個人的な体験

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個人的な体験の評価:

4.38/5点 レビュー 39件。 B ランク

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全135件 21〜40 2/7ページ
No.115
(4pt)

少年と規範

主人公のバードから始まって、比喩などとして様々な動物が提示され、さながら動物園のようだ。
小説の構造としては、動物たち、竜と怪物と植物的存在、人間たち・大人たち、このような三つのグループによって謂わばイメージのレベルで階層的に構成されており、その優劣がプロットを終結させるように思える。書き出しは「鳥(バード)」となっており、鹿の比喩がすぐに続き、アフリカの地図へと導かれる。これは動物たちが犇く世界を暗示しており、動物たちは弱肉強食のエゴイズムの世界を暗示している(ホッブス風万人の闘いの世界)。竜の刺繍のジャンパーの若者たちや怪物としての赤子やそれと通ずる植物的存在とは、突然の暴力や悲劇的アクシデントを表し、制御不能の外的世界との接触を意味し、即ち運命を暗示している。突発的アクシデントとそれに絡むエゴイスティックな対応を受容し乗り越えて、あるいは「やりすご」す態度や行動によって、(マキャヴェリ風に言えばフォルトゥナに対するヴィルトゥの獲得によって)人間的世界が作られるという構造を持つだろう。

人物間の関係としては、プロットの大部分を主人公と行動を共にする火見子は後のバードを体現する存在だと言え、この突然の来訪者であるバードを処女喪失の際と同様に受け入れ慰め励まし(時に反撥し)運命を共にしようとする。また、終盤では少年性から抜け出たバードと訣別し「少年じみた男」と旅立つという、バードが脱ぎ捨てた少年性を自ら背負い込むという受難のある種神話的あるいは母性的女性像を表している。義父母も火見子に類似して、トラブルを起こす娘婿を宥めすかし受け入れる存在である。
むしろ登場人物について問題なのは、デルチェフさんと菊比古だろう。火見子が引用したブレイクとデルチェフさんが引用したカフカとでは、真逆のことを教えている。それは利己的世界から利他的あるいは共同体的規範的世界への移行を示すだろう。だが、デルチェフさんも(恐らく彼にとっても明瞭でない)利己的かつ献身的態度という両義的行動によって破滅する。菊比古は、火見子の言う「多元的な宇宙」からひょっこり現れたように登場する。菊比古はバードを慕う年少の若者であったが、唐突な再会ではむしろ反目しあうようであり、以前のような少年男子たちの世界からの両者の脱却が再会の場で示されており、アルコールの身体的拒絶がそれを強調するとともにバードは決心し、運命を受け入れつつも果敢に行動する人間の大人の世界へと踏み出す契機となる。

バードの回心は唐突であるのか。頭を擦る仕草の伝播や模倣、寝籠の赤子を守る行動、赤子の叫喚への忍耐など、直接に障害を持った赤子の受容というのもあるが、二日酔いによる嘔吐を告発されたことによる解雇の場面での、年少者の偽証を撥ねつけ自らの責任を負う言動に少年的世界・エゴイズム的世界から大人たちの規範的世界への移行が見て取れるだろう。
個人的な体験 Amazon書評・レビュー: 個人的な体験より
4103036168
No.114
(4pt)

少年と規範

主人公のバードから始まって、比喩などとして様々な動物が提示され、さながら動物園のようだ。
小説の構造としては、動物たち、竜と怪物と植物的存在、人間たち・大人たち、このような三つのグループによって謂わばイメージのレベルで階層的に構成されており、その優劣がプロットを終結させるように思える。書き出しは「鳥(バード)」となっており、鹿の比喩がすぐに続き、アフリカの地図へと導かれる。これは動物たちが犇く世界を暗示しており、動物たちは弱肉強食のエゴイズムの世界を暗示している(ホッブス風万人の闘いの世界)。竜の刺繍のジャンパーの若者たちや怪物としての赤子やそれと通ずる植物的存在とは、突然の暴力や悲劇的アクシデントを表し、制御不能の外的世界との接触を意味し、即ち運命を暗示している。突発的アクシデントとそれに絡むエゴイスティックな対応を受容し乗り越えて、あるいは「やりすご」す態度や行動によって、(マキャヴェリ風に言えばフォルトゥナに対するヴィルトゥの獲得によって)人間的世界が作られるという構造を持つだろう。

人物間の関係としては、プロットの大部分を主人公と行動を共にする火見子は後のバードを体現する存在だと言え、この突然の来訪者であるバードを処女喪失の際と同様に受け入れ慰め励まし(時に反撥し)運命を共にしようとする。また、終盤では少年性から抜け出たバードと訣別し「少年じみた男」と旅立つという、バードが脱ぎ捨てた少年性を自ら背負い込むという受難のある種神話的あるいは母性的女性像を表している。義父母も火見子に類似して、トラブルを起こす娘婿を宥めすかし受け入れる存在である。
むしろ登場人物について問題なのは、デルチェフさんと菊比古だろう。火見子が引用したブレイクとデルチェフさんが引用したカフカとでは、真逆のことを教えている。それは利己的世界から利他的あるいは共同体的規範的世界への移行を示すだろう。だが、デルチェフさんも(恐らく彼にとっても明瞭でない)利己的かつ献身的態度という両義的行動によって破滅する。菊比古は、火見子の言う「多元的な宇宙」からひょっこり現れたように登場する。菊比古はバードを慕う年少の若者であったが、唐突な再会ではむしろ反目しあうようであり、以前のような少年男子たちの世界からの両者の脱却が再会の場で示されており、アルコールの身体的拒絶がそれを強調するとともにバードは決心し、運命を受け入れつつも果敢に行動する人間の大人の世界へと踏み出す契機となる。

バードの回心は唐突であるのか。頭を擦る仕草の伝播や模倣、寝籠の赤子を守る行動、赤子の叫喚への忍耐など、直接に障害を持った赤子の受容というのもあるが、二日酔いによる嘔吐を告発されたことによる解雇の場面での、年少者の偽証を撥ねつけ自らの責任を負う言動に少年的世界・エゴイズム的世界から大人たちの規範的世界への移行が見て取れるだろう。
個人的な体験(新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 個人的な体験(新潮文庫)より
B00IP4BYW6
No.113
(4pt)

少年と規範

主人公のバードから始まって、比喩などとして様々な動物が提示され、さながら動物園のようだ。
小説の構造としては、動物たち、竜と怪物と植物的存在、人間たち・大人たち、このような三つのグループによって謂わばイメージのレベルで階層的に構成されており、その優劣がプロットを終結させるように思える。書き出しは「鳥(バード)」となっており、鹿の比喩がすぐに続き、アフリカの地図へと導かれる。これは動物たちが犇く世界を暗示しており、動物たちは弱肉強食のエゴイズムの世界を暗示している(ホッブス風万人の闘いの世界)。竜の刺繍のジャンパーの若者たちや怪物としての赤子やそれと通ずる植物的存在とは、突然の暴力や悲劇的アクシデントを表し、制御不能の外的世界との接触を意味し、即ち運命を暗示している。突発的アクシデントとそれに絡むエゴイスティックな対応を受容し乗り越えて、あるいは「やりすご」す態度や行動によって、(マキャヴェリ風に言えばフォルトゥナに対するヴィルトゥの獲得によって)人間的世界が作られるという構造を持つだろう。

人物間の関係としては、プロットの大部分を主人公と行動を共にする火見子は後のバードを体現する存在だと言え、この突然の来訪者であるバードを処女喪失の際と同様に受け入れ慰め励まし(時に反撥し)運命を共にしようとする。また、終盤では少年性から抜け出たバードと訣別し「少年じみた男」と旅立つという、バードが脱ぎ捨てた少年性を自ら背負い込むという受難のある種神話的あるいは母性的女性像を表している。義父母も火見子に類似して、トラブルを起こす娘婿を宥めすかし受け入れる存在である。
むしろ登場人物について問題なのは、デルチェフさんと菊比古だろう。火見子が引用したブレイクとデルチェフさんが引用したカフカとでは、真逆のことを教えている。それは利己的世界から利他的あるいは共同体的規範的世界への移行を示すだろう。だが、デルチェフさんも(恐らく彼にとっても明瞭でない)利己的かつ献身的態度という両義的行動によって破滅する。菊比古は、火見子の言う「多元的な宇宙」からひょっこり現れたように登場する。菊比古はバードを慕う年少の若者であったが、唐突な再会ではむしろ反目しあうようであり、以前のような少年男子たちの世界からの両者の脱却が再会の場で示されており、アルコールの身体的拒絶がそれを強調するとともにバードは決心し、運命を受け入れつつも果敢に行動する人間の大人の世界へと踏み出す契機となる。

バードの回心は唐突であるのか。頭を擦る仕草の伝播や模倣、寝籠の赤子を守る行動、赤子の叫喚への忍耐など、直接に障害を持った赤子の受容というのもあるが、二日酔いによる嘔吐を告発されたことによる解雇の場面での、年少者の偽証を撥ねつけ自らの責任を負う言動に少年的世界・エゴイズム的世界から大人たちの規範的世界への移行が見て取れるだろう。
個人的な体験 (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 個人的な体験 (新潮文庫)より
4101126100
No.112
(4pt)

少年と規範

主人公のバードから始まって、比喩などとして様々な動物が提示され、さながら動物園のようだ。
小説の構造としては、動物たち、竜と怪物と植物的存在、人間たち・大人たち、このような三つのグループによって謂わばイメージのレベルで階層的に構成されており、その優劣がプロットを終結させるように思える。書き出しは「鳥(バード)」となっており、鹿の比喩がすぐに続き、アフリカの地図へと導かれる。これは動物たちが犇く世界を暗示しており、動物たちは弱肉強食のエゴイズムの世界を暗示している(ホッブス風万人の闘いの世界)。竜の刺繍のジャンパーの若者たちや怪物としての赤子やそれと通ずる植物的存在とは、突然の暴力や悲劇的アクシデントを表し、制御不能の外的世界との接触を意味し、即ち運命を暗示している。突発的アクシデントとそれに絡むエゴイスティックな対応を受容し乗り越えて、あるいは「やりすご」す態度や行動によって、(マキャヴェリ風に言えばフォルトゥナに対するヴィルトゥの獲得によって)人間的世界が作られるという構造を持つだろう。

人物間の関係としては、プロットの大部分を主人公と行動を共にする火見子は後のバードを体現する存在だと言え、この突然の来訪者であるバードを処女喪失の際と同様に受け入れ慰め励まし(時に反撥し)運命を共にしようとする。また、終盤では少年性から抜け出たバードと訣別し「少年じみた男」と旅立つという、バードが脱ぎ捨てた少年性を自ら背負い込むという受難のある種神話的あるいは母性的女性像を表している。義父母も火見子に類似して、トラブルを起こす娘婿を宥めすかし受け入れる存在である。
むしろ登場人物について問題なのは、デルチェフさんと菊比古だろう。火見子が引用したブレイクとデルチェフさんが引用したカフカとでは、真逆のことを教えている。それは利己的世界から利他的あるいは共同体的規範的世界への移行を示すだろう。だが、デルチェフさんも(恐らく彼にとっても明瞭でない)利己的かつ献身的態度という両義的行動によって破滅する。菊比古は、火見子の言う「多元的な宇宙」からひょっこり現れたように登場する。菊比古はバードを慕う年少の若者であったが、唐突な再会ではむしろ反目しあうようであり、以前のような少年男子たちの世界からの両者の脱却が再会の場で示されており、アルコールの身体的拒絶がそれを強調するとともにバードは決心し、運命を受け入れつつも果敢に行動する人間の大人の世界へと踏み出す契機となる。

バードの回心は唐突であるのか。頭を擦る仕草の伝播や模倣、寝籠の赤子を守る行動、赤子の叫喚への忍耐など、直接に障害を持った赤子の受容というのもあるが、二日酔いによる嘔吐を告発されたことによる解雇の場面での、年少者の偽証を撥ねつけ自らの責任を負う言動に少年的世界・エゴイズム的世界から大人たちの規範的世界への移行が見て取れるだろう。
個人的な体験 (1964年) Amazon書評・レビュー: 個人的な体験 (1964年)より
B000JAFA5Q
No.111
(5pt)

アップダイクのような

アマゾンで買った大江健三郎全小説6で読み始めました。冒頭の部分を読んで、ここはまるでアップダイクの走れウサギ読んでるみたいだと思いました。走れウサギでは、主人公が少年と一緒にバスケットボールをして疎外感を味わいます。大江健三郎は、たくさんの外国小説を読んでますが、アップダイクからも影響を受けています。以上ご参考までに。
個人的な体験 Amazon書評・レビュー: 個人的な体験より
4103036168
No.110
(5pt)

アップダイクのような

アマゾンで買った大江健三郎全小説6で読み始めました。冒頭の部分を読んで、ここはまるでアップダイクの走れウサギ読んでるみたいだと思いました。走れウサギでは、主人公が少年と一緒にバスケットボールをして疎外感を味わいます。大江健三郎は、たくさんの外国小説を読んでますが、アップダイクからも影響を受けています。以上ご参考までに。
個人的な体験(新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 個人的な体験(新潮文庫)より
B00IP4BYW6
No.109
(5pt)

アップダイクのような

アマゾンで買った大江健三郎全小説6で読み始めました。冒頭の部分を読んで、ここはまるでアップダイクの走れウサギ読んでるみたいだと思いました。走れウサギでは、主人公が少年と一緒にバスケットボールをして疎外感を味わいます。大江健三郎は、たくさんの外国小説を読んでますが、アップダイクからも影響を受けています。以上ご参考までに。
個人的な体験 (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 個人的な体験 (新潮文庫)より
4101126100
No.108
(5pt)

アップダイクのような

アマゾンで買った大江健三郎全小説6で読み始めました。冒頭の部分を読んで、ここはまるでアップダイクの走れウサギ読んでるみたいだと思いました。走れウサギでは、主人公が少年と一緒にバスケットボールをして疎外感を味わいます。大江健三郎は、たくさんの外国小説を読んでますが、アップダイクからも影響を受けています。以上ご参考までに。
個人的な体験 (1964年) Amazon書評・レビュー: 個人的な体験 (1964年)より
B000JAFA5Q
No.107
(5pt)

鳥(バード)と言う名の主人公が成長する物語

主人公はバード。彼女は火見子。重たい内容の小説であるにもかかわらず、この名前のためにほどよい軽みがあり、ハッピーエンドで充実した読後感を得られます。少し甘いかな、と思わなくもないですが、バッド・エンドよりはずっとよいと思います。
「バード」という名のジャズマンがいることを、わたしは全く知りませんでした。本当です。
個人的な体験 Amazon書評・レビュー: 個人的な体験より
4103036168
No.106
(5pt)

鳥(バード)と言う名の主人公が成長する物語

主人公はバード。彼女は火見子。重たい内容の小説であるにもかかわらず、この名前のためにほどよい軽みがあり、ハッピーエンドで充実した読後感を得られます。少し甘いかな、と思わなくもないですが、バッド・エンドよりはずっとよいと思います。
「バード」という名のジャズマンがいることを、わたしは全く知りませんでした。本当です。
個人的な体験(新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 個人的な体験(新潮文庫)より
B00IP4BYW6
No.105
(5pt)

鳥(バード)と言う名の主人公が成長する物語

主人公はバード。彼女は火見子。重たい内容の小説であるにもかかわらず、この名前のためにほどよい軽みがあり、ハッピーエンドで充実した読後感を得られます。少し甘いかな、と思わなくもないですが、バッド・エンドよりはずっとよいと思います。
「バード」という名のジャズマンがいることを、わたしは全く知りませんでした。本当です。
個人的な体験 (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 個人的な体験 (新潮文庫)より
4101126100
No.104
(5pt)

鳥(バード)と言う名の主人公が成長する物語

主人公はバード。彼女は火見子。重たい内容の小説であるにもかかわらず、この名前のためにほどよい軽みがあり、ハッピーエンドで充実した読後感を得られます。少し甘いかな、と思わなくもないですが、バッド・エンドよりはずっとよいと思います。
「バード」という名のジャズマンがいることを、わたしは全く知りませんでした。本当です。
個人的な体験 (1964年) Amazon書評・レビュー: 個人的な体験 (1964年)より
B000JAFA5Q
No.103
(4pt)

息子が生まれて鳥として魂がやっと入る。

鳥(バード)という男の個人的体験についての物語である。
妻が妊娠そして出産。生まれたのは 脳疾患を持った赤ん坊だった。
バードは、飼育されていた。社会の当たり前のルールに沿って生きていた。
なぜ飼育されるようになったのか?誰に飼育されているのか?
大学院の中退後アルコールを飲み過ぎていた。バードは社会と、義父、義母、妻に、常識的に飼育されていた。
バードは頭の中では、この現実から逃げ出すことを考える。アフリカへの冒険旅行を夢見る。でも、アフリカにはいくほどの現実的な勇気はなかった。そして、妻以外のヒミコと性の快楽におぼれようとする。妻と子供から、現実の事態を逃れようとする。そして、子供の死を願う。随分と身勝手な父親なのだ。寄るべきところがどこにもない。性の快楽に溺れても、現実は変わらない。
ヒミコとの共同作業。殺すことへの共同策謀。ソビエトの核実験とのかかわり合いなど。
結果としてバードは脳疾患の子供を、たとえ植物的な存在になろうとも命を大切にしようとする意志を持ち、アフリカへの冒険旅行を断念する。この自分の置かれた現実に生きようとする決意をもつ。
現実を受け止める勇気で立ち向かう。この子の将来がどうなるか?ということよりも、自分の素直に現実に向きあうことによって、大きく世界が変わる。違うことを受け入れることで、世界が成り立つ。脳疾患の子供は、鳥の声を聞き分けて、音の世界に自由に飛び立つ。やっと、親と子は、鳥(バード)であることでコミュニケーションできることに気がつくのだ。精神的にさまよう中で、現実を受け入れるということは、勇気が必要だという個人的な体験が、物語となった。
大江健三郎に突きつけられた現実に、事実を受け入れて、生きていくしかなかったのだ。
個人的な体験 Amazon書評・レビュー: 個人的な体験より
4103036168
No.102
(4pt)

息子が生まれて鳥として魂がやっと入る。

鳥(バード)という男の個人的体験についての物語である。
妻が妊娠そして出産。生まれたのは 脳疾患を持った赤ん坊だった。
バードは、飼育されていた。社会の当たり前のルールに沿って生きていた。
なぜ飼育されるようになったのか?誰に飼育されているのか?
大学院の中退後アルコールを飲み過ぎていた。バードは社会と、義父、義母、妻に、常識的に飼育されていた。
バードは頭の中では、この現実から逃げ出すことを考える。アフリカへの冒険旅行を夢見る。でも、アフリカにはいくほどの現実的な勇気はなかった。そして、妻以外のヒミコと性の快楽におぼれようとする。妻と子供から、現実の事態を逃れようとする。そして、子供の死を願う。随分と身勝手な父親なのだ。寄るべきところがどこにもない。性の快楽に溺れても、現実は変わらない。
ヒミコとの共同作業。殺すことへの共同策謀。ソビエトの核実験とのかかわり合いなど。
結果としてバードは脳疾患の子供を、たとえ植物的な存在になろうとも命を大切にしようとする意志を持ち、アフリカへの冒険旅行を断念する。この自分の置かれた現実に生きようとする決意をもつ。
現実を受け止める勇気で立ち向かう。この子の将来がどうなるか?ということよりも、自分の素直に現実に向きあうことによって、大きく世界が変わる。違うことを受け入れることで、世界が成り立つ。脳疾患の子供は、鳥の声を聞き分けて、音の世界に自由に飛び立つ。やっと、親と子は、鳥(バード)であることでコミュニケーションできることに気がつくのだ。精神的にさまよう中で、現実を受け入れるということは、勇気が必要だという個人的な体験が、物語となった。
大江健三郎に突きつけられた現実に、事実を受け入れて、生きていくしかなかったのだ。
個人的な体験(新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 個人的な体験(新潮文庫)より
B00IP4BYW6
No.101
(4pt)

息子が生まれて鳥として魂がやっと入る。

鳥(バード)という男の個人的体験についての物語である。
妻が妊娠そして出産。生まれたのは 脳疾患を持った赤ん坊だった。
バードは、飼育されていた。社会の当たり前のルールに沿って生きていた。
なぜ飼育されるようになったのか?誰に飼育されているのか?
大学院の中退後アルコールを飲み過ぎていた。バードは社会と、義父、義母、妻に、常識的に飼育されていた。
バードは頭の中では、この現実から逃げ出すことを考える。アフリカへの冒険旅行を夢見る。でも、アフリカにはいくほどの現実的な勇気はなかった。そして、妻以外のヒミコと性の快楽におぼれようとする。妻と子供から、現実の事態を逃れようとする。そして、子供の死を願う。随分と身勝手な父親なのだ。寄るべきところがどこにもない。性の快楽に溺れても、現実は変わらない。
ヒミコとの共同作業。殺すことへの共同策謀。ソビエトの核実験とのかかわり合いなど。
結果としてバードは脳疾患の子供を、たとえ植物的な存在になろうとも命を大切にしようとする意志を持ち、アフリカへの冒険旅行を断念する。この自分の置かれた現実に生きようとする決意をもつ。
現実を受け止める勇気で立ち向かう。この子の将来がどうなるか?ということよりも、自分の素直に現実に向きあうことによって、大きく世界が変わる。違うことを受け入れることで、世界が成り立つ。脳疾患の子供は、鳥の声を聞き分けて、音の世界に自由に飛び立つ。やっと、親と子は、鳥(バード)であることでコミュニケーションできることに気がつくのだ。精神的にさまよう中で、現実を受け入れるということは、勇気が必要だという個人的な体験が、物語となった。
大江健三郎に突きつけられた現実に、事実を受け入れて、生きていくしかなかったのだ。
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4101126100
No.100
(4pt)

息子が生まれて鳥として魂がやっと入る。

鳥(バード)という男の個人的体験についての物語である。
妻が妊娠そして出産。生まれたのは 脳疾患を持った赤ん坊だった。
バードは、飼育されていた。社会の当たり前のルールに沿って生きていた。
なぜ飼育されるようになったのか?誰に飼育されているのか?
大学院の中退後アルコールを飲み過ぎていた。バードは社会と、義父、義母、妻に、常識的に飼育されていた。
バードは頭の中では、この現実から逃げ出すことを考える。アフリカへの冒険旅行を夢見る。でも、アフリカにはいくほどの現実的な勇気はなかった。そして、妻以外のヒミコと性の快楽におぼれようとする。妻と子供から、現実の事態を逃れようとする。そして、子供の死を願う。随分と身勝手な父親なのだ。寄るべきところがどこにもない。性の快楽に溺れても、現実は変わらない。
ヒミコとの共同作業。殺すことへの共同策謀。ソビエトの核実験とのかかわり合いなど。
結果としてバードは脳疾患の子供を、たとえ植物的な存在になろうとも命を大切にしようとする意志を持ち、アフリカへの冒険旅行を断念する。この自分の置かれた現実に生きようとする決意をもつ。
現実を受け止める勇気で立ち向かう。この子の将来がどうなるか?ということよりも、自分の素直に現実に向きあうことによって、大きく世界が変わる。違うことを受け入れることで、世界が成り立つ。脳疾患の子供は、鳥の声を聞き分けて、音の世界に自由に飛び立つ。やっと、親と子は、鳥(バード)であることでコミュニケーションできることに気がつくのだ。精神的にさまよう中で、現実を受け入れるということは、勇気が必要だという個人的な体験が、物語となった。
大江健三郎に突きつけられた現実に、事実を受け入れて、生きていくしかなかったのだ。
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B000JAFA5Q
No.99
(5pt)

「鳥(バード)」という名の主人公が成長する物語

再読。テーマが明確でメッセージがはっきりしているので比較的読みやすい方です。主人公の名がバード(鳥)という、どことなく童話的で、外国文学を読んでいるみたいで、「ね、バード」などと言うところが妙に印象的です。また、「火見子」こちらは神話のように響きます。作者は深刻な重苦しさの中に、希望のようにほんの少しの軽みを、そしてこの作品がフィクションとして読まれることを意図していると思います。
唐突なエンディングにはたしかに驚きましたが、ホッとしたことも確かです。この結末でよかったと思います。
個人的な体験 Amazon書評・レビュー: 個人的な体験より
4103036168
No.98
(5pt)

「鳥(バード)」という名の主人公が成長する物語

再読。テーマが明確でメッセージがはっきりしているので比較的読みやすい方です。主人公の名がバード(鳥)という、どことなく童話的で、外国文学を読んでいるみたいで、「ね、バード」などと言うところが妙に印象的です。また、「火見子」こちらは神話のように響きます。作者は深刻な重苦しさの中に、希望のようにほんの少しの軽みを、そしてこの作品がフィクションとして読まれることを意図していると思います。
唐突なエンディングにはたしかに驚きましたが、ホッとしたことも確かです。この結末でよかったと思います。
個人的な体験(新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 個人的な体験(新潮文庫)より
B00IP4BYW6
No.97
(5pt)

「鳥(バード)」という名の主人公が成長する物語

再読。テーマが明確でメッセージがはっきりしているので比較的読みやすい方です。主人公の名がバード(鳥)という、どことなく童話的で、外国文学を読んでいるみたいで、「ね、バード」などと言うところが妙に印象的です。また、「火見子」こちらは神話のように響きます。作者は深刻な重苦しさの中に、希望のようにほんの少しの軽みを、そしてこの作品がフィクションとして読まれることを意図していると思います。
唐突なエンディングにはたしかに驚きましたが、ホッとしたことも確かです。この結末でよかったと思います。
個人的な体験 (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 個人的な体験 (新潮文庫)より
4101126100
No.96
(5pt)

「鳥(バード)」という名の主人公が成長する物語

再読。テーマが明確でメッセージがはっきりしているので比較的読みやすい方です。主人公の名がバード(鳥)という、どことなく童話的で、外国文学を読んでいるみたいで、「ね、バード」などと言うところが妙に印象的です。また、「火見子」こちらは神話のように響きます。作者は深刻な重苦しさの中に、希望のようにほんの少しの軽みを、そしてこの作品がフィクションとして読まれることを意図していると思います。
唐突なエンディングにはたしかに驚きましたが、ホッとしたことも確かです。この結末でよかったと思います。
個人的な体験 (1964年) Amazon書評・レビュー: 個人的な体験 (1964年)より
B000JAFA5Q