聖ペテロの雪



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    初公開日(参考)2015年10月
    分類

    長編小説

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    聖ペテロの雪

    2015年10月26日 聖ペテロの雪

    1932年ドイツの寒村で、神聖ローマ帝国復興を夢みる男爵の秘密の計画とは?夢と現実、科学と奇蹟が交差する時、めくるめく記憶の迷宮がその扉を開く。(「BOOK」データベースより)




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    No.5:
    (5pt)

    読みごたえ抜群

    タイトルからしてキリスト教のことを書いた話だろうと思って
    あまり期待していませんでしたが、予想に反してとてもおもしろかったです。

    読書中にイメージできる作家は、物語や展開は別物ですが、カフカや安部公房、
    ブッツァーティ、カルヴィーノ、ボルヘスといった幻想や奇譚を得意とする作家たちです。
    解説には類似性のある作品としてディックの高い城の男もあげられていました。

    簡単なあらすじとしては、病院で目覚めた患者が、自分が運びこまれた経緯について
    医師との話の食い違いから記憶を辿るというもので、不思議な村に仕事でやってきて
    くせのある人たちと奇妙な会話ややり取りから物語は怪しげな気配へと進んでいきます。

    わけのわからない長広舌の会話は不思議と楽しく、
    雪に埋もれた寒村の描写や薄暗い部屋や建物の内装の雰囲気も素晴らしかったです。
    歴史や宗教が物語に絡んでくる部分はあるものの、
    衒学的すぎて私のような一般読者が振り落とされてしまう、というようなこともなく、
    夢中になるほどひきつけられてしまいました。
    夢かうつつかわからぬ記憶と現実を行き来し、一人称「わたし」が語る文体は
    非常に読みやすく、リズム感もいいのでぐいぐい読み進めていけます。

    謎が多いままで、このままではページ数が足りないんじゃないかと思いながらの
    終盤に向けて怒涛の展開は強引にも感じるのですが、とてもおもしろかったです。
    他のペルッツ作品もぜひ読もうと思える魅力的な読書体験でした。
    聖ペテロの雪Amazon書評・レビュー:聖ペテロの雪より
    4336059527
    No.4:
    (5pt)

    男の記憶は本物か?

    『深層地下4階』を読んで、もっと真菌ホラーが読みたくなったので、『FUNGI 菌類小説選集』で真菌フィクションリストにあげられていた本作を読んでみました。
    なんとなくペルッツには幻想歴史作家というイメージがありましたが、これは発表当時の現代である1930年代初頭が舞台。
    病院で目覚めた男の自分に起こったことに関する主張と、医師たちの話すことが食い違うというサスペンス的な冒頭から、男の回想が始まっていきます。
    語り手の話が本当に信頼できるのかという疑念を頭の隅に置きながら、田舎の村で企てられている驚異の計画が徐々に明らかにされていくのを楽しむ幻想サスペンス小説でした。

    重要な要素ではありましたが、期待した真菌ホラーものとはちょっと違ったでしょうか。
    以下ネタバレありですが、ここでの真菌の使われ方は、
    「宗教的熱狂の原因」というもので、映画『死の収穫』(キングの『トウモロコシ畑の子供たち』の映画化続編)と同タイプでした。
    また、訳者は「現実と夢に(わずかしか)違いはない」という同じ主張が、対立する主人公と医師二人から出ていると指摘していますが、この二人を通して語られている意見は、もう一歩踏み込んで「現実よりも、夢(に生きること)の方が幸せだ」というものに思えました。
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    4336059527
    No.3:
    (4pt)

    表紙買い

    表紙の絵に一目ぼれして買いました。
    中身は絵があるのか確認したくらいで1文字も読んでないまま。
    そのまま目の保養として本棚に飾ってます。
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    4336059527
    No.2:
    (5pt)

    ニューエイジ的センスを先取りした綺想・幻想譚・・・というか、読書の幸福を久々に味わったよ(笑)

    読書には2種類の愉しみ方があると自分は思っていて、ひとつはその物語の面白さを堪能する読書。そしてもうひとつは、純粋にその文章を読んでいる事が幸福だと感じる読書で、これは前者に比べると中々頻繁にないものだが、自分の感性と不思議なぐらいに歯車が合う文章に出逢うと、面白いとかつまらないとかいった価値観はもうどうでもよくなってしまう。その物語の雰囲気に浸る事とか、文章を読んでいること自体が幸せなのである。本書は、そういう悦びを久々に思い出させてくれた読書体験・・・いや、レオ・ペルッツという、久々に夢中になれる作家と出逢った、と表現した方がいいのかもしれない。

    若い頃、自分は特にヨーロッパのロマン派・怪奇・幻想小説に耽溺したのだが、その一番の理由は「ヨヲロツパ的雰囲気に浸れる」という事だった。十代の頃、ポオ(あっ、これはアメリカ文学でしたっけ・笑)の『赤死病の仮面』に痺れたのを皮切りに、シュトルム、シュニッツラー、アイヒェンドルフなどがお気に入りで、ローデンバックの『死都ブリュージュ』なんか、今で云う「聖地巡り」をやらかしてベルギーまで往ってしまったぐらいにハマったものだった(笑)。
    しかし齢を重ねると興味の幅も視野も広がって行くので、読書の傾向は若い頃ほど単純明快ではなくなって、とにかく雑多な欲望に溺れるまま、節操のない迷走的読書人生を送っていた。そんな中でもこのジャンルへの興味は常に忘れずにいたのだが、読むという事はしばらくしていなかったので、若い頃に置き忘れてきた瑞々しい憧れのような感覚を久々に呼び起こされた、そんな気分だった。

    どんなお話かというと、1930年代のドイツの寒村に医者として赴任した青年が、奇妙な陰謀に巻き込まれてゆく・・・うちに、次第に夢とうつつの境が曖昧になり、記憶の迷宮へさまよい込んで往く、というもので、フィリップ・K・ディックとかクリストファー・プリーストの小説を連想する。特に、主人公が事故に遭ってベッドの上にいるという出だし、謎めいた女性の存在、自身の記憶と周囲の語る話の乖離に主人公の現実感覚が揺らぐ、というプロットはプリーストの『魔法』にすごく似ていて、実はこの小説が元ネタなんじゃないかと思ったぐらいだ。
    もちろん、プリーストの『魔法』ほど読者を確信犯的に幻惑させるようなお話ではなく、前半はむしろまったりと物語が進行していく。これはそもそもどういうストーリーなのか?ということも、しばらく話が進まないとつかめない。しかし後半に入ってこの物語のからくりが少しづつ見えて来る辺りからエンジンがかかってきて、ラスト二十数ページで急にディックっぽく畳みかけてくる、そういう感じである。

    こういうタイプの物語は、人によってどこからネタバレと感じるか基準が全く違うので、判断のしようがないが、神経質な方はこれ以降は要注意・・・読んでも文句は受け付けませんよとエクスキューズしておく(笑)。

    筆者が本書を読むきっかけになった理由のひとつに、LSDの誕生と深い関わりを持つ「麦角」が重要な要素になっている事がある。麦角とは、小麦やライ麦に菌が寄生し発生する褐色の舌のようなもので、中世ヨーロッパでは、この麦角が混じったパンを食べた事でしばしば集団食中毒が起き、時には数万人単位で死者が出る事もあったという。
    麦角のアルカロイドには、恍惚感や幻覚をもたらす作用があり、地方によって様々な呼称があった。スペインでは「マグダレーナの苔」、エルザスでは「哀れな魂の露」、クレモナでは「慈悲の穀」、ザンクト・ガレンでは「托鉢僧」、ボヘミア北部では「聖ヨハネの壊疽」、ヴェストファーレンでは「聖母の大火」、そしてアルプスでは「聖ペテロの雪」・・・そう、これが題名の由来なのである。

    ちょっとだけ脇道にそれると、つい最近『ウィッチ』というホラー映画を観て、単なる怖がらせ系ではない奥の深い内容に久々に唸ったのだが、交流のあるレビュアーの方から、この映画には麦角菌感染による幻覚という裏設定があるという指摘を受け、そんなこと映画を観ているだけでは気づかんわいと、さらに唸った事が記憶に新しいのだが、まさに自分の中で「麦角マイブーム」が巻き起こっている最中(なんじゃそりゃ・笑)に本書の存在を知った事もあり、運命のいたづらかと思って夢中になって読んだのである。

    物語の前半は、主人公の回想となっているのだが、割と展開もゆっくりで事件らしきものが起きない事もあり、読んでいるうちに回想だという事も忘れかけて(笑)、どんなストーリーなのかが中々つかめない部分がある。それでもドイツの寒村の生活描写が素晴らしく、何やらいわくありげなキャラクターも配置され、惹き込まれて読んでしまうのだが、中頃を過ぎこの麦角の話が出てきた辺りで、ストーリーとしても俄然面白くなるのである。この麦角による様々な事象を、やたら熱が入った様子で記述していくところに作者の異様なこだわりが感じられ、「カエサルの時代には、賞味した人を『卑俗な存在から神々へ高める』」植物があったとか、4世紀にはディオニシウスが「『聖なる粉を焼いたパン』が『神との合一にわれらを導く』」と著している、などという部分は、1960年代のヒッピー・ムーブメントやニューエイジ思想の先駆けじゃん!と手を打って笑ってしまった。

    本書が書かれた1930年代に、この麦角アルカロイドの研究がさかんに行われていたのだそうだ。で、かのアルベルト・ホフマンがLSDの合成に成功するのが1937年、本書が上梓されたのが1933年なので、作者はまさに時代を一歩先取りする想像力を持っていたと云えるのではないだろうか。

    レオ・ペルッツは、作家としてマイナーながらも同業者に熱烈な愛好家がいる事でも知られていて、ボルヘスがその一人である。イアン・フレミングに至ってはファンレターまで出したという逸話も残っている。そこまでして魅了するのは何かと言えば、それは単なる綺想だけでなく、知識に裏打ちされた、知的遊戯ともいえるエンターテインメントになっている事だと思う。この麦角による穀物病が起こった地域では、預言者の名乗りを挙げる集団現象がたびたび起こっている、といった事象を列挙しながら、この疫病がヨーロッパをどのように移動し、同時期にそこで何が起こったかを照合しながら、キリスト教徒の集団ヒステリーの多くは麦角による幻覚・恍惚感がもたらしたものだと巧みにすり替えていく巧妙さに、「語り」による「騙り」の面白さがあり、十字軍までもがこの高揚感によって成されたものだと豪語するに至っては、もう爆笑。最高に面白い。
    まあこれは作者の説というよりは、作中人物の持論なのだが、この麦角が本書の中で描かれる「とある陰謀」にどう関わってゆくのか・・・という事に関しては、ぜひ読んでお愉しみ頂きたい。

    もう一点、ペルッツの翻訳を多く手掛けている訳者の垂野創一郎氏による巻末の解説が非常に面白く、垂野氏は訳者のみならず名解説者でもある。仮に物語を読んでピンとこなくても、垂野氏による解説を読むと「なるほど!」と思わせる名解釈に二度おいしいのがペルッツ本の愉しみでもある。特に短篇集『アンチクリストの誕生』は垂野氏の解説が重要だ。

    現代のジェットコースター展開のお話に慣れてしまっている人には、やや古いと感じる部分もあるかもしれないが、筆者は好みにドンピシャの内容だった。レオ・ペルッツこれからも追いかけてゆきたい。ということで現在、文庫で発売されたばかりのペルッツの短篇集『アンチクリストの誕生』を、返す刀で読んでいる最中である(笑)。
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    4336059527
    No.1:
    (4pt)

    去年の雪よいまは何処

    いつの間にやらコレクションと化していた国書刊行会のレオ・ペルッツ最新作。でも、お話的には晶文社の「最後の審判の巨匠」似といった困りもの。
    無駄なくすっきりした文体に、モノトーンの静謐さを湛えながら退屈さとは無縁なストーリーテリング、
    ある意味お家芸な「お前がそう思うんならそうなんだろう、お前ん中ではな」エンド。
    そして、毎度お楽しみの訳者あと書き。特に今回は麦角中毒=聖アントニウスの劫火=LSDへの言及に感動
    と、基本大満足。
    だからこそ終盤あたりのとってつけたような展開はとても残念だったりする。確かに真エンドは別にあるのだからここで盛り上げすぎるのは逆に良くないのかもしれないが、ほぼ同様の展開を見せるアルフレート・クビーンの「裏面」の、内圧を高めまくってからの黙示録的カタストロフに雪崩れ込むあたりに比べるとやはり格落ち感は否めない。
    ついで、訳者あと書きのフリードリヒ二世からディックの「高い城の男」にまで広げてゆくくだりは論としての面白さはさることながらもこれはやはり勇み足。メロヴィング朝の君主の名を持つ針鼠を使って作者自らが揶揄してみせるように、本書における「フリードリヒ二世」の名はメルキゼデクやプレスタージョンの名であっても代価可能なものであり、おそらくは、時間が止まったような村の中を絵本から抜け出してきたような仰々しい名前の王侯達が闊歩する、ダンセイニの阿片常用者の夢見る倫敦のような、モノクロームの辺土の上に極彩色の幻想の領地を浮かべてみせるが為のチョイスなのだろう。
    とはいえ、キーワードを「フリードリヒ二世」から「LSD」に代え、Wikipediaの同名の項目を紐解けば、そこで語られる本書のジャンクフード版の「帝国とユートピアの夢」は私達に見慣れたもの。恐ろしいことにそこから未だ目覚めていないらしいことの方が余程「高い城の男」的で、父母達の世代を最後にとうの昔に手を切ったはずの愚劣な排外主義と醜悪な夜郎自大が大手を振るって闊歩する様を目撃した時の、あの連中が昨日今日どこぞのドブから這い出てきたのではなく、ただ、自分の目がそれを捉えてなかっただけなのだ、という認識は多分、ペルッツと同じものだ。案外今ペルッツが読まれている理由もこのあたりにあるのかも知れない。
    されど、そのような読みはやはり野暮というもので。多分、本書のネタ元であろうヴィヨンの詩のように、純粋にその面白さと美しさを堪能すべきであろう

    わが君よ、この美しき姫たちの/いまは何処(いづこ)に在(いま)すや・・・
    聖ペテロの雪Amazon書評・レビュー:聖ペテロの雪より
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