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事変の夜 満州国演義 二
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事変の夜 満州国演義 二の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.06pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全17件 1~17 1/1ページ
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満州国のことは知っていても どうしてできて行ったのか どうして日本人がそこに向かって行ったのか 戦争とは?といろいろ知らないことを教えてもらった気がします。 | ||||
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資料を網羅し懸命に執筆しているのは伝わって来ます。ただ、著者があとがきで書いている通り、「小説は歴史の奴隷ではないが、歴史もまた小説の玩具ではない」という言葉が逆にそのまま当てはまると感じるのは自分だけでしょうか?言うならば資料の羅列の間に、登場人物がうごめいていると感じたのは自分だけでしょうか?だから、兄弟四人にしても、ただ都合よく出て来て、軽いエピソードに巻き込まれる感しかしないのです。1巻ではそうでもなかったのですが・・・3巻以降に期待しますが、なんだか資料に振り回されないかと、危ない感じもします。 それにしても「~ではなかった」ではなく「~じゃなかった」と書くのは著者の癖なのでしょうか?どうもその文体だけは、違和感を覚えて仕方が無いのですが・・・。 | ||||
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資料を網羅し懸命に執筆しているのは伝わって来ます。ただ、著者があとがきで書いている通り、「小説は歴史の奴隷ではないが、歴史もまた小説の玩具ではない」という言葉が逆にそのまま当てはまると感じるのは自分だけでしょうか?言うならば資料の羅列の間に、登場人物がうごめいていると感じたのは自分だけでしょうか?だから、兄弟四人にしても、ただ都合よく出て来て、軽いエピソードに巻き込まれる感しかしないのです。1巻ではそうでもなかったのですが・・・3巻以降に期待しますが、なんだか資料に振り回されないかと、危ない感じもします。 それにしても「~ではなかった」ではなく「~じゃなかった」と書くのは著者の癖なのでしょうか?どうもその文体だけは、違和感を覚えて仕方が無いのですが・・・。 | ||||
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1930年(昭和5年)から1932年(昭和7年)、満州事変の前後を描いている。 ロンドン軍縮会議で、憲法と英雄の言葉と天皇を楯に野党と回訓強硬派が政府を責める。 統帥権干犯問題がここから始まる。 さらに政府は金解禁→金融政策の失敗→大不況 それを解決するための方法が満州領有もしくは満州国だとする世論、 対ソ的な意味合いもあっただろうが 石原参謀、関東軍、思想家?大川周明などがそれに突き進む。 新聞、世論、宗教家たちも、満州にそれぞれのユートピアイメージし そのためには謀略も駆使、謀略によって大義名分を主張 それに反対する、政府や外務省を銃で脅し、 関東軍が自分たちが主張する正義、善意のために行動、満州国を建国する。 外国を見れば、米英ソ、いずれも、遠く離れた大陸の問題 にかかわるには国内や自国の植民地問題のため力を割けなかった。 そう、国内的にも対外的にもそこしかないタイミングだったのだ。 という歴史を敷島4兄弟のその時代の体験を通して描く。 この歴史が事実かどうかは置いといて、日本は数々の謀略を行っているが 現在、逆に行われていて日本はなすすべがないのだろうと思う。 当時の中国人が愛国心、国家意識が薄く、だから、支配者でも 何かですぐ転ぶ(これは利権だけじゃなく、平和や、他キレイ事もあると思う) 一般市民は誰が支配者になっても、関係ないという態度。 まさしく、今に日本人に通じていないかと思う。 『誇りもなければ、民族意識もない。何が起ころうと、重要なのは個人の暮らしだけなんだよ』 また、上司の言葉に権威がなくなっている様子も幾度となく描かれる。 これは、政府と軍との関係、軍中央と関東軍の関係、士官と兵士との関係にまで及ぶ。 昔、「事件は会議室でおきてんじゃない、現場でおきてるんだ」って つっぱしる、刑事ドラマがあったが、まさしく、同じ発想だ。 それぞれが、それぞれの理想や正義を主張、暴走する。 また、兵士は給料が安く、慰安所に行けないから、戦争が始まると強姦するとか 負けて、逃亡する軍人が、略奪、強姦しながら逃げるということも描かれている。 すでにあったことであるので、幸せな結末をイメージできないこともあって 読み進めてい気持ちが失せていったが、途中、巻末の志水辰夫氏の解説を読んで 最後まで、読み切ろうと思いました。(1巻目の作家の解説とは大違い!) 当時の日本の立場だったり、ヨーロッパとは明らかに違う植民地統治のありよう を示してくれている。 私は、支配された人たち、上から目線で押し付けたことに 恨みに思うのは仕方ないが、その子孫である自分が先人が 目指した理念、その流れでしたことを断罪したくないと思っていましたが、 志水辰夫氏によれば 『国家と個人、日本人とは何か、われわれの先人が流してきた血と汗は なんであった。本書は突つきつけてくる(以下略)』 そういう視線なら、この小説を読み続けれると思いました。 | ||||
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あらすじを下手な感想にしても仕方がない、覚悟して読破すべし。 | ||||
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最悪、ボロボロで汚いのですぐに捨てて新しいのを本屋で買いました。二度と買いません! | ||||
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文庫第一巻では敷島四兄弟の内、馬賊の頭領としての次郎の奔放な活躍、無政府主義の影響を受ける四郎の義母との爛れた生活、それをネタに脅そうとする特高の影(彼の指示で上海の東亜同文書院に入る)、そして、張作霖の爆殺に立ち会う三郎と、ハードボイルド作家らしい手法で話の中に引き込まれていった(ハードボイルドはあまり好きではないと言いながら)。奉天の総領事館で外交官として働く太郎を含めて、兄弟四人が中国と後の満州に集い、それぞれの個性とそれまでのキャリアの違いを反映して、違った道を歩き出すのだろうと予感させた。しかし、本巻では、太郎と三郎(憲兵隊に移籍するが)のスタンスに変わりは無いが、馬賊同士の抗争で仲間を失った次郎は、特務機関の間垣徳蔵の指示の下、昭和6年の満州事変と戦線拡大、皇帝溥儀担ぎ出しを手伝う。同文書院で中国語をマスターした四郎は別れた義母の事を忘れられず阿片に手を染め、やはり接近して来た間垣の指示で、最後には、上海に進撃して来た日本軍兵士からの「防壁」としての慰安所の経営を勧められる始末だ。辛うじて長男の太郎が平和外交路線に固執しようとするが弱々しい。兄弟四人が、関東軍の侵略行為を援ける展開になろうとは!特高や特務機関の人間が兄弟全てに付き纏って彼等の運命を左右することはあり得るだろうか?何か、満州事変・日中戦争の展開の過程をなぞっている様で(それはそれで私の様な年寄りにも有益なのだが)、小説としての面白味は減った。これからどう展開するのだろうか?本巻末尾に故人となった著者の短い「後記」が載っているが、昭和19年生まれの著者は戦争の事は全く知らず、全て資料に頼り、「小説のダイナミズムを求めるために歴史的事実を無視したり歪めたりしたことは避けて来た」と記している。 | ||||
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第1巻での物語への入り方が圧倒的なスケールとスピードを感じずにはいられなかったため、この第2巻では歴史の講義というか確認作業が中心となりつつあり、少しだけ「中弛み」を感じてしまったが、全体的な構成としてはまだまだ「序盤」であり「起」でありさらなる期待が湧き上がる。 著者自らが後記で述べるとおり「小説は歴史の奴隷ではないが、歴史もまた小説の玩具ではない。」という基本姿勢にブレはない。四兄弟全員が大きなうねりのなかで、自分の意思とは無関係に歴史に絡めとられてゆく姿は、まさに当時の日本人全員の姿であり、現代にも通じる鏡のような気がしてならない。 そして、実は謀略の限りを尽くす「特高刑事」こそが実はこの物語の影の主人公であることにここまで読んで気づきつつある。あと7冊で船戸文学との永遠のお別れとなるカウントダウンも始まった・・・。 | ||||
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読みたい本が溜まりに溜まっており、漸く本作第2巻を読了。満州国の前夜・興亡史(事実関係)という歴史の観点、国籍を問わずある時代と地域に居合わせた人々の抱える聖性(平穏)と獣性(欲望)を眼光鋭く見つめる人間の観点、そして敷島四兄弟の苦闘と流転を軸にエピソードを活写し積み上げる物語の視点、これらが三位一体となって描出される作者の小説世界は正に大河そのものであると改めて感じ入った。力作中の力作である。 「全身からあらゆる力が股間を伝わって噴き出していった。いつもどおり、それは脳裏が痺れるような快感だった」(35頁)。 「要するに、一夕会は大陸先行論で、桜会は国内先行論だと思えばいい」(143~4頁、他に147頁、161~2頁及び231頁) 「今年は西暦だと何年になる?」「一九三一年ですが」「出口王仁三郎はそれをこう読み取った。一九三(いくさ)の一(はじめ)とな」(148頁、189頁) 「上海じゃ金銭さえありゃ何でもできる。金銭がすべてなんだ。慈善のほとんども金銭が目的なんだよ。孤児院の経営にはそれに色が絡む」(224頁) 「奈津は見た目よりずっと肉づきがよかった。衣服のうえからでも弾力に溢れているのがわかる。三郎は奈津を抱き止めたままその表情を見た。 ・・・ 胸の膨らみは弾けそうだった」(249頁)。 「きみが観たとおり、支那全体で強烈な民族意識が成長しつつある。軍閥は餌をくれてやりさえすりゃ、いくらでも操られるが、民族意識とか民族精神とかいうやつはそうはいかん」(340頁、他に569~70頁) 「人間の本質は ・・・ 獣性だよ。兵士たちはな、生きるか死ぬかの戦闘のあとはかならず女を欲しがる。女を求めて民家に押し入る。なぜだかわかるか? 女と交わることによって生きてるってえ事実を確認してえんだよ。こんなことは理屈じゃねえ。まさに獣性としか言いようがねえだろう。 ・・・ 女を素っ裸にして腹のうえに乗っかり、腰を動かしてると、すべてを支配してるってえ気になる。 ・・・ 支配してるってえ感覚はこれまで味わったどんな感覚より心地がいいもんだよ。獣性に従えば、そいつが得られる」(541~2頁) 「イギリスにこういう諺があるのをご存知ですか? 仕事が穢ければ穢いほど、それをきちんとこなすには教養が要る。紳士であらねばならない。つまり、あなたのような知性が必要です」(552~3頁) 「小説は歴史の奴隷ではないが、歴史もまた小説の玩具ではない」(580頁、作者による単行本版後記)。 その他、出口王仁三郎の万教同根(源)論(30頁、272頁)や石原莞爾は霧社事件の反省や于冲漢の見解から満蒙領有論から新国家樹立説へと転じたこと(136~7頁、他に506~7頁)、宣統帝溥儀を満州へ連れ出すための天津事件(453~6頁)及び満州国建国に向け国際社会の目をそこから逸らすための上海事変(459頁)といった策謀の実施、ローマ法皇庁は中国の赤化を怖れて満州国を承認していたこと(508~9頁)などなど、新たに得られた歴史に関する知見も評者には新鮮であった。 | ||||
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「人間の本質は獣性。生き抜く力の源だ」。満州事変が勃発。戊辰戦争で長州藩兵が会津娘を強姦した、1巻冒頭の挿話がオーバーラップ。事変で暗躍する三郎と懸念する太郎の対立。線の細さゆえ過ちを侵し続ける四郎が恐い。 | ||||
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サンワダイレクトフィルムスキャナー、不具合の為返品しましたが、スキャナーの交換をしてください。 | ||||
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verry verry fine. I will request more in future. | ||||
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史実とフィクションのバランスが絶妙です。時代の息遣いを感じます。 | ||||
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昭和5年5月はじめから7年2月、奉天、長春、ハルピン、チチハル、大連、天津、上海が舞台。太郎、次郎、三郎、四郎の兄弟を裏から操る人形師たる特務機関員間垣徳蔵に加え表裏の情報の伝道師新聞連合社記者香月信彦も登場。 この第二巻のまさにど真中で語られるのが昭和6年9月18日午後10時24分に仕掛けられた柳条構事件(当時の呼び方)。上海に戦火がエスカレートしていく戦場の日々が兄弟四人を軸に日常と非日常の両面から描かれる。穏やかさはいささかも許されない。 食事の描写を選び出してみるだけでも、一方ではホテルのレストランで饗されるパスタ、仔牛のカツレツ、イタリア産赤ワインが、他方では川マスの干物の他には味噌汁と沢庵だけと見事に対称的。 また登場する自動車を見るとフォード社のセダン、ウーズレイ社の六輪トラック、ハーレー・ダビッドソン社のサイドカーと外国製ばかりで、大規模戦争を完遂する国力など元々なかったことがよく解る。軍用機をとっても陸軍の八八軽爆はドイツ人リヒャルト・フォークトの設計でエンジンはBMWのライセンス生産、海軍の九〇艦戦は英国ブリストル・ブルドック戦闘機を原型としたもの、八九艦攻も英国ブラックバーン社の設計と純国産が活躍する日々は遠い。 些細だが間違いを指摘しておきたい。「航空母艦能登呂」は水上機母艦が正しい(p531)、「八九式中戦車」は軽戦車が正しい(p554)。 | ||||
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本作は、もとより爽快感とは無縁の内容である。 それにしても、所々で、吹き抜ける「風」の描写が見られた1巻とは趣きが変わり、2巻では早くも陰鬱な空気が滞留する。 特に本巻で変転する末弟の人生は、次巻で更なる衝撃の展開を迎えることになる。 本巻末には船戸による「単行本版後記」が付される。 本書における著者のスタンス、作品における「参考文献」が掲載される。 序盤のこのタイミングで、著者の意図をリマインドしておくのは良いと思う。 参考文献は、学術論文的な「編著者名順」や「時代順」の配列ではない。一見散漫な羅列のようだが、船戸の関心と作品の展開が反映されているようで、興味深かった。 解説は志水辰夫氏。 続刊についてのネタばれの無いよう配慮されているものの、少々俯瞰的な内容であり、船戸個人への追憶が少ないのが個人的には物足りなかった。 | ||||
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なんとなくおぼろげにわかっていたが、本書読んで、満州事変の事が、はっきりとした、それにしても。故船戸与一は、ここまで良く調べて、もちろん、フイクシヨンながら、面白く描けたものだ。 | ||||
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迅速かつ丁寧な対応を有り難うございました。機会がありましたならよろしくお願いいたします。 | ||||
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