■スポンサードリンク
広重ぶるう
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
広重ぶるうの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.32pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全25件 21~25 2/2ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
余り小説を読まないが、久々に葛飾北斎以外の江戸・浮世界を味いたくて読んだ。 彼方此方に江戸っ子弁が飛び交う市井の町民を描き、宛ら時代に飛び込んだ様に再現した其の構成・文章力。 アイランド 森瑶子を読んだ後の様な満足と清々しい気分に浸れた。 是を読まずして浮世絵に描かれた風情は理解出来ないだろう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
昔の言葉が最初は、中々読みにくいが、徐々に物語に引き込まれていきます。 学びの深い作品。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
歌川広重の「名所江戸百景」を愛する者として、「東海道五十三次」さえも名所絵の絵師として名声を確立するための手段だった、という筋立が好ましい。経歴書だけでは頭に入らなかった、父母の死去による火消同心任官、年若い叔父の出現、妻の死去と後妻との結婚、お辰養女のいきさつなど家族関係が筋の中でよく分った。また、「名所江戸百景」が安政大地震やその後の暴風雨で壊れた江戸を描くのではなく、広重の頭脳にすり込まれ、下絵も千枚もあるという壊れない、あるべき江戸の姿を残すために描いたという主張は納得できる。「名所江戸百景」のいくつかについて当時は壊れて修理中だった、などケチをつける連中に見せてやりたい。ただ、歌川広重こと安藤重右衛門の口舌がいかにも汚い。藤沢周平も歌麿や広重など浮世絵師を幾人も描いているが、もう少し礼儀をわきまえた語り口だ。本書の口舌は残念に思う。ついでにP12に「のんべんぐらり」とあるが、そういう言葉はない。「のんべんだらり」の間違いだろう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
安藤広重といえば学校で習った「東海道五十三次」で有名な江戸時代の絵師だが、彼を主人公にした本作品は、風景画というジャンルを切り開いた広重の生涯を描き切った良い作品だった。 物語は安藤広重がまだ火消役をしながら絵を描くものの、全く売れない極貧の時代から始まる。兄弟弟子の歌川国貞、国芳が美人画や役者絵で名を挙げて行く姿を見て、プライドと劣等感の間でもがく広重は、金の工面で妻に迷惑をかけ、周囲のアドバイスにも耳を貸さない。 そんな広重を変えたのが、ベロ藍と呼ばれる海外から輸入した新しい顔料との出会いで、これを使って紺碧の空を描きたいと決意したことを契機に、それまで評価されなかった風景画という新たなジャンルで名声を勝ち得て行く。 安藤広重という人間は短気で喧嘩っ早く欠点も多いが、一本気で人間味がある憎めない人柄であり、そんな彼と彼を取り巻く人間模様を描いた作品は、笑いあり涙ありの心温まる作品で最後まで楽しく読むことができた。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
梶よう子の新作、と言っても、実はこの作者の本を手にとるのは初めてだったが、『東海道五十三次』や『名所江戸百景』と言った作品で有名な、歌川広重の半生を描いた小説である。悲喜こもごもの物語の中に、広重と、その生きた時代と、周囲の人たちを生き生きと描き、そして爽やかな読後感に包まれた。傑作である。 物語は、広重が朝風呂から呼び戻され、版元の栄林堂、岩戸屋喜三郎から説教を食らうところからはじまる。歌川広重、本名は安藤重右衛門は武士階級の生まれ、と言っても、貧しい火消同心の生まれで、早くに父を亡くし、十三歳で家督を継いで、江戸の町の火消しを本業としてきた(この小説のなかの広重の荒々しい言葉使いや粗暴に見える性格は、火災の現場を仕切ることに由来する造形だろうか)。そして、小さい頃から絵を書くことが好きで、町絵師、歌川豊広に弟子入りし、広重という号をもらい、役者絵や美人画を描いて、それを内職にしようとするが、これが全く売れない。喜三郎は、広重の絵師としての覚悟のなさを説教し、青色の団扇を置いていく。それは、新しい舶来の絵の具、ベルリン藍(ベロ藍)で彩色されたものであり、今までの絵の具と異なり、多彩なぼかしの表現ができる。それを見て、広重は驚愕し、この絵の具を使い、大好きな江戸の空を描こうとする。そして、摺師の寛治に出会い、新しい表現が生まれる。それが『東都名所』になる。 この作品もさほど売れないが、名所絵の作者として注目を集めて、新進の版元の保永堂から『東海道五十三次』の発注を受ける。これは十返舎一九の「東海道中膝栗毛」の人気、この時代の人々の旅への憧れを意識してのものであったが、これが当たりに当たり、広重は名所絵の第一人者となった。ただ、それからも広重の人生は、順風満帆とはいかない。愛する妻の加代の死、水野忠邦の天保の改革、後妻となるお安との出会い、一番弟子の昌吉の死、この時代の人気絵師である歌川豊国と『双筆五十三次』の共作。禍福は糾える縄の如し、というように物語は進んでいく。そして、広重はいつしか還暦に近づく。老いが忍び寄るなかで、自分が本当に描きたい、大好きな江戸の景色をまだ十分に表現していないことに焦慮する。そのとき、安政の大地震が起き、愛する江戸の風景は灰燼に帰してしまう。 物語の粗筋はこんなところだが、この小説の素晴らしい点を幾つか書いてみたい。まず、先述したとおり、広重は言葉が汚く、粗暴に描かれている。しかし、妻の加代も、版元の喜三郎も、幼い頃から絵を一緒に学んだ武左衛門も、そんな広重に対し決して愛想をつかすことはない。一番弟子の昌吉に対する優しさに見られるように、広重には、表面の粗暴さとは違う、内面的優しさがあるからである。そうした矛盾を、見事に一つの人格として造形している。そして広重の周囲の人物についても、感情の襞を細かく描き分けている。 それから、北斎や歌川豊国と対比させることで、同時代における広重の独創性がどこにあったかを、大変見事に表現している。そして、版元や摺師を頻繁に登場させることで、錦絵というものが、どのような分業で出来上がり、そしてどのように商業的に成り立っているかといった、この当時の美術業界全体をも描いている。 最後に、江戸の市井のあり方をよく描いている。借金取りの権蔵に学びながら枕絵を描くシーンのユーモアのように、その市井を温かい眼差しで描いている。 なお、雑誌連載時は「東都の藍」という題名だったものを、単行本にするにあたり「広重ぶるう」に改題したようだ。これは素晴らしいと思った。というのは、私は広重というと、大好きな吉井勇の有名な和歌、「広重の海のいろよりややうすしわがこの頃のかなしみのいろ」を思い出してしまうのだが、吉井勇の目にも、あるいはこの歌を読んで共感する私のような者にも、広重の青色はやはり特別なものに映っていて、「広重ぶるう」という題名のこの本も、やはり特別な思いで手に取ったからである。 もちろん、評価は「最優秀の作品」の☆5つと評価したが、☆5つを上回る価値があった。これは私の書いた43番目のレビューである。2022年6月22日読了。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!