海辺のカフカ

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海辺のカフカの評価:

3.76/5点 レビュー 521件。 D ランク

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平均点3.76pt

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全379件 201〜220 11/19ページ
No.179
(4pt)

ファンタジー…

読めば読むほど面白いし、二つの物語が不意に互いに絡み合い、一つになっていく過程も、読んでいて時を忘れました。しかし、ガッカリしたのは、私は村上春樹さんの小説を読んだのがこれが初めてなので、彼の特徴や作風を全く知らずに読み進めました。すると、村上ワールドを知らない私は、読み終えた後「謎が全く解決されてない…」と言うどこか期待を裏切られた気分になりました。でも他の作品をよんで、「この物語の中にリアルを求めてはいけないんだ」と思い直しました。魔女ッ子の登場するアニメに「何で魔法が使えるの?」と聞くのと同じことです。それを踏まえて読めば、魅力的なキャラクターたち(個人的に大島さんが一番好きです)や、村上春樹さんの物語を読ませる力にグイグイ引き込まれて、とても味わい深い作品だと思います。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.178
(5pt)

”海辺”という境界線で僕が手にしたもの

母なるものと交わる「これは夢じゃない。現実の世界なんだ。でもすべてはあまりにも速いスピードで前に進んでいく。僕にはその流れを押しとどめる力はない。僕はひどく混乱しているし、そして僕自身、時間の中に飲み込まれていく。彼女の夢が僕の意識をあっという間もなく包んでいく。羊水のように柔らかく、温かく包んでいく。」「いったいどこから君の責任は始まるのだろう?意識の視野の白濁をぬぐい取りながら君は懸命に現在の位置を見出そうとする。流れの方向を見定めようとする。正しい時間の軸を捕まえようとする。しかし夢と現実の境界線を見つけることはできない。事実と可能性の境界線さえ見つからない。君に分かるのは、自分が今とても微妙な場所にいるということだけだ。微妙で同時に危険な場所だ。君は予言の原理やロジックを突きとめることができないまま、その進行に含まれてしまっている。どこかの川沿いの町が洪水に洗われるように。そこにあるすべての道路標識が今では水面の下に沈んでる。目に見えるのは家々の無名の屋根だけだ。」姉なるものと交わる「僕の中にある窪みのような場所で、何かが殻から抜け出そうとしている。いつの間にか僕には、自分の内側に向けられた一対の目が備わっている。だからその光景が観察できる。その何かが良いものなのか悪いものなのか、僕にはまだわかっていない。しかしどっちにしても僕には、その何かの動きを後押しすることも止めることもできない。それはまだ顔をもたないぬるぬるとしたものだ。それはやがて殻を出あて、あるべき顔をもち、体からゼリー状の衣を落とすことだろう。そうすればその正体を僕は知ることになる。でも今のところ、まだそれは形が定まらないただのしるしみたいなものにすぎない。それは手にならない手を伸ばし、からの一番柔らかな部分を打ち破ろうとしている。僕はその胎動を目にする。僕は決心する。いや、そうじゃない。実のところ何一つ決心なんかしていない。だって僕には選びようがないのだから。」「僕はベッドの中にいて、周りには誰もいない。真夜中だ。闇はどこまでも深く、そこからはあらゆる時計が失われている。僕は何杯も続けて水を飲む。でもどれだけ飲んでも、僕の中にある渇きは収まることがない。僕はたまらなく孤独になる。真夜中の深い闇の中で、森に深い闇の中で、森に周りを取り囲まれて、それ以上孤独になれないくらい孤独になる。そこには季節もなく、光もない。」「君の中でその何かは、今では姿をはっきりと現わしている。それは黒い影としてそこに身を休めている。殻はもうどこにも見えない。殻は完全に破られ、捨て去られている。君の両手にはどろりとしたものが付いている。どうやら人の血のようだ。君は手を目の前にかざす。しかし何かを見るには、明りの量が足りない。内側も外側もあまりにも暗すぎる。」「じゃあひとつ聞きたいんだけどさ、音楽には人を変えてしまう力ってのがあると思う?つまり、ある時にある音楽を聴いて、おかげで自分の中にある何かが、がらっと大きく変わっちまう、見たいな。」「もちろん、そういうことはあります。何かを経験し、それによって僕らの中で何かが起こります。化学作用のようなものですね。そしてそのあと僕らは自分自身を点検し、そこにあるすべてのメモリが一段階上にあがっていることを知ります。自分の世界がひとまわり広がっていることに。僕にもそういう経験はあります。たまにしかありませんが、たまにはあります。恋と同じです。そういうものが全くないとしたら、僕らの人生はおそらく無味乾燥なものです。」「僕はどうすればいいんだろう」「そうだな、君がやらなくちゃならないのは、たぶん君の中にある恐怖と怒りを乗り越えていくことだ。そこに明るい光を入れ、君の心の冷えた部分を溶かしていくことだ。それが本当にタフになるということなんだ。そうすることによって、はじめて君には世界で一番タフな15歳の少年になれるんだ。僕の言うことはわかるよね?今からでも遅くはない。今からならまだ君は本当に自分を取り戻すことができる。君は決して馬鹿じゃない。考えることはできるはずだ。」そして森の中へ「深い森の中で、ひとりぼっちで、自分という人間がひどく空っぽに感じられる。自分がいつか大島さんの言っていた”うつろな人間”になってしまったような気がする。僕の中には大きな空白がある。そしてその空白は今でも少しずつ膨らんでいって、それが僕の中に残されている中身をどんどん食い破っていく。その音を僕は耳にすることができる。自分という存在がますますわからなくなっていく。僕は本当に途方に暮れている。そこには方向もなく、空も地面もない。僕は孤独で、薄暗い迷宮の中にいる。風の音に身を澄ませるんだ、と大島さんは言った。僕は耳を澄ませる。しかし、そこには風なんて吹いていない。」「頭を使って考えるんだ。どうすればいいか、考えるんだよ。」「でももう何も考えることができない。何をかんがたところで、僕が行きつくところは結局、迷宮のつきあたりでしかないのだ。でも僕の中身とは一体何だろう?それは空白と対立するもんなのだろうか?」「ここでこのまま、自分という存在を抹殺してしまうことができたらな、と僕は真剣に考える。そうすることによってはじめて僕の戦いは終わるんじゃないか。僕は考える。目を閉じて、自分の中心を見つめる。そこを覆う闇はひどく不揃いで、ざらざらとしている。暗い雲が切れると、花ミズキの葉が月の光を受けて千の刃物のように光る。その時皮膚の奥で何かが組みかえられる様な感覚がある。頭の中でカチンという音が聞こえる。僕は、森の中核へと足を踏み入れていく。僕はうつろな人間なのだ。僕は実態を食い破っていく空白なんだ。だからこそ、もう、そこには恐れなくちゃならないものはないんだ。なにひとつ。」「前に進むことだけに気持ちを集中する。僕はもう森に対して恐怖を感じてはいない。そこにはルールのようなものがある。あるいはパターンのようなものがある。いったん恐れることを止めると、そういうものがだんだん目に見えるようになってくる。僕はその反復性を飲み込んで、自分の一部になるようにしていく。僕はもう何ももっていいない。そうすることによって、僕は、自分がもうおびえてはいないし、だからこそ無防備になることを選んだんだということを、目に見える形で森に伝えようとしている。あるいは、僕自身に伝えようとしている。僕は硬い殻を捨てた生身の僕として、一人で迷宮の中心に向かっている。そして、そこにある空白に身をまかせようとしている。」
海辺のカフカ (下) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 海辺のカフカ (下) (新潮文庫)より
4101001553
No.177
(5pt)

”海辺”という狭間で僕が目にしたもの

「そこにいると、自分があとに引き返せないくらい、損なわれていく気がしたんです。自分があるべきではない姿に変えられてしまう、ということです。」「でも、時間というものがある限り、誰もが結局は損なわれて、姿を変えられていくものじゃないかしら。遅かれ早かれ。」「たとえいつかは損なわれてしまうにせよ、引き返すことのできる場所は必要です。」「引き返すことのできる場所?」「引き返す価値のある場所のことです。」「大島さんには乗り越えなくてはならない課題はないの?」「乗り越えるも何も、僕がやるべきことはたったひとつしかない。この僕の肉体という、何にもまして欠陥だらけの入れ物の中で、何とか日々を生きのびていくことだけだよ。単純といえば単純だし、難しいといえば難しい課題だ。いずれにせよ、うまくそれができたからって、偉大な達成とみなされるわけでもない。誰かが立ち上がって温かく拍手してくれるわけでもない。」「でもね、僕だって自分という現実の入れ物が決して気に入っているわけじゃないんだ。当たり前の話だ。便利か不便かという文脈で言えば、はっきり言ってひどく不便だ。しかしそれにもかかわらず、僕は内心こう考えている。外郭と本質を逆に考えれば、つまり外殻を本質ととらえ、本質を外殻だと考えるようにすれば、僕らの存在の意味みたいなものはひょっとしてもっとわかりやすくなるんじゃないかってね」「ヘーゲルは自己意識というものを規定し、人間はただ単に自己と客体を離れ離れに認識するだけでなく、媒介としての客体に自己を投射することによって、行為的に、自己をより深く理解することができると考えたの。私たちはこうしてお互いに自己と客体を交換し、投射しあって、自己意識を確立しているんだよ。」「お前もわからん奴だな。啓示というものはそういうもんなんだ。啓示とは日常性の縁を飛び越えることだ。啓示なしに何の人生だ。ただ観察する理性から行為する理性へと飛び移ること、それが大事なんだ。わしの言っていることが分かるか、このメッキしゃちほこボケ。」「いいか、ホシノちゃん。神様ってのは人の意識の中にしか存在しないんだ。とくにこの日本においては、良くも悪くも、神様ってのはあくまで融通無碍なものなんだ。その証拠に戦争の前に神様だった天皇は、占領軍司令官ダグラス・マッカーサー将軍から、”もう神様であるのはよしなさい”という指示を受けて、”はい、私はもう普通の人間です。”って言って、1946年以降は神様ではなくなってしまった。日本の神様ってのはそれくらい調整のきくもんなんだ。いると思えばいる。いないと思えばいない。そんなもののことをいちいち気にすることはない。」「いいか、ホシノちゃん。すべての物体は移動の途中にあるんだ。地球も時間も概念も、愛も生命も、正義も悪も、全てのものごとは液状的で過度的なものだ。ひとつの場所にひとつのフォルムで永遠に留まるものはない。宇宙そのものが巨大なクロネコ宅急便なんだ。」「田村カフカ君、あるいは世の中のほとんどの人は自由なんて求めてはいなんだ。求めていると思い込んでいるだけだ。全ては幻想だ。覚えておくといい。人々はじっさいには不自由が好きなんだ。すべての文明は柵で仕切られた不自由さの産物なんだ。最もオーストラリア大陸のアボリジニだけは別だ。彼らは柵をもたない文明を17世紀まで維持していた。彼らは根っからの自由人だった。好きな時に好きな所へ行って、好きなことをすることができた。彼らの人生は文字通り歩きまわることだった。歩き回ることは彼らが生きることの深いメタファーだった。イギリス人がやってきた家畜を入れるための柵を作った時、彼らはそれが何を意味するのかさっぱり理解できなかった。そしてその原理を理解できないまま、反社会的で危険な存在として荒野に追い払われた。だから君もできるだけ気をつけた方がいい、田村カフカ君。結局のところ、この世界では、高くて丈夫な柵を作る人間が有効に生き残るんだ。それを否定すれば君は荒野に追われることになる。」「あなたは強くなりたいのね」「強くならないと生き残っていかないんです。特に僕の場合は。」「あなたはひとりぼっちだから」「誰も助けてはくれない。少なくともこれまでは誰も助けてはくれなかった。だから自分の力でやっていくしかなかった。そのためには強くなることが必要です。はぐれたカラスと一緒です。だから僕は自分にカフカという名前を付けた。カフカというのはチェコ語でカラスのことです。」「でもそういう生き方にも限界があるんじゃないかしら。強さを壁にしてそこに自分を囲い込むことはできない。強さというものは、より強いものによって破られるものなのね。原理的に。」「強さそのものがモラルになってしまうから。」「あなたはとてもわかりがいいのね」「僕が求めているのは、僕が求めている強さというのは、勝ったり負けたりする強さじゃないんです。外からの力をはねつけるための壁が欲しいわけでもない。僕が欲しいのは外からやってくる力を受けて、それに耐えるための強さです。不公平さや不運や悲しみや誤解や無理解。そういう物事に静かに耐えていくための強さです。」「それは、多分、手に入れるのが一番むずかしい種類の強さでしょうね」「知っています」「私のまわりで何かが変わり始めているような気がする。」「うまくいえない。でも私にはそれがわかるの。気圧や、音の響き方や、光の反映や、体の動きや、時間の移り方が少しずつ変化している。小さな変化のしたたりがちょっとずつ集まって、ひとつの流れが出来上がっていくみたいに。」「僕の子供時代からはずいぶん沢山のものが奪い取られてきました。たくさんの大事なものです。僕は今のうちにいくらかでもそれを取り返さなくてはならない。」「そうすることが必要なんです。人には戻ることのできる場所みたいなものが必要なんです。今ならまだ間に合うことがある。たぶん。」「あの頃は何も考えなくて良かった。ただそのまんま生きていればよかったんだ。生きている限り、おれはなにものかだった。自然にそうなっていたんだ。でもいつの間にかそうではなくなってしまった。生きることによって、俺はなにものでもなくなってしまった。そいつは変な話だよな。人ってのは生きるために生まれてくるんじゃないか。そうだろう?それなのに、生きれば生きるほど俺は中身を失っていって、ただの空っぽな人間になっていったみたいだ。そしてこの先さらに生きれば生きるほど、俺はますます空っぽで無価値な人間になっていくのかもしれない。そいつは間違ったことだ。そんな変な話はない。その流れをどこかで変えることはできるのだろうか?」「ハイドンはある意味では謎の人です。彼が内奥にどれほどの激しいパトスを抱えていたか、それは正直なところ誰にもわかりません。しかし、彼が生まれおちた封建的な時代にあっては、彼は自我を巧妙に服従の衣で包み、にこやかにスマートに生きていくしかありませんでした。そうしなければ、彼はきっと潰されていたでしょう。多くの人々はバッハやモーツァルトに比べてハイドンを軽く見ます。その音楽においても、生き方においても。確かに彼はその長い人生を通して、適度に革新的ではありましたが、決して前衛的ではありませんでした。しかし、心をこめて、注意深く聞けば、近代的自我への秘められた憧憬をそこに読み取ることができます。それは矛盾を含んだ遠いこだまとして、ハイドンの音楽の中に黙々と脈打っているのです。例えば、この和音をお聞きください。ほらね、静かではありますが、少年のような柔軟な好奇心に満ちた、そして,求心的かつ執拗な精神がそこにはあります。」「こういう言い方は冷たく響くかもしれないけれど、今のところ佐伯さんに関して、君にできることは何もない。君はこれから一人で山の中に入って、君自身のことをするんだ。君にとっても、ちょうどそういう時期が来ている。」「僕自身のこと?」「耳を澄ませればいいんだ、田村カフカ君。耳を澄ませるんだ、蛤のように注意深く。」「そうだ。相互メタファー。つまり、迷宮というものの原理は君自身の内側にある。そしてそれは君の外側にある迷宮と呼応している。君の外にあるものは、君の内にあるものの投影であり、君の内にあるものは、君の外にあるものの投影だ。だからしばしば君は、君の外にある迷宮に足を踏み入れることによって、君自身のうちにセットされた迷宮に足を踏み入れることになる。それは多くの場合とても危険なことだ。」「そう。ヘンゼルとグレーテルみたいに。森は罠を仕掛けている。君がどれだけ用心して工夫しても、目ざとい鳥たちがやってきて目印のパンくずを食べてしまう。」「だからさ、おじさんも字が読めねえってのはきっと不便だろうけど、つらいこともあるだろうけど、それがすべてじゃないんだ。たとて字が読めなくたって、おじさんにはおじさんにしかできないことがある。そっちの方を見なくちゃいけない。たとえばほら、おじさんは石とだって話ができるじゃないか。それは、たぶんナカタさんにしかできねえことだ。どれだけいっぱい本を読んでも、普通の人は石や猫とは話せないものなんだ」「俺は字は読めるけど、本なんてさっぱり読みやしない。世の中ってうまくいかねえもんだよな。」
海辺のカフカ (下) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 海辺のカフカ (下) (新潮文庫)より
4101001553
No.176
(5pt)

潜在意識という名の迷宮へ

「音楽にかわるものはいたるところにあった。鳥のさえずり、様々な虫の声、小川のせせらぎ、樹木の葉が風に揺れる音、なにものかが小屋の屋根を歩いている足音、雨降り。そして時々耳に届く、説明のつかない、言葉では表現することもできない音…。地球がこれほど多くの美しく新鮮な自然の音に満ちていることに、これまで僕は気付かずにいた。そんな大事なことをずっと見逃し、聞き逃して生きてきたわけだ。その分の埋め合わせをするように、僕は長い時間ポーチに座り、目を閉じ、気配をころし、そこにある音をひとつ残らず聞き取ろうとする。」「森に対しても、最初ほどには恐怖を感じないようになっている。その森に自然な敬意のようなものを抱き、親しみさえ感じるようになる。もちろんそうはいっても、森の中で僕が足を踏み入れることができるのは小屋のまわりの、小道のついている範囲だけだ。道から外れてはいけない。ルールを守っている限りおそらく危険はない。森は僕を黙って受け入れてくれる。あるいは見逃してくれる。そしてそこにある安らぎや美しさをいくらか分けあたえてくれる。しかしいったんルールを踏み外すと、そこに隠れている沈黙の獣たちはするどい爪で僕をとらえてしまうかもしれない。」「背反性といえばね、最初に君に会ったときから、僕はこう感じているんだ。君は何かを強く求めているのに、その一方でそれを懸命に避けようとしているって。君にはそう思わせるところがある。経験的なことを言うなら、人が何かを強く求める時、それはまずやってこない。人が何かを懸命に避けようとするとき、それは向こうから自然にやってくる。難しい問題だ。でも、あえて言うならこういうことになるだろうね。その何かはたぶん君が求めるときに、求める形ではやってこないだろう。」「田村カフカ君、僕らの人生にはもう後戻りができないというポイントがある。それからケースとしてはずっと少ないけれど、もうこれから先には進めないというポイントがある。そういうポイントが来たら、良いことであれ、悪いことであれ、僕らはただ黙ってそれを受け入れるしかない。僕らはそんな風に生きているんだ。」「そりゃいい。だからね、おれが言いたいのは、つまり相手がどんなものであれ、人がこうして生きていいる限り、まわりにあるすべてのものとのあいだに自然に意味が生まれるということだ。一番大事なのはそれが自然かどうかっていうことなんだ。頭がいいとか悪いとかそういうことじゃないんだ。それを自分の目を使ってみるか見ないか、それだけのことだよ。」「だからさ、こういうのは頭の良し悪しの問題じゃないんだ。あれは別に頭なんて良かねえよ。ただ俺には俺の考え方があるだけだ。だからみんなによくうっとうしがられる。あいつはすぐにややこしいことを言い出すってさ。自分の頭でものを考えようとすると、だいたい煙たがれるもんなんだ。」「ねえ、大島さん、僕のまわりで次々にいろんなことが起こる。そのうちのあるものは自分で選んだことだし、あるものはぜんぜん選んでいなことだよ。でもその二つのあいだの区別が、僕にはよくわからなくなってきているんだ。つまりね、自分で選んだと思っていることだって、実際には僕がそれを選ぶ以前から、もうすでに起こると決められていたことみたいに思えるんだよ。僕はただ誰かが前もってどこかで決めたことを、ただそのままなぞっているだけなんだっていう気がするんだ。どれだけ自分で考えて、どれだけ頑張って努力したところで、そんなことは全くの無駄なんだってね。というかむしろ、がんばればがんばるほど、自分がどんどん自分ではなくなっていくみたいな気さえするんだ。自分が自分自身の軌道から遠ざかって行ってしまうような。そしてそれは僕にとってはひどくきついことなんだ。いや、怖いっていうほうが近いかもしれない。そう考え始めると、ときどき体がすくんでしまうみたいになるんだ。」「もし仮にそうだとしても、つまりもし君の選択や努力が徒労に終わることを宿命づけられたとしても、それでもなお君は確固として君であり、君以外のなにものでもない。君は君として間違いなく前に進んでいる。心配しなくていい。」「いいかい、田村カフカ君、君が今感じていることは、多くのギリシャ悲劇のモチーフになっていることでもあるんだ。人が運命を選ぶのではなく、運命が人を選ぶ。それがギリシャ悲劇の根本にある世界観だ。そしてその悲劇性は、アリストテレスが定義していることだけれど、皮肉なことに当事者の欠点によってもたらされるというよりは、むしろ美点を梃子にしてもたらされる。僕の言っていることはわかるかい?人はその欠点によってではなく、その美質によってより大きな悲劇の中に引きずり込まれていく。ソフォクレスの「オイディプス王」が顕著な例だ。オイディプス王の場合、怠惰とか愚鈍さによってではなく、その勇敢さと正直さによってまさに彼の悲劇はもたらされる。そこに不可避的にアイロニーが生まれる。」「しかし、救いはない。」「場合によっては、救いがないということもある。しかしながらアイロニーが人を深め、大きくする。それがより高い次元の救いへの入口になる。そこに普遍的な希望を見出すこともできる。だからこそギリシャ悲劇は今でも多くの人々に読まれ、芸術のひとつの元型となっているんだ。また繰り返すことになるけれど、世界の万物はメタファーだ。誰もが実際に父親を殺し、母親と交わるわけではない。そうだね?つまり僕らはメタファーという装置を通してアイロニーを受け入れる。そして自らを深め広げる。」「そしてカフカという名前、佐伯さんはその絵の中の少年が漂わせている謎めいた孤独を、カフカの小説世界に結びついたものとしてとらえたのだろう。僕はそう推測する。だからこそ彼女は少年を[海辺のカフカ]と呼んだ。不条理の波打ち際をさまよっているひとりぼっちの魂。多分それがカフカという言葉の意味するものだ。」
海辺のカフカ (上) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.175
(4pt)

甲村図書館に行ってみたい

オウム事件や神戸の震災など、この作家は前世紀の末あたりから、その作品に於いて、世相を言及、または反映することが多くなった。この作品も、今世紀初めに頻発した15才の(あるいはミドルティーンの)、バスジャックや一家惨殺などの凶悪事件に対して、作家的アプローチをしたものに他ならない。そういう観点から見ると、この作品に何らかの世相に対する警告、又は示唆のようなものがあるかといえば、それは全くない。何か形而上学的な喩え(この作品でいうところのメタファーなるもの)でもあるかと言えば、それもどうかわからない。ただ、主人公が切れやすい15才で、家出をし、残された父親が殺されるという話である。しかしながら彼は家を出るとき、父親の書斎からナイフを持ち出す。これは同時に盗み出す携帯電話と合わせ、非常に象徴的とも思える。加えて主人公、田村カフカの極めて精緻な感情描写で、我々読者は、15才の少年の等身大の実像を知る。つまり、我々大人が認識している以上に、彼らは狡猾であり、内省的であり、冷静であるということ。 これはまさしく、大人に対する作者からの警告に違いない。それにしても作者本来の作風を損なわず、またほどほどに娯楽性を保ちながら、このような作品を仕上げれるのは、さすがである。ただ、村上春樹の作品としてはどうだろうか?嘗ての羊(あるいはねずみ)シリーズやワンダーランドと同様に、曖昧模糊とした、独特の味わいは健在だが、仕掛けはいまひとつである。各章ごとに人物や設定が交互する、いわゆる仕掛け小説は、伊坂幸太郎などが、かなりのエンタメ性を高めているので、そういう意味合いでは、古めかしさすら感じてしまう。ただし、織り込まれた伏線や謎賭けにしても、この作家の手にかかると”文学”としての格調の高さを感じてしまうから不思議だ。下巻の第47章あたりから、なにか書き急いでいる感じが文章に漂っている。これはこの作家の作品としては、大変珍しい現象だ。この作家の作品世界には、時間の長さが重要ではないのと同様に、枚数もあまり関係ないからだ。実際に僕らは、この作品を30枚の短編としても、全12巻の大河小説としても、受け容れることが出来るだろう。つまり、ストーリー性というより”空気感”重視の作品であるということだ。生活様式の詳細な描写(飲食や車などのブランドへのこだわりや、排泄行為など)は相変わらずだが、同様にあけすけな性描写に関して言えば、僕はやや戸惑いを感じた。これも仕掛け(メタファー)なの?と勘繰るにしては、生生し過ぎだからだ。どちらにしても、なんでもかんでもメタファーを疑って読み込むとしんどいし、純文学と受けとめるには軽すぎるように感じた。作家がどう捉えて欲しいのかは僕は知らないが、どうぞご勝手に、というならば、ここまで引っ張ってきたにしては自恣が過ぎると思う。何かを頂戴、という日本の読者よりも、僕はこう感じる、といった海外の読者に受けるのもよく解る。
海辺のカフカ (下) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 海辺のカフカ (下) (新潮文庫)より
4101001553
No.174
(5pt)

想像力次第で。

想像を巡らせばかなり感動にふける事ができる。単純に、ハリーポッターシリーズのようにすごく夢中になれる本だった。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.173
(5pt)

不完全さの美学。

「シューベルトは訓練によって理解できる音楽なんだ。僕だって最初に聴いたときは退屈だった。君の歳ならそれは当然のことだ。でも今にきっとわかるようになる。この世界において、退屈でないものには人はすぐに飽きるし飽きないものはだいたいにおいて、退屈なものだ。そういうものなんだ。僕の人生には退屈する余裕はあっても飽きているような余裕はない。たいていの人はそのふたつを区別することができない」なにげないセリフに立ち止まるところは、こんな言葉だったりする。僕にだって、もちろんそのふたつの区別なんてのは考えることもできなかったけどこんなにも些細なことでも、言われてみれば「ああ、そうだな」と納得できてしまうものは妙に響く。説得をする人間は醜い。押しつけられたら人は逃げたくなる。しかし本当に良い作品は、いつでも自由な感想を与えてくれる。本は決められた時間に読まなくていい。本当に響く言葉は儚い、貰っても返せないから、魅かれる。それは音楽の詩だったり、物語の登場人物のセリフだったり自分の生き方や哲学を単に疑似化させるだけで人の心には、どんな密な会話よりも、強く居続けるものだなと感じた。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.172
(5pt)

静と動

●1回目(2008/11/21) 抽象的な世界において展開されており、読み手や読む状況によっていくつもの解釈が可能である作品だと思う。 哲学が様々な場面で散見する事ができ、心に響く台詞がいくつかあった。とりわけ「世界はメタファーだ」という台詞が強く残った。 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------●2回目(2010/02/23) 「比重のある時間が、多義的な古い夢のように君にのしかかってくる。君はその時間をくぐり抜けるように移動をつづける。たとえ、世界の縁までいっても、君はそんな時間から逃れることはできないだろう。でも、もしそうだとしても、君はやはり世界の縁まで行かないわけにはいかない。世界の縁まで行かないことにはできないことだってあるのだから。」
海辺のカフカ (下) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 海辺のカフカ (下) (新潮文庫)より
4101001553
No.171
(5pt)

静と動

●1回目周りから必要とされない存在である田中とナカタ。 二人は異なった形で、形而上的で象徴的な砂嵐をくぐり抜ける事となる。嵐の中にまっすぐ足を踏み入れ、砂が入らないように目と耳をしっかりふさぎ、一歩一歩とおり抜けようとする…。 ----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- ●2回目不可避な運命に対峙した先には、何が待ち受けているのでしょうか。 「先を見すぎてもいけない。先を見すぎると、足もとがおろそかになり、人は往々にして転ぶ。かといって、足もとの細かいところだけを見ていてもいけない。よく前を見ていないと何かにぶつかることになる。だからね、少しだけ先を見ながら、手順にしたがってきちんとものごとを処理していく。こいつが肝要だ。何ごとによらず」
海辺のカフカ (上) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.170
(4pt)

ずいぶん遠いところまで・・・

デビュー作からずっと読んできた作家が、ノーベル賞をとるかもしれないっていうのは、なんか不思議な感じ。「物語」の面白さは圧倒的で、謎が結局謎のままなのもいいと思うが、おじさんとしては、性描写の「あけすけさ」は、なんとかならんもんか・・とは思う(必要なんだろうけど)。下巻は、「ホシノ青年」の成長物語の側面がもっとも面白い。こういうフラッと出てきた人物が、だんだん重要になってくるのが、長い小説の醍醐味だと思う。逆に、後半カフカ君が「マイ・フェイバリット・シングス」を口笛で吹いたりすると、「君、15歳じゃなかったっけ?」って、醒めてしまったりする(当然考え抜いてこういう選曲してるんだろうけど、その意図は僕にはよくわかりませんでした)。ホシノ青年が大島さんに、音楽を聴き小説を読むことの意味を問うシーンがもっとも感動的だ。ここで作者は、大島さんの口を借りてこう答えている。「何かを経験すると、僕らの中で何かが起こる。そのあと僕らは自分自身を点検し、そこにあるすべての目盛りが一段階上がっていることに気づく」この言葉に、素直に納得するホシノ君がチャーミング。もう「風の歌を聴け」や「1973年のピンボール」の世界には戻れないんだなあと思うとさびしくもあるが、それはしょうがないことなんだろうな。
海辺のカフカ (下) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 海辺のカフカ (下) (新潮文庫)より
4101001553
No.169
(4pt)

難しいし…

内容は面白いし、深いと思います。ただ、どの年代の人にお勧めなのかがよく分かりませ。思春期の主人公を対象にした作品ながらも、作品の中に登場する心象イメージが強すぎてその年代の人が読むには少々危険な気がします。しっかりとした大人が、「こんなこともあったな〜」と振り返るものでもないような気がするし、村上春樹さんの言いたいことは何となく分かるような気がするんですけど、それで?っていう感じです。日本人の普遍的な問題点がよく表れているようで、作品のレベルは恐ろしい程高いと思います。ただ、その問題点からどうするのか、という問いに対する解答がなく、読み終わった後はイライラして「だから、何なの?」っていう感じでした。現代の日本人について深く考えさせられるような作品です。ただ、それが最後少々無理やりになっていたような気がして、もう少し現実に沿った過程みたいなものがみたかったです。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.168
(5pt)

新しい世界へ向かう2つの旅。

世界でいちばんタフな15歳を目指す男の子、田村カフカくんの章と、小学生の時に不可思議な事故にあって、記憶と文字を理解する能力を失ってしまった老人、ナカタさんの章が交互に書かれています。4歳の時に母と姉が出ていってしまい、父親一人にに育てられた田村カフカくんは、父親の「お前は父親を殺し、母と姉と交わるだろう」という予言を胸に、15歳で家出をします。夜行バスで四国にたどり着き、私立図書館の一室に身を寄せることになったカフカくんの、過去との出会い、予言への抵抗、そして新しい世界への旅立ちの物語です。一方、ナカタさんも中野区から何かに導かれるように、四国へと向かい、途中ヒッチハイクをしたホシノくんの力を借りて、“普通の”ナカタさんに戻る旅をします。表裏一体のこの2つの物語は、最終的に繋がっていくのですが、そこには様々な謎が残されたまま、物語は終わってしまいます。村上春樹ワールドというか、あの独特の世界観を解釈しようとするのではなく、あるがままに受け入れてみた方が楽しめるのではと思います。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.167
(5pt)

世界のメタファー

誰しも、心の中にある陰と陽。そしてそのメタファー。人生経験を重ねてからまた読んでみると、違う一面でもって迎えてくれる。そんな作品。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.166
(5pt)

ただ一人のためだけに書かれた小説

面白いかどうかは関係ない、
ただ一人の読者のために書くと
村上春樹が決心したであろう小説に違いない。
その一人とは、
酒鬼薔薇 君である。
そして同じように
人を殺したいと思っている15歳の少年ために
書かれた小説である。
だから、人を殺したいと思っていない大人たちにとっては
面白くないかもしれない。
それでも構わない、彼の心を何とか救わなくてはいけない
との思いが漲っている。
人を殺したいと思わずにはいられない少年こそが読むべきである。
村上春樹は、
現実を軽くして、読みやすくPOPに書いているように
思う読者もいるだろうが、
特に『アンダーグラウンド』以降、
現実に思いっきり関わっていこうとの志を持っている
稀有な作家に違いない。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.165
(5pt)

村上春樹 ヨイナコノショーセツ

カフカ君と同年齢の自分からみてこの“海辺のカフカ”は良く出来てるなぜかって言うと作者の村上春樹は自分達の年頃の気持ちを良くわかってくれてるだから読んでて気持ち良かった読み終わって自分もカフカ君やホシノちゃんのように一歩成長したんじゃないかってくらい10代のキミはぜひ読んでみてね(ムズイって人もいるがそーでもないかも)
海辺のカフカ (下) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 海辺のカフカ (下) (新潮文庫)より
4101001553
No.164
(4pt)

現代の神話、少年の魂の再生物語

この本は、下敷きになっている話(オイディプス、カフカ、その他の古典)を知らなくても楽しめるが、知っている方が小説の構造を重層的に楽しめる。さらに、愛すべきキャラクターが出てきて、読んでいて楽しい。そして、読後にも、いろいろと謎解きが楽しめる(なるほど、あのとき、入り口が開いちゃって、そのときナカタさんが、、、とか、だから、今回も彼が、とか、少年も、あっちへ行く必要がね、とか)。
 疑問点は、現在の読者層の少年・青年は、そんなに性的なものにとらわれているんですか?ということ、コミュニケーションの不可能な存在、かつ、救済を与える存在としての女性のモチーフが他の村上作品にも出てきて、関係を結んだり、ことに及んだりするんですが、その必要ってあるの?やや淡泊な世代に属す者としては、他の読者の感想を聞いてみたいと思う。こんな風にこの作品について、いろいろ他者と語り合ってみたいと思うのが、この作品の奥深さの証明なのだ。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.163
(5pt)

得意のパラレルワールド

村上春樹得意のパラレルワールドが展開していく。
世界一タフな15歳を目指す「僕」は、昔から「カラスと呼ばれる少年」のアドバイスを受けながら抑圧された日々を送っていた。
そして、15歳になった彼は父親からの自立を目指して、一路高松を目指す。
たどり着いたのは個人が設立したとある図書館。
名前を聞かれ、彼が名乗ったのは「田村カフカ」。
彼は受付の大島さん、館長の佐伯さんと不思議な距離感を保ちつつ、図書館で暮らし始める。
一方、戦時中の小学生時代に不可思議な現象を経て、一切の記憶をなくしてしまったナカタさん。
彼は猫の言語を話すことが出来るために、家出猫を探すことでわずかな報酬を得ながら暮らしていた。
ゴマという子猫を探している時だった。
公園で黒い犬に先導され、とある屋敷を訪れたナカタさんは「ジョニーウォーカー」さんから、とあることを頼まれる。
ふと我に返ったナカタさんは、西へ向かうことにした。
自分でも理由はわからないまま。
道中、トラック運転手の星野青年と行動を共にすることになり、彼らがたどり着いたのもなぜか高松だった。
田村カフカは、佐伯さんが昔出したレコード「海辺のカフカ」と、壁に飾ってある「少年の絵」をきっかけに佐伯さんの心の中に入り込んでいく。
ナカタさんと星野青年は、「カーネルサンダース」の力を借りながら、「入口の石」を探す。
田村カフカとナカタさん。
これまで何の接点もなかった二人が、なぜか徐々に近づいていく。
ファンタジーの香りがするがファンタジーではなく、推理小説風だが、推理小説ではない。
荒唐無稽な現象が続発するものの、この物語の中ではそんなことが当たり前に思えてしまう。
読者はそうやって村上春樹に感化されながら、不思議な好奇心を維持し続けながら、最後まで読み続けてしまう。
やはりこの作品にも、村上春樹のテーマである「生と死」が根底に流れている。
死があることによって生が強烈に浮かび上がる。
しかし、生と死が対極的に描かれているわけでもない。
この描き方が村上春樹独特な雰囲気を醸し出しているのだと思う。
そういえば、田村カフカが森の中で入り込む世界は、「世界の終わり」の街に非常によく似ている。
海辺のカフカ (下) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 海辺のカフカ (下) (新潮文庫)より
4101001553
No.162
(5pt)

得意のパラレルワールド

村上春樹得意のパラレルワールドが展開していく。
世界一タフな15歳を目指す「僕」は、昔から「カラスと呼ばれる少年」のアドバイスを受けながら抑圧された日々を送っていた。
そして、15歳になった彼は父親からの自立を目指して、一路高松を目指す。
たどり着いたのは個人が設立したとある図書館。
名前を聞かれ、彼が名乗ったのは「田村カフカ」。
彼は受付の大島さん、館長の佐伯さんと不思議な距離感を保ちつつ、図書館で暮らし始める。
一方、戦時中の小学生時代に不可思議な現象を経て、一切の記憶をなくしてしまったナカタさん。
彼は猫の言語を話すことが出来るために、家出猫を探すことでわずかな報酬を得ながら暮らしていた。
ゴマという子猫を探している時だった。
公園で黒い犬に先導され、とある屋敷を訪れたナカタさんは「ジョニーウォーカー」さんから、とあることを頼まれる。
ふと我に返ったナカタさんは、西へ向かうことにした。
自分でも理由はわからないまま。
道中、トラック運転手の星野青年と行動を共にすることになり、彼らがたどり着いたのもなぜか高松だった。
田村カフカは、佐伯さんが昔出したレコード「海辺のカフカ」と、壁に飾ってある「少年の絵」をきっかけに佐伯さんの心の中に入り込んでいく。
ナカタさんと星野青年は、「カーネルサンダース」の力を借りながら、「入口の石」を探す。
田村カフカとナカタさん。
これまで何の接点もなかった二人が、なぜか徐々に近づいていく。
ファンタジーの香りがするがファンタジーではなく、推理小説風だが、推理小説ではない。
荒唐無稽な現象が続発するものの、この物語の中ではそんなことが当たり前に思えてしまう。
読者はそうやって村上春樹に感化されながら、不思議な好奇心を維持し続けながら、最後まで読み続けてしまう。
やはりこの作品にも、村上春樹のテーマである「生と死」が根底に流れている。
死があることによって生が強烈に浮かび上がる。
しかし、生と死が対極的に描かれているわけでもない。
この描き方が村上春樹独特な雰囲気を醸し出しているのだと思う。
そういえば、田村カフカが森の中で入り込む世界は、「世界の終わり」の街に非常によく似ている。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.161
(4pt)

〜 寓話と象徴の謎かけに満ちた、想像膨らむ良作。 〜

2000年以降、村上 春樹さんにとっては初めての長編小説作品。
15歳の少年が訳あって家出をし、見知らぬ土地へ向かっていくとの、
基調となる筋立ては、決して奇をてらったものではないし、むしろその
平易な文体と相まって、非常にオーソドックスな印象を受ける。
その物語自体を純粋に楽しむこともできるだろうし、それで物足りない
人は、作品の中に込められた沢山の寓話性と象徴的な出来事から、
答えのない謎かけに、自分なりの想像を巡らすこともできる作品。
全体のトーンが、静かでありながらも何か不穏な空気に満ちている
こともあり、特定の感情を刺激されるかもしれない。僕自身も、一度
体調が思わしくない時には、途中で読むのを止めたことがある。
また、主人公のカフカ少年もさることながら、個人的には脇役として
登場する登場人物の中で、「大島さん」と「ナカタさん」が何を言わんと
しているのか、上巻を読み終わった今でも考えている。
大島さんは、攻殻機動隊のアオイ君を連想させる引用マシーンで、
物語全体の枠組みを形作っていく「語り部」の役割を果たしている。
その手法は、松岡 正剛さんの著作なども彷彿とさせる。
ナカタさんについては、村上さんがずっと書き続けている「失われた」
「損なわれた」ある種のイノセントさの象徴かもしれないが、それも
また作中のある段階で再度「失われた」ように感じられる。
作品の中でも、実際にギリシア神話の引用が多数見られるが、
例えば近親愛・近親憎悪といった原初的なものが多く描かれて
おり、好き嫌いは別として一人ひとりに語りかけるものはあると思う。
▼ 本 文 引 用
ナカタさん、ここはとてもとても暴力的な世界です。誰も暴力から
逃れることはできません。(171)
痛みというのは個別的なもので、そのあとには個別的な傷口が
残る。(384)
海辺のカフカ (上) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545
No.160
(4pt)

中々面白いと思います。

相変わらず内省的で感傷的で自己愛に満ちた主人公(=村上春樹本人??)が紡ぎ出す、自己発見の物語ですが、非常に面白いと思います。主人公の愛の行方、その結末は近親相姦的で非常に胸くそ悪い感じではあるのですが、あえてその禁断の部分に踏み込んでみせたぜよ!って主張を感じて逆に潔し、って感じですね。村上作品群の中でも中々面白いと思います。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 海辺のカフカ (上) (新潮文庫)より
4101001545