以前から良くない風評が有り、プレイボーイだと言われ、同僚の女子社員も注意していた。しかし、史子は、品田との交際が始まると、噂は嘘で、実に誠実な男だと思う様になる。史子の初めての大切なものまで捧げてしまった。ところが、書類を届けに行った部屋の中から、品田ともう一人の男の話声が聞こえてきた。それは、史子と品田しか知らないはずの、貴重な夜に行われた放恣の体位を、低劣な隠語を使い第三者に語っていたのだ。自分の女性遍歴に加わった新しい戦果を誇るように。その日、史子は、外出した。大した用事では無い。海外出張員のための資金を最寄りの取引銀行から引き出すだけだった。史子の心は、虚ろだった。注意力が減っていたのかもしれない。後ろから付いて来た男に、お金の入ったバックを引っ手繰られてしまった。大声で叫ぶが、男は、最初の路地に入り姿を消してしまった。史子は、呆然と立ち竦むしかない。そこへ、「菊島君、どうした?」と言う声が聞こえてきた。聞き覚えのある声だった。専務の吉川達彦が立っていた。生理的な嫌悪感を覚えて、普段は、敬遠していた。だが、絶望の淵の底から見上げると、懐かしく頼もしくも見える。嫌悪感の源となった、彼の目も、今は、優しく慈愛に満ちて見える。取られたお金は、百万円。史子に返せる金額では無い。だが、吉川の計らいで、会社事故として処理してもらう事が出来た。吉川には、妻子がいたが、以前から史子に好意の目を向けていたのは、知っている。あれほど、嫌悪していた男だったが、今では、命の恩人はオーバーだが、感謝しても、し尽せない相手になってしまった。二人だけで食事をする様になるのは、それほど時間はかからなかった。そこで、史子は、吉川を利用して品田に復讐しようと考えるのだ。品田に、無理やり初めての物を奪われたと、言うだけでよかった。品田は、北海道N地区の支店に転勤させられた。“社内の姨捨山”と呼ばれる支店である。話は、ここで終わらない。史子には、もう一人復讐しなければならない男がいたのだ。
    「“企業タコ部屋”憤死事件」
    物理科学研究事業所、通称“物研”の中央研究所第一研究室、通称“中研”の技師、黒江正之は、特別分離研究所、通称“離研”へ移動になった。それは、同事業所の総会で黒江の発言を良く思わない上層部の判断だった。“物研”は、我が国で初めての濃縮ウランの製造基礎実験に成功したところである。将来、大量に需要が見込まれる原子力発電所の濃縮ウラン燃料を自給自足出来るものとして、高く評価された。濃縮ウランは、核兵器の材料になるもので、各国ともその製造は、極秘に伏している。この実験に携わった“中研”の技師、黒江が総会で「原子力の研究は、核兵器の製造に繋がるものだから危険性がある。暫く、研究は、待つべきだ。」と言ったのだ。研究のテーマが核なだけに、職員の思想傾向には、必要以上に神経質である。必ず、左翼分子が混じり出すもので、それを、締め出すために作られたのが“離研”だった。実験に批判的な発言をした黒江は、“離研”送りとなったのだ。だが、“離研”は、職場不適応者の矯正所だったのである。八畳くらいの部屋に、テーブルとイスがあり、黒江は、毎日毎日、社則や電話帳の書き写しを命じられた。T工業大を首席で卒業し“物研”に入った黒江だから、この単調な作業は、黒江の頭脳の5%も使わせない。だけど、残りの95%の頭脳は、全く別な計画を考えだした。“物研”の創立30年記念式典に、総理大臣が来賓で来た時、その計画が実行された。
    「課長夫人売春事件」
    北村直人の会社は、新興スーパーストアとして最近、急速に伸張してきた“エーコー”である。“エーコー”の販売方式とは、セルフサービス、ディスカウント、大量販売、高速回転販売の四つである。昭和三十年頃、デパートとスーパーが、激しく競争していた。その中で、“エーコー”は、上位小売店業百社中、大手デパートを尻目に第五位に座った。北村は、努力と実績を認められ、課長に抜擢された。しかし“エーコー”では、管理職契約制度と言う奇妙な制度が実施されていた。それは、課長以上の肩書を持つ者は、一年ないし二年ごとに能力の査定を受けることだった。その査定に通らないと降格されてしまうのだ。したがって、昨日まで課長と部下だった立場でも、一日のうちに立場が逆転してしまう事もある。部下だった者に、今日からは、上司として接しなければならない。そんな屈辱には、耐えられない。降格されたら会社には、居られない。北村は、元々、大いにハッスルした結果、課長のポストを得たのだが、さらにハッスルぶりに拍車がかかった。朝も早く出社し、帰宅は、深夜になる毎日が続いた。ここで、問題になったのが、新妻の俊子である。仕事で疲れ果てた北村は、妻の欲求の挑発を受け入れられない。俊子との夜の夫婦関係は、険悪なものとなってしまった。北村が、課長になって一年ほどの頃である。警視庁保安課風紀係が内偵していた、中流家庭を狙った売春組織が摘発された。東京西部に勢力を持つ組織暴力団が新たな資金源として組織化したものだ。仕事熱心な夫に放り出され、暇を持て余している主婦を対象にした売春組織である。まず有閑妻の巣の様な、団地や商店街の勧誘員として、組員の情婦や女を予め住ませておく。そして、親しくなったところで好奇心を煽って浮気を勧める。次に、適当な小遣いを与えて抜け出せないようにし、深みへ引きずり込んでいくのだ。途中から、嫌がる者がでれば、売春の事実をタネにして脅迫するというシステムだった。北村は、昇進と同時の妻、俊子を失ってしまう。さらに、妻が売春で逮捕されてしまったので、会社にも居られなくなる。
    「モルモットの餌」
    東日化学は、プラスチック・メーカーの名門である。従来の日常生活必需品だった木材、皮革、ゴム、セメント等に代わり、あらゆる分野にプラスチックが代用される時代だった。東日が多額の投資の下に開発したメラミン樹脂化粧板“ビタル”は、日本で初めての製品で、売れ行きが好調だ。東日は、“ビタル”の製造を下請けの前田合成に行わせていた。東日は、前田に一億円の融資をして設備を拡張させ“ビタル”用の機会を大量に買わせた。そして、東日は、“ビタル”の原材料を前田に卸し、それを、前田が“ビタル”の完成品にして東日に納めるというシステムを採っていた。ところが、ここで思いもよらない事態が起きた。前田合成独自の成形材料が惨敗の成績で、この月に廻ってくる五千万円の手形が決済できなくなったのである。東日をスポンサーとした前田は、強気になって手形を切りまくったのが裏目にでた。東日は、前田が倒産しても痛くもないが、今まで投資した資金や技術が無に帰してしまう。何とか、立て直さなければいけない立場になってしまった。東京大手町にある東日化学本社の特別会議室で、専務の山岸洋三、第三製品(ビタルの事)部長、木村春雄、開発第二技術長の吉本哲司、それと経理担当の松沢を加えた四人が、これの対策のため協議していた。そのなかで経理担当の松沢が良案(?)を出した。それは、前田合成は、大信通商を通して“ビタル”を納入する仕組になっている。大信通商は、大手商社で東日化学と前田合成の間に介入して“ビタル”の取引を仲立ちしていた。前田は、“ビタル”納入と同時に大信通商から即時に代金を立て替えてもらえるので、資金繰りに苦しい中小企業には、すぐにキャッシュが入ってくるので助かっていた。また、大信通商も取引手数料を天引き出来るのだ。この事に、経理担当の松沢が目を付けた。前田が、東日に渡した納品書を大信通商に送れば、受け取った段階で大信は、キャッシュを前田に入金した。つまり、納品書だけ有れば金を払うのだ。納品書と現物の突合せをしないで、金を払うというのは乱暴な話しだ。だが、実際の商売では、いちいち出来るものでは無い。また、長年に渡る取引のため三社間に信用も有った。松沢は、架空の納品書を大信通商に送り、前田にキャッシュを入金させて、それを手形の決済に充当させようと、言うのだ。専務の山岸も、初めは同意しかねたが、それしか手段は無い。現物は、後で入れれば良いのだ。そこで問題となったのは、誰が、その架空の納品書を発行して大信に送るか?と言う事だ。勿論、この四人は、自ら手を汚すことなど考えない。納品書を発行する検収課長の浜口は、堅物で使えない。だが、浜口の下にいる、課長代理の増野は使える。功名心も旺盛で、小才もきく。少しアメをしゃぶらせれば、どうにでも動くだろう。増野弘は、課長の浜口が地方へ飛ばされ、自分が後の検収課長への昇格を受けた時は有頂天になった。異例の早さでの抜擢である。今まで会社に忠誠してきた事が認められたと思った。ところが、後になってみれば、狭い檻の中で、餌を与えられ輪の中をクルクル回るモルモットと同じ事だったと気が付かされるのだ。
    黒の事件簿―サラリーマン・ブラック帳 (1977年) (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:黒の事件簿―サラリーマン・ブラック帳 (1977年) (講談社文庫)より
    B000J8UMRO
    No.1:
    (5pt)

    サラリーマンとその家族、そしてOLなど会社で働く人たちの悲哀を書いた7編の短編集!

    本書は、1972年1月に講談社から初出版されたものです。副題にサラリーマン・ブラック帳と書いてあるように、サラリーマンやその家族、そしてOLたちなど、会社(企業)に勤める人たちが、その組織の中で受ける理不尽な悲哀を書いた7編の短編が収められています。森村氏のお得意な殺人事件や山岳ものの作品は、入っていません。
    「平均社員汚職連座事件」
    大庭実は、一週間の北陸関西方面の出張から、満ち足りた思いで帰って来た。業者が宿泊や航空券まで用意してくれたので、出張旅費もそっくり残っている。勿論、自分の小遣いになる。更に、厚ぼったい封筒も貰った。中身は、何であるか想像はつく。業者が開いてくれた宴会では、若い芸妓を大庭に付けてくれた。肉体のプレゼントも有った。大庭は、ベルビュー化粧品の社員である。まだ、入社して間もない。彼の配属は、販促第四課であった。主たる仕事は、チェーン店の渉外である。ベルビュー化粧品が、業界トップクラスにランクされているのは、七千二百を超える系列小売店の育成に全力を注いだからだ。販促四課は、絶えずチェーン店と接触し、本店への忠誠心を確かめ、その結束力を維持するのが役目だった。その中でも最大の仕事は、年二回、催されるチェーン店の全国大会の手配である。これは、成績優秀なトップ二千店ほどを集め、四泊五日程度のデラックス旅行に招待するものである。旅行業者は、約四千名を超える大名旅行に目を付け、受注合戦を繰り返した。季節が近づくと各業者は、プランを提出する。そして、課員たちは、自分の体を運んで下見に行く。調べ上げたものを、課内に持ち帰り検討し、その年に使う業者を決定するのだ。だから、大庭は、これほど良い思いが出来たのだ。今年の招待旅行は、大庭が下見に行った親日旅行のプランで、北陸の温泉から関西方面へ行くものに決まった。親日旅行も手慣れたもので、この四千名を超える大旅行団を、何の落ち度もなく、滞りなく終わらせた。四課員も、さすがに疲れ果てた。二日間の特別休暇をもらい、大庭は、通常業務に戻った。一週間ほどすると、経理部長から呼ばれた。部屋に入ると笠原経理部長を始め、経理担当重役の吉本専務までが、厳しい表情で待っていた。そして、言われた事は、旅行参加者の人数が百名ほど水増しされていた事と、浮いた金額が販促四課のB勘(裏金)となっていたという事だった。大庭には、全く心当たりは無い。これは、販促四課が代々続けていた事で、万一、発覚した時には、大庭の責任になるように、巧妙に仕組まれていた。良い思いをしてしまっただけに、大庭は、何一つ反論出来なかった。
    「出向エリート自殺事件」
    東西銀行は、全国銀行のなかで常にトップ四位に入る一つである。預金高においても大銀行だが、東西銀行の強みは、優秀な融資系列にあった。銀行の優劣は、貸し付け面からも測れる。その意味で東西銀行の融資系列は、抜群であった。傾きかかった会社の再建にも際立った手腕を発揮した。山岸圭一は、地方の商業高校を卒業した後、東西銀行に入社した。東西銀行の社員は、ほとんどT大学卒業生であった。高卒の山岸が“経営改善推進センター”に配属されたのも異例中の異例だった。“経営改善推進センター”は、融資先が傾きかけた時、社員が出向し経営を立て直す事に定評があり、センターが乗り出しただけで、低迷していた株価が急騰するほどの影響力を持っていた。山岸は、センターへ抜擢されたことで、会社に対し忠誠心を剥き出しにして仕事に没頭した。会社が住まいだと公言し、休日も出社する。子供が会いたいと言っても、仕事だからと言って断る。その山岸に新たな辞令がきた。それは、ここ数年で急伸長した明大電気への出向であった。白もの家電を中心に事業を増やし、設備投資も拡大したことによって経営難に陥っていた。山岸は、365日休まず膨大な資料の中から、明大電気の欠陥を見つけ出したのだ。ところが、それと同じ時に、会社から“出向要らず”の命を受ける。東西銀行としては、山岸に明大電気を立て直して貰っては困るのだった。高卒だから、再建出来ないだろうと送り込んだのだが、余りにも山岸が完璧な再建策を打ち出すものだから、出向要らずの命を出したのだ。後に、それを知った山岸は、自殺する。家庭、家族を顧みる事無く、仕事に没頭する山岸の姿は、異常だった。
    「“鉄筋家畜人”の反逆」
    ハネムーンベッドは、新興気鋭のベッド製造会社である。数原公平の積極経営によって、業界トップクラスに立ってしまった。その経営方法が、少し変わっている。数原は、社員たちに忠誠を誓わせると同時に、社員を家族のようにするのが理想だった。社員のプライバシーにも立ち入った。社内結婚は大歓迎で、自ら進んで仲人になった。社員同士を結婚させて夫婦共稼ぎを推奨した。更に、社長の媒酌によって結婚した夫婦を強制的に社宅に入れた。だが、文句を言う社員はいない。冷暖房完備の3LDKで、デラックスホテル並みの施設に、タダ同然で入れるのだから、文句を言う方がおかしい。数原は、この社宅に“紅衛寮”と名付けた。しかし、社内結婚する者ばかりではない。彼らは、この社宅に入れない。当然、紅衛寮の人間を良く思わなくなる。彼らは、紅衛寮を“鉄筋畜舎”と呼び、コンプレックスを剥き出しにした。永尾慎一は、佐和子との結婚式では、数原に媒酌をしてもらった一人である。佐和子は、永尾が入社後に配属された営業第三課のタイピストであった。当時、ハネムーンベッドのジャクリーン(故ケネディ大統領夫人)と言われるほどベストドレッサーで、彼女にアプローチする社員は、多かった。永尾も佐和子の美貌と洗練された衣装に幻惑された。たまたま、帰宅する方角が一緒だった事で何気ない会話を交わす様になった。会話は弾みだし、お互いに好意を感じるようになるのに時間はかからなかった。しばらく交際した後、永尾がプロポーズすると、佐和子も、あっさり了解した。数原に、仲人の依頼をしたのは、佐和子である。盛大な結婚披露宴会場で二人の社員が会話していた。「これで、あいつも社長に飼い殺される“家畜人”になった訳だ」と言って笑っていた。
    「あるOLの復讐」
    菊島史子は、品田雅夫と別れることにした。品田は、史子が初めて愛した男である。史子が勤めるオリエント観光は、戦後のレジャーブームを背景に急速に発展した会社である。品田は、トップセールスを記録する優秀な社員だった。だが、以前から良くない風評が有り、プレイボーイだと言われ、同僚の女子社員も注意していた。しかし、史子は、品田との交際が始まると、噂は嘘で、実に誠実な男だと思う様になる。史子の初めての大切なものまで捧げてしまった。ところが、書類を届けに行った部屋の中から、品田ともう一人の男の話声が聞こえてきた。それは、史子と品田しか知らないはずの、貴重な夜に行われた放恣の体位を、低劣な隠語を使い第三者に語っていたのだ。自分の女性遍歴に加わった新しい戦果を誇るように。その日、史子は、外出した。大した用事では無い。海外出張員のための資金を最寄りの取引銀行から引き出すだけだった。史子の心は、虚ろだった。注意力が減っていたのかもしれない。後ろから付いて来た男に、お金の入ったバックを引っ手繰られてしまった。大声で叫ぶが、男は、最初の路地に入り姿を消してしまった。史子は、呆然と立ち竦むしかない。そこへ、「菊島君、どうした?」と言う声が聞こえてきた。聞き覚えのある声だった。専務の吉川達彦が立っていた。生理的な嫌悪感を覚えて、普段は、敬遠していた。だが、絶望の淵の底から見上げると、懐かしく頼もしくも見える。嫌悪感の源となった、彼の目も、今は、優しく慈愛に満ちて見える。取られたお金は、百万円。史子に返せる金額では無い。だが、吉川の計らいで、会社事故として処理してもらう事が出来た。吉川には、妻子がいたが、以前から史子に好意の目を向けていたのは、知っている。あれほど、嫌悪していた男だったが、今では、命の恩人はオーバーだが、感謝しても、し尽せない相手になってしまった。二人だけで食事をする様になるのは、それほど時間はかからなかった。そこで、史子は、吉川を利用して品田に復讐しようと考えるのだ。品田に、無理やり初めての物を奪われたと、言うだけでよかった。品田は、北海道N地区の支店に転勤させられた。“社内の姨捨山”と呼ばれる支店である。話は、ここで終わらない。史子には、もう一人復讐しなければならない男がいたのだ。
    「“企業タコ部屋”憤死事件」
    物理科学研究事業所、通称“物研”の中央研究所第一研究室、通称“中研”の技師、黒江正之は、特別分離研究所、通称“離研”へ移動になった。それは、同事業所の総会で黒江の発言を良く思わない上層部の判断だった。“物研”は、我が国で初めての濃縮ウランの製造基礎実験に成功したところである。将来、大量に需要が見込まれる原子力発電所の濃縮ウラン燃料を自給自足出来るものとして、高く評価された。濃縮ウランは、核兵器の材料になるもので、各国ともその製造は、極秘に伏している。この実験に携わった“中研”の技師、黒江が総会で「原子力の研究は、核兵器の製造に繋がるものだから危険性がある。暫く、研究は、待つべきだ。」と言ったのだ。研究のテーマが核なだけに、職員の思想傾向には、必要以上に神経質である。必ず、左翼分子が混じり出すもので、それを、締め出すために作られたのが“離研”だった。実験に批判的な発言をした黒江は、“離研”送りとなったのだ。だが、“離研”は、職場不適応者の矯正所だったのである。八畳くらいの部屋に、テーブルとイスがあり、黒江は、毎日毎日、社則や電話帳の書き写しを命じられた。T工業大を首席で卒業し“物研”に入った黒江だから、この単調な作業は、黒江の頭脳の5%も使わせない。だけど、残りの95%の頭脳は、全く別な計画を考えだした。“物研”の創立30年記念式典に、総理大臣が来賓で来た時、その計画が実行された。
    「課長夫人売春事件」
    北村直人の会社は、新興スーパーストアとして最近、急速に伸張してきた“エーコー”である。“エーコー”の販売方式とは、セルフサービス、ディスカウント、大量販売、高速回転販売の四つである。昭和三十年頃、デパートとスーパーが、激しく競争していた。その中で、“エーコー”は、上位小売店業百社中、大手デパートを尻目に第五位に座った。北村は、努力と実績を認められ、課長に抜擢された。しかし“エーコー”では、管理職契約制度と言う奇妙な制度が実施されていた。それは、課長以上の肩書を持つ者は、一年ないし二年ごとに能力の査定を受けることだった。その査定に通らないと降格されてしまうのだ。したがって、昨日まで課長と部下だった立場でも、一日のうちに立場が逆転してしまう事もある。部下だった者に、今日からは、上司として接しなければならない。そんな屈辱には、耐えられない。降格されたら会社には、居られない。北村は、元々、大いにハッスルした結果、課長のポストを得たのだが、さらにハッスルぶりに拍車がかかった。朝も早く出社し、帰宅は、深夜になる毎日が続いた。ここで、問題になったのが、新妻の俊子である。仕事で疲れ果てた北村は、妻の欲求の挑発を受け入れられない。俊子との夜の夫婦関係は、険悪なものとなってしまった。北村が、課長になって一年ほどの頃である。警視庁保安課風紀係が内偵していた、中流家庭を狙った売春組織が摘発された。東京西部に勢力を持つ組織暴力団が新たな資金源として組織化したものだ。仕事熱心な夫に放り出され、暇を持て余している主婦を対象にした売春組織である。まず有閑妻の巣の様な、団地や商店街の勧誘員として、組員の情婦や女を予め住ませておく。そして、親しくなったところで好奇心を煽って浮気を勧める。次に、適当な小遣いを与えて抜け出せないようにし、深みへ引きずり込んでいくのだ。途中から、嫌がる者がでれば、売春の事実をタネにして脅迫するというシステムだった。北村は、昇進と同時の妻、俊子を失ってしまう。さらに、妻が売春で逮捕されてしまったので、会社にも居られなくなる。
    「モルモットの餌」
    東日化学は、プラスチック・メーカーの名門である。従来の日常生活必需品だった木材、皮革、ゴム、セメント等に代わり、あらゆる分野にプラスチックが代用される時代だった。東日が多額の投資の下に開発したメラミン樹脂化粧板“ビタル”は、日本で初めての製品で、売れ行きが好調だ。東日は、“ビタル”の製造を下請けの前田合成に行わせていた。東日は、前田に一億円の融資をして設備を拡張させ“ビタル”用の機会を大量に買わせた。そして、東日は、“ビタル”の原材料を前田に卸し、それを、前田が“ビタル”の完成品にして東日に納めるというシステムを採っていた。ところが、ここで思いもよらない事態が起きた。前田合成独自の成形材料が惨敗の成績で、この月に廻ってくる五千万円の手形が決済できなくなったのである。東日をスポンサーとした前田は、強気になって手形を切りまくったのが裏目にでた。東日は、前田が倒産しても痛くもないが、今まで投資した資金や技術が無に帰してしまう。何とか、立て直さなければいけない立場になってしまった。東京大手町にある東日化学本社の特別会議室で、専務の山岸洋三、第三製品(ビタルの事)部長、木村春雄、開発第二技術長の吉本哲司、それと経理担当の松沢を加えた四人が、これの対策のため協議していた。そのなかで経理担当の松沢が良案(?)を出した。それは、前田合成は、大信通商を通して“ビタル”を納入する仕組になっている。大信通商は、大手商社で東日化学と前田合成の間に介入して“ビタル”の取引を仲立ちしていた。前田は、“ビタル”納入と同時に大信通商から即時に代金を立て替えてもらえるので、資金繰りに苦しい中小企業には、すぐにキャッシュが入ってくるので助かっていた。また、大信通商も取引手数料を天引き出来るのだ。この事に、経理担当の松沢が目を付けた。前田が、東日に渡した納品書を大信通商に送れば、受け取った段階で大信は、キャッシュを前田に入金した。つまり、納品書だけ有れば金を払うのだ。納品書と現物の突合せをしないで、金を払うというのは乱暴な話しだ。だが、実際の商売では、いちいち出来るものでは無い。また、長年に渡る取引のため三社間に信用も有った。松沢は、架空の納品書を大信通商に送り、前田にキャッシュを入金させて、それを手形の決済に充当させようと、言うのだ。専務の山岸も、初めは同意しかねたが、それしか手段は無い。現物は、後で入れれば良いのだ。そこで問題となったのは、誰が、その架空の納品書を発行して大信に送るか?と言う事だ。勿論、この四人は、自ら手を汚すことなど考えない。納品書を発行する検収課長の浜口は、堅物で使えない。だが、浜口の下にいる、課長代理の増野は使える。功名心も旺盛で、小才もきく。少しアメをしゃぶらせれば、どうにでも動くだろう。増野弘は、課長の浜口が地方へ飛ばされ、自分が後の検収課長への昇格を受けた時は有頂天になった。異例の早さでの抜擢である。今まで会社に忠誠してきた事が認められたと思った。ところが、後になってみれば、狭い檻の中で、餌を与えられ輪の中をクルクル回るモルモットと同じ事だったと気が付かされるのだ。
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