仮想儀礼

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仮想儀礼の評価:

4.43/5点 レビュー 102件。 B ランク

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平均点4.43pt

Amazonレビュー一覧

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全24件 21〜24 2/2ページ
No.4
(3pt)

信仰とは?

シナリオライターの一面を持ち、東京都職員をそのシナリオの夢で退職した鈴木 正彦と、その編集者だった女に優しい男矢口 誠が、失業と9.11によるショックから、思いついた宗教の事業としての側面。サービス業を虚業として捉えるならば、宗教は信仰という商品を扱う第4次産業だ、という考えのもとに教団を立ち上げます、あくまで儲けるために。宗教を手段として割り切った、収入を得る為のものとして。その土台はシナリオ作りで日の目を見ることの無かったゲームシナリオ。東京都職員あがりの鈴木は冷静な視点を持つ常識家だからこその教祖、実務にたけ、だが感情移入もしてしまう矢口がその世話人。オカルトと脅迫は無し、悩みの解決と気分の安定(決して精神の安定ではなく、気分の安定!)という宗教サービスに対してお布施という対価を受け取ることをまっとうとするある意味カウンセラーのような存在を目指した教団・聖泉真法会の行き着く先はどこなのか? 最初に2人が想定したユーザーは2種類、精神というか気分の安定を得るためにお金という対価を払っても良いという大人と、日常生活に退屈しきった<生きづらい>系の若者、この2種類が本当にお金を落としてくれるのか?また教祖とはどんな存在なのか?宗教が現代に必要とされるのはどんなものなのか?上下巻の分厚いけれど非常に読みやすい語り口の鈴木の1人称で語られる教団の盛衰史です。


教団の立ち上がりにおけるそのルーズさというか適当さ、また乞われることで成り立たせていく教義、しかしその教義も、常識人鈴木正彦教祖の言葉には決して変わったものはなく信心がなければ、教祖の言葉としないで聞くのでないなら、なんら問題の無い言葉ではあるものの、それが通用しないものが出てくるところに恐怖があります。鈴木教祖の言葉に、説得に、私coboは異を唱える場面はほぼ無かったと思います。非常に常識的、精神衛生上誰もが考え付く範囲内での言葉であるにも関わらず、教祖の言葉にそれ以上の価値を見出したい方々にとっては「そうもとれる」という誤差が生じていくのが、恐ろしいのです。


常識的な教祖が教団を大きくしていくことに恐れや畏怖を感じながらも、不思議な縁とはいえ絶妙なバランス感覚で補う矢口との間の人間関係がなかなか良かったです。かなり特殊な人もたくさん出てきますし、いるいる、というステレオタイプな登場人物も多いのですが、読み物として読ませるチカラは十分です。私は篠田さんの小説を初めて読みましたが、描写も構成も良かったです。扱う内容が宗教というものでなかなか掴みにくい物ではありますが、決してただのカルト教団の話しではなく、2重3重に落とし込む構図を作り上げています。一見カルトに見えるものでも、その実信者にとってはそこにしかいられない、かけがえの無い場所であることや、家族という監獄という関係性も特殊だけれどありえるのではないか?と。


宗教とは何か、救済とは何なのか、信仰のもたらすチカラと軽々しく扱えない人の心の行く先が気になる方に、オススメ致します。
仮想儀礼〈下〉 (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 仮想儀礼〈下〉 (新潮文庫)より
4101484171
No.3
(3pt)

信仰とは?

シナリオライターの一面を持ち、東京都職員をそのシナリオの夢で退職した鈴木 正彦と、その編集者だった女に優しい男矢口 誠が、失業と9.11によるショックから、思いついた宗教の事業としての側面。サービス業を虚業として捉えるならば、宗教は信仰という商品を扱う第4次産業だ、という考えのもとに教団を立ち上げます、あくまで儲けるために。宗教を手段として割り切った、収入を得る為のものとして。その土台はシナリオ作りで日の目を見ることの無かったゲームシナリオ。東京都職員あがりの鈴木は冷静な視点を持つ常識家だからこその教祖、実務にたけ、だが感情移入もしてしまう矢口がその世話人。オカルトと脅迫は無し、悩みの解決と気分の安定(決して精神の安定ではなく、気分の安定!)という宗教サービスに対してお布施という対価を受け取ることをまっとうとするある意味カウンセラーのような存在を目指した教団・聖泉真法会の行き着く先はどこなのか? 最初に2人が想定したユーザーは2種類、精神というか気分の安定を得るためにお金という対価を払っても良いという大人と、日常生活に退屈しきった<生きづらい>系の若者、この2種類が本当にお金を落としてくれるのか?また教祖とはどんな存在なのか?宗教が現代に必要とされるのはどんなものなのか?上下巻の分厚いけれど非常に読みやすい語り口の鈴木の1人称で語られる教団の盛衰史です。
教団の立ち上がりにおけるそのルーズさというか適当さ、また乞われることで成り立たせていく教義、しかしその教義も、常識人鈴木正彦教祖の言葉には決して変わったものはなく信心がなければ、教祖の言葉としないで聞くのでないなら、なんら問題の無い言葉ではあるものの、それが通用しないものが出てくるところに恐怖があります。鈴木教祖の言葉に、説得に、私coboは異を唱える場面はほぼ無かったと思います。非常に常識的、精神衛生上誰もが考え付く範囲内での言葉であるにも関わらず、教祖の言葉にそれ以上の価値を見出したい方々にとっては「そうもとれる」という誤差が生じていくのが、恐ろしいのです。
常識的な教祖が教団を大きくしていくことに恐れや畏怖を感じながらも、不思議な縁とはいえ絶妙なバランス感覚で補う矢口との間の人間関係がなかなか良かったです。かなり特殊な人もたくさん出てきますし、いるいる、というステレオタイプな登場人物も多いのですが、読み物として読ませるチカラは十分です。私は篠田さんの小説を初めて読みましたが、描写も構成も良かったです。扱う内容が宗教というものでなかなか掴みにくい物ではありますが、決してただのカルト教団の話しではなく、2重3重に落とし込む構図を作り上げています。一見カルトに見えるものでも、その実信者にとってはそこにしかいられない、かけがえの無い場所であることや、家族という監獄という関係性も特殊だけれどありえるのではないか?と。
宗教とは何か、救済とは何なのか、信仰のもたらすチカラと軽々しく扱えない人の心の行く先が気になる方に、オススメ致します。
仮想儀礼〈下〉 Amazon書評・レビュー: 仮想儀礼〈下〉より
4103133627
No.2
(2pt)

新興宗教ビジネスはちょろいのか?

篠田節子作品で読ませるのは、私見では一に『女たちのジハード』であり、『夏の災厄』がこれに続く。
高評の嵐のような本作については、途中で退屈して投げ出してしまった。
まず思ったのは、えげつなさも含めて、これよりは新堂冬樹の『カリスマ』のほうが上ではないか? 
この2つは、同じように新興宗教を取り上げてはいるが、なるほどテーマは異なる(過激な新興宗教教祖のパーソナリティを描く新堂作品と普通の人々が新興宗教にはまるお話)。
とは言え、新興宗教群像のエンタメモノとしては、新堂に面白さがあろう。好き好きと言われれば話はおしまいだが。何も別に新堂作品を褒めるわけではないが、篠田の本作を持って「ヒューマニズム」や「社会派」を云々されても困ってしまうのである。
たとえば、ドン・デリーロの『マオ2』のような集団的な宗教的熱狂への描写があるわけではない。ふと顔を出す狂気が支配する恐怖もほとんど描かれないし、描かれても中途半端だ。銭儲けを目的とした落ちぶれた一般人が、新興宗教をビジネスとして始めてしまうという設定なのだから、それでもよいとは言える。それはよいとしても、宗教ビジネスが覗かせる人間のおかしさの描写にしても際立っているところはひとつもない。それに、ビジネスであればもっと過酷な面があると思うがなあ。まずもって、上下2巻は長すぎるのである。
それでも、貫井徳郎あたりのゆるーい因果モノ(『乱反射』など)あたりと較べれば、大人にも読めるものかもしれないので星2つ。大甘ではあろうが。
仮想儀礼〈上〉 Amazon書評・レビュー: 仮想儀礼〈上〉より
4103133619
No.1
(3pt)

お薦めです

 本書の構成は、俗の敗者が、聖を利用して俗に反撃を試みたところ、一旦は勝利するもののまたたくまに反撃をくらって、再び一敗地にまみれるという単純なものです。少なくともエピローグの前までは。しかし、最後の数頁で勝負は逆転します。聖中の俗、転じて俗中の聖が忽然として立ち現れるのです。
 掉尾の一文字を書き下した時、本作家の脳裡には一体どのような感慨がよぎったのでしょうか?もうひともうけできるという欲でしょうか?あるいはどういった批評が下されるのかといった不安なのでしょうか?
 そうではないと思います。おそらくは、人として普通に生きるということの尊さといったものが特別の光に彩られるというわけではないにしても、何かしら言葉で掌握できる範囲を遥かに超えた深いたなびきのようなものを帯びつつ静かに流れてゆくのを茫然として見送っていたのではないでしょうか。私にはそう感じられます。
 久しぶりに「文学とはヒューマニズムである」という言葉を思い出すことができました。
仮想儀礼〈上〉 Amazon書評・レビュー: 仮想儀礼〈上〉より
4103133619