最後の審判の巨匠
- 拳銃 (222)
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もともとこの作品のことを知ったのは80年代後半、The Twilight Zone Magazineにジャンルごとのホラー、幻想小説のベスト10を選んだ紹介の特集のなかであった。この特集、誰でも知っているようなロバート・ブロックの「サイコ」のようなメジャー作品が入っているかと思えば、R.R.ライアンの作品など実際に存在するのが疑われたほどの機構本が多数混在していて当時の読者を大いに当惑させたものだ。35年以上がたったいま、そのほとんどを読むことができるようになったが、一部の入手困難本の再販には序文で同ベスト10の特集の事が減給されており、この特集のせいで出版業界で、わざわざ再販にこぎつけてくれた方々に感謝の意を表したい。 本作もリスト入りした作品のひとつだが、特集から2年以内に見つけることができたが、自分が見つけた古本のペイパーバック以来みたことがない。本書の解説から察するところ、ちょうど再評価の波が過ぎた後で、また忘れられかけていたタイミングというところか。 入手したのは30年以上も前だが結局本腰を入れて読もうと思ったのはつい最近で、英語で読むのもおっくうになったきた年頃なので、どうせ原書はドイツ語だしで、もしかしたら今頃は日本でも出版されていないかと検索したら、あっさり、出ていたのを発見。ありがたいことだ。 本書の内容についてはAmazon.jpの説明を読んでいただくとして・・・。 拙速ながら解説を読み始めたら本作、都筑道夫の「黄色い部屋はいかにして改装されたか」でも言及されている怪作とのこと・・・。40年も前に読んだ「黄色い部屋・・・」はそのミステリー論は今でも自分のミステリー観に多大な影響を与えているとはいえ、ついぞ本作のことは思い出せない・・・。 読後にあらためて「黄色い部屋・・・」を拾い読みすると、あったあった・・・トリックに前例があることで盗用になるかどうかの議論の俎上に本作が挙げられていた・・・議論そのものはよく覚えていたのだが、読めるとは思思わず、タイトルも忘れてしまっていた・・・まさか知らず知らずで読んでしまったとは・・・ しかし、まあ、この作品をもって前例といってよいかどうか、いろいろ議論はあるのかもしれないが・・・自分個人としては全然気づかずに読み、指摘されても盗用どころか前例とも言えないレベルに思われる。批判の俎上に挙げられている超有名作とちがって、そこを意図的にミステリーとしてのオチにしているわけじゃないし・・・そもそも作者自身がミステリーじゃないっていうんだから・・・。 しかし、まあ、 | ||||
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ビデオテープや携帯電話、インターネットなどマス・コミュニケーションの媒体に封印されたれた亡者の怨念が視聴した人間に次々と感染して死に追い詰めてゆくという着想は、小説『リング』以降、Jホラー界でも一時期流行した記憶があるが、同じ系統のトリックを連想してもらうと本作の趣向も把握しやすいと思います。 もちろん第一次大戦間もない頃に発表されたものなのでモダンなテクノロジーは出てこないが、「最後の審判の巨匠」と呼ばれる古代ローマの呪われた芸術家の死の遺産と接触することで、現代(1909年)のウィーンの地に悪性のウィルス(あるいは呪い)が解き放たれて、恐るべき殺傷力を発揮するという大筋では変わりがない。 回想録の形式を取っているため、時々夢や妄想が紛れ込み、現実との境がわからなくなったり、語り手の視点と客観的な現実の間にずれが生じて、読者の疑いを招く仕掛けがあったりする。 たとえば、親友であるはずの医者の口から自分の評判を覆す言葉が囁かれるのを盗み聞きする場面では、語り手のパラノ的な傾向を強めると同時に、いったいこの男は自分で言い張るほど無実といえるのかと読者の頭を抱えさせることになる。 同様に、告白の真偽を疑わさせる両義性はあちこちに見受けられる。 それは謎解きのための伏線というよりも、私たちの≪現実≫を織り成している多重構造を浮き彫りにするための意匠であり、そのあたりのジャネリックなミステリの作法に留まらないテキストの豊かさが、本作の大きな魅力になっています。 訳者さんの後書きによると、近年のペルッツに再評価の流れの中で、娯楽小説なのか文学なのかという論争が再燃したそうですが、個人的には両者の美点をバランスよく兼ね備えていると主張したい。 とりわけ序盤の音楽会までの、心情の折り目豊かな内面描写は、霊感に満ちていて幻想文学の愛好者も酔わせます。 また、第一次世界大戦の死の行進のなかで、主人公の(そしてハプスブルク=オーストリアの)運命を完結する酷薄な幕閉めの余韻も実に忘れ難いです。 関係者が一人死に、二人死に、召喚された原初の呪いが実態のない怪物の幻像として膨らみ始めるあたりから、テンポが非可逆的に加速し始め、ついに審判が明らかになるラストまで読者のこころを鷲づかみにして離さない。 その懐の深いアピール度は、ペルッツが売れっ子な大衆作家であったと同時に、ボルヘスなどの幻想文学の識者の興味を引き付けていた点に証明されていると言えます。 ちなみに自分のようなペルッツの新しい読者にとって、対談形式のユーモラスな解説はこの未知の作家に親しむ上で非常に重宝されるものでした。 比較的詳しい伝記に続いて、本邦未紹介の長編の内容にひとつひとつ触れてくれているので、目を通しているだけもイメージが広がり、今後の読書の楽しみが増える喜びがありました。 | ||||
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評論家が旅行の友として読むに適したミステリーと記載したのを見た著者が激怒したという解説を読み、作者のい意図と読み手の違いを感じた次第である。私は論理性にやや欠けるが、ミステリーとしても面白く読めた。状態は良く、満足している。 | ||||
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