羊をめぐる冒険

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評判

羊をめぐる冒険の評価:

4.22/5点 レビュー 208件。 B ランク

Amazon書評・レビュー点数毎のグラフです

平均点4.22pt

Amazonレビュー一覧

Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全53件 21〜40 2/3ページ
No.33
(2pt)

面白いか?

大学一年の時に出て割と話題になったのですぐ読んだが、さほど面白くはなかった。というのは私は村上春樹に批判的だがそれとは別に面白くなかったのである。蓮實重彦『小説から遠く離れて』で批判されているが、探した結果見つけたのが昔の自分だというのは「エンゼルハート」の原作のヒョーツバーグ『堕ちる天使』のパクリで、このあとでオースターもやっているやつではないのか。
羊をめぐる冒険 Amazon書評・レビュー: 羊をめぐる冒険より
4062002418
No.32
(2pt)

村上春樹 青春三部作最終章

いまから約25年前に人から勧められて読んだのが、デビュー作の「風の歌を聴け」そして続編ともいえる「1973年のピンボール」。
残念ながら同時期に読んだ「ノルウェーの森」同様に自分の心の琴線には響くものはなかった。

あれから四半世紀。青春篇の最終章と位置づけられており、評判も良かった本作に挑戦してみたが、村上文学に対して「不導体」で
ある自分を再認識したに過ぎなかった。

初期作品に限られることかもしれないが、作品には常に「セックス」「酒」「タバコ」そして「死」の香りが付きまとい、学生運動が
終焉を迎え、どこか退廃的な空気が当時の若者たちのあいだに漂う70年代を懐かしむと同時に、その時代に対するレクイエム(鎮魂歌)
を捧げるのが三部作のテーマのようにも感じた。
羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)より
4062749122
No.31
(3pt)

羊男のイラストが気になる

本書の時代背景である1978年は、単行本化された当時は数年前のことであったが、今となっては時代は遡っているのだから、幾分古めかしい用語も登場する。「テクニカラー」、「テレビのスイッチをつけて、チャンネルをひととおりまわして」、「部屋にはテレビ・ゲームが四台」、「ブックシェルフ・スピーカーとアンプとプレーヤー」などです。
「テレビで『バックス・バニー』の再放送」、「ナット・キング・コールが『国境の南』を唄っていた」、「パーシー・フェイス・オーケストラの『パーフィディア』」、「ベニー・グッドマン・オーケストラが『エアメイル・スペシャル』を演奏」、「チャーリー・クリスチャンが長いソロを取った」 などは、当時の読者は分かるだろうが、後の読者は何だかわからない。しかし2005年以降くらいだろうか?YouTubeの存在が、どういった曲なのか読者は知ることが出来るようになりました。今はそういう便利な時代です。
村上春樹の代表作「ノルウェイの森」などと比べて本書は軽くて読みやすい。でもこの作品は軽いがゆえにかえって腑に落ちない点が幾つかあるのです。63頁「夢の中に羊が現われて、私の中に入ってもいいか、と訊ねた。」 いったい羊に憑かれるとは何なのでしょう?ある人の解釈によれば、羊は悪魔である。そのようなものと考えれば合点はゆきます。そして上巻に戻りますが、耳のモデルの彼女はなぜコールガールという設定なのでしょう?耳のモデルという設定で十分ミステりアスではないでしょうか?まず日本にコールガールなどいるのでしょうか?フランスでは、地位の高い要人を相手にターゲットとしたそういった職業があるそうですが、日本ではソープランド嬢、本書の時代背景である1978年では、トルコ嬢と呼んでよいでしょう!多分そういった呼称が使われれば、下品なものになってしまうからコールガールなどという呼び方にしたのでしょう?そして、戻って下巻では、この耳のモデルの彼女は山を下ります。どうやって下山したのでしょうか?歩いて下山できる距離ではありませんし、ヒッチハイクできる車が付近を往来しているわけでもありません。そして、一旦、ドルフィン(いるか)ホテルに戻った彼女は、「行き先はおっしゃいませんでした。体の具合がお悪そうで」とは、何を意味しているのでしょう?
そもそも、羊男と鼠との関係は、何なんでしょう?同一人でしょうか?下巻の167ページには羊男のイラストが掲載されています。この絵はすごいインパクトです。上下巻で絵はこの頁だけ掲載されている。そもそも掲載される必要があったのでしょうか?またこれほど印象深いキャラクターを絵として造形し創造したのは、誰なのでしょう?
最後に、結末のほうですが、××によって、羊男・鼠と黒服の男はどうなってしまったのでしょうか?自○なのか?それとも事故に遭遇したのか?そうでないのか?なんだかわかりません。消化が良いと思い食べたものがそうでなく未消化でいる気分で満ちているのです。
羊をめぐる冒険(下) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 羊をめぐる冒険(下) (講談社文庫)より
4062749130
No.30
(3pt)

評価って難しい

本書の時代背景である1978年は、単行本化された当時は数年前のことであったが、今となっては時代は遡っているのだから、幾分古めかしい用語も多く登場する。
「東京都の区分地図」、「国電」、「アルバムを開いてみると彼女が写っている写真」、「テープデッキのリール」、「近所にあるオーディオ・メーカーのショールームで新譜のレコードをひとかかえ聴いて時間をつぶし」、「運転手は座席の下から手さぐりでカセット・テープを選び出し、ダッシュボードのスイッチを押した」、「公団住宅」、「トランシーバー型の受話器」、「デジタル時計」、「ピンク電話に十円玉を三枚入れ」など。
「ジョニー・リヴァーズが『ミッドナイト・スペシャル』と『ロール・オーヴァー・ベートーヴェン』を続けて唄っていた。それから『シークレット・エージェント・マンになった。』」、「レコードはビル・ウィザーズに変り」、「メイナード・ファーガソンの『スター・ウォーズ』を聴きながら」などは、当時の読者は分かるだろうが、後の読者は何だかわからない。しかし2005年以降くらいだろうか?YouTubeの存在が、どういった曲なのか読者は知ることが出来るようになりました。今はそういう便利な時代です。
さて、この作品を読んで良いとか面白いとか評価をする人がいます。本書は1982年に単行本化されて1985年に文庫本化され、以後何度も再刷りされて発行が続いています。このことは、きっとそういった評価の結果なのでしょう。でも最初自分はあまり面白くありませんでした。何故かと思い巡らせば、後の彼の作品にあるような過激な性描写がここにはない、Aパート・Bパートと交互に物語が進行する形を取っていない、それ故に緊張感や興奮度が少ないといったのが原因ではないかと。「羊をめぐる冒険」という標題も何かしらスリリングな『冒険』を期待されて読んだのですが、冒険というにはたいしたこともなくその期待はかわされてしまいました。後の作品だと、ときには性描写が嫌悪するほど激しく吐き気がするほどでも、本書では、243頁のように「我々はソファーの上で抱きあった。~僕は彼女のシャツのボタンを全部はずし、手のひらを乳房の下に置いてそのまま彼女の体を眺めた。」とおとなしい目の表現です。
しかし、よく読むと「やれやれ」と呟き、「猫」がでてきて、知り合った女性が葛藤もなく主人公とまぐわってしまう。間違いなくここでは「村上ワールド」の方法論が成立しています。春樹作品を読み続けている読者にとって、数々の作品の成立の過程を知る点で「羊をめぐる冒険」は興味深い作品でしょう。「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」「ダンス・ダンス・ダンス」は羊四部作で、デビュー作「風の歌を聴け」からは、本作は3作目です。作者村上春樹がジャズバーを売却して専業作家となって書き上げたはじめての長編小説です。
ただこの作品だけを単独に読む読者にとっては、ある種の緩いいいかげんさが良いと感じるのか、それとも緩い設定の非整合性が、消化の悪いものを食べたあとのもたれと感じるのか、単独では評価は難しいです。
羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)より
4062749122
No.29
(3pt)

羊男のイラストが気になる

本書の時代背景である1978年は、単行本化された当時は数年前のことであったが、今となっては時代は遡っているのだから、幾分古めかしい用語も登場する。「テクニカラー」、「テレビのスイッチをつけて、チャンネルをひととおりまわして」、「部屋にはテレビ・ゲームが四台」、「ブックシェルフ・スピーカーとアンプとプレーヤー」などです。
「テレビで『バックス・バニー』の再放送」、「ナット・キング・コールが『国境の南』を唄っていた」、「パーシー・フェイス・オーケストラの『パーフィディア』」、「ベニー・グッドマン・オーケストラが『エアメイル・スペシャル』を演奏」、「チャーリー・クリスチャンが長いソロを取った」 などは、当時の読者は分かるだろうが、後の読者は何だかわからない。しかし2005年以降くらいだろうか?YouTubeの存在が、どういった曲なのか読者は知ることが出来るようになりました。今はそういう便利な時代です。
村上春樹の代表作「ノルウェイの森」などと比べて本書は軽くて読みやすい。でもこの作品は軽いがゆえにかえって腑に落ちない点が幾つかあるのです。63頁「夢の中に羊が現われて、私の中に入ってもいいか、と訊ねた。」 いったい羊に憑かれるとは何なのでしょう?ある人の解釈によれば、羊は悪魔である。そのようなものと考えれば合点はゆきます。そして上巻に戻りますが、耳のモデルの彼女はなぜコールガールという設定なのでしょう?耳のモデルという設定で十分ミステりアスではないでしょうか?まず日本にコールガールなどいるのでしょうか?フランスでは、地位の高い要人を相手にターゲットとしたそういった職業があるそうですが、日本ではソープランド嬢、本書の時代背景である1978年では、トルコ嬢と呼んでよいでしょう!多分そういった呼称が使われれば、下品なものになってしまうからコールガールなどという呼び方にしたのでしょう?そして、戻って下巻では、この耳のモデルの彼女は山を下ります。どうやって下山したのでしょうか?歩いて下山できる距離ではありませんし、ヒッチハイクできる車が付近を往来しているわけでもありません。そして、一旦、ドルフィン(いるか)ホテルに戻った彼女は、「行き先はおっしゃいませんでした。体の具合がお悪そうで」とは、何を意味しているのでしょう?
そもそも、羊男と鼠との関係は、何なんでしょう?同一人でしょうか?下巻の167ページには羊男のイラストが掲載されています。この絵はすごいインパクトです。上下巻で絵はこの頁だけ掲載されている。そもそも掲載される必要があったのでしょうか?またこれほど印象深いキャラクターを絵として造形し創造したのは、誰なのでしょう?
最後に、結末のほうですが、××によって、羊男・鼠と黒服の男はどうなってしまったのでしょうか?自○なのか?それとも事故に遭遇したのか?そうでないのか?なんだかわかりません。消化が良いと思い食べたものがそうでなく未消化でいる気分で満ちているのです。
羊をめぐる冒険 (下) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 羊をめぐる冒険 (下) (講談社文庫)より
4061836072
No.28
(2pt)

エンタでしょ

「ハルキスト入店禁止」そんな店があったらビックリするだろうが、ぼくの近所にそういう掲示物を張り出したラーメン屋が本当にある、店の外なら効果があるだろうに店主は気が小さくてそこまではできないらしい、脂汚れがひどいのでもうだいぶ前に張ったものなのだろう、入って左手の鏡の上にプラスチックのメニュー板があるのだが、欄外に「特製あんかけチャーハン」の短冊を掲げるようになり、その下にふと視線をずらしたとき、古びたポリ容器の陰に隠れるようにしてあるこの小さな張り紙にようやく気づいたのだ、
その日、昼の部の最後の客になったぼくは、財布を抜きながらその点をさりなく質してみた、無論「ハルキストではない」とことわりを入れた、店主は「読んでいて何にも引っかからねえ、そんなの文学といえるか」とかなりの詰問調で返してきた、ぼくのことを正真正銘のハルキストと勘違いしている、高齢の店主に言わせると、トルストイや司馬遼太郎、こういうのが本物なのだという、

このやりとりをきっかけにして、ぼくは村上春樹を初めて読む気になった、昨年10月のことだった、
うわさに高い「羊たちの冒険」、ターゲットは絞れていた、最近作は失敗続きだというし、恋愛モノは大の苦手としている、壮大な作品というのも骨が折れる、作家というのは初期作品に全貌が現れる、処女作を超えられない、という格言も選択の後押しをした、

ばかばかしい話だが、とにかく肩が凝らない、スムーズに話が進み、いろんな意味で読者の期待に素直にこたえてくれる、いい女がいる、射精する、料理を作る、音楽の話がある、飽きないのだ、下巻から読み始めたが所要時間はそれぞれ40分程度、計1時間半に満たなかった、これだけの時間的ロスで世の片隅でジメジメしていた人間が、明るい顔をしてふたたびメインストリームに立つことができる、劣等感と優越感のせめぎ合いのなかで敗北を余儀なくされ、かろうじて息をしている現代人――彼らにとっての必須の処方箋になり得る、効果はてきめんで、ふたたび息が詰まるころ新処方の「ココロの軟膏」が全国チェーンのドラッグストアにプロモーションとともに並ぶというわけだ、

初めての長編でこの水準に達したというのは、やはり驚異であろう、なぜなら小説を書くような人は、右とか左とかの思想に凝り固まっていたり、哲学的想念の高みに立っていてそこから降りようとしなかったり、いつまでも棟割長屋の原風景的なものにこだわりつづけていたり、何かに「染まっている」ものだが、そういうところがまったく見られない、抑えようとしても端々に出てしまい、抜けるのに時間がかかるはずなのに、この作家は最初から透明のままやって来た、万人に対して素通しの文章を書ける、これは削らなきゃという箇所がほとんど目立たない、余計なことはいっぱい書いてあるが、それは読者とのお約束であり、おしゃれ感覚であり、貧乏臭いこだわりが前に出るというのとは違う、推敲で辿りついたというより、第一稿からプレーンなテキストになるのだろう、

全編を通じては、北海道の自然のなかを走破するシーンがいい、車に羽がついているようだ、疾走感・浮遊感がある、これは意識を無意識のほうにスライドさせてできることなので、そういう意味では芸術家の風貌を垣間見せてくれている、ということはできる、

だが本作は芸術作品ではない、エンターテイメントだ、贔屓目でもコンテンポラリーアートの域にとどまる、度重なる既視感、ここは先行する小説、映画、テレビドラマのパクリではないか、という疑惑が次々に途切れない雲のように飛来してくる、そのたび投げ出そうか、と思うのだが、何しろ文章がさらっとしているので、そこまでの反発は抱かない、いや読んでいる間は抱けない、
冒頭の部分がチャンドラーの名作の出だしと同じだと指摘した評論家がいたのを思い出し、調べてみるとたしかにそうだった、しかしこの作家がこの名作の新訳を出して、それを闇に葬ってしまった、完全犯罪の成立?――いや、そういう後ろ暗さ、いみったらしさのないところがこの作家の持ち味だ、とはいえ意外に機を見る敏で目端が利く、気を抜いていると思い切った独断専行に走り、後手を踏まされる、後ろからチクっと刺される、あれっという思いがつきまとう、逆に言うと出し入れがウマイのだ、

誰かがコンテンポラリーアートはその時代の支配的な感覚を少しだけ先取りするが、その元になるのはまったくの新しさではなく、むしろ古い型の踏襲にあると言った、その人はベンヤミンを読んでいたのだろう「――大衆の音頭をとるのはつねに最新のものである。だが最新のものが大衆の音頭をとれるのは、実はそれがもっとも古いもの、すでにあったもの、なじみ親しんだものという媒体を使って現れる場合にかぎってのことなのである」
村上春樹という一つの容器はベンヤミンのこの一文のなかにすっぽりおさまってしまう、それほどに小さい、だからこそ打つべき次の一手が必要になってくる、売れっ子の彼には彼なりの焦りがあるのだ、それは芸術家の焦りではない、たった一人の広告代理店ゆえの焦りではないかとおもわれる、
文章にとどまらずこの作品の構造、骨組みの部分に型の踏襲がある、引っかからない文章の元にはコピーライティングの技術が隠れている、人物はブルーアイドイエローとでもいうべきか、登場人物たちが黄色人種の遺伝子ではありえない行動をとる、行動は社会化の一環でもあるから西海岸の二世であればいくらか納得がいく部分もあるが、ロスに舞台を移してもどうしても説明しきれない部分が残る、白人の属性を臆面もなく丸ごと東洋人に放り投げている、これは商業的アーティストとしての立場から理解できても、芸術家としての観点からは理解不能である、
つまり彼は人間を描くことがちっともできないし、最初からその気もない、アメリカ、ヨーロッパの既存のものに日本人の衣装を着せているに過ぎない、これと対になるであろう死に対する意識の欠如、こっちのほうがもっと深刻で致命的かもしれない、死を描けない作家は生を描けない、即物的な死はたっぷり用意されている、しかし自然死は見事に割愛されている、芸術に本当の生命が宿るのは死を突きつけている瞬間だけだ、自殺の多発は裏を返せば自殺以外に死ありえないという極論を熱心に説く伝道師の眉唾を根拠とした性質の悪い嘘だ、「透明の正体」は実はそれであった、
テレビコマーシャルに死の要素は盛り込まれない、購買意欲は死の意識を取り去ったところにしか生まれない、景気に水を差すのが死だ、老人だ、賢者の戒めだ、それを抜いたものが商品ということになる、数ある風邪薬で競争優位に立つのは宣伝上手の会社の製品と決まっている、パッケージングにこだわり、起用する俳優のイメージにこだわる、適度に効く、しかも誰にでも、副作用もない、安心、中身ではない、パッケージングの勝利、しかしココロが風邪を踏み外したとき村上流「ココロの処方箋」は記号を並べた紙切れになるしかない、フクシマ以降、日本人は「ココロが風邪を踏み外し」ているからバッシングの雨が降っているのだ、油断してはいけない、芸術家ではなくコンテンポラリーなアーティストは、大衆がふたたび風邪の守備範囲内に戻ってくるのを知っている、それを待っている、埃をかぶった古い誰かの処方箋がこの人の手にはいり、その手にかかって最新のものに化けて世に出ることになる、

ページをめくっていたぼくの興味は、物語からは失われていった、だが、登場人物が米を食うシーンがあるのかないのか、に興味が移り、かきたてられ、いつのまにか絞られ、それに引っ張られてエンディングに行き着いた(ぼくの場合は上巻の最終ページになるが)、彼らはついに米の飯を食わなかった、食べたことは食べた、だが、食べたのはたしかピラフだったと思う、意外な発見もした、
子供のころ、当時の二枚目俳優と美人女優が逃避行をして、山荘にこもり、しばらくして買出しに出て、いっしょに食事を作るという場面を見た、ぼくは衝撃を受けた、二人はいっさい言葉を交わさず、フランスパンを買い込み、牛肉を仕入れ、ワインを買い、野菜を調達して、手分けしてサラダとビーフシチューを作り、無言のままワイングラスを傾け、パンをちぎったのだ、この場面がそのままこの作品に使われていた、
偶然かもしれないし、本作の価値を少しも毀損するものではない、だが異なる作り手の意図が何かの次元で共鳴したことは間違いない、日本酒と肉じゃがと白飯では、いっぺんに興ざめしてしまう、では、醒めていない段階でわれわれが見ていたものは何だろう、ぼくは既にゴッホを知っていたし、新潮社のポケット版作品集で『馬鈴薯を食べる人たち』を見ていた、ドラマの一シーンとこの絵が重なっていたはずだ、いま「羊たちの冒険」を読み終わってそれにもう一枚が重なった

三か月ぶりにラーメン屋に行ってみた、店主はぼくのことを憶えていた、いつになく上機嫌で、他の客の麺をもみながら、こう言った「お客さん、あなた、ハルキストでしょ、顔見りゃわかるよ」
羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)より
4062749122
No.27
(1pt)

村上春樹初めて読む

久々に三島由紀夫の「夏子の冒険」を読もうと新しい版を買って読んだのち、巻末にこの作品が触れてあったので、上下買ってしまいました。 しばらく村上龍とも春樹とも意識せずページをめくってましたが何も共通点がない逆の趣味の小説で「上」の1/3で止めました。 これがこの作家の到達点のように書いてある方もいますがそうならば縁のない作家でしょう。 ごめんなさい低評価で。 でも三島作品の巻末に書いた人お金を返してくださいと言いたいです。
羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)より
4062749122
No.26
(2pt)

希薄な喪失感の希薄な冒険

ミステリとファンタジーとノワールがミックスされたような他愛ないプロットが、情景・状況描写、比喩表現、一般論に落ち着きがちな諦観的人生観などで彩られ、主人公「僕」(村上春樹自身の代弁者ととれる)が、かつてのセフレ、前妻、旧友、新しいガールフレンドなど、それなりの関わりのあった人物たちを失っていく、喪失感が基調の作品。

読みどころの1つである比喩表現については、筆者の限られた読書経験の中では、チャンドラーの影響が強いと思う(プロット面でも、結末で旧友と再会するなど『長いお別れ』に通ずるものあり)。また、情景描写や価値観などには、1980年前後の時代性が色濃く反映されているため、風化も早く、今読むと古い(些細な点ながら、飲酒・喫煙シーンの多さも個人的にNG)。喪失感については、失われていく人たちとの関わりが希薄なので(少なくともそう描かれているので)、非常に希薄。おそらく村上の狙いなのだろうが、読書体験そのものも希薄で、印象に残りにくく、個人的には読まなくてもよかった作品という思いだ。

登場人物の中では、ファムファタール役の新ガールフレンドの扱いに疑問が残る。プロットにどの程度関わっていたのか、明示されず謎として残るのは小説技巧としては上手いものの、登場した時の知的でミステリアスな感が徐々に消え凡庸な女性に成り下がり、更には主人公「僕」とも強い絆を持たぬまま、あっけなく消えてしまう。作品の希薄さには貢献しているが、人物としては印象に残らない。それが村上の意図であるにせよ、読者としては、鮮烈な印象と共に消え、「僕」の喪失感を強めてほしかったところだ。
羊をめぐる冒険(下) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 羊をめぐる冒険(下) (講談社文庫)より
4062749130
No.25
(2pt)

希薄な喪失感の希薄な冒険

ミステリとファンタジーとノワールがミックスされたような他愛ないプロットが、情景・状況描写、比喩表現、一般論に落ち着きがちな諦観的人生観などで彩られ、主人公「僕」(村上春樹自身の代弁者ととれる)が、かつてのセフレ、前妻、旧友、新しいガールフレンドなど、それなりの関わりのあった人物たちを失っていく、喪失感が基調の作品。

読みどころの1つである比喩表現については、筆者の限られた読書経験の中では、チャンドラーの影響が強いと思う(プロット面でも、結末で旧友と再会するなど『長いお別れ』に通ずるものあり)。また、情景描写や価値観などには、1980年前後の時代性が色濃く反映されているため、風化も早く、今読むと古い(些細な点ながら、飲酒・喫煙シーンの多さも個人的にNG)。喪失感については、失われていく人たちとの関わりが希薄なので(少なくともそう描かれているので)、非常に希薄。おそらく村上の狙いなのだろうが、読書体験そのものも希薄で、印象に残りにくく、個人的には読まなくてもよかった作品という思いだ。

登場人物の中では、ファムファタール役の新ガールフレンドの扱いに疑問が残る。プロットにどの程度関わっていたのか、明示されず謎として残るのは小説技巧としては上手いものの、登場した時の知的でミステリアスな感が徐々に消え凡庸な女性に成り下がり、更には主人公「僕」とも強い絆を持たぬまま、あっけなく消えてしまう。作品の希薄さには貢献しているが、人物としては印象に残らない。それが村上の意図であるにせよ、読者としては、鮮烈な印象と共に消え、「僕」の喪失感を強めてほしかったところだ。
羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)より
4062749122
No.24
(1pt)

女のくさったような文章書くな!!

やっぱりダメだ。
こんなの好きなの多いのが信じられんな。
読み始めて、1ページ過ぎて、耐えがたい。
羊をめぐる冒険(下) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 羊をめぐる冒険(下) (講談社文庫)より
4062749130
No.23
(1pt)

女のくさったような文章書くな!!

やっぱりダメだ。
こんなの好きなの多いのが信じられんな。
読み始めて、1ページ過ぎて、耐えがたい。
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4062749122
No.22
(3pt)

何も起こらない

村上春樹の小説は何も起こらない。最終的に自分で考えてというようなことなのだろう。でももう少し最後に、なにかほしかった。
羊をめぐる冒険(下) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 羊をめぐる冒険(下) (講談社文庫)より
4062749130
No.21
(3pt)

何も起こらない

村上春樹の小説は何も起こらない。最終的に自分で考えてというようなことなのだろう。でももう少し最後に、なにかほしかった。
羊をめぐる冒険 (下) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 羊をめぐる冒険 (下) (講談社文庫)より
4061836072
No.20
(3pt)

理解できない

続きが気になって、どんどん読み進みたくなる。
ただ、読み終わった後で、
「この本は一体何を言いたかったのだろう」と、
考えてしまった。
羊をめぐる冒険 Amazon書評・レビュー: 羊をめぐる冒険より
4062002418
No.19
(2pt)

羊をめぐる冒険

帯、カバーに思った以上に汚れ、擦り傷、日焼けがひどく不満足。
羊をめぐる冒険 Amazon書評・レビュー: 羊をめぐる冒険より
4062002418
No.18
(3pt)

エンターテイメント性のある村上作品の最初?

村上作品は、友人に面白いと勧められた「ノルウェィの森」を大学時代に読んだのが最初。
その後、ここ数年、前期三部作とか最近の作品とか、有名どころは読んでます。
全部は網羅していません。

で、この作品はおそらく初めてエンターテイメント性を自分の小説世界に持ち込んだ最初の作品なのでしょう。
他のレビューで映画から着想を得た、と書いてあって、なるほどと思いました。
確かに映画的です。絵が浮かびやすい作品です。

このエンターテイメント性は、おそらく「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」とか「1Q84」に引き継がれます。
そういう娯楽性も楽しみたい方にはおすすめします。

ただ、最初の小説からずっと一貫しているなと思うのは、この人はいつも静かに怒っている。
世界のあり方にどうも納得していないらしい。

私もずっとそう思っているから、そこに共鳴して読んでしまうのだろうなと思います。
ですから、今に満足している人にとっては、何も響かないと思います。
今を変えたくない、決まった法則の中で安全に暮らしたいと考えている人にとっては、村上春樹は無用の長物でしょう。
むしろ害であると感じる人もいるでしょう。

世の中には大きく分けて、二種類の人間がいると思います。
今を変えたくない、ただひたすら幸福を求める人と、
今を変えたい、現状に満足できない人です。
後者を村上さんは支持していると感じる。
それは、「アフターダーク」ではっきり言っている。

そう、村上さんはそういうことを、今まであまりはっきり言わなかったのですが、 けっこう「アフターダーク」あたりからはっきり言うようになった。
それで私は、ずっと村上春樹を読んでしまうのだな、と感じます。

今後も、村上さんには、ペンで戦っていただきたい。
そう思います。
羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)より
4062749122
No.17
(3pt)

羊男と数字が気になって眠れない

あちこちにシンボルが散りばめてあり、それが謎解きのようであることはとてもおもしろく読みがいがある。特に、羊男とたくさん出てくる数字が気になる!!でも解けない。。。時間をおいて5回読み直したけどやっぱりシンボルが何を象徴しているのかも話しの内容もよくわからない。村上春樹の良さが分かる人と分からない人がいる、というのはこうゆうことを言っているのだと思う。この作家独特の心象風景描写には惹かれないが、作家の社会的な面にはとても魅力を感じる。
羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)より
4062749122
No.16
(3pt)

鼠が素敵

村上氏の長編はこれまで「ノルウェイ」、「カフカ」、「世界の終わりと〜」と読んできたが、この長編は素直に彼の個性が表現されているという点において他の作品に群を抜いているように思う。何が「素直」かと言えば「僕」という存在や「鼠」という存在のリアリティ、メタファーの多様、推理小説ばりのエンターテインメント性などがそうだ。「カフカ」は文章といい、登場人物といい、こしらえものくさい印象が鼻についた。しかしリアリティ溢れるこの作品は読むものの心を震わせる素直な魅力を感じた。難点を挙げるならばストーリー進行の緩慢さと風景描写の冗長か。危機的な状況にあるにもかかわらず主人公らの行動に緊張感が感じられないのが疑問だし、下巻の登山のくだりは読んでいて飽き飽きした。あとこれは他の作品にも言えることだが主人公の「やれやれ」的な受身体質、すぐにやらせてくれる女性の性格にはいつまでたっても慣れない。
羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)より
4062749122
No.15
(3pt)

久しぶりに読みました

ある日、僕の頭に羊が浮かんできました。

それは、昔に読んだ村上春樹の本書に出てきた羊の姿とクロスしました。

10年ぶり?20年ぶり?に読みたくなり手に取りました。

春樹ワールド全開で、少し景気が良かった時代が懐かしく読みました。
羊をめぐる冒険 (下) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 羊をめぐる冒険 (下) (講談社文庫)より
4061836072
No.14
(3pt)

私には難しかった

村上春樹の作品を読んでみようと思って挑戦したが、内容の解釈がなかなかできずよくわからないまま読みおわってしまった。

雰囲気には浸れると思いますが、私のような読解力に自信のない人にはお勧めできないです。
羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)より
4062749122